心と体

2009年12月25日 (金)

足元をおろそかにすると結局高くつく危険性もあるのでは

選挙の頃には医療崩壊をどうするかというのは結構大きな争点になっていた気がしましたけれども、診療報酬が極めて政治的判断で(笑)決まった後のあっさりした報道を見ていますと、どうもあれも単なる票集めのための議論だったのかという気もしてくる昨今です。
改訂を巡る議論を見ていて「激務をこなしていても報われない医者達をもっと評価しなければ」と言われるとなるほど確かにと言いたくもなりますけれども、逆に言えばどうでもいい仕事をしながら楽して儲けている医者というものもいて、彼らにはあまり報いなくてもいいんだと言う認識の裏返しでもあるということははっきり認識しておかなければならないと思いますね。
例えば眼科医が楽して儲けているのかどうかはともかくとして、社会的評価がそういうことであるならば低い評価をされる人間としては当然に面白くなかろうということだけは確実なんだろうなと思いつつ、そうした国の認識が医療現場に、ひいては国民生活に与える影響と言うものを考えていく必要があるんだろうなと思うところです。

さて、先日読んでいて面白いなと思ったのがこちらのニュースなんですが、ある意味で時代に逆行するかのような話と言う点でなかなか興味深い試みですよね。

重症患者受け入れ拒否防げ 尾三圏域で成果 /広島(2009年12月8日読売新聞)

軽傷は診療所に搬送 

 特定の医療機関に救急患者の搬送が集中し、重症患者の受け入れ拒否が起きるのを防ごうと、尾道市、三原市、世羅町の医師会や消防などが、軽傷の外傷患者に限って診療所に優先的に運ぶ取り組みを6月から展開し、成果を上げている。地域の診療所も加わった搬送の振り分けシステムは珍しく、救急医療の専門家も注目している。(石原敦之)

 医師会、保健所、消防本部などでつくる県尾三圏域メディカルコントロール協議会(片山寿会長)が始めた。日中の診療時間に軽傷の救急患者を受け入れるよう診療所に要請し、31診療所を「協力医療機関」に指定した。救急隊員の判断で患者を優先的に運ぶ。

 2008年に尾道市消防局が搬送した外傷患者の多くは、市内の救急告示医療機関に運び、特に尾道市立市民病院など二つの総合病院に65%が集中。一方で、診療所に運んだのは4%にとどまった。救急搬送した患者の半数以上は軽症で、「かすり傷の治療のために、手術を中断するケースがある」との声も上がっていた

 システムの導入後の6~9月に2市1町で交通事故や転倒などによる救急搬送は1033件あり、協力医療機関への搬送は74件(7・1%)。前年同期間の1003件中31件(3%)の2倍以上となった。協議会事務局の尾道市消防局は「搬送の振り分けが円滑にできた。患者にとっても近くの診療所に運ばれる利点は大きい」としている。

 尾道市立市民病院の突沖満則医局長は「搬送が分散されて負担が減り、圏域の救急体制の連携も強まった。今後は内科系の患者搬送にも広がれば」と言う。

 日本救急医療財団理事長の島崎修次・杏林大医学部教授は「診療所が自主的に役割分担をし、適切な救急医療を守ろうという地方発の画期的な試み。診療所に負担がかかり過ぎないよう他の医療機関や行政の支援も重要だ」と話している。

システムとしては今までと逆のパターンと言いますか、地域の大病院に医療資源を集約して24時間どんな患者でも受け入れ可能なセンターを作ろう、なんて力技とは真逆な方向性で、言ってみれば一頃あれだけ絶賛されながら結局崩壊してしまった小児救急の「鹿屋方式」の一般救急向けモディファイ版という感じなのですかね。
しかしこれ、医師会、保健所、消防本部などが決めたと言っているんですが、そうなりますと本当に「診療所が自主的に役割分担をし」て始まったのかという疑問があるのですが(苦笑)、今後の永続性の鍵もそのあたりの自主性にありそうな気がするのは自分だけでしょうか。

そもそも診療所で対応できるような軽症が救急車を呼ぶというのがどうなのよという声もあるのでしょうが、いつでもどこでも誰でも無料でお運びしますという制度を続けている限りは便利使いする人が出てくるのも当然で、中には飲んだ帰りに家の近所の病院を指定し文字通りタクシー代わりに利用するといった例もあるようですね。
こういうところになんとかセレクションをかけられるようになるだけでもかなり救急医療の状況は変わると思うのですが、それはともかくとして、診療報酬改定で更なる開業医冷遇方針が確定する中での将来を見据えての地区医師会の実績作りと見るべきなのか、いずれにしてもこのご時世によく現場の協力が得られたなと感心する話ではあると思います。
こういうふうに地域の先生方が頑張ってくれればどれだけ医療全般がうまく回るようになるか計り知れないものがありますけれども、この国の現状ではむしろそうした縁の下の力持ちを切り捨てようとしているかのように見えるのが気がかりですよね。

以前に厚労省の研究班で英国の家庭医制度を紹介したなんて話がありましたけれども、ちょうど今年2009年の夏に第一回目の家庭医療専門医認定試験が行われたという話題があったように、日本でも最近ようやくこの家庭医というものが注目されるようになってきていて、福島県立医大のように地域・家庭医療部なんてものを設立するところも出てきました。
大辞泉によれば家庭医とは「患者の年齢・性別・疾患などに関わらず、地域住民の健康を支える医師。患者や患者の家族と密接な連携を保つことで、予防・治療・リハビリなどを行う。状況に応じて専門医を紹介するのも家庭医の重要な役割とされる」ということなんですけれども、従来の診療科別に別れた医師養成システムではこうした横断的な診療能力はなかなか養い難いところがありますよね。
欧米などでは家庭医と専門医とは最初から区別された別の存在ということが多いようですけれども、日本では医師の教育は将来の専門・方向性に関わらず皆が同じ内容ということになっている点でいささか事情が違うのですが、いずれにしても家庭医とは専門医の下位概念ではなく別概念であることは認識しておく必要があって、最近ではこうした点を踏まえて専門医に対して総合医という言い方もしているようです。

現状でほぼ唯一制度的に総合医に近い存在を養成しているのが自治医大ですけれども、こちらも学費を出すかわりに卒業後は指示されたところで9年間奉公しろといういささか21世紀にもなってそれはどうよ?と思われるシステムで、逆に言えばそういう強制力でも発揮しない限りこうした非専門領域(家庭医というプロフェッショナルであると自負する先生もいらっしゃいますが)には人材が集まらなかったということではあるのでしょうか。
近年は例の親臨床研修制度でローテート研修が必須となり、全医師に家庭医レベルの初期診療能力を付与するという建前になっていますけれども、(ごく控えめな表現をするならば)正直たかだか二年間程度のお客さま研修で身につくほど家庭医の能力というものは安いのかとも言えるでしょうし、そもそも家庭医を専門医の片手間仕事のように考えているのが間違いではないかという気がします。

以前にはかかりつけ医を持ちましょうなんて話で家庭医がもてはやされた時代がありましたが、このところの医師不足で地方の地域医療においては全科の医者を取り揃えてなんてことはまずありませんから、初診レベルでは全科横断的に診てもらえる総合医といったものの需要が非常に大きいのは当然の話ですよね。
そんなこともあって最近改めてこの家庭医・総合医の重要性が見直されているようですが、無論ここでも問題なしとしないところがあるわけです。

医師養成の方向性議論 県の総合力育成検討委初会合(2009年12月23日岩手日報)

 中小規模の地域病院を担う医師の「総合力」育成を目指す県の検討委初会合は22日、盛岡市内で開かれた。地域医療に必要な技術や研修プログラム構築の方向性について議論。課題である人材確保に向けては「働く魅力を感じる仕組みづくりが必要」などの意見が出た

 検討委は県内の国保病院、県立病院の院長ら7人で構成。座長に県立中央病院の佐々木崇院長を選出した。

 総合力育成の主な対象は後期研修医で、県は一定規模の「拠点病院」が指導者確保や参加者の募集を行い、総合診療の実践は地域病院や診療所で行う―とのたたき台を示した。

 必要な技術について県立釜石病院の遠藤秀彦院長は「救急と内科ができれば自信を持てる」として県北や沿岸などの基幹病院での育成を提言。県立磐井病院の加藤博孝副院長は「育成実績のある県外の病院に派遣するのはどうか」と述べた。

 人材確保に向けて国保藤沢町民病院の佐藤元美院長は「勉強のための長期休暇や研修制度などを整え、県外からも医師が集まる魅力づくりが必要だ」と指摘。総合医の仕事について「社会的に評価されてこそ医師はやりがいを感じる」と県民周知の必要性も課題に挙げられた。

 終了後、佐々木座長は「検討課題は多いが、うまく制度づくりができれば医師不足の本県医療にとって大きな力になる」と期待感を示した。

 今後は年度内に2回の会合を開き、引き続き方向性を議論。2010年度にプログラム策定や参加者募集などを行い、11年度から実施する方針。

需要があるのになり手が少ないというのは何が問題かと言えば、記事中にもある「社会的に評価されてこそ医師はやりがいを感じる」ことの裏返しで「家庭医、総合医として地域医療に貢献したところで誰からも何も評価されてこなかった」という事情があったことを指摘しなければならないと思いますね。
海外のように専門医と家庭医を元々別の存在にしていればこうしたことは避けられたのかも知れませんが、日本では従来「専門医が総合医になることはできるが、総合医が専門医になることはできない」という考え方が主導的で、家庭医など引退したロートルか使えない医者の行くところでまともな医者が従事すべき仕事ではないという見方が(表向きはともかく)結構根強かったものです。

何しろ今までの専門医認定制度では基本的に認定施設(通常は地域の基幹医療施設たる大病院です)での一定年数のキャリアがなければ受験資格を得られなかった、すなわち逆に言えば一度地域の中小医療機関に流れてしまうと専門医としてのキャリアアップをほぼ断念しなければならないということがありました。
自治医大の先生方などは卒後の御礼奉公期間中に後期研修として一定年数基幹病院で研修するルートが設けられていたりするようですけれども、専門医の能力というものは取得はもちろん常時最新データにアップデートを続けなければ使い物になりませんから、言ってみれば地域医療に従事する医者というのは高度な専門性を備えたスキルの高い医者としては終わった存在的に(医者からも住民からも)見られていたわけです。

それ以上に問題なのがこのところの診療報酬改定の議論の中でもさんざん出てきましたように、中核的医療機関で高度医療に従事する医者こそ偉い存在で、地域の診療所などで誰でもできるような仕事をしている医者など二束三文で買い叩かれて当然という認識が世の中に広く広まってきていることです。
日本の医療制度ではどんな医者も全て平等であり、全国どこの病院でも同レベルの医療を行っているという前提でシステムが組まれていますけれども、実際には一口に医者といっても能力やキャリアの差以前にその専門性や方向性の違いというものがあるわけで、とりわけ社会的需要ということで言えば本来総合医的な医者こそ一番数が求められるはずなんですが、そこを切り捨てていくとどうなるか。
言ってみれば「家庭医=賤業」という図式を国が先頭に立って広めて回っているわけですから、それは苦労して医師免許を取った挙句に名誉もなく金銭的にも報われずただ無名の雑草として一生を終える覚悟のあるよほどの変わり者しか成り手がないのも当然ということになりますよね。

特に安上がりで効率のよい医療を行うためにも初診を担当する地域の家庭医の役割こそ一番重要なはずなのに、そこを切り捨てていくと結局医療が高く非効率なものになってしまうことは認識しておかなければなりません。
社会的評価が下がれば当然成り手も減っていくでしょうし、初診の数や質が低下すればその分専門医の仕事が増えて良く道理ですから、それこそ風邪を引いたら大学病院で血液疾患から心疾患まで全部鑑別診断を行う、なんて笑い話のような事態が普通になってしまいかねません(すでにネタではなくなりつつありますが)。
このあたりは昨今では訴訟対策絡みの過剰診療問題ともあわせてなかなかに話が難しいところですけれども、実際問題として医療費上限がほぼ決まってしまっている時代となってきたわけですから、特に初診レベルでは今後ますます少ないお金でより質の高い医療をやっていかざるを得ないはずです。
その為には相応に高いスキルと総合医としての専門性が必要であるわけで、もちろんその質の保証をどうするかという議論は必要ですが、こんな医療費抑制の時代だからこそ社会としても能力の高い総合医の価値を認め積極的に評価していく必要があるんじゃないかと思うのですけれどもね。

近頃厚労省ではナースプラクティショナー導入に向けての議論も進んできているようですけれども、もしこれを安上がりな家庭医的ポジションに据えることを意図しているというのであれば、下手をすると地域の初診担当者=安かろう悪かろうという図式がますます定着してしまう危険性もあるのかなと思って見ているのですが、さてどうなりますか…

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2009年12月24日 (木)

診療報酬0.19%のアップで確定

ということなんですが、まずは記事から紹介してみましょう。

診療報酬改定率:10年ぶり引き上げ 0.19%(2009年12月23日毎日新聞)

 財務省と厚生労働省は23日、10年度の診療報酬全体の改定率を0.19%引き上げることで合意した。医師不足が目立つ産科や小児科などを充実させるため、医師の技術料にあたる「本体部分」を1.55%引き上げる一方、薬の公定価格「薬価」などを1.36%引き下げた。全体のプラス改定は2000年度以来、10年ぶり

 患者や公的保険から医療機関に支払われる診療報酬は、「本体」「薬価」を合わせたものだ。0.19%増は医療費ベースで約700億円増となる。厚労省の試算によると、年収374万円の中小企業の平均的な会社員の場合、保険料が年間285円程度、外来の窓口負担(3割)は1カ月当たり7.8円上がるという。

 10年度改定を巡っては、減額を迫る財務省と、増額を求める厚労省との間で調整が難航。平野博文官房長官は23日午前、首相官邸に藤井裕久財務相と長妻昭厚労相を呼んで改定率の素案を示し、両者を納得させた。
(略)

昨夜からネット上のあちこちでこの件に関して書き込みがありますけれども、総じて皆さん冷めた反応かなという感じですかね。
一番大笑したのがこちらの書き込みですけれども、確かに何らの実がないまま「プラス改定」という名だけを取ったと言う印象が強い結論ではありました。

581 名前:卵の名無しさん[sage] 投稿日:2009/12/23(水) 18:24:05 ID:1rr+g+6B0
>>572

 僻地医療の自爆燃料を語る146
 200 :卵の名無しさん[sage]:2009/11/25(水) 20:08:07 ID:YgImVEck0
 (中略)
 厚労省が+3%、財務省が-3%ということは、プラスマイナス0%に
 民主党が恩着せがましく+0.2%くらい上乗せで決着かな。
 で、新聞には大々的に「診療報酬プラス改定」「最後は政治決着」
 「求められる医療の質と効率化」などの見出しが踊ると。

先月の俺の書き込み。
この程度、俺でも予言できたぜ。

ネットの反応はともかくとして、記事中にもありますように厚労省と財務省とのトップ同士のやり取りというのは最後まで相当にこじれていたようですよね。
直前の報道ではこんな感じであったようですけれども、正直財務省の言うゼロ回答だろうが厚労省の言う限りなくゼロに近いプラス回答だろうが実際上どれほどの違いがあるのかと考えた場合に、まさしく「恩着せがましく」「最後は政治決着」というシナリオ通りであったのかなとも思われるところです。

藤井財務相「厚労相は政治論ばかり」 診療報酬巡り激突(2009年12月22日朝日新聞)

 来年度改定される診療報酬をめぐり、財務、厚生労働両省の攻防が激化している。全体の改定率で意見が折り合わず、藤井裕久財務相が長妻昭厚労相を「政治論ばかり」と異例の批判。長妻氏も主張を曲げない姿勢で、着地点はなお見えていない。

 21日に初めて閣僚間で行われた診療報酬の協議では、長妻氏が全体でプラスになる改定を求めたのに対し、藤井氏は財政状況の厳しさを理由にマイナスで譲らなかった。藤井氏は22日の閣議後会見で、「プラスになるのは多くの人を味方にし、マイナスは多くの人を裏切る、と(長妻氏は主張する)。大臣折衝はそういうものではない」と長妻氏の姿勢を批判した。

 これに対し、長妻氏は同日の会見で「全体でプラスということが医療を再生するためには必要であるという結論になっている。決して過大な要求をしているわけではない」と「政治論」を取り下げず、「財務省と交渉が続いているので、そういう主張を極力具体的に申し上げていきたい」と宣戦布告をした。この日の厚労省政務三役による協議でも、全体でプラス改定を獲得する方針を確認した。

 藤井氏も同日朝には、記者団にこう言い放った。「デフレの時にどうして上げるの? それは保険料にもかかってくる。私は曲げません

デフレの時にどうして上げるの?と言われれば、それじゃ景気が拡大基調にあったというこの十年でひたすら診療報酬を削減してきたのはなんだったのかって話にもなるんですけれどもね(苦笑)。
まあしかし、これはこれで財務省系の方々の認識というのがよく判る話ではありますが、逆にそれを突き崩せるだけの説得材料を厚労省側が用意できなかったのも事実だと思います。
例えば0.3%なんて小幅な引き上げじゃ駄目だ、3%は必要だなんてことを言う人達もいましたけれども、それでは3%になると出資者である国民にとって何がどう変わってくるのかというところが結局見えてこなかったのは傍から見ていても気になったところで、結局「今医療が大変だからもっと診療報酬を手厚くしないと」という以上の具体性のある話ができる人がどこにもいなかったわけです。

何しろ助教授クラスが飛んでくるという破格の金額を出そうが逃げる時には医者は逃げるわけで、仮に様々なしがらみを乗り越えて現場の医者達に実際いくらか余分な金が回るようになったとしても、それによって医療崩壊という現象のどこがどう改善されるのかと言えば、逃げ出していっている当事者にとっても疑問符が付く話なんじゃないかと言う気がします。
例えばあり得ない話ですが診療報酬を倍増すれば全国津々浦々の僻地病院に医者があふれ、救急車は最短時間で病院に収容され、外来待ち時間は限りなくゼロに近づき、行き場の無いお年寄りには適切な施設が用意され云々の理想郷が実現するのかと考えた場合、そんな夢物語を信じている方がむしろ頭の中身を疑われかねないですよね。
診療報酬を増やせば史上空前のペースで倒産していく病院経営は多少改善するのかも知れませんが、そんな経営危機問題はいまどき医療業界に限った特別な話でも何でもないわけで、上げた場合のメリットが具体的に提示できないとなれば、なるほど結局スポンサーであり医療の受益者である国民から診療報酬増額に明確にノーを突きつけられたのも仕方がないと言うしかないでしょう。

逆に診療報酬を引き上げないメリットは何かと考えた場合に、まず財政上の要請と言うのはもちろんですけれども、例えば経営体力のない病院が倒産していった結果医療資源の集約化が進む、すなわち長年厚労省が持論として思い描いてきた病院再編が労せずして実現するという副次的効果があるわけです。
このところ病院経営側としては医者に破格の高給を提示してでも医者を数集めた方が経営が改善するという認識が広まりつつありましたが、それによる医師の相場の高騰を懸念する声があったのも確かであって、国が診療報酬はこれ以上上げません!と明確に示してくれた方が「いや先生、国の政策がこうですからこれ以上はさすがに」と値切りやすくなる効果もありそうですよね。
国民にとってはもちろん懐に優しいということは言うまでもありませんけれども、いずれにしても少々余計にお金を出したところで結局大差ないのだとなれば特別財布のヒモを緩める理由もないという話ですから、少なくとも財務省の方針に反対する理由もないわけです。

さて、こうして考えていきますと今回は仕分け人に対するプレゼンテーションがまずかったからとか空前のデフレで時期が悪かったからといったレベルにとどまらず、診療報酬引き上げを主張する人々は何かしら根本的な戦略を練り直さない限りは次回以降も全く同じことを繰り返すんじゃないかという想像が成り立ってくるように思うのは自分だけでしょうか。
今の時代何事にも分かりやすさを求められるのは仕方ないところですが、例えば医者が足りないんだからとにかく医者を増やせ!という話と比べても、今医療が大変だからとにかく診療報酬を上げろ!という話はずいぶんと具体性を欠いて何ともイメージしにくく、アピールも弱いと思いますね。
もともと採算性の乏しい地方においてはとっくの昔から大赤字を垂れ流しながら公立病院が何とか医療を維持してきたという現実を前にして、単に経営が厳しいから何とかしてくれでは「他の業界はもっと厳しいんだ!甘えるな!」と言われて終わりだと思いますけれども、まずはこの瞬間にも逃げていく現場の医者達が要求しているのは本当に何がしかの診療報酬引き上げなのかといった辺りから再検討してみるべきなのかも知れません。
病院の収入が増えて経営者が喜んだところで、それが現場スタッフの士気改善に結びつかないということであれば、結局のところ医療崩壊という現象の根本的解決にはならないんじゃないかと思うのですけれどもね。

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2009年12月22日 (火)

医師養成は一気に体制強化されつつあるようですが

少し前にこんなニュースがありましたが、ご覧になったでしょうか。

医師養成体制強化で補正予算112億円―鈴木副大臣(2009年12月13日CBニュース)

 鈴木寛文部科学副大臣は12月11日、来年度の医学部入学定員増に伴い、今年度の第2次補正予算で「112億円の手当てをすることで、医師養成体制の強化を図る」との考えを示した。設備や機器など環境整備への支援が中心になるという。東京都内で開かれたシンポジウム「今後の医療政策」で述べた。

 文部科学省が公表している増員計画によると、来年度の国公私立大医学部入学定員(公立大は文科相への届け出)の増員数は360人となる見通し。現在は諮問中で、18日に開かれる大学設置・学校法人審議会分科会の答申・回答を経て正式に認可される。鈴木副大臣は、「ほぼこの通りの数字で答申をいただけると信じている」と述べた。
 また、新規医学部の新設については「来年から議論を深めていく」とし、議論する場を設けることは決定しているが、その方向性については今後議論するとした。

 さらに鈴木副大臣は来年度の診療報酬改定について、大学病院の診療報酬としての収入は「相当額」引き上がるとの見方を示した。具体的な数字は明言しなかったものの、「これまでに病院運営費交付金が600億から200億に減らされてしまった。そうしたことをカバーし、疲弊を極めている大学病院の立ち直りの兆しとなる実収入増につながる」改定となるよう、最終的に詰めていると述べた。
 運営費交付金については、「削減を止め、ここから『V字』で(上げて)いきたい」と強調。「ここで下げ止まるということをしないと政権が変わった意味がない。文部科学大臣以下は(削減方針を掲げる財務省との折衝で)火の玉となって頑張っている」と述べた。

民主党政権は医師養成数を大幅に増やすと言っているわけですから、医師養成にきちんと予算をつけていくというのは当たり前の話だと思いますけれども、問題はその予算のつけ方ですよね。
正直極めて非効率な医療を行っている大学病院という組織に巨額な金をつぎ込んで救済するのもどうかという気はするのですが、箱物にではなくスタッフなどのマンパワーにきちんとお金が回るようになるということであれば悪い話でもないのかなという気もするところです(実際には名目はどうあれ、末端の医員あたりには相変わらずお金は回ってこないのでしょうけれどもね)。
大学病院と言うと医師が無給どころか下手すると金まで差し出して奉公するところと言うことで、臨床研修制度も変更になった昨今では全く人気がないと言いますけれども、医師の世界においてはとりわけ大学の教官職というのも安月給で働かされるポストということになっていますから、将来を大学で身を埋めるというような人でない限りはあまり魅力的とも言えないものとなっているのは気になるところですね。
もちろん待遇が悪いとなれば優秀な人材は集まらないというのは当然のことですし、今後学生が増えれば教官職も多忙になるはずでますますストレスも溜まろうかという話ですから危機感をいだいている人は多いようですけれども、モチベーションの低い教官や先輩医師の存在というものは確実に学生の士気や意欲にも影響しますから、大学病院スタッフの待遇というものはこれからますます重要になってくるのではないかという気がします。

それに加えて、ヘタをするとそれ以上に深刻な影響を与えそうなのが、最近ますます現実味を帯びてきた新設医学部の件です。
既存の医学部定員を例えば20年ほど前の削減以前の水準、ないしプラスアルファ程度まで増やすと言う話であればこれはまだ何とか対応できるとしても、全くの新規となると数多くの教官職(その多くが医師でしょうけれども)をどこから引き抜いてくるのかという話も考えざるを得ませんが、引き抜かれる方の既存施設では一気に医師・教官の不足が顕在化する可能性があるわけですね。
幸いにも?現在の特に国公立大学における教官職の待遇は多くの場合さほど良いものではありませんから、引きぬく方としては条件提示はやりやすいという話ですけれども、そうなるとよほどコネや資金力に余裕のある設置母体でなければ難しいのではないかと思われるところです。
これに関して文科省の鈴木副大臣は来年から設置議論を本格化するという意向のようですけれども、話を聞いていますとなかなか興味深い示唆をしているようですよね。

新設医学部は、立派な病院を持つ所に 鈴木・文科副大臣(2009年12月17日ロハス・メディカル)

 鈴木寛・文部科学副大臣は16日、個人的意見と断ったうえで、来年度から検討を始める医学部新設について、その設置主体は「立派な病院と看護師養成校を持つ所がふさわしい」と述べた。(川口恭)

 鈴木氏は11日に来年度から医学部新設の検討をすると述べており、そこからさらに踏み込んだ形だ。この日、癌研究会研究所で行われた講演会の中で「このように妄想している」と以下のように述べた。

既存医学部のキャパシティは、かなり目いっぱいになりつつあると思う。どこも大体、学生が80~120人程度という前提の指導体制でデザインされているので。そうなると、どうしても新しい医師養成機関のあり方を考えざるを得ない。

 その時は一から医学部をつくるのは大変。かつまた、医師養成に絶対不可欠な要素とは何かと言えば立派な病院だ。であれば既存の立派な病院と一体となった医師養成の機関を考えていかなければならないのでないか。もっと言うと、看護師養成課程を持つ所で、立派な病院を持つ所、そういう所が次なる医師を輩出できるポテンシャルのある所の一つだろう。座学は、極端なことを言えば、ここ程度(癌研吉田記念講堂)の教室が何個かあれば何とかなる。医師養成のボトルネックは常に臨床教育のできる病院だ。

 そういう方向に議論が進んだならば、そういう医師養成機関を設置した病院に対して、当然教育という役割を果たしていただくことに対して、納税者の納得をいただいて税金を投入することは考えている。

 都内を見回しても、できそうな所がいくつかある。少なくとも卒後臨床研修をできている所は考えられるだろうし、後期研修コースのあるような病院というのは既に人的にも設備的にも一定程度のものがあるので、ゼロから立ち上げるよりコストも時間もかからずにできる。エフィシェントでエフェクティブになるだろう

やはり一からは難しいだろうというのは副大臣も当然認識しているわけですが、新設医学部を作るための条件として挙げているのが「看護師養成課程を持つ所で、立派な病院を持つ所」だと言うのがポイントですかね。
そう言われてみると結構ありそうなものですが、例えば以前から医学部が一つしかなくて医者が足りないと言われている県で、全国に名高い立派な病院があり資金力もしっかりしていて、しかもメディカルスクール肯定論者の理事長さんがいらっしゃるところが…って思っていましたら、すでに条件を満たすように動き出してるんじゃありませんか(笑)。
さすが近頃ではお国の会合にも何かと顔を出していらっしゃるだけにこの辺りの情報は早いということなのか、なんともそつがないとも見える話ではありますけれども、スタッフのマンパワーもあり資金力もありというブランド病院が今後どれくらい手をあげるかは要注目ですかね。

しかし個人的にはどうせこういうスタイルでの新設が既定路線だと言うなら、いっそ病院も専属教員も一切なしで徹底的に安上がりな医師養成所みたいなものを作ってみるというくらいにハッチャケてみて欲しい気もするんですけれどもね(苦笑)。
ひところの世間では近頃医学部に入ってくる連中が偏差値だけで使命感も何もない!知識詰め込みだけが医師教育ではないはずだ!なんて話が結構言われていたものですけれども、ますます医学知識の詰め込みに徹するようなことを国が率先して言っているわけですから、時代も変わったものだとは思うのです。
そうまでしてひたすら医者の頭数を揃えたいというのであれば、別に立派な病院が必要だとか看護師養成もやっているところがいいだとか中途半端なこだわりにどれほどの意味があるのか、それよりは将来不要になったら真っ先に定員調節の対象にしやすいように軽装開業に徹してみるのも、折からの不景気時代にも見合った分相応というものかも知れませんよ。

まあしかし、医者を一気に増やすとレベルが落ちるなんてことも言う人がいますが、一部でもっと心配されているのが、こうしてせっかく作った新設医大から出てきた医者の皆さんが戦力になる頃には、そろそろ団塊世代の医療需要も終焉を迎えているということになりかねず、逆に医師過剰だなんてことを騒がれ出すんじゃないかという話です。
もちろん医療に関しては隠れた需要が多い(すなわち、医者を増やせば増やすほど需要も掘り起こされる)なんて言われていますから、個人的にはおいそれと医師過剰とはならないと思っていますけれども、むしろ気になるのがそんな時代の医師の待遇はどうなっているかということですね。

誰でもわかる話ですけれども、こうやって医師の頭数だけをどんどん増やす、一方で医療費はもうあまり増やせない(何しろせいぜいがコンマ以下の攻防ですからね)となれば、少なくとも医者の金銭的な待遇面は今後切り下げられる一方だろうとは想像できますよね(それ以前に、医者の収入はもうかれこれ四半世紀も横ばいを続けているという現実もありますが)。
そして少々医者が増えようが医療の需要も当分増え続ける一方だろう(病院が混んでいるから受診しない、なんて人も案外多いものです)と考えるとそうそう仕事が楽になるとも思えない、結局「働けど働けど(略)」なんて未来図も十分ありえるわけで、これではさすがに現場の士気回復など到底おぼつかないという話です。

仮に医者を増やせば全てが解決する!派の言う通りだとしても10年単位の時間はかかる、となるとやはり現場の待遇を改善して逃散を続ける医師達を呼び戻すのが即効性があるだろうし労使問題解決の方法論として本筋だろうと思えますが、その目的のためにも何かしら医療需要自体を抑制するとかいった話が今後出てくる可能性はあるでしょうね(中医協あたりでも軽症者の時間外受診抑制なんて話が出ているようですし)。
そしてもちろん、医療崩壊阻止というすでに空文化しつつあるお題目は置くとしても、現実問題財政上の要求から医療費はとにかく増やせないのは確定だとすると、結局需要側だけを自然の摂理に任せて放置しておくのはどうなのよという議論をいつまでも避けて通るわけにもいかないでしょう。
その方法論をどうするのか、一部で言われているように患者の自己負担分を増やして金銭的に抑制するのか、混合診療導入と絡めて患者自身に選択させる部分を増やしていくのか、いずれにしてもここまですき放題の医療政策をやっておいてその部分の議論だけをタブー視するのも妙な話だとは思います。

医療政策の失敗なんてことが公然と言われる時代に、民主党政権としてもそのツケを国民に回すような政策はなかなか取りづらいかとも思いますけれども、診療報酬総額は横ばいだ、いや0.3%増やせなんて議論に終始しているだけでは、結局民主党になっても自民党時代の医療政策と代わり映えしなかった、なんてことにもなりかねない可能性はかなり高そうなんですけれどもね。

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2009年12月21日 (月)

誰も嘘はついていません

珍しく厚労省がやる気を見せている感のある診療報酬改定の件ですけれども、やはり仕分け人の後ろ盾を得た財務省側の圧力は強そうですね。
厚労省のみならず各省庁とも最後の折衝の真っ最中で、予算編成も越年しそうな気配が濃厚とも言われる現在の状況ですけれども、今のところ薬価引き下げ、本体引き上げ、財務省側としては差し引きで横ばいから微減という方針を崩す気はないようで、結局コンマ以下の争いに終始しそうな勢いです。

厚労省、診療報酬引き上げ苦慮…日医・財務省の板挟み(2009年12月19日読売新聞)

 厚生労働省が、診療報酬の2010年度の改定に苦慮している。

 厚労省は15日、診療報酬の0・35%の引き上げを要求する方針を発表した。救急や産科の勤務医対策などを積み上げると、医師の技術料など「本体部分」で約6300億円の新たな財源が必要になることを根拠としている。6300億円は医療費全体の約1・73%に当たり、同省の調査では薬など「薬価部分」が約1・37%の引き下げとなるため、総額では差し引き0・35%のプラスとなるわけだ。

 民主党はもともと、医療崩壊を食い止めるなどのため、診療報酬の大幅な引き上げを主張していたが、政府全体の財源が不足する中で対応に頭を悩ませ、ようやく0・35%増という「小幅要求」に落ち着いた。

 しかし、翌16日には早速、日本医師会の記者会見で、「全く不足している」と指摘された。診療報酬は過去4回の改定で計7・7%引き下げられており、日医では大幅なプラス改定への期待が高かっただけに、反発が出ている。

 民主党も、党の予算要望は本体部分の引き上げを求めただけだったが、「適切な医療費を考える議員連盟」は、総額3%以上の引き上げを強く主張している。

 一方、財務省は財政圧縮の観点から、総額でマイナス1%とするよう主張している。厚労省は板挟みになった形で、政務三役の一人は「0・35%がギリギリの要求幅だ」と苦しい胸の内を語る。両省は年内決着に向けて詰めの交渉を進めているが、まだ接点は見いだせていない。

本体部分1.73%プラスは「不十分以外の何物でもない」―民主議連・桜井会長(2009年12月16日CBニュース)

 「適切な医療費を考える民主党議員連盟」会長の桜井充参院議員は12月16日、足立信也厚生労働政務官が15日の記者会見で、来年度診療報酬改定では本体部分を1.73%引き上げる必要があるとの認識を示したことについて、「不十分以外の何物でもない」と述べた。同議連が衆院議員会館で開いた第5回勉強会後、記者団に対して述べた。

 桜井議員は、薬価がマイナスになることも考慮すると、総額では0.3%程度の引き上げにとどまるとし、「不満だ」と発言。診療報酬をさらに引き上げ、医療政策の充実を図る必要があると訴えた。
 また、同議連には160人弱の民主党議員が所属しているとした上で、議連の提言は「重いものだ」と強調。「われわれが言ったことに対してゼロ回答で、『政府与党一元化』と言われても納得できない」とした。
 
 同議連は4日、診療報酬の総額3%以上引き上げなどを求める「緊急提言」を同党の幹事長室に提出している。

民主党が来年度予算で重点要望―診療報酬引き上げも(2009年12月16日CBニュース)

 政府は12月16日、民主党との各種陳情・要望の在り方について意見交換会を開催した。この席で、民主党の小沢一郎幹事長は、鳩山由紀夫首相に来年度予算に関する18項目の重点要望を提出した。要望には診療報酬の引き上げをはじめ、介護労働者の待遇改善、障害者自立支援法の廃止などが盛り込まれている。

 重点要望は「国民の生活が第一」を基本理念に、無駄遣いや不要不急な事業を見直し、旧来の優先順位を一新して予算を組み替えながら財源を抽出するよう求めている。一方で、子育て・教育、年金・医療・介護の充実や、地域の活性化に重点を置くべきとしている。
 要望ではまた、医療崩壊を防ぐために地域医療を守る医療機関の診療報酬本体の引き上げが必要としている。特に、救急医療や不採算医療を担う大規模・中規模病院の経営環境の改善に向け、格段の配慮を求めている。このほか、看護師の待遇改善や、歯科医療についても診療報酬の引き上げが必要とした。ただし、具体的な診療報酬の引き上げ率には言及していない

日医も例によって何かしら不満げなことをコメントしてはいるようですけれども、こうして見ますと全く存在感と言うものがなくなってきたなと感じざるを得ませんかね(苦笑)。
しかし素朴な疑問として、選挙では医療再生を掲げ議会の圧倒的多数派を占める民主党がこうして診療報酬引き上げを言っている、そもそも同党は政治主導をうたい官僚から政治家に権力を移していくと主張している、そして多数の議員はもとより影のボスとも言うべき小沢さんですら引き上げを申し入れているという現状があるわけです。
それなのに何が引き上げの障害になるのかという気がするところなのですが、ここに来て非常に注目すべき発言がさりげなくニュースの片隅に出てきているわけなのですね。

診療報酬改定:厚労省と財務省が火花 予算年内決着にも影響か(2009年12月19日毎日新聞)

◇厚労省、10年ぶり増額/財務省、財政難で削減
 医療関連予算を巡る厚生労働省と財務省の主張が真っ向から対立している。厚労省は「医療崩壊を食い止めたい」と、10年ぶりの診療報酬全体の増額改定を狙うが、財務省は財政難を理由に診療報酬の削減を要求している。中小企業の従業員らが加入する全国健康保険協会(協会けんぽ)への財政支援を巡っても両省の意見の隔たりは大きく、政府は予定していた週内決着を断念し、週明けに持ち越した。年内の決定を目指す予算編成のスケジュールにも影響を与えそうだ。【佐藤丈一、坂井隆之】

 診療報酬は手術など医師の技術料にあたる「本体」部分と「薬価」の二つの公定価格で構成される。厚労省の政務三役は、薬価を1・37%引き下げて稼いだ原資(5000億円)をすべて本体部分の増額に振り向けて、本体部分を1・73%(6300億円)引き上げ、差し引き(ネット)での診療報酬全体の改定率をプラス0・35%(1300億円)にする戦略をとった。国費負担ベースで300億円の追加にとどめて、財務省の理解を得る作戦だ。

 しかし、財務省は「デフレ状況で医師だけ報酬が増えるのは国民の理解を得られない」と主張。本体部分を最低でも据え置き、薬価をさらに引き下げることで診療報酬全体の減額を求めている。民主党が16日提出した政府への要望では、本体部分の増額を求めたため、財務省は本体部分引き上げは容認姿勢に転じたものの、総額削減は譲っていない

 財務省が減額を譲らない背景には、加入者の高齢化などで財政が悪化している協会けんぽへの支援問題もある。厚労省は保険料引き上げを抑えるため国庫負担を増やす方針で、必要な財源約1800億円を見込んでいる。財務省はマニフェスト項目でないことを理由に、「診療報酬の削減で財源を捻出(ねんしゅつ)すべきだ」と訴える。1800億円を捻出するには、診療報酬を2%以上引き下げることが必要だ。

 自民党政権時代は、診療報酬は日本医師会と族議員との間で事実上決められてきた。鳩山政権が「政治主導」を掲げ、医師会や族議員の影響力を排除したことで、各省が互いの主張を譲らず事態が迷走する状況になっている。

ここで財務省がマニフェスト項目でないことを理由に診療報酬削減を主張していることに留意いただきたいのですが、確かに同党のマニフェスト2009を見ますと医療に関する項目はこのような表現になっているのですね。

医療・介護の再生

医師不足の解消、新型インフルエンザ対策等、介護労働者の待遇改
医師不足解消など段階的実施 平成22年度~23年度1.2兆円、24年度~25年度1.6兆円

確かにこれのどこを見ても「診療報酬を引き上げる」とも「診療報酬引き下げを阻止する」とも書いていないのは明白です。
ちなみに民主党の定義によると、「マニフェストは、国政選挙の都度、社会情勢等を考慮して必要な政策を検討し、国民の皆さんに党のお約束として提示するものです。従って、その内容は深化、変化していきます。」ということなんですが、診療報酬引き下げで医療再生が出来るのか等のツッコミは別としても「マニフェスト項目ではない」というのは事実ですよね。

一方でややこしいのはマニフェストとはまた別に政策集なるものがあって、政策集2009ではこのように記載しています。

国の責任で社会保障制度を維持発展


自公政権が「骨太の方針2006」で打ち出した社会保障費削減方針(年2200億円、5年間で1兆1000億円)は撤廃します。国民皆年金、国民皆保険を守り、求職者に対する新たなセーフティネットを構築します。
医療は提供する側と受ける側の協働作業です。各界・各層の代表の意見を幅広く聴取し、医療の抜本改革に関する目標と工程を定めた基本方針を策定、建議する会議体の枠組みと、政府が責任を持ってその実現を図る体制を確立します。

社会保障費削減政策は撤廃するとは書いているあたりが限りなくグレーゾーンですけれども、もちろん社会保障費と言えば医療費ばかりでもないわけですし、削減はやめると言うだけで増やすとも言っていないわけですから、少なくとも診療報酬を引き上げますなどとはどこにも書いていないということですよね。
そして同じく民主党の定義によれば 「われわれが選挙で国民に示して約束するのはマニフェストであり、政策集は公約ではない」そうですから、仮に政策集で何を書き後でどれだけ反故にしようが「公約違反ではない」とは言えるという理屈です。
一方で同政策集を細かく見ていきますと、例えば「医師養成、活用策により実働医師数を増加させるとともに、勤務医の不払い残業を是正し、当直を夜間勤務に改める」等により医療現場の労働環境を改善する(要するに金は出さない?)だとか、「地域医療を守る医療機関の入院については」「患者の自己負担が増えないように」その診療報酬を増額する(要するに他の報酬を削る?)だとか、むしろ診療報酬を増やすという言質を巧妙に避けている節が見られるのですよね。

はて、そうすると選挙の際に「民主党政権が誕生すれば(医療の)問題は解決する」なんて妙なお祭り騒ぎはなんだったのかという話になりますけれども、党のお約束として提示されたものであってもその内容はその都度変化していくというのですから、いわんや約束もしていないものを勝手に盛り上がられたところで知った事ではないと、民主党さんもむしろ迷惑だって話ですよね。
診療報酬改定についてはこのように国民との約束に反しない範囲で粛々と作業が進められていくのだと思いますけれども、その結果「医療・介護の再生」という明確な約束が達成されるものなのかどうか、あるいは達成される前に約束の方が変化してしまうのかといったあたり、今後の行方を見守っていく楽しみは多そうな気がします。

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2009年12月18日 (金)

実態把握も重要ですが、それ以前に目指すところが大事なわけで

ちょうど昨日こんなニュースが出ていましたけれども、当たり前の常識のように思っていたことでも改めてこうして指摘されるとニュースになるものだなと思わされる話です。

医師不足:実態把握のデータ持たずに対策推進 厚労省(2009年12月17日毎日新聞)

 厚生労働省が医師不足の実態を把握するためのデータを十分持っていないことが16日、総務省の「政策評価・独立行政法人評価委員会」(委員長・岡素之住友商事会長)の調査で分かった。厚労省は医師が不足している地域や、当該地域での必要な医師数が分からないまま、医師不足対策を進めていた。原口一博総務相は同日、長妻昭厚労相と川端達夫文部科学相に調査結果を通知した。

 答申によると、厚労省は市町村ごとや診療科ごとにどれだけ医師や患者がいるかのデータは持っているが、市町村ごとの医師数と患者数を突き合わせていないため、どこでどの診療科の医師が足りないかを把握していなかった。全体の医師数も06年が最新で、しかも医師免許保有者という基準で調べているため、実際に働いている医師が何人いるかはつかんでいなかった

 このため、同委員会は医師1人が対処できる患者数の目安「医師配置標準」が実態に即しているかを確認できなかった。今の配置標準は、隔離中心の結核入院患者が多かった1948年に策定されて以来見直されていない。現在は、がんなど時間を要する治療が増えているにもかかわらず、配置標準が古いために医療の高度化に対応できず、医師の長時間勤務(平均週61時間労働)を招いている可能性があると指摘している。【石川貴教】

この問題も久しく前から言われているところで大事な指摘ばかりなんですけれども、例えば医師免許を持っているというだけで老健施設などに入所している御老人も医者ということにカウントされている一方、臨床を離れた研究者なども同じく医者扱いされていたりと、厚労省の言うところの医師数が臨床現場の実態とかい離しているとは以前から言われている通りです。
東京都などは医師数が多いというわりに医師不足問題が相変わらず言われていますけれども、ひとつには医療行政や研究に携わる医師免許所持者も当然ながら多いわけですから、実数として臨床医をやっている人間の数はどうかと考えなければ実態から遠い話になるのは当然ですよね。

医師数カウント以前にこの必要医師数というものをどう評価するのかということがまた難しいところだと思うのですが、例えば一般的に医者が一人増えれば病院にとって年間およそ一億程度の増収になると言われていますからまともな経営者なら一人でも多くの医者を抱え込もうとする、あるいは地域住民にしても「町立病院には皮膚科も耳鼻科もいない!眼科も小児科も週一回だ!」と訴える。
そういう医者に対する求人要求を全部医者が必要なんだとしてカウントしていくとそれはとんでもないことになりそうなんですけれども、客観的にどの程度のアクセスが満足されていれば医者が足りているとみなすのか、その指標をどう設定するのかというところでまず議論が紛糾しそうな気もします。
何の医者が足りない、何の医者が充足しているというのであれば、何をもって充足しているとするのかという判断基準を決めるということは、すなわち目指すべき医療水準を決めるということにもつながってくるわけですね。

過不足評価ということで一例をあげると、最近47ニュースで「医療新世紀」という小児救急の連載をしていますけれども、こういうのを見ると医療に対する要求水準というのはどこまででも天井知らずに高くなっていくものなんだなと感じさせられるものがありますよね。
高度医療機関がたくさんあればそれだけ救命率が上がる、それでは日本全国どこにでも高度医療機関をバンバン建てたらいいのかといえば、そういうものでもないのではないかと考えてみることも必要かも知れないということです。

「十分な医療あれば...」 事故死の7割、小規模病院 (2009年12月15日47ニュース)

 厚生労働省研究班の調査によると、2005~06年に全国の病院で亡くなった1~4歳の子どもは1880人いるが、うち、交通事故や家庭内での事故といった「外因死」は294人。その約7割に当たる207人は、1年間に扱う死者数が5人以下という小規模病院で亡くなっていた。
 研究班の大阪府立母子保健総合医療センターの藤村正哲総長は「十分な救命医療を受けられず、助からなかった子どもがいた恐れがある」と分析する。
 藤村総長は(1)医師1人当たりの負担が大きい(2)突然の発熱などの対処はできるが、生死を分けるような重い事例はほとんど扱った経験がない―と小規模病院の欠点を指摘。
 その上で「大学病院や総合病院に小児科医を集めて専門の集中治療部門をつくり、治療が難しい患者が中小病院に搬送されないよう、救急医療体制の構造そのものを変えるべきだ」と提言する。
 しかし、救急医療は手厚いスタッフや機器が必要で病院にとっては不採算分野。「現行の診療報酬点数ではまかなえない」との声もある。

もちろん医療水準は低いよりも高いに越したことがないとは誰しも思うところでしょうが、全国全ての人々が平等に最高レベルの医療を常時提供されることを目指して医療体制を整備していくことが正しいことなのかどうか、そもそも皆が最高レベルになった時点でそれはすでに最高ではなく標準でしかないわけですから、そこに天井知らずの医療需要の増大というジレンマがあります。
通常こうした要求水準の増大というものは他業界では料金などに反映されることでほどほどのところで落ち着いてくるもので、一食何万の高級料亭と一個100円のハンバーガーが世の中に並立し、各人値段と味を比較して程よい店を選ぶのが当たり前ということになっていますけれども、何しろ日本の医療制度というものは全国同じ医療を同じ値段で提供するというのがタテマエになっているから話がややこしいわけです。
同じ値段ならもちろん誰しも質が良いものを求めるのが当然、他人がいい医療を受けているのに自分はいい加減で済まされて許せるはずがないわけですから、こういう皆に平等な機会を保障された医療システムで最善を求めるということは、際限のない上昇カーブを描くコストとマンパワーを要するだろうとは誰しも理解できますよね。

これを唯一回避する方法論は医療に対する要求水準を常識的なレベルで留めておく、言い換えれば「ほどほどの医療」というものを積極的に評価することが必要になるかと思いますけれども、前述の記事中の藤村正哲先生を始め長年「地球より重い人命を救うためにはコストなど度外視して当然」という教育を受けてきた真面目で優秀な先生方(皮肉ではなく、事実世界に誇る日本の資産ですよ)にとって受け入れがたい話であることも確かでしょう。
この点で非常に面白いと思ったのが、日本よりもずっと多くの医者を抱え医療費も多く、一般的には世界でも医療資源に恵まれている国だと思われているアメリカで、現在進められている国民皆保険制度導入の議論と絡めてこんな意見が出ているというところです。

医師不足という“病気”の危機的状況を憂える(2009年12月16日日経BP)

 お医者さんがいなくなれば、困るのは患者だ。

 私はプライマリケアに携わる開業内科医である。いま議会で議論されている医療保険制度改革はどれも、私のような医師たちが、ピカピカの新しい保険証を持った新しい患者を何百万人も受け入れる心構えと意志があることを前提にしたものだ。だがそれは夢か、悪くすると悪夢だと思う。現実には、私のような種類の医者は近いうちに消え、ナース・プラクティショナー(NP、上級看護師)に取って代わられるだろう。

 現実的な医療保険制度改革がもし行われるとしても、米国における医師不足の拡大がその障害となる。民主党員でニューヨーク州選出の上院議員Charles E. Schumer氏は、上院の医療保険改革法案に対する修正案を提示した。これは一次レベルの内科医療と一般外科手術を学ぶことができる研修医ポストを新たに2000余り設置するため、今後10年間に20億ドルを拠出するというものだが、これも良くて一時しのぎにしかならない。

 2020年までにプライマリケアに携わる医師(家庭医、内科医、小児科医、産婦人科医)が4万人不足するとの米国家庭医学会の予測、そして一次医療を職業として選ぶ医学生の数が1997年以降すでに51.8%減少し、医学大学院卒業生のうちこのキャリアを選ぶ学生はわずか2%に止まっているという現実を考慮する必要がある。

 私のような分野の開業医が人気のない理由はよく分かる。医学生たちは、金になる治療方法をマスターして使えるようにならなければ、かさむ一方のローンをとても返していけないといつも私に話しているからだ。

 研修医ポストを増やしたとしても、教育ローンを完済し卒業後の地位が保証されない限り、こうした状況が変わることはない。だがローン返済の肩代わりや卒業後の就職支援策は、納税者にさらに何十億ドルもの負担を強いることになる。

 全米でのプライマリケア医の不足は医療そのものの不足につながり、これはいかなる種類の保険をもってしても補うことはできない。保健・福祉省によると、2009年3月時点でプライマリケア医が不足している地域は全国で6080カ所に上り、これらの地域には6500万の人々が暮らしている。これに対し、the National Health Service Corps(10万ドルの連邦奨学金か5万ドルのローン返済の肩代わりと引き換えに、2年にわたり医療従事者不足地域で勤務する一般開業医の組織)が供給している医療従事者はわずか3500人である。これでは400万人への対応しかできない。

 実は「2009年米国再生・再投資法」によってNHSCに3億ドルが投じられたことから、同組織は来年までに医療従事者を約7000人に倍増させるよう期待される。だが州のほぼ全域で医師不足の状態となっているネバダ、ニューメキシコ、モンタナ、ユタ、アラスカなどの州では、これもまた一時しのぎに過ぎない。

 近い将来に保険加入者の数を増加させたとしても、プライマリケア医を増やすための現実的な計画がなければ、私たち一般開業医はあっという間にナース・プラクティショナー(NP)に取って代わられるだろう。NPは、大学院で訓練を受け、医師から半ば独立して働くことができるナースのことである。

 残念ながら、現在働いている医師たちに、増え続けるNPを無理なく組み込む方法はない。なぜなら医療従事者と患者の関係は一対一であることが多いからだ。もし私がNPの行った行為を記したカルテにサインをしたとすると、自分自身が監督したわけではない行為に許可を与えることになる。言い換えると患者さんは──、医師の監督なしでNPが動いた場合、医師と同等の能力を持っているのかもしれないが、実はそこまでの訓練を受けたことがない人から医療行為を受けたことになるのだ。

 保健資源事業局が2004年に行ったサンプル調査では、全米のNPの数は2000年比で27%超の14万1209人であった。現在では15万人を超えている。

 全米に30万人しか医師がいないことを考えれば、これは非常に大きな数字である。そしてNPは今も増え続けている。

 多額の支出によって保険加入者を増やし、その分をメディケア(高齢者用医療保険)における何千億ドルもの支出抑制や、州政府の負担増によるメディケイド(低所得者用医療保険)の拡充によって賄おうとするなら、結果として医師や病院への診療報酬が大幅に削減されるのは明らかだ。したがって医師や病院が事業を継続しようと思えば、サービスを減らす一方で、これまでよりはるかに多くの患者を診察するしかない。NPの賃金は低い(平均賃金はプライマリケアに従事する開業医の約15万ドルに対して8万8000ドル)ので、彼らを活用して医師でカバーできない部分を補うことになるだろう。医師や病院は、NPを雇って患者を「業務委託」するわけだ。

 訓練された専門家しか使えないような最新医療技術が利用できるようになる一方で、医療の質は落ちていくだろう。NPも役に立つとは思うが、医学大学院での4年間と研修医として過ごした私の3年間にはそれなりの価値があるとも思う。一般開業医がいなくなれば、かつて患者たちが受けていたような診療もいずれ消えるのだ。

 医学博士Marc Siegel氏はニューヨーク大学ランゴーン医療センターの内科准教授であり、Doctor Radio(ラジオ局)の医療ディレクター。Fox Newsに医療関連ニュースを提供している。

かの国ではもともと自己責任という考え方が非常に強く、この皆保険制度導入に関しても極めて根強い反対論があるのは知られているところですけれども、例えば医療資源の乏しい田舎で暮らすということはそういう状況も込みで受け入れた上で自己決定しているはずであるという考え方が大前提にあるのですね(往年の映画「アドベンチャーファミリー」でもそういう描写がありましたが)。
日本ではまだ看護師の医療行為は制限されていて少しばかり事情が違うと考える人も多いかと思いますが、実際上記の議論や昨今の開業医切り捨て政策を見ても判る通り、この国においても高度医療を提供しない医者などひと山幾ら、適当に安く使い潰しておけば十分という意見が主流派となっているわけです。
しかし医療の実際(あるいは、ほとんど全ての仕事はというべきでしょうか)というのはほとんどの場合、誰がやっても大差ないような退屈な仕事の積み重ねで占められているのだということを、現場を経験した人間ほどよく知っているはずなんですけれどもね。

これも誰しも理解できることですけれども、華々しい最先端の高度医療の患者一人の背景にはその何十倍、何百倍という軽症患者がいるわけで、とすれば最高レベルの医療を提供する施設一つをバックアップするのにその何十倍もの後方施設が必要になってくる道理なのですよね。
厚労省は病院を統廃合し大病院に医師を集約化するという、財務省は開業医への金を減らし勤務医に回せという、それぞれもっともらしい話に見えるところではありますけれども、そうやって華々しくもなければ報酬面で報われもしない、ついでに世間からは「楽して儲けやがって」とバッシングされるような下支えの仕事を誰もやりたがらなくなったとき、世の中どうなるのかと時には想像してみるのも楽しいかも知れません。
実態を把握し適正値を算出しその達成を目標に政策を決定する、当たり前の行為ですけれども、どのような適正値というものを打ち出してくるかというあたりを見ていると、この国の目指しているところ、あるいは国策というものが見えてくるかも知れませんね。

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2009年12月17日 (木)

二兎を追う者は一兎をも得ずと言いますが

先日ロハス・メディカルさんで出されたこちらの記事ですが、やはり周産期というのはなかなか色々な意味でハイリスクなのだなと考えさせられるような話ではないでしょうか。

産婦人科医会への事故報告、08年は350件-分娩時の母体や胎児異常など(2009年12月9日ロハス・メディカル)

 2008年に日本産婦人科医会(寺尾俊彦会長)に寄せられた、医療紛争になる可能性があると医療機関が判断した妊産婦死亡など産科関連の医療事故は350件あったことが同会のまとめで分かった。このうち同会が報告書の提出を求めたのは178件で、分娩時の母体や胎児の異常に関するケースが過半数を占めていた。(熊田梨恵)

 同会では再発予防を目的に、毎年こうしたケースを収集する「偶発事例報告事業」を行っている。国内で産婦人科を標榜する5666施設のうち、4181施設が事業に参加している。

 参加施設が扱う年間分娩件数は毎年増えており、08年は75万339件。報告事例数も事業が始まった04年の171件から増加していたが、07年の398件を最高に、08年は350件と減少に転じた。報告書提出のケースも同様に推移し、04年の116件から07年には227件にまで増えていたが、08年には178件と減少している。同会は「医療安全に対する取り組みがされるようになって、その成果が出たのではないかと推察している」と話す。

 報告書の提出が求められた178件のうち、最も多かったのは「分娩に伴う母体異常」で49件(27.5%)、次に「分娩に伴う新生児異常」で46件(25.8%)、ほかには「産婦人科手術事例」23件(12.9%)、「妊娠中の管理事例」15件(8.4%)、「人工妊娠中絶事例」、「外来診療事例」ともに10件(5.6%)など。

 妊産婦死亡(妊娠中、妊娠終了後満42日未満の死亡の合計)は22件だった。死亡原因として最も多かったのは、羊水の中の粘液が母体の血中に入って肺の毛細血管を詰まらせる「羊水塞栓症」で11件と過半数を占めた。他には弛緩出血などの「出血」4件、「脳梗塞」や「脳出血」の脳血管疾患がそれぞれ1件、「腹腔内出血」2件、「肺塞栓」1件、「子宮破裂」1件、「子宮外妊娠」1件だった。

 また、周産期死亡(妊娠満22週以降の死産、生後1週間未満の早期新生児死亡の合計)は42件あり、最も多かったのは「常位胎盤早期剥離」による分娩中の死産が9件だった。このほかに分娩中に死産したケースでは、「胎児機能不全」や「羊水塞栓」、「臍帯脱出」などが要因としてあった。新生児死亡したケースの要因には「カンガルーケア」や「前置胎盤」、「新生児仮死」などがあった。

 産婦人科手術に関する事故は23件あり、卵巣がん手術時などの「尿管損傷」4件、開腹手術時などの「小腸損傷」が4件などだった。患者が死亡したのは1件で、子宮内膜症の手術時に「イレウス、DIC(播種性血管内凝固症候群)」が起こっていた。

この報告件数が減ったことはよいことであると産科医会では言っているようですけれども、医療訴訟が年間1000件、そのうち産科絡みの訴訟がおよそ150件くらいは発生しているようですから、同会が参加施設の全数把握していると仮定すれば「ヤバイと感じた症例はほぼ全例訴訟になっている」という話になりかねません。
さすがに実際問題としてそういうことはないだろうと考えますと、やはり同会への報告書提出自体が減っているだけであるということであれば、「医療安全に対する取り組みがされるようになって、その成果が出たのではないか」云々のコメントはさすがに少しばかり楽観的ではないかと思うところですけれどもね。

いったんはある程度定着していたはずの報告書提出が減ってきた理由は何故かと考えた場合に、やはり訴訟リスクというものを考えないではいられませんけれども、こうした事故報告書というものは懲罰と切り離さなければその真正性を担保できないというのは航空事故調などでも常識となっています。
ところが先日も書きましたように、処罰なき検証というものが国民感情によって受け入れられるものであるのか否かということが昨今議論の中心になっているところではありますけれども、そんな中で産科医療保障制度を巡る議論においては何とも玉虫色の結論に落ち着きつつあるようですね。
もちろん国民感情というものは無視できるものではありませんけれども、国民の求める目的がなんであるかということを考えた場合に、その達成を図る上でむしろ退歩する結果となるのであれば、これはかえって国民感情を害するという可能性もあるだろうということです。

回避可能性「記載しない」方針を最終決定―産科医療補償制度(2009年12月15日CBニュース)

 日本医療機能評価機構の産科医療補償制度原因分析委員会(委員長=岡井崇・日本産科婦人科学会常務理事)は12月15日、第10回会合を開いた。これまでの議論で争点となっていた「(脳性まひの)回避可能性」の原因分析報告書への記載については、原則として記載しないことを決定した。ただ、家族からの質問に対する回答として、報告書とは別に「回答書」を作成し、回避可能性について触れざるを得ない事例については記載することになった

 「回避可能性の記載」や「家族からの質問に対する回答」については、これまで同委員会で議論されてきたものの意見がまとまらず、別途話し合う「打合せ会」が2日に開かれた。話し合いは非公開で行われ、医療者側委員4人と有識者委員3人などが参加した。 
 事務局によると、2日の話し合いでは岡井委員長が、報告書に回避可能性を記載しないことや、回避可能性について触れざるを得ない事例を含め、家族からの質問については報告書とは別に回答書を作成することなどを提案。これに対し有識者委員は、医学界がやる気を出さないと原因分析は進まないとして、賛同はできないが、最終的には医療側委員の考え方で進めるしかないとの結論に至った。
 ただ、岡井委員長の考え方が医学界の総意かどうかについて、公開の場で医療側委員の意見を求めるべきとの提案があったことから、15日の同委員会で方針を決定することになった。

 この日の同委員会では、事前に送付された岡井委員長の提案に対する医療側委員11人の回答が示された。
 それによると、脳性まひの回避可能性を記載しないことには全員が賛成。また、報告書の本体とは別に、家族の質問への回答書を作成することにも全員が賛成した。一方、家族から回避可能性に関する質問が寄せられ、それに触れざるを得ない事例の場合でも回答書を作成することに対しては、1人が反対、10人が賛成だった。

 この日の「回避可能性」の議論では、事前の「打合せ会」で、有識者委員は傍聴のみで一切発言しないことになっていたが、意見を求められた隈本邦彦委員(江戸川大メディアコミュニケーション学部教授)が、「委員長の意見、賛同する意見の中にも、回避可能性を指摘することが訴訟の種になるという表現があるが、わたしはそう思っていない」と表明。「多くの国民は、医者の分析を権威あるものとして見ている。しかし、国民が何かを信頼する時に権威だけでは信頼しない。権威と中立性、公正性というものを感じた時に信頼する。最終的には信頼性の問題。その信頼性に間違ったメッセージを送るのではないかと非常に危惧している」と訴えた。
 これに対し岡井委員長は、「国民の皆さんが信頼してくれるかどうかは、実際に出たものを見て、それから判断してほしい」と強調。その上で、「大事なことは、脳性まひを減らしていくために医療界全体が進んでいくこと。きちんとした分析ができて、それで学会や医界が防止に取り組む姿勢を強めていく」と述べ、医療提供者側の協力を得る必要性を訴えた
 これを受け隈本委員は、「正しいことを正確に発言していれば世間は必ず受け入れると思ってはいけない。信頼されるための姿勢を見せなくてはいけない」と強調した。

 次回会合は来年1月に開かれ、原因分析報告書作成マニュアルを決定するほか、同委員会の部会と合同で、実際の事例について原因分析を始める予定。

記事のタイトルが思い切りミスリードだと思いますが、結局のところ表向きの結論はどうであろうと、問われれば回避可能性に触れざるを得ないのであれば触れるというのですから、それは誰でもお得なセットを選びますという話ですよね。
そして、自分の証言が自分の首を絞めることになるというのであればそれなりに身構えたことしか喋らなくなるのも、これまた誰でもそうだという話であって、そうなれば結果として「正しいことを正確に」なんてことはあり得なくなるだろうとは想像できるところです。
自らの身を守るためにガチガチに固められた証言がはたして国民の信頼を得るものになるのかどうか、他方面での例から類推するにいささか危ういところではないかと思いますけれども、そうしたシステムでなければ国民からは受け入れられないというのであれば真実性というものはどうしても犠牲にならざるを得ないのでしょう。

この「正しいことを正確に発言していれば世間は必ず受け入れると思ってはいけない」というのはなかなか至言であって、実際問題処罰感情の満足と真実性の追求とは両立しませんよ、本当のことを知りたいとお考えなら証言に対する免責をした方が良いですよと幾ら説明したところで、それが必ずしも世に受け入れられないのが現状だと、医療側もまず認めなければならない。
そうであるなら理念ばかりを先行させるよりももう少し実際的に考えていかないと、結局誰にとってもろくでもない制度が出来上がってしまうという可能性があるわけですけれども、国民目線で見るところの医療界の信頼性ということに関していささか解釈の余地に幅のありそうな話が少し前に出ていたところです。

後遺症出た医療事故、公表2割(2009年10月1日産経新聞)

全国医学部長病院長会議は30日、全国の大学病院で行われている院内医療事故対策に関する調査結果を公表した。その結果、後遺症が出る医療事故があった場合でも、公表しているのは全体の21・3%にとどまっていることが分かった。
同会議の「大学病院の医療事故対策に関する委員会」の嘉山孝正委員長(山形大医学部長)は「患者や家族が公表を拒否するなどのケースがあるため」と説明している。
調査は今年4月22日?5月18日に実施。国公立、私立の80大学病院すべてから回答を得た。調査結果によると、後遺症が出る医療事故を公表しているのは17大学にとどまった。「事例によって公表」しているのは78・8%。公表の方法は「自校のホームページに載せる」が最も多く62・5%だった。...

一読して「これぞ医療界の閉鎖的体質!ケシカラン!」と言いたくなる人々もいるのかも知れませんけれども、例えば世間一般で顧客に損害を及ぼした商行為に関して全てを公開しているのかと考えると、むしろたまたま報道にでも取り上げられない限り全く公開などしていない方が一般的ですよね。
買ったものに不具合があった、料理屋で食あたりした、頼んだものと違うものが届いたなど、少なくとも管理人は過去に損害を被った事例において世間一般に情報公開されたという例を経験したことがないですが、皆さんはそのようなご経験がありますか?
世間の一般的慣行としてはそうなっている世の中において、こと医療業界だけに特別の努力を求められる、全例公開しないとはケシカランとばかりにこうして新聞ネタになる、そうした現状をふと冷静になって考えてみると、ずいぶんと他業界とは扱いが違うんだなと思っている医療関係者も今では増えてきているということです。

それが現代日本における医療というものの置かれた立場であると考えればその通りなのかも知れませんけれども、何かにつけそうした特別扱いをしてくる世間というものに対する医療業界内部の感情というものを考えた場合に、これは医療者、被医療者双方にとってずいぶんと不幸な状況ではあるのかなという気がするわけです。
先ほどの産科医会の報告数が減っているという話であるとか、昨今何かと話題になった副作用、合併症絡みの医学論文が激減しているという話であるとか、いずれもこうした相互不信に根ざした結果であると考えると、最終的にそれで損をするのは誰なのかという話ですよね。

おりしも厚労省の足立政務官が、過去の議論のたたき台になってきた医療事故調の厚労省案は推奨しないと従来方針の大転換とも受け取れる発言をしていますけれども、最終的にどんな制度が出来上がるにせよこうした相互不信に根ざしたものであるとすれば、れは少なくとも真実の追求などとは程遠い結果を生むだろうことは間違いありません。
足立政務官ら民主党系の先生方は今まで厚労省から華麗にスルーされてきた「真相究明と処罰は別」とする自党案を元に議論の方向性を変えていくつもりなのかも知れませんが、失礼ながらこうした状況においては旧来の医師処罰ルートを盛り込んだ厚労省案よりもむしろ国民からの受けは悪くなるということにもなりかねませんから、そこを敢えて押し通すだけの覚悟があるのかどうかですよね。
どんな制度であれ医療従事者は最終的に我が身を守るという方向性で動けばよいわけですからある意味話は簡単ですけれども、「本当のことが知りたいだけなんです!」という人々が本当のことを知る道が閉ざされた場合にどうするだろうかと考えた時、果たしてこれは結局誰のために作った制度なのかと皆が疑問に感じざるを得ないような話にならなければよいのですが…

医療事故調、「厚労省案」は「推奨していない」―足立政務官(2009年12月15日CBニュース)

 足立信也厚生労働政務官は12月11日、医療事故の死因究明などのための第三者機関の創設へ向けた厚労省の「医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案」について、「事実上、厚労省案として推奨していない」との考えを示した。東京都内で開かれたシンポジウム「今後の医療政策」で語った。

 医療事故調査などを行う第三者機関の設置をめぐっては、厚労省が「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」を2007年に開催し、08年4月に「第三次試案」、6月に「医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案」を公表。一方、同年6月に民主党が医師法の改正などを盛り込んだ、厚労省案の対案となる通称「医療の納得・安全法案」(当時は「患者支援法案」)を発表している

 この日、大綱案を「厚労省案」と称していいのかと質問された足立政務官は、「事実上、厚労省案として推奨している事実はないと考えていいと思う」と回答した。
 また、同省が05年度から今年度まで実施している「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」が来年度も実施されることになったと報告。今後は、「Ai(死亡時画像病理診断)の活用なども含め、死因が分からない『非自然死体』に対する死因究明の方向性で拡大していくべきではないか」と述べた。同省の担当部局には、これまでの検討を踏まえ、「本来先にやるべきこと」について検討を加えるよう指示しているとした。

 さらに足立政務官は、国家公安委員会委員長・拉致問題担当相の中井洽氏が、死因究明に関する法案を11年の通常国会で提出する方針だと示したとする一部報道を紹介した上で、「死因究明をするという意思の下につくられた法律があってこそ、医療関連死や医療上の業務上過失致死をどうとらえるのかの議論がさらに深まる」と述べた。
 梅村聡参院議員も「拙速な議論は避けたい」とした上で、大綱案が法案として出されることはないが、民主党案も死因究明の問題や刑法とのかね合いなどについて詰めが必要との見方を示した。また、法案にかかわらず、最終的には医療界がどれだけ自浄作用を発揮するかが重要と強調。「現場が行う取り組みをアシストしていく仕組みをつくらなければならない」と述べた。今後のスケジュールについては、「どんなに急いでも6月以降の議論になる」とした上で、「死因究明などに関しては、11年度の通常国会あたりということで考えていきたい」と述べた。

■医療者・患者間の対話の重要性を改めて強調
 足立政務官はまた、医療崩壊の原因として、▽医療従事者の削減で達成しようとした医療費抑制策▽医療を提供する側と受ける側の情報格差―の2点を指摘。医療に対する不信や不安を解決することが最優先と強調し、医療者と患者をつなぐ対話仲介者の役割が重要との見方を改めて示した。
 また、NPO法人の医事紛争研究会が「医療ADR(裁判外紛争解決手続き)機関」として全国で初めて法相の認証を取得したことに言及し、「この流れは、対話による双方の理解によって解決できる問題がいっぱいあるということの、ある意味での『勝訴』だと思う」と述べた。
 足立政務官が作成にかかわった民主党案では、対話による解決を重視し、病院での医療対話仲介者(メディエーター)設置を掲げている。

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2009年12月16日 (水)

新型ワクチン副作用検証、いささか危うい議論のように見えますが

新型インフルエンザの予防接種後の死亡症例というものが結構沢山になってきているようですね。
今のところはっきり副作用と認められたケースはなかったということですけれども、なんとなく釈然としない感じはするところです。

新型インフルエンザ:ワクチン副作用、初の10代死亡例報告(2009年12月10日読売新聞)

 厚生労働省は9日、新型インフルエンザワクチン接種後の副作用報告で、初めて10代の死亡例があったことを明らかにした。死亡報告は8日までに64件あり、未成年は初めて。死亡したのは山口県内の男性で、免疫機能が自身の組織などを攻撃する自己免疫性疾患などの持病があった。11月27日にワクチン接種を受けた際に腹痛とだるさを訴え、4日後に勤務先から体調不良で帰宅した後、嘔吐(おうと)して死亡しているのが見つかった。死因は調査中

新型インフル:接種後に死亡70件…副作用ケースはなし(2009年12月14日読売新聞)

 厚生労働省は13日開いた新型インフルエンザワクチンの副作用に関する専門家検討会で、接種後に死亡した事例が10日までに70件報告されたことを明らかにした。ただし副作用により死亡したケースはなかったとして、検討会はワクチン使用の継続を決めたが、一部については接種が基礎疾患の悪化を招いた可能性が指摘された。

 厚労省によると、報告があった副作用は約930万回分の出荷に対して1538件で、このうち死亡70件を含む入院相当以上の重篤例は199件。医療機関が「因果関係あり」と判断したのは、このうち81(死亡は0)件だった。また、専門家の精査の結果、神経まひを起こすギランバレー症候群が4件、呼吸困難や血圧低下などを起こすアナフィラキシーショックが30件含まれていた。

 検討会は、副作用や死亡の報告頻度に大きな変化がないことなどから「新たな対応は必要ない」との意見で一致。一方で死亡例の中には、かぜの症状があったのに接種したり、接種後に間質性肺炎などが悪化したケースがあり、基礎疾患のある人への接種リスクについて情報提供や疫学調査の実施を求める声が出た。【清水健二】

末端のワクチン接種を担当している先生方の話を聞いてみますと、ひと頃は予約が入らない、いつ入荷するかはっきりしないと言われていた新型ワクチンもそろそろ騒動がひと段落したようで、むしろ予約を入れていた患者のキャンセルが問題になってきているとも言います。
すでに1000万人レベルで国内罹患者が出ているとも言われる現状ですから、久しく予約待ちをしている間に罹患してしまったなんてことがあっても全くおかしくないのですけれども、中には複数医療機関に片っ端から予約を入れて最初に入荷した施設で接種、他はキャンセルするというようなことをしている事例もあるやに聞きますね。
ちょうど先ごろ政府が優先接種対象者以外にも希望する全国民にワクチン接種を、なんて話を出してきましたけれども、あれも契約上キャンセルできない輸入ワクチンの始末に困ってやっていること、なんて声もあるくらいで、現場では新型ワクチン接種に対する熱意はピークを過ぎた気配も感じられますね。

もちろん時期的に見てもそろそろ季節性の患者が増えてくる時期で新型新型とそればかりでは足元をすくわれかねませんが、一方でデータの集積もようやく進んで新型ワクチンに対する検証が行われているというところ、先ごろにも報道されましたようにこのワクチン副作用問題というのも接種熱に水を差す一因となっているところもあるのでしょう。
国らが言うようにおおむね効果や副作用は従来型のワクチンと同程度ということであるにせよ、一方で新型インフルエンザ自体もその病原性は季節性と同程度だから心配はいらないと大きな声でアナウンスしてきたという背景があるわけですから、そうなりますと「何もかも今までも同じなら、新型だ新型だと大騒ぎして皆に打って回ることもないんじゃないの?」なんて言われかねないという話ですよね。
何にしろリスクと利益を正しく定量的に評価していかなければ「大騒ぎして大金を投じてやった国家的事業が、後に残ったのは国の借金と現場の徒労感混じりの虚しさばかり」なんて話にもなりかねませんが、ちょうど厚労省でこの新型ワクチンの副作用に関しての検討会が開かれたところなのですが、見ていますとこれがなかなか面白い話になっているらしいのですね。

あれ、疫学調査は? 新型インフルワクチン 副反応検討会(2009年12月13日ロハス・メディカル)

 新型インフルエンザワクチンの安全性について検討する厚生労働省の検討会が13日、開かれた。前回に引き続いて、委員の何名かから疫学的データ解析の必要性を指摘する声が出たが、事務局は何も言及せず、座長も「これまで通りの対応で」と取りまとめてしまった。(川口恭)

 この検討会は、『第6回薬事・食品衛生審議会医薬品等安全対策部会安全対策調査会及び第3回新型インフルエンザ予防接種後副反応検討会の第3回合同開催』という、やたら長い名前のもの。

 ちなみに、データの取り方について稲松孝思・東京都健康長寿医療センター感染症科部長は「在宅酸素療法を行っている人で、ワクチンを打った群と打たない群との死亡率を少し大きな数で比較すれば、背景事情はかなり揃うので、割とキレイな成績が出るのでないか」と述べ、桃井真里子・自治医大小児科教授は「たとえば接種後2週間までの死亡例を全数報告するようにして、分布が均一ならばワクチンと死亡との間に関係はないということが言えるし、1日後、2日後といったような特定の時期の死亡が多いようならばワクチンが何らかのトリガーになっていることが示唆される」と述べた。

 同席して聴いていた足立信也政務官がどのように指示を出すのか注目される。

この実際の議論の内容というものを別記事でロハス・メディカルさんが取り上げているのですが、「事務方に注文をつける意見は無視されて、結局厚生労働省の方針を追認しただけだった」というように、これがなかなか面白い話なんですよね。
記者氏にも期待された足立政務官は冒頭で発言した後は「政治家が同席すると、メディアの人からは何か政治の力で導いているかのように受け取られるかも」と最後まで無言を通したそうですが、いくつか面白そうなところを拾い上げてみようかと思います。
まずは議論開始の冒頭部分、いきなり記者氏の突っ込みがさく裂します。

 松本和則・独協医大特任教授(座長)
「相変わらず高齢者の特に肺疾患の人の死亡が多いようだが」

 久保恵嗣・信州大副学長(参考人)
「前回(注:前々回のことか?)とほぼ同じ傾向かな、と思う。前回も重症で酸素を吸っているような人に往診してまで打つ必要ないんじゃないかと申し上げた記憶がある(前回傍聴していた私には記憶がないので、抜き打ちでやられてしまった前々回か?)。適用をもう少し慎重に決めてもらいたいなと思う。ただ、棒グラフをみると基礎疾患のある人はもう終わりかけているのだろうか」

 松本
現時点では明らかにワクチンとの因果関係のある死亡というのはないということでよろしいか」

 議論を始めて2言目に、いきなりそれはないだろう。

 久保
「そう判断する。ただ基礎疾患のある方というのは少しのことで増悪するので、ワクチンを打ってどの程度関係するかは判断が難しいが、少なくとも直接的影響はないと考える」

「議論を始めて2言目に、いきなりそれはないだろう」って、記者氏の突っ込みはもっともですけれども(苦笑)、そこはそれいつものように厚労省の役人からまずは冒頭資料の棒読みを聞かされるよりは実際的でマシだったということですかね。
ここで注目すべきは「(基礎疾患のある人に対して)適用をもう少し慎重に決めてもらいたい」という発言と、ワクチン接種と死亡との間に「少なくとも直接的影響はない」という久保氏の二つの発言なのですが、真っ先に提示されたこの言葉が後々色々と解釈できるものとなってきます。
このあたりの久保氏発言を受けての松本座長の発言がこちらなんですが、それに対する稲松氏の言葉が面白いです。

 松本
「打つか打たないかの段階で判断が必要ということか」

 稲松孝思・東京都健康長寿医療センター感染症科部長(副反応検討会委員)
「在宅酸素を導入できなければとっくに亡くなっていたような患者さんは、何とか頑張っているけれどインフルエンザにかかってしまったら真っ先に亡くなってしまうような人。たまたまワクチン接種後に亡くなる人もいるが、ワクチン接種をしなければトータルにはもっと被害が大きいと考えられる。そのことを第三者に納得してもらえるようなデータの積み重ねが必要だろう」

 松本
「どのような検討やデータの取り方をすればよいか」

 稲松
「在宅酸素療法を行っている人で、ワクチンを打った群と打たない群との死亡率を少し大きな数で比較すれば、背景事情はかなり揃うので、割とキレイな成績が出るのでないか」

いやワクチンの有効性云々の検証もさることながら、副作用問題で議論する大前提としてそういうデータがこの場で提示された上で議論がなされていてしかるべきではなかったかとも思うのですが、いきなりデータがないのに結論ですからねえ…
うがった見方をするならば「適用を慎重に」という久保発言は、どうも手ごたえとして重症者に対してはワクチン接種の塩梅がよろしくない、だからこそ「危ない症例には打つな」ということにしませんかという話のようにも聞こえてきますけれども、このあたりはそれこそ実際のデータを見てからでなければ何とも結論を出し難いところだと思います。
続いて出てくるのが若年者で接種後に死亡した症例の話ではありますが、これもなかなか興味深い症例ではあるというのに「無関係」という結論だけが先走りしている印象がぬぐえないところですよね。

 松本
「(略)ここに来て20代以下にも死亡例が出てきたが」

 庵原敏昭・国立病院機構三重病院院長(参考人=治験実施担当医師)
「まだ情報が足りないので何とも言えない。4歳のお子さんの例(ワクチン接種後にくも膜下出血で死亡。PCR検査の結果、新型インフルエンザ感染を確認)では少なくともインフルエンザのPCRが取れているということだが、ウイルスが生きていたのか、インフルエンザの臨床症状があったのかも分からないので、この症例には何も言えない。もう一つは腸管出血が死因であろうし、接種日5日も経っているので因果関係はないと考える方がよかろう」

 松本
「18歳の方も死因がハッキリしない」

 岡田賢司・国立病院機構福岡病院小児科医長(参考人)
「時間経過を考えるとワクチンとの因果関係はないだろう。インフルエンザの方は何とも言えないのかな、と」

 是松聖悟・大分大学地域医療・小児科教授
「感染でないとするとおかしな経過を辿っているのでワクチンとの関係を否定できないが、感染していたとすれば説明できる。いずれにしても成人の症例と同じように、本当にワクチンを打つべきものだったのかと考えるのがある。小児に関しても適用を考えていただきたい」

 桃井真里子・自治医大小児科教授
直接の関係がなくても、風邪でもワクチンでもトリガーにはなる。小児の先天性代謝異常などの例では、ワクチン接種から数日後に全身状態が悪化し、基礎疾患である代謝異常も悪化するという例を普通に経験する。ワクチンがトリガーになることは誰も否定できないし、症例58(腸管出血のあった患者)についてもトリガーになったことを否定できない

 ご老人のことは分からないけれど、ご老人でも風邪をひいてもワクチンでもトリガーにはなり得るというようなお話だと思う。間接的なトリガーになり得るんだということを、国民に知っていただいて、それぞれの方で打つかどうかの判断をすべきと思う。その情報が行ってないと、受けるべきか受けないべきかの判断もできない。何らか分かりやすい情報提供をしていただきたい」
(略)
 久保
ワクチンを打ってから数時間という、明らかに悪化させているように見える例が死亡はないけれど重篤例の方に何件かある。喘息を悪化させている可能性はある。死亡例の方は何ともいえないけれど関係していると考えた方がよい

ワクチン接種がトリガーとなって基礎疾患が悪化する、その結果死亡に至る場合もあるということを、一般国民の目から見れば「ワクチン接種と関連しての死亡」ということになるのではないかと思うのですが、このあたりの説明を早急かつ適宜にやっていかないと、「副作用情報を隠ぺい!」なんてまた後々大騒ぎにもなりかねないと思うのですけれどもね。
久保氏あたりは何か言いたげな気配が行間からも濃厚に漂ってくるのですけれども、結局は「悪化して亡くなったのか、報告書を読む中ではハッキリしない」とお茶を濁して見せるあたり、やはり事ここに至って「新型ワクチンで死亡!予防接種禍再び!」なんて書き立てられることを恐れているということなのか、どうなのか。
そして現行の方針を変える必要はない、接種が悪化のトリガーになりそうな人は現場で判断すればよいと言いながら、自らその判断する根拠、材料がないことを認めているというのですから、これは現場に丸投げだと批判されてもおかしくないところで、松本座長の「では改めて対応を変更する必要はないということでよろしいか」という言葉だけが虚しく響きます。

ワクチン接種も色々と考え方があって、「この人は罹患すると困る人だから」という個人防御の考え方と、「患者が増えると社会的に対応できないから」という集団防御の考え方とでどちらを優先するかはワクチンごとにおおむね決まっていて、従来のインフルエンザワクチンでは学校接種による集団防御から希望者への任意接種による個人防御へと、近年軸足を移してきていたものでした。
それが今回の新型においては基礎疾患保有者への個人防御と流行を遅らせ対応する時間を稼ぐための集団防御とが混在していたもので議論が見えにくくなったところがありましたが、やはり原則的に個人防御に関しては国が対象を決めるものではなく、各人がリスクと利益を判断し任意で決めるべきものではなかったかという気がします。
そうなりますと、医療従事者などへの集団防御的対応の流れでそのまま個人防御へと突入してしまった、なんとなく国が決めたことだから打つかと自己決定性を不明確にしてしまったというのは、結果としては責任の所在を不明確にしていささか話を混乱させたのかなという気がしてきます。

リスクと利益を勘案して決める、その判断材料として当然予想であっても何かしらのデータが必要なはずなのですが、それをこれから調べてみますということでは、さすがに国民側としても「打たされている」という感覚はぬぐえないところでしょうね。
となれば、今後何かあったときには自己責任論よりも「国が責任を取れ!」という話が台頭してくるだろうとは容易に想像できるところでしょうが、よもや先日成立した特措法による副作用補償だけで事足りると考えていらっしゃるというのであれば、それはいささか考えが甘いのではないかと思うのですけれどもね。
データ不足で判らないなら判らないなりに判らないということをしっかり公表し判断材料を提供しておかなければならないはずが、いささか国民に対するインフォームド・コンセントの努力が不足していた結果、要らぬ火種を残した形になったように思えるのは自分だけでしょうか。

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2009年12月15日 (火)

知っているのと理解しているのはまた別な問題で?

とっくの昔に出ていたものが後になってむしろ価値が増してくるということはままあるもので、多くの場合は時代を超越する価値があったのだと称賛の対象になっていたりします。
最近一部ネット界隈でちょっとした話題になったのが、よしかた産婦人科院長、東海大学産婦人科兼任講師である善方菊夫(よしかたきくお)先生の手になる医事新報の記事です。
昨年初めに掲載された少し古い記事なのですけれども、改めて今発掘されてみますとこれはなかなか素晴らしい名文ですよね。

今、産婦人科医になるチャンスです(2008年2月1日医事新報連載記事)

私は、平成元年に医者になり、迷わず大学の産婦人科医局に入局しました。
人々の幸せな場面に携わることに、大変な喜びを感じ、医療の場面においては、夫婦に子供が、愛されてこの世に誕生するという出産に関連した事しかイメージできず、産婦人科以外を専攻すること意外考えられなかったからです。

皆がどのような理由から専攻を決めていくのか興味を持った時期があり、何人かのクラブの先輩に聞いたことがあります。
精神科を専攻した先輩は、「人間が、他の動物と違うのは、その特徴的な精神の存在にあり、人間の基本である精神に携わる科を専攻した。」
呼吸器内科を専攻した先輩は、「人間は、まず第一に行うのは呼吸であり、人間の基本である呼吸に携わる科を専攻した。」ということでした。
こんな風に言い出すと不要な科は何もなく、結局進む方向は、ちょっとした偶然によるものなのではないかと思うこの頃であります。  

最近では、臨床研修制度が確立した事もあり各科を回って消去法で専攻を決めていく事も当然 のように行われているようです。
基準としては、将来その科に進んだ場合、“ 人間らしい、穏やかで豊かな生活がしていけるか”が、大きな指標となっているように感じられます。
産科や小児科は研修必修科となっていますが、数ヶ月回るとその激務とリスクに気付いてしまい、全く敬遠されてしまうというのが現状になっています。

このまま行くと産科医がますます減り、最近社会問題となっているお産の場を確保することがさらに厳しい状況になる事は明らかです。
世の中もようやくその事に気付き改善に乗り出そうという兆しも現れてきており、産科医の勤務状況の改善(当直の次の日は休みとする交代制等)、リスク・労働にあった給与体系等を改善しようする動きは、既に多くの自治体で見られ始めました。
また、現在20歳台、30歳台の産婦人科医の半分以上が女性医師であり、今は出産を契機に常勤から外れていく傾向にあることも、産科医師不足を加速している原因になっているように思います。
また、託児所をはじめとした女性医師が仕事を続けていける環境を整備することも重要です。

この雑誌を読まれているのは、学生の方も多いと思いますが、今、産婦人科医を専攻すると・・・数年の修行期間を頑張って乗り越え、専門医になってしまえば、それほど無理しなくても人間らしい生活ができる時代が数年後にやってくると考えられます。それどころか、産婦人科医は少ないこともあり、大学や学会内で上のポジションに行きやすく、日本中、産科医は引っ張りだこであり、一般病院においては豊かな収入が得られるのは確実です。

どうか、未来を信じて産婦人科を選んでください
(以下略)

未来を信じて産科医が増えつつあるということなのかどうかはともかくとして、少し前に産科学会の新入会が増加に転じているということがちょっとした話題になったのは記憶に新しいところで、最悪の時期は脱したと胸をなでおろしている先生方も多いのではないでしょうか。
いずれ数年後にやってくるとされた産婦人科医の人間らしい生活が実現に向かっているのかどうかは未だ寡聞にして存じ上げませんけれども、面白いなと思ったのは日本のこの産科を取り巻く状況というものが結構海外でも話題になっているらしいということです。
韓国や台湾あたりでは日本のテレビを結構視聴していたりする人が多いと言いますけれども、その影響なのかどうなのかこうした日本の世情についても結構興味と関心があるようですね。

【韓国ブログ】深刻な状況の産婦人科「日本で出産するのは難しい」(2009年10月27日サーチナ)

  10月14日から放映が開始された日本テレビの『ギネ 産婦人科の女たち』は、日本の産婦人科をテーマにしたドラマ。原作は自身も産婦人科医である岡井崇の『ノーフォールト』で、藤原紀香さんが主演し、過酷な状況下で奮闘する産科医の姿を描いている。

  日本の話題を伝える韓国のインターネット新聞「JPNews」ではキム・ミンジョン記者が、このドラマの話題とともに、筆者自身の日本での出産体験をもとにその難しさを語っている。ただし、この記事は、筆者自身が病院に通って感じたことや日本で子どもを生んだ妊婦を取材した内容で、すべての助産院や個人病院、産婦人科に当てはまるわけではないと断った上で記されている。

  日本では近年、産婦人科施設や産婦人科医の減少が社会問題になっており、特に地方では深刻な事態をもたらしているという。筆者はその理由について「産婦人科医師たちはそれこそ不眠不休で仕事をしている。子どもがいつ生まれるか予測できず、さらに産婦人科医師の減少によって勤務時間が次第に長くなり、38時間もの連続勤務を要求されている。勤務環境以外にも、日本で産婦人科医師になることを敬遠する理由は、ほかの科に比べて訴訟が増えていることが挙げられる」と語っている。

  また日本での出産施設として助産院や個人病院、大学病院などを紹介し、自宅で出産することも可能だと述べている。それぞれの長所と短所を記すとともに「どこを選ぶにせよ、早期の予約をせずに出産することは難しい」と語っている。

  記事には「日本は理由もなく出生率が低い訳でないようだ。病院の負担も大きいのかもしれない」「記事内容は韓国の状況と似ている。 むしろ韓国の方が深刻かもしれない」など、多数のコメントが寄せられている。(編集担当:李信恵・山口幸治)

韓国の医療制度は日本のそれを少しモディファイしたような感じでそれなりに制度としては整備されている一方で日本と同様の問題も抱えており、特に医療費、医師数といった部分では日本以上に深刻なところがあるようで、それだけに他人事ではないという危機感があるということなのでしょうか。
日本の場合は「産科医減少は出生数の減少で医療ニーズが低減していることの反映」との名?答弁を行った柳沢厚労相でありますとか、臨月でありながら「岐阜で産んでもかまわない。その覚悟で勝手にやってきました」と野良妊婦宣言をしてしまった小渕少子化担当相でありますとか、直接その方面を担当すべき為政者の認識としてどうなのよ?と思われる点が気がかりなところですが、これがこの国の伝統なのでしょうか。
産科のみならずこちらも危機が叫ばれて久しい小児科ですけれども、どうも行政担当者の認識と現場の認識とには相当なかい離があるのではないかと感じさせられるのがこちらの記事です。

小児科医は増加している? 辞めている?(2009年11月3日ロハス・メディカル)

 小児救急の改善策として厚生労働省は、「小児科医の数は増加している」とした上で、「トリアージ体制」や「小児救命救急センター」などを2010年度の診療報酬改定で評価する方針を示している。小児科医や看護師らが充足しているなど救急受け入れ体制が整っている病院を手厚く評価する意向だが、「地方はピンチな状態で小児科医が辞めている」との異論もある。(新井裕充)

 10年度改定の議論を再開した10月30日の中央社会保険医療協議会(中医協)の基本問題小委員会で厚労省は、小児医療について現状や課題などを説明した上で、次期改定に向けて5項目の「論点」を示した。

 現状に関する説明の中で厚労省は、「小児科医の数は、平成6年から平成18年までの間に13,346人から14,700人と約1,350人増加している」とした。
 その上で、軽症患者が9割以上であること、1~4歳の死亡率が高いことを説明。軽症患者への対応策として、「医師に代わって看護師などのコメディカルが患者の振り分けをする」という意味でのトリアージ体制を診療報酬で評価する方向性を示した。
 また、1~4歳の死亡率が高い状況を改善するため、PICU(小児集中治療室)など重篤な小児患者を専門的に受け入れる病床を評価する方向性を打ち出した。

 意見交換で、安達秀樹委員(京都府医師会副会長)は小児科の医師がいる病院に集中している。それが小児科医の疲弊の大きな原因の1つだ」と指摘、小児の二次救急病院が広く算定できるような点数設定を求めた。
 嘉山孝正委員(山形大学医学部長)も、「地方はピンチな状態で小児科医が辞めている」と指摘。「小児科医は女性が非常に多いが、女性が働く社会環境が整っていない」として、医師数に関する厚労省のデータが実態を反映しているかを疑問視した。さらに、「センターと付くとそこの医療費が上がるなど、そういう(診療報酬の)付け方をしてきたので、地方の小児医療などが潰れた」という辛口の発言も飛び出した。
 
 小児救急をめぐっては、医政局指導課が中心となってPICUの全国整備に力を入れている。今年3-5月にかけて、「重篤な小児患者に対する救急医療体制の検討会」で議論し、7月に報告書を取りまとめた。
 同検討会では、重症の小児を24時間体制で受け入れる「小児救命救急センター」を推進する厚労省側に対し、「実際に何人の医師がいるかを考えないと現実化しない」など、マンパワー不足を問題視する意見があった。また、小児救急の専門医の育成、救急医と小児科医の連携、救急搬送システムなど、「ハコ」の整備と別の観点からの意見が相次いで議論が錯綜した。(詳しくは、最も議論が紛糾した4月23日の議事録を参照)
 その後、委員らの指摘を受けて厚労省は「小児救命救急センター」の文字を一度は引っ込めたが、7月の報告書で復活させたという経緯がある。次期改定では、「小児救命救急センター」などを診療報酬で評価する方針とみられる。なお、安達委員と嘉山委員の発言は次ページ以下を参照。
(以下略)

この話、別に小児医療に限らず近来の医療行政を象徴しているところが多分にあると思いますけれども、何かしらを熱心にやっている病院を診療報酬上で優遇するとした結果そこに医者が集まる、当然周囲には医者がいなくなった病院が多数でき患者が一極集中する、せっかく医者を集めても勤務医が疲弊し最終的に地域医療がごっそり崩壊するという、過去に何度も繰り返されたパターンをまたやりますと宣言しているわけです。
病院再編をかねてからの目標に設定している厚労省としては未だに欧米並みを目指しての病床再編をあきらめていないようですけれども、高度にシステム化された病診連携などというものは患者がいつでもどこにでも好き勝手に受診していいという制度下では突き詰めていくほど破綻に近づくものであるという現実を、そろそろ学習していただいても良い頃なんじゃないかとも思うのですけれどもね。
その方がやりやすいからと医療の需要側の制約を一切課さないままで供給側ばかりああしろこうしろといじっていても、結局かつての「開業医にかかりつけとして頑張ってもらいたいから点数を高く設定してみました。そうしたら患者は料金の安い大病院に集中するようになりました」の笑い話が拡大再生産されるだけではないかという懸念がぬぐえません。

ネットなどを覗いていますと少子化が進んでいるからそんなに忙しくないはずだなんて声も未だに一部であるようですが、少子化が進む産科が疲弊しているのと同様に、対象人口と医療需要とはまた別問題なんだと言うことを国民も、そして医療行政の担当者も認識しなければいけません(そもそも小児科外来に行ってみれば忙しいのか暇なのかはすぐに判りそうなものですけれどもね)。
その意味では年々進む小児医療費無料化政策が一番現場の疲弊を招いている理由なんだと思いますけれども、少子化対策だと言って需要の側(すなわち有権者と言い換えてもいいと思いますが)には幾らでも甘い政策を並べるのは仕方ないにしろ、その影響がどう現れるのかという学習機会はもうさんざんあったはずなのですが、医療行政担当者には未だそういう認識はないのでしょうか。
各地で地域住民が主体となって病院を守るために不要不急の受診を控えようという運動が広まりつつありますけれども、現場情報から遮断されて甘やかされていたはずの国民の方が先に現実に目覚めつつあるようにも見える一方で、毎度毎度同じようなアンケート調査ばかり現場に回してくる人たちが何も理解していないでは、情報を理解し処理する部分に何かしら深刻な問題でもあるのかという話にもなりかねないでしょうにね。

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2009年12月14日 (月)

出産一時金制度を悪用する産科医?!

面白いと言ったらいささか不謹慎ですけれども、先日こんな記事が出ていまして「へえ」と少しばかり感心したものでした。

【産科医解体新書】(65)悪用された出産一時金(2009年12月8日産経新聞)

 先月、群馬県伊勢崎市で出産一時金詐欺未遂容疑で、27歳の女性が逮捕されるという事件がありました。世の中にはいろいろなことを考える人がいるものです。

 出産一時金制度では、赤ちゃん1人に対して約40万円、妊娠12週を経過後に中絶手術をした場合も同じぐらいの金額を受け取ることができます。女性は前に赤ちゃんを産んだことがあり、そのときの出産証明書の記載内容を修正液で消してコピーし、「妊娠継続不可」と加筆して中絶証明書を偽造したそうです。

 確かに40万円は大金ですが、この女性は「双子を中絶した」として、倍の金額を要求したそうです。どうせうそをつくなら8つ子にして300万円ぐらい請求してもよかったのに、そこは常識が働いたのでしょうか。もしも人間がウサギやネズミのような多産の動物だったら、出産一時金制度は破綻(はたん)していたでしょう。

 しかし、悪いことはできません。1人だけの請求なら書類はそのままスルーした可能性があったのに、双子にしたために、市の担当者が書類にあった産婦人科に確認の電話をかけ、うそが発覚したのです。

 出産一時金を何に使ってもかまいませんが、実際にはほぼ同額の分娩(ぶんべん)費用が持ち出しになりますから、その費用を相殺しているにすぎません。育児には何かとお金がかかりますから、そのための補助的意味合いもあるでしょう。

 出産一時金で「いっちょ、もうけてやろう」と考える人がいると聞けば、一瞬わが耳を疑います。詐欺をしておいしいものを食べさせてくれる親よりも、貧乏でも正直に生きることが大事だと育ててくれる親の方が、子供の将来のためには絶対いいはずです。

 この事件が報道された後、僕の勤務先のクリニックには、一度も赤ちゃんを産んだことのない女性から出産一時金の件で何件か問い合わせがありました。そんな問い合わせは今まで一度もなかったのですが、まさかこの事件をまねて詐欺をしようとしているのではない…ですよね。(産科医・ブロガー 田村正明)

しかし出産一時金というと少子化対策ということで出来上がった制度であったように記憶していたのですが、妊娠中絶に対しても出すということになりますと制度の意義としてどうなんでしょうね?
いずれにしても何であれ制度というものが出来上がるとそれを悪用するアイデアというものは尽きないのだなと思うところですけれども、実はこの出産一時金に関して当の産科医自身が制度の悪用を非難される立場となっていることを御存知でしょうか。
先日出ました地方紙の小さな記事ですけれども、ここには厚労省担当者の産科医を叱責する厳しい言葉が載せられているのですね。

妊婦補助病院が「吸収」 県内5施設増額相次ぐ 「便乗」と批判の声 出産一時金で負担↓+分娩介助料↑≒0  /山梨(2009年12月11日山梨日日新聞)

 山梨県内で出産を扱う7病院のうち、5病院が妊産婦に請求する分娩(ぶんべん)介助料を4万~5万円引き上げたり、増額を検討していることが分かった。出産育児一時金が4万円アップされているため、妊産婦の負担はほとんど変わらないが、国が少子化対策として打ち出した補助を病院側が“吸収”した格好。病院側は「介助料のアップで増収を図り、経営改善や医師の処遇改善を目指す」としているが、妊産婦からは「一時金の増額にかこつけた便乗値上げ」との批判も出ている

 出産育児一時金は、出産にかかる経済的負担の軽減を図るため、公的医療保険から妊産婦に支給されている。10月に4万円増額されて42万円になった。
 一方、分娩を取り扱っている県内7病院(診療所、助産院を除く)のうち、山梨大付属(中央市)、山梨赤十字(富士河口湖町)、甲府共立(甲府市)の3病院が10月から分娩介助料を値上げ。山梨大付属は5万円増の23万円、山梨赤十字は4万円増の21万5千円とし、甲府共立も4万円引き上げた。
 このほか、市立甲府は4月に4万円増額しているが、来年4月にはさらに4万円引き上げて14万円とする。国立病院機構甲府は「他病院の状況を見ながら4月の引き上げを検討する」としている。引き上げを実施、検討している5病院の分娩件数(2008年度)は約3千件に上っており、多くの妊産婦が出産育児一時金アップの恩恵を受けられない可能性がある。これに対し、富士吉田市立は08年4月に7万5千円引き上げて12万5千円としており、「現時点で改定の予定はない」。県立中央は現在7万円だが、引き上げに関しては「未定」としている。

 相次ぐ引き上げの背景には、経営再建や医師の処遇改善を図りたい病院側の事情がある。山梨大付属は産科医、助産師の待遇改善に向け、引き上げ分を4月から支給を始めた分娩手当の原資に充てる方針。市立甲府は08年度決算で9年連続の単年度赤字を計上しており、「再度の介助料引き上げで経営健全化を図りたい」としている。山梨赤十字や甲府共立は「一時金の増額に合わせれば妊産婦の負担増は避けられ、理解も得られやすい」と説明している。

 相次ぐ介助料引き上げの動きに対し、厚生労働省の担当者は「出産育児一時金の増額は医療機関に対する援助ではなく、緊急少子化対策の一環として妊産婦を援助するのが目的」と苦言。甲府市内に通う山梨市の妊婦(32)は「出産育児一時金の増額を喜んでいたので、病院の対応が心配。景気が悪い中で、経済支援は妊婦の精神的な安定にもつながっているので値上げはやめてほしい」としている。

以前にある産科の先生が試算したところでは、きちんと現代の医療水準に則ってお産に関わる費用を積み上げていくと少なくとも40数万円という程度にはなると言いますが、これに対して議会の同意が得られなければ分娩料金も引き上げられない公立病院ではちょっとあり得ないような価格設定が未だに続いているところが多いようです(記事を見ても価格がまちまちですよね)。
つまり基本的に公立病院の価格設定ではまともなお産管理はできないはずなんですが、持ち出し価格で赤字を幾らでも垂れ流していい(そして、実際大赤字を垂れ流している)公立病院に相場を引きずられて周辺のお産を扱う民間施設が大迷惑という、とんだ民業圧迫があちこちで聞かれるところで、こうした不当な分娩料金抑制が産科崩壊の原因の一つとなっていたことは想像に難くありません。
2009年1月に例の保険料負担で3万円引き上げの38万円になった折にも「この財政の厳しい折に」という声が結構ありましたけれども、国の財政が厳しいということであれば産科の財政も同じく厳しいわけで、少なくとも自由診療であるはずのお産費用で原価割れの価格設定継続を強要されるのもおかしな話であるという気がするところですけれどもね。

しかし厚労省担当者の発言自体は実のところ従来の政府見解丸写しに過ぎないのですけれども、前後に勝手に言葉を補って巧妙に読者を誘導する手腕は、地方紙といえどさすがマスコミだけに侮れないといったところでしょうか?(苦笑)。
いずれにしても出産費用を補助するというのであれば適正なコスト分をちゃんと補助するべきという話ではないかとも思う一方、妊婦の負担増による影響と産科崩壊による影響と、今の時代にあってどちらがより大きな社会的影響を与える問題なのかという評価も必要ではないかと思います。
産科医の減少以上に分娩取扱施設数は激減の一途を辿っていますけれども、実際問題あちこちで「産みたいけれども産む場所がない」だの「産もうとしたら一杯だと断られた」だのといった話は幾らでも聞こえてくることは一般の方々にも最近ようやく知られるようになった話です。

やはり医療も経済原理を離れて続くものではない以上、社会的に適正な評価を行っていかないことには人材も集まってこないし、幾ら続けようという熱意があっても赤字では続けられないものであって、実際もはやお産取扱は病院にとって貴重な収入源からお荷物へと転落してしまっているという現実があるわけです。
最近では少しでも産科医の負担を軽減しようとチームを組んでの分業制の徹底なども議論されていますけれども、後になってこういう話が出てくるからこそその経費負担ということについても早急に話し合っていかなければならないように思いますね。

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2009年12月11日 (金)

診療報酬改定議論に見る微妙な温度差、その心は

先ごろには厚労省と長妻大臣がそろって財務省-仕分け人筋の意向に反して診療報酬引き上げを主張した一件を紹介しましたけれども、民主党内でも医療費引き上げを要求する議員連が発足したように、医療費引き上げは政権としての公約であり、民主党政権を支持した民意であるという考え方がようやく表だって語られるようになってきたようですよね。
ところが先日一般紙などでも報道されましたけれども、来る診療報酬改定をめぐる議論の中で中医協がなかなか面白いことになっているようで、そうそう単純な図式を描ける問題というわけでもなさそうなのです。

診療報酬上げる?下げる?10年ぶり結論出ず(2009年12月9日読売新聞)

 厚生労働相の諮問機関「中央社会保険医療協議会」(中医協)は9日の総会で、2010年度の診療報酬改定に関する意見書のとりまとめを見送った

 報酬引き上げと引き下げに意見が分かれ、結論が出なかったためで、厚労相への意見書提出見送りは00年度の改定以来となる。

 総会では、医師や歯科医ら「診療側」の委員が、医療崩壊を食い止める必要があるとして引き上げの明記を主張した。一方、健康保険組合など「支払い側」の委員は、患者の負担増につながると反対した。大学教授ら公益委員が両論併記の案を提示したが、診療側が譲らず、意見書の取りまとめを見送った。

 診療報酬を巡っては、長妻厚労相が引き上げを表明しているのに対し、財務省は3%引き下げを主張している。政府は月内に改定率を決める方針だが、中医協でも結論が出なかっただけに、調整は難航しそうだ。

【中医協】来年度報酬改定の厚労相への意見書提出を見送り(2009年12月9日CBニュース)

 中央社会保険医療協議会(中医協、会長=遠藤久夫・学習院大経済学部教授)の総会が12月9日に開かれ、来年度診療報酬改定に対する意見書をめぐり議論した。診療側が、4日の総会で公益委員が提出した意見書案に対する修正案を提示し、意見交換が行われたが、診療側、支払側の意見集約はできず、中医協としての厚生労働相への意見書の提出を見送ることになった。意見書の提出見送りは、2004年の中医協改革以降では初めて。

 中医協では11月25日、診療側、支払側双方から総会に、来年度診療報酬改定に対する基本的な考え方を示した意見書が提出されて意見交換が行われたが、双方の意見に隔たりが大きく、公益委員預かりとなった。12月4日の総会でも、双方の意見書と11月25日の議論をまとめる形で作られた「意見書案」を基に話し合われたが、意見集約には至らず、結論は先送りされていた。

 12月9日の総会で、診療側は「意見書案」に対する意見として、「診療報酬引き上げによる各保険者の財政悪化に対しては、政策的財政支援が必要」「特定機能病院、自治体病院等の医療に要する費用については、医療費以外の公費で賄われている部分を明確化し、医療費で賄われるようにすべき」などとする修正案を提示。

 これに対し、支払側の白川修二委員(健康保険組合連合会常務理事)は、「政策的財政支援」について「中医協は診療報酬の配分を審議するところなので、中医協、少なくとも診療報酬とは関係ない話ではないか」と指摘。また、特定機能病院などの医療に要する費用については、「診療報酬を引き上げるか引き上げないかという意見書と、特定機能病院、自治体病院という特定分野の医療費や国の助成金がどう関係付けられるのか理解できない」と述べた。
 診療側の西澤寛俊委員(全日本病院協会会長)は、勤務医らの負担軽減などを実行するためには医療費アップが必要との認識を改めて示し、そのための財源についての「(支払側に対する)『こういうことで何とかできませんか』というわたしたちからの提案というかお願い」と説明した。

 結局、議論は合意に至らず、総会を中断して、意見交換を踏まえた最終の意見書案を公益委員らが作成。診療側、支払側に対し個別に説明を行った。
 総会再開後、遠藤会長は双方と個別に相談して意見のすり合わせを行ったが、意見集約はできなかったと説明。診療側、支払側の了解を得た上で、「中医協として診療報酬改定についての意見を具申することは行わないことに決めさせていただいた」と述べ、意見書の提出自体を見送ることを明らかにした。

先日の中医協では事業仕分けに対して批判的なコメントを出すよう主張する診療側に対し、支払い側と患者側代表がそろって慎重論を唱えるという局面があり、山形大医学部長の嘉山孝正氏が「(静観すべきと)そういう意見を言った方は責任を取ってほしい」などと発言して大荒れになったという一件がありましたが、読売の記事などを見ますと医者対患者の代弁者同士の対立という構図に見えます。
このあたりの経緯は診療側としてはかなり感情的にも来るものがあったようで、決裂後に独自に会見を開いたりと熱く語っていらっしゃるようですけれども、一見すると既得権益を守る特権階級を国民目線で粉砕したとも見えるこの話、国民にとっての本当の味方とは一体誰なのかと考えるとなかなか興味深い話ではある気もしますね。

「中医協の意見書」が密室で決裂、問われる国民代表(2009年12月10日ロハス・メディカル)

 診療報酬の引き上げを求める声は、国民を代表する立場の公益委員には届かなかった。約2時間の密室協議の末、公益委員は「中医協として診療報酬改定についての意見を(厚生労働大臣に)具申することは行わない」との決定を下したが、診療側からは「1号(支払)側の意見を公益委員が採り入れた」など不満の声が上がっている。(新井裕充)

 中央社会保険医療協議会(中医協)は12月9日、来年度の診療報酬改定について厚労大臣に提出する意見書について議論した。
 2号(診療)側は「医療費全体の底上げ」を意見書の結論に加筆することを要望したが、1号(支払)側が断固として拒否。このため、審議を約2時間中断して別室で公益委員と両側がそれぞれ協議したが決裂、今回は中医協としての意見を提出しないことに決定した。

 会議終了後、診療側委員は緊急会見を開き、「医療崩壊がさらに進行することを危惧する」などの声明文を発表。嘉山孝正委員(山形大学医学部長)は「1号(支払)側の意見を公益委員は採り入れた」とした上で、次のように述べた。
 「問題は、公益委員が2つの意見をまとめて、あるいは調停して、結論として何を出すか。ところが、公益委員が出してきた意見では我々の意見がすべて退けられて、『結局、(医療費を)上げないよ』という従来の政策の中身を採り上げたということ。公益委員は国民の目線であるべきだから、我々としては『非常に遺憾である』と考えている」

 鈴木邦彦委員(茨城県医師会理事)も「我々としては(意見書の)文章の結論部分に『診療報酬全体を引き上げる』ということを入れてほしいと要望したが、『それは認められない。結論の所に診療報酬上の引き上げは入れられない』ということだった。『結論部分に入れていただきたい』というのが我々の譲れない要望なので、それで『不成立』ということにされた」と不満を表した。

 邉見公雄委員(全国公私病院連盟副会長)は「やはり全体の医療費の底上げがなければ、また同じことが続くんじゃないか」と状況悪化を懸念。西澤寛俊委員(全日本病院協会会長)は、「(意見書は)非常に影響が大きい。もし、ここで診療報酬全体での引き上げを書き込んでいただければ、内閣府で決める改定率にかなり良い影響を与えることができたんじゃないか」と悔やんだ。

 公益委員が示した意見書案では、「我が国の医療は厳しい状況に置かれている」、「更なる取組を進めていくことが必要であること、という基本認識については意見の一致を見た」と指摘している。とすれば、現状を改善すべく医療費全体の底上げを求める意見書をまとめることもできたのではないか。
 厚労省の担当者は会議終了後のブリーフィング会見で、「公益側が全部潰したということではない」と述べているが、密室協議のため事実関係は闇の中。国民の目が届かないところで決まる構造は今までと何ら変わりがない。
(略)

この件でとりわけ興味深いと思うのが同記事末尾に掲載されている、こうした双方の結論を受けての厚労省側官僚のコメントなんですけれども、先に大臣と厚労省がそろって診療報酬引き上げを財務省側に要求したという一件と対比させながら読んでいただけるとなかなか面白いかなと思います。

■ 「公益側が全部潰したということではない」 ─ 厚労省
< 診療側の会見後に行われた厚労省のブリーフィング >

─ 先ほど診療側が会見を開き、意見書の結論部分に「診療報酬全体の引き上げ」を加筆するよう求めたが、「公益側がのまなかった」という説明だった。

[保険局医療課・尾崎守正課長補佐]
 それは事実と違うと思います。のむかどうかというのは、「1号(支払)側がのむかどうか」ということだと思いますので、結局、「1号側と2号(診療)側で意見が折り合わなかった」ということではないかと認識しています
 つまり、「公益側がのんだから紙が決まる」というわけではないので、「1号と2号との間で意見が折り合わなかった」ということではないかと思います。

─ 事実関係を確認するため、公益委員が各側に示した「裁定案」をオープンにしてはどうか。

 それはオープンにできないですね、「各側呼び込み」ですから。当初は、「各側呼び込み」の予定はなかったんですよ。両側が求めて急にそういう話になったものを事務局(保険局医療課)から発表するのは難しい。

─ 支払側も診療側も、「オープンにやったほうが良かった」と話しているが。

 だったら、「なぜ呼び込みをしたんだ?」という話だと思うんです。シナリオ上、「呼び込み」というのはなかったんです。

─ 1号(支払)側は、公益側が示した調停案にある程度は納得したのか。

 「調停案」というか、「修文案」ですね。ある程度納得されて、その後、2号(診療)側がいろいろご意見があるということで話し合って修正案が出されました。
 それをもう一度、1号(支払)側に見せなければいけませんので、1号側にお見せして、結局、「それがのめない」ということでしたので、あのような結果になったということです。

─ 不成立の原因は、「1号(支払)側がのめない」ということだったのか。

 要するに、2号(診療)側としても「この案で行けないなら意見書をまとめないこともやむなし」ということだった。提示したものを1号(支払)側はのめないということだったので、「1号、2号、納得の上でまとめない」ということになった。

─ 意見書の結論部分に「診療報酬全体の引き上げ」を入れるよう求める2号(診療)側の修文案は、1号(支払)側に示されたのか。

 示しました。2号(診療)側と公益側と2回やり取りがあったのですが、診療側が2回目に求めた案について、「2号(診療)側がこういうふうに(修正)してほしいということです」ということを1号(支払)側に言っています。それで、(支払側の)白川さんたちは、それ(結論部分に診療報酬全体の引き上げを加筆すること)を「のめません」と。公益側が全部潰したということではないと思っています。

 たぶん、(公益委員の)遠藤さんの立場からすると、詳しくは分かりませんが、要するに2号(診療)側から出された案がですね、公益委員の立場として見ると、「これはとても1号(支払)側はのめないだろう」ということをおっしゃったんだと思うんです。
 遠藤さんたちが(診療側の案を)「のめない」と言ったのではなくて、これまでの議論を聴く限り、「これはたぶん1号はのまないと思いますよ」と。それで結果としてのまなかったので、あの結論になった。

実際のところ調停役が片側に日和ったというわけではなく単に支払い側が引き上げ論明記を拒否したというのが真相なんでしょうが、毎度ながらこの妙に他人事目線な熱のなさというのは何なのかという感じですよね。
厚労省と言えば、医師出身の足立政務官が先ごろ「財務省との戦いは始まっている。我々だけ頑張っていてもダメ」と診療報酬をめぐる議論に医療側からの応援を熱く呼び掛けていますけれども、どうもこうして見ますと明らかな省内温度差を感じるのは自分だけではないと思うのですけれどもね。
もちろん言いたい放題言っておしまい、気に入らなければ席を立てばいいというある意味お気楽な立場の委員だの政治家だのと比べると、実際にそれを政策という形でまとめていかなければならない官僚というものはどうしても地に足のついた現実主義者であらざるを得ないというのは判るのですけれども、少なくとも政治家も厚労省も診療報酬引き上げで一致団結して財務省と戦う、なんて構図ではなさそうですよね。

常々思うのですが、省庁と言えば権益獲得絡みもあって予算を少しでも多くということに結構注力するものだと世間では思われている中、どうも厚労省から出てくるお役人さん達は医療絡みの話になると妙に淡泊なコメントに終始している印象なんですよね(あるいは報道されないだけで他の省庁もそういうものなのかも知れませんが)。
すでに久しく医療費抑制政策が続いていますから、このあたりはそういうものなんだと諦観しているということなのかも知れませんが、中医協も嘉山先生らが入って最近妙に熱くなっている、政治家の側も(大臣こそ多少デプり気味ですけれども)足立氏や議員連やら結構本気度を増しているという中で、ここでこんなに盛り下げてしまっていいのかとも感じてしまいます(苦笑)。
もっとも厚労省と言えばかねて地域の病院再編、医師集約化が持論だったところですから、実のところうっかり診療報酬引き上げで地域の病院が息を吹き返してしまうのも痛し痒しだという気持ちも根底にあるのかも知れませんが…

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