心と体

2017年4月26日 (水)

大量に薬をもらってきては捨てていると言う方々もいらっしゃるそうで

経験的にもまあそうなんだろうなと誰しも感じているのだと思うのですが、では現実的にその対策はどうなのか?と考えると少しばかりややこしいのがこちらの問題です。

副作用が危険!高齢者の「多すぎる薬」防止、国が指針策定へ(2017年4月17日読売新聞)

 高齢者に多くの種類の薬が処方され、副作用で体調が悪化するケースが少なくないことから、厚生労働省は、薬の処方を適正化するためのガイドライン(指針)を策定する方針を固めた。
 医療ビッグデータを活用して全国規模で実態を分析し、副作用を招きやすい危ない薬の飲み合わせなどを調べる。17日夕、有識者検討会の初会合を開く。

 高齢者は薬を分解する機能が低下しており、副作用が出やすい。複数の持病を抱えることが多く、薬の種類が増えがちだ。高齢者が6種類以上の薬を併用すると、一層副作用が出やすくなり、転倒などを招く恐れが高まるというデータがある。医療機関からは副作用が原因で入院した高齢患者の報告が相次いでいるが、実態は明らかではない。
 厚労省は検討会で薬の専門家らから意見を聞き、問題点を整理。その後、患者が医療機関でどんな治療を受けたのかが分かる診療報酬明細書のデータベースの情報や医薬品医療機器総合機構に寄せられた副作用報告などを分析し、薬が増えた際に起きやすい副作用や、危ない薬の飲み合わせなどについて調べる。関連経費は2018年度予算の概算要求に盛り込む方針。
 指針の策定は、分析結果なども踏まえ、18年度末をめどに目指す。持病が多い高齢者は複数の医師から薬の処方を受け、結果的に多くの薬を服用しているケースも多い。そのため医師、薬剤師が、服薬状況を共有して薬の処方を減らす体制作りも進める。

意識障害など深刻な症状も

 高齢者の薬の副作用は、ふらつき、転倒による骨折、意識障害など、心身に大きなダメージを与えるものも少なくない。過去には、日本老年医学会が2015年に「高齢者の安全な薬物療法ガイドライン」を改訂し、慎重な投与が求められる薬のリストをまとめ、注意を促している。厚生労働省も昨年度の診療報酬改定で、不必要な薬を減らすことを促す仕組みを導入したが、効果は十分上がっているとはいえない現状だ。
 厚労省はまず実態解明を進め、科学的な根拠を基に危険な薬の組み合わせなどを医師や薬剤師に示し、対策を一層強化する考えだ。高齢者の健康を守るため、医療関係者も積極的な取り組みが求められる。

ちなみに老年医学会が作成した一般向けのパンフレットはこちらから参照できるのですが、高齢者は代謝が落ち薬も増え副作用が出やすいだとか、注意すべき飲み合わせの例だとかいちいちごもっともではあるものの、では患者に何がどう出来るのかと言えば自分の飲んでいる薬をきちんと申告することくらいで、結局医師が処方する内容次第ではないかと言う意見ももっともだと思いますね。
熱が出たと言った急性期の症状は別として、高齢者に多い慢性期の症状に対する定期的な投薬に関しては医師が適当に思いつきで出しているのではなく、各種学会が出しているガイドラインに従って行っていることですから、老健医学会が何と言おうが服薬中止による悪化のリスクを利益が上回ると言うエビデンスがない以上、現場の医師としてはガイドラインに従うしかありません。
80歳90歳の超高齢者に数十年先の予後に差が出るからと予防的な治療を過剰に行うことは無意味だろうとは思うのですが、では70歳ならどうなのか、60歳ではどうなのかと考えた場合に明確な線引きが出来るわけでもなく、また高齢ではあっても現時点で元気が良い人とADLが低下している人を同列に扱って良いのかと言う問題など、定型化するのが難しい問題なんだろうとは感じます。
ただ高齢者にこんな多くの薬を出すのは馬鹿馬鹿しい、有害無益だと休薬した後で脳卒中や心筋梗塞が発症し、万一にも紛争化した場合に厚労省なり老年医学会が薬を減らせと言ったから…では説得力として十分なのかどうかで、この辺りは各種ガイドラインなどにおいて高齢者医療に関する別項を立てるなどの対策も必要になるのかと思いますね。

副作用が出る、トラブルが多発すると言うこともさることながら、国としては当然財政的な損得勘定の観点からどうなのかと言う点も気になってくるのだと思いますが、社会的に引退し生産性が失われた高齢者の場合税収等でさほど貢献出来るわけではなく、国や自治体から見れば社会保障コストがかかる分だけ常に持ち出しの赤字状態になっているとも言えると思います。
その意味では理想的には歳をとっても周囲の手がかからない元気な状態でいて、早い段階で長患いすることなくポックリ逝ってくれるのが財政上は一番好ましいと言うことになるのですが、命の価値はお金には換えられない等々と大騒ぎする前に冷静になってみると、多くの一般の方々が望ましいものと考えている老後のあり方とそう違ったものでもないようにも感じられるのは気のせいでしょうか。
大量にもらっている薬にしてもきちんと飲まずに捨てられている場合も未だに少なからずあるのだそうで、飲まないのであればそもそも処方する必要もないだろうと言うことなのですが、飲まないと言う意志があるのであれば診察室の中できちんとそう自己主張すべきだろうし、医師の側としても患者の意志をきちんと確認しながら対応するのは当然ではありますよね。
安楽死が合法化されているオランダではこのところ、特に不治の病気等の事情がなくとも高齢者にはもう人生が終わったと感じた時点で安楽死する権利を認めようと言う動きも出ているのだそうですが、日本もいきなりそうまで行かずとも何を目標に治療を行うかと言う点を考えておかないと、高齢者医療は誰に取っても喜ばしくない方向へと迷走してしまいがちな側面はあるのでしょうね。

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2017年4月24日 (月)

お産にはやはり産みの苦しみが必要?

先日こんなニュースが出ていたのを御覧になった方も多いかと思いますが、意外と世間の皆さんの注目を集めているようです。

妊産婦、今でも年50人前後が死亡  横ばい状態、なぜ減らないのか(2017年4月19日J-CASTニュース)

   日本の妊産婦死亡率は、厚労省によると、世界的に非常に低いとされるが、それでも最近の6年余で298人が亡くなっている。そのうち、無痛分娩で13人の死亡が今回初めて分かり、厚労省の研究班が緊急提言を行った
   妊産婦が亡くなれば、病院は、日本産婦人科医会にそのことを届けることになっている。

「予期しない出血など、不確実性の部分がある」

   医会の統計によると、2010年1月から16年4月まで、全国で計298人の妊産婦が死亡していた。この6年余の死者数は横ばい状態で、毎年50人前後に上っている。出産件数は、年間100万人ほどあることから、妊産婦死亡率は1%にも満たない計算だ。
   死因は、子宮内などの大量出血が最も多く、続いて、血圧が上がることなどからの脳出血、羊水が血液の中に入ることで起きる羊水塞栓症などで、この3つで半数ほどを占める。

   それにしても、なぜ毎年、妊産婦が50人も亡くなるような事態になっているのか
   厚労省の地域医療計画課では4月18日、J-CASTニュースの取材に対し、次のように説明した。
    「それは、分娩の中では、予期しない出血や羊水塞栓などが起きるということです。一瞬のうちに心停止が起きることもあります。日本は、世界で一番妊産婦を助けられる国だと思っていますが、不確実性の部分が出て来ます」
   ただ、病院側の不手際が原因とみられるケースも報じられている。愛媛県今治市内の産婦人科医院では、3年間で2人が大量出血などで死亡していたことが分かり、日本産婦人科医会が16年12月に血圧管理などで不十分な点があったとして指導を行っている。厚労省も、「病院間の連携をしっかり取るようにするなど、妊産婦の死亡を減らす努力は必要」だとしている。

無痛分娩での死亡あるも、「率が高いとは言えない」

   6年余で298人いる妊産婦死亡のうち、厚労省研究班の調べで、麻酔を使って陣痛を和らげる無痛分娩が13人含まれていることが分かり、研究班が4月16日に発表した。
   13人のうち1人が麻酔による中毒症状で死亡していた。ほかの12人は、大量出血や羊水塞栓症といった普通分娩でもありえる死因だった。研究班では、普通分娩と同様に、陣痛促進剤の使用や、赤ちゃんを引っ張って出す吸引分娩も行われることから、病院は緊急時に備えた体制を整える必要があるとする緊急提言を行った。

   無痛分娩は、フランスやアメリカでは主流になっているが、普通分娩に比べて死亡リスクはどう考えられるのか。
   厚労省の地域医療計画課では、「普通分娩に比べて死亡率が高いというわけではなく、今回の提言は、無痛分娩は危険だなどと言っているものではありません。無痛分娩での死亡数が初めて出たので、提言を行ったということです」と取材に説明している。


麻酔使った「無痛分娩」で13人死亡...厚労省、急変対応求める緊急提言(2017年4月17日読売新聞)

 出産の痛みを麻酔で和らげる「無痛分娩(ぶんべん)」について、厚生労働省研究班(主任研究者・池田智明三重大教授)は16日、医療機関に対し、急変時に対応できる十分な体制を整えた上で実施するよう求める緊急提言を発表した。

 研究班は、2010年1月から16年4月までに報告された298人の妊産婦死亡例を分析。無痛分娩を行っていた死亡例が13人(4%)あり、うち1人が麻酔薬による中毒症状で死亡、12人は大量出血や羊水が血液中に入ることで起きる羊水塞栓(そくせん)症などだったという。

 池田教授によると、国内の無痛分娩は近年、増加傾向にあり、データ上、無痛分娩で死亡率が明らかに高まるとは言えないという。ただし、「陣痛促進剤の使用や(赤ちゃんの頭を引っ張る)吸引分娩も増えるため、緊急時に対応できる技術と体制を整えることが必要だ」と話している。

いや、何故減らないのかと言われても日本の妊産婦死亡率は他のあらゆる疾患の医療を圧倒する勢いで激減してきたわけですが、これで減っていないと言うならこれだけ技術も進歩し若者の車離れが懸念されるほどの時代になってもまだ毎年何千人も死者を出している自動車業界などはどれだけ怠惰なのかと言わなければならないですよね。
医療がどれほど進歩しても医療にアクセスする間もなく突然の発作等で亡くなってしまう方々が一定数いらっしゃるのと同様、一般的に定期的な検診など丁寧なフォローアップを行われているにも関わらず重大な結果を招いてしまう妊娠も一定数いるのだと解釈すべきですが、当然ながらさらにそのリスクを下げる努力の余地はあるわけです。
その最たるものが未受診妊婦、いわゆる野良妊婦の問題だと思うのですが、今回の死亡例の中でこうした未受診妊婦の確率が高いのか低いのかと言うことは知っておきたいですし、近年何かと話題になることの多い高齢出産や高度な生殖医療などの影響なども知りたいところですね。
一方で今回の記事を見ていて興味深く感じたのが、何故か無痛分娩を悪者にしようとしているようにも見えると言うことなのですが、記事にもあるように日本では無痛分娩の実施率は非常に低く、フランスの8割、アメリカの6割など諸外国の高い実施率に対してわずかに2.5%ほどしか行われていないのだそうで、今回の提言と併せて日本の産科医は無痛分娩がそんなに嫌いなのか?とも受け取られかねないですよね。

無痛分娩の実施率が2.5%しかないのに死亡例の4%が無痛分娩の妊婦であるなら、それは危険性が高いと言うことなのではないか?と考えてしまいそうですが、わずか40人に1人しか行われていない例外的な処置を敢えてしている妊婦さんと言うのは、心疾患など基礎疾患などがあり出産と言う大きな負荷に耐えられない可能性があると判断されたケースが相対的に多いのではないかとも想像できそうです。
そもそもお産の苦しみと言うのは全ての痛みの中でも非常に高いレベルにあって、だいたい指の切断と同程度だと言うのですが、その筋の方が指を落とすにしても普通は一瞬ですむだろうところを下手すれば延々と数十分以上も続くのだと考えると、むしろお産を無麻酔で行うのは外科手術を無麻酔で行うのと同じくらいには無謀あるいは非人道的なことなのではないか?と言う気もしてきます。
諸外国では豊富な経験があるのですから安全性などに関するデータも豊富にあるのでしょうが、いずれにせよ麻酔までかけるのですから今の時代「急変時に対応できる十分な体制」も必要なのは当然ですし、どうも今回の厚労省の緊急提言は言葉足らずで余計な誤解を招いているのではないかと言う気もするのですが、問題はそれが意図的に行われていることなのかどうかです。
今回の発表によって無痛分娩は危ないと言う印象づけが意図的に行われようとしているのだとすると、それが産科医の世界のコンセンサスに基づくのか、今回提言を行った池田教授以下偉い先生方の考えなのか、それとも記事を書いた読売以下マスコミ各社の記者達の見解なのかも気になるところですが、現場で実臨床に従事されている産科の先生方はこのニュースについてどう感じられているのでしょうね。

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2017年4月19日 (水)

医療はどこで受けても同じではないらしいと言う現実

結論はともかく現象として興味深い話として、先日こんな記事が出ていました。

医療費の地域差是正が重要課題、経済財政諮会議(2017年4月12日医療維新)

 塩崎恭久厚労相は4月12日の経済財政諮問会議で、「地域の予防・健康・医療・介護の司令塔」として、都道府県のガバナンスの強化を進める方針を表明した。個人、保険者、医療機関等の「自発的な行動変容」を促すことを目指し、制度(権限)、予算(財政)、人材、情報(データ)の面で強化し、都道府県の役割を明確化する。
 その重要課題の一つと想定されるのが、医療費の地域差是正だ。塩崎厚労相は「全国統一の審査」を進める方針を掲げたほか、同会議では胃瘻造設術や人工透析などのレセプトにおける出現頻度に関するデータも提出されており、「地域差是正」が今年6月頃にまとまる予定の「骨太の方針2017」、ひいては2018年度診療報酬改定の柱になる可能性が高まってきた(資料は、内閣府のホームページ)。
(略)
 胃瘻造設術、都道府県で2.7倍の差

 会議後に会見した石原伸晃・内閣府特命担当大臣(経済財政政策)は、会議での主要な意見を紹介。民間議員からは、「一人当たりの医療費が高い地域は、介護費も高くなる傾向にあり、健康増進や予防の推進とともに、医療と介護を一体的に改革していくべき」との指摘があった。塩崎厚労相は、「データの利活用やインセンティブ改革を通じて、保険者機能や都道府県のガバナンスを抜本的に強化する」旨の発言があり、これらを受け、安倍首相は、塩崎厚労相に対して、「この3月までに全都道府県において策定された地域医療構想の具体化に向けて、実効的な施策をスピード感を持って実施するよう指示があった」と紹介。
 医療費の地域差については、民間議員から、「胃瘻造設術や人工透析など、地域差のデータを使いながら、厚労省が都道府県に対して、ガバナンスを効かせていくべき」「医療費の地域差が非常に大きい。都道府県で関係者の協議の場を設けて、行動変化を促していく必要がある」などの指摘が上がった。「医療費の都道府県の差が顕著にある。『トップランナーの方に合わせていくことが重要』という提言も民間議員からあり、その対応についても塩崎厚労相から、『しっかりやっていく』という話があった」(内閣府事務局)。
 地域差のデータを“見える化”をしたのは、経済・財政一体改革推進委員会の評価・分析ワーキング・グループ。NDBを活用し、都道府県の人口の性・年齢構成の違いを調整し、レセプトの出現比(SCR)として指数化したデータを作成した。例えば、胃瘻造設術の場合、全国平均を100とした場合、SCRが最も高いのは沖縄県で185、最低の静岡県は69で、約2.7倍の開きがある(資料は、内閣府のホームページ)。

 厚労省が都道府県のガバナンス強化策の一つとして掲げるのが、「保険者努力支援制度」を活用したインセンティブの付与だ。国民健康保険(国保)は、財政基盤を強化するため、2018年度から運営主体を市町村から都道府県に移管する。同時に創設されるのが「保険者努力支援制度」であり、何らかの「アウトカム」を出した場合には予算上の措置を優遇するなどして、「医療費適正化の実効的推進」を図る方針。そのほか、保険者だけでなく、市町村、医療関係者、企業などが参加する「協議体」なども新設する。
(略)
 保険者機能の強化は、健保組合に対しては、後期高齢者支援金の加減算率を用いて、自発的な取り組みを促すのが柱。加減算率を法律の上限(±10%)まで引き上げる方針。目標の達成状況(特定健診・保健指導の実施率など)を指標に、実績を上げている保険者に対しては、後期高齢者医療制度に保険者が支出する支援金を減算(インセンティブ、現状は▲0.048%)、実績が上がっていない保険者に対しては、支援金を加算(ペナルティ、現状は0.23%)する。
(略)

この地域による医療費の差と言うものは以前からしばしば言われているところですが、例えば寒冷地方では冬期には「越冬入院」などと言われる習慣があり、雪に閉じ込められて身動きが取れなくなる前に高齢者を入院させておくと言うことで、こうした行為は社会的入院として次第にやりにくくなっているのは知られている通りです。
「一人当たりの医療費が高い地域は、介護費も高くなる傾向」と言う話も同様の文脈で理解出来るように思うのですが、要するに国としては過剰な医療介入はやめて適正な医療を行いましょうと言っている、そして今後はそのための手段を用意していく心づもりがあると言うことですよね。
特に高齢者の医療・介護に関しては今後レセプト審査なども次第に厳しくなっていくのではないかと思うのですが、これまでも有名なEPO訴訟などにおいてレセプト審査の是非が問われてきたところだけに、各都道府県間で統一した基準で行うとは余計な突っ込まれ処を減らすと言う意味もあるのかも知れません。

こうした国の方針の是非はまた別の話として、ここで興味深く感じたのが全国統一の皆保険制度で行われているにも関わらず地域によって医療のあり方が相当に異なっていると言う現実なのですが、先年発足した医療事故調への報告件数についても都道府県間で最大10倍の差があったと報じられていたように、医療においては地域性も確かに存在すると言えます。
個人レベルにおいてもガイドラインがこれだけ整備された時代にあっても、医師それぞれでかなり異なった治療方針がとられると言うことは珍しくないことですが、先日アメリカから出た報告では検査や処置をより多く行っても再入院率や死亡率には差がなかったと言い、DPC時代にあって余計な検査・処置を多く行うほど藪医者であると言う評価がますます固まりかねない話ですよね。
もちろん指示を出す医師にしてもそれが必要があると思うからやるのであって、必要がないと判断するのはそれがなくても大丈夫だと言う自信があるとも言えますが、患者の側からするとともすれば色々な検査や処置をして欲しいと言う欲求もあるもので、今後国策に従ってレセプト上の締め付けが強化されると診療現場でまた余計な摩擦も増えてくるのではないかと言う予感もします。

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2017年4月17日 (月)

医師偏在対策と言う名目で日医が考える未来図

本日まずは少し前の話ですが、日本医師会(日医)代議員会でこんな話が出たらしいと言うことを紹介してみましょう。

「医師偏在解消、強制的な仕組み極力排除」、釜萢常任理事(2017年3月28日医療維新)

 日本医師会常任理事の釜萢敏氏は、医師の地域・診療科偏在について、「国は、開業制限、外来受診時制限など、より厳しい規制を強制的に行ったり、医師以外の職種へのタスクシフティングを導入する可能性がある」との懸念を表明、日医としては、医師の自発的な意思を尊重し、強制的な仕組みを極力排除しながら、医師偏在が解消する着地点を探っていく方針であるとした。3月36日の第139回日医臨時代議員会で説明した。

 釜萢常任理事は、日医では「医師の団体の在り方検討委員会」で議論を深めており、同時に厚生労働省の「医師需給分科会」における医師偏在解消の議論が最優先されるべきと主張。横倉義武会長も同日の代議員会で、同分科会の早急な再開を求めていた(『「医師需給分科会、早急に再開を」、横倉会長』を参照)。厚労省は「医師需給分科会」の議論を2016年10月にストップ、代わりに同じく10月に「新たな医療の在り方を踏まえた医師・看護師等の働き方ビジョン検討会」を立ち上げて議論を進めており、近く最終報告をまとめる予定。

 医師偏在対策、日医執行部で見解の違い?

 「日医執行部の考える医師偏在対策についての明確な回答」を求めたのは、奈良県代議員の大澤英一氏。質問の背景として、2016年9月20日の第1回都道府県医師会長協議会で、常任理事の羽鳥裕氏が、経済財政諮問会議で塩崎恭久厚労相による「診療所等の管理者要件として、特定地域・診療科での診療を義務付ける」との発言について、「2015年12月の日医・全国医学部長病院長会議の合同提案の一つ」と回答、2016年11月15日の第2回都道府県医師会長協議会で、常任理事の釜萢敏氏もその方針を大筋で認めるとしたものの、中川俊男氏と今村聡氏の両副会長は、「あくまで本人の意思を優先し、国の強制ではない」と答え、執行部の意見統一が図られていないことを指摘した。
(略)
 2016年11月の都道府県医師会長協議会では、国の医師偏在対策についての議論の中で、医療計画においてデータに基づく医師不足地域を設定し、医師確保目標を設定、対策の策定を行い、その上で医師不足地域での勤務経験を、保険医登録の条件としてではなく、管理者要件にする案が出されていたことから、「合同緊急提言を踏まえて、大筋認めている」と説明したとし、理解を求めた。
 その上で、釜萢常任理事は、「国は開業制限、外来受診時制限など、より厳しい規制を強制的に行ったり、医師以外の職種へのタスクシフティングを導入する可能性がある。医学部定員についても、適正な水準への修正が延期される恐れがあることから、日医は医師自ら偏在対策についての具体策を提言する必要がある」との認識から、「医師の団体の在り方検討委員会」を設置、議論を深めていると説明。
(略)

医療関係者以外からはかねて医師偏在対策の必要性が提言されていて、それを受けてと言うわけでもないのでしょうが国が医師偏在対策を検討していると言う、それに対して日医としては強制的な医師偏在対策には反対の立場であると、一見すると珍しく真っ当な主張をしているように感じられるのですが、よく見ると何やら非常に微妙な温度差も感じられる話ですよね。
特に記事にあるように国が行う偏在対策として「開業制限、外来受診制限など」をより厳しく行おうとしていて、それに対しては日医は強力に反対していくとも読める話なのですが、では例えば基幹病院勤務医を一定期間僻地送りにすることに関してはどうなのかと言われると、何やら隔靴掻痒な感のある回答であるとも言えそうです。
そしてここで注目いただきたいのが日医としては「医師の団体の在り方検討委員会」でこの問題を議論しているとされている点なのですが、その検討委員会の考え方が先日出された報告で明らかになってきています。

本庶氏、「法的根拠ある全員加盟の医師団体を」日医「医師の団体の在り方検討委員会」の報告(2017年4月13日医療維新)

 京都大名誉教授の本庶佑氏は4月12日、日本医師会の定例記者会見で、委員長を務めた日本医師会「医師の団体の在り方検討委員会」報告を説明、医師の偏在解消などを実現するため、 「行政からも独立した、医師全員が加盟する団体が必要である」と提言した。本庶氏は個人的見解として、「法律に基づいて全員加盟となっている日本弁護士会をイメージしている。日医が今のままでそのようになるのか、別の仕組みを作るかはこれからの議論」との考えを示した(資料は、日医のホームページ)。
(略)
 報告では、「行政からも独立した、医師全員が加盟する団体が必要である」と提言する一方、具体的な在り方については「委員会としてはそこまで煮詰まっていない」(本庶氏)。個人的見解として、日本弁護士会のような法律に基づいた全員加盟の組織が望ましいと説明した。
 日医と全員加盟の組織の関係については「日医が今のままでそのようになるのか、別の仕組みを作るかはこれからの議論」、現時点での日医への評価や組織の在り方については「それについては現時点でコメントできない。日医の活動は非常に幅広く、今回私が関与したのはごく一部」と述べるにとどめた。
 4項目の提言のうち、3項目が医師の偏在対策の重要性を指摘している。本庶氏は「偏在対策だけではないが、そういう問題を解決するためには全員加盟で、意思統一をして行うことが重要ではないか」と説明した。
(略)
4項目の提言
(1)職業選択の自由の下、医師が自由に診療科や診療場所を選べることは尊重されるべきであるが、公的医療保険制度においては、医師は職責の重さを自覚したうえで、自主的・自律的に何らかの適切な仕組みをつくり、医師の偏在の解消を実現していくことが必要である。
(2)(1)の仕組みをつくり、運営していくため、また、国民の医療に対する期待に応えていくためにも、行政から独立した、医師全員が加盟する団体が必要である。
(3)医師の地域偏在解消にあたっては、地域の医療事情に応じた対応が求められる。医師の団体が、大学などの関係機関との協働や行政との連携、さらには国民や若い世代の医師等も含めた討議を通じて、全国的な視野に立ちつつ、都道府県を単位とする仕組みの構築を推進していくことが重要である。
(4)現在、進められている新たな専門医の仕組みは、医師の診療科の偏在の問題に重大な影響を与える。日本医師会は、診療科偏在解消に向けて、日本専門医機構が長期ビジョンに基づく適切な専門医制度を運営するよう、さらなる関与を努めていくことが必要である。

そもそも20数万人の医師の立場が一つに統一できるなど到底考えられないと言う点は置くとして、話を素直に受け取るならば国に変わって医師全員強制加入の団体による自発的な(苦笑)医師強制配置が望ましいとしている、そしてこれは敢えて言葉を濁していますがその組織とは日医を発展的に解消し再構築される組織を考えていると言うことなのでしょう。
しかしよりにもよって今さら弁護士会のようなトンデモ組織を作るのかと、正直本庶先生の正気を疑うべきなのか年齢的な問題として捉えるべきなのか微妙な話だと感じるのですが、こういうのを大政翼賛体制とでも称するべきなのでしょうか、進歩的な方々からは何たる時代錯誤な発想かとお叱りを受けかねない暴論ですね(棒
ちなみに先の記事と併せて興味深い話として、このところ医師自身に対する調査で開業医の6割が医師は足りていると考えているだとか、開業医の7割は地域の外来診療が供給過剰だと答えていると言う調査結果もあって、こうした話を素直に解釈すれば医師偏在対策としてはまさしく国の言う「開業制限、外来受診制限など」をより厳しく行なっていくことが望ましいと言う結論になります。
日医も全員強制加入の医師団体などと夢見がちな空想に浸る前に、まずはこうした現場の声に素直に耳を傾けてみると言う姿勢が必要なのだと思うのですが、相変わらず現場の現実からは目を背け耳を塞いで我が道を行くと言うことになれば、そんな方々に誰が現場に対する強大な権限など握らせたいと考えるでしょうか。

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2017年4月14日 (金)

医師の長時間労働は応召義務が原因と国が公認

全国の病院経営者が狂喜乱舞したと言う医師の労働規制先送りですが、先日その舞台裏を伝えるこんな記事が出ていました。

医師の「働き方改革」が5年延期された理由(2017年4月12日日経メディカル)

(略)
 例えば、医療現場では救急など時間外対応をしなければならない局面が少なくないが、そこに時間外労働の上限が設けられれば人員増が必要となる。大病院の場合、億単位の人件費増も想定され、経営に大きな影響が及ぶ。そもそも地域によっては、勤務医の確保自体が容易ではない。人員増がないまま各医師の勤務時間が減ることになれば、診療の質や安全性の確保が困難になり、結果的に患者・国民が損害を被る。
 そこで医師に関しては、業務の特殊性を踏まえて残業規制の適用が先延ばしとなったわけだが、そこに行き着くまでには水面下で激しい攻防があったようだ。

 残業規制の具体策作りを進めたのは、内閣官房の働き方改革実現推進室と厚生労働省の労働基準局。だが、そこでの議論で医師の時間外労働にスポットが当たることはなかった。どちらも医療現場における医師の働き方を理解していなかったためで、無理もない。運送業や建設業とは異なり、医師の時間外労働問題はある時期まで完全にスルーされていた。
 ところが3月上旬に入り、医療提供体制や医師養成を所管する厚労省医政局が、その「穴」に気が付いた。医政局は医療現場の混乱を避けるため、実行計画で医師が残業規制の対象外となるよう関係各方面に強力に働き掛けた
 その際、医政局が持ち出したロジックは次の3つだった。第1に、医師には原則として診療を拒めない「応召義務」が課せられており、残業の上限規制によりその義務が果たせなくなる懸念がある。第2に、医師は一人前として活躍できるまでに10年以上の研鑽を必要とする職業であるにもかかわらず、人手不足という理由で安易に現場に借り出されれば、医療の質の低下を招く。第3に、自己研鑽を積むための学会への参加や研究などが「研修」か「業務」かの切り分けが難しい──。こうした理論武装が実を結び、医師の残業規制は適用が先送りされることになった。

 もっとも残業規制は、あくまで猶予されたにすぎない。今後の具体的な規制のあり方については、厚労省内に新たに設けられる検討会で議論される予定だ。そこでは、医師の勤務時間としてカウントする業務とそれ以外の業務を明確化することや、救急や分娩などは時間外労働時間規制の対象外とすることなどが議論の俎上に載りそうだ。

しかし時間外労働のいわば代名詞とも言えるような救急や分娩を時間外労働時間規制の対象外にしようとは驚くような話ですが、人間あまり無理なことを考えすぎるとこんなトンデモないウルトラC(と言う表現も古いですが)に到達してしまうものなのでしょうかね。
ちなみに昨年末に厚労省が行った「過重労働解消キャンペーン」の結果が先日公表されたのですが、主な業種の中で医療が含まれる保健衛生業の指導率が最も高く、全体平均の67%に対して実に85%の事業所で何らかの法令違反があったと言います。
こうした現状を前にかねて医師数はとにかくひたすら増やせと主張してきた某大先生なども「予算がない、医師が不足しているからという理由で、現場の医師らに犠牲を強いることは許されない」とおかんむりですが、院長補佐を務める済生会栗橋病院などはさぞやすばらしい労働環境を誇っているのだろうとうらやましく思います。
ともかくも全国病院経営者・管理者目線で見れば非常にありがたい話であっただろうこの問題先送りなのですが、今回医政局が持ち出したロジックにかなり無理を感じるところなしとしないところですし、こうした理由を元に適用延期を求めたと言うのであれば当然ながら向こう5年の期間で、これら課題が解消されるべきであると言う考えを持っていると言うことになります。

医政局が挙げた3つの理由のうち、自己研鑽のための活動を業務とするかどうかと言う点に関しては別に医療に限った話でもありませんし、今後これを業務にしないと言うことであればかえって院内の各種活動が停滞する可能性も高いのですから、いずれにせよ業務時間が増える要因にこそなれ現状より少なく計算出来るとは思えないものです。
また医療の質低下云々については定量的な評価が難しい問題ですが、すでに医学部定員の大幅増加で医学部学生の留年率が高まっている等々の弊害も指摘されており今さらな話だとは言え、いずれにせよ10年も実践力に勘定せず研鑽を積ませるだとか、増やした医師を使わずにとっておくなどと言うことは不可能であるわけで、これもあまり意味のある論点とも思えません。
そう考えるとやはり多くの人が気になるのが、医政局が医師の労働時間長期化の原因として持ち出した応召義務の扱いではないかと思うのですが、仮に他の理由なるものが何ら改善に寄与出来ず、なおかついつまでも問題を先送り出来ないと言うことになれば、この応召義務の見直しがあり得るのかどうかです。
いずれにせよ医療業界が全業種の中でもとりわけ労働環境が厳しいものであると言うことはようやく世間にも知られるようになっているわけで、その大きな理由として24時間365日いつでもと言うことを法律で義務づけられていると言うことは明らかに思えるのですが、利便性の代名詞だったファミレスや配送業などでも業務が見直されつつある時代に、医療だけがいつまでも例外扱いと言うのもおかしな話ですよね。

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2017年4月12日 (水)

臨床救急医学会が終末期患者の救急搬送について提言

終末期患者の救急と言う微妙に矛盾しているかにも見える問題に関して、先日こんなニュースが話題になっていました。

蘇生望まぬ場合、救命中止を 学会が初の提言 終末期患者、意思表示書など条件(2017年4月7日産経新聞)

 治療効果が見込めない終末期の患者が、心肺蘇生(そせい)を望まない本人の意思に反して救急搬送される現状を受け、日本臨床救急医学会は7日、本人の意思が確認できる書面と医師の指示があれば、救急隊員が心肺蘇生を中止できるとする初の提言を公表した。全国の救急現場では、心肺蘇生を望まない患者の蘇生中止手順などの統一基準はない

 提言では、終末期の患者が、心肺停止した場合に蘇生を望むかをかかりつけ医や家族らと事前に話し合い、望まない場合に作る意思表示書面を例示。119番通報を受けて駆けつけた救急隊員が書面を示された場合、かかりつけ医などの指示があれば心肺蘇生や救急搬送を中止できるとした。提言に拘束力はないが、専門家による指針が示されたことで、全国の消防隊が取り入れる可能性がある。

 終末期の救急搬送をめぐっては、平成25年度の調査で、一定経験を持つ救急隊員295人中16%に当たる47人が「心肺蘇生を望まない本人の意思表示書面を提示されたことがある」と回答。しかし救急隊員は患者の救命を行うのが原則で、蘇生を望まない本人や家族の意向との間で、対応に苦慮する例が増えている。

 学会の坂本哲也代表理事(帝京大医学部付属病院長)は「心肺蘇生を望んでいないなら119番通報しないなど、終末期の救急車の使い方について国民で考えてほしい」としている。

「悩み解消しない」 法整備求める救急現場(2017年4月10日共同通信)

 日本臨床救急医学会が7日まとめた蘇生措置を中止する場合の指針について、各地の救急現場からは「これだけでは悩みは解消しない」「訴訟などのトラブルになる可能性を考えると、法的な整備が必要」といった声が上がった。

(略)
 東京消防庁のデータ(2015年)では、心肺停止状態で搬送された患者のうち1カ月後も生存していた人は5・1%にとどまる。しかし、総務省消防庁の基準で救急隊は応急処置を行うことが原則と定められており、蘇生中止に対する現場の抵抗感は強い。
 秋田市消防本部の担当者は「うちでは蘇生を希望しないという書面があっても、人工呼吸と胸骨圧迫による心臓マッサージは行うと決めている。家族にも救急業務としてやらざるを得ないと説明している」と話す。
 那覇市消防局の担当者も「国から正式に考え方が示されない限り、今回の指針ですぐに運用を見直すことにはならないと思う。今と違う対応になるとしたら、正直、戸惑いはある」と漏らした。

 本人の意思と医師の指示が確認できても、家族が納得しない場合も想定される。学会の指針と同様の運用を既に取り入れている広島県の担当者は「家族の誰かから『なぜ中止したのか』と後で言われてトラブルになる可能性は残る。法律面まで含めてさらに突っ込んだ検討がされないと、悩ましさは消えない」と話した。

ちなみにこの日本臨床救急医学会なる組織、HPによれば会員が4000人強だそうですが、面白いのはそのうち医師会員は半数ほどで他はコメディカルや救命救急士などだと言いますから、この提言にしても必ずしも医師目線だけで話が出ていると言うものでもないようです。
そもそも論で言えば書面まで用意させているのに救急隊を呼ぶと言う状況に問題がありますが、本来的には坂本理事の言うように「心肺蘇生を望んでいないなら119番通報しない」と言うことが大前提なのだろうと思うのですが、一方でいざその時になって具体的に何をどうしたらいいのかと言うことを周囲の人間が理解していないと言うことも現実にあるわけです。
誰がどうやって死亡確認をするのかと言うことは事前にきちんと打ち合わせをしておかなければならないはずですが、癌などずっと継続してかかっている病気で亡くなったと言うことが明らかな場合、臨終の場に医師が立ち会っていなくても後刻になって死亡診断書を書けるにも関わらず、当事者が理解しておらず間に合わないからと救急車を呼んでしまうと言うこともあるようです。
ひどい場合には担当医師に連絡しても「今すぐには行けないから救急車を呼んでどこか病院に運んでもらって」などと言われる場合もあるようで、この辺りは終末期であるにも関わらずその時への準備があまりにも出来ていなかったと言わざるを得ませんが、今後在宅看取りを増やすと言うのであればまず改善すべき点でしょうね。

患者の自己決定権の尊重と言う考え方に基づくと、明らかに患者本人の意志に反した行為を行わうと言うのはどうなのかですが、例えば思想信条による輸血拒否の人が大量出血で救急受診した際、書面での意志表示があっても親族に連絡が取れなければ最終的には救命のために輸血を行うと言う施設も多いようです。
他方で救急隊や救急医療の担当者がこうした学会の提言で何がどう変わるのかですが、現状ではまさに後日の遠い親戚問題が勃発しかねないこと、救急車を呼んでいる=救命救急の希望があると考えざるを得ない現状があることなどから、恐らくあまり劇的な変化もないのではと言う気もします。
要するに幾ら書面を用意しようが学会が提言を出そうが救急車を呼んだ時点で救命救急処置をされる可能性は高いと言うことですが、基本的に個人の権利が尊重されるのは生きている間であって、亡くなってしまった場合は家族など生きている人間の意志を尊重せざるを得ない以上、本当に本人が処置を望まないのであればまずは家族にきちんと意志を徹底しておくことが必要なのだと思いますね。
無論こうした書面まで用意しているのですから担当医も知っていてしかるべき話なので、書式が有効なものかチェックするのと同時に家族や周囲の人間とも意志確認と段取りを徹底をしておくのも担当医の仕事となるのでしょうが、個人詳報保護などの問題がクリア出来るのであれば将来的には特に田舎などでは、地域の消防救急とも事前に情報を共有出来ていればよいのでしょうけれどもね。

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2017年4月10日 (月)

初の10万人規模の医師アンケート、厚労省が結果を公表

すでに各方面で報じられているところですが、先日こんなニュースが出ていたことを御覧になったでしょうか。

20代の医師 週平均で約55時間の勤務(2017年4月7日NHK)

厚生労働省が全国の医師を対象に行ったアンケートで、病院などに勤務する20代の医師では、1週間の勤務が平均で55時間程度に上るなど、過重な勤務実態が初めて明らかになりました。

厚生労働省は去年12月、全国の医師およそ10万人を対象に、働き方などについて初めてアンケートを行い、1万5000人余りから回答を得ました。
それによりますと、病院などに常勤している医師の1週間の勤務時間は、60代の平均が、男性で45.5時間、女性で39.3時間だった一方で、20代では、男性が57.3時間、女性が53.5時間で、若い医師ほど過重になる傾向がありました。
また、年代に限らず、60時間以上に上る人は、男性で27.7%、女性では17.3%でした。

診療科別では、救急科が最も長く55.9時間、次いで外科系が54.7時間だったほか、内科系は51.7時間でした。
このほか、当直や自宅などで緊急時の対応に備える「オンコール」と呼ばれる勤務も若い医師ほど多く、20代の医師の待機時間の1週間の平均は、男性で16時間、女性で12時間でした。
さらに、子育て中の女性の医師で、時短勤務や勤務日などの削減を希望した人のうち、実現したのは半数程度だったこともわかりました。

厚生労働省は、多くの医療現場で過重な労働が常態化していると見て、医師の負担軽減や子育て支援に向けた勤務制度の在り方を検討することにしています。

医師10万人調査、結果公表!男性医師27.7%が「週60時間以上」、地方勤務意向は44%(2017年4月6日医療維新)

 常勤勤務医では男性27.7%、女性17.3%が、「週60時間以上」勤務し、1カ月当たりの時間外労働は「過労死ライン」の80時間を超える計算になる――。
 依然として一定数の勤務医が厳しい勤務を強いられている現状が、4月6日に発表された「医師10万人調査」から明らかになった。個人による差も大きく、週の勤務時間が100時間以上に上る医師も見られた一方、常勤でも40時間未満との回答もあった

 「医師10万人調査」の正式名は、厚生労働科学特別研究「医師の勤務実態及び働き方の意向等に関する調査」(『医師10万人調査がスタート!厚労省』を参照)。厚生労働省の「新たな医療の在り方を踏まえた医師・看護師等の働き方ビジョン検討会」の議論や今後の医師需給推計の基礎データとなるため、昨年来、注目されていた調査だ。調査票は約10万人の医師に配布、回収できた1万5677人の回答を集計した。年代別などの勤務実態や勤務意向が明らかになり、政府が進める「働き方改革」にも影響し得る結果とも言える(資料は、厚労省のホームページ)。
(研究班資料による)

 週平均勤務時間を年代別に見ると、最も長いのは20代で55時間程度で、内訳は男性57.3時間、女性53.5時間。年代が上がるにつれて減少し、60代では男性45.5時間、女性39.3時間。
 診療科別では「救急科」(55.9時間)、「外科系」(54.7時間)、「臨床研修医」(53.8時間)などで長い傾向がある。一方、「精神科」(43.6時間)、「麻酔科」(49.1時間)などでは短い。
(略)
 なお、ここで言う「勤務時間」は、「診療」(外来、入院、在宅)と「診療外」(教育、研究・自己研鑽、会議・管理業務等)の時間の合計。これに「当直・オンコール」が別途加わるが、「当直・オンコール」中に行った診療等は、「勤務時間」に含めて計算している。例えば、20代の男性常勤勤務医の場合、「当直・オンコール」18.8時間のうち、待機時間は約16時間で、残る2.8時間を含めて「週平均勤務時間」(57.3時間)を計算。もっとも、「当直・オンコール」はその実態により、より多くの時間が勤務時間と見なされる場合もある一方、「診療外」の自己研鑽をどの範囲まで勤務と見なすかという問題は残る。

 本調査の概要と、主な調査結果は以下の通り。
(略)
◆勤務時間について、性別、診療科別などで大きく異なる。
・20代勤務医(常勤)の勤務時間(診療+診療外)の時間は、週平均55時間程度。これに当直・オンコールの待機時間(男性約16時間、女性約12時間)が加わる。
・勤務医(常勤)の勤務時間は、内科系51.7時間、外科系54.7時間、産婦人科50.6時間、小児科50.2時間、救急科55.9時間、麻酔科49.1時間、精神科43.6時間、放射線科51.9時間、臨床研修医53.7時間。

◆他職種との分担可能な業務について、調査した5種の業務に要する時間のうち、1日当たり平均47分を分担可能。
・「患者への説明・合意形成」、「血圧などの基本的なバイタル測定・データ取得」、「医療記録」(電子カルテの記載)、「医療事務」(診断書等の文書作成、予約業務)、「院内の物品の運搬・補充、患者の検査室等への移送」の業務に要する時間は、1日当たり約240分。中でも「患者への説明・合意形成」(82分)、「医療記録」(93分)が長い。しかし、他職種に分担できる割合は、「医療事務」(33%)、「院内の物品の運搬等」(30%)などで高く、「患者への説明・合意形成」(8%)、「医療記録」(14%)では低い。
(略)

この10万人規模のアンケート、昨年紹介しましたように初の大規模な医師の労働実態調査として話題になっていたものですが、平均値で週平均55時間と言う時間をどう見るべきかと言う考え方もあるでしょうし、当然ながら同じ医師と言っても勤務形態に大きな違いがある以上、ひとまとめに平均して論じることには意味がないと言う意見もあるでしょう。
ただそもそも何故こんなアンケートをしたのかと言うことを言えば医師需給の推計や地方の医師不足対策など様々な用途が考えられるのももちろんですが、厚労省の「労」の部分に絡めて考えればやはり昨今話題の働き方改革とも関連して、医師の労働環境の現状はどうであり今後どうあるべきかと言う議論の叩き台になることが予想されます。
その観点からすると平均値でも過労死ライン(月80時間)に迫ると言うのは決して健全な労働環境にありませんが、興味深いのは診療科はもちろんのこと医師の年齢によっても平均値がかなり大きく異なっていると言う点で、勤務形態による補正などをした上でも若手医師にしわ寄せが来ている状況なのだとすれば興味深い現象ですね。

先日は順天堂大の心外教授である天野篤先生が医師の時間外労働規制に反対するコメントを出していて、若手医師に対し「しっかり働いて、社会に還元してもらいたい」「医師の仕事を「働き過ぎ」と思うようだったら、それは医師に向いていない証し」「人よりも無理してでも頑張って、ガツガツと症例経験を積んだ人が、よりいい医師になる」等々、今どきこうまでテンプレ通りな方も…とむしろ感心しながら拝見しておりました。
また日病がまさに医師の時間外労働制限は適用除外せよなどと主張していたものですが、その日病と組んで医師の労働規制反対を主張する日医なども横倉会長が「医師の雇用を労働基準法で規定するのが妥当なのか」等々と主張していて、念願通り医師の時間外労働規制が5年先送りされたことにはさぞや快哉を叫んでいるのだろうと思います。
その猶予された5年間で日病を始め医師を働かせる側がどのような改革を目指すのかと言うことが今後の焦点になるのだろうと思うのですが、何らの実効性ある対策も講じることなく5年経っても医療は特殊だ、医師を労働者と見なすことには違和感がある等々と意味不明のロジックを振りかざしているようでは、働かされる側としてもやっていられないと言いたくもなるでしょうね。

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2017年4月 7日 (金)

地域医療構想の全国集計、入院ベッドが大幅削減

都道府県が主体となって地域の医療提供体制を決める地域医療構想について、先日全国の地域医療構想が集計された結果意外とも当然とも言える結果になったようです。

入院ベッド15万床削減 25年、医療費減へ在宅移行(2017年4月1日朝日新聞)

 2025年の医療の提供体制を示す「地域医療構想」が各都道府県でまとまり、全国で計15万床以上の入院ベッドを減らす計画となった。医療費を減らすため入院患者を在宅医療に移す流れを受けたものだが、全国で1割以上の削減が必要だ。入院に代わる受け皿づくりが急務となる。

 各都道府県がまとめた地域医療構想では、団塊の世代がすべて75歳以上になって高齢化がピークを迎える25年時点で必要となる入院ベッド数を示した。その結果を集計したところ、計約119万床だった。ただ、13年の約135万床に比べ、15万6千床余り少ない。15年に内閣官房が示した削減の目安は16万~20万床で、ほぼ近い数字になった。

 入院ベッド数が増えるのは、特に高齢者が急増する首都圏と大阪、沖縄の6都府県のみ。残る41道府県は減らす計画で、削減率は鹿児島県(34・9%減)など8県が3割を超えた

25年見通し 入院ベッド1割減 在宅推進、リハビリ利用増へ(2017年4月5日毎日新聞)

 各都道府県が医療提供体制の将来像を示す「地域医療構想」で、2025年に必要な病院のベッド(病床)数は、13年時点の134万床余りから約15万6000床、11・6%減少する見通しとなることが分かった。構想の策定に伴い47都道府県が推計した結果を、共同通信が集計した。41道府県で病床が過剰とされ、鹿児島など8県は削減率が30%を超す。
 地域医療構想は、25年に団塊の世代が全員75歳以上になるのを控え、効率的な提供体制をつくるのが目的。政府は手術や救急など高度医療に偏った病床の機能を再編すると同時に、慢性疾患を抱える高齢患者は家や施設で療養する方が望ましいとして在宅医療を推進する考えだ。医療費抑制につなげることも狙う。
(略)
 病床は機能別に(1)救急や集中治療などを担う「高度急性期」と「急性期」(2)リハビリなどに取り組む「回復期」(3)長期療養の「慢性期」--に分かれるが、急性期と慢性期を減らし、回復期を増やすとする地域が多い。
 入院が減る分、在宅医療を受ける患者は大幅に増え、約177万人に。13年より60万人ほど多くなる。

厚労省アメとムチ 地元反発も

 都道府県ごとの「地域医療構想」が出そろった。
 病床削減など経営見直しを迫られる各地の病院からは反発や懸念の声が上がる一方、国の出方を様子見するムードも。厚生労働省は資金と制度の両面でアメとムチを使い分け、超高齢社会に合わせて医療提供体制の再編を図る考えだ。
(略)
 厚労省はさまざまな仕掛けを用意した。
 資金面では、急性期からリハビリ対応の回復期に転換する場合に、費用を補助する基金を都道府県に創設。来年4月には、医療機関の収入源で生命線といえる診療報酬の改定がある。厚労省の審議会では今年1月下旬、担当課長が改定の方向性に関し「地域医療構想に寄り添う」と発言。病院団体幹部は「報酬改定で大きく誘導するのだろう。どのタイミングでどう動くか、病院はみな様子見している」と話す。
 ただ、厚労省は議論を急がせたい考えだ。個々の病院の病床削減や機能転換について、具体策を来年3月までに決めるよう都道府県に求める。

 都道府県知事の命令や勧告権限という「ムチ」も新たにつくった。例えば、稼働していない病床がある場合、知事は公的病院には削減を命令、民間病院にも削減を要請でき、従わない病院には名称公表などのペナルティーを科すことができる。
 もっとも、こうした強硬手段は地元医師会との衝突につながりかねず、大半の都道府県は消極的だ。それを見越し、厚労省幹部は1月に全国の担当者を集めた会議で、状況に応じ知事権限を行使するよう要請。プレッシャーをちらつかせた。
(略)

国としては当然ながら金のかかる急性期を減らしたい、そして入院が長期化する慢性期も削減し施設や在宅に送り返したいと言うことなのですが、今回国がそれを直接やるのではなく都道府県の権限でやらせると言うことにしたのがうまい手だったと言うことなのでしょうね。
もちろん都道府県毎の実情に応じて自由に医療提供体制を調節して下さいと言う建前なのですが、実際にはかなり強力な削減の圧力がかかっていたことは記事からもうかがわれるところであり、国としては自治体トップの責任でこうした嫌われ役を果たしていただけるなら(あくまで国にとっては、ですが)ノーリスクで医療費削減が成立すると言う計算なのでしょう。
これに加えてこのところ言われているような地域毎の医療費比較に何らかのペナルティなり目標(と言う名のノルマ)なりが加わってくるようなら一気に医療の再編が進む計算ですが、団塊世代が医療費のかかる年代に入ってくる前に医療コストを構造的に削減しておきたいと言う意味で国としても急いでいるのだろうと思います。

ただコストもマンパワーも多くを要する病院から施設へと言う流れはいいのですが、それがさらに在宅へとなれば誰が面倒を見るのかと言う問題が出てくるところで、特にかつてのように数世代同居と言うことが決して当たり前ではなくなった時代にあって、地域で老人を見守りましょうなどと言ったところで無理があろうと言うものですよね。
当然ながら病院から施設へ、さらに在宅へと言う流れの基本として、患者の状況に応じて提供する医療や介護にある程度上限を設定していくと言う考え方があるように思うのですが、人の命は地球よりも重いだとか、命は何ものにも代えがたいと言った価値観を維持するために要する社会的コストを考えると、どこかで意識の転換を図らなければならないのは理解できます。
理屈の上では高齢者医療制度と言うものが存在する以上、高齢者向けの診療報酬体系をどんどん改めることで高齢者医療のあり方も誘導できる理屈ですが、今のところこうした手法に関しては進歩的な方々を中心に反発も根強いようで、むしろ制度によらず国民や医療現場の認識の転換の方が徐々に進んできているようにも感じられるでしょうか。
いずれにしても地域内での病床数が削減されれば医療機関が受け入れられる患者数に上限が出る以上、終末期高齢者の受け入れ先探しなどは今以上に難しいものになってくるはずで、今のうちからいざその時にはどのような亡くなり方をするのかと言う想定の下に十分な手配は進めておいた方がいいかも知れませんね。

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2017年4月 5日 (水)

最近目に付いた、どこかで見たような光景

先日発生した栃木県での雪崩事故に関連して様々な報道が続いているのですが、特に目にするものとしてこうしたスタイルのものがあります。

<那須雪崩>県高体連、呼吸空間確保法を教えず(2017年4月3日毎日新聞)

 雪崩注意報が出ていた栃木県那須町の雪山で先月27日、登山安全講習会に参加した県立大田原高山岳部の生徒ら8人がラッセル訓練中に雪崩で死亡した事故で、主催者の県高校体育連盟登山専門部が、雪に埋まった際に呼吸空間を確保する生存法を周知せず、事前に表層雪崩を予測する「弱層テスト」も怠っていたことがわかった。同校関係者が取材に証言した。雪崩を想定せずに訓練が行われた結果、8人が死亡した疑いがあり、県警は関係者から事情を聴いている。
(略)
 関係者によると、座学が初日にあり、「山の魅力」をテーマに学んだが、雪崩や巻き込まれた際の対処法の説明はなかった
 雪に埋まると、雪の圧力で短時間のうちに窒息する危険が高まるため、流されている時に浮上を試みるか、口の周りを手で覆うなど呼吸できる空間を作れるかが生存時間を延ばすカギとなる。生徒らは雪崩に対する心構えがないまま訓練に参加したとみられる。

 また、雪の斜面では弱層と呼ばれる積雪内のもろい層が表層雪崩を誘発しやすく、数十センチ程度掘って弱層の有無を確かめることが危険回避の有効策とされる。しかし、関係者によると、過去の講習会では弱層テスト後にラッセル訓練をしていたが、今回は事前確認がなかった。県高体連登山専門部委員長で大田原高山岳部顧問の猪瀬修一教諭(50)は、事故後の会見で「絶対安全だと思った」としている。
(略)
 雪崩を研究している名古屋大大学院の西村浩一教授は「(弱層は)スコップで掘ればすぐに分かる。経験豊富な教諭なら確認したはず」と指摘する。【野口麗子、萩原桂菜、三股智子】

雪の性質については存じ上げないのでこの種の記事に出てくる話の正確性がどうなのかと言うことについては何とも言えないのですが、世間の報道を見ている限りではあり得ないほどとんでもないことをやらかした結果重大な事故につながったと言うようにしか受け止められない印象ですよね。
ただ過去に医療業界においても大淀病院事件であるとか、杏林割り箸事件のようにマスコミ報道と実態が真逆であったと言うケースも少なからず見聞されるだけに、果たしてどこまで信用して良いものなのか眉に唾をつけて見るしかないと言うところでしょうか。
いずれにしても大きな事故であり前途有望な若者多数の命が失われた悲劇であることから、今回の事件による教訓をしっかりと検証していく必要があるのは間違いのないところですが、マスコミなどが煽情的な報道を行うくらいならともかく、専門家がこの手の煽りに乗せられた判断を下すようになると大きな影響が出てくるものです。

巨大津波を“予見可能”と断言…女裁判長が原発賠償訴訟で引き起こした激震(2017年3月30日週刊新潮)

 被災地を歩けば、今なお大きな爪痕を残したままの、「3・11」巨大津波。6年が経った折も折、この「1000年に一度の天災」を「予見できたはず」と国を断罪する「女裁判長」が現れた。“常識外れ”の判決に、法曹界は激震。連鎖を案じる声も上がっているという。
(略)
 原発事故によって福島県から群馬県に避難した計45世帯が、国や東京電力に損害賠償を請求。2013年9月に提訴されたこの訴訟の判決が3月17日、前橋地裁で下された。
 法廷に現れた原道子裁判長は、記者が注視する中、① 国がこの津波を「予見できた」と認定し、それに基づいて、② 国が東電に対策を求めなかったことについて、国と東電に、3855万円の賠償を命令したのである。
 原発事故によって避難した住民が国を相手に起こした集団訴訟は28件進行している。前橋地裁はその第1号の判決であり、しかも国の「予見可能性」と「賠償責任」を明確に認めた。それだけに渦中の「森友学園」を押しのけるトップニュースとなったのだ。

「実は国を断罪する判決が出ることは、みなわかっていました
 と裏側を明かすのは、さる全国紙の司法記者である。
「なぜなら、原裁判長の訴訟指揮があまりに原告寄りだったからです。この訴訟は判決文が1000頁にも上るほど複雑なものでしたが、原さんは1カ月に1回という異例のペースで法廷を開きました。そのため、先に起こされていた集団訴訟を追い越し、最も早い判決となったのです。その上、今は地元に戻った原告に対しては福島に出張して尋問を行いましたし、昨年5月には、やはり福島に戻った原告4家族の家を訪問しています。理由は“現地の静けさや匂いを直接感じたい”というもの。しかも、訪問を決めたのが、昨年の3月11日という、原告を喜ばせる“仕掛け”もしていました」
 訴訟が結審したのは、昨年10月末だが、実は被告の国は「重要な資料を収集中であり、期日を延ばしてほしい」と要請していた。
「しかし、原さんは“天変地異でも起こらない限り、結審する”とこれを一蹴しました」(同)
 これだけ原告に寄り添う裁判長ならば、国にとって敗訴はまさに「予見可能性」に満ちていたというワケなのだ。

〈国と東電への警告だ〉(3月19日付朝日社説)、〈国に対する重い警告だ〉(3月18日付毎日社説)など、新聞やテレビが手放しで褒め称えたこの判決。
 彼らは被災者への“配慮”に縛られた身の上だから、率直な評価は期待できないとして、気になるのは、法曹関係者の「本音」だ。実際、
「今回の判決について、私は多々疑問があるんです」
 と述べるのは、『原発事故の訴訟実務』の著書もある、中央大学大学院法務研究科の升田純教授である。

 先に述べたように、原裁判長は、国は津波が予見可能だったとしている。その根拠は、国の地震調査研究推進本部が2002年に出した「長期評価」。これは「三陸沖北部から房総沖の日本海溝で、M8クラスの地震が30年以内に起る確率が20%、50年以内では30%」としていて、ゆえに国を叱りつけているのだが、
「この長期評価については、専門家の間でも異論がありました。つまり、さまざまな議論のうちのひとつに過ぎないのです」(升田教授)
 例えば、公益社団法人「土木学会」は当時の福島第一原発の状況で巨大地震による津波に対応可能ととれる予測を出している。結果としてどちらが正しかったかはともかく、これを含め、当時、さまざまな機関がさまざまな予測を出していたのは事実なのだ。
「つまり、予見可能性は無限にあった。では、2011年3月11日以前の状況でいずれかの調査結果によって原発への対処をしろ、と一体誰が言っていたのか。この判決は国の責任を認めるという結論が先にあったのでは。その後付けとして、数ある評価の中から裁判に合わせたものを利用したと指摘されても、仕方がないのではないでしょうか」(同)
 これがまかり通れば、国は今後、自らの首を絞めることを恐れて、災害の予測やシミュレーションを出すのを控えるかもしれない。お好きな「安全性」の確保が結果的に大きく後退する可能性を、原裁判長は“予見”しただろうか。
(略)

良くあることですが、世の中に星の数ほど予言者と言うものがいて、世界中の予言者の言うことを検索してみれば誰か一人や二人は大事件や大事故を予言していたかに見える人もいるのでしょうが、しかしそれが彼らの予言者としての能力が高いと言うことの証明になるのかと言えばまた別問題で、普通に考えると確率論のいたずらにしか過ぎないわけです。
地震予知にしても専門家が口を揃えて地震は今のところ予知できないと言っているそうですので、当然ながら地震被害がいつどこにどの程度出るかなどと言うことは誰にもはっきりしたことは言えませんし、誰かが千年に一度の大地震ならこんな被害が出ると言っていたとして、その千年に一度のためにどれだけのコストをかけられるのかと言う話にもなるのでしょう。
記事にも書いているのですがこの裁判官氏もなかなかにユニークな考え方の持ち主であるようで、興味のある方は元ソースをご一読いただければいいのですが、しかし一昔前の医療訴訟にしばしば見られたような弱者救済的な温情?判決と同様の匂いが感じられるのは気のせいなのでしょうか。
無論福島原発事故には汲むべき教訓が極めて多くあって、電源喪失に至る経緯など他の原発においても対策は万全なのか?と非常に気になる点も少なくないのですが、こうした恣意的とも取れる判決が出てくればそれに対して被告の側も自己防衛の対応はせざるを得ず、結果的により大きな将来への害悪をもたらすことになるのではないかと危惧するところです。

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2017年4月 3日 (月)

敢えて医者に任せないと言うことの意味

海外の例ですけれども、先日こんなニュースが話題になっていたのをご存知でしょうか?

「聖職者の役割は医師20人分」、クロアチア保健相の発言に非難(2017年03月27日AFP)

【3月27日 AFP】カトリックの信者が多いクロアチアで保健相が、病院で働く聖職者の役割は時に医師20人分に相当するなどと発言し、医療関係者らが強い憤りをあらわにしている。

 自ら医師でもあるミラン・クユンジッチ(Milan Kujundzic)保健相は先週、首都ザグレブ(Zagreb)の修道院で行われたクロアチアの教育と保健における宗教と政治の役割についての会合で、自身の経験として「病院で働く聖職者は時に医師20人以上に値する」との考えを示し、「聖職者の笑顔、慰めや励ましの言葉は患者と家族双方にとって無限の意味をもつ」と発言した。

 その発言を受け、同国の医師団体であるHUBOLは強い怒りをあらわにし、声明で「公共の保健医療施設は医師不足により今後5~7年のうちに崩壊する」と訴え、クユンジッチ氏の発言に対し「不足している医師4300人分を補うために聖職者215人を集めてくれないか?」と返した。

 ユンジッチ氏は自身の発言が「文脈を無視して解釈されている」と釈明。議論の主題は「宗教と政治であり、また病院に聖職者の居場所があるのかどうかについてだった」と説明し、自分の発言も「時に」と前置きしていると語った。

日本では病院内に宗教関係者が入り込んで来ることはまだ一般的とは言いがたいですが、海外では当たり前にチャプレンと呼ばれる病院付きの聖職者が院内で活動していると言うケースも多く、患者の精神的ケアの面ではとりわけ重要な役割を果たしているそうです。
その意味である種の状況下においては医師よりも宗教関係者の方がはるかに重要であると言うのは確かにその通りだろうと思うのですが、それがデフォルトであるかのように取り上げられるとどこの国でも多忙な医師らからはカチンとくる発言だと受け取られそうですし、特に医療に対して責任を持つべき立場の人間の発言としてはいささかどうよ?と感じる不用意なものだったかも知れませんね。
日本の医療は基本的に治るべき人々を低コストで効率的に治していくと言うことが得意で、特に保険診療の場合患者それぞれの個別の状態に応じて細かくアレンジすることに関しては少しばかり不得手としていますが、終末期の対応などはガイドライン通りと言うわけにも行きにくいもので、それぞれの現場で工夫しながら対応していただいているのが現状だと思います。
その点では近年看取り方にももっと多様性があっていいのではないかと言う考えも次第に広まってきていて、実際的に在宅や施設での看取りが行われるに当たっての課題なども浮き彫りになってきているのですが、関連して先日こんなニュースが出ていたことを紹介してみましょう。

「病院はお金がかかる」衰弱した父親を放置 容疑で46歳男を逮捕(2017年3月30日産経新聞)

 衰弱した父親を放置して死なせたとして、警視庁南千住署は30日、保護責任者遺棄致死の容疑で、東京都荒川区南千住の会社員、安達正富容疑者(46)を逮捕した。「お金がかかるので、病院に連れていくこともしなかった」などと容疑を認めている。

 逮捕容疑は2月25日ごろ、自宅アパートで父親の富士男さん(77)が衰弱して動けない状態になっているのにもかかわらず、放置して同月下旬ごろに死亡させたとしている。

 安達容疑者は父親と2人暮らしだった。今月29日にアパートを訪ねた親族の男性が、居間であおむけに倒れている富士男さんを発見、近くの交番に届け出た。南千住署は遺体を司法解剖して詳しい死因を調べる。

短い記事から受ける印象としては近年多い乳幼児の育児放棄などにも通じるような事件なのかなと感じたのですが、興味深く感じたのはこのニュースを終末期の看取り問題と搦めて考える方々が多かったと言うことで、やや飛躍したものにも聞こえますが「自宅での看取りは犯罪なのか?」と言った声も少なくなかったようです。
もちろん亡くなった本人が病院にかかりたいと希望していたにも関わらず、同居人が「お金がかかるから」とそれを拒否して死なせたと言うのであれば犯罪性があるのかも知れませんが、例えば本人も家族も医療機関にはかかりたくないと言うはっきりした意志があり、その上で自宅で亡くなったと言うケースもあり得る話でしょうね。
現代日本では通常体調が悪くなれば病院にかかるのがいわば当たり前であり、当たり前のことをやらずに重大な結果を招けば責任を問われると言うのも世の習いですが、皆保険制度もなかったつい数十年前までは医者にかかるのは死亡確認の時だけで、家族で看取って翌朝先生を呼びに行くと言うことも決して珍しくなかったわけです。
今回のケースではどのような事情があったのかははっきりしませんが、またぞろ進歩的な方々が「こんな悲劇が二度と起こらないよう強力な対策を推進しなければ!」などと頑張りすぎてしまうようですと、何かあれば取りあえず救急車と言った方向への揺り戻しがやってくるのかも知れませんね。

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