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2019年12月23日 (月)

立場が違えば見え方も異なるのは当然であり

医療費削減政策の一環として、さらに多くの医薬品を保険診療の対象から外そうと言う動きが報じられていますが、これに意外なところからクレームがついたようです。

生活保護の人々からなけなしの健康を奪う「医療券」のカラクリ(2019年12月13日ダイヤモンドオンライン)

 来年度から「市販薬類似薬」を公的健康保険の対象外とする検討が、政府で行われている。同様の検討は、過去数回行われては立ち消えとなっている。今回も立ち消えになるかもしれないが、現実化する可能性もある。
 もしも現実になると、生活保護で暮らす人々にとっては、特に大きな打撃だ。公的健康保険でカバーされなくなると、生活保護でもカバーされなくなる。街の薬局で医薬品を購入する費用は、健康で文化的な「最低限度」の生活費から捻出され、生活は「最低限度」以下になる
 費用が捻出できず購入できないと、病気の症状を放置することになる。いずれにしても、「最低限度」のはずの生活から何かが削られる。とはいえ、「医療が無料だから、不要な診察や検査や医薬品を欲しがる生活保護の人々」という俗説は根強い。一部に実在しているのも確かだ。

 実際は、どうなのだろうか。生活保護のもとで暮らす2人のシングルマザーと、生活保護で暮らす人々の医療にあたる1人の開業医に尋ねてみた。
 大都市に住むシングルマザーのリンコさん(50代)は、次のように語る。
「そうなったら……ウチでは医薬品を買えなくなるでしょうね。病気を悪化させて、『どうしても、病院に行かなくては』というところまでガマンして、結果として医療費を増やすことになるだろうと思います」
(略)
 病気を悪化させず、医療コストを抑制するために有効な「早期発見早期治療」からリンコさんを遠ざけているものの1つは、様々な「生活保護差別」だ。

 しかし、リンコさんとマミさんは今シーズン、すでにインフルエンザの予防接種を自費で終えている。生活保護の暮らしから、合計8000円以上の予防接種費用を負担する理由は何だろうか。
「罹ってしまったら、医療を受けるための時間や手間や体力や気力が必要です。交通費が必要かもしれません。脱水を予防する必要もありますし、栄養のあるものを食べる必要もあります。そう考えれば、まだ予防接種の方が安くつくんです」(リンコさん)
 極めて合理的な、素晴らしい危機管理だ。言い換えれば、リンコさん母娘の日常はそれほどの危機なのだ。私は言葉が出なくなった。
 なお、通院に必要な交通費は「通院移送費」として生活保護に含まれており、申請すれば後払いで精算される。しかし病気で心身が弱っているとき、「またケースワーカーに嫌味を言われるのか」と考えたら、申請できなくなるのが自然ではないだろうか。
(略)
 生活保護制度が発足した1950年、まだ国民皆保険制度は成立していなかった。医療を給付するために考案されたのが、「医療券」だった。
 生活保護制度が発足してから11年後の1961年、国民皆保険制度が施行された。このとき、生活保護の医療を国民健康保険に統合し、低所得による保険料や自費負担の減免の延長に、保険料と自費負担の「0割負担」を設定するという選択肢もあった。
 しかし実現させると、「もともと医療ニーズが高い」という生活保護の事情が、国民健康保険に持ち込まれる。保険料も自費負担も、軽減しにくくなるだろう。統合の検討は実際に繰り返されてきたが、健康保険側の抵抗によって実現しなかった。統合は無理でも、医療機関に「生活保護」という情報を与えない方法を考案することは可能だろう。とはいえ、もしも実現すると、ごく一部の「無料だから不要な医療を求める」という傾向が促進されるかもしれない。

 この危惧に対して、開業医として「貧」や「困」を抱えた多くの患者に接してきた医師の松尾徳大氏は、次のように語る。
「医療の原則の1つに、『オーバートリアージ(過度の救済)は許容されるべき』というものがあります。ですから、制限は設けない方が良いと思います」(松尾さん)
 生活保護の「医療券」制度による受診控えや治療の遅れは、医療の利用抑制につながっているかもしれない。でも結果として、健康に大きなダメージを与えがちだ。松尾さんが医師として問題視するのは、患者の健康と生活と幸福が損なわれていることだ。もちろん結果として、より多額の医療費も必要になる。
「いわゆる“不公平感”を抱く方々も多いことは承知していますが、普遍的な社会保障の1つであるということを、皆さんにご理解いただくしかないかなあ、と思っています。誰もが、当事者になり得るのですから」(松尾さん)
 今、健康保険料を支払うことができているのなら、市販薬類似薬の健康保険からの除外は「仕方ない」と受け止めることが可能かもしれない。でも生活保護の当事者が、薬を買えなくなると何が起こるのか。少しだけ、そういう毎日を想像してみよう。

医療現場の方々の実感とはかなり異なる部分もあるのではないかと思うのですが、もちろん世の中広いですからこうしたことで実際に困っていると言う方々もいらっしゃるかと思います。
ただ一般論にどんな制度であれ国民全てに久しく完璧で素晴らしいものにはならないのは仕方のないことで、そうであるからこそなるべく多くの方々に許容出来る妥協点を探すと言うのが政治の仕事でしょう。
その意味ではどこまでを保険薬の対象から外すべきかと言う議論は引き続き必要ですが、一定程度市販薬へ移行していくことについては国民負担との兼ね合いで許容される妥協点ではないかと思いますね。

この種の多くの人々は許容しているが特定の立場から見れば大問題と言うことは幾らでもあって、例えば死刑制度などは昔から繰り返し議論になっているものの、未だ廃止しようと言う具体的動きは見られません。
ある程度広く国民に受け入れられているものであれば最後は多数派の主張が通りやすいのは当然なのですが、他方では議論そのものが別れている問題も少なくなく、命に関わる問題などはその好例でしょう。
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/20150401_6.html
ただ議論そのものを進めなければ認識も深まらないのは当然なのですが、先日NHKが放送した番組を巡ってこんなクレームがついていると報じられていました。

NHK「安楽死」番組に波紋…障害者支援団体が問題視する点とは?(2019年12月20日AERA)

 医師の幇助による自殺が認められているスイスに渡った難病患者を取材したNHKのドキュメンタリー番組が波紋を呼んでいる。障害者・難病患者の支援団体が放送倫理上問題があるなどとして声明を出した。医療ジャーナリスト・福原麻希氏が問題点とその背景を取材した。

 番組は今年6月放送のNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」(詳細は後述)。放送後に障害者や難病患者の自立生活を推進する団体「日本自立生活センター(JCIL)」(京都市)が「障害者・難病患者の尊厳や生命を脅かす」として声明を出した。NHKに質問状を送り、回答を得た上で、さらに放送倫理・番組向上機構(BPO)に放送倫理上の問題の有無の調査・審議を依頼した。障害者や難病患者に、番組はどのように映ったのか。

 まずはこの番組を見た人を取材した中で聞いた、ある重度障害者の女性の声を紹介する。
 京都市在住の岡山祐美さん(39)は頭や首を支えるヘッドレストと背もたれがなければ、上半身が崩れ落ちてしまい座ることもできない。食事・寝返り・トイレなど、生活のすべてで介助が必要なため、24時間連続の重度訪問介護を利用しながら、家族と離れて一人で暮らす。
(略)
 NHKの番組では、安楽死した女性と同じ病気に罹患しているが、人工呼吸器を装着して家族と共に生きることを選んだ女性のことも紹介した。岡山さんはこう感想を漏らす。
「2人の事例が出てきたものの『重度障害者になったら死んだほうがいい』というメッセージのほうがより強く印象に残りました。私と同じような境遇の人に安楽死を誘発しないといいですが……」

 JCILが6月に公表した声明には、こんな文章が並ぶ(声明から抜粋)。
 ──私たちの中には、障害や難病による不自由な日常生活や様々に受ける差別の中で、毎日がこんなに苦しいのだったら、こんなにみじめな思いをするのだったら、死んでしまいたい、家族に迷惑をかけて生き延びたくない、などと思っている者、思ってきた者が少なからずいます。
 ──今回の報道は障害や難病を抱えて生きる人たちの生の尊厳を否定し、また、今実際に「死にたい」と「生きたい」という気持ちの間で悩んでいる当事者や家族に対して、生きる方向ではなく死ぬ方向へと背中を押してしまうという強烈なメッセージ性をもっています。

 声明を起案したメンバーで、JCILの介助コーディネーター(支援者)の渡邉琢さんはこう話す。
「日頃から障害者や難病患者は『ベッドで寝たきりのまま生きていて、どうするの』と社会から生に対する否定的なメッセージを浴び続けています。番組の影響を考えると、社会がさらにその方向へ動くのではないかという怖さや強い危機感を持ちました」


 さらに、JCILが問題視したのは、番組で放送した安楽死に至る瞬間の映像だった。医師が致死薬の点滴を処方し、女性が手首のストッパーを外すと眠るように亡くなった。それは視聴者にとって、まるでドラマのようにも見えた。
 実際のできごとをそのまま映したそのシーンは重度障害者や支援者に衝撃をもたらしただけでなく、「放送番組の倫理基準から逸脱しているのではないか」とJCILは指摘する。
(略)
 だが、NHK報道局はJCILへの回答書でスイスの自殺幇助団体の「自殺とは単純に言えない」の見解を引用してこう説明する。
 ──安楽死は実現に厳格な要件(筆者注:1.耐えられない痛みがある2.回復の見込みがない3.明確な意思表示ができる4.治療の代替手段がない)があることや医師が介在すること等、世間一般に言う「自殺」とは大きく異なる部分があるため、自殺に関する放送基準が必ずしもそのまま妥当するとは考えていません(回答書の抜粋)。
 この点について、JCILの声明公表時にコメントを書いた鳥取大学医学部の安藤泰至(やすのり)准教授(生命倫理・死生学)はこう指摘する。
番組のようなケースを『自殺ではない』とするのは合法化していくための政治的な戦略です。自殺という言葉のイメージが悪いから、言い換えをしなければならないわけです」

 安楽死合法化について、海外では1970年代からオランダや米国で議論されてきた。国内でも海外で安楽死のニュースが流れたり、医療における裁判の解説などで議論されたりしたこともあったが、全体的に安楽死の議論は端緒についたばかりとも言える。
 NHKのこの番組に取材協力をした横浜市立大学国際教養学部の有馬斉(ひとし)准教授(倫理学・生命倫理)は、合法化の問題点について、こう指摘する。
安楽死合法化賛成派の意見は『自分で死を選べるようにするべきだ(自己決定の尊重)』『痛みや苦しみから解放してあげるべきだ』などとわかりやすい。一方、反対派の障害者・難病患者が置かれている状況や合法化によるリスクは社会から見えにくい。理解されにくいから問題になるわけです」
(略)
 さらに、この番組では「患者と社会とのつながり」が出てこなかった。特に、がんや神経難病の患者には医療者による「緩和ケア」が生きる支えになる。
「NHKの番組で取りあげられた女性のような神経難病に対する緩和ケアはまだ普及していません。そのようなときに、安楽死を合法化する流れができることは危ないです」と川崎市立井田病院緩和ケア内科医長の西智弘医師は指摘する。
(略)

これまた何が正解と言うことは恐らくはなく、今後も引き続き議論が続けられていくだろう問題ですが、世界的に見ればこの種の安楽死への需要は決して少ないものではなく、合法化されている国も出てきています。
難病であれその他の事情であれ自分から死にたいと思う人は多数派ではないのだろうし、多数派であるべきでもないでしょうから、きちんとした社会的サポートが用意され生きていけるような環境が望ましいのは当然です。
ただその上でもやはり考え方の個人差はあるので、こうした番組こそ待ち望んでいたと言う人も一定数はいるはずなのですが、そうした考え方自体をあるべきものではないと否定するのも少し偏っているように思いますね。

冒頭の記事なども生活保護受給者の一面を丹念に取材し記事にしているのでしょうし、その意味で現場の実情の少なくとも一側面を切り出したものと言えますが、また別の実情も少なからずあるとも言えます。
NHKの当該の番組は残念ながら拝見していないので内容については何とも言えませんが、安楽死を望んだ側だけを取り上げたとすればこうした批判を受ける余地はあり、少し脇が甘かったと言うべきですね。
その点ではシリーズとして逆の立場からの番組もセットで放送していればと思うのですが、放送されたこと自体は安楽死を巡る議論を一段と深めた点で有意義であったとも言え、放送の意味はあったように思います。

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コメント

ダイヤモンドにしろAERAにしろ、特定の一部の部分だけ切り取って批判する、どうしようもないクソメディア。

投稿: | 2019年12月23日 (月) 09時31分

だってAERAだもの

投稿: | 2019年12月24日 (火) 08時16分

別に全方位である必要はありませんが、自分たちも一方向で報道していると言うことを認識した上で一方向からの発信を批判出来るのかですね。

投稿: 管理人nobu | 2019年12月25日 (水) 17時29分

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