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2018年9月21日 (金)

産科無過失補償制度、報告書の公開を停止した理由

本日の本題に入る前に、医療訴訟と言うものも一時ほど大々的に取り上げられることがなくなった印象ですが、先日こんな記事が話題になっていました。

東京高裁が1審覆し約1250万円の支払い命じる 外来患者自殺で開業医有責、現場で高まる懸念(2018年9月18日日経メディカル)

 統合失調症の患者が自殺したのは主治医が適切な対応を行わなかったためだとして、遺族らが精神科開業医を相手取って起こした訴訟で、東京高裁が医師側の責任を認める判決を下した。患者側の訴えを棄却した地裁判決を覆す内容で、開業医は上告。現場からは、医師に過大な義務を課すものだと批判する声も出ている。
 「多くの通院統合失調症患者の診療に携わっている私たちとしては、この二審判決に重大な危惧を禁じ得ません。そもそも統合失調症は自殺に至るリスクの高い疾患です。(中略)私たちは、この状況で、医師の責を問うのは、きわめて過度であると感じます。こうした判決は、私たちのような医療者の実践を萎縮させます」
 これは、2018年3月に日本精神神経科診療所協会が出した声明文だ。文中にある「二審判決」が東京高裁で下されたのは2017年9月28日のこと。精神科開業医の注意義務違反を認め、損害賠償約1250万円の支払いを命じた

 事件の概要はこうだ(表1)。日本在住の中国籍の女性患者A(1971年生まれ)は2001年6月、都内で開業する医師Bのクリニックに通院するようになった。
 医師Bは、Aを統合失調症と診断し、抗精神病薬を処方していた。2007年8月には長野県に転居。その後は医師Bのクリニックに通院することは少なくなり、Bは主にAの夫Cから症状を聞いて、薬剤を処方するようになった。
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 そんな中、6月8日にAの幻聴が悪化。2日後の6月10日、Aはマンション6階から飛び降り、死亡した。

 夫Cは医師Bを被告とし、自殺予防のための緊急措置を取らなかった過失や、抗精神病薬を整理・減量化したことの過失などを主張し、慰謝料の支払いを求めて提訴。2016年2月17日の長野地裁判決では、Aの自殺再企図の可能性は精神科病棟への入院を要する「高度な危険性」とまではいえず、精神科外来における頻回・継続的な治療による対応も許容されるとして、自殺予防のための入院措置に関する注意義務違反は否定。Cらの請求を棄却した。
 だが、その後の東京高裁の控訴審では、Aの自殺防止における医師B、夫C双方の注意義務違反を認め、過失の割合を2:8とした。前述の医師Bの1250万円という損害賠償額は、この過失割合により算出したものだ。
(略)
 自殺と過失の因果関係について夫Cらは、争点1、2の注意義務違反(過失)がなければAは自殺することはなかったと訴え、自殺と過失に因果関係があると主張した。これに対し医師Bは、夫CがAの強い希死念慮をメールで訴えた5月28日の時点で仮に抗精神病薬の増薬を指示したとしても、抗精神病薬の効果発現には通常2~4週間を要すると指摘。6月10日のAの死亡までに抗精神病薬の効果が発現するには時間が足りず、Aの自殺との間に因果関係はないと主張した。また、5月28日から6月10日までの13日間は、Aの近親者で対応可能であったほか、そもそも「医師Bが夫Cに病院での診察を指導していれば自殺をしなかった」という関係すら認められないなどと訴えた。
 これに対して裁判所は、抗精神病薬の効果発現までに通常2~4週間を要するのであれば、併せて監視体制や入院措置で自殺を回避すべきであり、注意義務違反と自殺との間に因果関係がないとはいえないと判断。さらにAに対する診療態勢、監視態勢と入院措置などの不備がAの自殺を招き、Aの自殺はBとCの自殺を回避すべき注意義務違反が競合することで発生したと認めた。

 今回の控訴審判決に対し、医師側の代理人弁護士の成田茂氏(日比谷共同法律事務所)は、裁判所の過失の解釈に疑義を呈する。「通常の裁判では、過失の『具体的行為』を記載してその行為を行ったこと、もしくは行わなかったことの過失を判断する。これに対し、控訴審判決は注意義務違反のある具体的診療行為を特定せずに、『Aに対する診療態勢、監視態勢と入院措置などの不備』というあいまいな概念だけで注意義務違反を肯定した」と指摘。具体的診療行為について注意義務違反の存否を論じる必要があるとする判例の考え方から逸脱しており、診療行為における過失の解釈に重大な過誤があるとしている。2018年3月に、上告する旨を記した書類を最高裁に提出した。
 では、現場の精神科医はどう捉えたのか。精神科の開業医として30年以上のキャリアがあり、数多くの統合失調症患者を診てきたある精神科医は、「外来診療で、患者の自殺に対する医師の責任を問われたことに非常に驚いた」と話す。「外来診療では、医師が四六時中患者を観察できるわけではなく、どちらかというと患者家族の監督責任が大きい」と考えるからだ。
 夫Cは、外来診療で抗精神病薬の調整を行うのは極めて困難で、医師BがAに対して入院を指示し、病棟の医師と連携するべきだったと主張したが、この医師によると希死念慮がある患者をクリニックで診るのは珍しいことではないという。「当クリニックの患者のうち多少とも希死念慮のある患者は2割くらい。外来でも抗精神病薬によりある程度コントロールできる」と話す。
 そのため同医師は、「今回のケースでは入院の選択肢を患者家族に提示しているのは適切な対応ではないか」とみる。また、前述の争点1で問われた投薬などの診療内容についても、「判決文を見る限り、問題はないように見える」と話す。

 医師、弁護士で浜松医科大学医療法学教授の大磯義一郎氏は、今回の判決が精神科の診療にマイナスの影響を与えることを危惧する。責任を問われることを懸念して、外来で希死念慮のある患者を診療することを避けるなど、現場が萎縮してしまうのではないかというのだ。過去の判例では、入院中の患者の自殺で病院の管理体制の不備などによる責任が認められたケースはあるが、外来患者が自殺した事例(9例)で責任が認められた例は、特殊な事例を除き、これまでなかったと指摘する。自殺リスクが高い外来患者に対し、主治医は入院措置などを講じる責任があることを初めて示した判決となった。
(略)

治療経過として妥当なのかどうかは何とも言いがたいのですが、ちょうど先日は北里大学の精神科教授が市中病院・開業医は外来対応可能なケースでも入院させたがると苦言を呈している記事が出ていました。
こうした記事が出るくらいですから不安だから入院対応、高次医療機関紹介と言った対応がかなり頻繁に行われているのでしょうし、言ってみれば現場でのリスク管理の意識はかなり滲透していると言うことでしょうか。
そんな中で市中開業医としてかなり頑張った結果がこうした悲劇的な結末に至ったのだとすれば報われない話ですが、ともかくも不幸にしてお亡くなりになった患者さんのご冥福を祈るしかありませんね。
さて話は変わって、2009年に開始されたのが産科無過失補償制度ですが、その運用に関連して気になる側面が出てきていると言う話を、医療訴訟のベテランである井上清成弁護士が先日訴えていたそうです。

産科医療補償制度の「要約版」、なぜ公表停止?日本産婦人科協会シンポ、「重度脳性麻痺訴訟の提訴は急増」(2018年9月9日医療維新)

 一般社団法人日本産婦人科協会のシンポジウムが9月8日、「日常診療に必要な法的対策を考える」をテーマに開催された。弁護士の井上清成氏は、産科医療補償制度をめぐる最近のトピックスとして、日本医療機能評価機構が原因分析報告書の「要約版」のホームページ上での公表を8月1日から停止したことを紹介した(同機構のホームページを参照)。公表停止自体は一定の評価をする一方、井上氏は2009年1月の制度開始から10年目に入った同制度の後半期は、前半期に比べて「重度脳性麻痺訴訟の提訴は急増している」と警鐘を鳴らした。

 井上氏は、2017年5月30日の改正個人情報保護法の施行に伴い、「要約版」の公表については、妊婦等から明示的な同意を得る必要が生じたが、現在の産科医療補償制度では同意を得ていないことが公表停止の理由であると説明。井上氏は、同機構が改正法施行から1年2カ月、放置していたことを問題視した。
 「要約版」を公表された分娩施設は、匿名化されても特定し得ることから、産科医らが精神的なダメージや風評被害を受けるケースもあり、日本産婦人科協会は、事務局長の池下久弥氏らが中心となり、かねてから公表を問題視してきた(『産科医療補償制度、訴訟の増加を招く』などを参照)。ようやく公表停止になったことから、井上氏は「産科医療補償制度の失われた10年」と称した。
(略)
 原因分析報告書作成後、カルテのコピー等を廃棄すれば、「要約版」は「要配慮個人情報」に該当しなくなる。「要約版」の公表は、再発防止が目的の一つ。「再発防止だけを考えたら、カルテのコピー等を分娩施設に戻したり、廃棄すればいい。しかし、同機構が廃棄等をしないのは、“リピーター”の分娩施設を特定するなどの狙いがあるからではないか」と井上氏は見る。
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 一方で、「一般には、重度脳性麻痺の訴訟は、産科医療補償制度により減少していると流布されているが、何の根拠もない。日本医療機能評価機構も、『産科の訴訟は減少』と言っているが、『重度脳性麻痺の訴訟が減っている』とは言っていない」(井上氏)。

 「重度脳性麻痺訴訟の提訴は急増」の根拠としたのは、2013年11月27日の日本医療機能評価機構産科医療補償制度運営委員会「産科医療補償制度の見直しに係る報告書」と、日本産婦人科医会会報の2018年5月号の掲載データ。補償対象事例のうち重度脳性麻痺に関する紛争(損害賠償請求事案)は、(1)制度の前半期(2009年1月から2013年5月末までの4年5カ月)は33件、うち提訴事案は17件、(2)制度の後半期(2013年6月から2017年12月末までの4年7カ月)は64件、うち提訴事案は34件――と、約2倍になっている。
 最高裁判所のまとめによると、2000年代に入り、医療訴訟の新規提訴件数は増加、2003年1003件、2004年1110件と2年連続で1000件を超えたが、2005年以降は減少傾向にあり、今は700~800件台で推移している。産婦人科に限った新規提訴件数は公表していないが、既済(裁判が終了)件数は、2009年から2013年までの5年間は370件、2014年から2017年までの4年間は216件で、4割弱減っている。
 「医療訴訟全体のトレンドとして、件数が減っている中で、産科医療補償制度が浸透した後半期になって、重度脳性麻痺の訴訟件数が増えている」と井上氏は指摘。そもそも産科医療補償制度は、「紛争の防止・早期解決および産科医療の質の向上」にあることから、制度の改善策を講じる必要性を指摘した。
(略)

無過失補償制度に関しては一つには報告書が公開されることから再発防止と言う目的が形骸化するのみならず、場合によっては責任追及に転用されるのではないかと言う懸念が当初から指摘されていました。
この点で重度脳性麻痺の訴訟件数が増加しているのは憂慮すべき事態ですが、他方で全体としての訴訟件数は減っているという点をどう解釈すべきかで、好意的に取れば補償制度が機能している可能性があります。
ただ患者や遺族側にとっていわば訴訟の窓口にあたるのが弁護士ですが、当然ながら弁護士としても勝てる見込みがない裁判を勧めるとは思えず、この点で報告書が一つの判断材料になる可能性はありますね。

経過を知っている患者側からすれば、自分達のケースだと同定することはかなりの確率で可能であるとも思われますが、関連して記事にもあるように制度が浸透し始めてから訴訟が増えていると言う指摘が気になります。
要するに患者サイドがこうした報告書があることや、その活用法について学んだ結果訴訟が増えているとなれば制度本来の趣旨とはかけ離れた話であり、報告書の公開停止もやむなしと言うしかありませんね。
また医療訴訟の件数の増減だけではなく、原告勝訴率すなわち医療側敗訴率がどうなっているのかも気になりますが、いずれにせよ健全な制度運用にあたっては弁護士サイドの立場も極めて重要でしょう。

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