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2018年7月11日 (水)

LGBTを巡る最近の話題

まあそうなのだろうなと感じる話でもあるのですが、少し前にこういう興味深い記事が出ていました。

LGBT問題 このままでは当事者たちの居心地は更に悪くなる(2018年4月21日NEWS ポストセブン)

 少数者(マイノリティ)への差別や偏見はよくない。現代社会なら、誰もがうなずく基本的な考え方だろう。彼らの人権を守るため、当事者やその支援者たちは様々に活動している。とくにLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)の人権問題は、婚姻を法的に認める国や、パートナー制度を認める日本の自治体が増えるなか、世間の耳目を集めているテーマだ。ライターの森鷹久氏が、LGBTが注目を集めることによって起きる摩擦と、当事者の危機感について、考えた。

 東京・新宿の飲食店でユウトさん(20代)が記者と”偶然”出会ったのは、昨年の夏前頃。パートナーの男性と一緒に酒を飲んでいたところ、仲間に入れてくれ、といって間に入ってきたのは大手新聞社の記者を名乗る女性だった。
「酔った様子もなく、店に入ってきてからすぐ、僕らのところにやってきたので”アレ?”とは思いましたが……」
 そこは、ゲイの人たちが多く集うことで知られてはいるものの、異性愛者や女性も受け入れる店だったため、誰でも観光気分で楽しみにくることでも有名な場所だった。とはいえ、知人でもないゲイカップルにずかずかと近づく女性客は珍しい。ところがその女性記者は初対面にもかかわらず、どんどん酒を勧めてきて、二人に関することを根掘り葉掘り聞いてきた。互いに秘密にしていること、あえて聞かずにいたことなど、問われることで気まずい雰囲気になっていることもお構いなしに質問を浴びせつけてくる。そして最後に、こう言って笑い飛ばしたのだ。
「LGBTいいですよね、と言ったんです。レズビアンやゲイが”いい”とはどういうことなのか、僕らはポカーンとしちゃいましたが、その時は”理解者だ”と思って、彼女のことを受け入れました。しかし……」

 この女性記者の「いいですね」発言の真意は、その直後にいやでもわかることとなった。
「その後すぐ、ゲイカップルとして取材を受けてくれないかと、電話が来ました。気は乗らなかったですが、パートナーにも相談して……と返すと、二時間くらいでしょうか”あなたたちが声を上げないから国が良くならない”みたいなことを延々と説得されました。なんか、僕たちが悪者扱いされているようで不快でした……」
 結局、ユウトさんはこの女性記者からの申し出を断ったが、何度も受けた「説得」はもはや、脅迫ともいえるような高圧的なもので、とてもユウトさんたちのような性的少数者に「寄り添う」モノではなかったと回想する。
「”いいですね”というのは、取材対象として、またネタになる存在としていい、ということだったんでしょう。取材を受けない、と言った途端にパタッと連絡は止みました。しばらくしてまた連絡が入り”顔出しの取材”を受けてくれる人を紹介してくれ、としつこく言われました。最後は”顔出しでしゃべらないと意味がない”とか”(取材を受けないと)いつまでたっても社会に理解されない”とまで……」
(略)
 LGBTに限らず、最近はマイノリティの存在と権利を訴える動きが盛んだ。ユウトさんも、人権を守り、偏見や差別をなくそうという思いはもちろんある。だが、マイノリティと呼ばれる当事者には、一人ひとり異なる思いがあり、問題への取り組み方も人によって違うのに、声の大きな人が自分の運動の仕方に無理に巻き込もうとする動きが強くなっていることが、かえって世間の反感を買うのではないかと不安を抱いている。
「性的少数者だけでなく、ニューカマーの外国人問題だってそうです。多様性は重要だけど、そのことを利用して自分とどう関わりがあるのかよくわからないデモへの動員をかけたり、インタビューを受けさせられて、政治家への不満を答えさせたりするパターンが多い。そこでは、なぜか顔出しや自身のプロフィールをさらけ出せ、と半ば強いるように求められる。記者が僕たちに寄り添い、話を聞いてくれて、匿名の同性愛者の声として記事を書いてくれれば、それだけで嬉しいと思ったはずです。でもそこには必ず顔出しなどの”前提”がある。これがわからないんです。結局あなたたちは何がしたいのか? いいように使おうとしてませんか? と」
 前出の女性記者は、自分の記事を特ダネにしたいという欲望のために、マイノリティの人権のために戦うべきだという理屈を振りかざしてきたと感じたユウトさん。ユウトさんは断ることが出来たが、しつこく食い下がられて断り切れず、不本意な形で世間に向けてカミングアウトさせられた人がいる可能性もある。なかには、考えてもいなかった政権批判に結びつけられた記事に利用された人もいるかもしれない。
(略)
「とある番組に出たゲイの知人が話していたんです。”こういった人たちがいるのだ”で終われば済む話が、マスコミへの出方、報じられ方によって必要以上にセンシティブで腫物のような存在として社会に認識されてしまい、やはり打ち明けるべきではなかった、やはり社会は私たちを受け入れてくれなかったと、間もなく絶望しなければならないかもしれない、と」
 ユウトさんの知人は、某番組の出演前に、ディレクターから「オネエな感じを強調して」「白い目で見られたエピソードを多めに話して」などとアドバイスを受けていた。「私はゲイです」だけでは弱く、そこにドラマティックで、かつ虐げられているようなエッセンスを取り入れないと、番組が成り立たない、そう間接的に説明されたのだ。
「LGBTを知ろう、受け入れようという動きは、どちらかと言えば歓迎すべきこと。でも、LGBTであることを白状させようとか、政治家に文句を言うべき、国のダメさを訴えろ、と強要してくるようなことになってはいないか。それでは結局、性的少数者は以前より居心地が悪くなってしまいそうですね」

(略)

LGBTに限らずマスコミがよく使う手法で、時にマッチポンプなどと呼ばれるものですけれども、他方ではこうしたマスコミの取り上げ方を利用して声を大きくしてきた進歩的な方々もいらっしゃったのは事実です。
しかしそうしたお約束の流れに乗りたがらない人も増えてきていて、昨今ではマスコミではなくネットやSNS経由の方が自分の声を直接誤解無く届けられると考える人も多いようですが、マスコミとしては面白くないでしょう。
結果的によりセンセーショナルにネタとして取り上げる傾向が増強しているとも言え、社会的少数派であり、誤解を受けやすい立場の方々ほどマスコミとの付き合い方を考えるべき時期だと言えるのではないでしょうか。
さて話は変わって、こちら以前から個人的に関心を持っている問題なのですが、先日再度炎上していたと報じられていました。

「小児性愛者は認められるべき」TEDでの発言が大炎上! ペドへの社会的偏見が露呈、LGBTと同じ性的指向の1つか議論紛糾!(2018年6月27日トカナ)

 今年5月5日、ドイツ・ユリウス・マクシミリアン大学ヴュルツブルクで開催された講演会「TEDx」に登壇した医学生ミリヤム・ハイネさんが、「小児性愛者の社会的認識は変わらなければならない」と主張、大きな話題になっている。

 TEDxとは世界的講演会「TED」のフランチャイズ版講演会であり、世界各国で開催されている。ハイネさんのスピーチはTEDxの公式YouTubeアカウントで一度公開された後、削除された。そのためスピーチの全容を確認することはできないが、米超保守派オンラインメディア「Breitbart」(6月22日付)が、その概要を伝えているのでご紹介したい。
 スピーチでハイネさんは「小児性愛は自然であり、変えることのできない性的指向」であると主張、「幼児への性的虐待は間違っているが、何もしていない小児性愛者の存在は認められるべき」だと語ったようだ。さらに、これまでの科学的調査により、幼児への性的虐待を犯した小児性愛者らは強い社会的孤独感を抱えていることが判明していると指摘。小児性愛者であるとカミングアウトできない状況では、彼らを助けることができないとも。
 小児性愛者容認ともとれるハイネさんの発言に批判の声が集まり、TEDは火消しに追われた。しかし、ハイネさんの発言は本当に「Ideas worth spreading(広める価値のあるアイデア)」(TEDの標語)ではなかったのだろうか? 

 性的マイノリティを表す「LGBT」に代わり、それにペドファイル(小児性愛)・ズーフィリア(動物性愛)・ネクロフィリア(死体性愛)を加えた「LGBTPZN」という新しい概念が、2016年よりネットを中心に使用されている。これはもともと、性的指向という点においてホモセクシャルなどは小児性愛者やズーフィリアと変わらないという反LGBT的な意味でポーランドの保守的なキリスト教徒が造語したものだが、現在日本では小児性愛者を中心に肯定的な意味で使用される場合が多いようだ。ただ、反LGBT的な意味合いを持つことからも分かる通り、ハイネ氏のスピーチが猛バッシングを受けたのと同様、「LGBTPZN」に反発する人は少なくない
 しかし、歴史的に反LGBT的な意味の言葉だとしても、それとは独立に意味ある問いを提起する力がこの概念にはあるだろう。つまり、性的多様性の認知のために生まれたはずの「LGBT」というカテゴリーが、性的マイノリティである「PZN」に反対するとはどういうことか、という問いである。一つの回答は、「LGBT」がヘテロセクシャル(異性愛)の絶対性という社会的規範を打ち崩そうとするうちに、自分自身が次なる規範と化してしまったというものだろう。「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ」。ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの警告がこのことを如実に表している。

 そして、ハイネ氏のスピーチを非難する人たちも同じように規範を持っていると考えられる。「小児性愛者の存在を認めてはいけない」という強固な規範である。だが、以前トカナでもお伝えしたロリコン紳士トッド・ニカーソン氏のように、どうしても幼い少女に対する気持ちを捨てられないものの、その欲求と格闘している極めて道徳的な人物も存在する。ハイネさんもスピーチの中で「幼児虐待は疑いなく間違っています。しかし、幼児を虐待しない小児性愛者は何も間違ったことはしていません」と語っているように、小児性愛という性的指向そのものは決して断罪されてはならないだろう。もし特殊な性的指向そのものを認めないということになれば、ヘテロセクシャルの絶対性への回帰でしかない。今後、小児性愛者の存在を巡って理性的な議論が巻き起こることに期待したい。

この問題に関しては以前から断続的に取り上げて来たところなのですが、LGBTの方々の大多数が善良で無害な存在であるのと同様、小児性愛者の大多数もまた善良で無害な存在であると言われます。
ところがLGBTの権利擁護が全世界的に広まりつつある一方で、何故か小児性愛への弾圧とも言える態度はますます増強しているようなのですが、反対派は小児性愛の正当化自体を否定する立場であるようです。
これはまさにLGBT肯定派が否定派に対してそうあってはならないと主張しているスタンスそのものだと思うのですが、どのような理屈で特定性癖に対する攻撃だけを正当化できるのかに興味がありますね。
LGBTの権利擁護を叫んできた進歩的な方々が今後小児性愛者の存在正当化にも尽力いただけるものと思いますが、個人的にはとある雑誌に掲載されていたと言うシンプルな文言が妙にしっくりきましたね。

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コメント

キモ
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56389

投稿: | 2018年7月11日 (水) 07時54分

結局、性的マイノリティーに関しては「これまでの」我が国のスタンスが最も最適解だったんですよ。どうしてパヨどもはこういう余計な事だけ立派にやり遂げるんだ…?
*答:特アの手先のおフェラ豚だからw

単純所持すら違法になっちまったんで泣く泣く廃棄せざるを得なかったオレの倉橋のぞみ写真集返せw!

投稿: 10年前にドロッポしました@毎日が夏休み | 2018年7月11日 (水) 09時49分

一部に悪人がいるからと言う論理で特定マイノリティを規制することは確かに判りやすいのですが、それだけに応用範囲が広くなりすぎるきらいはあると思います。

投稿: 管理人nobu | 2018年7月11日 (水) 17時10分

というか、最終的にはマスコミが差別対象になるんじゃないんスかね?
完全に自業自得だと思いますし、差別っつーか「人間のクズには誰も関わりたくねえ」ってだけの話ですが。

投稿: | 2018年7月13日 (金) 06時54分

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