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2017年9月13日 (水)

個人と権利と責任の在り方のバランスとは

NHKで興味深いニュースが出ていたのですが、まずはこちらの記事から御覧いただきましょう。

梼原町が患者遺族に損害賠償(2017年9月12日NHKニュース)

梼原町にある町立梼原病院で6月、入院していた80代の男性が昼食をのどに詰まらせて死亡し、町は、当時介助する職員がそばにいなかった過失を認めて遺族に2500万円あまりを賠償することになりました。

梼原町などによりますと6月11日、町立梼原病院に入院していた80代の男性患者が昼食に出されていたおかゆなどをのどに詰まらせてまもなく死亡しました。
男性はその4日前に誤えん性肺炎のため入院していて食事などの時には看護師による介助が必要だったということです。
しかし町などによりますと、看護師は当時ほかの患者に対応するために男性のそばから離れていたということで当時、食堂には看護師は1人もいなかったということです。

町は看護師が目を離した間に男性が自分で昼食をとって詰まらせたと過失を認め、遺族に対して2544万円の損害賠償を行うことを11日開かれた議会で可決しました。
また病院は、患者が食事をとる際には食堂に看護師を少なくとも1人配置するなどの対策をとったということです。
町立梼原病院の池田幹彦院長は「注意不足から重大な事故を起こしご遺族におわびします。人員の配置を見直すなど再発防止に取り組みます」とコメントしています。

お亡くなりになった方はまことにお気の毒であったとお悔やみ申し上げるしかないのですが、先日紹介しました介護施設での誤嚥死亡事件以上にこれも様々な議論を呼びそうな事件ではあり、事実各方面に大きな反響を呼んでいるようです。
嚥下能力の低下し食事も自力で取れない高齢者への賠償金として2500万円と言う金額が妥当なのかどうかは議論が別れるところですが、これが裁判所の命じた判決であればいわゆる見舞金的賠償金ではなく、かなり重大な過失を認定した金額になるのだろうと思います。
町としてはそれに相当する過失があったと判断したと言うことなのかも知れませんが、こうした非常に小さな自治体では町民全員の関係性が非常に濃いのが普通ですから、単純に客観的基準だけではなく何らかの忖度が働いた結果である可能性もあるでしょうか。
いずれにせよ檮原町立病院では今後こうしたレベルの対応を行っていくと言う方針であるとして、こちらどのレベルの対応が妥当なのか判断が分かれていると言うもう一つのニュースを紹介してみましょう。

人工呼吸器でもスクールバスに 児童と父親が人権救済申し立て(2017年9月11日NHKニュース)

人工呼吸器を常に装着する必要がある児童や生徒をスクールバスに乗せることについて、神奈川県教育委員会が安全管理が難しいとして認めていないことに対して、県内の特別支援学校に通う難病の児童と父親が日弁連=日本弁護士連合会に人権救済の申し立てを行いました。
申し立てを行ったのは、先天性の筋肉の難病があり、神奈川県内の特別支援学校に通っている綾優太くん(7歳)と父親の崇さんです。

申し立てなどによりますと、神奈川県教育委員会は去年12月、人工呼吸器の装着が常に必要な児童や生徒について、車の走行中にたんの吸引が必要になる場合などがあり安全管理が難しいとして、スクールバスに乗せないよう県立の特別支援学校に通知しました。
これに対して、優太くんと崇さんは「集団生活のルールを学ぶ機会が奪われるなど、教育を受ける権利が侵害されている」として通知の撤回などを求めて、日弁連に人権救済の申し立てを行いました。

崇さんは会見を開き「対応の理由がわからず、納得できない」と訴えました。
一方、神奈川県教育委員会特別支援教育課の横澤孝泰課長は「高度な医療が必要な児童や生徒が通学するケースは増えてくると考えられ、子どもの命を最優先に保護者の要望も受けて対応を検討していきたい」と話しています。

実際に患児の状況がどのようなものであるかは何とも言えませんが、先天性の筋肉の病気と言いますから呼吸器を装着し自己吸痰が出来ない状態と考えられ、車中に限らず痰詰まりが発生した際には誰かの介助を必要とする状態だと言えそうです。
この状況で第三者が勝手に吸痰など行っては無資格で医療行為を行うことになりますし、ましてスクールバスであれば運転手が運転を放り出して吸痰と言うわけにもいきませんし、他の学童にさせるわけにもいきませんから、毎日命のリスクを背負わせてスクールバスに乗せると言うことにもなりかねません。
この問題については今後どのような結論が出るのか注目していきたいですが、冒頭の記事などと照らし合わせて考えた場合、やはしより多くの権利を主張するほど取るべき責任を考え、受け入れられるための条件が厳しくなっていくと言う現実は確かにあるのだろうと思います。
この辺りはどこまでを許容しどこまでを求めているのかは人それぞれに異なっているのでしょうから、可能であれば権利と責任の範囲について各個人が選択出来るようになればいいのでしょうけれども、限定された責任の取り方に後で納得出来るかどうかですよね。

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コメント

昔はよかったけど今はだめってことたくさんあるからね
スクールバスに乗れなくなったのも時代の流れってことだろうね

投稿: | 2017年9月13日 (水) 08時29分

特別支援学校ですから要介助の学童が他にもいるのではないかと思うのですが、どこまでのサポート体制を整えるべきかは実際難しい判断だろうとは思います。

投稿: 管理人nobu | 2017年9月13日 (水) 17時48分

個人的には、集団生活のルールを学ぶ機会が本当に必要なのであれば、それは通学中ではなく登校後の学校内で用意すればいいのではないかと思います。

投稿: クマ | 2017年9月14日 (木) 13時58分

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