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2017年4月 3日 (月)

敢えて医者に任せないと言うことの意味

海外の例ですけれども、先日こんなニュースが話題になっていたのをご存知でしょうか?

「聖職者の役割は医師20人分」、クロアチア保健相の発言に非難(2017年03月27日AFP)

【3月27日 AFP】カトリックの信者が多いクロアチアで保健相が、病院で働く聖職者の役割は時に医師20人分に相当するなどと発言し、医療関係者らが強い憤りをあらわにしている。

 自ら医師でもあるミラン・クユンジッチ(Milan Kujundzic)保健相は先週、首都ザグレブ(Zagreb)の修道院で行われたクロアチアの教育と保健における宗教と政治の役割についての会合で、自身の経験として「病院で働く聖職者は時に医師20人以上に値する」との考えを示し、「聖職者の笑顔、慰めや励ましの言葉は患者と家族双方にとって無限の意味をもつ」と発言した。

 その発言を受け、同国の医師団体であるHUBOLは強い怒りをあらわにし、声明で「公共の保健医療施設は医師不足により今後5~7年のうちに崩壊する」と訴え、クユンジッチ氏の発言に対し「不足している医師4300人分を補うために聖職者215人を集めてくれないか?」と返した。

 ユンジッチ氏は自身の発言が「文脈を無視して解釈されている」と釈明。議論の主題は「宗教と政治であり、また病院に聖職者の居場所があるのかどうかについてだった」と説明し、自分の発言も「時に」と前置きしていると語った。

日本では病院内に宗教関係者が入り込んで来ることはまだ一般的とは言いがたいですが、海外では当たり前にチャプレンと呼ばれる病院付きの聖職者が院内で活動していると言うケースも多く、患者の精神的ケアの面ではとりわけ重要な役割を果たしているそうです。
その意味である種の状況下においては医師よりも宗教関係者の方がはるかに重要であると言うのは確かにその通りだろうと思うのですが、それがデフォルトであるかのように取り上げられるとどこの国でも多忙な医師らからはカチンとくる発言だと受け取られそうですし、特に医療に対して責任を持つべき立場の人間の発言としてはいささかどうよ?と感じる不用意なものだったかも知れませんね。
日本の医療は基本的に治るべき人々を低コストで効率的に治していくと言うことが得意で、特に保険診療の場合患者それぞれの個別の状態に応じて細かくアレンジすることに関しては少しばかり不得手としていますが、終末期の対応などはガイドライン通りと言うわけにも行きにくいもので、それぞれの現場で工夫しながら対応していただいているのが現状だと思います。
その点では近年看取り方にももっと多様性があっていいのではないかと言う考えも次第に広まってきていて、実際的に在宅や施設での看取りが行われるに当たっての課題なども浮き彫りになってきているのですが、関連して先日こんなニュースが出ていたことを紹介してみましょう。

「病院はお金がかかる」衰弱した父親を放置 容疑で46歳男を逮捕(2017年3月30日産経新聞)

 衰弱した父親を放置して死なせたとして、警視庁南千住署は30日、保護責任者遺棄致死の容疑で、東京都荒川区南千住の会社員、安達正富容疑者(46)を逮捕した。「お金がかかるので、病院に連れていくこともしなかった」などと容疑を認めている。

 逮捕容疑は2月25日ごろ、自宅アパートで父親の富士男さん(77)が衰弱して動けない状態になっているのにもかかわらず、放置して同月下旬ごろに死亡させたとしている。

 安達容疑者は父親と2人暮らしだった。今月29日にアパートを訪ねた親族の男性が、居間であおむけに倒れている富士男さんを発見、近くの交番に届け出た。南千住署は遺体を司法解剖して詳しい死因を調べる。

短い記事から受ける印象としては近年多い乳幼児の育児放棄などにも通じるような事件なのかなと感じたのですが、興味深く感じたのはこのニュースを終末期の看取り問題と搦めて考える方々が多かったと言うことで、やや飛躍したものにも聞こえますが「自宅での看取りは犯罪なのか?」と言った声も少なくなかったようです。
もちろん亡くなった本人が病院にかかりたいと希望していたにも関わらず、同居人が「お金がかかるから」とそれを拒否して死なせたと言うのであれば犯罪性があるのかも知れませんが、例えば本人も家族も医療機関にはかかりたくないと言うはっきりした意志があり、その上で自宅で亡くなったと言うケースもあり得る話でしょうね。
現代日本では通常体調が悪くなれば病院にかかるのがいわば当たり前であり、当たり前のことをやらずに重大な結果を招けば責任を問われると言うのも世の習いですが、皆保険制度もなかったつい数十年前までは医者にかかるのは死亡確認の時だけで、家族で看取って翌朝先生を呼びに行くと言うことも決して珍しくなかったわけです。
今回のケースではどのような事情があったのかははっきりしませんが、またぞろ進歩的な方々が「こんな悲劇が二度と起こらないよう強力な対策を推進しなければ!」などと頑張りすぎてしまうようですと、何かあれば取りあえず救急車と言った方向への揺り戻しがやってくるのかも知れませんね。

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コメント

>「こんな悲劇が二度と起こらないよう強力な対策を推進しなければ!」などと頑張りすぎてしまう

それこそ宗教施設に運び込んでボンさんだか神父さんにだかに手の1つも握って頂いて
「コハガラナクテモイヽ」と言って貰うのがよろしかろうと

投稿: | 2017年4月 3日 (月) 09時20分

そういうのどっかのお寺がやらないかな

投稿: | 2017年4月 3日 (月) 10時11分

病院へ連れてって治療にお金がかかると言われてそのまま帰って何もせずにいて
ある日死んでたら問題ないのかな?
だってお金がないのはしょうがないじゃん

投稿: | 2017年4月 3日 (月) 11時09分

お金がないのに遠慮なく受診して踏み倒し周囲を困らせる人もいるわけで、お金がないから受診を手控える人の方が悪いとは一概に言えないように思います。
ただそうなりますと「命の価値をお金の有無で差別するなんてトンデモナイ!」と言う方々の声がますます高まりそうなのですが。

投稿: 管理人nobu | 2017年4月 3日 (月) 12時35分

受診遅れの死亡58人 無保険、経済的理由で
2017年4月3日 (月)配信共同通信社

 全日本民主医療機関連合会(民医連)は31日、経済的な理由から国民健康保険料が払えずに「無保険」状態だったなどの理由で医療機関での受診が遅れ、死亡した人が2016年に28都道府県で58人に上ったと発表した。担当者は「全国の医療機関の数からみれば氷山の一角。受診遅れを防ぐため、行政などの相談体制の拡充が必要だ」と話した。

 民医連は加盟する病院や診療所など計641施設に、経済的事情などから受診が遅れて16年に亡くなった人の事例の報告を求め、回答をまとめた。58人の内訳は男性45人、女性13人だった。

 死亡した人のうち無保険は22人。保険料を滞納し、全額自己負担となる「資格証明書」の発行を受けていたのは7人、滞納で有効期間が短くなる「短期保険証」を持っていたのは5人だった。残る24人は、保険証はあったが自己負担分の医療費が払えない人など。

 雇用形態でみると、無職45%、年金受給者22%、非正規雇用21%。都道府県別では、福岡の9人が最多。東京が6人、大阪、鳥取が各4人、埼玉が3人などだった。

 保険料が払えず保険証の有効期限が切れていた1人暮らしの60代の無職男性は経済的に困窮し、所持金は100円、携帯電話が止められていた。手遅れの状態で入院し19日目に死亡したという。

投稿: | 2017年4月 3日 (月) 21時41分

でも死亡診断書は医師が書かないといけないので。
どうせ呼ぶなら亡くなる前にってことになっちゃいますね。

投稿: ぽん太 | 2017年4月 4日 (火) 08時46分

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