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2016年10月 6日 (木)

増え続ける高齢者をいつどこで誰が看取るのか

本日まずは先日こんな記事が出ていたことを紹介してみましょう。

2030年には47万人が「死に場所難民」に! 病院でも家でも死ねない人が続出〈2016年9月20日dot.〉

2025年問題」という言葉を知っているだろうか。団塊世代がすべて75歳以上になり、医療・介護の提供体制が追いつかなくなる問題だ。遠い未来のように感じるかもしれないが、2020年の東京五輪から、たった5年後のことなのだ。
(略)
「2025年問題」には、社会保障費のさらなる膨張と、医療・介護の人材不足という大きな2つの問題が横たわる。今は75%の人が病院で亡くなっているが、これだけ高齢者が増えると、病院のベッドだけでは圧倒的に足りなくなる。ならば「自宅で最期を迎えたい」と望んだとしても、今のままでは在宅医や訪問看護師、訪問介護ヘルパーの数は、足りない
 だが、行政や医療関係者の動きは鈍い。対策をとろうと国や自治体、医師会などが本格的に動き出したのは、わずか数年前だ。国は、「住み慣れた地域で最期まで」をスローガンに、在宅医療・介護の充実を軸にした「地域包括ケアシステム」の構築を急いでいる。

 神奈川県横須賀市は、その中でも比較的早い、2011年度から市や医師会が中心になり「在宅療養連携会議」を立ち上げ、対策を議論してきた。地域を4ブロックに分け、拠点病院を中心に在宅医を増やすための取り組みをしたり、市民に在宅医療に関する「出前講座」を開いたりしてきた。厚生労働省の担当者も「行政、医師会、病院が一体となり在宅医療の対策を進めるのは珍しく、今後のモデルケースになる」と評価する。
 ただ、こうした「先進的な自治体」は、どちらかというと少数派だ。関東のある地方都市のベテラン在宅医は、こう愚痴をこぼす。「地方都市では、いまだに高齢化問題への対応より、ハコモノ開発のほうに予算がかけられてしまう。役所幹部や議員、医師会の意識は、低い」。こうした自治体間、地域間の意識の差をどう縮めていくかが大きな課題といえる。

 一方で、「希望の光」も見えている。こうした超高齢社会の近未来図に危機感を抱き、行動をする「熱い人たち」の存在だ。横浜市では、在宅医と介護施設のケアマネが協力し、施設での看取りを実現させた。他にも、口から食べられなくなった高齢者にとろみをつけたお酒やおつまみを提供する「介護スナック」を始めた「三鷹の嚥下と栄養を考える会」、地域のキーパーソンや医師・看護師を中心に、様々なイベントや勉強会でゆるくつながっている埼玉県幸手市、認知症の高齢者を地域ぐるみで見守る福岡県大牟田市……。各地域で、2025年問題に立ち向かおうとする「芽」が出始めている。
(略)

介護スナックと言うのはまたびっくりするようなアイデアですが、ひと頃話題になった身障者の性欲処理の問題などと同様に嚥下機能が落ちたからと言って飲酒への欲求も落ちると言うわけでは必ずしもないはずですから、言われてみればこうした需要も掘り起こせば幾らでもあるのかも知れませんね。
先日は在宅医療サービス提供の中で自宅看取りを推進している川越厚先生の「「おひとりさま」は自宅で死ぬことが可能なのか?」と言う記事を興味深く拝見したのですが、各種スタッフが入れ替わり立ち替わり毎日訪問することで在宅看取りは可能であると言われればその通りなのですが、逆に言えばその程度でいいと言うコンセンサスがあるからこそ出来ることだとも言えると思います。
独居高齢者が増えてくる今後の日本で昔ながらの家族親族一同に看取られながらと言うスタイルも非現実的ですが、誰にも看取られることなく亡くなり翌朝発見されると言うことで構わないのか?と言われると、国民の中でどれだけの人々がそれでも構わない、最後は静かに自宅で死にたいと言えるのかと言う点には興味がありますね。
いずれにせよ国としては在宅看取り推進をうたい、ともかく病院から外に出そうと様々な手段を尽くしている中で、今さら亡くなりそうになったら救急車を呼ぶと言うスタイルは財政上の制約のみならず医療リソース逼迫と言う観点からも推奨されないのは確かでしょうが、こうした諸点を勘案してか先日こんなニュースが出ていました。

特養のみとり充実を後押し 厚労省、介護報酬改定で(2016年10月3日共同通信)

 厚生労働省は30日、終末期のみとりに備えた態勢を充実させた特別養護老人ホーム(特養)の事業者に介護報酬の加算を手厚くする検討を始めた。2018年度の報酬改定に向け、議論を進める。同日の社会保障審議会の部会で提案した。

 厚労省はみとりに力を入れる特養に報酬を加算する仕組みを既に設けており、15年度の報酬改定でも内容を充実させた。だが、昨年4月から特養の新規入所を原則、要介護3以上の人に限定したことから、重度者の増加に備えて態勢を強化する必要があると判断した。

 人手が手薄な夜間・緊急時の医療など、報酬加算の具体的な条件は今後検討する。
(略)

高齢化がますます進行する中で、特養に限らず各種介護施設での看取りが今まで以上に推進されるべきだろうし、自宅は無理だが病院にまではと言う多くの高齢者やその家族にとっても妥当な落としどころではないかと思うのですが、さて実際の現場における問題点として何が予想されるのかです。
入所中の末期高齢者がしんどそうだから救急車を呼んだと言う話であれば予めきちんと関係者間のコンセンサスを形成し投薬等を工夫するなりして対応可能かも知れませんが、もう一つの問題点として日本では人が死んだと言う宣告が出来るのは医師だけであり、多くの介護施設では24時間365日いつでも急に医師を呼べるかと言えば呼べないだろうと言う点が問題ですよね。
入所者の状態が悪く家族を呼んだ、皆が揃ったところで夜中に亡くなったと言う場合、どこからか医師を呼んで確認してもらうことが出来なければ翌朝までそのまま放置しておくと言うのもいささか間の抜けた話で、この辺りは単に看取り確認目的の医師呼び出しに手厚い報酬を用意すると言うだけではなく、何かしら抜本的な制度面での工夫も必要になってくる気がします。
ちょうどこの夏には国が医師による対面での診察がなくても死亡診断書交付が出来るようにする方針だと報じられていて、これは法医学的教育を受けた看護師が報告するなど一定の条件が必要となりそうですが、明らかに犯罪性のないような場合に関してはもう少し現場の実情に応じた緩和も進めていいのではないかとも感じます。

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コメント

死亡診断だけが目的の救急搬送は禁止すべき

投稿: | 2016年10月 6日 (木) 11時01分

施設在宅に限らず亡くなるまでその環境で対応することが決まっているのであれば、いざ亡くなるという時どうするかの手順もあらかじめ決めておく必要があるのは当然だとは思います。

投稿: 管理人nobu | 2016年10月 6日 (木) 11時54分

一生懸命話し合って決めておいても、突然現れた親族がひっくり返すなどと言うことが良くありますが。

投稿: | 2016年10月 6日 (木) 21時16分

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