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2016年4月18日 (月)

医療事故調、医療業界はおおむね評価する一方で

高齢者などが紙おむつを誤嚥してしまうと言う事故は以前からたびたび起こっていて、多くは常習性があり最終的に死亡事故など重大な結果になっていることから予見性を巡って何度か裁判沙汰にもなっていることは以前にも紹介した通りなんですが、本日まずは先日都立病院で起こった同種事故の裁判における和解内容が非常に詳しく紹介されていましたが、特に被告側の反論部分を中心に引用してみましょう。

都立松沢病院紙おむつ異食死裁判、和解内容を詳報(2016年4月8日医療維新)

 東京都立松沢病院で認知症の女性(死亡時76歳)が、紙おむつを口にして死亡したのは病院の責任だとして、長女が都に約2500万円の損害賠償を求めた東京地裁(矢尾和子裁判長)訴訟は、都が責任を認めて解決金を支払うなどの内容で和解が成立した。裁判記録を基に双方の主張と和解内容を詳報する。和解は2月17日付。
※以下の内容は、原告、被告が裁判所に出した訴状、準備書面などでの主張であり、裁判所が事実として認定したものではない
(略)
【被告(松沢病院)側の主張】
1.異食による窒息の具体的危険性がなかったこと
(1)本件患者のコミュニケーション能力について
 トイレ歩行時に「自分でできることをやりたいの」「大丈夫」など職員とのコミュニケーションが取れていた。本件患者の転院に向けた調整に入っており、事故当日午後4時には患者を交えて、転院先候補である特養老人ホームの面接を行い、高印象だったとの報告がある。
(2)事故発生当時の状況
 2月11日以降は、異食はなく、3月6日18時半にもおむつを手に持っていく様子はなかった。2月11日もすぐに咳漱を促しており、翌日のレントゲン検査でも異常はなかった。このような状況から異食し窒息にまで至るとは全く予見できなかった
(略)
(5)つなぎ服着用を行わなかった経緯
 2009年頃から、連日のように転倒を繰り返しており、2009年7月から胴抑制を開始。7月9日からミトンによる拘束を開始。10月18日から上肢抑制を開始上肢抑制をすり抜けることが続き、10月31日からは一時的に終日ミトン。
 つなぎ服は自分で抜けない服を着用させるという、広い意味での身体的拘束に当たるため、病院として極力用いない方針で現在に至っている。着用に利点があるのは、身体拘束や個室隔離がなされている症例で、つなぎ服を用いることで負担が軽減される場合。異食を防止する目的で、拘束に加えてつなぎまで着用させるのは、患者にとっても負担になり、拘束をできるだけ減らしていこうという病院の目的に逆行するものであった。
(6)紙おむつ使用について
 病院では2004年後ごろから基本的に紙おむつを使用としている。頻繁に交換すること、衛生面に気を配ること、ストックのためのスペースを準備することは、困難である。メリットのある紙おむつを使用していたことに問題はない。

【和解内容の要旨】
(1)被告は原告に対し、本件診療経過を真摯に受け止め、故人に心よりの哀悼の意を示すとともに、今後ともより良い医療の実現と同様の事故の再発防止に向けて本件の教訓を生かすべく最大限努力することを約する。
(2)解決金△△△万円(※)の支払い義務があることを認める。
(3)和解の内容を(1)を除いて、正当な理由なく第3者に開示しない。
※編集部注:裁判所、原告、被告の判断を尊重し、金額はふせます。病院側の責任を一定程度、確認したとみられる金額でした。

和解の内容が妥当だったのかどうかは何とも言えませんが、こうして経緯などを報じてもらえるのは今後のためにも大いに意味のあることだと思いますので、興味のある方は元記事を全文参照いただければと思うのですが、やはり注目されるのは原告側も主張しているように、異食行動に対する抑制策が十分に採られていなかったこと自体は病院側も認めているように見える点でしょうか。
裁判における反論にしても何故そうしなかったのかと言う主張に終始していますが、実際に十数回も異食行動を取っていたとすれば胴抑制や上肢抑制など相当に厳重な抑制を取っていたにも関わらず、何故もっとも有効と思われ患者の苦痛も少ないはずのつなぎ服をそこまで忌避していたものなのか、何かしら院内での事情なりがあったのかとも想像するところです。
ちなみに件の病院は精神科医療の専門施設なのだそうで、そもそもこの種の施設にこうした認知症高齢者を長期入院させておくことも今の時代あまりよくないこととされているわけですが、予定通り施設に行っていたとしても同様の行動は起こっていたはずですが、その場合仮に同種の事故に結びついたとして遺族感情は入院中の事故と比べてどうなっていたのか興味あるところですね。
いずれにしてもこうした症例の積み重ねが医療安全の向上に役立てられなければ亡くなられた患者さんも死んでも死にきれませんが、その意味で教訓の共有としての意味づけが期待されている医療事故調と言うものについて、こんな問題点が指摘されていることが注目されます。

医療事故、少ない報告 「予期せぬ死」曖昧 病院個別解釈、遠い透明化(2016年4月10日毎日新聞)

 長年の議論を経て導入された医療事故調査制度が、想定したような役割を果たせていない。医療機関からの死亡事故の届け出は見込みの3分の1以下にとどまり、遺族側が調査を求めても病院側が応じなかったケースもある。制度が浸透しないと事実解明の透明化が進まず、医療の信頼性向上や再発防止にもつながらない。
 「死」が身近にある病院や診療所で、どこまでを死亡事故として届け出て調査すべきか。この問題は制度設計の最初の段階から、限定的であるべきだとする医療者側と、幅広い調査を求める患者・被害者側との間で、激しく議論されてきた。
 改正された医療法で定義されたのは「医療に起因すると疑われる死亡で(院長ら)管理者が予期しなかったもの」。だが「予期しなかった」の範囲がはっきりしないため、医療機関の拡大解釈が広まっているとみられる。制度を運用する日本医療安全調査機構は「遺族との紛争を避けるために届け出をしていないケースもあるのでは」と指摘する。

 厚生労働省によると、制度導入時には、検討会や研究班で具体的に報告すべき症例などの指針を出すことが議論されたが、メンバーの意見が一致せず、見送られたという。平子哲夫・医療安全推進室長は「具体的内容を示した方がよかったが、当時の議論で共通理解が進まなかった」と話す。3月にあった日本医療安全学会の学術総会では、医師や弁護士から「院内感染や新しい抗がん剤の副作用など、届け出の範囲が明確でない」との声も出た。
 厚労省は昨年5月の局長通知やホームページ上のQ&Aで考え方は示したが、体系的な指針はない。このため、さまざまな医療団体が独自のガイドラインを公表し、各医療機関が自由に参考にしているのが実態だ。
 例えば、日本病院会は届け出(調査)の範囲を厚労省Q&Aとほぼ同様に「(患者側に事前に)個人の病状を踏まえず一律化された説明をしていても調査対象」などと規定。全日本病院協会も、予期とは「一般的死亡の可能性の説明や記録ではない」と指摘している。一方、日本医療法人協会は、薬剤の取り違えなどは対象には当たらず、既存の事故収集制度で分析すればいいとし、報告書作成の義務などを負う届け出は「慎重に判断すべきだ」と書いている。
(略)
 死亡事故の届け出が進まないもう一つの理由が、遺族側からの訴えが認められていない点だ。
 昨年10月、北陸地方の大学病院で、5日前に手術を受けた67歳の男性が、経過観察中に死亡した。大動脈瘤(りゅう)が破裂するのを防ぐため取り除いておく手術で、病院から事前に渡された同意書に死亡の可能性があるとの記載はなかった。
 病院側は、血管内に付着したコレステロールなどが手術によってはがれ、血管に詰まって腸管壊死(えし)を引き起こしたのが原因と説明。遺族は「手術やその後の処置に問題がなかったか調べてほしい」と求めたが、担当医は「予期できた合併症で、調査の対象ではない」と断った。その後、手術の死亡率は3~5%程度かもう少し上だったなどとする文書での説明があったという。

 納得いかない遺族は、この件を医療事故の被害者らで作る「医療過誤原告の会」に相談した。今の医療事故調査制度では、遺族側の届け出を受け付ける仕組みがないためだ。厚労省にも電話をかけたが「院内調査を実施するかどうかは病院の管理者(院長)が判断するので、こちらでは動けない」との答えだったという。
 原告の会によると、年100件程度だった家族や遺族からの相談は、制度導入後の半年で107件と倍増。昨年10月以降の死亡例は12件あり、うち遺族の要望に応じて院内調査が実施されたのは2件だけだった。宮脇正和会長は「相談の増加は、制度に対する市民の関心の表れだと思う。院内調査で真実を明らかにしてほしいと望む遺族の声が無視され続ければ、裁判などの紛争がむしろ増えるのではないか」と懸念する。
 遺族側が直接調査を求める権利の確保は、制度設計の段階から議論になっていたが、厚労省の検討委員会では「医療機関の自主性を尊重すべきだ」との声が強く最終的に盛り込まれなかった。遺族は院内調査の結果に不服があれば日本医療安全調査機構に再調査を求められるものの、まず医療機関が届け出をしないと始まらない
 検討委の委員だった「患者の視点で医療安全を考える連絡協議会」の永井裕之代表は「機構に遺族の相談窓口も設け、機構が調査の必要性を判断すれば病院側に調査を指導できるよう制度を是正すべきだ」と訴える。【古関俊樹、桐野耕一】

そもそも制度を作る側でさえ意見の一致を見ていないものが末端医療機関で一致した線引きなど出来るはずがないのですが、しかし本来的な制度の目的として原因究明と再発防止と言うことが挙げられているのですから、報告することが今後の同種ケース再発の抑制につながるかどうかが一番の判断基準であると言い、とりあえず判らないから届け出ようと言う「念のための報告」は危険であると言う声すらあったわけです。
その意味では記事に取り上げられている事例などは悲劇的な結果であり医療紛争のネタともなり得る話ではありますが、事実それが一般的に予想される合併症の一つであれば届け出る必要性は乏しいと言う判断には間違いないとも考えられ、そもそも医療事故調と言う名称自体が誤解を招いているのだと言う声もあるのは確かにそうした側面もありそうには思います。
遺族側からの訴えの可否と言う点では非常に議論が別れているところですが、前述の事故調制度の目的からすれば医学的な素人である遺族が納得できるかどうかと言う点は制度の目的とは全く無関係な話であると解釈出来るところですから、感情的な面ではいささか残念な話ではあるかも知れませんが理屈の上では筋が違うと言うしかないのかも知れませんね。

ただこうした医療側における抑制的な運用は当初から各方面からの呼びかけもあって半ば予想されていたことであり、また制度本来の趣旨から言えばそれなりにうまく機能していると評価する声もあるのですが、遺族側の立場に立ってみれば期待していたものとはどうも違うと言う感情は拭えないだろうし、その結果むしろ紛争化するケースは多くなる可能性すらあるのかも知れません。
遺族側のしばしば言うところの「何があったのか真実を知りたい」と言った話については、もちろん事故調ルートに乗ればある程度事実関係は明らかになるはずですが、しばしば言われているように「真実を知りたい」とは納得したいと言うことと裏表の言葉でもあって、事実関係が明らかになったからと言って納得できるかどうかは全く別問題ですよね。
その意味で遺族の納得と言うことを言わば付け足しの要素にしているかのような制度設計がいいのか悪いのか、今後紛争が増えるのか減るのかによってある程度検討がつくかと思うのですが、結局医療は素人目線では多くがブラックボックスであることが疑惑を生みやすいのであって、多くの国民が自ら利用している自動車の事故などでは警察の現場検証の内容など誰も気にせず、何となくこういう事故だったと納得出来ているわけです。
その意味で医療現場が常に死と向かい合わせであることを当たり前の前提条件として受け入れられるかどうかで、医療事故が交通事故などと同様当たり前に受け入れられるものになるかどうかも決まってくる理屈ですが、介護現場への体験教育などが行われているのと同様若いうちから医療現場に入っていく機会をもっと増やすなりして、感覚的理解を得ていくことも長い目で見ると地味ながら重要なことなのかも知れないですね。

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コメント

誰にとってもいい制度じゃないってことだね

投稿: | 2016年4月18日 (月) 07時57分

↑部分否定か、全否定か、わからん。句読点をちゃんと使いましょう。自己満の独り言は目障り。
 すべての人にとってよくない制度。
 よい制度と認識する人がいる可能性がある制度。 どちらが言いたい? 

>医療現場が常に死と向かい合わせであることを当たり前の前提条件として受け入れられるか
 全国民が向き合うべき課題だと思います。繰り返される震災を見れば、医療現場といわず、です。
 

投稿: memento mori | 2016年4月18日 (月) 10時31分

命が万人に平等なら死の価値にも本来差が無いはずで、医療だから災害だから等々と特別視せず淡々と事実関係に向き合えるようになったとき、医療事故調もようやく本来の目的を果たせるような気がします。

投稿: 管理人nobu | 2016年4月18日 (月) 12時21分

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