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2016年4月26日 (火)

お互いにストレスを貯めるだけの悪い関係からの卒業

先日こんなニュースが出ていたのですが、臨床の現場においてはままあることではありますよね。

遠野なぎこ、医師とけんかし捨てゼリフ「別の病院へ行きます」(2016年4月21日デイリースポーツ)

 女優の遠野なぎこ(36)が20日、喉の調子が悪いため訪ねた病院で医師と口げんかし、「別の病院へ行きます」と捨てゼリフを残したことをブログで明らかにした。

 ある舞台の公演を前に、喉の不調を感じて咽喉科を受診した遠野。医師から「まだ悪化する可能性がある」と伝えられ、舞台を控えていることから「何日ぐらい警戒すれば?」と尋ねた。すると医師は「こっちは占い師じゃないからそんなことは分からない」と言い放ったという。

 さらに重ねて「時々喉ガラガラで“先生どうしよう”とか駆け込んで来る役者がいるけど医者は薬出すだけで治せないんだよ」と、役者を嫌っているかのような発言も。

 頭にきた遠野は「別に占ってもらおうとは思っていませんけど」と言い返した。

 診察後、看護師にそんなやり取りを伝えたところ、その医師は日ごろから「僕は薬を出すだけで、別に良い医者じゃない」が口癖なのだという。

 遠野は最後に「良い医者じゃないんなら普通に別の病院を選びます」と三行半を突きつけ、病院を立ち去った

こんなところで口喧嘩まで発展すると言うのも大人げないとも思うのですが、基本的に気に入らなければ受診しないのが正しいと思いますから、さっさと「別の病院を選」んだのはよかったことだと思いますけれども、古来言われるところで患者目線でいい先生と医者目線でのいい先生とはまた異なるところで、実際にこの先生がいい先生だったのか悪い先生だったのかは評価する基準によるとしか言えないところです。
ただ大原則として日本では医者は患者を、患者は医者を選べないのですから、大勢の患者から選ばれる(患者目線で見た)いい先生は激務に耐えられずドロップアウトされ、結果的に残るのは患者受けの悪い先生ばかりということにもなりかねないし、実際に多忙な先生の中にはわざと患者目線でのあまりよくない先生を使い分けることで患者数をコントロールしている場合もあると聞きます。
こうしたことがお互いにとってもストレスやすれ違いの原因にもなるのですから、以前から日本もドクターフィーを導入すべきであると言う意見があり、専門医資格など各種資格の実効性を持たせるためにも有資格者は高い料金を取ることを認めるべきだと言う声もあるところですが、日医など一部方面から強固な反対論が続き未だ実現していない状況ですよね。
ともかくも選択肢が他にあれば気にいらないなら他に回るしかないのが現状ですが、地域や診療科、医療の内容などによっては選ぶ余地がないと言う場合も決して少なくなく、時にはそうした状況が利用者に対してもサービス提供者に対しても究極の選択を強いるということもあるようです。

「虐待許しますか? カネ払いますか?」 介護現場にうごめく感情の“不協和”(2016年4月21日日経BP)

 先日、東京MXテレビの朝の情報番組『モーニングCROSS(モーニングクロス)』に出演したときのこと。番組内で流された“ナマの声”がとてつもなく重たいもので、多くの方たちに知ってもらうべき、と考えたので、今回は、これらの発言をもとにアレコレ考えようと思う。
(略)
 ご存じの通り、この4月から介護報酬が2.27%引き下げられた。これは2006年の2.4%の引き下げから2回目のこと。前回の引き下げで労働力不足に拍車がかかったにもかかわらず、再び引き下げを決めたのは狂気の沙汰としか言いようがない。

 介護施設の人権費率は約6割、訪問系介護は7割と大きいため、報酬引き下げはダイレクトに労働力不足に影響を及ぼす。政府は、介護労働者の賃金を月額1万2000円引き上げるとしているが、労働者にちゃんと支払われているかを確かめる手段もなければ、毎月の賃金が上がる代わりにボーナスや手当が減らされて実年収が下がる可能性は高い。
(略)
 21世紀は「ケア産業の時代」と言われ、かつては、家族に埋め込まれていた機能が、ヒューマンサービスとして外部から提供されるようになった。
 特に介護サービスでは、「3大介助」といわれる「食事」「排泄」「入浴」を超え、サービスを受ける人の「well-being(健康で幸福な状態)」という普遍的なニーズの充足にまでサービス領域は拡大した。

 その大きなきっかけとなったのが、平成15年度(2003年度)介護報酬の見直し案。「個々の利用者のニーズに対応した、満足度の高いサービスが提供されるよう、サービスの質の向上に重点を置いた」改革である。
 具体的には、訪問介護を家事援助から生活援助と改め、自立支援や在宅生活支援の観点を重視。認知症の症状を軽減するケアを、積極的に導入するようになった。
 つまり、介護を要する高齢者の人格や心理も理解する必要が出てきてしまったのだ。
(略)
 心も身体も酷使される状況下で感情をコントロールするには、特殊な訓練や専門的な知識の習得が必要不可欠
 だが、現状は個人のスキルに委ねられ、隠れた自発的な行為と見なされ、金銭などの経済的報酬も、他者からの尊敬や感謝などの心理的報酬もない。正当な評価が行われているとは言えない状況で、現場の人たちはとてつもなく高い要求を突きつけられているのである。

「高齢者を思う気持ち」 に甘えている

 介護に関わるほんとんどの人たちは、おじいちゃんやおばあちゃんたちの笑顔や笑い声にやりがいを感じている。そして、その人たちに笑顔を届けるには、ケアを提供する人、その家族、さらには、一緒に働く同僚や上司との“いいつながり”が大きな支えとなる。
 だが、いいつながりを構築する時間的余裕もなければ、精神的余裕もない
 サービス領域の境界線がますます曖昧になり、とっくに踏ん張りが利かないくらい職場環境は悪化しているのに、彼、彼女たちの高齢者を思う気持ちに、私たちは甘えている。うん、甘えているのだ。
(略)
 世間では、「介護職の離職=賃金の低さ」という公式で理解されているが、実際には燃え尽き、メンタルが低下した結果、離職している人たちの方が多い。燃え尽き症候群。「バーンアウト」だ。
 バーンアウトは、「長時間にわたって人に援助する過程で、心的エネルギーが絶えず過度に要求された結果、極度の心身の疲労と感情の枯渇を示す症候群」で、介護職に携わる3割以上もの人が、この状態にあると言われている。
 私が大学院生のときに、先輩の院生が行った調査で、「上司との関係性が感情の不協和解消 → いいサービスの提供 → 家族からの感謝」、というポジティブな循環がある職場で働く介護職の人たちの職務満足感は高く、自分の仕事に“誇り”を持っていることが確かめられていた。
 だが今は、「過酷な労働環境 → 上司・部下の関係悪化 → サービスの質の低下 → 家族からのクレーム」、という180度逆のネガティブな循環にある。

 奇しくも、「介護職が虐待するっていうニュース……あってはならないことだし、絶対あっちゃいけないんだけど……分からなくない瞬間っていうのがある」とコメントした方がいたが、これがホンネ。
 「燃え尽きますか? それとも虐待しますか?」――。そんな悪魔のささやきと必死で戦っているのだ。
(略)
 「虐待は絶対に正当化されないが、過酷な労働が職員から気持ちの余裕を奪い、一線を踏み越えた言動につながっている」と話す介護職の男性も紹介され、彼は「いつか自分も加害者になるのでは」という怖さから会社を辞めたそうだ。
 高齢者を虐待したくて、介護職に就く人はいない。もちろん中には、人を人と思わない不届きモノもいるかもしれない。でも、件の介護士さんが打ち明けた通り、「誰にでも、実はそういう事件を起こしてしまう立場にある」ほど、みんな疲弊しきっているのである。

 つまり……、アレだ。
 もし、質の高いサービスを望むなら、もっともっと介護保険料を国民が負担すべきで、それができないのであれば、サービスの質を下げるしかない
 食事、排泄、入浴のニーズに対応するためだけのサービスと割り切り、現状の劣悪な環境を変える。当然、残業はゼロ。1人でも離職者を減らし、1人でも多くの人たちが介護士さんを目指し、1人でも多くの高齢者がケアを受けられ、1人でも多くの家族が自分の仕事と両立できるようにした方がいい。

 介護現場は、頑張りすぎた。頑張らないことから、議論し直す。崩壊するよりその方がまし
 だって、このまま質を求め続ければ、介護業界は破綻する
 これ以上の甘えは、暴力と同じ。崩壊も、虐待も、破綻もイヤ。このままじゃ誰1人、幸せにならないと思う。

実際の生の声は記事全文を見ていただきたいと思いますが、「介護従事者が虐待などとトンデモナイ!ケシカラン!」式の議論がどれだけ無意味なものであるかと言うことがよく判る、なかなかいい記事だと思いますね。
ただ現実的に国民負担はこれ以上増やせないからこそ介護報酬がカットされつつあるわけで、そうであるならサービスの質を下げるしかないと言うコンセンサスに皆が至ればいいのですけれども、日本ではこのサービスと言う言葉はしばしば無料奉仕の同義語として使用されているように、対価を求めない労働を当然視する土壌があるのが厄介ですよね。
その結果患者本人への対応と家族の有形無形の圧力によって介護者が追い詰められ、かえって虐待など患者対応が悪化していると言うことであれば誰にとっても馬鹿げた話ですけれども、それに対する処方箋は結局のところ要求水準を引き下げることしかなく、早い話が利用者や家族の側の割り切りが出来るかどうかにかかっていると言えますが、患者や家族はもちろん介護従事者の側も意識変革が出来るかどうかですよね。

すでに医療現場は2000年代初頭にこうした葛藤に直面してきた経緯があって、いわゆる医療崩壊だ、立ち去り型サポタージュだと言った一連の騒動を通じて頑張りすぎないと言うことの重要性を身をもって学んできたとも言えますが、面白いものでこの2000年頃を境に国民の医療に対する満足度がどんどん高まってきていることが厚労省の調査でもはっきりと示されています。
先日の内閣府の調査でも社会の各分野が良い方向に向かっていると思うかどうかを調べたところ、国民の3割は医療と福祉は良い方向に向かっている一方と認識していると言う結果が出ていて、これは調査対象となった各分野の中でも最も多かったと言いますが、一方で医療と福祉が悪い方向に向かっていると考えている人の割合は過去最低になったそうで、なかなか示唆的な結果と言えるでしょう。
要するに医療従事者がもっぱら自分達の身を守るために一歩引いたところまでの、頑張りすぎない医療サービス提供に留めるようになった、その結果患者からの不平不満が増えたのかと言えばむしろ逆で、顧客満足度はかえって高まっていると言うこの逆説をどう考えるのかです。

現行の臨床研修制度が整備されて以来研修医が夕方5時には帰っていくなどと嘆かれたものですが、今の時代ヒラリーが言うところの「聖職者さながらの自己犠牲」を払ってまで患者のために奴隷労働を行おうと言う医師などむしろ希少な存在で、大多数は労働者として可能な範囲で誠意ある医療を行っているだけだと思いますが、案外そうした当たり前の職業人としての態度の方が国民受けが良かったとも言えそうですよね。
確かに夜も寝ないで患者のために働いたと言えば献身的で良心的な医師のように聞こえますが、一生に何度も受ける訳でもない治療で医者に命を預ける患者の立場からすればそんなことより明日の俺の手術のために今夜は十分休んでくれと言いたいだろうし、そもそも寝不足と過労で疲れ果てた人間が患者に親切で優しい気分になれるとも思えません。
日本人は勤勉と言われながら意外と労働生産性は低いとも指摘されていますが、慢性的な長時間労働は労働生産性を急激に低下させると言う研究結果が出ていて、週55時間以上働いても得られる成果の点では全く無意味であるそうなんですし、労働の成果は同じでも無駄な長時間労働で疲弊した人間と適当に切り上げて休養を取ってきた人間とでは、顧客にとってはどちらがより良い関係でいられるだろうかと言うことでしょうか。

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コメント

嫌なら辞めろでFA

投稿: | 2016年4月26日 (火) 08時06分

払ったお金相応の仕事をするのがプロ
ワンコインでフレンチフルコース期待するような馬鹿が大杉

投稿: | 2016年4月26日 (火) 09時19分

医療の場合はお金は出すから星付きサービスをという需要にも応え切れていないので、誰にとっても一定程度の不満が残るシステムとも言えますね。

投稿: 管理人nobu | 2016年4月26日 (火) 11時21分

人権比率6-7割と読んでなんの違和感のないのがなんとも・・

投稿: | 2016年4月26日 (火) 15時20分

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