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2016年3月12日 (土)

往年の国民的有名人は今や全く無名の存在に?

かつては国民的とも言われた古典的アニメについて、先日こんな紛争が勃発していました。

サザエさん「ノリスケ」はクズではない 脚本家が否定(2016年3月9日BuzzFeed Japan)

「サザエさん」に登場するノリスケさんについて、アニメ作中の振る舞いをめぐり話題に。冷蔵庫を物色するなどの行為に対し、Twitterでは「これからはゴミスケでいい」などと批判も。「ノリスケのクズっぷり」は、意図的に作られたものなのだろうか? BuzzFeedは、アニメ版サザエさん放映開始当初から脚本を担当している雪室俊一さんに話を聞いた。

話題となっているのは、3月6日放送の「ジェラちゃんとノリスケ」の回。同回では、波平がジェラートをもらい帰宅。タラちゃん(タラオ)など子どもたちは翌日に食べるのを楽しみにしていたが、磯野家の留守番を頼まれたノリスケは冷蔵庫を物色。「磯野家には似合わない物が入っているな」などと言い、勝手にジェラートを食べてしまう

また、2015年12月13日放送の「ノリスケ倹約術」でも、ノリスケが居酒屋で寝たふりをし、会計をマスオに任せた際に同様の声が挙がっている。

雪室さんは批判に対し、「まず、私もネットの批判を見ましたが、非常に怒っています」と話した。「みなさん、何を根拠に『クズ』だの『ゴミ』と言っているのでしょうか? ノリスケは、磯野家に居候していた過去もあり、ノリスケの厚かましく、図々しい性格を分かっていれば、それほど罵倒される行為だとは思っていません。作品の背景、ノリスケの性格を分かったうえで言っているのでしょうか?」

また、ネットユーザーの反応についても、「確かに真面目な人がノリスケのあの行為を見れば怒るとは思いますが、『自分の意見と相違があれば、すぐに批判する』というネットの特性だと思っています」と指摘。

キャラクター設定を変えてるのかという問いについては、「もちろん変わっていません。原作を読み込んでいる私からしたら、(キャラクター設定を)外して書いているようなことは全くありません。それでも批判してくる人がいれば、批判してもらって結構。『そういう人たちなんだな』と受け止めますので」と語った。

まあネタにマジレスと言うのでしょうか、脚本担当の雪室氏と言えば何と戦前の生まれ(!)だそうですからずいぶんと今の時代と感覚も異なっていらっしゃるのでしょうが、確かに今どきの若い世代がリアルでこういうことをやると絶交を申し渡されても文句は言えないかも知れませんね。
サザエさんなどは舞台設定からして昭和中期の話で、大家族の同居などすでに現実世界とかみ合わない部分が多すぎると言う批判もあり、一方では時代劇などと同様あれはあれで懐古的とも古典的とも言える独特の味があっていいと言う意見もあるそうですが、この点であくまでも昭和の昔の思い出を振り返ると言う体で作っているちびまる子ちゃんなどは設定がうまかったとも言えるかも知れませんね。
時代により年代により感覚が異なっているのははるか大昔から人類社会共通の現象ですが、特に現代社会ではこの感覚の違いが顕在化するタイムスパンが短縮してきている印象もあって、かつて当たり前だったものがいつの間にか世の中から排除されていると言うことが決して珍しくありませんが、今どきの若い人たちにとってはそもそも「何それ?」と言う話だろうと思われるのがこちらの話題です。

歩きながらは危険なので・・・金次郎も「座像」に 日光・南原小で除幕式(2016年3月2日下野新聞)

 【日光】二宮尊徳ゆかりの地でもある市内の今市地域の小学校で、金次郎像が唯一なかった南原小に座像が建立され、1日に除幕式が行われた。同日の創立30周年記念式典に合わせた記念事業として、報徳思想の普及・啓発団体「報徳道研修 いまいち一円会」(八木沢利夫(やぎさわとしお)代表)が寄贈した。小中学校内の座像は全国的にも少ないとされ、同会は「『歩きスマホ』の危険性なども指摘される中、本を読み歩きしている立像ではなく座像にした」と時代の変化に応じたという。

 御影石を使用した座像は、花壇があった校長室前に建立。台座(高さ約85センチ)の上に、背中にまきを背負って切り株に座り、本を読む金次郎像(高さ約75センチ)を設置した。

 尊徳終えんの地でもある今市地区の小学校13校のうち、最も歴史が新しく金次郎像がなかった南原小に贈ろうと、同会が2014年秋に同校に打診して準備を開始。会員17人の積立金や会報の読者会員の寄付を制作費に充て、創立30周年記念式典に合わせて県内の業者へ依頼していた。

「座り二宮金次郎」に呆れ声噴出(2016年3月5日NEWSポストセブン)

二宮尊徳終焉の地としてゆかりのある、日光市の南原小学校に新しく建立された二宮金次郎の像が「座っていた」ことが、ネット上で話題になっている。
これは創立30周年となる同小に、報徳思想の普及・啓発団体「報徳道研修 いまいち一円会」が寄贈したもの。下野新聞のニュースサイトによると、同会は「『歩きスマホ』の危険性なども指摘される中、本を読み歩きしている立像ではなく座像にした」と説明しているという。
とはいっても、二宮金次郎といえば “明かりを灯すための油や時間を節約するため、働きながら学問をしていた”という逸話があまりにも有名。その真偽は不明とされているが、歩きながらでも勉学に励む姿が「勤勉」の象徴というイメージを持っている人は多いだろう。
その二宮金次郎が座ったということに、Twitterには、

「それじゃ二宮さんを銅像にする意味がないでしょ
何でもかんでも危険を排除、配慮って…その前に工夫するとか教えるとかが先じゃない?」
「なんでこの人歩きながら本読んでマナー悪いな、から始まって、そこからなぜそうなのか、時代背景や人物のことを道徳として教育するのが筋じゃないか。学校のやることはようわからんわ」

と、「座っていたら意味が変わる」「スマホマナーについては教育することが大事なのでは…?」と呆れる声が続々と投稿されているほか、

「歩きスマホしてる大人がたくさんいるんだから、二宮金次郎だけ座らせても無駄でしょ。それに座った二宮金次郎をつくるぐらいなら、二宮金次郎いらなくない?
「二宮金次郎が危険だっていうなら、上野の西郷さんどうすんだ?刀持って犬の散歩してんだぞ銃刀法違反だぞw

などという疑問をもつ人たちも。
「勤勉たれ」よりも「ながら○○は危ない」ということを優先して訴えているかのような金次郎座像に、違和感を覚えた人は多いよう。伝わりやすさよりも、誤解される表現を避けるのも時代の流れ…?

ちなみに今の時代全国各地の小学校から二宮金次郎の銅像が撤去されているのだそうで、今回の件も終焉の地として売り出している日光市であるからこそ敢えてこうまでして置かれたとも言え、逆に言えば地元とも言える日光市においてもこうまで配慮しなければ世間からの反対意見で設置もままならないと言うことなのでしょうね。
その理由としては記事にもあるように歩きながら本を読むと言う姿を子供が真似ると危ない、歩きスマホを禁止する根拠が怪しくなると言ったことであるようですが、仕事中にも学問に励んでいた勤勉な人物と言う意味合いで銅像にまでなった人物が仕事をさぼって本を読む不謹慎な人物になってしまうのでは、そもそも銅像を置く意味の方が怪しくなってしまいそうに感じます。
歴史的に見るとこの二宮金次郎の銅像が小学校などに置かれるようになった経緯として明治時代の勤勉の促進と言う国策があったと言い、一説には明治天皇があの意匠の銅像を見て気に入ったことが全国に広められるきっかけともなったとも言うのですが、歩きながら本を読んでいる姿は知られていても一体いつ何をした人なのかは知られていないようにも感じられます。
この辺りの背景事情をきちんと説明しないまま銅像の形ばかりにこだわっていても仕方が無いような気もするのですが、それを言い出すと今の時代に合った歴史上の偉人は他にも幾らでもいるだろうに何故未だに二宮金次郎にこだわらなければならないのかと言う話にもなりかねずで、何気ない銅像への論難が思わぬ余計なところに火種をまき散らしてしまったようなものですよね。

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コメント

昨日気が付いたんですがわが母校の二宮尊徳、本持ってなかったw。単なる薪背負って歩く人ww。

投稿: 10年前にドロッポしました。 | 2016年3月12日 (土) 09時32分

勤勉の象徴ってイメージはなかったなあ
勤勉だったら両手にも本じゃなくて荷物持ってるべきでしょ

投稿: | 2016年3月12日 (土) 10時53分

批判のための批判は相手にしないでいいよ

投稿: | 2016年3月13日 (日) 10時32分

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