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2016年3月19日 (土)

過ちを認め改めることが希有な事例だとして称讚される業界とは

一つの非常に「時代遅れ」な記事が大きな反響を呼んでいるのですが、本日まずはこちらの記事を紹介してみましょう

35年前の記事を訂正 秋田魁新報、1面コラムで 筆者が経緯語る(2016年3月17日日本報道検証機構撮影)

正確でなかったため訂正させていただきます」ーー秋田魁(あきたさきがけ)新報が3月4日、35年前に秋田市内で起きた強盗事件の記事を事実上訂正した。1面コラム「北斗星」の筆者が新人時代に取材して以来、被害者宅にあった現金が全て奪われたと思い込んでいたが、最近になってそうではなかったことが判明したという。日本新聞協会の綱領は「新聞は歴史の記録者」とうたっているが、実際に古い記事の誤りを訂正することはめったにない。筆者の論説委員長、相馬高道さん(58)は、日本報道検証機構の取材に応じ「コラムの趣旨は、たとえ遅くなったとしても知らないふりをしてはいけない、という戒めとすることにあります」と話し、事の経緯を明かした。

相馬さんが訂正したのは、1981(昭和56)年2月24日付の強盗事件について報じた記事。入社1年目(当時23歳)で警察を担当していたときに取材した事件だが、強盗らしからぬ展開をたどった。

2月20日深夜、秋田市内の高齢夫婦(当時、夫は84歳、妻は80歳)が住む民家に覆面をした男が押し入り、夫婦に果物ナイフのような刃物を突きつけて金を要求、現金3万円を奪って逃走した。犯人は夫婦に「後で返しに来る」と言い残していたが、そのとおり事件2日後、現金2万円が夫婦宅に速達で届けられた残り1万円も3月9日付消印の郵便で返ってきた。同封された便せんには「親愛なるおじいさん、おばあさん、悪いことをして申し訳ありません。あの時から仕事も手につきません。もう悪いことはしません」と書かれていたという(3月17日付秋田魁新報)。声の感じから50歳くらいの男だったというが、結局、捕まらなかった。

相馬さんは、2月21日付朝刊の第一報から最後の1万円が返ってくるまで、何度も続報を書いていた。そのうち、「強盗?が2万円を返す 秋田市の老夫婦宅 事件2日後速達で」と見出しをつけた24日付の続報記事では、犯人とのやりとりを次のように伝えていた。

    こうした「返金」があったことで、●●さん(注:記事では実名)夫婦は半ばあきれ顔。犯人の侵入に気付いた時も二人は恐怖を感じなかったと言い、●●さん(注:記事では妻の実名)が三万円を差し出ながら「これを持って行かれると、あしたのコメは買えない」と言うと、犯人は「入らなければよかった。後で返しに来る」と言い残したという。

これについて、相馬さんはコラム「北斗星」で、「”’時の小紙は被害者宅にあった現金の全てが奪われたかのように報じている。実はまだ数万円あり、犯人に気付かれないように妻が隠し通していたことを、ごく最近になって知った”’」と明かし、「”’被害者夫婦は亡くなって久しいが、あっぱれである”’」「”’ということで、当時の記事は正確でなかったため訂正させていただきます”’」と書いた。

相馬さんによると、被害者の妻に直接取材していたが、夫婦宅にあった現金の全てを奪われたと思い込んでいたという。だが、今年2月末に後輩の女性記者(37)から「私の曽祖母の家に昔、強盗が入った」と聞き、彼女の曽祖母がこの事件の被害者の妻と判明。曽祖母がとっさに現金7万円か8万円を隠したことを事件後に娘(女性記者の祖母)に打ち明けていたこともわかった。

ただ、当事者は既に亡くなっており、真偽を確かめようがない。元の記事は「奪われた3万円が被害者宅の現金の全て」と明記していたわけではなかった。そのため、独立した訂正記事にはならなかったが、相馬さんは「3万円のほかにまだ現金があったと知ったからには、何らかの形で紙面に記録しておきたい」と思い、自ら担当するコラムで「訂正」したという。

相馬さんは「北斗星」で、米紙ニューヨーク・タイムズが2000年元日の紙面で、100年以上も誤った号数で発行し続けたことを訂正した例も紹介し、こう書いていたーー
「”’It is never too late to mend(過ちを改むるにはばかることなかれ)である。それがどんなに昔のことであっても”’」
(略)

過ちを改めるのに遅すぎることはないとはどんな時にでも忘れずにいたい言葉ではありますが、実際にそれを実行に移せるかと言えば必ずしもそう簡単なことではありませんし、ましてや何十年も昔の誰も覚えていないような行為を今さら改めて自ら恥を晒すなど普通には出来ないことですが、報道に関わるものとして事実とそうでないことは明確に区別すると言う姿勢を示したとも言えますね。
最近ではテレビ番組に出ていた人間が経歴詐称をして降板すると言う騒ぎもあったそうで、当事者であるテレビ局などは形ばかりの報告と謝罪だけで全てを済ませたかのように放送を続けていて、彼らの好きなフレーズであるところの任命責任なるものは一体どこに言ったのかと大いに疑問符のつく余地無しとしないところなんですが、それと比べれば全く清々しいばかりの行動とも言えます。
先日も朝日新聞がまたしてもでっち上げ記事を書いたとして原子力規制委員会から「非常に犯罪的だ」と批判されると言う事件がありましたが、嘘だろうが捏造だろうが言ったもの勝ちで何ら責任を取らないと言う態度は良心的な報道勢力の最も好まざるところのように思っておりましたら、当事者はその例外であると言いたげな好き放題な報道ぶりはどうなのかです。
特に政治的な問題はデリケートな話であるだけに、政府筋からもあまりにひどい偏向的な報道に関しては電波停止命令もあり得ると過去に何度も言及されてきたところで、それに対して当事者側は様々な理由を挙げて反対運動と華麗なスルーを続けてきたわけですが、そんな自省を知らない彼らに対してこんな内部批判の声もあるようです。

マスコミ報道を萎縮させているのは「権力」ではなく「中立公平」という病 (2016年3月16日MSNニュース)

 少し前、田原総一朗さん、岸井成格さんなど著名ジャーナリスト6人がズラリと並んだ画像を用いた「クソコラグランプリ」がネットで話題となったのをご存じだろうか。
 高市早苗総務大臣が、放送局が政治的公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、放送法4条違反を理由に電波停止を命じる可能性について言及したことを受けて、報道が萎縮すると抗議を行った際にみなさんが掲げた「私たちは怒っています!」と垂れ幕の文字を入れ替えて、くだらない画像にするという不謹慎極まりない悪ふざけだ。
 「安倍政権の暴走を止めるため立ち上がった方たちを茶化すなんて」と不快に思われる方も多いだろうが、あまりに話題になったのでちょっと覗(のぞ)いてみたら、これがなかなかよくできていて、なかには問題の本質を突くようなクソコラがあった。
 それが、6人が掲げる垂れ幕に「偏向報道許せ!」という文字がのっけられたものだ。
(略)
 実は田原さんたちが怒るきっかけとなった「電波停止問題」というのは、怒ってどうにかなる話ではない。放送法第4条の中に放送局の「編集準則」という要件として「政治的に公平であること」とちゃんと明文化されているからだ。一部の産業が少々ゴネてみたら法律が無効になりましたなんてことがあったら、そっちのほうが法治国家としては大問題なのであって、もしまかり間違って民進党が政権をとっても、総務大臣の答弁はああゆうことになる。つまり、これは安倍政権がファシズムだとか、軍靴の音が聞こえるとかという類の話ではないのだ。
 すべての元凶が、「政治的公平」というおかしな記述にあるということは、よその国をみても明らかだ。

 例えば、米国なんか分かりやすい。かつてはテレビ局を管轄する連邦通信委員会が「報道の政治的公平」を求める時代もあったが、1987年にこれをスパッと廃止。300以上のチャンネルがわんさかあって、視聴者である「米国人」というものも多様化していく中で、テレビの「政治的公平」を誰がジャッジするのかというのはほぼ不可能だからだ。
 それは、日本人が「ジャーナリズムの鏡」としてうらやむ英国の国営放送BBCにもあてはまる。ここはかつてフォークランド紛争を「中立」に報道し、サッチャー政権から厳しく批判されても屈しなかったことで、NHKも爪の垢を煎じて飲めみたいな感じで引き合いに出されることも多いのだが、これも英国のテレビ局に「政治的公平」を求める法的な縛りがないことが大きい。「公平さ」というのはあくまで個々の自主的なガイドラインによって判断されているのだ。
 実際、当時のBBCのガイドラインにも、「公平性は、絶対的な中立性を意味するのではない」という記述があり、このガイドラインも時代によって恣意的に運用され、ちょこちょこ書き換えられてきた。つまり、世界ではジャーナリズムにおける「公平」というのは、権力の監視も含めた「国民からみた公平さ」であり、それは個々のジャーナリスト、報道機関が自らの言説の中で国民に対して示していくものなのだ。少なくとも、大臣やら監督官庁やら法律に基づいて「ジャッジ」をするようなものではない。その報道が公平かどうかを判断する人の「公平さ」は、誰が判断するのかという堂々巡りになってしまうからだ。独立機関をつくってもそれは同じだ。
(略)
 しかし、残念ながら日本にはこういう潮流は生まれなかった。いまだに新聞・テレビの記者たちが「中立公平・客観報道」という理念を念仏のように唱えて日々取材を行っている。ただ、その一方で「中立公平・客観報道」だけでは世に訴えることができないという厳しい現実は日本も米国も同じだ。そこで、この立派な理念を掲げたまま、こっそりと主観的な報道、個々の政治的立場に基づいた主張を潜りこませるという、今でいうところのステマ的な手法が常態化してしまったのである。さらにタチが悪いのは、当事者が罪悪感ゼロでそれをやっていることだろう。

 それを象徴するのが、2月25日に発行された『ワシントン・ポスト』だ。トランプ人気に歯止めをかけるため、同党指導者に行動を起こすよう促す社説を掲載し、その中でトランプ氏を、「スターリン」「ポル・ポト」「弱い者いじめの扇動家」という表現でディスりまくりで、とにかくこいつの勢いを止めろと共和党支持者の尻を叩いているのだ。
(略)
 これが「ジャーナリズム」なのだ。あちらでは新聞の社説は、政治的スタンスを明確にして、こうしろああしろと主張するのが当たり前なのである。
 にもかかわらず、日本のテレビや新聞はこぞって『ワシントン・ポスト』の社説を「異例のことだ」と驚いて報じた。自分たちも安倍首相に対して似たような論調で批判をしているにもかかわらず、「そんなに政治色出して平気?」なんて調子で、まったくの他人事なのである。
 これはマスコミという人たちが、いかに客観性を欠いているということもあるが、なによりも「ボクちゃんたちは中立公平だもんね」という信仰にも近い思い込みに囚(とら)われているということの証でもある。
(略)
 つまり、日本の報道が萎縮している、息苦しい云々というのは、権力の圧力がどうとかこうだとかいう話ではなく、欧米がとっくのとうに放棄した「中立公平」にいまだ縛り付けられていることの不自由さなのだ。
 この呪縛から解き放たれるためには、影響力のある大物ジャーナリストがぶっちゃけてもらうしかない。そこで冒頭のみなさんだ。日本のジャーナリズム発展のため、「偏向報道許せ!」ではないが、こんな宣言をしてみるというのはどうだろう。
 「ジャーナリストは偏ってナンボだ
 偏るのが当たり前になれば、国民は個々の判断でジャーナリストを選ばざるをえないので、報道に対するリテラシー力が磨かれる

 報道側にも悪い話ではない。立場を明確にすることができるので、「朝日」なんかも「トイレをつまらせよう」なんて暗号みたいな話ではなく堂々と反政府運動の呼びかけを行える。偏るのが当たり前になれば、放送法第4条の「政治的公平であること」も有名無実化して改正されるかもしれない。そうなれば、テレビの報道の「萎縮」も解消される。
 「もっとオレたちを大事にしろ」と怒っているだけではジャーナリズムの復興はない。いい加減そろそろ、自分たちが変わる必要に迫られているのではないか。

ちなみに記事の末尾の方に上げられている「トイレをつまらせよう」云々と言うのも先日非常に大きな話題になった話で、なるほどこれが日本のクオリティペーパー(笑)なるものかと心ある国民から失笑を買った一件ですが、メディアそれぞれに立場があるだろうことは言うまでもないにしても、正直全国紙で書かれるべき記事としてあまりに内容の程度が低いように感じる方々が多かったようです。
そうした話は電波停止云々の話にも通じることがあって、別に国民の誰一人としてメディアが公正中立だなどと言う幻想を持っているわけではないのですが、そんな小学生にも見透かされるような幻想を未だに信じ込んでいるかのように振る舞うのもどうかだし、どうせ偏るにしてもトイレ云々ではなくせめてもう少し格調高いものであって欲しいと言うことではないでしょうか。
電波停止問題に関しては放送法に公正中立であることを明記しているものの、現状では電波停止の根拠となる罰則規定も存在しないことが問題点であることを先日もご紹介したところですが、一方で日本のテレビ局各局が国に支払っている電波使用料が諸外国と比較しても圧倒的に安く、しかも実質的に事業を独占していることで不当なほど高い利益を上げていると言う指摘もあります。
諸外国のように電波の持つ巨大な利権相応の金銭的負担をお願いしますと言い出すだけでも実質的に電波停止命令以上のダメージを与えられるとも言いますが、国民としては国とテレビ局がつまらない勢力争いめいたことをやってもらっても何ら面白くもないもので、そんなことよりももっとまともな内容の放送をやってくれと言いたくなるのではないでしょうかね。

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コメント

◆高精細「4K」録画不可の検討を 民放連の井上会長

民放連の井上弘会長は17日の定例記者会見で、高精細の「4K」で放送される番組に関し、著作権を守るため、視聴者が録画できない技術仕様にすることも検討すべきだとの考えを示した。
電機メーカーなどとつくる業界団体に対し、既に申し入れたとしている。

井上会長は、番組を違法コピーした動画がネット上に多く出回り、放送局や出演者らの権利を侵害している現状を指摘。
「4Kは非常に高精細で、(原盤の)マザーテープがどんどん出ていくことになる。録画してくださいとはなかなかいかない」と述べた。
番組をネット配信するなどして、視聴者の便宜を図る考えも示した。

共同通信 2016/3/17 20:31
http://this.kiji.is/83160772250664961

投稿: | 2016年3月19日 (土) 08時14分

マスコミと言う巨大権力への監視機能がないからこういうことになる

投稿: | 2016年3月19日 (土) 10時22分

>マスコミと言う巨大権力への監視機能がないからこういうことになる

マスコミ脳:無料で録画が問題(キリッ)。録画禁止にしたらDVDや有料配信で儲かってウマー

一般大衆脳:録画禁止にしたら、金払うほどじゃないから、誰も見なくなるだけだから無問題。

投稿: おちゃ | 2016年3月20日 (日) 12時57分

亀レス…

>(略)
> つまり、日本の報道が萎縮している、息苦しい云々というのは、権力の圧力がどうとかこうだとかいう話ではなく、欧米がとっくのとうに放棄した「中立公平」にいまだ縛り付けられていることの不自由さなのだ。


「報道」→「医療」と読み間違えました ww

投稿: 非医師 | 2016年3月23日 (水) 18時48分

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