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2016年2月13日 (土)

メディアの萎縮とは将来起こり得る懸念などではなく

先日総務相が炎上騒動を起こしたと話題になっていましたが、まずはこちらの記事から紹介してみましょう。

高市総務相、放送法違反で「電波停止」可能性に言及 官房長官「従来通りの見解」(2016年2月9日J-CASTニュース)

   高市早苗総務相は2016年2月8日の衆院予算委員会で、「政治的に公平であること」を求めた放送法第4条に違反した放送を繰り返した場合、電波法に基づいて電波停止を命じる可能性に言及した。民主党の奥野総一郎議員の質問に答えた。

   高市氏は、第4条の規定は単なる倫理規定ではなく「法規範性を持つ」と主張。行政指導でも全く改善されない場合に、「何の対応もしないと約束するわけにはいかない」と述べた。
   菅義偉官房長官は2月9日午前の会見で、

    「野党の議員から、ぎりぎりのケースについて質問されたことに対して、あくまで放送法に基づく一般的な法解釈で、従来通り総務省の見解を答弁したと考えている。放送事業者については自律的に放送法を順守していくのが基本。政府としても放送法にのっとって適切に対応していく。当たり前のことを総務相は答弁したに過ぎない

と述べた。


電波停止発言、野党が批判=「メディア萎縮させる」(2016年2月9日時事通信)

 放送事業者が政治的公平性を定めた放送法違反を繰り返した場合、電波停止を命じる可能性に言及した高市早苗総務相の発言に対し、野党から9日、「メディアの萎縮をもたらす」(細野豪志民主党政調会長)などと批判が相次いだ

 細野氏は記者会見で「自民党には最近は寛容さが全く失われ、メディアに批判的なことを言われれば攻撃を加える」と懸念を表明。民主党の小川敏夫参院幹事長も「非常に不適切な発言だ。撤回し、きちんと釈明する必要がある」と述べた。
 維新の党の今井雅人幹事長は「憲法では報道の自由が保障されている。(総務相発言は)不適切で、政府は謙虚にならないといけない」と指摘。おおさか維新の会の馬場伸幸幹事長は「どういうことが法に抵触するのか、具体的に事例を挙げて言ってもらわないと報道の自由にも関わる問題だ」と語り、適用基準の明確化を求めた。 

ちなみに今回問題となっている放送法第四条には以下のような記載がなされていますが、興味深いのは放送法内にはこの第四条違反に対する罰則は規定されておらず、そもそもどのような罰則が妥当なのか法的な裏付けがないと言うことですね。

第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

一般論として言えば免許等の許認可制度と言うものが何の為にあるかと言えばルールを守るものに限って行為を許可するためであって、ルール無用で好き勝手に何をやっても構わないと言うのであればそもそもこうした制度を設定している意味が無いわけであり、今回の件もルールを無視していいならそもそも誰に対しても電波を自由に解放しなければおかしいと言うことにもなりかねません。
ただ前述の法律の条文は確かに明快ではあるのですが、一方で具体的に何が公平であるのかと言う定義づけが難しいのも確かであって、大多数の人間が支持する意見と国民のうち一人しか支持しない意見を全く同列に採り上げることが公平なのかと言われると、民主主義社会なのですからやはり多数派の声にはそれなりに重みを与えるのが公平であるようにも感じられます。
いずれにせよ法律である以上言葉の定義は明確でなければならないし、罰則を科すならきちんと法的裏付けが必要であるはずなので、実際に電波停止を云々する前にもう少し下準備となる議論が必要であると思える話なのですが、ただ「憲法で保障された権利」だの「メディアの萎縮をもたらす」云々と言われるとまるで現状が萎縮していないかのように誤解を受けかねない話ですよね。

言論・表現の自由はどこに……「放送禁止用語」の厳しすぎる自主規制(2016年2月6日オリコンスタイル)

 テレビやラジオで使用NGの言葉として、一般的に広く知られている「放送禁止用語」。これは法規制ではなく、あくまで放送事業者による自主規制であり「放送注意用語」などとも呼ばれている。その範囲は時間帯や番組内容によっても様々。だが、“NGワード”は年々増え続けており、一部メディアで報道された「頑張れ」の使用不可など、近年では意外な言葉までその対象となりつつあるようだ。だが、ここまで規制を厳しくする必要が本当にあるのだろうか? 言論・表現の自由を問う声はもちろん、日常生活の中で使う言葉をも規制して、果たして番組内での会話は成立するのか?

◆現状では、クレームがきた言葉=放送禁止用語 地域の違いでも

「放送禁止用語」とは、テレビやラジオ等のマスメディアで使用が禁止されている言葉のことだが、そもそも法的に禁止されているわけではないので、実際には放送禁止用語というものはない。かつてNHKでは「放送問題用語」としていたが、2008年に事実上廃止。今では「放送注意用語」「放送自粛用語」などとも呼ばれるが、あくまでメディア側、特にマスコミの自主規制であるため、差別的な言葉、暴力的な言葉、卑猥な言葉などの、いわゆる“不適切な言葉”が放送禁止用語となっているようだ。

 「あとは“公序良俗に反する”言葉とかですね。この“不適切”の線引きがどこからどこまでかがわからないから、われわれも困るんです。一応、NHKさんが指針として出したガイドライン『NHK新用字用語辞典』や『NHKことばのハンドブック』に“載っていない”言葉や用法が放送禁止用語になるんですが、簡単に言えばクレームがきた言葉=放送禁止用語です。スポンサーのCMイメージがある以上、クレームほど怖いものはない。こちらもおよび腰になるのはしょうがないとも言えるんです」(番組制作会社スタッフ)

 放送禁止用語は番組の放送時間や番組のジャンルによっても変わってくる。『報道ステーション』(テレビ朝日系)のキャスター・古舘伊知郎氏は、先の降板記者会見で「バラエティではラーメン屋が、報道ではラーメン店と言わないといけない」と明かし、報道番組の堅苦しさを嘆いていたように、報道では使用できないがバラエティでは使用可能な言葉もあるようだ。また、お笑いコンビ・浅草キッドの玉袋筋太郎などのように、NHKに出演する際には「玉ちゃん」や「知恵袋賢太郎」に名前を変えるというパターンもある。

 さらに地方によって放送禁止用語が変わる場合もある。かつて力道山やジャイアント馬場と熱戦を繰り広げたプロレスラーのボボ・ブラジルは、アメリカ出身で「人種差別のないブラジルに行きたい」という憧れからリングネームを付けたが、「ボボ」という言葉が九州地方の方言では放送禁止用語にあたり、実況では「ボボ」が消されたという逸話もある。

◆年々NGワードは増え続け、地上波では過去の名作やヒット曲が忘却の彼方に…

 かつては映画やテレビで普通に使用されていた言葉でも時代を経るごとに規制され、放送禁止用語は増えていく傾向にある。社会自体が近代化、民主化されるにしたがって前時代的な言葉や慣習が見直され、現代にはふさわしくないと判断されることが多くなるからだ。その結果、映画『座頭市』やアニメ『あしたのジョー』などは物語の設定自体が放送禁止で、いわゆる“ピー音”ばかりになってしまうということで地上波では再放送すらされない。初期の『機動戦士ガンダム』も反社会的ということで難しく、2013年に放送されたアニメ『宇宙戦艦ヤマト2199』(TBS系)では、「専守防衛」「独裁否定」という言葉でさえ配慮された内容になっていたという。

 また映像作品のみならず、1960年代、70年代に歌われた岡林信康に代表されるフォークソングの中には、差別的表現、反時代的表現があるということで、今でも放送できない名曲が数多くある。さらには歌謡曲であっても、“不適切”な歌詞があるということで放送できない曲を加えれば膨大な数にのぼる。そのほとんどはいわゆる“卑猥”とされる表現があるとのことだが、普通の感覚で日常的に使われているものが多い。それでもいまだに、おニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」や原由子の「I Love Youはひとりごと」などのヒット曲が放送さることはない。こうした誉れ高い過去の名作や名曲も忘却の彼方に葬られることになる。
(略)

記事にも幾つか名前が挙がっていますが、世の中にはこの種の「消えた過去の名作」が何故消えていったのかを様々に検証されているようで、調べて見ればその多くが実に些細な理由で表に出て来なくなっていることに驚くのですけれども、この調子で行けば近い将来北朝鮮国民のインタビューコメント並みに決まり切った言葉しか使えない世の中になってくるのでしょうかね。
特に気になるのが何が正しいかと言う価値判断が業界内部で勝手に行われていると言う部分で、先日はNHKの経営委員が経営委員会内で「最近の若者は本当にダメなやつばかりNHKの番組を強制的に見せる法律をつくるべき」と発言していたなどと聞けば、彼ら放送する側の価値観が良い悪いの判断基準になっているのもどうなのかです。
もちろんクレームを入れられたもの=放送禁止用語と言うある意味単純明快な定義づけも大いに問題で、先日はノルウェーでは国民がメディアを厳しく評価していると言う記事が出ていましたけれども、見て見ますとこれまた必ずしも手放しで褒められるような評価基準になっているとも思えませんよね。

テレビ番組がつまらなくなったと言う声は決して少なくないし、その理由としてこの種の自主規制の存在が大きな影響を与えていると言う意見も根強いのですが、放送禁止用語連発だった昔の「過激な」番組に相当する部分はネットなど規制の緩いメディアが担ってきている部分もあって、テレビなど一般向けマスメディアの担うべき役割や社会的ポジション自体が以前と変化しているのも事実です。
ただ規制強化と言う一方でバラエティーなどでは集団いじめ紛いの行為が日常的に行われていて不愉快だ、教育上もよろしくないと言う批判もあるように、規制の強化が質的な向上に結びついているかと言えば必ずしもそういうわけでもかく、むしろ単純な目先の視聴率ばかりを追って本当に優良な番組が年々減ってきていると言う声も根強いですよね。
いずれにしても萎縮するとかしないとか言う議論は今さら無意味で、現状で様々な要因から放送業界は十分に萎縮しているし、萎縮が問題だと言うのであれば現在進行形の萎縮をもたらしている諸因子撤廃を主張するのが先ではないかと思うのですが、報道の自由を守れと声高に主張する進歩的な方々が放送禁止用語を撤廃せよなどと主張しているのもあまり聞かないのはおもしろいですよね。

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コメント

高市早苗総務相は11日、自らのホームページなどで、政治的に公平でない放送を繰り返す放送局に、
電波法に基づき電波停止を命じる可能性に言及した国会答弁に関し「極端なケースが生じてしまった場合の
リスクに対する法的な備えは必要だ」と重ねて強調した。番組でのテロ参加呼び掛けなどを例示した。

具体的には「テロリスト集団が発信する思想に賛同して、テロへの参加を呼び掛ける番組を流し続けた場合」
と記述。「免許人等が地方選の候補者になろうと考えて、選挙期間中に自分の宣伝番組のみを流し続けた場合」
も例に挙げた。

http://www.daily.co.jp/society/politics/2016/02/11/0008797881.shtml

投稿: | 2016年2月13日 (土) 08時11分

そういや、「民主党時代の方が、よっぽどメディアに圧力かかってんじゃねーの?」って記事が出てましたね
 
だいたいマスメディアなんて、ガチの言論統制をやられたら、喜んで政府に尻尾振りそうな連中しかおらんでしょ

自分のデマ記事で企業が潰れようが、人死にが出ようが、何の責任も負わないんですから
羽織ゴロと呼ばれた時代から変わりゃしませんってば

投稿: 権力は必ず腐敗する | 2016年2月13日 (土) 09時05分

↑の例示、ミンスへの見事なブーメランになったな
これ野放しでいいって輩は国政に関わる資格なしだわ

投稿: | 2016年2月13日 (土) 10時01分

ラーメン屋はラーメン店と言わないといけないのに、医師は医者と言っても全く問題ないと思っているんでしょうね。マスゴミの考えがよーくわかる記事でした。

投稿: | 2016年2月14日 (日) 05時27分

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