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2016年2月20日 (土)

自動車事故の大部分はヒューマンエラーが原因だそうです

先日多数の犠牲者を出した悲劇的なスキーバス事故は運転手死亡もあって調査も難航しているようですが、その事故原因を巡って山道には全く不適当な大幅な速度超過が最大の理由であると言うことはほぼ判明しているものの、何故そんな速度超過をするに至ったのかがはっきりしないようです。

なぜ減速できなかったのか? 運転手死亡で原因究明に高い壁(2016年2月16日産経新聞)

 長野県軽井沢町のスキーバス転落事故は2月15日で発生から1カ月を迎える。これまでの県警の捜査で、速度が一時96キロに達するなど事故直前のバスの異常な挙動が明らかになった。最大の謎は「なぜスピードを制御できなかったか」という点だ。ギアがニュートラルに入ってエンジンブレーキが利かない状況だったことが分かっており、県警は運転ミスが原因との見方を強めるが、運転手が死亡していることなどが原因究明のハードルとして立ちはだかっている。
(略)
つかめぬ事故状況

 なぜ減速できなかったのか。一般的に事故車両と同型の大型バスを減速させる際は、ギアを低速に切り替えてエンジンブレーキと補助ブレーキを作動させ、最後にフットブレーキで速度を落としきる。しかし、ギアがニュートラルだとエンジンブレーキと補助ブレーキが作動しない

 フットブレーキを多用すると部品が過熱して利きが悪くなる「フェード現象」が起きるが、こうした現象が起きた痕跡はなかった

 このバスはエンジンが壊れるのを防ぐため、ギアを低速に無理に変えようとすると、自動的にニュートラルになるように制御されていた。死亡した土屋広運転手=当時(65)=は大型バス運転の経験が乏しく、「パニックになってしまった可能性がある」と捜査関係者は指摘する。
(略)

事件の第一報を聞いて真っ先に思い浮かんだのが満員乗車の下り坂と言うことで、フットブレーキのかけ過ぎでブレーキが利かなくなる「フェード現象」ではないかと思ったのですが、今のところそれが主原因ではないらしいと言う話ですからさて何が理由なのかですが、風の噂に聞くところではどうもこのタイプのバスそのものの構造的な原因があるらしいのですね。
記事にもあるようにこの車輛はエンジンが一定回転数以上にならないように、回転数が上がりすぎるとギアが勝手にニュートラルになってしまう仕組みなのだそうですが、そもそも低いギアならばともかく高いギアに入れておくと下り坂で車輛速度をコントロール出来るほどエンジンブレーキが利かないのだそうで、慣れたドライバーは上り坂から下り坂に差し掛かるところで十分に速度を落としギアも落とし、予め速度を上げないようにしておくのだそうです。
では仮にそうした事情を知らない人間がうっかりギアを落とさないまま下り坂に差し掛かってしまえばどうなるのかで、フットブレーキでは速度をコントロールできず次第に速度が速まっていく、そしてギアを落とそうにも入らずいずれ勝手にニュートラルになってしまい、ますます速度が上がっていくと言うことで、まさしく今回の事故のように際限なくスピードが増してついには事故を起こすしかないと言う状況に陥ってしまうのは必然ですよね。

通常機械の設計と言うものは何か人為的なミスがあってもそれを大事につなげず、機械そのものが状態悪化を収束させる方向で作っておかなければならないはずなのですが、実際にこうした仕組みになっているのだとすれば何故そんな事故を誘発しかねない設計にしているのかと疑問に感じるところで、メーカーとしても何らかの対策を考慮すべきなのではないかと言う気がします。
ともかくも今回の事故にしても車輛の構造に不慣れなドライバーが事故の一因となったことは十分可能性がありそうなのですが、こうしたヒューマンエラーに対する事故防止対策として最近話題になっているのが人口知能による自動運転技術で、最近ではあちらこちらで試作車が走り出していると言うニュースと同時に、しばしばこれも事故を起こしていると言うニュースも流れていますよね。
日本では今のところ人間のドライバーが同乗していなければ自動運転の車両は公道を走れないのだそうですが、それでも自動運転中に事故でも起こったときに一体誰の責任になるのかと言う点は非常に気になるところで、先日アメリカでこんな注目すべき司法判断が出たと報じられていました。

“自動運転の人工知能はドライバー” 米運輸省が初判断(2016年2月10日NHK)

アメリカで自動運転のルール作りが進むなか、アメリカ運輸省は、IT企業のグーグルが開発を進めている自動運転のための人工知能をドライバーとみなす初めての判断を示しました。
これは、アメリカ運輸省の道路交通安全局がグーグルの開発担当者に宛てた文書を公開して明らかにしたものです。

この中でアメリカ運輸省は、自動運転のための人工知能について、「伝統的な観点から見るとドライバーではない」としながらも、「人の存在なしで車が運転しているであれば、実際に運転しているものをドライバーだとみなすのが合理的だ」として、ドライバーとみなす初めての判断を示しました。

自動運転のルールを巡っては、カリフォルニア州の運輸当局が去年12月、安全を確保するため車には運転免許を持ったドライバーの存在が必要だという独自の規制案を公表したばかりでした。

IT企業のグーグルが開発を進めている人工知能をドライバーとみなすという今回のアメリカ運輸省の判断は、今後本格化する自動運転のルール作りに影響を与えそうです。

日本では2020年の実用化を目指して各企業団体が開発にしのぎを削っていて、その背景にはヒューマンエラーを起こさない自動運転なら事故が減ると言う期待もあるそうなんですが、それでも実社会に出てくれば予期せぬ事故は必ず起こるのだろうし、その場合同情している免許所持者が責任を取るのか、それとも車の所有者なのか、はたまた自動車メーカーなのか、これは非常に大きな問題ではありますよね。
金銭的な補償に関しては自動運転車専用の保険なりを用意すれば何とかごまかしは利くのかも知れませんが、人身事故等を起こした場合刑事責任を問われる場合もあり、また当然ながら道義的な責任と言うものもあるわけで、現実的に社会的責任を負えないものに人格を認めると言うのはどうなのか?と感じずにはいられません。
この辺りは誰か責任を取る人間が同乗することを前提に、あくまで道具扱いにしておく方が現行法との連続性では簡単な話になりそうなんですが、ただ将来は田舎で運転手のいない老人世帯などの移動手段として活用したいと言った場合、わざわざ運転手を用意すると言った手間が必要であればあまり自動運転の有り難みがないのも確かですよね。

自動運転を巡って予期されているトラブルの一つとしてもう一つ、どのような選択肢を採ったとしても事故を避けられない場合に機械はどう判断すべきなのか?と言う問題があって、例えば狭い道路で対向車が突進して来た場合など、衝突を避けようとすると歩道に突っ込んで歩行者を轢かなければならない状況と言うものは実際にあるはずです。
こうした場合犠牲者がより少ない方を選択させるべきなのかそれとも他に判断基準があるのか、そもそも一瞬でそんな価値判断を機械が行えるものなのか、そして機械の判断と言っても実際には設計したメーカーの判断に過ぎないものを妥当であると誰がいつ判断するのかなど様々な疑問が湧くのですが、こうした話は恐らく一つの正解などない問題なんだろうと思いますね。
とあるメーカー担当者が「年間4000人の死亡事故が自動運転の普及で2500人に減り、そのうち自動運転車による死亡事故が500件あったとして、社会は『自動運転のおかげで1500人の命が救われた』ととらえるのか?それとも『自動運転車のせいで500人の命が失われた』ととらえるのか?」と社会の側に質問を投げかけたそうですが、恐らく社会の判断をもっとも明確に示すことになるのは保険料が幾らになるかと言う点だろうと思います。

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コメント

警察がなんでも前方不注意にしたがるようなもんか

投稿: | 2016年2月20日 (土) 08時18分

個人的には過失が原因の事故を刑事事件にすべきでないという立場なので、
自動運転が主流になって多くの事故が民事のみで解決される社会のほうがいいなあ・・・と感じています。私も老化していますし。
自動車の任意保険は自動運転に対応したものが出るのでしょうし、各メーカーの自動運転装置の質によって金額が変わってくるのでしょう。

投稿: クマ | 2016年2月21日 (日) 08時59分

免許を持ったドライバーが必要っていうなら、日本じゃ成人の大半が自動車免許持っているのだから
それでいいんじゃない?
アメリカでも同じようなもんでしょうから、ほとんど問題にならないと思いますね。

もっとも、将来的には自動運転限定免許なんてモノが出てくるのだろうけど。

投稿: | 2016年2月22日 (月) 09時12分

法的な話を始めると、現在でも「法人」というものが存在します。
人工知能にも同様に何らかの概念を割り当てるべきでしょう。

投稿: | 2016年2月22日 (月) 10時08分

法的金銭的責任の所在よりも、この場合道義的責任を誰が負うのかが最後まで揉めそうな気がします。

投稿: 管理人nobu | 2016年2月22日 (月) 11時59分

我が国も2020年の一部実用化を目指している自動運転ながら、アメリカの『NHTSA』(日本の国交省に相当)は
グーグルの自動運転車について「運転者を人工知能とするのが妥当」という見解を出した。つまり人間の代わりを人工頭脳が行なってよい、という意見だ。
もちろん正式な法規でなく「そういう方向で認めていくつもり」ということ。これに対しアメリカでは多数の反対意見も出始めている。

果たして人工知能はドライバーとして認めていいのか? そんな世界的論議になっている中、東京の町田で痛ましい事故が発生した。
詳しい状況は下のリンクを見て頂きたい。交差点を左折したトラックと、横断歩道を渡ろうとした小学校1年生の男児が接触。
頭を強く打って亡くなってしまったのだ。多くのメディアはトラックドライバーの責任を重く取り、警察もひき逃げなどの疑いで逮捕している。

・事故を報じるNHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160217/k10010412541000.html

ただ動画を見ると、男児はトラックドライバーの死角から接近しており、見えていないと思われる。
一方、男児は横断歩道の青信号を信じたのだろう。この事故形態、何十年も繰り返されてきた。基本的にドライバーの責任と判断される傾向。
もう一つ動画を御覧頂きたい(最後の10秒でOK。悲惨な状況ではないので安心してどうぞ)。元気の良い子供はこういったケースが当たり前のようにあることだろう。

・横から飛び出し(幸い大きなケガ無し)
https://youtu.be/UTR_Jx3nqLI

ここからが本題である。果たして人工知能ならどうか? ぶつかってくる歩行者を避けられるかと言えば、なかなか難しいと思う。
町田の事故のようなケースであっても、避けられる可能性は高くない。速度を徐行レベルまで落とたところで、ぶつかってきたらひいてしまう。
二つ目の動画レベルだと、人工頭脳であれば全くのお手上げだ。「走る」という行為から考え直さなければならない状況だと考える。

もし人工知能を運転者として認めた場合、責任は誰も負わない。むしろ「ぶつかってきたのだから仕方ない。ぶつかった方の責任」ということになってしまう。
仮に人工知能を運転者として認めるなら、最低でも「人工頭脳でも事故を起こさないような道路」を作るか、
幼児や認知症の方に対してまでの交通安全教育が必須。「自動運転=素晴らしい技術」と思い込んでいる人も多いが、じっくり考えることも必要だ。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/kunisawamitsuhiro/20160222-00054644/

投稿: | 2016年2月22日 (月) 20時59分

前者の事故は交差点に進入するときに横切る横断歩道と交差点から出るときに横切る横断歩道の両方で一時停止をすればかなりの確率で防ぐことができます。
路線バスのなかにはそういう運転をしているものもありますので、そうプログラムするのはそれほど難しいことではないでしょう。
そもそも自動運転車なら死角はカメラを設置することで補うことができますし。

後者の事故は今までですと司法がなんでもかんでも「運転手の不注意」で処理してきたケースです。本来はそれが異常なのです。
自動運転ではその手は使えないのでどう判断するのか興味がありますけれども、
自動運転車は事故の一部始終をカメラで記録しているでしょうから、その状況で車に責任があるとの判断を出すのは容易ではないと推測されます。
自動運転車が普及すると、子供が加害者になったときのために保険加入する必要性が今以上に増してくるのではないかと想像します。

投稿: クマ | 2016年2月24日 (水) 11時07分

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