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2016年1月12日 (火)

臨床研修が医師の選別の場に?

臨床研修制度改革と言うものが継続的に議論されていて、特に例の新専門医制度導入とあわせてそもそも初期研修の義務付け自体が不要なのではないかと言う意見もあるそうですが、先日出ていたこちらの記事に気になる議論があったので紹介してみましょう。

“患者に危害加える研修医”の処遇、課題に 2020年度からの臨床研修制度改革を議論(2015年12月25日医療維新)

 厚生労働省の第2回医道審議会医師分科会医師臨床研修部会(部会長:桐野高明・国立病院機構理事長)が12月24日に開かれ、2020年度の臨床研修制度改革に向けて、「医師臨床研修制度の到達目標・評価の在り方に関するワーキンググループ」で策定した、新たな到達目標の骨格案とその検討状況について議論した(『臨床研修、新評価の骨格案を提示』を参照)。制度上の到達目標の取り扱いや到達目標を達成できなかった研修医への対応などが課題として挙がった。

 骨格案では、「医師としての基本的価値観」「資質、能力」「遂行可能業務」の3つを到達目標として設定し、その上で到達目標を達成するための臨床研修プログラムに係る方略と評価方法を定める。これに対し、到達目標を達成できなかった場合の評価方法について質問が出た。

 ワーキンググループ座長の福井次矢氏(聖路加国際病院長)は、「質を担保できない医師は、患者と接して危害を加えないようなところに行ってもらうように、強く薦める以外できないのが実状だ」と説明したほか、部会長の桐野氏は「大きな課題だが、解決方法はまだない」として、今後の課題とした。
(略)
 委員からは、評価方法や評価後の対応についての質問が相次いだ。和歌山県立医科大学理事長・学長の岡村吉隆氏は、「到達目標を達せられなくても臨床研修ができたとするのか。骨格案には、『社会に対する使命感』など、医療の社会性についての言及があるが、客観的な評価ができない」と意見。山形大学医学部長の山下英俊氏も岡村氏に同意し、「どこまで完成度を求めるのか、評価が極めて難しい。評価する我々は何を持って(研修医の)資質や能力を担保するのか。遂行可能業務とあるが、医師法では医師免許があれば医師の業務ができることになっている。教育現場では、やってはいけないと言わないといけないこともあるが、それと医師法の整合性を取る仕組みが必要だ」と求めた。

 労働者健康福祉機構千葉労災病院長の河野陽一氏は、「卒前と卒後では評価の軸が異なるが、卒後に問題があるとなった場合の選別のシステムがない。現状では再教育を現場でやって、ここまではというところで送り出すことになる。評価を厳密にどうするのか、達成しなかった場合の対応を決めないと同じことの繰り返しだ」と主張した。

 福井氏は、到達目標の取り扱いについては、「臨床研修の修了認定時に到達目標を達成していること、という文言はあるので、100%達成とするかは別として、達成することが求められる」との見解を述べた上で、到達目標を達成できなかった研修医については、「現在の研修制度では、どれだけ指導しても患者に危害を与える可能性が高い人は、修了認定をしなくてもいい、ということになっている。しかし実際の判断は非常に困難だ。質を担保できない医師は、なるべく患者と接しなくてもいい分野に強く薦めること以外に我々はできないのではないかと思う」と現行制度の枠組みで限界があることに理解を求めた。

 岡山県精神科医療センター理事長の中島豊爾氏は、具体的な評価方法については、「ワーキンググループでは、まだ議論はそこまでいっていない。到達目標の中身を具体的にどうするか話している段階だ」と説明した上で、「臨床研修が終わった後に患者と接する業務につかせないとするのは、医師法の改正が必要だ」と指摘。桐野氏は「今回の改定でどこまでできるのか考えるべきだ。ただ、どうにもできない人をどうすべきかについては大きな課題。それを上手にマネージする仕組みはまだないので、検討が必要だ」と述べた。
(略)

現在行われている卒後の臨床研修義務化と言うことに関して、当然ながら医師として一定程度の基礎的知識は専門領域に関わらず習得しておくべきだと言う観点からローテート研修が必修化され、これはこれで一定の効果はあったと思うのですが、一方で初期研修が医師としての最低限の能力を担保するべきものであると言う概念論はともかく、それを制度的にどう確認すべきかと言う議論はあまり見かけなかったように思います。
純粋に能力と言う点に関して言えば、例えば精神科領域に進むことを考えている研修医が身体診療科で一定程度の研修を積むと言うことは、少なくともそれ以前の精神科ストレート研修だけしか知らない諸先輩よりは能力的に高まっているとも言えるわけですから、こと専門外の診療能力と言う点に関して言えば下手すれば大御所の先生方であっても研修医に劣ると言うこともあり得る理屈です。
その意味で能力と言うものをどう評価するかと言う技術論はともかく、研修医にだけ一方的に高い能力取得を義務づけるのもどうなのかですが、ただここでもう一つ注目すべきなのが単純に能力と言うことだけに留まらず資質と言う点にも言及されていて、明示的に言われているわけではないもののいわゆる医師として以前に人としてどうよ?と言う方々をどう排除するか?と言う古典的問題とも結びついている点ですね。

過去にも医師のモラルだとか適正と言ったことは様々な点から指摘されてきていて、確かに学力試験がペーパーテストの点数主体であることから人物的にどうなのか?と言う視点での評価は抜け落ちがちとは言えるのですが、他方ではそれを審査する偉い先生方がどれほど立派な人格識見を備えた人物であるのかと言うことを考えると、「医師の常識は世間の非常識」などと言われてきた歴史的経緯もあるわけです。
そもそも論として言えば研修医が研修によって必要な臨床能力を獲得出来なかった場合、その責任を問われるべきなのは研修医なのか指導医なのかと言う議論もあって、先年広大医学部の試験でほぼ全員が不合格になった際にも試験問題として適切だったのか、指導体制に問題がなかったのかと言ったことが議論されたように、教える側の責任追及なくして教わる側の責任ばかりを問うのもいかがなものかと言うことですよね。
この点で例えば研修医のレベルアップの程度によって研修指定病院に何かしら利益誘導なりペナルティーなりを加える考え方もあるものの、成績を上げるために優秀な学生しか取らなくなるのではないかとか、優れた人材が集まらない田舎病院がますます不利になると言うデメリットもあるでしょうし、そもそも客観的にどうやって研修医の能力や適性を評価するのかと言う難問もあるわけです。
いずれにしてもまだそこまで突っ込んだ議論にも到達していないと言うことなんですが、記事にもあるように本来的には医師免許を与えた時点で医師として診療する権利があるはずですし、それが出来ないと言うことであれば初期研修云々ではなく国家試験等医師資格の認定方法にこそ問題があると考えるべきであって、これをもって臨床研修制度を云々するのはいささか違うのではないかと言う気がします。

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コメント

底辺卒には高すぎるハードルw

投稿: | 2016年1月12日 (火) 08時02分

それ以前に医学部からの出口を絞ったらいいんじゃ?
大学の学長医学部長ならもっと責任を感じるべきでしょうに。

投稿: ぽん太 | 2016年1月12日 (火) 08時28分

> 出口を絞ったらいいんじゃ?
簡単にいうね。
「入り口絞ったら(医学部定員削減)」と同列のぺらだな。
絞り方をどうするか、って話だろ。

現行の絞り(国試)が まずいから不適正なのが出てくる。
医局制度は不適製品のバッファになって
絞り方を弾力的にしていたんだな。
雇用契約(マッチング)による研修医制度にはそんな機能無し。
そもそも、病院や患者が使えない医者を使わなければ済む話。
使えない医者は自力で居場所を探せ、それで上等。

お偉いさんが権益ででっちあげる資格制度なんぞまっぴらだ。

投稿: | 2016年1月12日 (火) 09時56分

>大学の学長医学部長ならもっと責任を感じるべきでしょうに。
 どういう医者を育てるかなんて高尚なことに、
学長や医学部長の影響力なんてもうないんだよ。
大学そのものが文科省に金で手綱を絞められて、ずぶずぶ。

イヤーノートとQBがあればOKという学生に、
責任の取りようもないよ。

投稿: | 2016年1月12日 (火) 10時09分

イヤーノートとQBがあればOKという学生に、
(対して、大学は   ← 挿入) 
責任の取りようもないよ。

投稿: | 2016年1月12日 (火) 10時15分

でもそうなると指導医の主観で決めるしかないってことになるけど

投稿: | 2016年1月12日 (火) 10時22分

東大でさえシケ対が普通になっているわけで

投稿: | 2016年1月12日 (火) 10時54分

受験的能力はともかく適性となると、大学6年間で評価出来なかったものが初期研修2年間で評価出来るのかと言う疑問もありますよね。
ただ駄目学生が化けるケースは往々にしてありますので、医師として真っ当かどうかや使えるかどうかは最終的には患者や雇用主が判断するしかないのかも知れません。

投稿: 管理人nobu | 2016年1月12日 (火) 11時35分

 真のステイクホルダーは管理人様のご指摘通りですが、迎合しなくてもやっていけるだけの専門性はまだ残っている。守れるかどうかの正念場。

>駄目学生が化けるケースは往々にしてあります。
大学も国試も臨床研修も絶対的な評価になりえない証拠。
指導医の評価や研修後OSCE評価なんぞで、
医者の将来について一般的永続的な縛りが発生するのは筋違い。

研修医よりできの悪い指導医がいてもよいでしょ。
指導医からは学べるところを学んで、不足は
別の機会に別の人から学んで超えていく、
できなきゃ、師を超える弟子など出るわけない。
職能集団としての水準は維持できなくて尻すぼみ。
ヒポクラテス以来の職業自律の精神が失われかけていますな。
こんなことしてるとそのうち薬剤師wの二の舞。

投稿: | 2016年1月12日 (火) 14時49分

 社会的に職業の自律性を認め続けてもらうためには、
少なくとも研修期間中や同じ釜の飯を食ってる間は 
「ダメ医にクリティカルな失敗させないようにする」必要がある。
それでコスパが出ないなら「馘首~任期切れでさようなら」
 自身の能稼げるポジションへ移動、だが

経営が苦しくなってくると、
外的基準お墨付きをもらってヘッジを確保したいやつが、
安直に資格制度を言い出すんだな。
ほとんど役に立たないんだが、飽きずに何度でも繰り返すな。 

投稿: | 2016年1月12日 (火) 15時10分

m3の記事 

Vol.1◆新専門医制度、「大学医局」復権の懸念
地域医療に支障を来さない配慮必要
https://www.m3.com/news/iryoishin/390094

投稿: | 2016年1月12日 (火) 18時03分

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