« 代替医療と聞けばつい「怪しげな」と枕詞をつけたくなるのですが | トップページ | てんかんが原因となったバス迷走事故、関係者の懸念を呼ぶ »

2016年1月28日 (木)

20世紀型介護が破綻した末に登場する21世紀型介護のあり方

国が音頭を取って病院や施設から自宅へと老人を帰そうとしていることはすでに何度か紹介してきたところですが、一方で自宅に帰した老人を誰が面倒を見るのか?と言う問題もあり、そもそも体も弱ってきたからこそ入院入所が必要な老人であるからこそ家族としても「どこかに入っていてくれれば安心なのに」と言うものですよね。
国としてはそうした方々を家族や地域で支えていきましょうと言う考えのようで、その是非や実現性に関してはいささか現状では疑問符のつく余地もなしとしないのですが、ただ先日面白い記事が出ていましたので一部を紹介してみましょう。

老後は「1人暮らし」が幸せ 家族同居より生活満足(2016年1月20日産経ニュース)

 1人暮らしの高齢者は家族と同居している高齢者よりも生活の満足度が高く、悩みが少ない-。大阪府門真市の医師が実施した調査からそんな結果が明らかになった。高齢で体が不自由になると家族の介護が頼りと思われがちだが、体調があまりよくない人でも独居の方が満足度が高かった。調査した医師は「高齢者のお1人さま生活は、実は幸せなのでは」と話している。(加納裕子)

 「1人暮らしの高齢者も家族同居と同じぐらい満足度が高いのではないか」。診察の際のやりとりなどを通してこう感じていたという大阪府門真市の耳鼻咽喉科医院の辻川覚志医師(64)は平成25年、同市医師会の相談電話や日々の診療を通じて聞き取り調査を開始。27年までに60歳以上の約1千人に生活への満足度などを尋ねた。
 その結果、独居の生活満足度の平均は73・5点。同居の68・3点を約5点も上回り、悩みは少なかった。子供の有無や男女による差はなかったという。

 家族と同居する人の満足度が低い理由について、辻川医師は「家族への対応に苦慮するため」と分析する。家族とうまくいかなかったり、コミュニケーションが取れなかったりすれば、生活の満足度は急激に下がる
 一方独居なら、体調が悪くても自分のペースで動けて家族に配慮する必要もない。ただし、満足度の高い1人暮らしの条件としては、(1)自由で勝手気ままに暮らせること(2)信頼できる同世代の友人や親類が2~3人いてたまに話ができること(3)住み慣れた土地に住んでいること-と辻川医師は指摘する。

 26年の国民生活基礎調査によると、65歳以上の人口は約3400万人。最も多いのが夫婦のみで暮らしている人で38%、続いて配偶者のいない子供との同居26・8%、1人暮らし17・4%、子供夫婦との同居13・8%-と続く。
 家族と同居していても満足度を上げるために、辻川医師は“疑似1人暮らし”を推奨している。夫婦2人暮らしなら、夫が自分の食事は自分で準備するなどお互いに自立。子供と住む場合も緊急時以外は連絡せず、なるべく顔を合わせないことでトラブルが回避できるという。
(略)

まあ何をもって幸せとするかは人それぞれなのでしょうし、緊急時以外は連絡せず顔も合わせない状態を同居と言えるのかどうかですが、高齢者介護の現場においては毎日献身的に世話をしている同居親族よりも、盆暮れ正月くらいしか顔を出さない遠い親族との関係の方が良好であるように見えると言うケースはしばしば経験されるところですよね。
ただここで注目いただきたいのは自分のペースで生活できることに加えて「信頼できる同世代の友人や親類が2~3人いてたまに話ができる」と言った、コミュニケーションの問題が同居するしないを問わず幸福度には非常に大きく影響しているようだと言うことで、やはり人間関係も断絶ばかりではよろしくないと言うことのようです。
別にお年寄りでなくともいつも顔を合わせている家族とコミュニケーションに失敗すればそれは幸せにもなりようもないでしょうが、お年寄りの場合自分の生活スタイルが確立されている方も多いだけに今さら新参の若い家族に合わせるくらいなら、と考えてしまいがちであるとすれば理解出来る話で、いわゆるスープの冷めない距離と言った適度な距離感が重要であると言うことなのでしょうかね。
一方で幸福度の高い老人生活の条件としていざという時にすぐ支援が受けられる、既存の人間関係をなるべく温存していくと言うことも重要であるとも言えそうなのですが、老人ホームなどでも旧知の仲間が入所してきたとたん一日中うつらうつらしていたご老人がやたらと社交的になった、と言ったケースが少なくないように、やはりコミュニティを維持すると言うことは老人にとって様々な意味で軽視すべきではないように思いますね。
そうした視点で見たときに面白い試みだと思ったのがこちらのニュースなのですが、震災後の復興を目指している南相馬市で、こういう少し変わったスタイルの老人保健施設が誕生していると言う記事が出ていたことを紹介してみましょう。

身内を介護してお金をもらう福島生まれの新介護施設(2016年1月20日医療ガバナンス学会)

(略)
震災5年目を迎えようとする今、南相馬市で再建を進めている介護老人保健施設があります。この施設は震災時津波で全壊し、多くの入所者が亡くなられました。施設長のI医は、数年の間それが心の傷となって再建に踏み切れなかった、と言います。
「しかし、津波で亡くなられた方の供養もしたい。それ以上に、今この地域で急速に必要となっている介護施設は、絶対に作らなくてはいけないと思いました」
震災直後から診療を続けられ、患者さんだけでなくご家族とも深く関わってきたI医師が目指しているのは、要介護者だけでなく、介護する方々をも救える施設です。
「今この地域は介護士が圧倒的に不足している。その状況で介護施設なんか建てて大丈夫なのか、と聞かれます。でも一方で、家でお年寄りの介護に疲れている方もたくさんいるんです。それならその方々を、介護職員として雇ってしまえばいいんじゃないかと思って」
つまり家庭内の介護の代わりに、要介護者は患者、介護者は職員として施設に迎え入れる、という新しい形の施設だと言うのです。

家庭での介護と、介護職員としての介護。仕事の内容事態はあまり変わらないように見えますが、どのような違いがあるのでしょうか。
家での介護は無給の24時間労働。でも介護職員になれば、多少なりとも給料が出る、そして何より大切なことは、休日がもらえます
家の中で介護をされている方は、社会とのつながりを失い、また家庭内でも介護を評価されることも少ないまま24時間労働を強いられているとも言えます。そのような方にお休みを与えつつお給料も出せる。
その結果、今介護施設で問題になっているモラルハザードの歯止めにもなるのでないか、という期待もあります。
身内が入所している施設であれば、モラルも低下しにくい。いずれは地域ぐるみで介護施設を支えるになれるのでは。」

●講の復活

「これはある意味介護の『講』って言ってもいいね」
病院がコミュニティの中心として働かなくてはいけない、とI医師が自然に思いつかれる背景には、この地域に昔からある「講」という文化があるかもしれない、と言われます。
講とは、もともと宗教結社を示す単語でした。それが時代とともに少しずつ形を変え、今では地方ごとに異なった形の講が残っているようです。相双地区では、主に同じ檀家の中で、年間行事を一緒に行う人々の集まりを指していたそうです。
「比較的有名なものは頼母子講(たのもしこう)と言って、宴会の後に皆が出し合ったお金をくじ引きで1人が総取りする、いわゆる富くじのような行事」
60代のS医師は、ご自身の若い頃にはまだこの講が存在したと言います。
この頼母子講は、実は当たる人はある程度決まっていて、困った人が当座しのげるように皆で寄付をする、という目的があったようです。
それ以外にも、人づき合いの単位ごとに様々な講、例えば職場の講や、母親の講など色々な講が存在したと言います。
(略)
「高校生の頃、お隣のおばあさんが亡くなって、うちが当番だったので、6尺の墓穴を掘った覚えがありますよ」などと思い出される60代の方もいらっしゃいます。
「講って言うと、無尽講とかねずみ講とかあまり良いイメージがありません。でもこれは行事だけでなく、家で疲れた人の逃げ場所としても有効だったんです」
窮屈で排他的な集まりのようにも聞こえますが、この講という因習がなくなることで、むしろ家庭内の問題を外に出せなくなったのではないか、と考察される方もいました。
(略)

このところ介護施設内の暴力行為や虐待行為がたびたび報道されていて、身内を施設に預けることに抵抗感を感じている人も少なからずいるのだろうと思いますけれども、自宅で1対1での介護を続けることによっても介護者の心身の負担が増し、次第にそれが要介護者への攻撃的な言動、行為に結びついたり、最悪の場合はいわゆる介護殺人にも結びついていくと言うこともあるわけです。
施設入所のコストを考えると、在宅介護をしている方々は毎月相応の労働をしているのと同じくらいの貢献をしていると言えますが、在宅介護では給料がもらえないばかりか介護離職から親子共々食べていけなくなると言うこともありますので、それでしたら皆で集まって介護職員として給料ももらいながら続けた方が合理的でもあり、また何より分業制によって心身の負担が全く違ってくるはずですよね。
一見すると錬金術のようにうまいこと考えたなとも思えるこの制度、もちろんそれを当事者が了承すればこそ機能するシステムではあるのですが、他地方においても例えば介護スタッフとして登録すれば入所が早まる等何らかのインセンティブを用意すれば同様のことは十分可能そうに思えるのですが、そこまでする必要性の背景にあるのが慢性的な介護職の不足です。

若者にとって介護職と言うものはあまり魅力あるものではないようですが、傍目で見ていても高度成長期からバブルに至るまで人生勝ち組で過ごしてきた今の時代の高齢者を、生まれついた時から不景気の中で生き今もワープアとして生きることを強いられる若者達が低賃金重労働を強いられ、税金や保険料まで取られながら面倒を見ていかなければならないと言うのも、何かしら釈然としないものはあるのも事実です。
先日厚労省が2020年代までに介護職をさらに追加で5万人以上確保する必要があると言う試算を打ち出していましたが、現状ですら不足していると言う人材をどこからどうやって調達するのかと誰しも不安になる話ですが、例えば職場を定年退職した方々が要介護者になるまでの期間を自らも介護する側として再就職すると言うのは、社会としても大いにウェルカムな話であるように思えます。
「サラリーマン一筋でやってきたのに、今さらおしめ交換など出来るか」と言われるかも知れませんが、自分もいずれそうした面倒を他人にかけていくようになると言う現実を考えた場合に、予め介護の現場とはどのようなものなのかと言うことを知っておく意味合いは小さくはないものですし、国や地方自治体としても何らかの制度的後押しをすることでこうした人材活用の道を検討してもいいように思うのですけれどもね。

|

« 代替医療と聞けばつい「怪しげな」と枕詞をつけたくなるのですが | トップページ | てんかんが原因となったバス迷走事故、関係者の懸念を呼ぶ »

心と体」カテゴリの記事

コメント

老人が老人の金で老人の面倒をみる
なんともすてきだね

投稿: | 2016年1月28日 (木) 07時58分

介護や支援でなくて見守りって感じですかね?
ひきこもらない人ならこれでいいんだろうけど。
ちょっと例外的な人だけ取り上げてる気もしますが。

投稿: ぽん太 | 2016年1月28日 (木) 08時45分

介護者も救えて、こんないい仕組みはないよっていかにもな言い方。詐欺の常套手口ですよね。
なにかおかしいところがないか、よーく考えてみようね。
ちょっと考えるだけで、二つ三つすぐ出てきますよね。

投稿: | 2016年1月28日 (木) 09時31分

>ちょっと考えるだけで、二つ三つすぐ出てきますよね。
 そこんところ、具体的にお願いします。

投稿: | 2016年1月28日 (木) 09時59分

まあ万人にとって異論なく素晴らしいアイデア言うのは役人政治家も馬鹿ではないので、採用されていないと言うのは何かしらデメリットもあると言うことだとは思います。
問題は誰にとってのメリットデメリットを意識して方針を決めて行くかで、今の現役世代にとってはこの点で様々な不平不満はあるのだろうと思いますね。

投稿: 管理人nobu | 2016年1月28日 (木) 13時12分

どういう契約で介護者を雇うのか興味があります。
介護している人が無資格者だった場合も気になりますが、有資格者だった場合それに見合った賃金が払えるのかどうか・・・

投稿: クマ | 2016年1月28日 (木) 13時19分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/519753/63126179

この記事へのトラックバック一覧です: 20世紀型介護が破綻した末に登場する21世紀型介護のあり方:

« 代替医療と聞けばつい「怪しげな」と枕詞をつけたくなるのですが | トップページ | てんかんが原因となったバス迷走事故、関係者の懸念を呼ぶ »