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2015年10月26日 (月)

医学的な正しさ≠社会的な正しさ

少し前ですが、最高裁でこういう判決が確定したと報じられたことをご存知でしょうか。

後遺症の女児側、敗訴確定 カンガルーケアめぐる訴訟(2015年9月4日共同通信)

新生児を母親が胸で抱く「カンガルーケア」の途中に呼吸が止まり後遺症が生じたとして、大阪府内の女児(4)と両親が同府富田林市の病院を経営する医療法人に損害賠償を求めた訴訟は、請求を棄却した二審大阪高裁判決が3日までに最高裁で確定した。第3小法廷(木内道祥(きうち・みちよし)裁判長)が1日付で原告側の上告を退ける決定をした。

二審判決によると、女児は2010年12月、健康体で出生。直後から母親があおむけになって抱いたが、約2時間後に動かなくなり、呼吸が止まり、その後低酸素脳症を発症し、24時間介護が必要な植物状態となった。

原告側は「病院が安全確保を怠った」と主張したが、一審大阪地裁は「カンガルーケアと低酸素脳症の発症に関連性があるとは言えない」と退け、二審も支持した。

カンガルーケアをめぐる訴訟は埼玉、愛媛、福岡、宮崎などでも起こされたが、最高裁で確定するのは初めてとみられる。

ひと頃話題になったこのカンガルーケアと言うものもその後こうした事故が頻発したとして昨今では様々な意見があるようですが、気になるのは裁判沙汰になったケースでは多くが母親に新生児を抱かせた後スタッフが席を離れている間に事故が起きているように見えることで、疲労や薬剤投与で注意力も散漫になっているだろう母親だけに全てを任せるリスクは一定程度あるようには感じます。
ただこれまた極めて希少なトラブルのために新生児全例に厳重な監視を行うのは無意味かつ現実的に不可能であると言う反論もあって、この辺りは出産に対するリスクと言うものをどの程度に考えるかと言うことが問題なのですが、少子化、高年齢出産化で産む機会も昔よりは減ってきているだけに、一度の出産の持つ意味は昔よりもずっと大きなものになっているようには思いますね。
かつてはいわゆる陣痛促進剤が社会的に諸悪の根源のように叩かれた時期があって、産科の先生に言われるとあれも正しく使う限り非常に有用で無ければ困ると言う局面も多々ある薬なのだそうですが、社会的にひとたびこうと見解が統一されてしまうと医学的なものとは全く別の判断がなされてしまうことがままあると言う点では、先日出ていたこういう記事もその範疇に入ってくるのでしょうか。

あの激しいけいれんは本当に子宮頸がんワクチンの副反応なのか(2015年10月20日ウェッジインフィニティ)

「いずれもこの年齢の少女たちによく見られる症例ですね」
 ある冊子に記載された患者たちの症状や経過だけを見た場合、どういう考えを持つかという質問に対し、複数の小児科医・神経内科医・精神科医から寄せられた回答である。ひとつひとつの症例についてコメントや解説をつけてくれた医師もいた。
 この冊子は全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会・薬害対策弁護士連絡会・薬害オンブズパースン会議の3団体が昨年5月末に出版した「子宮頸がんワクチン副反応被害報告集」。弁護士が“被害者”本人およびその保護者に聴取した内容を記したものだ。

 今年に入ってから“被害者”に関するいくつかの書籍も出版されている。“被害者”の少女たちの症状は実に多彩だが、特に神経疾患を思わせる症状についての記述はどれも強烈だ。繰り返し起きる手足や全身のけいれん、「自分の意志とは無関係に起きる」という不随意運動、歩けない、階段が登れない、時計が読めない、計算ができない、そして、ついには母親の名前すら分からなくなった……。
 いずれも「ワクチンのせいだ」と思って読めば、読者は絶句し、ワクチンへの恐怖心を募らせるに違いない。
 しかも、“被害者”はなぜか「元気でやりたいことのたくさんあった、学校でもリーダー的役割を担っていた少女」ばかり。部活の部長、副部長、キャプテン、副キャプテン、生徒会長、コンクールで優勝した……。小さいころからスポーツや楽器などの習い事を続けてきた子も多い。その子供たちが「やりたかったことを実現するための未来をワクチンに奪われた」。
(略)
 回答を寄せてくれた医師の中には、子宮頸がんワクチン接種後の少女たちを診察した経験のある医師もいた。
 児童精神の専門医は「“精神科”と聞くだけで強い拒絶や怒りの反応を示す子もいるので、神経内科の先生の方でずっと診てもらうこともあります」と言った。神経内科医は「辛いのは症状を抱えた子供たち。ワクチンのせいであってもなくても良くなればいいでしょう?」と応じた。いずれも報告書や書籍に登場する、ふんぞり返って「気のせい」「演技では」「詐病だ」と断じる傲慢な医師たちの印象とは程遠い
 多くの小児科医や精神科医によれば、子宮頸がんワクチンが導入される前からこの年齢のこういう症状の子供たちはいくらでも診ていた。しかし、今ではもう何でもワクチンのせいということになっていて、大多数のまっとうな医者の普通の判断を言うことがまるで「弱者への暴力」であるかのような雰囲気になっている。

 テレビでも繰り返し放送されたあの激しいけいれん症状。手足をばたつかせて立ち上がることもできなくなった苦悶状の表情をした少女たち。ワクチンのせいでないとすれば、いったい少女たちは何に苦しめられ、何に苦しんでいるのだろうか。
 ある病院を訪れたのは子宮頸がんワクチン接種後、「毎日午後3時になると必ずけいれんを起こすようになった」という少女とその母親だった。脳波、CT、MRI、採血と一通りの検査を実施したが異常は見つからない。「異常はないようですが発作の状態を確認しましょう」。3時になると言っていたとおり発作は起きたが、やはり脳波には異常がない。「では、入院して検査しながらもう少し様子を見ましょうか」。入院させたのは、時計がなくビデオカメラのついた病室だった。午後3時のけいれんは「ピタッと止まった」
 「症状が少しおさまったようでよかったですね」
 医師はこれが脳や神経の病気ではなく、心因性のものであることを伝えた。ところが、母親は喜ぶどころか顔色を変えて言った。「これだけのけいれんがあるのに、また心の問題に過ぎないって言うんですか? この子に何の問題があるって言うんです。うちは家族も仲がいいし、この子は友達も多く学校でも元気にやっていたのに……」
 少女の症状を説明するのも母親なら医師の説明に応じるのも母親だ。中学生や高校生と言えば自分の症状を説明するには十分な年齢だが、体調不良の原因をワクチンだと疑って受診する母娘では母親が前面に出てくるケースが多い
(略)
 こうした症状が、大人にとってトラブルの少ないいわゆる「いい子」に多く見られるのは、決して不思議なことではない。背景には「過剰適応」と呼ばれる精神状態がある。期待に応えたいという思いや認められたいという思いが強く、自分の欲求や不満を適切に言葉で表現することが出来ない少女たちは自覚のあるなしにかかわらず、身体でそれを表現することもあるのだ。
 「メディアで騒いでいる症例の多くは、いわゆる、クララ病。『アルプスの少女ハイジ』にクララという車椅子に乗った綺麗な女の子が出てきますよね。病気だから学校には行かれないが、お金持ちだから家庭教師が勉強をみている。親は仕事が忙しく不在で、学校に行っていないから友達もいない。恵まれているように見えるのに孤独です。それがハイジに出会って立てるようになる。『うちの子は何の問題もない』と言ってくる親もいますが、思春期に問題も悩みもない子供なんていたらそっちの方がおかしいでしょ」。ある医大の小児科教授は溜息をつく。
 「これだけマスコミが騒げば、ワクチンはいいきっかけになります。親への不満を直接ぶつけられなくとも、他者に矛先が向かうのであれば本人も安全です。でも、本人にもご家族にも表だってそうとは言えませんよね……」
 前出の児童精神科医はこう語り、「1歳くらいの言葉のうまく喋れない小さな子供もやりますよ。たとえば、足をつっぱらせて変な姿勢を取るとママが来てくれると分かったら、子供はそれを何度も繰り返す。病気の後にそうなることも多い。下に兄弟が生まれたときになる赤ちゃん返りなんかもそれですね。幼児期であれ思春期であれ、その〝困った感〟に辛抱強く付き合うのも医者の仕事です」と続けた。
 「ワクチンを打った後、階段が登れなくなった子というのもよく出てきますが、そういう子と立ち話している時に、ポンッと肩を押してみるんです。そうするとその子が倒れて転落するということはありません。10代の女の子の反射神経は私よりずっといいから当たり前ですよね。心因性かどうかの判断は、脳波などに異常がないのを確認した後、訴えや症状に矛盾があるかないかで行います」
(略)

子宮頚癌ワクチンそのものの是非と言うことに関してはこの際深く突っ込みませんが、この副作用渦被害報道に関しては以前にも取り上げたようにそもそも色々と突っ込みたくなる事情が少なからずあったようですし、かつての抗インフルエンザ薬による飛び降り事故報道などと同様に医学的判断から離れた場所で話が進み、いつの間にか既成事実のようになってしまっていると言う点には違和感を感じます。
ただ医学的見地からの判断としては違和感を感じる一方で、社会的見地から考えますとこうした状況で「いやそれは薬害ではない。あなた達自身の問題だ」と言ってしまったところで家庭内で非常に大きな騒動が発生し、患者本人にとってもますます状況が悪くなるばかりであると予想される一方で、薬害と言っておけば公的な補助金なり補償なりも期待出来るだろうし、ある意味誰もが幸せになれるとも言えるわけです。
その意味で医学的に正しい判断が必ずしも社会的にも正しい、あるいは望ましい判断とイコールでは結ばれないケースの一つとも言えると思いますし、こうしたケースに対するサポートが社会的に重荷とならない範疇においては誰も困らないとも言える話なのですが、医療費など社会保障関連コスト削減がこれだけ厳しい基準で進む中でいささかブレを感じるところはあるかも知れません。

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コメント

頚癌ワクチンの副作用って日本独特の現象なんですかね?
こういう報道が増えたら副作用報告は減るのかしら?

投稿: ぽん太 | 2015年10月26日 (月) 07時54分

カンガルーケアってほんとにメリットあるの?

投稿: | 2015年10月26日 (月) 09時34分

カンガルーケアに関しては素人の調べた範囲で見る限り、医療リソースが充足された先進国では過度の期待を抱くほどの大きなメリットはないように思います。

投稿: 管理人nobu | 2015年10月26日 (月) 11時41分

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