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2015年8月26日 (水)

認知症高齢者を地域全体で見守ると言うことの実際

昨年に認知症老人が自宅を抜け出して鉄道に跳ねられて死亡、残された遺族にJRから巨額の損害賠償請求が出され名古屋高裁でそれが認められたと言う一件が非常に大きな世間の反響を呼んだことは記憶に新しいのですが、この認知症老人の管理監督責任と言うことに関して、またぞろ揉めそうな事件があったと報じられています。

認知症の夫が火災、留守にした妻に責任は(2015年8月23日朝日新聞)

 認知症の夫を家に残して妻が用事で出かけた時、火事が起きた。隣の家に燃え移り、裁判で賠償を求められた妻。判決は夫婦の助け合いを義務付けた民法の規定を当てはめ、妻に賠償を命じた。介護に明け暮れ、わずかに目を離したすきの惨事。その責任のすべてを妻は負わなければならないのか――。認知症500万人時代、社会が支え合う仕組みを求める声があがる。

 大阪地裁判決(谷口安史裁判官、5月12日付)によると、火災は2013年4月2日夕、認知症を患う当時82歳の夫と、妻(73)が暮らす大阪府内の住宅で起きた。妻が郵便局に出かけて留守中、3階の洋室付近から出火して29平方メートルが焼け、隣家の屋根と壁の一部に延焼した。夫が紙くずにライターで火をつけ、布団に投げたとみられると現場の状況から認定した。

 夫は11年8月に認知症と診断され通院。警察は刑事責任能力がないと判断し、大阪府が措置入院とした。2カ月後に退院したが昨年11月、84歳で亡くなった。

 夫婦は延焼の損害を補償する火災保険には入っておらず、隣家の住人は昨年4月、夫への監督義務を怠ったとして妻に200万円の賠償を求めて提訴。妻は「夫は他人に危害を加えたことがなく、当日も落ち着いていた」と反論した。

 判決は、火災の前月ごろから夫は認知症が進み、姉に「妻が死んだ」と電話するなど妄想による言動があったと指摘。民法752条の「夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない」という規定を踏まえ、妻には夫が異常な行動をしないか注意深く見守る義務があったとし、夫を残して外出したことは「重い過失」と判断した。

 そのうえで、隣家の修理費143万円のうち弁償済みの100万円を差し引き、残り43万円の支払いを妻に命じた。妻は納得できず控訴し、審理は9月1日から大阪高裁で始まる。

まあしかし現実的に認知症老人を抱えた家族は外出も出来ないとなれば社会生活が成立しませんから「重い過失」と言われるとどうなのかですが、逆に言えばこうした事故が起こるリスクは常にあるとも言えるわけですから、何かしら保険等で万一どころか百に一つほどはありそうなリスクに備えておくべきではないかと言う、非常に教訓的な事例ではあったと言えるかとは思います。
先日厚労省からは治療によって回復の見込みがなく士気が迫った場合に、本人家族の不安や悩みを聞いたり終末期医療の選択肢など情報提供も行う相談支援チームの整備事業を全国で展開する方針を固めたと言うニュースが出ていて、確かにこれはこれで非常に重要な政策ではあると思うのですが、一方で当面身体的には死ぬ気配はないが社会的に非常に手がかかるのがこうした認知症症例です。
医療介護に要する社会的コスト削減の財政的な要求や、長期に渡る家族の世話が現実的に不可能であると言う家庭内事情なども合わさって、いわゆる末期高齢者に過度な延命医療はやめようと言う流れは年々定着してきているとは言えそうなんですが、知的能力が著しく低下していても身体的にはまだまだ元気な認知症高齢者や、寝たきりであっても安定した状態を保っている高齢者は少なからずいらっしゃるわけです。
身体的側面に関しては当面大きな問題がない方々に食事を与えず餓死させたとなれば老人虐待や保護責任者遺棄致死ですが、一方で寝たきり高齢者の胃瘻栄養を止めて餓死させることは許容されつつあることを考えるとどこまで違いがあるのか?と言う話ですし、むしろ家族目線で考えれば中途半端に元気があって長生きしてもらう方が後々のダメージが大きくなり問題だと言う指摘もあるようです。

親の介護「早く死んで」と心で叫ぶ私は冷血か(2015年8月22日プレジデントオンライン)

(略)
希望に向かってする努力、何か明るい結果を求めてする努力は、やり甲斐があるものです。親の介護が始まった時は、介護をする側も気が張っていますし、よりよい介護をすれば親の状態が良くなるのではないかという思いもあって、そうした前向きの努力をします。ケアマネージャーにアドバイスを求めたり、本やネットで情報を集めたりするなど、よい結果を求めて介護の知識や技術を身につけるわけです。
(略)
しかし、事態がそうした明るく前向きな方向に向かうことは圧倒的に少ない
老いによって衰え要介護になるわけですから、体の状態が良くなることは望めず現状維持が精一杯。認知症が発症し進行するようにもなります。そうした状態の悪化に伴い、介護者の苦労、心身の疲労は増していきます。
(略)
父が亡くなった時はさまざまな感情が錯綜しました。もちろん最初に感じたのは悲しみです。会話の多い親子ではありませんでしたが、互いを理解していたと思いますし恩も感じていました。
その父を亡くした喪失感は大きかった。
ただ、その一方で、どこかに「これで介護は終わったんだ」という安堵感もありました。次に少し冷静になると「あの介護に忙殺された1カ月半はなんだったのだろう」という思いもふつふつと生まれました。徒労とは思いませんでしたが、した努力が好結果に結びつかなかったむなしさがどこかにあったのです。
介護に対する努力というものは、多くがこのように「死」で終わるものだと思います。だから「悲しい努力」と感じたわけです。

介護が1か月半という短期間で終わった私でさえ、こんなことを思う。数年にわたる長期間の介護をしている方、された方は私とは比べものにならない苦労、膨大な努力をしているはずです。そんなふうに思う方も多いのではないでしょうか。
親しくなったケアマネージャーのFさんは言います。
「介護する方の性格や親子関係によっても異なりますが、介護が長期にわたる人の多くが、心のどこかで親の死を望んでいることを感じます」
(略)
介護が短期で終わるか、長期にわたるかの違いは、親の死後にも影響を与えるそうです。これも人によるそうですが、1年程度の短期で終われば、介護でさまざまな苦労をしたとしても、水に流せる
「いろいろあったけど、いいお父さんだったね」
と死後も敬愛し続けられるそうです。
しかし、これが5年、6年といった長期にわたると、嫌なエピソード、たとえば、
「あの時、あんな酷いことを言われた」「こんな面倒をかけられた」
といったことが積もり積もって、死後も許せないと思い続ける人がいるとか。ここまで人間の感情を傷つける介護は悲しすぎます。
(略)

ある程度慣れてくると介護施設をうまく利用するなどほどほどの距離感を保って介護に関われるご家族ももちろんいるわけですが、自宅介護で自分一人が全てを犠牲にしてやろうとするような考え方は非常に危ないものですし、その意味で仕事を辞めて親の介護に専念すると言った話は決して美談だと称揚されるべきものでもないんじゃないかと思うのですが如何でしょうね?
寝たきり老人がいない夢のような国として日本でも有名な北欧などでは高齢者に対するケアは基本食事の配膳だけで、自力で食事が取れなくなれば何もせずそのまま息を引き取らせると言うある意味非常に割り切った対応をしていますが、そのスウェーデンベルギーなどで行われている様々な認知症対策に共通しているのは特定個人だけに努力させるのではなく、可能な限り大勢で労力責任を分散させて対処すると言うことのように思います。
ベルギーの古都ブルージュなどでは町全体で認知症老人に対処すると言う姿勢を打ち出していて、ある意味行政がやっているのはそれだけとも言えるのですが、それに応じたNPOやボランティアがとにかく大勢の人間が常時認知症老人に関わる態勢を構築することによって、本人はもとより介護をする家族にとっても「妻を殺すか、心中するかしかなかった」と言う追い詰められた状況から脱出できるようになったと言いますね。
こうしたことは一方では歴史的、文化的経緯もあってそうそう簡単に行動を変えるわけにもいかないと言う意見もあるでしょうが、今だに少なからず聞くことですが「あそこの家族は血を分けた親を施設に入れたりして」などと白眼視するような周囲の風潮はどうなのかですし、施設から自宅へと言う行政主導の政策誘導に関してもその社会的影響も考えるともう少し工夫と配慮がいるようにも思いますね。

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コメント

>寝たきり高齢者の胃瘻栄養を止めて餓死させることは許容されつつある
細かいことですが、やはり言葉は慎重に選んでいただきたいです。
私にも一言で過不足なく言う自信はありませんが、とりあえずは
「食べないことに苦痛を感じなくなった高齢者(寝たきりか否かには関係なく)」ではないでしょうか。

それと、「胃瘻栄養」ではなく「人工栄養」と呼びましょうよ。
私の職場に転院してくる人達を見ていても、胃瘻が減ってきている反面、中心静脈栄養や経鼻栄養が増えていて(特に経鼻)、人工栄養全体としてはちっとも減っていないように感じています。

投稿: JSJ | 2015年8月26日 (水) 08時07分

CV経鼻が増えてるって印象はなかったなあ。
それって全国的な傾向なんですかね?

投稿: たま | 2015年8月26日 (水) 08時28分

全国の傾向はわかりません。あくまでも私の職場(療養型病院)。
送り出す側(急性期病院)と受け入れる側という違いもあるかもしれません。
この辺りの介護施設は経鼻栄養を拒否するところが多いので、そのせいかもしれません。

投稿: JSJ | 2015年8月26日 (水) 08時55分

>それと、「胃瘻栄養」ではなく「人工栄養」と呼びましょうよ。

おっしゃる通りなのですが、少なくとも以前であれば経鼻、静脈栄養を中止することと、胃瘻栄養を中止することの間にははっきりした意識の差があったように感じています。

投稿: 管理人nobu | 2015年8月26日 (水) 12時43分

胃瘻ではなくCVなら受け取りますけど、という後方病院が増えているので、ポートが増えて胃瘻がめっきり減りました(地方の急性期病院です)

投稿: おちゃ | 2015年8月28日 (金) 10時30分

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