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2015年7月30日 (木)

期待権は便利使いされている?

医療訴訟と絡めて期待権と言うことが言われるようになって久しく、患者の期待権を侵害したとして損害賠償が認められるケースは決して珍しくありませんが、本来的にはどのような業界においても使える可能性のあるこの期待権と言うものについては、今やほぼ医療との絡みで説明されることがほとんどである印象さえ受けます。
この一因としてしばしば言われるのが平成23年の最高裁での判断ですが、下肢の骨折後に深部静脈血栓症を発症した患者の必要な検査をすべきだったと言う訴えに対して、医療行為そのものが著しく不適切と言えない限り、期待権侵害のみを理由とする不法行為責任は認められないと言う判断を示したもので、医療訴訟における期待権のあり方を示したものと言われています。
その期待権と言うものに関して先日興味深い判決が出ていたことから、本日まずはこちらの記事を紹介してみることにしましょう。

高知の医療法人に賠償命令 高松高裁(2015年7月27日共同通信)

 搬送先の病院でてんかんと誤診され、脳梗塞を発症したとして、高知県香美市の女性の遺族が、病院を運営する高知市の社会医療法人に約2850万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、高松高裁は24日、原告敗訴の一審高知地裁判決を改め、慰謝料など330万円の支払いを命じた

 判決によると、女性は2007年11月、脳梗塞を起こす可能性のある発作で救急搬送され、医師らの診察を受けた。その後に脳梗塞を発症した

 判決理由で吉田肇(よしだ・はじめ)裁判長は診察した医師の1人について「脳梗塞につながる発作と疑い、必要な治療をするべき注意義務を怠った」と指摘。「適切な治療を受ける患者の期待権を侵害した」と判断した。注意義務違反と脳梗塞の発症との因果関係は認めなかった

 原告側は昨年5月の一審判決後、期待権の侵害に基づく請求を新たに加えており、高裁はこの部分に関し賠償を命じた。女性は11年に死亡した。

「誤診で脳梗塞」賠償命令(2015年7月25日NHK)

8年前、高知市内の病院に搬送された香美市の女性が医師の誤診によって脳梗塞を発症したとして遺族が病院側に対して損害賠償を求める裁判が24日、高松高等裁判所で開かれ、裁判所は病院側に330万円の支払いを命じる判決を出しました。

この裁判は、8年前、香美市の女性が高知市内の病院に搬送された際、脳梗塞を疑うべき症状であったにも関わらず、医師が「てんかん」と誤診し、女性の脳梗塞の発症を防ぐことができなかったとして女性の遺族が病院に対し、慰謝料など2850万円あまりの損害賠償の支払いを求めていたものです。
この裁判で高知地方裁判所は女性の遺族の訴えを退ける判決を出し、これを受けて遺族は「適正な医療を受ける“期待権”が侵害された」という主張を新たに加えて、控訴していました。

25日、高松高等裁判所で開かれた裁判で、吉田肇裁判長は「医師がMRI検査などを実施していれば、脳梗塞の発症を回避するか、後遺障害が残らない、あるいは軽減された可能性が相当程度ある」と指摘しました。
その上で、「女性は適切な医療を受けることができず、その“期待権”を侵害された」などとして、病院側に対し、慰謝料などを含む合わせて330万円の損害賠償の支払いを命じました。

医学的に考えますと脳梗塞でてんかんのような症状が出ることは当然にあるだろうし、なかなか判断の難しい症例でもあったのだろうと思うのですが、脳梗塞の発症を回避出来た可能性が相当程度あると言うことは受診時まだ発症前だったと考えていることになりますが、その時点でMRI等の画像検査をしたところで果たして所見があっただろうか?と言う気もしますでしょうか。
それはともかくこの裁判、要するに一審では損害賠償を認められなかった原告側が期待権云々の主張を付け加えれば勝てると踏んで、実際に二審ではその期待権に関しては勝ったと言うわけですが、前述の最高裁判決を踏まえて考えるならばその前提として医療側の対応が不適切だったと言う判断が必要であったはずですし、事実適切な医療を受けていなかったと言う判断が示されたわけです。
ただ興味深いのは適切な医療をしていないと言いながら、その一方で期待権以外の部分に関しては認めていないと言う点で何ともちぐはぐな印象を受けるわけですが、判決そのものを見ると弁護士費用など諸費用に相当する程度の比較的低額の損害賠償を認めたと言う形の、昔からよく見られる弱者救済型医療訴訟判決の一つの定型通りと言う捉え方も出来そうですよね。

一般に医療訴訟と言うものは非常に専門的で調査も難しく、弁護士に言わせると「普通の事件の2分の1~3分の1の費用で、2~3倍の仕事をしなければならない」のだそうで、その費用と言うものがおよそ200~300万円くらいだと言いますしから、昔から「医療訴訟で本当に有責なら数千万が相場。数百万程度の損害賠償判決は”裁判費用分は出してあげるから、これで納得しなさい”と言う裁判所のサイン」だと言う話もあります。
病院などはまず確実に保険に入っているだろうから、別に懐が痛むわけでもなく患者や遺族が納得できるなら構わないだろう?と言ういわゆる見舞金的判決と言うことのようですが、医療訴訟そのものの判断に必要な専門性と言うことを考えた場合に弁護士にしろ裁判官にしろ相当な労力が必要であり、しかも勝つまで患者、遺族が納得しないと言う場合に無碍に原告の請求を棄却するのも躊躇われそうではありますよね。
そうした場合に取りあえず期待権侵害云々の判断だけであればさほどに専門的な判断を必要とせず何となくのアバウトな判断で行える、そしてその相場もまあ見舞金的な判決としてちょうど手頃なものであるとなれば、とりあえずこの辺りでお茶を濁しておくかと考えたがる人間心理が働いているのでは?と思わず勘ぐってしまいそうになりますが、さてこの場合救済された弱者とは果たして誰なのか?です。
医療訴訟の急増に対して、医療訴訟を専門的に判断出来る法曹人口は十分に育っていないと言うことも言われているようですし、昨今では医者も知恵がついてすぐ情報を共有し裁判所のいい加減な判断を批判すると言う時代ですから、万一にも期待権が複雑で面倒な専門的判断には敢えて踏み込まないで裁判を終わらせる方便に使われているのだとすれば、最高裁の判断からはいささか趣旨が違ってきているようにも思えますね。

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コメント

地裁の裁判官ってちゃんと高裁判例勉強してんのかな?

投稿: | 2015年7月30日 (木) 08時54分

いやいや高裁の裁判官が、最高裁判決を読んでないのでは?という記事ですよ(苦笑)

投稿: おちゃ | 2015年7月30日 (木) 09時28分

>医療側の対応が不適切だったと言う判断

医療側の対応が不適切なところがなければ、H23年の最高裁の判例に関係なく期待権は認められません(全く瑕疵がないのですから)
H23年の判例は「不適切があっても基本的に期待権などは最高裁として認めないよ、ただし"とんでもなく不適切"なら考えてもいいけどね」というものです。

脳梗塞を疑ったとしても結果が変わらなかった認定されているので、とんでもなく不適切だった可能性は非常に低いのではないかと思います。
(とんでもなく不適切なのが明らかだったとしたら、なぜ一審から主張しなかったという話になります)

投稿: おちゃ | 2015年7月30日 (木) 09時32分

医療における診療の独立性問題と同様に、司法判断においても裁判官の独立性と言うことがあるのでしょうが、むしろ問題は高裁判決に反するような下級審判決を受け入れてしまう被告側にあるのかも知れません。

投稿: 管理人nobu | 2015年7月30日 (木) 10時43分

弁護士の方たちは、「2~3倍の仕事」でまさか医学、医療を理解できるなんて思っていませんよね(汗)

投稿: | 2015年7月31日 (金) 03時50分

弁護士たちはできるかどうかは二の次で、こうあって欲しいことを主張するだけ。

国民、マスコミ、司法は医学、医療にかかる「人、もの、金」は無視してやるべきと
言ってきて、「人、もの、金」が足りないことを説明しても「医療側の自己責任」と
切り捨てる。

このあたりは日本人の気質なのでいかんともしがたい。

投稿: | 2015年8月 1日 (土) 10時30分

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