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2015年6月27日 (土)

マスコミによって取捨選択される事実の二つの側面

メディアに限らず何であれ言説を弄する者、あるいは単に事実を取り上げるだけであってもその取捨選択によって何らかの主張が込められているものだと言うのは常識だと思いますが、先日その興味深い一例としてまずはこんな記事から紹介してみましょう。

「NHKよ、なぜ安倍首相への帰れコールを隠すんだ」 海外メディアの記者が疑問視【沖縄・慰霊の日】( 2015年06月24日ハフィントンポスト)

6月23日の慰霊の日、沖縄全戦没者追悼式に登壇した安倍晋三首相が、会場で「帰れ!」などと多くのヤジを受けたことを海外メディアが大きく報じている。AFP通信とロイターは、以下のように報じた。

    沖縄の式典が最高潮に達したとき、安倍首相は「亜熱帯の島にはアメリカの存在が大きすぎる」と怒る地元の人々からヤジを受けた。彼が演台に立ったとき、数々の「帰れ!」という叫びが聞こえた。日本の首相は、公衆の場で嘲笑されることは、あまりない。

    (「沖縄戦70周年で緊張が表面化」AFP通信 2015/06/24 13:02)

    安倍首相は、黒い沖縄のシャツを着て、「鉄の暴風」作戦として知られているほぼ3ヶ月の戦いで命を失った人々を追悼する献花をした。数人が「帰れ!」と叫び、黒いベレー帽の老人は立ち上がって安倍首相を指さした

    (「日本の安倍首相、沖縄戦の式典でヤジを受ける」ロイター 2015/06/24 13:02)

しかし、NHKは「首相 引き続き沖縄の基地負担軽減に全力」などと報じたものの、現地での激しいヤジについて放送した様子はない。このことにAFP東京支局の副支局長であるヒュー・グリフィスさんが苦言を呈している。

へい、NHK。なんで安倍首相に「帰れ!」と叫んでいる人々を映さないんだ?

琉球新報がYouTubeで公開している動画でも48分25秒ごろ、登壇した安倍首相に対する激しいヤジを確認できる。

詳細は元記事のリンク先を確認いただきたいとして、先日国会の場におけるヤジが品がないと話題になっていたばかりであり、まあこれも同様に公共の場における品がない行為であると批判されるべきものではあるのでしょうが、興味深いのは記事の書き手であるフリージャーナリストの安藤健二氏がどうやらこのヤジを取り上げないNHKはケシカランと考えているらしいと言うことがうかがわれる点です。
安藤氏と言えば有名なところでは「封印作品の謎」と言う非常に興味深い書物を執筆されたことでも知られていて、これは続編も含めて一読するに値するものであると考えるのですが、そうした氏のスタンスから考えるとこれもヤジ自体の是非がどうこうと言うよりも、そうしたヤジが存在したことを隠蔽しようとする態度が問題であると考えていたのかも知れません。
もちろんNHKも世の中の事実関係全てを報じるわけにもいかないでしょうから、一定の独自基準に従って取捨選択をしながら報道内容を決めているのだろうと思うのですが、何故NHKがそうした判断をするに至ったのかと言う点と関係があるのかどうか、全く同じ現象を別の方面から取り上げたこちらの記事がこれまた話題になっています。

地上戦の災禍(上)慰霊の心どこへ…「あんたらウチナンチュじゃないだろ!」(2015年6月24日産経新聞)

 日米で20万人超の犠牲者を出した沖縄戦終結から70年を迎えた23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園はカラリと晴れ渡った。公園内の仮設テントで営まれた沖縄全戦没者追悼式に出席した首相の安倍晋三は神妙な面持ちで哀悼の意を表した。
 「先の大戦でここ沖縄の地は国内最大の地上戦の場となりました。平穏な暮らしは修羅の巷と変じ、豊かな海と緑は破壊され、20万人もの尊い命が失われました。全国民とともに、この地に倒れた人々の流した血や涙に思いを致し、胸に迫り来る悲痛の念とともに静かに頭を垂れたい」
 時折、「さっさと帰れ」「嘘を言うな」と罵声が飛んだが、あいさつを終えると大きな拍手がわいた

 これに先立ち、登壇した沖縄県知事の翁長(おなが)雄志(たけし)は弔意もそこそこにこう語った。
 「そもそも普天間飛行場の固定化は許されず『嫌なら代替案を出しなさい』との考えは到底県民に許容できるものではありません。普天間移設の中止を決断し、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直されることを強く求めます」
 式次第には「平和宣言」とあるが、完全なる政治演説だった。会場の片隅から「そうだ」と合いの手が飛び、拍手がわいた。
 追悼式に参列した那覇市の男性(72)は「今日は沖縄で犠牲になった方々を慰霊する日。翁長さんの言いたい気持ちも分かるけど式典で政府批判はいかがなものか。慰霊の日なんだから」とため息をついた。

 だが、会場外はもっとひどかった
 「安倍首相来沖反対」「オスプレイ撤去」「不戦誓うこの地を再び軍靴で汚すな!」-。このような慰霊とはほど遠い文言が並ぶプラカードを手にした人たちが午前9時ごろから、公園の入り口付近に続々と集結し始めた。午前10時すぎには約50人となり、シュプレヒコールが始まった。
 「安倍は帰れ。慰霊祭に参加するな!」
 「辺野古の新基地建設許さないぞ!」
 「戦争法案やめろ!」
 午前11時10分ごろ、首相を乗せた車列が反対派の目前を通過し、公園に入った。「帰れ!」「おまえの来るところじゃない!」と怒号が飛んだ
 参列者の通行妨害とならぬよう警察官が歩道に設置した柵の内側への移動を促すと一団は叫んだ。
 「沖縄の表現の自由を守れ!」「慰霊の日に暴力ふるってよいのか?」

 シュプレヒコールをあげた30歳代の男性は東京都出身。「県民の心を踏みにじる安倍政権は許せない」と語った。地元の若者は「あんたらウチナンチュ(沖縄人)じゃないだろ? 政治的なものを持ち込むな」と食ってかかった
 式典会場まで約8・3キロを歩き、犠牲者を追悼する「平和祈願慰霊大行進」(県遺族連合会など主催)に参加した男性(76)はこう嘆いた。
 「毎年参加する度に涙が出る思いになる。今日はそういう日なんです。『安倍は来るな』などと叫んで慰霊を邪魔しないでほしい
(略)

沖縄と言う土地にもそれなりに思うところがあることは記事の後段部分でも理解出来るところですし、またそうした感情はそう簡単に整理出来るものでもないのでしょうが、いずれにしても慰霊のための式典であるはずのものが現地ではずいぶんと変質したものになっている気配がある、そしてその理由は必ずしも沖縄県民だけの責任に帰するものではないと言うことでしょうか。
この辺りは事実関係のどの側面を切り出すかによっていかようにも情報を操作出来るところで、有名なところではかつて自衛隊が海外に派遣されるたびに一部メディアでは岸壁が反対派で一杯になっているかのような映像が放送される、しかし実際にはそうした方々は見送りに集まった大勢の家族から離れて岸壁の片隅に固まって少人数が来ているだけで、しかもテレビの収録が終わるとさっさと撤退していくのだと言います。
今の時代は特にいわゆるプロ市民と呼ばれる方々はマスコミと持ちつ持たれつの関係で仕事をしているのだろうと思いますが、それを簡単手軽にネタを提供してくれるありがたい存在だと考えるマスコミの方々もいると言うことですから、後はそれを知った上でどうマスコミの選んだ事実の一断面を受け止め判断するのかが国民の側の問題なんだろうと思いますね。

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コメント

土人w

投稿: | 2015年6月27日 (土) 11時08分

寒い時代だ。

投稿: | 2015年6月27日 (土) 13時38分

朝日新聞デジタル 6月26日(金)12時59分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150626-00000041-asahi-soci
■琉球新報・潮平芳和編集局長の話
 百田氏が何を論拠にしたのか明確ではないが、「つぶさないといけない」という発言をしたのであれば、
沖縄2紙のみならず、国内のマスメディア全体の報道・表現の自由に対する重大な挑戦、挑発である。
沖縄の現状を全く理解しておらず、残念である。琉球新報は今後とも不偏不党、言論の自由を重んじ、
公正な取材活動と報道に努める。

■沖縄タイムス・武富和彦編集局長の話
 戦後、沖縄の新聞は戦争に加担した新聞人の反省から出発した。戦争につながるような報道は二度としないという考えが、
報道機関としての姿勢のベースにある。百田氏の発言は、
戦争以来の沖縄県民と沖縄の新聞の歴史に対する認識を根本的に欠いている。
言論の自由、表現の自由を弾圧するかのような動きに対しては、断固として反対する。

投稿: | 2015年6月27日 (土) 13時41分

「戦後70年に考える―忘れてはならない歴史と中国」をテーマにした講演会が20日、
石垣市健康福祉センターで開かれ、元静岡大平和学講師の森正孝氏が
「中国軍事費の伸びは、経済発展に応じて抑制的だ」と「中国脅威論」を否定。
「抑止力論を捨てなくてはならない。人間の英知は(戦争放棄を定めた)憲法9条に凝縮されている」と訴えた。

講演会は「いしがき女性9条の会」や「子どもと教科書を考える八重山地区住民の会」などで組織する
実行委員会が主催した。

中国が軍事的な脅威だとする考えが日本に広がっていることについて
「日本社会は、この問題では思考停止状態だ」と批判。中国軍事費の伸びを
「ウェルカムではない」としながら「人口1人当たりにすると非常に少ない」と述べた。

http://www.yaeyama-nippo.com/2015/06/26/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AF%E8%84%85%E5%A8%81%E3%81%A7%E3%81%AA%E3%81%84-%E6%8A%91%E6%AD%A2%E5%8A%9B%E8%AB%96%E6%8D%A8%E3%81%A6%E3%82%88%E3%81%A8%E6%A3%AE%E6%B0%8F/

投稿: | 2015年6月27日 (土) 13時58分

会場の外でデモや集会を行うのは、東京の人であれ、日本人であれば自由です。式典会場の中に土人を入れた役人を追求しないマスコミに嫌悪感を持つのは、私だけでしょうか?

投稿: 麻酔フリーター | 2015年6月29日 (月) 09時51分

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