« 今日のぐり:「萬福食堂」 | トップページ | マスコミ報道から見る医療とカルトの親和性 »

2015年3月23日 (月)

指導する立場にあるものの責任

本日の本題に入る前に、先日出たこちらの判決を紹介してみましょう。

勤務医自殺訴訟で上司2人の個人責任を認めず(2015年3月19日日経メディカル)

 元上司2人によるパワーハラスメントと長時間労働が原因で、男性勤務医のA氏(享年34歳)がうつ病を発症し自殺に至ったとして、A氏の両親が元上司2人と勤務先の公立八鹿病院(兵庫県養父市)に約1.7億円の損害賠償を求めた裁判の控訴審判決が3月18日、広島高裁松江支部で行われた。

 昨年5月の鳥取地方裁判所米子支部での一審判決(関連記事)では、医師であるA氏がうつ病を防げないことなどを理由に損害額の2割が「過失相殺」として減額されていたが、控訴審判決ではこれを不当と判断し、被告側に2000万円の追加支払いを命じた。

 一方で、被告人である上司2人には、地方公務員であることから国家賠償法を適用し、損害額の個人請求を認めないとする判決を下した。一審では元上司2人の個人の責任を認めて元上司と病院が連帯して8012万9536円の損害賠償を支払うよう命じていた。

 広島高裁の判決についてA氏の両親は、一審で言及された「過失相殺」が否定されたことを評価しつつも、上司2人の個人責任が認められなかったことについては、「公務員であれば業務遂行のために暴行しても問われることがないという判決には憤りを感じる」と言明した。原告側弁護団の岩城穰氏は「今後、上告するとなれば、国賠法の適用部分について申し立てることになるだろう」と語った。

過失相殺は否定するも、国賠法の適用範囲が論点に
 昨年5月の一審判決では、医師として疾患の知識があるA氏がうつ病発症の可能性を軽減する行動をとっていなかったことや、精神疾患を専門としていない元上司らが即座に対応するのはやや困難な状況にあった点、周囲の人間が「大丈夫か」と尋ねた際に「大丈夫」と答えていた点、知人や地縁のない土地への初めての転居・勤務であった点――などから、認定した損害額(死亡慰謝料、死亡逸失利益など)の2割を「過失相殺」として減額していた。原告側は、この過失相殺を不服として控訴に踏み切っていた。昨年9月には控訴審第1回口頭弁論が開催され、今年2月が和解期日だったが、原告であるA氏の両親は和解に応じない意思を伝えていた

 今回の控訴審判決においても、過重労働とパワハラが原因でうつ病を発症し、自殺に至ったという点については、一審と同様に認定した。判決では、「心身の極度の疲弊、消耗を来たし、うつ病等の原因となる長時間労働を強いられていた上、医師免許取得から3年目、整形外科医として大学病院で6カ月、市井の総合病院で1、2カ月というA氏の経歴を前提とした場合、相当過重であった」と指摘。「上司2人らからのパワハラを継続的に受けていたことが重層的、相乗的に作用して一層過酷な状況に陥った」と評価した。

 また、A氏が自殺した原因について被告側は、具体的なエピソードを挙げるなどしてA氏の能力不足を主張し続けてきたが、控訴審判決ではこれら一つひとつのエピソードに触れた上で、「同程度の職務経験を有する医師と比べて、特別にミスが多いとか、格別能力が劣っていたとまで推認することはできない」と指摘した。

 一方で、一審では認められた上司2人の責任については、地方公務員であることから国家賠償法が適用され、個人責任を問わないという判決となった。上司2人らが地方公務員であることから、「民間の雇用関係とは異なり、“公権力の行使”に該当する」として個人への賠償責任請求は行われないという判断だ。これについて岩城氏は、「公務員であっても、実態は民間病院と変わらない。公務員であるという理由で、パワハラがあっても上司は責任を問われないという判決結果は、非常に問題だと感じている」と話している。

この件に関しては以前にも取り上げたことがあるのですけれども、明らかに過労死基準を超える労働を強いていながら「医師だったら自分の健康管理くらい自分で出来るだろう」とでも言いたげな判決に多くの方々から批判の声が寄せられていたところで、例えば消防隊員が火災現場に飛び込んで運悪く亡くなっても「この火災規模なら焼け死ぬと言う知識はあったはずだ」などと言われたのでは、誰も命がけの消防活動に従事できなくなりそうです。
そう言う意味で基本的にこの種の労災的事例に関しては被害者救済的な判決にしておく方がいいと言うことなのかとも思うのですが、少しばかり話がややこしいのはそれが上司の管理責任を問うと言うこととも絡めて争われていた店で、民間病院であれば上司のパワハラが問題になっていただろうに公立だからスルーされると言うのではやはりご家族ならずとも釈然としない話ですよね。
ただ実際にパワハラ行為があったのであれば病院側が自ら職員に内規に従っての処分を下すのが筋であって、その時点でそもそもパワハラの実態も当然知っていただろうに放置してきた病院自身の責任も問われるべきである一方で、何かトラブルがあったときに組織として職員を守らない体制ではぎりぎりの局面での仕事は出来ないと言うのも、公立民間を問わずこれまた組織の正論と言えるのではないかとも思います。
前置きがいささか長くなりましたけれども、この個人としてどう責任を取るべきかと言うことが問われている一例として、最近は医学部の学生教育も昔のような牧歌的なものではなくなってきているようですが、その一方で定員増加など様々な要因から医学部学生の質的低下も問題視されるようにもなっている中で、先日こんな記事が出ていたことを紹介してみましょう。。

医学生の試験成績が悪いのは教授のせい!?(2015年3月15日日経メディカル)

 教授の仕事は、教育・診療・研究が3本柱。現代の世相を反映して、これらの負担も増加する傾向にある。

 まず教育。特に医学生への教育の負担が高まっている。私立大学教授のA氏が指摘するのは、「『医学生への教育』が教授の評価項目になった」ということだ。A氏の大学では、講義を医学生が評価する「授業評価」を導入している。声の大きさ、内容の分かりやすさ、板書の見やすさ─などがチェックポイントで、授業評価が悪ければ大学から教授が改善指示を受けるのだという。

 医学生のテストの成績も、教授の評価項目に加わった。業者が実施する模擬試験でA氏が担当する分野の成績が悪い場合はもちろん、A氏が作成したテストの成績が全体平均で3割を切ると、「テストの問題が良くなかったのでは」と大学側から指摘されるのだ。「そもそも自分が学生の頃は、教授が授業のテーマとは全く関係のない研究の話をしても、試験の成績や国家試験の合格率が悪くても、『医学生が勉強しなかった』と皆考えたし、誰も教授に文句を言わなかったのだが……」とA氏は憤る。

 また、実習の負担増を挙げるのは、別の私大教授B氏。「以前はただ見学させていればよかったが、今は医学生がポートフォリオを作成したり、回診時にプレゼンをしたりする。それらをチェックしコメントしなくてはならないのは負担だ」と話す。

 さらに今の時代、医学生の親から教授にクレームがつけられるようにもなった。私大では、年間授業料が700万円近くに上るところもあり、留年したときの親の経済的な負担は大きい。「留年させたことで、下手をすると裁判沙汰にもなりかねない。また、子どもの留年を恐れてか、一つひとつのテストの点数で『うちの子はどうしてこの点数なのか』と説明を求められることもある」と私大教授のC氏は語る。

(略)
 教授は、こうした多彩な仕事を器用にこなせなくては務まらなくなった。東京医科大学腎臓内科学分野主任教授の菅野義彦氏は、「一昔前までは研究に専念してきた人が教授に選ばれたが、今はスペシャリストではなく、教育・診療・研究の全てがそこそここなせるジェネラリストが求められているのではないか」と話している。
(略)

医学部教授と言えば実態はともかく形の上では医学部教育のために雇われている存在であるわけですから、学生教育の実が勤務評価に反映されていなかったことの方がむしろおかしいと言う話なんですが、学生教育そっちのけで自分の研究に没頭したりだとか、あるいは大学病院側の仕事ばかりで学生の相手は部下任せと言う方もまあいらっしゃったのは確かだとは思いますね。
ただこの点で少しばかり同情すべきなのは教授選考の過程で学生教育にどれだけ情熱と実績があるかが問われると言うことがほとんどない中で、教授に就任した途端にそれを重視されると言うのもおかしな話なのではないかとも思うのですが、臨床系講座のトップなのに実験屋で手術一つ出来ない教授もどうかと言うことで臨床能力が重視された選考も行われるようになったくらいで、いずれこれも変わってくることなのかも知れません。
一般論として管理職の最大の業務は責任を取ることであると言う考え方もできるわけですが、ただ学生の成績が悪いのは学生自身の問題ではないか?と言う指摘ももちろんあって、昨年広大で追試験を受けた学生120人全員が不合格になった事件が「そもそも何故ほとんど全学生が追試験を受験することになったのか?」と言う点からも大きな話題を呼んだように、医師を目指すなら自ら学ぶ資質は必須だろうと言う意見もあります。

教育機関なのですから学生にきちんとまともな教育を施す責任があるのは当然として、教育がまともであるのに落ちこぼれていく学生の面倒をどこまで見る責任があるのかと言う議論でもあるとすれば、予備校等であればともかく大学とは自ら学ぶ場であって、勉学を強いられる場ではないだろうと言う考え方はもちろんその通りなんですが、実際的に医学部と言う組織は昔から医師予備校的な役割を果たしてきた現実もありますよね。
この点で学部卒業と言う資格がその後の職業人として働くために必須のものである医学部を他学部と同列には語れないと言う考え方もあると思いますが、今後医師不足が解消し医師余り現象が起こってくるようにでもなれば無理に学生を(原則)全員国試合格にまで持っていく必要はないのですから、一部私学で行われてきたような留年退学当たり前という厳しい学生の選抜が当たり前になっていくのかも知れません。
もちろん究極的には医学部と言う閉鎖的な世界を通過してきたことを国試受験の必須条件とすべきではないと言う議論もまた有りかとも思うのですが、今のところ医学教育の成果は単純なペーパーテストの類できちんと評価することは難しいと言われているし、世間もそれを是としているらしい以上試験に通れば誰でも医師と言う方向に改革が進んでいく見込みは当分なさそうですよね。
しかし考えてみれば二昔ほと前には白い巨塔だなどと医学部と言うところはひどく閉鎖的、かつ世間の常識も通用しない魔窟か人外魔境かと見なされていたし、事実世間の常識は医者の非常識と言う部分は良くも悪くもあったわけですけれども、その非常識な考えに染まることが医師としての必須条件であるとでも言いかねないような制度があると言うのは、医学教育の社会的責任を考えさせる話ではあるでしょう。

|

« 今日のぐり:「萬福食堂」 | トップページ | マスコミ報道から見る医療とカルトの親和性 »

心と体」カテゴリの記事

コメント

教育改革に指導する先生方の頭がついていくかどうかですね。
でも講義の採点ってほんとに予備校みたいで面白い。
ゆくゆくは国試合格率で教授の実績が評価されるようになるんですかね?

投稿: ぽん太 | 2015年3月23日 (月) 08時55分

以前高校で家庭科を中心とした履修漏れ騒ぎがありましたが、あれなども履修すべき授業を履修しているという前提で大学入試があるわけです。
家庭科は大学受験に出題されない。それは大学生として家庭科は不要だからではなく、高校で履修済みという前提が成立しているから。
だから大学受験に合格しさえすればOKで履修状況は問わない、という方向に進まないのは当然。

投稿: | 2015年3月23日 (月) 11時52分

>「そもそも自分が学生の頃は、教授が授業のテーマとは全く関係のない研究の話をしても、試験の成績や国家試験の合格率が悪くても、『医学生が勉強しなかった』と皆考えたし、誰も教授に文句を言わなかったのだが……」とA氏は憤る。

なんという虐待の連鎖w

投稿: 10年前にドロッポしました。 | 2015年3月23日 (月) 17時20分

さすがにあまりに教育効果に疑問符のつく講義はどうかと思うのですが、その辺りをどう評価し内容に反映させて行くかの方法論も議論があるところでしょう。

投稿: 管理人nobu | 2015年3月23日 (月) 21時10分

>「そもそも自分が学生の頃は、教授が授業のテーマとは全く関係のない研究の話をしても、試験の成績や国家試験の合格率が悪くても、『医学生が勉強しなかった』と皆考えたし、誰も教授に文句を言わなかったのだが……」とA氏は憤る。

確かに自分の頃はそうだったなぁ。逆に、試験に問題と関係ないことを書きつづっても、中身がよければ可はくれた。
国家試験なんか、確かに個人が勉強することだから先生関係ないし。

投稿: | 2015年3月24日 (火) 08時43分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/519753/61322339

この記事へのトラックバック一覧です: 指導する立場にあるものの責任:

« 今日のぐり:「萬福食堂」 | トップページ | マスコミ報道から見る医療とカルトの親和性 »