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2015年3月10日 (火)

誰が悪いとも言い難い事故での責任の所在

先日からちょっとした話題になっているのがこちらの悲惨な事故ですが、まずは記事から紹介してみましょう。

歩行者よけようと転倒、女子高生ひかれ死亡(2015年3月5日ニュース24)

 5日朝、神奈川県厚木市の県道で自転車の女子高校生が歩行者をよけようとした際にバランスを崩して転倒、走ってきたトラックにひかれ死亡した。

 警察によると、5日午前8時ごろ、厚木市戸田の県道を自転車で通学中だった県立高校1年の大森友里愛さんがバランスを崩して転倒した。大森さんは後ろから走ってきた大型トラックの後輪にひかれ、まもなく死亡が確認された。

 現場には、大森さんの遺族が献花に訪れた。

 大森さんの母親「今日からテストなので、こういう時に限って(自転車)ですね。(けさは)私の方が先に出ちゃったので、気をつけてねって言ったら『うん』って笑顔で。それが最後です」

 大森さんは、前から歩いてきた女性(61)をよけようとしたところ、女性のリュックに自転車が接触、路側帯から車道にはみだし、車道で転倒してしまったという。

 トラック運転手の男性は「すぐに止まったけど、間に合わなかった」と話しているということで、警察は事故の状況を詳しく調べている。

現場の状況はこちらのサイトの画像を参照いただきたいと思いますが、片側一車線で路側帯しかない狭い道であるにも関わらずかなりの交通量があったようで、ここで歩行者と自転車がかち合えばただでさえ車道にはみ出さざるを得ないんは当然なんですが、衝突によって転倒と言うことになれば車の側でも驚くしかないと言う状況でしょう。
道交法などルール上からすればこうした事態も想定して車は十分な距離を開けるなり最徐行するなり「かも知れない運転」をすべきだった、と言う話になるでしょうし、誰が金銭的に賠償すべきなのかと考えるとやはり保険を持っている車側に責任があると言う方向に話が進みそうではあるのですが、実際の交通状況を考えると決してこれは他人事ではない事故であったと肝を冷やしたドライバーの方々も多かったと思います。
先日は自転車版の当たり屋が増えていると言うニュースを紹介しましたが、以前の自転車車道走行義務化の際にも議論になったように事故が起こった際に無保険者同士ではトラブルになりやすいと言う事はままあって、そのせいか民事訴訟などではそれは少し無理筋なのでは?と思えても国や自治体など確実に支払い能力のありそうな相手を管理責任なりの名目で訴えると言うことは普通に行われていますよね。
訴えた側にとっても訴えられた側にとっても別に望んでそうなったわけでもないのでしょうが、金銭的に補償すると言うことが唯一万人に共通する償いの方法論であり、逆に医療の無過失補償制度などが金銭的にまず補償を行うことによって紛争化を防ぐと言う目的も持っていることを考えると、本来事故など誰が悪いとも言い難いようなケースでは民事訴訟とは別なルートが開かれているべきなのかと言う気もします。
そんな中で昨年春に起こった子供の絡んだ悲劇的な死亡事故に関連して、警察当局がちょっと粋な計らいをしているじゃないかと話題になっていることを紹介しましょう。

おぼれた女児を助けようと…死亡の6歳男児遺族に給付金(2015年3月7日朝日新聞)

 昨年4月、福島県郡山市の川で流された女児を助けようとした男児が亡くなった事故で、県警は6日までに、男児が警察官の職務に協力したとして、男児の遺族に遺族給付金を支払う方針を決めた。2月補正予算案に計上しており、開会中の県議会で可決後、支給される。

 事故は昨年4月16日夕、同市小原田の阿武隈川で起きた。近くの女児(当時3)が川に落ち、一緒に遊んでいた近くの小学1年の辰田真翔(まなと)君(同6)が小学3年の姉と助けようと川へ入り、3人とも流された。辰田君が亡くなり、意識不明の重体となった女児もその後、死亡した。辰田君の姉は救助されて助かった。

 給付は「警察官の職務に協力援助した者の災害給付に関する法律(協力援助法)」に基づく。犯人逮捕や人命救助で警察官の職務に協力し、けがを負ったり、死亡したりするなどした場合に支払われる

 辰田君の遺族には、遺族給付一時金など計約938万円が支払われる見通しだ。県警厚生課は「男児が自らの危険を顧みず人命の救助に当たった」と支給を決めた理由を説明した。(小島泰生)

この場合阿武隈川が一級河川であると言うことで流された女児の側は管理責任なりを国に問うことも可能なのかも知れませんが、自ら川に入った男児の側が損害賠償請求をして通るかと言えば微妙なところなのだろうし、ましてや救助のために身体を張ったのだからと女児の親に賠償を求めると言うのも現実的にも支払い能力的にもちょっと難しい状況ではありますよね。
事故などで誰かが亡くなった場合、特にそれが子供であった場合に親は誰かに責任があるに違いないと思いたがるものであり、そうした責任転嫁をすることで初めて子供を失った現実を受け入れられるようになるのだと言う説があるそうで、有名な杏林割り箸事件などもあれだけ大学側の責任を追及したのもこうした心理が働いたのではないか、当時の状況を客観的に見れば一番事故に責任があったのは親だろうと言う声も根強くあるようです。
その意味で今回県警が公費によって給付金を出したと言うのは落としどころとして非常にうまい方法論だと思うし、こうした制度があることを知らなかったと言う方も参考になったんじゃないかと思いますが、遺族感情としてもこうして亡くなった子の業績を称揚され一応の遺族給付金を支払われた結果、誰も恨んだり恨まれたりしなくて済むのであれば更なる二次的な悲劇が回避されたとも言えそうですよね。
制度的に毎回何の事故においてもこうしたものが使えると言うわけではないでしょうし、本来的に子供と川遊びに出かけると言うリスクを犯すなら自己責任で保険くらい用意するべきと言う考え方もあるでしょうが、社会一般に無過失補償的なものがもう少し広汎に広まってきて誰もが誰かを責めたりせずとも一定の補償が受けられると言うことになれば、社会トータルで見た場合出費に見合うくらいの見返りは十分期待出来るのかも知れません。

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コメント

おばちゃんは空気読まないからなあ

投稿: | 2015年3月10日 (火) 08時01分

女性は歩道でも、前から人が来てさえ幅いっぱい広がったままで寄けようとはしない人が多い。
なんでこっち(歩行者)が車道に降りないといけないんだ。
まあこの事故は、女どおしなのでしゃーないか。大型トラックの運転手が一番かわいそう。

投稿: | 2015年3月10日 (火) 11時47分

トラックにとっても実際上は巻き込まれ事故と言う形ではないかと思うのですが、保険等の関係上有責とされ最悪職を失い家族も養えず…と悪い想像も出来るとは思います。
賠償と言う点では今回の場合道路管理を行っている県に対して管理責任を問うことが出来るのかどうか、実際上は危ない環境が放置されている例も多く交通の利便性もあるだけに難しいところですね。

投稿: 管理人nobu | 2015年3月10日 (火) 12時04分

>流された女児を助けようとした男児が亡くなった事故

火事場に取り残された人を助けようとして焼け死ぬとか、津波に流された人を助けようとして一緒に流されてしまうとか、ホームに転落した人を助けようとして列車に轢かれるとか、同様の事例はありそうですけど給付金が出たって話はあまり聞きませんね。
ありふれたことなのでしょうか?

投稿: クマ | 2015年3月10日 (火) 16時35分

下衆な話と承知であえて言うならば、自殺志願者に悪用される可能性もなきにしもあらずな制度ですな

投稿: 元僻地勤務医 | 2015年3月10日 (火) 20時57分

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