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2015年2月 4日 (水)

高齢者の介護はやるだけ損?とならないように

全般的な高齢化社会と言うことで介護領域に感心が集まっていることは今さらな話なんですが、今後は日本が右肩上がりの成長をしてきた時代に現役時代を過ごしてきた方々が続々と高齢化してくると言うことでお亡くなりになった後の遺産の相続と言うことも話題になってくる理屈ですが、このところ相続税改正など制度的にも話題が増えてきている領域でもありますね。
少子化と言うことで昔のように親族一同集まってどう資産分けをするか頭を悩ますことも減っていくのかなとも思う一方で、現役世代のワープア化によって遺産相続がかなり死活問題化してくる可能性もあるわけですが、特に高齢化社会と言うことで気になるのが介護との絡みで、先日こういうごもっともな話がようやく議論に登ってきたと報じられています。

相続法制見直し 配偶者優遇の報告書案(2015年1月30日NHK)

相続法制の見直しを検討してきた法務省の作業チームは、家事や介護を担ってきた配偶者に、より多くの遺産を分割できるよう、夫婦が協力して作った財産では配偶者の取り分を増やすことを検討するなどとした、報告書の案をまとめました。

相続法制を巡っては、おととし、いわゆる「婚外子」の遺産相続を「嫡出子」と同等にするための民法の改正が行われた際、伝統的な家族制度の維持に向けて、相続面などで配偶者の優遇策を検討すべきだという意見が出されました。
これを受けて法務省は有識者による作業チームを設置して相続法制の見直しを検討してきたもので、30日までに報告書の案がまとまりました。

それによりますと、家事や介護を担ってきた配偶者には、より多くの遺産を分割できるよう、夫婦が協力して作った財産では配偶者の取り分を増やすことや、遺産の分割によって配偶者が住まいから出て行かなくても済むよう、配偶者の「居住権」を保護することなどを検討するとしています。
法務省は報告書案の内容を踏まえて、相続法制の見直しを来月開かれる法制審議会に諮問することにしています。

NHKの記事ではもっぱら配偶者の優遇に触れられているのですが、今回の改正案では本人生前の介護負担度に応じて寄与分を見直そうと言う話が一つのポイントになっているようで、そもそも寄与分とは昭和55年に導入された考え方で相続人が本人の資産形成に特別の貢献をしてきた場合に、そうでなかった相続人よりも余計な取り分を認めましょうと言う考え方です。
この資産形成への特別の貢献と言うものがどういうものかなのですが、一般的には例えば家業等を長年手伝ってきたなど文字通りお金を稼ぐ業務と言うことに対する評価であるようで、今まで介護と言うものに関しては特別な貢献であると認められず、ただ例外的に例えば入院や施設入所、介護サービス利用などお金のかかることをする代わりに自宅介護を続け、財産を守ったと言った場合に認められる程度であったようです。
ただこれも具体的な金額として評価するとなると難しい問題であったようでしばしば裁判沙汰にもなるわけですが、一方で介護と言うことが非常に時間も労力も要する重労働であることは一般常識レベルで知れていることですし、せめて相続等でメリットがないことには国策として推進される「病院・施設から自宅へ」と言う流れに対する障害にもなりかねませんよね。
この当たりは一般的に弁護士等からは「後で揉めないように生前からきちんと遺言状を用意しておきましょう」とアドバイスされるもので、実際に誰しもこれなら妥当だと思える遺言状であれば結構な話なのですが、当然ながら介護貢献と言うことについては当の本人が心身共に弱ってきてからが本番である以上、人生の最後に多大な貢献をしてもそれが本人に正しく認識されるものかと言う懸念が残りますよね。

特に認知症の介護などでは最も身近にあって四六時中世話を焼いてきた親族ほど当の本人からは嫌われる、そしてたまに顔を出すだけの遠い親族ほど普段介護貢献度が低いと言う引け目もあるのでしょう、本人に気に入られるようなことしかせず関係が良好であると言う逆転現象がしばしば見られますが、遺言状などは本人の主観で書かれるものですから遺言状が正当な評価かどうかです。
実際に生前には一生懸命尽くしてきた主たる介護者の名前が遺言状には一切書かれておらず裁判になった、などと言うケースもあるようで、やはり法律的に考えると介護貢献度と言うものも金額なり客観的な指標によって評価しないことには正当な扱いが難しいと言うことなんだろうと思いますが、それではその評価の方法論をどうするかと考えるとこれまた難しいものがありますよね。
例えば同居の親族は何点などと言う計算式で割り出すのがいいのかどうかですが、結局最終的にはお金に絡むこととなれば数値化して貢献度を評価するしかないわけで、同居して世話をした日数かける介護度で何点、施設等の入所費用負担幾らにつき何点と積み上げて比較し相続額を決めると言ったやり方は、第三者が裁定するにはいいにしろ当事者の感覚とのズレがどこまで是正出来るかでしょう。
もちろん亡くなった当事者にしても客観的な貢献度とは別にやはり思い入れ等によってこの子には多めに相続を、と言う気持ちもあるのだろうし、本来的に遺言と言うものはどんなに理不尽に見えても本人の意志を尊重するのが筋なんだろうとも思うのですが、こういう時代になってくると終末期医療などと同様に、亡くなった人よりも生きている人優先で考えた方が丸く収まる可能性は高くなりそうには思います。

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コメント

もらえるものはもらっておくのが当然

投稿: | 2015年2月 4日 (水) 07時46分

やるだけ損だってことに気づかせなかったから何とかまわってたってことでしょ。
個人の義務感や責任感に頼って自主的にやらせるのがいちばん安上がりなんだから。

投稿: 透 | 2015年2月 4日 (水) 08時02分

>個人の義務感や責任感に頼って自主的にやらせる

すでに社会全体でこれがおかしいということが気づかれていますよね。

新臨床研修医制度世代の医師(医療訴訟・社会からの袋だたきを目の当たりにして、自主的な責任感がばからしいと常識的判断)
同世代の若者(会社への滅私奉公の結果リストラされた親世代をみている)
生活保護への抵抗感の低下
...

ということで、介護を金銭面で厚遇すればよいだけです。この原資は遺産ですから、国の財政は関係のない話になりますかね?
あとは弁護士や裁判所にがんばってもらいましょう。自身の遺産という欲目による全国民からの評価が注ぐわけで、緊張感がたかまってよろしいのではないでしょうか。

投稿: | 2015年2月 4日 (水) 09時17分

おっしゃる通りで、まだしもこれが食っていくのに事欠かない収入的余裕がある時代ならまだしも、フルタイムで働いてようやくかつかつの収入となればボランティア前提の制度維持には無理が大きいでしょう。
国策として推進される施設から自宅へと言う流れもその辺りのことを考慮しなければ、結局親世代の遺産を食いつぶした時点で親子共々社会保障のお世話になるしかなくなります。

投稿: 管理人nobu | 2015年2月 4日 (水) 12時14分

日本は、介護をしたことがない大人が多いから
国が在宅介護をしろっていっても意味はない。
舛添都知事支持者200万人は、都知事みたいに介護放棄しますよと暗に示しているわけです。

投稿: | 2015年2月 4日 (水) 21時46分

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