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2015年2月12日 (木)

命の価値はお金では計り知れない、とも言っていられない時代

本日の本題に入る前に、昨今高齢者絡みのニュースには事欠きませんが、先日はまた何とも切ない事件があったと話題になっています。

認知症の妻殺害で逮捕の夫「介護疲れた」 日常的に介護 札幌市(2015年2月9日FNNニュース)

7日、北海道・札幌市の住宅で71歳の女性が死亡しているのが見つかった事件で、警察は、女性の夫を殺人の疑いで逮捕した。
逮捕された札幌市の無職・長岡 進容疑者(71)は、7日午前10時ごろ、自宅の寝室で、同居する妻の律子さん(71)の首を絞めて、殺害した疑いが持たれている。

警察の調べに対し、長岡容疑者は「介護に疲れて、首を絞めた。間違いありません」などと、容疑を認めているという。
警察によると、律子さんは、5年ほど前から認知症を患っていて、長岡容疑者が、日常的に介護していたという。
長岡容疑者は、律子さんと長男との3人暮らしだった。
警察は、当時の状況などを調べている。 (北海道文化放送)


71歳夫、「介護に疲れ」認知症の妻殺害(2015年2月8日読売新聞)

(略)
 同署によると、長岡容疑者は律子さんと長男(42)の3人暮らし。7日夜に帰宅した長男がベッドで死亡している律子さんを見つけた。長岡容疑者はベッド脇の布団で横たわっていたという。長岡容疑者は自分の首や手首などを刃物で浅く切っており、「死のうと思ったが、死にきれなかった」と話しているという。

 律子さんは近く、札幌市内の病院に入院する予定だった。長岡容疑者は、居間のテーブルに「すまん、母さん病院もういいわ」と書き置きを残していたという。

身体的には元気な認知症の扱いと言うものは何かと難しいもので、現在の介護保険のシステムでは低い評価しかされず家族も持て余すと言うことがしばしばですけれども、それ以上に家族の介護は自分達でしなければと言う責任感の強い人ほど追い込まれ、結局皆が不幸になっていくと言う面はありますよね。
某都知事などは田舎の老親の介護を肉親に押しつけていたくせに介護経験者のような顔をするのはケシカラン、などと言う声も以前から一部にありますけれども、しばしば聞く話として普段から身近にあって献身的に介護をしていた身内ほど(認知症もあって)当の本人からはかえって恨みを買ったりする、その一方でたまに顔を出すだけの遠い親族の方がいい顔しか見せない分気に入られやすいと言う逆説があります。
その延長線上として終末期医療におけるいわゆる「遠い親戚」問題と言うものがあって、長い治療経過をよく知っている近い身内ほどこれ以上は本人にとってもつらいだけだと言う段階が感覚的に判ってくるせいか最後は自然の経過で看取りましょうと話がまとまってくる、しかしそこに初めて病院にやってきたような遠い親戚が「何故こんなになるまで放置しているんですか!」と大騒ぎして濃厚医療を最後まで続けると言うことになりがちです。
さすがに最近では医療関係者もこうした問題を理解してきたと言うことでしょう、家族の中でもキーパーソンを決めた上でその他大勢の方々の意見は(少なくとも本人とキーパーソンの意向に反する限り)相手にしないと言う対応もごく普通に行われるようになりましたけれども、ただ前述のケースのように近い身内ほど本人に巻き込まれ冷静な判断が出来なくなりがちであると考えると、決してこれがベストであると言うわけでもないのでしょう。
いささか話が脱線しましたけれども、先日以来世間で話題になっているのが9年ぶりに介護報酬の引き上げが決まったと言うニュースで、もちろん特養の経営状態が予想以上に良いと言った様々なデータ的な裏付けがあっての話と言うことにはなっていますけれども、実際のお金の配分を見る限りではいかにも国策が反映されていると思わされるものではありますよね。

特養の利用料下げ、在宅介護は引き上げ 厚労省(2015年2月6日日本経済新聞)

 厚生労働省は6日、4月から適用する介護保険サービスの新たな料金体系(介護報酬)を公表した。特別養護老人ホームなど施設サービスの料金を安く、訪問介護(ホームヘルプ)など在宅支援サービスを高くしたのが特色だ。全体をならせば2.27%の値下げとなる。人手不足を踏まえ、介護職員の賃金も平均で1人あたり月1万2千円上げて人材を確保する。
 6日の社会保障審議会(厚労相の諮問機関)の介護給付費分科会で示し、同分科会はこれを了承した。

 値下げが目立つのはこれまで業者のもうけが大きかった施設サービスだ。厚労省が試算したモデルケースの場合、利用者の自己負担額は特別養護老人ホームの相部屋が月3万300円から2万9670円へ、個室が月3万1530円から3万720円へと、ともに2%強下がる
 通所介護(デイサービス)は月1万170円から1万5円へ1.6%の値下げとなる。
 一方、厚労省が拡充を目指す在宅サービスは負担の重い介護職員の待遇を改善するため値上げとなる。モデルケースによると、訪問介護や24時間対応の定期巡回はともに利用者の負担が4%強重くなる計算だ。
 ただし、実際の負担額は受けるサービスや介護を必要とする度合いの重さによって異なるため、一概にはいえない。

 こうした料金の改定は厚労省による政策誘導の面もある。介護事業者の側から見れば、賃上げや重度者らへの対応を進めれば収入を維持できるが、従来のサービスのままなら大幅な減収となる。厚労省は料金体系の見直しを通じ、利用者がより必要としているサービスを提供できるよう事業者を誘導したい考えだ。
 介護サービスにかかる費用は年間で総額10兆円に膨らみ、今後も制度を持続させるには介護費の抑制が欠かせない。一方で2025年度には介護職員が30万人足りなくなる見込みで、人手不足の解消には賃上げも必要となる。今回の介護料金体系の見直しではこれらの両立もはかった。

しかし施設入所く関わる報酬を引き下げ、一方では在宅介護の報酬を引き上げるとはまた露骨な話だなと思うのですが、かつて大病院から開業医へ患者を誘導しようと開業医の外来報酬を高く設定したところ、患者が割安な大病院に集中したと言う故事の二の舞にならなければいいのですけれどもね。
とは言え記事にもあるとおりで当然ながら施設から在宅へと言う国策を反映した改訂でもあるとして、団塊世代の高齢化に伴い2025年には20兆円以上にふくらむとされている介護費用(当然ながら、医療費は別枠)の圧縮が急務であると言われれば、まあそれは仕方ないかと言うしかないことなのかも知れません。
介護報酬を削減しても職員の賃金は確保すると言う思惑通りに話が進むかどうかは何とも言いかねますが、施設入所者はより重症者にと誘導するのであれば当然ながら職員の知識や技能等は今まで以上に必要となるはずで、それを持つ有能なスタッフの奪い合いから人件費が高くなると言うのであれば、人員数を減らして一人当たり今まで以上の努力で乗り切ろうと考える事業者も出てくるかも知れません。
世間的にはこれだけ忌避されるほど厳しい仕事であると認識されながら、その道一筋では家族も養えないほど低賃金に留め置かれているのは本質的に介護報酬に問題があるのだと思うのですが、数%の上げ下げで何かが変わると言うことがあるのかと言えば、まあ最底辺の賃金が月1万円上がったからと言って求人にはほとんど影響がないんじゃないのかなと言う気はしますでしょうか。
各種の国民調査においても現行の報酬水準では介護も安心して受けられない、もっと利用者負担を増やしてでも充実を図るべきだと言う声が多いようですが、逆に考えれば「これ以上切り詰めれば介護業界そのものがもたない」と国民自ら進んでコスト負担をしようと言う気持ちになってくれるならば、国としては全くノーリスクで待遇改善に動ける道理ではあるでしょう。

「寝たきり老人など見たことがない」としばしば日本のマスコミにも称揚されてきた北欧諸国では高齢者に対する介護と言うものも考え方がずいぶんと違っていて、目の前に食事を配膳はしてくれるが食事介助などは全くしてくれず、自力で食事摂取出来なくなればその人の人生はそこまでと言う国民のコンセンサスがあるそうですが、こうした考え方ですと認知症老人なども早々に淘汰されていきそうではありますよね。
終末期にどこまで手間暇をかけるべきかと言うことは各個人や家族での考え方の違いがあって総論的に語ることは難しいのですが、興味深いことに終末期医療に関しては国や地域によってもかなり顕著に差があって、回復の見込みのない終末期患者に欧米諸国の医師の9割以上が医療行為を手控えると答えた一方、日本の75%を始めアジア諸国ではこれよりも低い数字が示されたと言います。
この辺りは宗教観などと同時にやはり医療制度の違いやコスト負担のあり方なども関わってくる話ですが、興味深いのはそこでつい治療をしてしまう医師の特徴として特にオッズ比が高かったのが「終末期ケアについて話し合うことがやっかいだと感じている」(2.38、1.62-3.51、P<0.001)、「法的なリスクに対する懸念が強い」(1.92、1.26-2.94、P=0.002)と並んで「低所得から中所得の国に在住」(2.73、1.56-4.76、P<0.001)が挙げられたと言います。
失礼ながら所得の低い国々と言えば命の価値も低く扱われているようなイメージが必ずしも否定出来ないのですが、終末期医療に関して言えばいわゆる先進国よりもずっと命の価値が尊重されているようにも受け取れるのは興味深いと思いますけれども、宗教など合理主義だけでは計れない何かが未だに身近にあって行動を規定しているのだと考えると、日本などはこの方面の認識では未だ発展途上にあると言えるのかも知れませんね。

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コメント

命は地球よりも思うと言うし地獄の沙汰も金次第とも言う
どちらが長く人口に膾炙しているか考えればどちらが真理に近いかわかる

投稿: | 2015年2月12日 (木) 07時50分

最近は動けない認知症だけではなく動ける認知症の方にも高い介護度が出るようになってきています。
殺人事件に至ったのは不幸と言うしかないのですが、この家庭がどのくらい福祉サービスを利用していたかが気になります。

あと、私の場合、入院時に「面会は同居家族のみ」の希望を取っておいて、面倒な遠い親戚はシャットアウトすることもあります。

投稿: クマ | 2015年2月12日 (木) 09時12分

遠い親戚ってもう今じゃスルーになってきてんじゃないですか。
たま~にゴネてきたら「まずご家族の中で相談してみてください」で通してます。
せめて治療費くらい負担するんだったら発言権もあるでしょうけど。

投稿: ぽん太 | 2015年2月12日 (木) 09時20分

>かつて大病院から開業医へ患者を誘導しようと開業医の外来報酬を高く設定したところ、患者が割安な大病院に集中したと言う故事の二の舞にならなければいいのですけれどもね。
私も一瞬これが頭をよぎったのですが、今回は厚労省の目論見通りにいくかもしれないと思い直しました。
理由は、施設入所は定員が決まっていることです。いくら希望者が殺到しても入れないものは入れない。
その上で経営の旨味が少ないとなれば新規開業は抑制されるでしょうし、撤退も増えるかもしれません。
急性期病院〜慢性期病院〜介護施設〜在宅のどこにしわ寄せがいくことになるのかは知りませんが。

投稿: JSJ | 2015年2月12日 (木) 10時00分

個人的に予想すると介護はあくまでも経営的に黒字の線を外すわけにもいかないので、影響があるとすれば慢性期ついで急性期へと影響が波及していくことになるのかなと思っています。
ただ医療の需要が大きすぎて抑制すべしと言う流れでもありますから、往時の英国並みとは言わずとも急性期も含めてアクセスが悪化すれば長期的には医療費抑制的に働くのかも知れません。

投稿: 管理人nobu | 2015年2月12日 (木) 11時58分

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