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2014年12月15日 (月)

利益の最大化もなかなかに難しいもので

そもそも人それぞれに考え方の違いもあるのだから、他人がいくらそれは不利益な決断だと言ったところで最終的に本人にとって良かったか悪かったかは本人にしか判らないはずなんですが、そうは言ってもやはり大きな決断を下すべき瞬間に自ら望んで不利益な決定を下しているように見える人と言うのは、周囲から見ると「え?本当にそれでいいの?」と言いたくなるのも確かですよね。
ただある意味尺度が一次元の線上にあるとも言えるお金の話などとは違って、医療における利益、不利益はしばしば当の本人にすら判断が難しい問題で、それを少しでも確実で後悔のないものにするために専門家からの適切な情報提供が必要であることもまた明らかなのですが、本日まずは先日出ていたこういう記事を紹介してみましょう。

◆新米副看護部長が行く!@杏林大病院 できていますか?倫理的問題の多職種共有(2014年12月10日日経メディカル)

(略)
意識障害患者の治療方針に納得いかず
 副看護部長になって、自分が担当する部署の師長から、患者や家族にまつわる様々な報告、相談を受けるようになり、倫理的な判断を伴う事例も多い。副看護部長として一歩踏み込んだアドバイスができるようになりたいと思うことも出てきた。先日も、師長からある患者の報告を受けた。詳細には紹介できないが、大筋はこんなことである。

 意識障害のある患者さんに対して、医師は外科的な治療が必要であると判断し家族に説明した。家族は自ら希望して他院のセカンドオピニオンを受けた。結果は当院の診断、治療方針と同様であったが、最終的には家族(キーパーソンではない)の希望で保存的治療を選択することになった。師長からは「その治療方針は理解できない」と報告があり、私自身もその治療方針が患者にとって最善なのかどうか、納得がいかなかった。師長から報告を受けた時、私も師長と同意見であることを伝えたが、具体的なアドバイスができず、その後も副看護部長としてどのように関わったら良いかと考えていた。

 先の研修で、臨床倫理について組織で取り組むためには、組織の構成員すべてがそれぞれの立場で患者・家族の最善を考える文化が必要だということを学んだ。今回の事例の治療方針決定のプロセスには医師と家族だけが関わっており、看護師やその他の医療従事者は関与しておらず、看護師に葛藤を生んでしまった。状況について関係者の理解が一致した上で合意がされたのだろうかと疑問を持たざるを得なかった。

痛感した多職種で“語る場”の必要性
 日々の診療の中で、医師の説明の際に必ず他職種が同席できればよいが、必ずしもそれができるとは限らない。しかし、家族がなぜ保存的治療を選択したのか、医師が家族の意思を尊重すべきと判断した根拠や家族の背景を、患者に関わる医療従事者が共有できていなければ、倫理的な葛藤により、チーム医療を行う上で支障を来すこともあるだろう。臨床倫理は医療機関として行うべき活動であり、その判断には、組織の倫理観や価値観が問われるという講義中の言葉が腑に落ちた。
(略)

先日はチーム医療と言うものの中で全人的医師なるものは扱い難いのでは?と言う記事を紹介しましたが、その心は医師が患者の全てを知っている自分が一番いい道を定めることが出来るのだと考えてしまうと、他職種の意見や報告に耳を傾けなくなる懸念があると言うことだったのですが、まあこの点に関しては全人的かどうかと言うよりも個人のキャラクターの問題が主なのではないかと言う気がします。
今回の事例も医師以外のスタッフが意志決定において置き去りにされていると感じているようですが、医師の立場からすれば患者の人生がかかっている決断の場に同席もしないで納得出来ないも何もないものだと言うものだろうし、医療の一番のスタート地点である患者側の意志がどうなのかと言う部分を他の業務よりも下に見ていると言うことであればそれこそ組織として考え方がどうなのかと言うことにもなるでしょう。
ただ例えば担当看護師なり病棟婦長なりがその場に同席していたとして、何十人もいるだろうチーム医療の関係者全てが同席していないと言うことには変わりないわけですから、意志決定の場に参加しない、出来ない大多数のスタッフは結局又聞きの結論を納得し受け入れるだけと言うことには代わりがないのですが、問題は事後になって情報共有をするだけでどんな結論であっても納得出来るのかどうかです。
今回コンサルトしている師長はどのような結論が出たのかは知っている、しかしそれには納得出来ないと言っているわけで、例えば後日医師の方から意志決定の過程をつまびらかに確認出来れば納得出来るのかどうかですが、実際の医療の現場ではいくら懇切丁寧に説明をし状況を理解させたつもりになっていても、患者や家族は一見して不合理極まる選択をすることは少なくないし、多くの場合その理由は語られませんよね。
その意味ではその場に同席しようが何をしようが理解出来ないものは理解出来ないと言うケースはあり得るのであって、どのように不合理に見えても患者の意志が最優先だと言うのが現代医療の基本になっているわけですから、自分と異なる価値観に基づく決定に倫理的な葛藤を覚えチーム医療に支障を来すと言うのであれば、それはそれで職務に不適格と言うしかないのではないか?と言う気もします。

もちろんこうしたことはケースバイケースで、宗教的思想信条に基づく治療拒否などに代表されるようにいわゆる確信犯的に普通ではない(ように見える)選択をする方々もいらっしゃる一方で、実はとんでもなく基本的なところで大きな勘違いをした結果あり得ないような選択を必然の論理的帰結として行ってしまうと言うケースもあり、多くの場合後者のようなケースは事情が知れれば悲劇として扱われがちですよね。
その意味でなるべく多様な視点から利益、不利益に関する情報を提供すべきだと言うのは当然で、その部分で様々な考えを持ち得意領域も異なるチーム医療の意味があるのかと思うのですが、注意すべきは同業者から見てちょっと…と言う人材であっても素人目には立派な専門家であり、専門家視点で見ればトンデモ理論と言えても患者や家族にとっては傾聴すべき専門的見解にもなり得ると言う点です。
以前にもホメオパシーなる似非科学による健康被害について取り上げたことがありますが、あれも実施している方々の多くが助産師と言う公的資格を持つ人間であると言うことが事態を面倒なものにしているとも言えるし、テレビや雑誌などでも好き放題トンデモなことを言っている「専門家」さんはいくらでもいらっしゃるわけですが、昨今では専門家であるはずの人々の間であっても何か妙な知識が広まってきているのでは?と言う懸念が報じられているようです。

「胃瘻はよくない」がおかしなことになっている(2014年12月5日日経メディカル)

(略)
「胃瘻はよくない」の経緯
 私の理解では、「胃瘻はよくない」というメッセージは、自分の力で食べ物を食べることが出来なくなった患者さんに対して、「食べられないのなら胃瘻を作って栄養を提供するしかない」と短絡的に考えてしまうことがよくない、というものであったはずです。
(略)
 最近の状況を見てみると、確かに臨床現場で倫理的な意思決定に関する意識は大きく高まった気がします。病棟では、多職種によるカンファレンスが行われるようになり、老衰が進み、経口摂取が不可能になりつつある患者さんに対して、人工栄養を開始しない選択があるという前提で意思決定への議論が行われるようになってきました。
 さらには、その選択をした上で、在宅や慢性期施設での看取りも積極的に行われるようになってきました。このような傾向は、大変素晴らしいことだと感じています。

「胃瘻はよくない」がもたらした残念な変化
 一方で、「胃瘻はよくない」というメッセージが独り歩きして、なんだかよろしくないことになっている変化もあると思っています。
 第一には、医療者側が「そもそも人工的な栄養療法は延命治療に当たるのでよくない」という固定した考えを持ってしまい、そこに人工栄養療法という技術があり、その技術の提供によって患者さんの利益となる可能性が少なくないにもかかわらず、「人工栄養は延命治療である」という単純化された理屈から、人工栄養療法を受ける機会を奪われてしまっている患者さんが増えてきているような気がします。「〇〇は延命治療に当たるのでよくない」という理屈は、実に勝手な理屈に私には思えます。
 第二点目の懸念事項は、人工栄養が適用される患者さんに対して「胃瘻はよくないので経鼻経腸栄養を選択する」というケースが増えていることです。
 このロジックはあまりにも当初のメッセージから外れています。少なくとも、患者さんが被る持続的な苦痛や日常生活動作の制限、さらには人としての尊厳の保持の観点からいえば、長期的な人工栄養を選択する上で、経鼻経腸栄養は胃瘻栄養に比べて患者さんに与える害が多過ぎると私は思っています。
(略)
 まず、1日中鼻から喉にかけて管を突っ込まれている苦痛。第二に、その苦痛がつらいために管を当然抜こうとするのですが、病院側としては管を抜かれては困るのでミトンを手にはめたり手を拘束したりすることがしばしばあります。それは苦痛とともに尊厳を略奪する行為でもあります。
 また、しばしば管が抜けてしまうために、再挿入が試みられますが、その際にも患者さんは非常につらい思いをします。医療安全の観点からもリスクが高いのは医療者であれば周知のことです。すなわち、長期的な人工栄養を行うと決めた上であれば、胃瘻栄養ではなく経鼻経腸栄養を選択するのは多くの場合不合理であり、患者さん側の強い選好や事情などがかなり大きく加味されなければ「胃瘻ではなく経鼻」という選択には普通はならないはずなのです。

 今の医療現場での臨床判断は、残念ながらその合理性に欠けているようです。医療者側の漠然とした「胃瘻は最近よくないと言われているらしい」という認識から、「じゃあ経鼻経腸栄養にします」という判断になってしまうことが少なくないのではないかと思っています。
 長期的な人工栄養が開始された後、ご自身の口で「もうこんなつらい状況はがまんできない」と発することが出来る患者さんは多くいません。栄養経路の選択は患者さんのご家族と行うことがむしろ多くなります。その時に、医療者は漠然とした説明をした上で、「自然な形に近いほうがよいと御家族が望まれたので経鼻栄養にした」と短絡的に決定してしまうことに私は反対します。胃瘻と比較した場合に想定される経鼻経腸栄養の患者さんへの不利益(特に、患者さんに与える苦痛や苦悩)について医療者はしっかりと説明する義務があると思います。
(略)
 最後に、「自然が一番」という言葉もしばしば思考停止をいざなう危険ワードだと私は思っています。自然が一番ならそもそも医療は存在しない方がよいです。ずっと苦しい思いをして痰を吸引されていた高齢患者さんが吸痰用にミニトラックチューブが挿入され、その苦痛が大きく緩和されることはしばしばあります。その「不自然」な行為が、患者の何に対して害になっているのか、何に対して利益になっているのかについて、医療は一つ一つ考え、患者さんやご家族とともに対話を継続することが大切なのだと思います。

さすがに「胃瘻はよくないから経鼻にします」はネタだと思いたいところですけれども、何故素人目にもあからさまにそれはどうよ?と思われるような話になってしまうのか、その背景を考えないことには単に倫理的にアレな先生がいらっしゃると言う話で終わってしまう危険性がありますよね。
それはさておき、臨床医がこうした判断を迫られる典型例としてはある程度食事も取れていたご老人が誤嚥性肺炎なりで生死の境をさまよった、救急病院で濃厚治療を施されとりあえず復活したが食べられない状態になってしまったと言う場合に、さて次の一手としてどうすべきなのか?と言ったケースではないでしょうか。
一般的にこうした場合慢性期あるいは療養型の病床に移ってしばらくリハビリ等を行いながら回復を待つ、そして時期を見て在宅復帰か施設入所を目指していくと言ったやり方が手順なのではないかと思うのですが、例えば一応は在宅復帰を目指して嚥下のトレーニングを始めるにしても当座の栄養は必要なのですから、何かしら確実な栄養ルートをつけておく必要はありますよね。
慢性期の施設の方でも「どうせ食べられないんだったら胃瘻を作ってから送って」と言う施設も少なからずあって、この辺りは最終的な引受先となる施設の方でも経鼻胃管では受け入れられない、胃瘻にしてくれと言うところが少なくないことも一因だと思いますが、その結果この辺りの長期予後に詳しくはない急性期の先生が「胃瘻じゃないと受け入れてもらえないから」と半ば機会的に胃瘻を造設してしまう例も多いようです。
医師がそんな調子なのですから患者や家族が詳しく正しい情報を知った上で決断出来ているケースばかりではないでしょうし、実際に入院期間短縮がうるさく言われ出した二昔ほど前になんでもかんでも胃瘻と言うケースが激増したのも、より長く生かすことを最優先にしていたと言うだけでなく治療を終えた患者はさっさと送り出すべしと言う、医療制度上の問題も大いに関係していたんじゃないかと言う気がします。

一般には経鼻栄養は一時的短期的な処置で、長期戦になるなら胃瘻の方がトラブルが少ないよと言う説明を受けることが多いと思いますし、実際その通りではあるのですが、例えばもはや苦痛を感じたり胃管を自己抜去するような状態でもなく、到底施設には入れないような患者さんが経鼻胃管でも特にトラブルもなかったにも関わらず、管理が簡単だからと胃瘻にしてしまうと言うのもどうなのかと言う気がします。
逆にそれなりに元気で食事も次第に食べられるようになりそうだと言う場合、最終的には経口摂取になるのだからそれまで経鼻胃管で済まそうかと思いがちですけれども、意外と元気のいい人ほど鼻や喉の異物感からトラブルが多く食事摂取にも悪影響があると言う場合があって、こういう方々は短期的にしか利用しない予定であっても本人にとって苦痛が少ない胃瘻を選ぶと言うこともあっていいと思いますね。
そもそも口から食べるかチューブの栄養にするかと言うのは別に排他的な二択ではなく、介助するスタッフの人手も多い昼一食は普通に食べてもらって朝夕は胃瘻から経腸栄養と言ったやり方もあるわけで、患者さんや家族にとっては食べると言う満足感もあり、スタッフにとっても許容範囲内の手間で行えるやり方は色々工夫出来るはずですが、ではそうしたやり方が自然か?と言われるとこれは不自然の極みと言うしかないでしょう。
ただ不自然だから不幸せになると言うものでもないし、自然だからいいと言う根拠も何一つないわけで、要するに個々の患者に応じて最適解を見つけるしかないと言う当たり前の結論になるのですけれども、詳細な評価と十分な説明をした上でその最適解を見つける面倒な作業を多忙な急性期の先生に押しつけるのは無理があるだろうし、慢性期の先生には時間と熱意はあっても見つけた最適解を実現する手段がない場合も多いわけです。
その意味では急性期から慢性期、さらには介護まで含めて各段階の関係者が今のような急性期から慢性期へと言う一方通行で患者を順送りするだけではなく、随時相互に協力出来る態勢の方が患者さんの幸せはより最大化しやすいはずですが、今のように医療が分業化してしまう以前は医療から介護まで一元的に扱う環境が普通であったわけで、分業化によって得たものもあったにせよ便利が悪いこともあるわけですね。

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コメント

>「胃瘻はよくないから経鼻にします」はネタだと思いたい
私の勤務先に入院している患者の家族で、このようにおっしゃる方は明らかに増えています。
実際この一年で、転院してくる患者の胃瘻は明らかに減り、その分経鼻の患者が増え、それに比例して身体抑制を要する患者が増えています。
近くの某急性期病院は”個別の条件に一切関係なく胃瘻は作らない”決定をしたそうですが、当然のごとく経鼻で送ってきます。

投稿: JSJ | 2014年12月15日 (月) 08時44分

「今後の嚥下訓練はよろしく」という時くらいは、胃瘻もしくは経皮食道瘻を作ってきてほしいです。

投稿: JSJ | 2014年12月15日 (月) 08時59分

元気の良かった人がレビンと拘束でみるみる完全な寝たきりになっていくこともありますね。
事情はあるにせよ一方で拘束しながらリハビリってなにか釈然としないです。
ご家族につきそってもらったらいいんでしょうか?

投稿: ぽん太 | 2014年12月15日 (月) 09時11分

利益の最大化と言う観点から難しいのは、単に医療介護の手間を最小化すると言う一見利己的な目的のみで胃瘻を作り続けたとしても、それによりリソースに余裕が出来れば他の部分で患者の利益になる可能性がある点です。
栄養ルートの違いによる数々のデメリットよりも吸痰や体位変換、あるいはまめなおしめ交換や入浴等に労力をつぎ込んだ方が多くの場合は患者と家族の満足度は高まりますので、否定すればいいと言うものでもないわけです。

投稿: 管理人nobu | 2014年12月15日 (月) 10時32分

つくっても利益にならないようにしたら減らせるんじゃない?

投稿: | 2014年12月15日 (月) 11時09分

徳島県吉野川市の麻植(おえ)協同病院は4日、入院患者の90代女性がチューブで流動食を摂取中に嘔吐(おうと)し、死亡する事故が起きた、と発表した。胃に挿入したはずのチューブが気管支に入っていたことから、病院は異状死と判断し、県警に通報。医療ミスの可能性もあるとして、事故調査委員会を設置し、死因などを究明する。

 病院によると10月31日午後5時ごろ、看護師3人が患者の鼻からチューブを挿入。胃に入ったかどうかを聴診器を当てて確認し、薬液と流動食の注入を始めて退室したという。約40分後、患者が嘔吐して意識不明になっているのを巡回中の看護師が発見。その後、心肺停止状態になり、CT検査で調べたところ、チューブが右の気管支に入っていたことがわかった。間もなく死亡が確認されたが、直接の死因は不明という。

 患者は骨折で10月2日に入院。肺炎も起こし、口から食事がとれないためチューブを使っており、挿入したのは5回目だった。
http://www.asahi.com/articles/ASGC461V4GC4PUTB014.html
 原因について病院は、最初に過ってチューブを気管支に挿入したか、嘔吐した際に何かの拍子で気管支に入ったかの二つが考えられる、と説明。橋本寛文院長は「患者と遺族に深くおわびする。誠意ある対応をし、再発防止に全力を尽くしたい」と述べた。

投稿: | 2014年12月15日 (月) 12時07分

ねたきり老人っていっそ手足切断しちゃった方が楽じゃね?

投稿: | 2014年12月17日 (水) 12時03分

↑ 当人に面と向かって言えるのなら、私から言うことは何もありませんがね、
 もしかして、寝たきりの老人には理解力もないと思ってます?
 足が使えないというだけで手まで切断しようという発想も理解不能ですな。

投稿: JSJ | 2014年12月17日 (水) 13時03分

コストとリスクを考えればまったく元は取れない、で終了ですな

投稿: 元僻地勤務医 | 2014年12月17日 (水) 16時26分

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