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2014年11月28日 (金)

意識調査では国民の圧倒的大多数が容認しているそうです

先日「まあそうなんだろうな」とも感じさせるこんな調査結果が出ていたのですが、まずは記事から紹介してみましょう。

「日本でも尊厳死を認めるべき」が圧倒的多数派に(2014年11月16日アメーバニュース)

 末期の脳腫瘍と診断された米国の29歳女性・ブリタニー・メイナードさんが、尊厳死が合法化されているオレゴン州に移住。一旦は延期を宣言したものの、当初の予定通り11月1日に薬を飲んで亡くなった。
 これを受け、ヤフーの「意識調査」では、「日本でも尊厳死を認めるべき?」という質問がされ、多くの回答が寄せられている。

 24日まで行われているこの投票、16日16時35分段階で「認めるべき」が82.8%が圧倒的多数となっている。「認めるべきではない」は9.5%、「わからない/どちらとも言えない」は7.7%だ。
 これに対しては「治る見込みがないのに延命。家族の精神的・肉体的・金銭的負担は計り知れない。本人だって口にできないけどきっと苦しい。せめて選ぶ自由くらいは与えてほしいと思う」を含め、「個人の意見を尊重すべき」との声が多いが、「命は偶然的必然性により発生したもの。故意に消滅すべきではない」といった意見も。

 ただし、今回の件については「尊厳死」ではなく、「安楽死」の方が言葉としては相応しいと考察する人もいる。そして、日本尊厳死協会はメイナードさんの件について、以下の声明を発表している。
<日本尊厳死協会は、尊厳死を「不治かつ末期の病態になったとき、自分の意思で延命措置を中止し、人間としての尊厳を保ちながら迎える死」と定義している。尊厳死は自然死と同義語で、協会の立場からメイナードさんのケースは明らかに尊厳死ではない
 米国では「医師による自殺ほう助」を尊厳死とする考えは広まっており、同じく自殺ほう助を合法化したワシントン州も「ワシントン州尊厳死法」である。
 協会が取り組む「過剰な延命治療を控えて自然死を求める」尊厳死運動は、米国の尊厳死理念と異なることを理解したうえで、わが国の終末期医療の議論が進むことを願っている>

言葉の定義として日本では一般的に尊厳死とは延命的処置を中断し死に至らしめること、安楽死とは積極的に薬物等を用いて死に至らしめることとされていて、ここでの調査結果がきちんとこうした言葉の定義などを踏まえてのものであったのかと言えばコメントからはいささか混乱や誤解があるようにも思われるのですが、とりあえずここでは誤解の余地がないよう前者を消極的安楽死、後者を積極的安楽死と呼びたいと思います。
このメイナードさんの衝撃的とも言える積極的安楽死に関しては先日当「ぐり研」でも取り上げたところなんですが、繰り返しになりますが本人は自殺志願者でも何でもなく治療が可能なのであれば生きたいと願っていた、ただ何らの治療も奏功せず近い将来の死が確実な状況となり、なおかつそこに至るまでの苦痛を他に除く手段がないがためにやむなく積極的安楽死と言う手段を選んだと言うことです。
この件ではバチカンが「神と創造に対する罪」等々の非難声明を出したことも大いに議論を呼んだのですが、自殺を禁じる宗教的価値観に基づけば当然ながら推奨されることではないとは言え、この種の非常に微妙な問題に関しては敢えて沈黙を守ると言う選択肢もあったようにも思えるところですけれども、まあこういう価値観、生命観に関わる問題はそれだけ極めて敏感なものであると言うことなんでしょうね。
ただ言葉の問題に帰って言えば、この方面での議論が遅れがちな日本においてもすでに末期患者の消極的安楽死(日本で言う尊厳死)に関しては認められていて本来議論ではなく実施の段階に入っているはずであり、これが仮に米国式定義での尊厳死である積極的安楽死の是非に関しての意識調査として行われたのだとすれば誤解の余地も大いにあるし、その結果の信用性も落としてしまっているのが残念ではありますよね。

一般にこの種の問題に関しては調査をしてみれば個人の選択の自由は認めるべきだと言う意見が多いし、自分自身がいざそういう状況に置かれたとすれば権利を行使したいと言う声も少なからずなんですが、一方で「自分の一番大切な人が尊厳死を希望したとしてその実施を認めますか?」と問えば反対意見が一気に増えると言う傾向があって、元々調査結果にバイアスがかかりやすいと言う一面がある点も注意すべきでしょう。
中にはバイアスがかかるのではなく敢えてバイアスをかけて「国民はこのように考えている」式のソースにしたいと言う向きも一定数いるのでしょうが、もともと日本においてはいわゆる生命維持装置を用いて延命をしていても家族が破産するほど大金がかかることはなく、諸外国のように「先生頼むからもう治療はやめてくれ。俺達が首を吊らなければならなくなる」と懇願するような状況にはなかったわけです。
言ってみれば全くの自由意志で物事を決められると言う幸せな状況であったとも言えますが、人間あまりに制約がなさ過ぎると考えがまとまらない傾向にあるものだし、各人の意見が拡散しすぎた状況下で少数意見に配慮しすぎて制度として何も話が進まない、その結果大多数の国民が権利行使の上で不自由を感じているのだとすれば、これはかえって不幸なことであるということも出来るかも知れません。

死生観の問題と言うものは個人個人の考え方も大きく異なるし、また隣の人がこう考えているからと言っておいそれと自分もそれでいいやと言う割り切りも出来ないものでしょうが、一方で社会全体で様々な選択枝が拡がってくれば身近な見聞から多様性への慣れも出てくる、そして自分の考え方の幅も拡がってくるもので、最初は厳しい条件付けの元であってもまずは死に方を選ぶ権利を認めるべきだと言う考えも当然あるでしょう。
逆に反対派の方々に取ってみれば世間の考え方がそうやって変わっていった結果、その流れに乗りたくない者までもが流されて不本意な選択を強いられる局面を不安視しているわけですが、先行して積極的安楽死の権利を認めた諸外国においても実施前には色々と問題があるんじゃないかと懸念していたものの、やってきたらほとんどがこれは妥当と言えるケースばかりだったと言う声もあるのは少しばかりほっとしますよね。
ただ日本に特徴的と予想される問題として、前述のように経済的要因による治療打ち切りの圧力が低いことの裏返しとして、サポートに当たる家族の心身の負担がより長期に及ぶと言う問題があって、これも望まれない尊厳死や安楽死の誘因になるんじゃないかと懸念されている所以なんですが、患者が権利を尊重されるべきなら家族の権利もまた十分尊重されるべきではありますよね。
その点で本人の権利尊重ばかりが絶対視されて家族視点が欠落しているように見えるのが尊厳死・安楽死に関わる議論の問題点なのだろうし、自分がと言う場合と家族がと言う場合で調査結果に大きく差が出ると言うことの一因でもあるのだとすれば、そのギャップを埋めていくこともまた重要なことなのかなと言う気はしますでしょうか。

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コメント

尊厳死はもうできるんでしょ?どうぞ権利を行使してください

投稿: | 2014年11月28日 (金) 08時05分

他人の死に方に、つべこべ口を出したいってのがほんとわからんよ

投稿: | 2014年11月28日 (金) 10時48分

おっしゃる通りこれも基本的に個人の自由の範疇ではないかとは思うのですが、日本人気質として周囲の圧力が発生した場合に自分の意志を貫徹するのが難しいと言う懸念も、確かに現実的にはありそうだとは思います。

投稿: 管理人nobu | 2014年11月28日 (金) 11時13分

この問題はとにもかくにも、「家族としては同意できない」という感情の点です。
人間はアンビバレントな生き物なので、自分だったら希望するが、家族としては、というのは自然な感情です。

・喪失の苦痛に耐えがたいため、できれば「長生きして欲しい」という家族としての心情
・決断を家族にさせてしまう意志決定システムの機能不全→決断した家族が後悔をしてしまう(or恐れてしまう)、周囲からの批判にあう

これらから、家族に決めさせない意志決定支援、個々の処置の是非ではなく人生全体の目標を話し合うアドバンスケアプラニングの普及などが必要になると思われます。

投稿: おちゃ | 2014年11月28日 (金) 11時40分

自分以外のことになるとどうしても保守的な決断に留まってしまうのでしょうけどね。
でも先日亡くなった方のように苦痛が続くのにすぐには亡くならないってのは見守る家族もつらそうです。
ほんとは尊厳死より安楽死の方が必要性は高いんじゃないかって気がします。

投稿: ぽん太 | 2014年11月28日 (金) 12時47分

喪失の苦痛と、本人の苦痛で、家族としては自分の苦痛の方が優先なのかー
なんだかなー

投稿: | 2014年11月28日 (金) 13時47分

何やっても本人は死ぬ状況ならそりゃ生きてる人優先でしょ

投稿: | 2014年11月28日 (金) 14時29分

>喪失の苦痛と、本人の苦痛で、家族としては自分の苦痛の方が優先なのかー
なんだかなー

「本人には、余命をつたえないでください」「本人にはがんをつたえないでください」これらも、家族の自分自身の苦痛からの心理的な防衛機制がはたらいた結果であることが大半ですね。

心的な防衛機制で、けっして「弱い」「未熟」ではなく人間の生物としての正常な反応ですから、だれしも多かれ少なかれ、そのような傾向はあるということです。

投稿: おちゃ | 2014年11月28日 (金) 18時28分

自殺にしても尊厳死にしても、本人の希望が第一でないなら、生きる権利ではなく生きなければならない義務とならないだろうか。周りの人間に生きてほしいと懇願され、それに従属して苦痛を抱えて生きる人の人生は、はたして幸福といえるのだろうか。

投稿: ごん | 2014年12月 9日 (火) 11時30分

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