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2014年10月 6日 (月)

社会保障改革は高齢者の処遇から?

本日まずは本題にあまり関係ないところですが、先日日医がこんな主張をしていたと言う記事だけ紹介しておきます。

個人番号カードに保険証の機能付加は反対- 日医(2014年10月1日CBニュース)

例によっていつもの日医節と言いますか、少なくとも記事から日医の主張を読み取る限りでは全く同意出来る話ではないと感じるのですが、マイナンバー制度に関してはこの種の抵抗勢力は日医に限らずあちらこちらに存在している中で、どこまで制度を実効性あるものに出来るかは関係者諸氏の今後の努力次第と言うところがあるように思いますね。
日医の話はともかくとして、個人識別と言うことで近年身元不明の高齢者が全国各地で増えてきていると言う話題を以前にも紹介したところで、もちろん何かしらのやむを得ない事情でそうなってしまったと言うこともあるのかも知れませんが、一般的に認知症高齢者などがそう遠くまで出かけられるはずもなく、また遠くない場所であればご家族なりご近所なりのつながりで何かしら情報は出てきそうなものですよね。
その点では犬や猫を遠くに置き去りにするのと同様に人間もどこかから来て捨てていっている人もいるのではないか?と言う懸念がわったわけですが、どうもその現場を捉えたらしいと言うニュースが出ていました。

認知症の父をドラッグストアに置き去り 容疑の男「介護が嫌に」(2014年9月29日産経ニュース)

 認知症の父親をドラッグストアに置き去りにしたとして、鳥取県警智頭署は28日、保護責任者遺棄の疑いで、鳥取市的場、自称警備員、池内克貴容疑者(54)を逮捕した。

 逮捕容疑は27日午後9時ごろ、認知症の父(81)を自宅から車で鳥取市内のドラッグストアに連れて行き、置き去りにして立ち去った疑い。同署によると、「介護が嫌になった」と供述している。

 智頭署によると、父親は名前と生年月日は覚えていたが、住所は思い出せなかった

 ドラッグストアまでは車で約30分の距離。店員が、店内にいた父親に話しかけた際、十分に答えられず、身分証も持っていなかったため110番した。

同じ市内であったこと、名前と生年月日を覚えていたことから何とか素性が判明したわけですが、これら条件のいずれかが欠けていれば大変なことになっていただろうことは想像に難くないところで、身元不明老人(のうち、少なくとも一部)はこうして発生しているのではないか?と思わせるのに十分な事件であったと思います。
小児科の金言に「子供は小さな大人ではない」と言う言葉がありますが、同様に「老人は歳を重ねた大人ではない」とでも言うべきなのでしょうか、とかく高齢者に関しては医学的にも特別な配慮が必要であると言うことから、最近では全国医学部に老年医学講座を開設すべきだ、などと言った提言も出ているようですよね。
もちろん終末期医療の議論などを見ても高齢者特有の医療のあり方と言うものはあってしかるべきで、それはそれで医療従事者のみならず家族や地域社会も含めて広く国民の間で考えていかなければならない問題ですが、一方で高齢者と言えば一般に生産性がない被扶養者であり、同様の存在である小児と同様に社会に保護される身であるとも言えるわけです。
政策的に小児をもっと増やすべきだと数々の対策が取られている一方で、もちろん高齢者はもっと減らそうなどと表立って言う人はいないでしょうが、しかし高齢者の医療や介護を始めとする様々な扶養コストをどう負担するかと言う問題は近年の重要な政策的課題であり、また生活環境に関しても自宅がいいのか施設がいいのかと意見が分かれるところだと思いますが、中にはこんな「過激な」話までもが出てきていると言います。

独居老人は半強制的に地方に移住させるべき!?「老後破産」時代に求められる、過激な社会保障政策(2014年9月30日ダイヤモンドオンライン)

「人の命を救うこと」は社会貢献の大きなテーマだが、近い将来の日本においては、「人を殺すこと」が社会貢献の重要なテーマになるかもしれない――。9月28日に放送されたNHKスペシャル『老人漂流社会“老後破産”の現実』を見ながら、そんなことを考えてしまった。番組ではわずかな年金で暮らしていて、満足な介護や医療サービスが受けられない老人たちが次々と紹介された。
(略)
 日本には現在、独り暮らし老人が約600万人いるが、その約半数が年金収入年間120万円以下で暮らす。そのなかの約200万人が生活保護を受けずに、わずかの年金だけで暮らしているという。
 日本の年金制度は、三世代家族、つまり老人とその子ども、孫が一緒に暮らすことを前提に設計されているというが、同居世帯の数は1980年には60%あったものの、現在はたったの13%だ。当然だが、高齢化社会が進めば、番組で紹介されたような貧困にあえぐ独り暮らしの老人はますます増えるだろう。

公共事業、ODAを全廃しても焼け石に水 国を揺るがす社会保障費の負担

 このような事態に対処するために、番組に登場した大学教授はある提案をする。フランスで行なわれているような年金、医療、介護が一体となった福祉制度だ。つまり、年金が少ない老人でも十分な医療や介護が受けられる仕組みである。
 仮に、いまの日本で最低限の生活に必要な額が仮に毎月13万円だとして、年金が毎月10万円の人は他に3万円分の介護、医療サービスが受けられる仕組みにする。これは、いわゆるベーシックインカムの考え方だ。国民全員に国が定めた最低限の生活費を現金で配ってしまう制度で、最大のメリットは年金、介護、医療、障害者、失業などあらゆる社会保障のための制度を一元化し、行政のコストを大幅に削減できることだ。2000年代に入り、どこの国も社会保障費の増大に頭を悩ますなか、注目されているコンセプトである。個人的には、僕もこの考え方を支持する。ただし、それも「行政に金があれば」の話である。

 誰もが知るように、今後の日本は高齢化がますます進んでいく。団塊の世代が後期高齢者になったとき、つまり、2020年くらいの時点で社会保障制度は破綻すると、誰もが危機感を持っている。日本の社会保障費は現在でも約110兆円だ。無駄な公共事業費を削れという声も高いが、その公共事業費は約6兆円。全額を削ったところで、社会保障は維持できない。
「ODAで途上国なんか支援している場合じゃない。老人福祉にその金をまわせ」という意見もあるが、日本のODA予算は、無償資金協力で約1500億円、技術協力で約3200億円。国際金融開発期間などへの出資金や円借款を含めても約1兆8000億円だ(いずれも2010年度予算)。
 仮にODA予算を全廃したとしても、社会保障費の約1%程度。まさに焼け石に水である。つまり、もはや社会保障は「他の事業の無駄を削って、その金を充てる」という考え方では追いつかない状態にあるのだ。社会保障、社会福祉に対する考え方を根本的に変えなければ、制度が保てなくなるだろう。

「自由の制限」も必要に?コンパクトシティという選択肢

 社会保障費を大幅に下げるためには、コストの削減が必須だ。そのために「自由の制限」という、憲法で保障された国民の権利の制限など、思い切った考え方が必要になるかもしれない。
 たとえば、独り暮らし老人のために、老人が暮らしやすい「コンパクト老人タウン(仮)」のような施設を、土地や生活のコストが安い地方に作る。そして、独り暮らしの老人は半強制的にそこに移住してもらう。東京や大阪などの大都市からも移り住んでもらう。もし、あくまで自分が好きな場所で暮らしたいという場合は、年金も医療や介護のサービス費用も全額自費負担とする。無茶な考え方だと思うかもしれないが、これは「コンパクトシティ」の考え方と同じだ。
 いま、地方活性化のひとつの方法論として、このコンパクトシティが注目されている。これは、住人のすべてが徒歩で生活できる程度の範囲に町を集約するという考え方だが、これを実現するためには、住民を町の中心部に集める必要がある。つまり、強制的な移住がなければ、コンパクトシティ構想も絵に描いた餅になるのだ。
 コンパクトシティを語るとき、多くの人は「人間らしい暮らしの実現」と語るが、日本の場合はそれよりも行政コストの削減のほうが重要な課題である。
 町の中心部から10キロも20キロも離れた場所に一軒だけ民家があり、そこで暮らす人がいる。そこに電気やガスや水道、そして道路などの生活インフラを維持することは、もう地方行政には無理なのだ。だから、そのような人は町の中心部に移住してもらう。移住を拒否する人には、インフラの費用を自分で負担してもらう。これが、コンパクトシティの実態だ。
 実際、宮城県の山元町では復興に向けてコンパクト・シティ構想を実行中だ。住民に移転も要請している。もちろん、なかにはさまざまな理由で移住を拒否する人もいる。ある農家の男性は、自分の農地のそばで暮らさなければ農業ができないと、町の中心部に移住しないことに決めた。しかし、そうなると自分の農地周辺の道路を自費で作る必要がある。その費用、約1000万円。自己負担である。

住みたい場所で自由に暮らすためには、金がかかる時代へ?

 コンパクトシティの構築にはこうした側面があるのだが、それは先ほど述べた「コンパクト老人タウン(仮)」も同様だ。独居老人は集約する。それで、どれほどのコストカットになるのか、十分な精査も必要だが、サービスの集約化がコストの削減になるのは間違いないだろう。そして、自由に生きたい、暮らしたい独居老人には、その生活費や医療費、介護費用も含めて自己負担をお願いする
「住みたい場所で自由に暮らすためには、金がかかる」というのは、多くの人にとって受け入れ難い考え方だろうが(個人的には僕だって受け入れ難いが)、そこまで思い切った政策でもなければ、社会保障は保てなくなるのではないかと思っている。
 番組で紹介されていた老人たちは、異口同音に「早く死にたい」と訴えている。このような「悲痛な願い」を生み出すこと自体、この国の社会保障制度がすでに破綻している、つまり、もう日本は十分に貧しいのだということの証左だと思うが、経済成長だけでこの貧しさを克服できるかどうかは疑問だ。やはり、思い切ったコスト削減が必要だし、そのためには「過激な発想の転換」が、社会保障制度にも求められるのだろう。

先日の厚労省の調査では社会保証制度維持のためには最大の当事者である高齢者の負担増もやむなしと考える人が次第に増えて3割に達したと言いますが、興味深いのはこの負担増を支持する声が最も多かったのが高齢者の仲間入りを目前に控えた50歳代であり、逆に最も少なかったのが当事者である70歳以上であったと言うのはまあ理解出来るとして、その比率の差がほとんどなかった(34%と27%)点でしょう。
高齢者の負担増と言えば政治家目線で見ればともかく票数として多くを持っている当の高齢者が圧倒的に反対している、だから選挙のことを考えてもあまり厳しいことは言えず政治に関心がない若年者の負担を増やすように話を進めてきたと言う説がありますが、こうして見てみると社会保障の負担のあり方に関してはほぼ全年齢にコンセンサスが出来ていて、高齢者だからと特別自分達だけの優遇を期待しているわけでもなさそうです。
その上で前半部分に出てくるベーシックインカム的制度については、とにかく金がないのはどこの自治体でも同じですから現金給付と言うのは難しく、むしろ生保などと共通するシステムとして誰でも最低限食べていけるように食料の現物支給を行うようにすればパチンコや酒代に化ける心配も減るだろうし、地元の小さな商店にとっても固定的な納入先が期待出来ると言う産業振興的側面もあるように思います。
実際に全国の自治体で生保受給者を対象に現金を支給する一歩前の段階で食料を支給すると言うことを始めているところが出てきていて、単純に貧困者が餓死するようなことがなくなるだけでなく副次的に生保不正受給削減にも大きな効果があったと言いますから、高齢者に関しても同じシステムを準用していくことは十分可能ではないかと言う気がしますがどうでしょうね。

記事の後半部分に出てきたコンパクトシティ構想に関しては近年あちらこちらで注目されているところですが、特に農村部などでは土着的な高齢者がどうしても土地を離れたがらない一方で、都市部においては基本的に生活する場としての機能的な部分さえ確保出来ればいいと言ったように、それなりに考え方が違っている可能性はあるのかなと言う気もします。
集団移住を断れば道路等のインフラも自己整備だと言うのはずいぶんと乱暴な話のように聞こえますが、もともと農業をやっていれば農道や水路の整備は自分でやってきた側面が少なからずあるわけで、電気や水道など特別な知識が必要な部分のノウハウさえ提供されるのであれば、案外何でも揃っているのが当たり前の都市部の人間が思うほどには放置されることに不満はない可能性もありますね。
もともと日本全国津々浦々までインフラが整備されたのもこの半世紀ほどのことで、それまでは土地土地によって生活のあり方も違うと言うことが当たり前であったわけですが、ちょうどその時代を知っている方々が今の高齢者ですから、逆に考えると全国どこでも電気も水道もテレビ放送も同じように整備されていて当たり前と言う方々が高齢者になってからよりは、今この時期にこうした話を進めていく方が話は早いのでしょう。
特に真っ先にその対象となりそうなのが豪雪地帯の限界集落で、毎年雪かきだけでも大騒ぎになりますからああした小集落が整理統合されるだけでも自治体財政はずいぶんと違ってくるんじゃないかと言う気がするのですが、もしかすると移転か放置かと言うことに最後まで反対するのはそこに住んでいる高齢者の方々よりも、ずっと前にその土地を離れて都市部に移住している子や孫世代の方なのかも知れませんね。
ともかくも何かをしなければ遠からず国全体がどうしようもなくなってしまうと言う危機感は誰しも持っているところだと思いますから、後は何をどうするかと言う各論の部分で話を詰め実行していく段階であってしかるべきで、個人の権利と自由を重視してあまりにも非効率になってしまった部分がもし全体を大きく圧迫していると言うのであれば、その自由を維持する分のコストは自己負担でと言う考え方自体はまあ妥当なのかなとは思います。

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コメント

ところで火山には自治体が待避シェルターを作れって言ってる人いるんだけど
あれだって登山者が自己負担するのが本来じゃないのかな?

投稿: アックマン | 2014年10月 6日 (月) 09時23分

今の賦課方式だと若者から取って高齢者へ分配してるので是正しないと駄目ですね
仮に消費税だけで負担分を補うと2030年には消費税は20%超えるでしょうね

投稿: | 2014年10月 6日 (月) 09時47分

消費税20%でもヨーロッパあたりと比べたら決して高すぎるわけではないとも言いますが
増税分の使い道を見ていると本気で財政再建する気はまったくなさそうで不安です

投稿: 鎌田 | 2014年10月 6日 (月) 10時34分

20%で終わりではないですしね。
それこそ50%もありえるかと
増税は今のタイミングではやめた方がいいかと
景気が冷えてきてるので

投稿: | 2014年10月 6日 (月) 11時13分

もともと財務省の方では公務員処遇の改訂や財政改革など痛みを分かち合う政策とセットで増税を目指していたとも言いますが、何故かその部分が飛んでしまって増税だけが行われている形ですね。
社会保障費が増え続けるのは必要な痛みとして甘受するにしても、増税したからと他の領域でも支出増加が続くのであれば少し説明を要する状況ではないかと言う気がします。
ただ基本的には某大企業が税金を納めていないと話題になっていたことにも現れているように、直接税から間接税への転換は必要なのかなとは思いますが。

投稿: 管理人nobu | 2014年10月 6日 (月) 11時19分

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