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2014年10月 9日 (木)

今やタブーになりつつある?あの問題

昨今では何かと本業以外の部分で話題になることも多く、すっかりネタソース化しつつあるとも噂される朝日新聞ですが、先日その朝日にこんな記事が掲載されていました。

スルーする力って? 「もっと自由になる」方策(2014年10月7日朝日新聞)

 最近、なんだか世の中が息苦しい。何か言えば揚げ足をとられ、たたかれ、ネットで炎上する。重箱の隅をつつくような言葉はスルーして、もっと自由になれないだろうか。ミュージシャン・俳優のマキタスポーツさん、哲学者の千葉雅也さん、精神科医の片田珠美さんに聞いた。

■愛なきツッコミ見極める
〈マキタスポーツさん(ミュージシャン・俳優)〉

 今は、「一億総ツッコミ時代」だと考えています。ちょっと人と違うことを言うと、ネットやSNSで叩(たた)かれる。面と向かっては言えないような激しい言葉もぶつけられる。あらゆる人が上から目線で、お笑いでいう「ツッコミ」を入れる社会になってしまった。
 まったく知らない相手や問題にもツッコミを入れてしまう。「イスラム国」なんか、普通の日本人はほとんど知らないけれど、つまらない正論を展開する人が一定数いるんです。ドヤ顔で語って、自分がいい気分になるだけ。「しょんべん正論」と呼んでいるんですが、かけておしまいみたいな感じですね。
 ツッコミの人はすぐ「おまえの立場はどっちなんだ」「白か黒かはっきりさせろ」という。世の中はほとんどはグレーで、白か黒かなんて決められない。でも、冷静に思考するのはめんどくさい。白か黒かの正論に逃げたほうが楽なんでしょう。

 僕が「ニコニコ生放送」とかに出ていると、ユーザーがいろいろなツッコミを入れてくる。全部相手にはできないから、スルーとボケをうまく使い分けるんです。本当にむかつくコメントや単なる罵詈雑言(ばりぞうごん)は、相手をしてもしかたがないので、スルーする。ただ、スルーばかりだとかえって拍車がかかる。
 僕がからむことで面白くなりそうだと思えるコメントがあれば、ボケで対応する。わざとやられてみたりすると、喜ぶんですね。それを繰り返していくと、いわば魂が浄化されて、悪いコメントがなくなっていく。
 ボケやスルーを身につけるには、まず「自分は大したものじゃない」と自覚することです。正論を言う人というのは、自分こそ正義だと思っているから、叩かれると逆ギレする。正論に正論で返そうとするんです。でも、自分の正しさなんて危ういとわかっていれば、ボケたりスルーしたりできる。他人を許せるようになるんですね。

総論として今の時代においてはスルー力こそが最も求められるネットリテラシーであると言う論調には賛同するのですが、今この時期に他でもない朝日が「最近、なんだか世の中が息苦しい。何か言えば揚げ足をとられ、たたかれ、ネットで炎上する」などと言う記事を掲載すると、その意味づけに関して色々と深読みしたくなるのは自分だけでしょうか?
朝日の真意はともかくとして、今の時代は重箱の隅を突かれやすい時代であると言う実感は多くの方々が抱いていると思いますが、ディベート教育を受ける機会のあまりない日本人にとって常に他人に突っ込まれる可能性を意識した発言習慣を身につけることは、特に政治家やマスコミ関係者など公的な発信を行う立場の人間にとってはそれなりに意味のあることだと言う肯定的評価も可能ではあるでしょう。
ただマスコミなどが得意技としてきた文脈を無視して一部の言葉だけを取り出しての批判は正直あまり意味がないかなとも思いますし、それが行き過ぎて特定の言葉に対する言葉狩りのようなことになってしまうのでは真っ当な議論を阻害する懸念がありますけれども、最近少しばかり気になっている風潮の例として例えば先日出ていたこちらの記事があります。

「晩婚化、健康な子が産まれない」と市長が答弁…富山・滑川(2014年09月24日読売新聞)

 富山県滑川市の上田昌孝市長が市議会で「晩婚化と(出産が)遅いほどDNAの傷から、なかなか健康な子供が産まれてこない」などと述べたとして、議事録から答弁の削除を求める勧告書を市議会が上田市長に提出していたことがわかった。

 提出は22日付。読売新聞の取材に対し、上田市長は「一般論を述べただけ」と述べ、削除を拒否する考えを示した。

 上田市長は11日に行われた一般質問のなかで、市の人口減対策に関する質問に対し、晩婚化について「きわめて若い精子、卵子はDNAに傷がついていない。そういう若い精子と卵子から産まれた子供は非常に健康な子になっている」と述べる一方、「晩婚化と(出産が)遅いほどDNAの傷から、なかなか健康な子供が産まれてこない」「こういう夫婦間、あるいは男女間の問題にも触れながら進めるべき」と答弁した。

 議会運営委員会の高橋久光委員長によると、議会終了後、市議の一部から発言を問題視する声が上がった

 22日の議会運営委員会と全員協議会で「晩婚や高齢出産の女性への配慮を欠く」として、答弁の取り消しを求める勧告を決定。同日、岩城晶巳議長名で勧告書を市長に手渡した。上田市長は「個人を名指ししたわけではなく、削除する必要はない」と述べたという。

 高橋委員長は「公人の市長がすべき発言ではない。ここから先は市長個人の問題だ」と話した。

 上田市長は読売新聞の取材に対し、「誰かを名指ししたわけではなく、若いうちに健康な子供を産んでもらいたいという思いで発言した。撤回や謝罪をするつもりはない」と述べた。

まあDNAに傷がつくから云々は染色体異常を念頭に置いているのでしょうが、加齢による悪影響はもちろんそれだけのことには留まりませんし、なおかつそうしたリスクを知った上で晩婚化、晩産化を選ぶかどうかと言う個人の選択の自由は保証されるべきだとは思いますけれども、いずれにしてもこの種の発言が今や非常にセンシティブな話題になっていると言うことは推察されますよね。
この発言に対しては当然ながらフェミな方々を中心に一斉攻撃の構えであるようなんですが、記事から見る限りではこの場合発言そのものは多少知識的に不正確と言う範疇に留まるが事実の一端を示したとは言えても、その後の取材に対する補足発言の部分の方が個人の価値観、人生観に踏み込むもので余計なお世話だと言うものかなと思います。
社会にとっては何かしらの個人行動が利益になると言う場合はままあって、例えば政治家が「国民はもっと消費してくれた方が経済発展上も税収上も助かる」と言うのは事実の表明に留まるとしても、為政者とは国民がそういう気持ちになるように環境を整備するのが仕事であって、第三者のような顔で「誰かを名指ししたわけではなく、消費活動を活発にしてもらいたい思いで発言した」では済まない立場ですよね。
その意味では自他称識者の電波芸者における発言の自由の範囲と為政者におけるそれとはいささかファウルラインの角度が異なるだろうとは思うのですが、久しく言われている少子化問題と最近のトピックスである女性の社会的活用と言うことが結びついて相互作用すると、どうやら容易に「危ない発言」を導き出しやすい状況に陥ってしまうようです。

「産んだ年齢で子の育ち方違う」自民・町村氏が発言(2014年10月7日テレ朝ニュース)

 自民党の町村元官房長官は、少子高齢化問題への取り組みを議論する会合で、「母親が出産した年齢によって、子どもの育ち方が異なる」などと発言しました。

 自民党・町村元官房長官:「25歳で子どもが生まれても、あるいは40歳で子どもが生まれても、何にも違いがないと、単純にそう思っている方々がたくさんいる。しかし、明らかに、40代で生まれる(子)と、あるいは20代で生まれた(子)というのを比べると、やっぱり子どもの育ち方というのがいいんでしょうか、いろんな違いがあるかなと」
 この発言は、町村氏自身が会長を務める自民党の少子高齢化問題に関する議連の会合のなかで出たものです。この発言には同席した女性議員が注意を促す一幕もありました。町村氏の発言は、母親の出産時の年齢が子どもの発育を左右するとも取られかねないもので、今後、議論を呼ぶ可能性もあります

扶養者たる親の定年等も見据えての子育て計画と言う、いわゆる人生設計の視点で言っても、高齢妊娠、出産のリスクと言う医学的事実からしても発言内容が正しいか間違っているかと言われれば間違いではないとしか言いようがない話なんですが、ここで注目いただきたいのはその内容が何であれこの種の話題が一種のタブー化しつつあって、何か言えば叩かれるか「議論を呼ぶ可能性がある」式に焚きつけられてしまうと言う事実ですよね。
世の中とりあえず黙ってやらせてみることも大事であると言う場合は多々あって、先日は群馬県大泉町の町議が農業委員に農業経験のない女性を登用することに異議を唱えたところマスコミ各社から一斉に「差別だ」とバッシングされた件がありましたが、町議の真意はどうあれ実質的に女性によって支えられている日本の農業において未だ女性の地位改善が遅れている事を考えると、女性視点を入れること自体に意味はありそうです。
そうした観点からすれば女性の社会進出と医学的な高齢出産のリスク、あるいは人生設計上の難しさなどを絡めてさてどうしますか?と言う話に持っていくのであればこれは全く建設的なのですが、その入り口の段階で何か言えば突っ込まれると皆が口をつぐんでしまうようになってしまうと、これは当の受益者であるはずの女性にとっても大きな不利益と言うことになりかねません。

前述の為政者としてのあり方と言う点で言えば、例えば与党の政調会長が地方の人口減少とも絡めて「中小企業が多い地方でも、女性が働きながら子育てをしやすい環境の整備を進めていく」と語った、などと言う話を聞けばまことにごもっともで誰も突っ込みようがないと言うものですが、総論を現世御利益のある各論に落とし込む段階ではどうしてもどこかから突っ込まれる余地は出てくるはずです。
例えば従業員の交替勤務制などを取りやすい一定規模以上の事業所から女性登用を進めさせてみてはどうか、などと言い出せば「男に対する逆差別だ!」と言う声が上がるのは目に見えていますが、高齢出産問題にしても一人で妊娠出来るものではない以上、実のところ甲斐性のない男の問題でもあると言う視点はどうしても必要そうなのに、あまりそちらに言及されることはないのが突っ込まれ処が多すぎるからであるなら問題でしょう。
政策に限らず世の中理念優先で行くべきなのか、実利優先で行くべきなのかで議論のあり方は変わってくるものですが、もちろん状況的にまだまだ余裕がある局面では筋を通すことは大事ですけれども、久しく以前から言われている日本の少子高齢化問題でいつまでも「正しいが、実効性がないこと」ばかりを語っていられるほどの余裕があるのかどうかも議論が別れるところでしょうね。
結婚、出産の適齢期なのにそれをしない若い世代の声に素直に耳を傾ければ、若いうちから男がバンバン稼いで将来の稼ぎも安泰と言う雇用環境が確保されるのであれば、誰しも何も思い悩むことなくさっさと結婚も出来るし子供も持てるんじゃないかと言う気もしてくるのですが、こんなことをうっかり口に出してしまうとそれこそ男尊女卑の時代錯誤な考えだと炎上してしまうでしょうか。

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コメント

少子化対策が、なぜ総論賛成・各論反対に陥ってしまうのか、考えるに
それぞれの唱える少子化対策が、発案者の理想とする家族観・「家」観を反映するからだと思います。
明治以来の伝統的家族観(大黒柱のお父さん、良妻賢母のお母さん、健やかな子供たち)の崩壊と少子化が相関しているように見える
じゃどうするか。
少子化対策の目指すところが、伝統的な家族を再生するのか、新たな家族を創造するのか、という違いとなって現れるのではないでしょうか。

鬼頭宏氏の著作に拠って考えると、http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20111014/287405/
日本史における人口停滞期から成長期への転換には、常に社会の変革を伴ってきたのだと。
ならば、今の少子化対策も正解は伝統への回帰ではないだろうと、私は考えます。

投稿: JSJ | 2014年10月 9日 (木) 08時51分

結婚なんて言おうものなら田嶋センセイに怒られるなw

投稿: aaa | 2014年10月 9日 (木) 08時53分

今やってる少子化対策って実際に子供を持った人でないと身近に見えてこない気がします。
ほんとは結婚も子育てもできっこないと思い込んでる人たちにアピールすべきじゃないですか。
なんかこう制度があることにありがたみが感じられないんですよね。

投稿: ぽん太 | 2014年10月 9日 (木) 09時27分

そう言えば先日は子宮移植を受けた女性が世界で初めて出産に成功したのだそうで、考えようによっては産む性としてのジェンダーに縛られた女性を解放する第一歩だとフェミな方々も注目すべきニュースですよね。
http://www.huffingtonpost.jp/2014/10/04/uterus-transplant_n_5933286.html

少子化対策なるものが求められているのはあくまでも現実的側面としての対策の部分であって、少子化に対するどうあるべきかと言う理念の部分ではないのだし、その点に関して誰も正解など持っていないと思います。
ただ財政上の制約と期待される効果と言う点で現実的に高コスパが期待出来る方法論と言うものがあるはずで、名目理念はともあれそれを実施していくかどうかの話だと思うのですけれどもね。
若い方々にとっては金がないことが全ての原因であると世論調査は一致している以上、一例として若年者を対象とする世代間助け合い制度(すなわち年金の若年者バージョン)のようなものもあり得ると思います。

投稿: 管理人nobu | 2014年10月 9日 (木) 10時36分

実は日本の有配偶者の子供の数は70年代から大凡2人で今も変わらないんですね。
なので少子化対策で不妊治療ってのは見当違いかと

投稿: | 2014年10月 9日 (木) 11時55分

おおぜい産んだお母さんは働かなくても食べていけるようにすべき

投稿: | 2014年10月 9日 (木) 12時12分

不妊治療で生まれる子供の数は年間3~4万人ぐらい
他の施策で、出生数をそれだけ上げるのは、大変なことだろうにさ

伝統的家族へのノスタルジーをぐちぐち言ってるよりかまし

投稿: | 2014年10月 9日 (木) 13時12分

すでに産んでる人がもう一人二人産む気になってくれればかなり違いませんか?
どうしても産まない産めないって人はいると思うので。

投稿: てんてん | 2014年10月 9日 (木) 13時25分

別に自分は結婚しろ何て言ってませんよ
ただ不妊治療の支援を少子化対策でやるのは見当違いと言ってるだけです。
そしてアメリカを除く先進国諸国も少子化傾向なので仕方ないんだと思います。
フランスでも出生率は1、9ですし

投稿: | 2014年10月 9日 (木) 14時21分

子供を産むための治療が少子化対策でないのはなぜ?
産めば子供増えるじゃん?

投稿: | 2014年10月 9日 (木) 14時23分

有配偶者の子供の数は大凡70年代から変化が無いからです。
要は結婚したけど子供が産めないではなくて
そもそも結婚しない人が増えてるから少子化な訳で

投稿: | 2014年10月 9日 (木) 14時46分

不妊治療には医療に可能な少子化への介入手段と言う意味付けはあるのかですが
ところでふと思ったのだが、子を生み育てるほうが中絶より低コストになるとどうなるものだろう?

投稿: 元僻地勤務医 | 2014年10月 9日 (木) 15時50分

晩婚化になっているのに有配偶者の子供の数が変わらないのは、不妊治療が寄与しているのでは
本来産みにくくなって減っているはずの子供の数を、無理やり生んでるんじゃないですかね

子供育て上げるより中絶が高コストって、2000万とかのお値段?
1件で年収ぶん稼げそうだね、産科医の先生

投稿: | 2014年10月 9日 (木) 18時17分

子育て補助金増額と中絶の敷居高くするのである程度は可能かもね>逆転
法律文字通り解釈するだけで中絶なんてほとんど出来なくなる

投稿: | 2014年10月 9日 (木) 19時58分

中絶減らしたら虐待される子供が増えるよ
http://www.asahi.com/articles/ASGB95R5ZGB9PTIL01H.html

投稿: | 2014年10月10日 (金) 06時35分

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