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2014年10月

2014年10月31日 (金)

健康に投資する価値はどこまで?

本日の本題に入る前に、昨今は何でもネットで用が足りると言う時代で、全国各地で近所の書店が次々と閉店していくのもネット通販が定着したからだと言う話もあるほど社会への影響も大きくなっているそうですが、人の命に関わる領域においてもアメリカではこんな話も出てきていると言います。

検索結果に「医師と相談」、米グーグルがテスト中か(2014年10月15日日本経済新聞)

 米Google(グーグル)が医師に直接相談できるビデオチャットサービスをテストしていると、Engadgetやニューヨーク・タイムズ、PCMag.comなど、複数の米メディアが報じている。Google検索で気になる体の症状などを検索すると、医師と直接会話するための手段が提供されるという。

 最初に同機能に気づいたユーザーが現地時間2014年10月10日、ソーシャルニュースサイト「reddit」に投稿し、その後EngadgetがGoogleに確認を取った。同ユーザーがAndroidスマートフォンで「knee pain(膝の痛み)」を検索したところ、ビデオチャットアイコンとともに「Talk with a doctor now(今すぐ医師と話をする)」との選択肢が表示された。

 画像共有サイト「Imgur」で公開されたスクリーンショットによると、同機能では、検索に使われたキーワードからユーザーが症状について詳しく知りたがっていることを認識し、ビデオチャットによる診察が可能であることを知らせる。テスト期間中は、Googleが手数料を負担する。

 サービスが正式にスタートすれば有料になると見られるが、どのくらいテストを行うか、正式サービスの手数料はいくらになるかなど、詳細については明らかにされていない。
(略)

ゴールデンタイムに健康に関わる番組がこれだけ増えていることを見ても世間的需要はもちろん小さくないのでしょうが、アメリカですとこういうサービス提供で十分ドクターフィーを稼げるのでしょうが、医師に限らず専門家の時間を取らせることがタダ同然に認識されている日本では商売として成立するのかどうか微妙な気もします。
先日は無料オンライン講座の一環で山中先生がiPS細胞に関して無料講座をネット配信すると言う記事が出ていて、もちろんこういう仕事もスポンサーからそれなりの手間賃は出ているのでしょうが、先日もネット上での医師相談サービスを紹介しましたがあれも参加する医師のボランティアが前提で成立していたようにいまだこの種のサービスの報酬体系は流動的で、果たしてこうしたシステムが永続的にうまく機能するものかどうか若干の危惧を感じています。
金目的の人間になど参加してもらわなくても構わないと言う考えもいるかも知れませんが、基本的に人間誰しも働いて稼がないことには喰っていけず、一般論として医師という商売は多忙だとされていますから、見返りを求めることもなく日常的に素人質問に相談に乗ってあげられる人達ばかりが集まってくると言う時点でどうしても一定のバイアスがかかってしまうのは避けられないだろうと言う気もします。
一般的なBBS等でも健康相談的な書き込みと言うのは少なからずあるものですが、見ていますと少しばかり極論に走りがちであったり一般的でないように思われる対処法が提示されていたりと言う場合もありますから、やはりあくまでも参考にとどめておくと言う割り切りを利用者が持てるかどうかが大事なんだと思いますね。

いささか余計な脱線が長くなりましたけれども、人間豊かになってくるほど自分の健康にお金や時間を使いたくなるのは世の常だし、世界的に健康産業と言うものが非常に大きな規模になってきているわけですが、科学の進歩に伴って登場したいわば究極的な健康追及のあり方として注目されているのが遺伝子検査と言うもので、その意味づけを問うこんな記事が出ていました。

遺伝子検査は「予防のため」か「占い」か(2014年10月28日日経メディカル)より抜粋

 大手IT企業DeNAの参入が話題となり、個人向け(direct to customer:DTC)遺伝子検査サービスが注目を集めている。疾患の「なりやすさ」を知ることで予防に役立てるなどのメリットがうたわれる一方で、法律による規制はないため検査会社ごとの技術力のばらつき、結果解釈の曖昧さ、利用者のリテラシーへの不安など課題も多い

 「○○さんの遺伝子型の発症リスクは日本人平均の0.88倍です」――。DeNAライフサイエンス(東京都渋谷区)が2014年8月に開始したDTC遺伝子検査サービス「MYCODE(マイコード)」の結果画面には、個々の疾患の「リスク」がこう表示される(図1)。結果を一覧すると、「喘息」「心筋梗塞」「C型慢性肝炎」など、約280項目が並ぶ(図2)。これらのリスクは、特定の遺伝子配列(一塩基多型:SNP)と疾患の罹患リスクや体質との関連を示した論文に基づいて算定される(図3)。日本人の平均的な疾患発症リスクを1とし、利用者と同じ遺伝子型を持つ集団の発症リスクをオッズ比で示す。あくまで遺伝子型ごとの統計的なリスクを算定するもので、疾患の診断に結びつくものではないことを各社とも説明する
(略)
 もっとも、誰でも気軽に検査を行える分、遺伝子と疾患に対する利用者のリテラシーは様々だ。リスクが平均より高かった疾患を、将来自分が発症する疾患だと誤解するかもしれない。また、結果に書かれているのは「自分が属する遺伝子型集団の発症リスク」だが、解析対象になっていない遺伝子の影響を受ける可能性もある。表示された疾患リスクが、実際のリスクとそのまま一致するわけではないことを、利用者のどれだけが理解できるのかも懸念される。

「アンジェリーナ・ジョリーの検査」と違うことをどれだけ理解?
 遺伝子検査といえば、2013年5月、米国の女優アンジェリーナ・ジョリーがBRCA遺伝子変異によって両乳房切除手術を受けたことを公表し、大きな話題を呼んだ。BRCA遺伝子は、家族性乳癌や卵巣癌の発症に強く関連することが分かっている。
 各社が強調するのは、DTC遺伝子検査サービスはあくまで予防の動機付けを目的としたものであること。BRCAのように疾患の発症に強い相関を持つと判明している遺伝子は解析対象としない会社が多い。ジェネシスヘルスケア代表取締役CSRの佐藤バラン伊里氏は、「生活習慣に起因する癌の発症リスクを調べられる検査キットも販売しているが、家族性乳癌が検査項目にない旨は明記してある」と説明する。これは、「DTC遺伝子検査は予防を目的としたサービスであり、医療行為につながるものではない」(佐藤氏)というスタンスからだ。
(略)
 各社が「診断に直結する遺伝子の解析」に慎重になるのは、米国の大手DTC遺伝子検査サービスの23andMeに対し、2013年11月に米食品医薬品局(FDA)が販売の即時停止を求める警告書を送付したことも影響している。23andMeが警告を受けた理由は、遺伝性疾患など疾患の診断に直結する遺伝子について解析しているにも関わらず、使用する機器が医療機器としての承認を受けていないこと。ワルファリンなど薬剤の感受性に関連する遺伝子の解析結果を受けて利用者が薬剤の量を自己判断で調節するといった事例が報告されたことなど。
 警告書では、遺伝子検査の結果が間違っていた場合や、利用者が検査結果を適切に理解しなかった場合に深刻な問題が生じるという懸念も示した。同社は警告を受け、サービスの提供を停止。深澤氏は、「今のところ日本国内には遺伝子検査に関する法規制はないが、同様の問題は起こり得ると考えている」と説明。遺伝性疾患や薬剤感受性の関連遺伝子などは、この米国のケースなどを踏まえてサービスから外しているという。

「高価な占い」という批判も
 「DTCの遺伝子検査は占いと同じ」。こう断ずるのは、国立精神・神経医療研究センター神経研究所部長兼トランスレーショナル・メディカルセンター副センター長の後藤雄一氏。「疾患に強く結びつかない関連遺伝子ばかりを解析しても、ほとんど参考にならない」からだ。後藤氏は臨床における遺伝子検査に長年携わり、現在は同院の遺伝カウンセリング室医長と臨床検査部遺伝子検査診断室医長を併任する。
(略)
 また、「利用者が生活習慣を改めるためのエビデンスとして割り切って利用する分には害はない」としつつも、「そのような目的ならば他にも方法はある。数万円を掛けて遺伝子を調べる必要はあるのか」と語る。遺伝子検査の体制についても、「本来なら難病の診断などにその貴重な資源や人的リソースを使うべき。なりやすさを調べる検査をすることに意味はあるのか」と後藤氏は疑問を投げかける。
(略)
 DeNAライフサイエンスは、9月にインターネット電話サービスのSkype(スカイプ)などを利用し、管理栄養士から個人的に食事や運動の指導を受けられる有料オプションを開始。検査結果でリスクが高かった疾患の予防についてもアドバイスを受けられる。今後はこうした指導を定期的に行ったり、気になる疾患の検査が受けられる医療機関を紹介するサービスも検討しているという。
(略)

遺伝子検査と言うと何か大変なもののように思いますが、今どき人間ドックなども一日拘束されて結構高い料金を取られることを考えると、自宅に送られてくる容器に唾液等の検体を入れて送り返せば色々な病気の「素質」をどれくらい持っているかが数万円の出費で判ると言われれば、まあ一度くらいは試しにやってみようかと考える人もかなり多くなりそうですよね。
興味深いのは本当に疾患のリスクに直結する危ない遺伝子と言うものもあちらこちらで見つかっているわけですが、この検査では敢えてそういうものは除外してあると言うことで、利用者の立場から考えると「それじゃ意味ないじゃないか」と思ってしまいがちなんですが、記事にもあるようにやはりそうしたデータを直接素人に提示するのは弊害も大きいと言うことで、この辺りは今後検査結果と医療との連携を考慮していくべき課題でしょうか。
そもそも医療との連携と言えば遺伝子的な疾患リスクがいくら判ったとしてもそれが行動に結びつかないことには意味がないのは当然だし、逆に医師が相談を受けるにしても現に異常が現れていると言うのでもなければせいぜいが「気をつけましょうね」と言うしかないだろうしで、現状では確かに「高価な占い」と言われても仕方ないほど位置づけが微妙な検査ではあると言う気もします。

健診などは基本的にそれを行って早期に病気の芽を見つけ出すことで後々の面倒(多くの場合はコスト)を減らすと言う効果を期待したものですが、一方でメタボ健診導入によって全国数多の病人が新たに作り出され医療費はむしろ増大しているのではないか?と言う批判もあるように、費用対効果と言う観点から見ればどこかで見切りを行っていく必要もありますよね。
これに対して遺伝子検査などはあくまでも個人が自分の健康や生命のために自費で行うことであって、どれほど高価で非効率であっても本人がその価値があると考えるなら自由にすればいいと言う扱いですけれども、生活習慣病などはしょせん本人が生活を改めるかどうかが全てだとも言えるし、見つかりにくいが見逃しては大変なことになると言った類の病気の検査は敢えて行っていないと言うのでは有り難みが乏しいのは確かでしょう。
また仮に遺伝子検査の結果何らかの病気の素因が見つかった、さっそく早めに治療をしてくれと病院にやってきた場合には保険診療を受けるわけですから、保険財政上はいまだ治療を受けなくてもよかったはずの患者が余計に増えていくとも言えますが、こうした方々の医療費までも全国民が均等に負担すべきなのか?と言われるとやや釈然としない方もいらっしゃるかも知れません。
現行のドックなどでもやたらに高価なオプションばかり頼む人もいて、まあ気持ちは判るけれども肝炎ウイルスマーカーなど毎年測っても仕方ないんじゃないかな…と言うケースも多々ありますから、やはり様々な意味で余計な出費を抑えるためにも素人があれやこれやと自己判断するよりは、信頼できるかかりつけ医なりにまず相談してみるところから始めた方がいいような気はしますね。

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2014年10月30日 (木)

粗末すぎる弁当とこだわりすぎる弁当

今日は再び当「ぐり研」の本分に立ち返って食べ物の話題を取り上げてみますが、アイルランドのロックバンドU2と言えば、先日は某林檎社から半ば強制的なアルバム無料配信が行われ大きな騒動を巻き起こしたことでも改めて注目を集めたものですけれども、そのU2のメンバーが先日こんな衝撃的な告白をしたと報じられています。

U2のジ・エッジ、14年間チーズ・サンドイッチを食べ続ける(2014年10月22日BARKS)

U2のジ・エッジの学生時代のお弁当の中身は、毎日、チーズ・サンドイッチだったという。料理が苦手なお母さんに一度リクエストしたところ、その日から14年間同じメニューになったそうだ。

彼はUKのラジオ局Absolute Radioでこう話した。「うちの母は素晴らしい女性だったけど、料理には当たりはずれがあった。弁当なんてことになったら、想像力が尽きちゃうみたいだったよ。だから、学校へ行くようになって1週目だったか2週目だったかに、僕が“うーん、ママ、僕はチーズ・サンドイッチがいいな”とかなんとか言ったんだと思う。それ以来14年間、毎日、チーズ・サンドイッチだったよ」「もっとバリエーションが欲しいって言わなきゃなって思ってたんだけど、忘れちゃうんだよね」

同じ学校へ通っていたボノもこれは覚えているようで、「(学校に)ストーブがあったから、エッジのチーズ・サンドイッチをのっけてチーズ・トースト・サンドイッチにしたりしてた。そしたら、ちょっと違う感じがするだろ」と話した。
(略)

まあしかし毎日のメニューを考えるのも面倒なものですから、何か準備が簡単かつ本人が好きなものがあると言うならそれに頼りたくなるお母さんの気持ちも判るんですが、さすがに14年間ずっとと言うのは少しばかりやり過ぎだと考えてしまうのはむしろ昼食環境に恵まれている人々と言うべきで、食べられればマシと言う国々は元よりアメリカなどでさえいまだに毎日リンゴとピーナッツバターのサンドイッチばかりと言う家庭もあると言いますね。
日本でも昭和の前半期頃までは弁当など腹がふくれれば十分でボリュームやカロリー最優先、おかずは質素かつ決まり切ったものがわずかばかりの日の丸弁当で、それこそ磯野波平さんの「弁当箱を開けて今日のおかずは卵焼きだ、ご馳走だと思ったら単なる沢庵の厚切りでがっかりした」なんて話が当たり前だった時代があったわけです。
不肖管理人も好きな「母の作ってくれたお弁当は毎日ゴミ箱へ捨てていた」と言う有名コピペなども、あれが成立するのは世間一般の弁当に対する認識が「お世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかり」ではなくなったからだとも言えますが、実際外国人が日本にやってくるとコンビニ弁当の多彩さに驚くと言いますね。
子供さんを始め弁当を食べる側にとって弁当箱の蓋を開ける瞬間は一種のエンターテインメントでもあって、それだけに世の親御さん方はあの手この手で彩り豊かな弁当を用意しているのだとも言えますが、ただそれも行きすぎるといささか問題視されるようにもなりかねないと言うこんな話が出ていました。

「キャラ弁禁止」の幼稚園が増えている? その理由とは(2014年10月21日小ネタ)

キャラ弁とは、ご存じ、キャラクターの顔などをご飯やおかずを使って作るお弁当のこと。2007年くらいから話題になり始め、2014年現在ではブームの粋を出てお弁当の一ジャンルとして確立されているようにも見える。
くまもんのおにぎり抜き型のように、再現度の高いキャラ弁が簡単にできるグッズがつぎつぎと販売されることで、キャラ弁作りに挑戦する敷居が低くなっていることも人気を支える要因だといえるだろう。
さてそんな、子どもたちにもさぞ好評であろうキャラ弁だが、なんと近年、キャラ弁を禁止にしている幼稚園や保育園が増えてきているとの情報をキャッチした。こんなに色とりどりでかわいいキャラ弁がなぜ禁止に……!?

【キャラ弁禁止幼稚園に通わせる親たちのリアルな声】

キャラ弁を自粛、または禁止にしているという保育園・幼稚園に通う3名の方に話を聞いた。まずは、幼稚園に通うお子さんがいる梨山さん。
キャラ弁や華美なお弁当は、イジメの原因になることもあるから避けるようにって最近、幼稚園から言われました。息子も、私が作ったプーさんのオムライス弁当、顔が寄って崩れたからか、"きたない!"と隣の席の子から言われて号泣なんてこともあったから、確かに意味は分かるんだけど……。でものりパンチを数種類買ったばっかりだから残念かな」
また、保育園に通うお子さんがいる南高さんはこう言う。
ピック禁止は前から言われてました。で、今年の夏前くらいに食中毒の危険性について話をされて、"キャラ弁は衛生面に特に配慮するように、もし心配なら止めること"と口酸っぱく言われました。作るときに時間かかる上に細かい作業が多いからかな。娘に聞くと、最近ではみんな"ふつうのお弁当"だそうです(笑)。キャラ弁好きだった娘も、"ふつうでいい"って言ってます」
(略)
話を聞いてみると、各幼稚園・保育園によってキャラ弁の扱いはさまざまなことが分かった。チマタには"親子でジバニャン作ろう"などのイベントを開催する、キャラ弁大歓迎な幼稚園・保育園が存在する一方で、完全に禁止または自粛すべしとルールを設けているところもどうやら少なくないようだ。

【キャラ弁禁止にはこんな理由があった!】

キャラ弁禁止にする所以はどこにあるのだろう?
まずは、梨山さんが言っていた、「キャラ弁や華美なお弁当がイジメの原因になることもある」という理由。
元幼稚園教諭の知人によれば、「キャラ弁は一人が自慢しはじめると、他の子も自分も自分も!って見せ合いになって、キャラ弁ではない子が仲間はずれにされてしまうこともありますね。あと、少し崩れてしまったキャラ弁を持つ子を、そのキャラクターのセリフで悪評価する子もいるし、望んでいないアダ名を付けられてしまうことも。崩れたキャラ弁を見られたくないせいか、お弁当を忘れたなんてウソをつく子もいたり、どのキャラがカッコイイかと言い争いにも発展しやすい気がします」
との分析。単純に「○○ちゃんのお弁当すごいね!」「かわいいね!」と微笑ましい雰囲気だけでは終わらないのがキャラ弁の現実なのかもしれない。

続いて、南高さんが言っていた、「衛生面」の観点での理由。
キャラ弁をとてもキレイに作っている方たちのブログをのぞいてみると、「製作時間90分!」とか「この顔部分で40分もかかりました」など、その苦労がかいま見えることも。もちろん自分の仕事もこなしつつ、忙しい時間を割いてつくり上げるキャラ弁は、ユニークでかわいくて素晴らしい作品だ。
ただキャラ弁の場合、普通のお弁当よりも、目や口を貼り付けたり手の形を作ったりと、食品に触る回数が比較的多くなる。もちろん食品用のビニール手袋などを使って注意していれば食中毒などのリスクを軽減することはできるだろうが、確かにちょっと心配かも……? 
(略)

ちなみにもともと弁当の飾り付けにこだわると言うのは、子供の苦手な食べ物であっても視覚的楽しさを加えることで食べられるようになってもらいたいと言う食育的側面もあったようで、その意味では各家庭が競争するように凝った弁当作りに走ると言うのはやはり少しやり過ぎであり、本旨を逸脱していると言う風にも取れるのでしょうか。
もちろん子供にとっても初めて見た時はうれしくもあるのでしょうが、やはり毎日キャラ弁と言うのでは新鮮さも薄れ今さら感動も何もないのでしょうし、ましてやその出来、不出来が理由で周囲とおもしろからぬ雰囲気になると言うのではたまったものではありませんから、日々の弁当にまで特別にこだわりはないと言うのはむしろ子供の方なのかも知れません。
特に衛生学的な観点からも問題があると言うのは、手の込んだ飾り付けをするほど料理の内側にバイ菌を押し込める形になってしまって、下手をするといい具合の余熱の中でバイ菌大繁殖と言うことにもなりかねない理屈ですが、ちゃんとした料理屋では飾り物の類を用意する時はきちんと温度管理、衛生管理を行うか、そもそも最初から食べない飾り付けとして扱うと言うことが徹底されているはずですよね。
この辺りはネット経由でこれだけ見栄えのするキャラ弁の数々が広まっていながら、基本的な衛生管理上の常識はそれほどには普及していないと言なかったと言う言い方も出来そうですが、やはり料理の本などにおいても応用ばかりでなくスープの取り方や食材の扱い方などの基本と並んで、食中毒防止のための基礎知識なども併記して頂きたいものだと思います。
まあしかし不肖管理人などは色気がない性格だったのかも知れませんが、とりあえず好きなものやおいしいものがてんこ盛りになっていれば他はどうでもいいやと言う感じだったものですけれども、それで子供が不満がるのであればたまには親子で仲良く弁当を作ってみるのもまた良い経験なんじゃないでしょうか。

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2014年10月29日 (水)

地方と言う言葉に込められた複数の意味づけ

昨今の政治的キーワードとして地方創生なる言葉がしばしば取り上げられているようですけれども、財源等も含めた地方への権限委譲と言うことは長年徐々に行われてきた政策である一方で、相変わらず人口動態的には大都市部への人口集中と地方の人口減少と言う大傾向は変わる気配がないようです。
地方から見れば税収も何も自治体主導でやってくださいと権限を委譲されたはいいが、その税金を負担してくれる地元住民が減る一方では何の事やらと言う話なんですが、国民意識としては必ずしも地方移住は不可だと言うわけでもない一方で、その実際においてはなかなかに難しい問題もあるようだと言う記事が出ていました。

「地方移住してもよい」20~40代で過半数 内閣府調査(2014年10月18日日本経済新聞)

 内閣府は18日、人口や経済社会など日本の将来像に関する世論調査の結果をまとめた。都市に住む人に地方に移住してもよいと思うか聞いたところ、「思う」「どちらかといえば思う」の合計が20~40歳代でそれぞれ半数を超えた。地方移住は政府が進める地方創生の柱の一つで、若い世代の前向きな意向をどう生かすかが重要になりそうだ。

 地方移住に肯定的な人は20代で52.3%、30代が57.6%、40代が51.2%。50代以上は3割前後で、全体では39.7%だった。移住してもよいと答えた人に移住の条件を複数回答で尋ねたところ「教育、医療・福祉などの利便性が高い」が51.1%で最も多く、「居住に必要な家屋や土地が安く得られる」が48.9%で続いた

 地方創生で進める地域の中心部に居住地を集約する考え方については「反対」「どちらかといえば反対」が64.0%を占めた。病院や公共施設が中心部に集められた場合に、中心部への移住を考えるかとの質問には「考える」「どちらかといえば考える」が48.8%、「考えない」「どちらかといえば考えない」も48.0%と拮抗した。

 調査は8月に全国の成人男女3千人を対象に実施。有効回答率は60.9%だった。

“田舎暮らし移住”が急増中 でも「たった半年で飽きてしまって」という場合も(2014年10月17日週刊朝日)

 定年したら自然豊かな田舎へ移り住んで、のんびりと暮らしたい──。そう考える中高年夫婦は増えている。内閣府の調査でも農山漁村への定住を望む60代以上の割合は、2005年に比べて倍近くに達している。
 地方への移住希望者を支援する認定NPO法人「ふるさと回帰支援センター」(東京都千代田区)によると、13年度の問い合わせ件数は1万件を超す。ちなみにその5年前は3千件程度だった。副事務局長の嵩(かさみ)和雄さんが言う。
「東日本大震災を機に、田舎でのスローライフを考え始めた人は多いです。定年後や、その少し前から生き方を模索し始める50、60代にも根強い人気がある」
 センターは、全国の自治体などから集めた情報を提供するほか、移住した人を招いてセミナーを開いたり個別相談に応じたりする。初めて相談にやってくる人の大半は「なんとなく田舎暮らしに憧れて」と漠然としたイメージしか持っていない。このため聞き取りを進めながら、(1)気候の好み(2)目的(3)移動手段はマイカーか公共交通機関か(4)費用などを把握し、自治体の担当者につなぐのだという。その上でピンとくる場所があったとき、嵩さんが強調するのは「現地には何度か足を運ぶこと」だ。
「普段の生活では車を使うつもりでも、使えなくなったときに慌てないよう、一度は公共交通機関で行ってみてほしい。気候が厳しい季節にもあえて訪問する必要があるんです」
 つまり夢を実現させるためには、入念な準備が欠かせないのだ。茨城県笠間市に住む中野さん夫妻も定年前から通い詰め、短期滞在で農作業を基礎から学び、親しくなった地域住民のおかげでなじむことができた。生活基盤を築くまでに、かなりの時間を費やしている。こうした“手間”に、嵩さんもうなずく。
「皆さん、『空き家なら簡単に借りられるはず』と考えがちですが、実は地元の所有者は案外貸したがらない。簡単には信用できないというのが、大きな理由のようです。地元の風習や地域の人との関係は暮らさないとわかりづらい

 頭の中で思い描いていた光景と自分たちの生活スタイルのギャップを痛感
した夫婦もいる。静岡県下田市在住の井田一久さん(66)と真知子さん(55)夫妻だ。伊豆の海を一望できる高台の中古住宅に移住して10年目を迎える。
 もともと一久さんは建築士の資格を持ち、サラリーマンを経て独立、神奈川県相模原市で設計事務所を開業した。2人の子どもたちの教育が一段落した50代で自宅を売却、妻の親戚がいるこの地へ。夏は東京より気温が5度も低く、クーラーいらず。海の青さや星の美しさにも魅せられた。
「当初は夫婦で家庭菜園や釣りを楽しんでいました。でも、たった半年で飽きてしまって(笑)。絵を描くつもりで庭に建てたアトリエも使わないまま。退屈に耐えかね、ハローワークに行ったんです」(一久さん)
 すると地元建設会社から半年間の現場監督を頼まれた。その縁で設計の仕事を再開することに。06年には、自分たちのような移住希望者の力になろうとNPO法人を設立し、相談やイベントの開催、地元の人や役場との連絡役をこなしている。真知子さんも設計の仕事を手伝いつつガーデニングや地元サークルで卓球、俳句などを楽しむ。
憧れだけでは時間を持て余すし、家を処分してしまえば戻れない。そうした自分たちの失敗から言えるのは、『目的を明確にする』と『賃貸で様子見を』でしょうか」(同)

まあしかし田舎暮らしは自然が豊かと言うステレオタイプな捉え方もどうかと思うんですが、自然と言うものは除草防虫などのメンテナンスなしには草生え放題虫も害獣も入り放題なのであって、時折聞くことですがきっちり管理され快適に調整された人工環境を自然豊かな田舎の光景だと思い込んでいると早々に幻滅して撤退することになってしまいますよね。
とは言え地方と言っても県庁所在地や中核市クラスの地方都市であれば別に日常生活において何ら不自由はないと思われますから、単純に地方移住と言うことといわゆる田舎暮らしとを混同して語るべきではないはずですし、都道府県レベルで考えると今後国保財源なども県単位になるわけですから、別に過疎地域でなくてもまずは県内への人口流入を増やすことの方が重要である場合が多いのではないかと思います。
ただここで注目頂きたいのは国の言う地方創生と言う言葉には実は地方においても人口やインフラの中心部への集積、いわば一局集中化を推進すると言う考え方が含まれていることで、近年注目されているコンパクトシティーなどを見ても判るように効率的にはこの方がよほどいいのは確かなのでしょうが、言ってみれば地方においてもミニ都会を作るだけと言うことにもつながりかねませんよね。
そして地方と言った場合にそうしたミニ都会のイメージで語る人と言うのはあまり多くはないはずで、のんびり地方暮らしをしたいと言う人たちの言う地方とはまずは田舎であると考えておいて間違いなさそうなんですが、この場合も田舎時間でのんびり出来るのはいいがインフラに関しては都市部よりも劣ることを我慢出来るのかどうかが一つのカギとなりそうです。

その点で興味深いのが国の調査結果においては地方移住の条件として「教育、医療・福祉などの利便性が高い」ことが挙げられ、さらには「居住に必要な家屋や土地が安く得られる」と続いていると言うのですから、それは生活コストが安くてインフラも充実している夢のような土地があるなら誰だって移住したくなるわ!と言う当たり前の話ですよね。
アメリカなどは自己責任を最重視するお国柄なのか、田舎暮らしは不便で当たり前、それを承知の上で田舎に住んでいるんだから自分で何とかしろが当たり前に通用するようですが、日本では例えば郡部に住む人間は心筋梗塞で倒れてから治療を受けるまで○時間かかると言われればそれは大変だ、都市部と変わらないよう環境整備をしなければ、と考えがちです。
財源の地方委譲と言うことを肯定的に考えるならば、例えば「うちは税金安いですよ」と言った事も一つの大きな移住誘致のアドバンテージになり得るはずですが、そこまで大胆な税体系の改革を断行できる首長がいるかどうかも微妙ですし、どうしてもお金が使えない分切り捨てるものも出てくることを住民が納得出来るかどうかです。
先日は堀江貴文氏がこの地方創生と言う考え方に対して「地方優位の選挙制度の弊害」「地方へのバラマキは自殺行為」と散々な言いようだったのですが、「「田舎は不便で当たり前」という、当たり前の感覚を持たなければならない」と言うのはまさにその通りで、全国どこでも都会と同じ方向性のミニ東京化を目指す限りは当然ながら規模の優位性で更なる人口集中が続く理屈でしょう。
もちろん地方都市であっても都会とさしたる差のない暮らしが出来ますよと言う言い方の方が地方移住の間口が拡がるのは当然で、地方でも都市部では当面そういう方向で移住者を募るのは決して間違いではないでしょうけれども、田舎暮らしも考えていると言う人達を本当の田舎に呼び込みたいなら、インフラの未整備や地縁血縁等のしがらみも含めたネガティブな面もきちんと伝えておかないとフェアではないでしょうね。

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2014年10月28日 (火)

次のターゲットは教育コストの削減?

最近学校教育の現場では一方に学童学生によるいじめや非行の問題があり、他方では教師による体罰問題がありと様々なトラブルが報じられていますけれども、これら両者は相互に別々のものと言うわけではなく密接な関係性を有しているのではないか?と言う指摘もあって、教師の権威失墜に伴う指導力・矯正力の低下と言った文脈で語られることもありますよね。
昔は教室でふざけてでもいれば先生からげんこつの一発ももらうのは当たり前だったと言う声もあれば、そんな人権侵害の暴力的指導など今どき許容されるものではないと言う声もあってどちらももっともだと言う側面はあるのですが、やはりこの辺りの微妙な境界線は問題になりやすいと言うことでもあるのか、最近興味深いトラブルの事例が立て続けに報じられていました。

中学教諭、中1男子生徒の顔などたたき戒告 宮崎、生徒は軽傷(2014年10月24日産経新聞)

 宮崎県教育委員会は24日、宮崎市の中学校で男子生徒に体罰を加えて軽傷を負わせたとして、男性教諭(42)を戒告処分にした。

 県教委によると、教諭は7月2日午後、いたずらで他の生徒のスリッパを持ち去ろうとした1年の生徒を指導した際、頭や顔をたたいたほか、腹を指で突いた。生徒は顔や腹に全治1週間の打撲傷を負った。

 生徒が親に相談し、発覚。教諭は生徒と親に謝罪した。教諭は県教委に「指導に素直に応じる姿勢がみられず、気持ちが高ぶった」と話した。

 教諭は別の中学校に勤務していた平成19年度にも体罰で厳重注意を受けた。

教諭への抗議は「名誉毀損」 横浜地裁、保護者に賠償命令(2014年10月23日産経新聞)

 神奈川県大和市の市立小教諭だった女性(定年退職)が、担任した児童の両親からの抗議で名誉を傷つけられたなどとして損害賠償を求めた訴訟の判決が23日までに横浜地裁で言い渡され、遠藤真澄裁判長は名誉毀損を認め、両親に計約100万円の支払いを命じた。判決は17日付。

 原告側代理人の弁護士は「保護者の抗議を名誉毀損と認めるのは極めて珍しい」としている。

 判決によると、元教諭は、平成20年度に担任したクラスの児童1人が他の児童を引っ張ったり授業中に騒いだりするため、腰や背中をたたいて注意した。

 両親は20年11月から市教育委員会を複数回訪れ、懲戒免職を求めて抗議。同12月には母親が教室で元教諭の頭を殴打し、父親は市教委で元教諭を批判する暴言を吐いた。元教諭は抑うつ状態になり、約2カ月半の療養休暇を取った。

こうして並べてみますと非常に面白いと言いますか、同じようなことをしていても当事者の力関係等々によって結果も全く異なってくるのか?と言う風にも受け取れる話なんですが、ただ昨今世間の一部ではこうした場合にルールに基づいて停学等粛々と対応する、場合によっては警察を呼ぶと言う方法論が「正解」とされている風潮があって、手を出すリスクを負ってでもその場の裁量で収めてくれる先生も減っていきそうですよね。
正直どちらも一昔前までならとてもこんな騒ぎになりそうにない小さな事件が発端であったように思うのですが、どこの業界でも難しい顧客の対応が増えてきて心身が疲弊してくると「もう給料分の仕事だけしていればいいや」と言う考えになりがちなもので、「学校は学問を教える場所。しつけ機能まで期待されても困る」と割り切った先生が増えてくるのは教育のあり方としていいのか悪いのかです。
テレビに出ている偉いヒョウロンカの先生方も色々と原理原則論を説いてくれるのですが、それで収まりがつかない相手がいるからこそどうするかと言う話になっているのだと考えると、問題児の権利を守るばかりでその他大勢の子供達の教育機会が奪われることは無視していいのかと言う声にも一理あるだろうし、かつて橋下大阪市長が提言したような問題児童の隔離政策と言うのも一つのアイデアではあるのでしょうね。
ともかくも教育と言うものがなかなか面倒くさいことになってきた結果、以前よりもそれに対して手間ひまがかかるのだろうなと想像出来るのですが、聞くところによるとこれまた他業界と同様近ごろでは先生方も各種雑用に追われ多忙を極めるのだそうで、肝心の教育そのものに対して十分な時間や労力、あるいは熱意を費やすことが出来なくなってきていると言います。
そうであるなら教員をもっと増やして負担を軽減すればいいのでは?と言う考えは自然に出てくるだろうし、世論調査を見ても国民の多くは教員増を望んでいると言う結果が出ているようなのですけれども、財務省筋からはこのところの大々的なコスト削減の流れを受けてかこんな話も出ていると言います。

財務省 35人学級を40人に戻すべき(2014年10月23日NHK)

公立の小学校で導入されている35人学級について財務省は、いじめや不登校などで目立った改善が認められないとして、40人学級へ戻すよう見直しを求める方針です。
これに対し文部科学省は、教育の質の向上などにきめ細かい指導体制が欠かせないとしていて、年末の予算案の編成で難航も予想されます。

公立小学校の35人学級は、入学直後にきめ細かな指導をするため、平成23年度から1年生の児童を対象に導入されています。
その効果について財務省が検証した結果、1年生とほかの学年を比べたいじめや不登校の発生割合は、導入前の5年間の平均で、いじめが10.6%、不登校が4.7%だったのに対し、導入後の2年間は、いじめが11.2%、不登校が4.5%となり、目立った改善がみられないとしています。
そのうえで、従来の40人学級に戻した場合、必要な教職員の数はおよそ4000人減り、国の負担はおよそ86億円減らせると試算しています。
財務省は、厳しい財政事情のなかでは40人学級に戻すべきだとして、今月27日に開かれる財政制度等審議会にこうした見直しの案を示すことにしています。
これに対し文部科学省は、教育の質の向上などに35人学級のようなきめ細かい指導体制が欠かせないとしていて、年末に向けた来年度予算案の編成過程で難航することも予想されます。

「先生1.8万人減らせる」 財務省が「機械的に」試算(2014年10月23日朝日新聞)

 財務省は、全国約3万の公立小中学校をすべて標準的な規模に統廃合すると、5462校少ない2万5158校になるとの試算をまとめた。必要な教員数は小学校だけで今より約1万8千人少なくなるという。試算をもとに、来年度予算案で教員の定員削減と人件費抑制を文部科学省に求めていく考えだ。

 27日の財政制度等審議会(財務相の諮問機関)で示す。財務省は「機械的試算」として、試算通りの統廃合を求めるものではないとの姿勢だが、少子化のペースに比べて学校統廃合や教員数の削減が進んでいない状況を示すことで、文科省に対して教員の人件費に充てる予算をカットするよう求める狙いがある。

 学校教育法に基づき、小中学校の標準学級数は1学校あたり12~18と定めているが、地域の実情により標準を下回る学校も認めている。少子化により、今は全体の約半数の学校が11学級以下と標準を下回っている。全国の学校が12学級以上になるよう機械的に統廃合する試算では、小学校数は約16%、中学校数は約22%減る。約41万人いる小学校教員数は4%ほど減らせるという。

 教員定数は今年度、少子化に合わせて約3800人減らした。財務省は来年度も削減を求める方針だ。文部科学省は反発しており、年末の予算編成で焦点になりそうだ。(疋田多揚)

まあ学校の統廃合については諸説あるだろうとしても、教師の数を減らしていくと言う話に関しては世間からそれなりの反対意見も出てきそうには思えますよね。
一応公平を期すために欠いておきますと、これは必ずしも教職員のリストラを推進すると言う話ではなくて、現状で非常に数の多い50歳代の教師が今後大量に定年退職していく、その結果放っておいても自然に教員の総数は自然減になっていきますよと言う事実を下敷きにした話ではあるようで、それに対して今後お金をかけて新たに教員大量採用を進めるべきかどうかの議論の叩き台にもなる試算とも言えそうです。
ただ気になったのは教員を減らす(と言うよりも、自然減を補わない)ことの妥当性を裏付けるデータとして35人学級にしてもいじめ等のトラブルが減っていないじゃないかと言っていることなのですが、先日発表された全国いじめ件数調査でも各都道府県で件数に大きな差が出て把握方法の不統一が問題になったように、これはいじめをいじめだときちんと報告するようになった結果把握率が高まったことも一因であるかも知れません。
現場の先生方と話をすると医療と教育は非常に似た部分があるようなのですが、医療の業界においても近年医療事故件数増加が報じられていますけれども必ずしもネガティブに捉えるべきことではなく、各現場がきちんと事故発生を把握し包み隠さず報告するようになったからだと考えるとむしろ良い傾向とも言えるし、現場が正直に申告した結果を理由に不利益変更を行うのでは誰も本当の事は言わなくなってしまいますよね。
いずれにしてももともと主観的評価に頼らざるを得ないこの種の質の議論と言うものは定量的評価が難しい部分が大いにあるものですが、素朴な国民感情としてもお金をケチるために教員を減らしますと言うのはやはり少しばかり外聞が悪い話には見えるところですし、方向性の是非はともかくこの種の問題に関してはなかなか理詰めで大きな変革を行っていくと言うのはまあ難しいのだろうとは思います。

教員増とはすなわち国民負担の増加でもあって、相応のコストをかけてでも医療の維持を望む世論の後押しも受けて医師増員に舵を切った医療政策と対比されるべきことですけれども、医療の現場においても医師数大増員が正しいのかどうか、むしろ多忙過ぎる医師の負担軽減策の方を推進すべきなのではないか等々の異論数多であることを考えると、教員増員も必ずしも万人が泣いて喜ぶとばかりも言い切れない話なのでしょう。
そもそも1クラス40人だろうが35人だろうが現実的にどれほどの差があるのか、それよりも副担任をつけて二人担任制でやった方がよほど効果はあるのではないかと言う気もするのですが、現実的に全国全ての学校現場で二人担任にするとなると膨大な教員数とコストがかかることを考えると、国民全てに最低限保証すべき公教育とはどこまでする必要があるのかの議論にもなりそうです。
この辺りは医療の世界においても皆保険制度で誰でも安く担保すべき医療にはある程度限度と言うものがあってしかるべきで、それ以上の高価なオプション的医療に関しては混合診療等の形で個人負担で行うべきだと言う考えがあることとも対比出来そうなんですが、そう考えますと今後は教育の場においてもコストの限られた公立とお金のある私立とで教育環境の格差が拡大していくような可能性もあるのでしょうか。
ただ高校までは実質全員が進学する時代で私学にも学費補助が行われているせいか今や多くの私立も公立もさしたる差がなくなっている感もあって、お金を出してでもいい教育をと言う考えで「良い学校」に通っているのはごく限られた数に過ぎないとも言えるし、特に地方ではそういう様々な需要に応える選択枝の多様性が限られていることもまた一つの問題ではあるのかなと言う気もします。

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2014年10月27日 (月)

社会保障コストの削減策、相次いで検討中

世間では消費税再増税の是非が盛んに議論されているところですが、もともと財務省としては増税とセットで大胆な歳出削減を行い国民の理解を得ようと考えていたところ、増税だけが先に話が進んでやや予定が狂ったとも側聞するところですよね。
歳出削減と言えばかつて空気を読まない大胆な切り込みが期待された民主党政権が結局大きな成果を挙げ得ずに終わったのも、歳出の大きな部分を占める固定的コストである社会保障費の削減に誰しも及び腰だったからだとも言えますが、このところ消費税再増税議論と歩調を合わせるようにこの社会保障費削減に関連した話題が一気に噴出してきています。

後期高齢者医療の保険料 軽減特例廃止で一致 厚労省部会(2014年10月16日東京新聞)

 厚生労働省は十五日、社会保障審議会の部会を開き、七十五歳以上の人が加入する後期高齢者医療制度で、低所得者らの保険料を軽減する特例の廃止案を示し、大筋で了承された。厚労省は二〇一六年度から段階的に廃止する方向で検討しているが、周知期間が短いなどの慎重論があるため、今回は時期を明示せず、今後の検討課題とした。廃止すれば低所得者らの負担増につながり、反発は避けられない

 部会では、委員から「急激な負担増とならないよう、慎重に対応する必要がある」などの意見が出た。しかし、特例の廃止そのものは「高齢者にも応分の負担を求めざるを得ない」との認識で一致した。

 同制度の保険料は、加入者全員が負担する部分と、年収で額が変わる部分からなる。低所得者は本来、負担部分が最大七割軽減される。だが、〇八年度に制度が始まって以来、負担をさらに和らげようと、夫婦世帯で夫の年金収入が年間百六十八万円以下の人などを対象に、九割を上限に軽減する特例が続いてきた

 九割軽減されている人は約三百十一万人、八割五分の軽減は約二百五十八万人。これら特例を廃止することで、政府は年間計約四百二十億円の歳出を抑制できると見込む。七十四歳まで夫に扶養されてきた妻ら約二百九十六万人が対象の特例も廃止する方針。すべて合わせると対象者は八百六十五万人で、抑制額は年間約八百十一億円となる。

介護報酬下げ議論=諮問会議で本格化 政府(2014年10月21日ウォールストリートジャーナル)

 政府は21日夕の経済財政諮問会議(議長・安倍晋三首相)で、2015年度予算編成時に改定する介護報酬の引き下げ議論を本格化させる。伊藤元重東大大学院教授ら民間議員が「(報酬)価格の妥当性を検証すべきだ」などと提案、財務省も職員の処遇改善分を除き6%の報酬減額を求める資料を提出する。

 介護報酬は、介護事業者が、サービス提供の対価として受け取るもので、国が一律に決める公定価格。施設費用など大半を占める「基本部分」と、職員の処遇改善に充てる「加算部分」がある。下げれば、税や保険料、利用者の自己負担は軽くなるが、事業者にとっては収入が減り、経営圧迫要因となる。

 財務省はこの日の会合で、内部留保が積み上がっている介護事業者の経営状況を紹介。その上で基本部分の平均6%をカットしても内部留保が減るだけで人件費削減にはつながらず、「支出にも基本的に影響を与えるものではない」とし、事業者の経営には影響しないと訴える。 

生活保護者に後発薬…「医療扶助費」圧縮へ(2014年10月24日読売新聞)

 財務省は、生活保護受給者の医療に充てる「医療扶助費」を2015年度予算編成で見直し、処方する薬を価格の安い後発医薬品(ジェネリック)に切り替えることで約500億円の圧縮を図る方針を固めた。

 27日の財政制度等審議会(財務相の諮問機関)で見直し案を示し、厚生労働省との折衝に入る。

 生活が困窮している人に支給する生活保護費は12年度で約3・6兆円に上り、受給者は最多の約216万人(昨年10月末時点)に達している。受給者の医療にかかる費用は公費である医療扶助費で全額負担される。12年度は1・7兆円で、生活保護費の約半分を占めた。

 後発医薬品は、特許切れの医薬品と成分や安全性が同等で、値段が安いのが特徴だ。現在、医療扶助の対象では48%しか使われていないが、財務省は全て後発医薬品に切り替えることで、医薬品にかかる費用を920億円から420億円程度に圧縮できると試算している。

特養ホームの相部屋、利用者全額1.5万円負担に 厚労省検討(2014年10月25日日本経済新聞)

 厚生労働省は特別養護老人ホーム(特養)で複数人が入る相部屋の費用を利用者の全額負担とする検討に入った。現行は1割負担の介護保険で賄うが、保険から外し給付を抑える。来年4月の実施を目指す。金額は月1万5千円とする案が軸だ。

 特養ホームに入る52万人の6割が相部屋だが、その大半を占める低所得者には費用相当を補助し影響を抑える

保険料、市町村ごとの努力で差 国保の都道府県移管で厚労省(2014年10月25日47ニュース)

 厚生労働省は24日、市町村が運営する国民健康保険(国保)を都道府県単位に移管した後も一律の保険料とせず、市町村ごとの保険料納付率や医療費抑制の取り組みを保険料に反映させる検討に入った。納付率の向上や医療費抑制に努めれば、保険料率を下げられる仕組みとし、市町村に積極的な役割を促す狙いがある。

 29日の社会保障審議会の部会に案を提示する。国は、高齢化が進み、慢性的な赤字構造を抱える国保の財政基盤を立て直すため、国保を都道府県単位に移す方針で、来年の通常国会に関連法案の提出を目指している。

特に最後の保険料のニュースなどはやや間接的で判りにくい話ではないかと思いますが、記事にもあるように財政的にも厳しい状況にある国保は今後市町村から都道府県単位へと規模拡大して基盤を強化することとも関連して、今年の夏に政府筋から今後は各都道府県に年間の医療・介護支出の目標額を設定させると言う話が出ていることは注目されますよね。
もちろん「当面は」あくまでも目標額であって達成を義務化したりペナルティーを与えたりはしないと言うことなんですが、そのコストを全国一律に負担するのではなく保険者である都道府県ごとに支出額に応じて設定させると言うことになれば、当然ながら各都道府県の住民とすれば「隣の県と比べてなぜ我が県はこんなに保険料が高いんだ。無駄遣いしているんじゃないか」と言いたくもなるでしょう。
一方で住民が国保の受益者でもあると言うことを考えるとこうした声が住民自身から上がることは為政者としてはウェルカムな側面もあると言えそうなんですが、国保加入者と言えば高齢者などいわゆる社会的弱者が多いと言うことから負担できる金額にも自ずから上限があるはずで、自治体としてはどうやって保険料を抑えるか、すなわちどうやって受益者にサービス抑制を受容させるかがキモと言うことにもなりそうです。
そのいわゆる社会的弱者に対する給付と負担のバランス改善が一連の話のキーワードであると言えますが、長年国民全般の低所得化が進み、とりわけ社会保障費増大に伴って年々負担強化を強いられてきた現役世代がワープア化とも言われる厳しい経済状況にある中で、相対的に高齢者や生保受給者と言った方々が弱者と言うよりもむしろ強者になってきているとは言われるところですよね。
現実的にこれ以上現役世代に偏重した負担増加を強いることは無理があるのであれば、少なくとも出せる方々には高齢者だろうが何だろうが出して頂くものは頂戴するのが筋であろうし、特にそれが特定年代だけをターゲットにした特例的な負担軽減策だと言うのであれば特権と言うものに対する忌避感が強まってきている国民感情を見ても、やはり受け入れることは困難になってきたとは言えそうです。
各種国民調査の結果を見ても現代日本では高齢者こそが最も大きな資産を抱えた富裕世代であり、なおかつ今のところ年金等もきっちり支払いが受けられているとなれば払えるものは払ってもらって何が悪いんだ?と言う声に反論するのはなかなか難しいところで、このあたりはむしろ選挙対策云々も含めて今まで高齢者問題を何かと先送りにしてきた政治の側が問題をこじらせた側面もあるかも知れません。

一連の話の中でもう一つ注目すべきなのが自己負担の強化と言うことがしばしば言われていることで、以前から経済界からは保健医療において一定金額までは保険から支払うのではなく全額自費で支払ってもらうと言う免責制度を取り入れるべきだと言う要望があったわけですが、紹介状なしで大病院を受診すれば一定額の自己負担金を取ると言った話と同様、公的負担軽減と同時に受診抑制を期待した話と言えます。
もともと社会的弱者に優しい大手マスコミにおいてすら高齢者による病院待合のサロン化を非難する論調があった、一方で一部医療系団体などは早期発見早期治療が重症化を防ぐ、患者の自己決定権を損なう云々と様々な理由で受診抑制策には反対してきた、そしてまた他方では多忙な基幹病院勤務医を中心に幾ら何でも受診抑制をしなければもう現場は保たないと言う危惧の声もあったわけです。
それぞれが各自の立場に立って考えればごく当たり前の考え方をした結果こうした相反する結論に至っているわけですが、国としては不足しがちな医師が激務を極める現場から逃げ出していくことはあまりウェルカムではないだろうと考えると、外来患者数の多寡で収入が決まる開業医優位の制度は無駄な受診を抑制する立場からも避けたいのだろうとは思います。
この点で注目されているのが年々増える一方の生保受診者の医療費問題でもあるのですが、医療費全て無料と言う現状が過剰受診を生んでいると言う観点から一定額の自己負担をさせるべきだと言う声はかねてある一方、ごく一部に生保受給患者の存在によって経営を維持している医療機関も存在していることはまたこれはこれで問題でしょうね。
いずれにしてもこれら全てがその通り実現すると言うものでもなく、各方面に話を遠し議論を進めている間に妥協や骨抜きを強いられる部分も多々あるのでしょうが、とりわけ近い将来選挙ともなった場合には有権者に対する配慮から先送りと称して再び有耶無耶になされるかも知れずですから、財務省あたりにすれば遅くとも今年度中には話を詰めておきたいところでしょう。
ただもちろん負担増は本当に窮迫した方々がどうにも行き場がないと言うことになった場合のセーフティネットの存在が大前提になるのは当然で、例えば食料品等の現物支給などとりあえず生きて喰っていけると言う部分をどう担保していくかも問われることになりそうですね。

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2014年10月26日 (日)

今日のぐり:「あかときいろ」

日本の鉄道は世界一時間に正確なんだそうですが、その鉄道が思わぬことで思わぬトラブルに見舞われたそうです。

南阿佐ヶ谷駅「駅員の朝寝坊騒動」にネット上は意外な反応「しょうがない」「のどか」(2014年10月16日Aol)

駅員の寝坊で始発列車に乗れなかった...そんな前代未聞の珍騒動が起きたのは、10月15日のこと。東京メトロ丸の内線の南阿佐ヶ谷駅で、始発に備えて準備を行っていた当直の早番職員2名が寝坊したことで、36人の乗客に影響を与えた。
調べによるとこの職員たちは、「二度寝」してしまったようで、本来、始業しはじめなくてはならない時間に起きておらず、そのため、駅の入り口のシャッターを開けることや、ホームの電灯をともす作業などが行えず、始発に乗ろうとした客が駅の構内に入れないばかりか、始発で他駅から降りた乗客たちが、駅から出られないなどの事態に見舞われてしまったという。
なお、このあまりに珍しい事態に、ネット上からは意外に寛容な声が。

「寝坊クソワロス」
「寝坊ならしょうがない」
「のどかな話だな」
「昨日の台風騒ぎで疲れちゃったのかな」
「まあそれくらい許してやれよ」
「にんげんだもの」
「2人とも寝坊って夜中に何をやってたんだ 」

始発列車からの報告で、指令所からの電話で起こされたこの職員らが、本来の業務を開始できたのは予定より30分遅れてのこと。東京メトロは、「お客様にご迷惑をかけ、深くお詫びします。再発防止を徹底するとともに、営業開始が遅れることがないよう、バックアップ態勢の見直しを図ります」と説明している。

鉄道会社の中の人の絶対に起きられる目覚ましと言う話は伝説だったか?と思うような話なんですが、記事にもあるように当時は台風災害で大騒ぎの時期でしたから、お二人とも疲れが溜まってでもいたのでしょうか?
本日は二人揃って大失態をしてしまった駅員さん達を激励する意味も込めて、世界中から思いがけない失敗と言うものを示すニュースを伝えてみましょう。

エアマットに乗り無人島目指したが…漂流、自ら119番(2014年10月19日朝日新聞)

 横須賀海上保安部は19日、神奈川県葉山町の沖合約3キロの海上をエアマットで漂流していた東京都杉並区、大学1年の男子(19)を救助し、大学生と保護者を厳重注意したと発表した。

 同海保によると、大学生は同日午前6時、葉山町の森戸神社付近の海岸から、1人でエアマットに乗って出発し、沖合の無人島「名島」を目指したが漂流。約1時間40分後、自ら119番通報して救助を求め、同海保、町消防、葉山署、葉山港管理事務所から12人と船1艇が出て救助した。大学生は冒険サークルに所属しており、名島を探検しようと考えていたという。オールも無く、棒で海底を突いて進もうとしていたが、見つかった場所は水深約70メートルだった。救命胴衣は着ておらず、マットから海中に落ちなかったため、大事に至らなかったとみられるという。

まさしくネタのような本当の話と言うべきニュースですが、まあ冒険をするならするで事前の調査はしっかりとすべきでしょうね。
舞台でのパフォーマンスと言えばまずはつかみが重要ですが、うっかりそれに失敗してしまうと大変なことになると言う警告がこちらです。

言い間違えると炎上?広島県のあるローカルルールがtwitter上で話題に(2014年10月15日Aol)

テレビのバラエティ番組などでもしばしば取り上げられるように、日本各地には、その地域では"マスト"でありつつも、全国的にはさほど知られていない「ローカルルール」というものが、実はかなりの数、存在している。このほど、ユーザーによって紹介された内容は、まさにそうしたものの典型と呼べる代物だ。

この画像、投稿者によれば、広島のライブハウスで見かけたという貼り紙。そこには、「広島風お好み焼きを広島焼きと呼んではいけない」という内容が。
他の地域に住む人々にとってはあまりピンとこないかもしれないが、貼り紙によると「広島人の小さなプライドですが絶対的なアイデンティティ」なのだというから、気をつけたいところだ。

なお、ここまで「広島焼き」という呼称を使わぬように呼びかけているものの、何と呼べばいいのか?という部分については、一切触れられていないため、正式な呼称は謎。広島出身のみなさんは、これを機会に 、周囲の人々に正しい知識をレクチャーしてみては如何だろうか。

元の張り紙の文言はかなりおどろおどろしい内容なのですが、事実大変な目に遭ったというご経験をお持ちの方は是非その状況をご教示いただければと思います。
世の中取り返しのつかない失敗と言うものはあるものですが、こちらその中でも取り返しのつかない度ではかなり上位に入りそうな失敗談です。

ギリシャ 棺桶の中から「助けて!」と叫ぶも、窒息死(2014年9月29日新華ニュース)

英紙「デイリー・レコード」の27日付報道によると、ギリシャでガン患者の45歳の女性が医者に死亡宣告され、埋葬されてから間もなく、棺桶の中から「助けて」と叫び声をあげた。だが、救助は間に合わず窒息死してしまった。

ガン患者の女性は、医者による検査を経て25日に死亡を宣告された。埋葬を終えて家族が離れた直後に、墓地の周りの住民や子供が、墓地から女の叫び声と棺桶をたたく音を聞き、直ちに警察に通報し、棺桶が開けられたが、女性はすでに窒息死してしまった。

医者のChrissi Matsikoudi氏は「信じられない。我々は心電図など複数の検査を行い、彼女の死亡を確認した」と語った。

警察は本件について捜査を開始している。女性の家族は主治医を訴える可能性があるという。

一体何が起こったのかと思うような事件なのですが、こういう話を聞くと昔ながらの通夜と言う風習は合理的なんだろうなと思いますね。
今や全世界的に人気だと言うあのテレビ番組ですが、某国ではこんなハプニングがあったそうです。

前代未聞の失格! 中国版『SASUKE』で起きた想定外のハプニング(2014年8月31日ロケットニュース24)

驚異の運動神経を持った男たちが集う晴れ舞台といえば、TBS系列で不定期に放送される特別番組「SASUKE」。その人気は海外でも高く、世界各国で海外版が制作されているほどである。

そしてお隣中国でも制作されているのだが、放送中に前代未聞のハプニングが起きたと話題になっている。誰も予想だにしない想定外の失格とは一体……その詳細は次の通りだ!

GIFアニメを見てみると、まずは水色のシャツを着た男性が登場。運動神経がよさそうな雰囲気があるが、実際にヒョイヒョイとエリアを突破していく。さすがは雑技団のある中国! 身のこなしも軽い!!

……と思うのだが、ここからが本番だ。時間に余裕があったのか、男性はなんとバク宙を始めるのである! すると……次の瞬間! 男性はバランスを崩してしまい、勢い余ってまさかの落下!! 誰も予期しない失格となってしまうのであった。

時間だけではなく、勢いまで余ってしまったこの男性。油断大敵とはよくいったものだが、まさにそれを体現する結果となった。これでは悔やんでも悔やみきれないはず、彼はこの晩枕を濡らして寝たに違いない。

まあ、何と言うのでしょう…過ぎたるは及ばざるが如しと言う言葉の意味を噛みしめさせるような、これはあまりにあまりな失敗だったですかね…
同じく中国から、こちらはありがちなアイデアではあるのですが、実際にそれをやってしまうとこうなると言う失敗談です。

勃起不全に悩んだ52歳、長さ13センチの金属棒を挿入して性器を「補強」、膀胱に突き刺さる事故…中国(2014年10月11日アメナマ)

勃起不全に悩んでいた中国人男性カン・ニウさん(52歳)は、性器の硬さを保つ秘策を思いつきました。

金属棒で性器を「補強」するという方法です。

カン・ニウさんは細いチューブを使い、長さ13センチのスチール製の棒を、自身の性器に挿入しました。

衡陽市第二病院の広報担当者「彼はこうすることで性交を長く持続できるようになると信じたのです」

しかし、この状態で初めて性交しようとしたとき、金属棒は体の奥に入り込み、膀胱に突き刺さってしまったのです。カン・ニウさんは金属棒が外に出てくることを期待して、数か月間がまんしていましたが、痛みがひどくなったため、ついに病院を受診。診察した医師はX線検査によって痛みの原因を見出しました。

金属棒は比較的簡単な手術で取り出すことができたとのこと。ただし、病院では、内臓が受けた長期的ダメージについては明言していません。

その馬鹿げた状況は元記事の画像を参照頂ければと思うのですけれども、しかしよくも重大な事態に陥らないで済んだものですよね。
最後に取り上げますのはご存知ブリからの話題ですけれども、まずはこちらの馬鹿馬鹿しい記事から紹介してみましょう。

落第の“罰ゲーム”は尻に「2次方程式の公式」のタトゥー(2014年10月20日産経ニュース)

 英南西部ブリストルの大学で心理学などを学ぶ男子学生(19)が数学の試験で落第し、友人との約束通り、尻に「2次方程式の解の公式」のタトゥーを彫った。英メディアが伝えた。

 過去に2度、落第点を取ってしまった学生は3度目となった場合の“罰ゲーム”を公言していた。彫るときは「本当に痛かった」と学生。両親にはまだばれていないという。(共同)

その馬鹿馬鹿しい状況は元記事を配信した英紙の写真を参照頂きたいと思いますが、これは失敗は失敗で償うと言うのがブリ流と言うことなのでしょうか?
漢字などはクールだと思われるのか、外人さんなどがちょっとアレな内容の彫り物をしていらっしゃるのは時々見かけますが、ともかくも一事の感情に走る前によく考えてからがよろしそうですね。

今日のぐり:「あかときいろ」

岡山市街地の一画に位置するこちらのお店、割合におしゃれっぽい雰囲気に妙に似つかわしくない「か」の文字をあしらった看板が謎なんですが、これはどういう意味なんでしょうね?
ともかくも見ていますとバイキングの文字が見えるのにメニューと価格も掲示されているのがどうなっているのかと気になっていたのですが、どうもメインの料理を頼むとプチバイキングがついてくると言うスタイルであるようです。
そのプチバイキングなるものが野菜系のちょっとしたサイドメニューとスープ、ドリンク、そして食後の甘いものですから、まあ要するにファミレス等のドリンクバー、サラダバーに近いスタイルと言えそうですよね。

とりあえず今回はメインに無難そうな和牛ビビンバを頼んでみましたが、ざっと見る限りカレーやステーキなど比較的ありふれた料理が多くて見ている分にはやや新味に乏しいのと、せっかくプチバイキングがつくのにどれも妙にお腹がふくれそうなものばかりなのが難点でしょうか?
さてこの和牛ビビンバ、見た目は確かに石焼きビビンバ風なのですが実際には肉や野菜に卵をご飯に混ぜ込んで焼き、醤油で味付けすると言うのはまさしく焼き飯そのもので、しかもこの器の熱容量が小さいのかすぐに冷めて焼き飯らしい香ばしさも出しにくいのは残念ですよね。
お好みで追加をと言うこの専用の醤油を継ぎ足しても単に味が濃くなるだけなので使うのであればコチュジャンの方がそれらしい気がするのですが、いずれにしても石焼きビビンバとしては正直特別に…と言う感じでしょうか。
もう一つ同行者とシェアしながらチヂミもつまんでみましたが、カリカリのクリスピーな薄焼き粉ものをポン酢で食べるのはまあいいとして、このチジミの味自体はまさにえびせんそのものなのが面白いですね。
プチバイキングとしてはサラダや酢の物など野菜中心の天然素材重視メニューばかりと言う様子ですが、味の方向性として妙にピリ辛系が多いのがトータル的に体に優しいのかどうなのかです。
ドリンクの品揃えも割合に独特で果物系のビネガーは珍しいですし、カボチャの豆乳入りスープはポタージュ系としては軽めなのは良いとしてとにかく甘さが目立つ、一方でデザート系はどれも甘さ控えめのあっさり味と、とりあえず一通りつまんで見ているだけで十分腹はふくれてきますよね。

食べ物屋としてみれば味的にもコスパ的にももう一つ弱いのが微妙なところなんですが、こちらの場合バイキングと言ってもあくまで前菜とデザート食べ放題と言うだけで、いわゆるバイキング的なガツガツした雰囲気は全くありませんし、内外装も接遇もおしゃれ系で女性受けはしそうには思います。
ただトイレなどは設備そのものは整っているのに個室以外の洗面部分が男女共用なのはこういう雰囲気の店であるだけに、シチュエーションによっては気まずいこともあるかも知れませんね。

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2014年10月25日 (土)

世界に拡がる?パワハラの輪

ネットでちょいと検索するだけでもパワハラと言うことに関連した記事が幾らでも出てくる時代で、読んでいますと幾ら何でもこれはネタだろう?的なひどいものからこれもパワハラにされちゃうの?と思うようなものまで千差万別なのですが、ともかくも訴訟だ仕返しだなどと言う言葉も散見されることを見ても職場における人間関係もそれなりに難しい時代になってきたとは言えるかと思います。
景気の良い時代であれば上司が気に入らないから仕事を辞めるなどと言うことはごく当たり前だったのでしょうが、正社員になるのも一苦労では済まない時代になってくると辞めると言う選択枝の敷居も高くなるのは当然ではあるだろうし、まして理不尽かつ一方的な攻撃に晒されていると思えば何とか倍返しの一つも計りたくなってくるのも理解は出来る気がします。
何事であれそれがコンテンツとして注目を集めれば商売になるのは当然で、近ごろではパワハラ問題に詳しいことを売りにしている弁護士さんも結構いるんだそうですが、先日はとうとうこういうものが登場したと言うニュースが出ていました。

「パワハラ」回避サービス 損保が開始(2014年10月22日産経ニュース)

 損害保険ジャパン日本興亜が中小企業福祉事業団と組んで、法人向けに労務リスクを軽減するためのサービスの提供を月内に始めることが21日、分かった。過重労働やパワハラが社会問題化し、企業の労務管理に対する目が厳しくなる中、業界初の労務リスク診断を核としたサービスを入り口に、主に中小企業に向けて労災を補償する損害保険の契約を伸ばしたい考えだ。

 新サービスは、中小企業福祉事業団に登録する約3100人の社会保険労務士が講師となり、企業に課せられた従業員への安全配慮義務について解説する無料セミナーのほか、4日以内に回答するリスク診断など。必要に応じて、社労士が直接相談に応じるサービスも初回のみ無料で提供する。初年度に約5万社の利用を見込んでいる

 厚生労働省によると、平成25年には約11万8千件の死傷を伴う労働災害が発生。遺族らが会社を相手取って損害賠償訴訟を起こす事例も相次いでいる

 人事異動直後の過重な業務が原因で従業員が小脳出血と水頭症を発症したとして、企業側に1億9869万円の損害賠償を命じた20年4月の大阪地裁判決など、高額の賠償・和解事例も少なくない

 11月には過労死等防止対策推進法が施行されるなど、政府も働きすぎを防ぐための取り組みを重視している。損保ジャパン日本興亜は労務管理のノウハウに乏しい中小企業が労災を補償する保険の重要性に気づくきっかけとして、新サービスの投入を決めた。

パワハラだ、セクハラだと言う問題は当然ながら世間はされる方の味方をしがちですが、企業側にとっては労使にまつわる一定のリスクでもあるわけですからそのマネージメントが必要となるのは当然だろうし、将来的には車を運転するのに保険は必須と言うくらいに人を雇用するには何らかの保険なりは必須と言うくらいになっていくのかも知れません。
まあ何をもってパワハラと言うべきなのかも微妙なところで、いわゆる過労死につながるようなハードワークを強いるのはまた別問題なんじゃないかとか、何でもパワハラ認定されるのでは厳しく指導することも出来ず人材が育たないと言った声も根強くありますが、一般論として時代と共に労働環境に対する意識やルールも変化するものである以上、いつまでも「あゝ野麦峠」や「蟹工船」の感覚が通用するものでもないでしょう。
その意味で当然ながら労基法等の関連法規は(もちろん時と場合によっては完全遵守は出来ないこともあるにせよ)一つの基準、目安にはなるのだろうし、最初からそれを無視するのが当然だと言う職場はブラックと言われても仕方がないと思いますが、中にはこれはハラスメントと言っていいのか何なのかと言う微妙な問題行為もあるらしいと話題になっています。

「上司に指導料月2万円」「社長へ感謝、1万円」 ネット騒然、「これは本当の話なのか」(2014年10月22日J-CASTニュース)

   インターネットで、「東京成長学校 明日の自分を作る学校」の公式ブログが話題になっている。
   そこには「上司からの指導料2万円を給料日に振り込むのがツライ」と、東京に住む新入社員Aさん(女性)が相談を寄せているのだが、「これって、ホントなの?」「釣りだろ」と騒然となっている。

「上司の指導料を払う会社、最近増えているんですよね」

   Aさんが勤める会社では、「給料日に上司からの『指導料』などを指定された口座に振り込むことになっています」という。
   「建前上は社員が自主的にやっている」ということらしく、給料日に自宅に帰ってからインターネットバンキングを利用して、「上司の口座に1か月の指導料2万円」を振り込むそうだ。
   さらには、社長への感謝の気持ちとして1万円、パソコンやネットワークの利用料5000円、机や椅子といった什器使用料3000円も支払わなければならない。しめて、月3万8000円もの支払いだ。
   Aさんの初任給がいくらなのかは不明だが、厚生労働省の賃金構造基本統計調査によると、大卒初任給の平均は19万8000円(2013年)。3万8000円も社長や上司に支払ったら、「ツライ」のも無理はない。一人暮らしのAさんは1か月の生活費にも事欠き、実家から仕送りをもらっているという。

   当然のように、Aさんは釈然としない。そこで東京成長学校に、「他の会社ではこういうのは一般的なのでしょうか。教えて下さい」と相談した。
   ところが、もっと驚いたのはその答え。
    「Aさんが勤めている会社のように、上司からの指導料を払う会社、最近増えているんですよね」
   これには、おそらく多くの人が「ええっ、ホントなの?」と思ったに違いない
   そして、その理由についても書かれており、
    「社員ひとりひとりに会計ファイナンスの感覚を身に付けさせるのが目的です。社員を成長させようとしている会社ならではですよね」
と、答えている。
   勢い、Aさんに対して、「少し経済的に辛いかもしれませんが、今を乗り越えれば、きっと大きく成長できるでしょう」と、会社側には何の問題もないかのように、「耐えろ」「頑張れ」と、Aさんを応援しているのだ。

強制的であれば、「違法の疑い強い」

   インターネットでは、
    「これってパワハラの一種でしょうか? こんなもので成長など出来るようにはとても思えませんが」
    「完全にブラック(企業)だわ...」
    「3万8000円? すぐに労基署に行きなさい」
    「金を取るなら、それなりの成果が出せない上司や経営者は部下から解雇されるべきですな」
    「上司や社長がその振込分を申告してなければ立派な脱税ですよね」
といった具合だ。
   また、「東京成長学校」にも、
    「これ 釣りアカウントじゃないの?」
とのコメントが寄せられている。

   とはいえ、実際に「上司に指導料を払う」会社など、存在するのだろうか――。
   職場の違法状態をはじめ、若者の労働問題の解決を目指す特定非営利活動(NPO)法人「POSSE」の今野晴貴代表理事は、「このような上司への『指導料』の事例は思い当たらない」と話す。
   ただ、入社と同時に研修会社の研修を受けることを義務付け、その分の研修費を払わせる事例は多々あるそうで、「研修会社では山籠もりなどの『精神研修』を受けさせられる」そうだ。
   経営コンサルタントの大関暁夫氏は、「自由参加、自主参加とする研修は褒められたやり方ではないですね」と話す。「自由」と言いながら参加しないと評価が下がるなど、実際には強制参加の研修であるケースが少なくないからだ。加えて、外部研修の費用を社員が負担するケースは「あり得る」としている。
   また大関氏は、正社員への「指導料」や「什器利用料」の請求は「常識的にはあり得ない」という。「指導料」を受け取った上司も、就業規則などの本業から派生する情報・ノウハウをもとにした「副業の禁止」にあたる可能性があり、処分を免れないからだ。
   まして「強制」の事実があれば、労働基準法違反の疑いが強いとみられる。

ネット上ではすでに「東京成長学校」について幾らでも怪しげな話が発掘されていると言う炎上状態で、まあ基本的には釣りあるいはネタサイトなのだと言うのが一般的なコンセンサスになっているようですが、このくらいの感覚の古さを持っている人というのは実生活でも一定数いるのは確かですし、一応はこういう会社も事実存在していると考えておくべきなんでしょうか。
その上でこの行為が強制であれば違法と言うのですが、当然ながらこの種の慣行と言うものは少なくとも表向きは強制ではなく任意と言う扱いになっているのだろうし、しかも上司の覚えや出世にも響く「かも知れない」と勝手に考え込ませることで下手な強制よりも強力な強制力が働きかねないシステムでもありますから、誰が考えたのかは判りませんがうまいこと考えているなと言う気がします。
もちろん数多くの人々が突っ込んでいるように一般企業であればこんな制度があるわけがないと信じたいところですが、現実的な応用例としては例えばスタッフ募集の要件として最低月収○○と言った記載はよく見かけるし、それを支払わないと即座にブラック認定されてしまっても不思議はないですが、こういうやり方で支払った分を取り戻す分にはまあ嘘ではないと言う言い方は出来るかも知れませんね。
実のところ大学医局などではほぼこれに近いことを昔から制度として当たり前にやっていると言う事実もあって、やはり医師の世界の常識は世間の非常識なのかと感じてしまわないでもないのですが、しかし考えてみますと企業同士の商取引においてこの種のキャッシュバックを当たり前のように要求してくる商習慣は極めて広く根付いていると言いますから、やっている側としては勝手知ったる日常的な方法論のアレンジだとも言えます。
セクハラだ、パワハラだと言った問題もほとんどのケースでは当の加害者にはその意識はなかったと言う話がほとんどで、もちろん実際には口先だけの弁解でやる気満々に嫌がらせをしているケースも多々あるんだろうと思うのですが、幾ら機嫌が悪くても道行く人にいきなり殴りかかる人間はそうそういないことを思うと、こうしたハラスメント行為を有りだと思わせる土壌自体は案外ごく一般的にあるものなのかも知れませんね。

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2014年10月24日 (金)

医療に関わる奇妙な騒動

今日は医療に絡んで少しばかり馬鹿馬鹿しいような気もするニュースを取り上げてみたいと思いますが、まずはこちらの記事から紹介してみましょう。

麻酔から覚めたらピンクの婦人下着、米男性が病院を提訴(2014年10月17日AFP)

【10月17日 AFP】大腸内視鏡検査を受けて麻酔から目覚めたらピンク色の女性用下着をはかされていたとして、米国人男性が病院を相手取り、精神的苦痛や収入喪失などに対する損害賠償を求めて訴訟を起こした。

 地元メディアによると、デラウエア(Delaware)州の裁判所に訴えを起こしたのはアンドリュー・ウォールズ(Andrew Walls)さん(32)。同州ドーバー(Dover)にあるデラウェア外科センター(Delaware Surgery Center)で2年前に受けた検査をめぐり、陪審裁判を求めている。

 訴状によると、原告は2012年10月12日に大腸内視鏡検査を受けた際、麻酔をかけられた。「目が覚めると、意識がない間に女性用のピンク色の下着をはかされていたことに気付いた」という。訴状は、病院の処置を「あらゆる良識の範囲を超えたもの」だと非難するとともに、原告には自発的または意図的にピンク色の婦人下着を自ら着用する時間はなかったと主張している。

極度に常軌を逸した処置により、被告は未必の故意ないし故意に原告に精神的苦痛を負わせた」と訴状は述べ、この精神的苦痛の結果、原告は職を失ったとして、極度の苦痛状態、困惑、屈辱、精神的苦痛、収入喪失、所得獲得能力の喪失に対し、損害賠償を求めている。

 この訴訟は、ゲーリー・ニッチェ(Gary Nitsche)弁護士により先週、デラウェア州ニューキャッスル(New Castle)郡にある州裁判所に提起された。

いきなり職を失い云々などと話が飛ぶことからも一体何が起こったのか?と思うような話ではあるのですが、アメリカでは大腸内視鏡も全麻で行うと言いますからこういう奇妙な騒動も発生し得る一方で、少なくとも日本においては全麻下の患者のパンツをわざわざ履き替えさせることはないと言うことから考えるに、記事を読む限りでは色々と想像出来る話ではあるかと思います。
ただ別ソースによればもう少し複雑な事情があるようで、もともとこの男性は同病院の職員であった、そしてどうやら当時の同僚達がいたずら目的でこのような行為に及んだと考えていると言うことで、事実そうであるならば「常に真剣であるべき医療現場に従事する者として、彼らのモラルはあまりにも低い」と憤慨するのももっともであるし、病院側が一切のコメントを拒否していると言う点も意味深に感じられますよね。
いずれにしても誰が行ったにせよそれが医療現場の関係者が故意に行ったことだとすれば不謹慎な事件ではあるのだろうし、裁判を通じて事実関係を明確にしていくことにはそれなりの意味はあるとも思うのですが、医療と言えば何かと非日常的状況もあり得るだけに時にどうしても解釈困難な騒動もあり得るのは洋の東西を問わないようで、先日こんな不思議な記事が掲載されていました。

AED、女性に使ったら痴漢で事情聴取 正しい使い方は?消防庁に確認してみた(2014年10月16日ハフィントンポスト)

女性にAED(自動体外式除細動器)を使う際にハサミで服を切ったら、痴漢として警察に通報されたというツイートが話題になっている。

たまたま交通事故の現場に居合わせた際にAEDを使ったが、そのときにハサミを使って服を切ったら、側にいる人に警察に通報されたという。その後、警察が実情を把握すると痴漢としての聴取はなくなったということだが、実際にAEDを使うような状況になったら、どのように対処すべきなのだろうか。

AEDは電極のついたパッドを裸の胸の上に貼ることで自動的に心臓の状態を判断し、もし心臓が細かくふるえて血液を全身に送ることができないようであれば(心室細動)、電気ショックを与えて心臓を正常に戻す機能を持つ小型の医療器具だ。

消防庁にハフポスト日本版が問い合わせたところ、AEDを使う際には「パッドと肌を密着させる」ことが正しく、衣服の上からパッドを貼ってしまうと、衣服が燃えてしまう可能性もあるという。

消防庁が一般向けに用意している応急処置マニュアルでは、「電極パッドは、肌との間にすき間を作らないよう、しっかりと貼り付けます。アクセサリーなどの上から貼らないように注意します」と案内している。また、胸が濡れている場合には、タオル等で水分をふき取ったあとに、電極パッドを貼る必要もあるという。

しかし、衣服を脱がせているから密着しているということにはならない場合もある。石川県の津幡町では、パッド装着時に隙間がある悪い例を写真で紹介している。

横浜市では、パッドを貼るときには、公衆の面前であっても胸をはだけることも救命のためにはやむをえないとしながらも、「できるだけ人目にさらさないような配慮が望まれます」としている。AED販売企業の中には、オプションとして目隠しとなるような「仕切役」を販売するところもあるが、日本赤十字社では広げて隠せるように、AEDを設置する際には毛布やタオルも常備しておいてほしいと呼びかけている。

まあしかし言われてみれば人前で胸をはだけて好き放題触り放題と言うのも特殊な状況ではあるし、やっていることとしては外見的に世間一般におけるタブーに触れる行為だと言う解釈も出来るのだろうと思うのですが、もちろん事実心肺停止の状況に遭遇し救命目的でAEDを使うと言うのであれば、これは法的には何ら問題のない行為ではあると言うことです。
件のツイートが事実であるかどうかは何とも言いようがないところですけれども、むしろここで注目すべきなのは横浜市等のマニュアルにも示されているようにこうしたトラブルが起こり得ると言うことが認識され対策も記載されていると言う点で、実際にAEDを使うような局面にあってもこうしたことを気にする向きがそれなりに存在している(あるいは事実、していた)と言うことを想像させる話ですよね。
ツイートの方もなかなかリアリティーがあると思うのは当の本人に訴えられたと言うのではなく側にいる人に通報されたと言う点で、もちろん本人はAEDを使うような状況であれば意識もなく事態の重大性は理解せざるを得ないだろうと思いますけれども、倒れている女性の服をはぎ取る怪しい男に遭遇した日には「ちょっとあんた!何してんの!」と通報する人がいてもまあ、おかしくはないのかなと言う気はします。
医療関係者は基本的にこうした装備は病院内で使うわけですから命の保全が最優先されるのは当然と言う認識で、救急外来で搬入されてきた患者の衣服を必要に応じてジョキジョキ切ってしまうのは当然視されているし、患者も当然にそれを是とするだろうと言う認識でやっていますけれども、考えてみると「大事なブランドものの一張羅を台無しにされた!弁償しろ!」と言われてもおかしくはないわけです。

もともと日本の医療現場は患者のプライバシーに対する配慮が不足しているとは指摘されてきたところで、かつて皆保険制度導入を目指して日本の医療現場を視察に来たヒラリーさんも日本の病院環境に関してはとても自分たちアメリカ人には耐えられないだろうと低評価だったと言いますけれども、物理的制約に留まらずスタッフの認識の点でもこの辺りはまだまだ及ばぬところがあるようには感じます。
他人を裸にひん剥くと言うことへの心理的ハードルの低さもあってか、医療現場におけるセクハラや痴漢的行為に関してはたびたび訴訟沙汰にもなっているくらいで、実際にそうと意識して行われる故意犯がそのうちどれくらいの割合になるのかは判りませんけれども、今ではようやく学生教育においても「疑われないように患者と密室で二人きりになるのは避けましょう」等々の対策が講じられるようになってきていますよね。
逆に医療従事者にしてみれば長年患者側からの不当なセクハラに耐えてきたと言う気持ちもあるようで、日本でもさすがに今は院内で患者からセクハラを受けたと言えば「あなたに隙があるからです」と逆に上司から叱責を受ける時代ではなくなったとは言え、病人が絡むことでもある以上なかなか対応が難しい面もあってトラブル即診療契約打ち切り、強制退院ともいかないようです。
比較的この面で被害者の立場に立つことが少ない(その一方で加害者扱いはたびたびあるようですが)医師などは、ただでさえ多忙な医療現場に余計な面倒事は持ち込まないで欲しいと事なかれ主義に流れたくもなるのかも知れませんが、職場防衛と言う観点からしても余計な誤解を招かないよう組織としてそれなりのルール作りは必要な時代ではあるのでしょう。

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2014年10月23日 (木)

医学部新設の余波

久方ぶりに東北地方に新設されることになった医学部の運営母体として東北薬科大が選ばれたことは先にお伝えした通りですけれども、宮城大医学部構想を立ち上げながらも「準備不足」と敗れ去った宮城県の村井知事がこんなコメントを出しているようです。

◆シリーズ 東北地方の医学部新設(2)宮城県知事が抱く文科省への不信感(2014年10月14日日経メディカル)より抜粋

(略)
 県が提案した新設構想は、入学定員数が60人と小規模であり、将来的な定員調整に問題がない点が構想審査会に評価された。だが、「地域完結型」の教育による総合診療医の育成を目指すとうたってはいるものの、教育内容やその方法、実習先などの具体策は示されていなかった。経営面や人材確保策、卒業生の地域への定着策についても、審査会で判断できるだけの根拠が足りないと評価され、「準備不足」と結論付けられたのだ。
 また審議会からは、運営費を宮城県が負担するため、県内の事情を優先せざるを得ず、東北各地に卒業生を送ることが県立大学であるがゆえに難しいという懸念も示された。

 選定結果に対し、村井氏は「新たな地域完結型の医学部をと手を挙げたが、残念ながら準備不足との指摘を受けた。この点については真摯に反省をしたい」としつつも審議会からの懸念には、「そもそも東北地方の医学部新設は、(東北地方の)地域医療を担う医師の不足を抜本的に解決することを目的に自ら必要性を訴え、国に要望を重ねて実現したもの」と説明。特に青森県、秋田県など、医師が不足している地域に医師を派遣することを考え、入学定員数が60人であれば、仮に20人が宮城県に、各県に8人ずつ派遣することも伝えていたと話し、「信念を傷つけられたような思いがした」と苦言を呈した。

選定結果の説明後、文科省への不信はさらに増大

 結果が発表された翌日には、村井氏の元に文科省高等教育局長の吉田大輔氏が選定結果の説明に訪れている。その説明を聞いた村井氏は、9月1日の定例記者会見で改めて選定結果について言及した。
 村井氏は冒頭で「大変驚いた部分もあった」と怒りを露わにした。村井氏が驚いた理由として挙げたのは以下の2点だ。

 1つは、最初に提出した構想応募書とヒアリング、質問書に対する回答書だけが審査の対象になっていた点だ。「我々が(新設構想応募書を出した)5月30日以降、黙々とやっていた取り組みは審査の対象外だとはっきりと言われた」と村井氏。構想審査会からの質問を受け、カリキュラム内容や教員確保策を具体化するために検討委員会を立ち上げたり、大規模事業評価を実施していたことなどについて、文科省に資料を提出して報告していたものの、一切評価に反映されなかったのだ。
 もう1点は、仮に東北薬科大が選定された場合の県の支援内容について、「東北薬科大に伝え、意向を確認すべき」とした村井氏の文科省への依頼がどこかで止まり、確認なく決定に至った点だ。「自治体として東北薬科大を支援する立場である宮城県が、ここまでの支援しかできないと考えている。その理由はこうだと伝えたことが、東北薬科大には届いておらず、確認されていなかったことが分かり、唖然とした」と振り返る。
 こうしたことから、村井氏は「選定手法について、納得できるものではない」と今回の選定方法と文科省の対応を問題視した。

 このとき村井氏は、東北薬科大の新設構想における財政面の指摘もしている。同氏によれば「現時点での東北薬科大の財政は豊か」だが、医学部を新設し、構想通りに運用するとなると毎年70人の医師を養成する必要があり、その費用は莫大な金額となる。
 「1人当たり三千数百万円といった資金を準備することを考えると、ファンドを作ったとしてもそのファンドの資金が徐々に減る可能性もある。こうしたリスクを考慮しつつ、大学経営をしなければならないだろう」と村井氏。
 さらに村井氏は、宮城県をはじめとする東北6県、大学、関連教育病院、地元医療関係者らが集う「運営協議会」の設置、運営に対する懸念も示している。「東北6県全ての自治体が足並みを揃えて運営協議会に入ってくれるかどうかの調整も大変」というのだ。
 宮城県も、医学部新設に手を挙げていた際、他県にアプローチしてきたが「あまり前向きでない返事ももらっていた」と村井氏は話す。こうした事情から、「国が前面に出なければ、東北薬科大の医学部新設は非常に難しくなるだろう」とした上で、「これは国策であって、財政的な支援を含め、国が責任を持って支援すべき」と強調している。
(略)

まあしかし今回の場合あくまで政策的に作られる大学である以上、ある程度恣意的な選定になるのは仕方がないとは思うのですけれども、興味深いのは財政面の裏付け等も含めて薬科大の新医学部構想が地元自治体と今ひとつうまく摺り合わせが出来ていないこと、そして同医学部から医師派遣を受ける立場であるはずの東北諸県も積極的に関与する様子がなかったらしいことでしょうか。
国としては表向き東北諸県に医師派遣を行う供給源として医学部新設を決めた形ですが、実際にはやはり地元自治体である宮城県が派遣先の主体になるのは避けられないだろうし、それが判っているからこそ他県としても敢えて距離を置いていると言うことなのかも知れませんが、一番重要なはずのその辺りのことを全く具体化しないまま医学部新設だけが先行しているのだとすれば実効性に不安が残りますよね。
もともと医学部と言うところは全国的に地域の病院に対する支配力を発揮し系列化しているもので、新たに医学部を作っても系列病院のポストがなければ卒業生も行き先に困ると言うものですが、一般論として地方にあっても患者の集まる優良病院は既存の各大学ががっちり握っているものであり、医師不足だからとポストを手渡してでも新設医学部から医師を呼びたいと言う病院は格落ちする施設が多そうには思えます。
もちろん医学部が出来ても卒業生がそれなりの地位につく年代になるまでまだまだ長い年月がかかるはずですし、その頃には今とは全く医療事情が変わっている可能性もありますけれども、下手をすると卒業し医師免許を取った学生達が相次いで関連病院を多く抱える他大学の医局に流出してしまい、大学病院ですら外様の先生ばかりで維持運営にも四苦八苦と言う状況に陥ってしまうのかも知れませんね。
いささか余談が長くなりましたけれども、この医学部新設と言うことに関しては今回たまたま震災復興と言う名目もあって東北地方に特例的に認められたとされる一方で、人口比で医学部定員が少なく東北以上に医師不足が深刻だと言われている地域の代表として関東地方の千葉、埼玉両県が長年挙げられていますが、最近この両県に関してこんなニュースが出ているようです。

成田の医学部新設、石破大臣「結論を出す」 国家戦略特区「東京圏」、第1回区域会議(2014年10月2日m3.com)より抜粋

 国家戦略特別区域の「東京圏」の第1回会議が10月1日に開催され、東京都と神奈川県、成田市から成る「東京圏」の区域計画の素案を議論した。医療分野では、慶応義塾大学病院において、保険外併用療養の特例で、クローン病などに対して未承認薬や適応外薬を使用するなど、三つの規制改革、計10項目の具体的事業が挙がっているが、注目されるのは、「国際的な医療人材の育成のための医学部新設等の新設に関する検討」も、「千葉県成田市などで、医学部の新設等について検討し結論を得る」との表現で記載されている点だ(資料は、内閣府のホームページに掲載)。

 会議後の記者会見で、石破茂・内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)は、「さまざまな観点から検討して結論を出さなければいけないと思っている。この考え(医学部新設)の有益性、有効性については認識しているが、議論に長く時間を要しているので、いつまでも検討しているわけにはいかない。『検討して結論を得る』と書いたのは、そのためだ」と説明。「さまざまな観点」からの検討が必要なのは、「成田という地域は国際化が進んでいること、また事業者(成田市)の話を聞くと、医師不足を解消するものであること。医学部に入学するに当たって、極めて多くの資金を必要とすることを解消しなければいけない、という考えも聞いた」(石破大臣)との理由からだ。

 会議に出席した成田市長の小泉一成氏は、会議後、「従来は、医学部新設について検討するとされていた。『検討』では、結論が先送りになる、あるいは結論を出さなくてもいいという解釈にもなるが、『検討し結論を得る』とされたことは、大きな前進」と期待を込めて語り、今後、地元の医師会などの理解を得ることなどに努めていくとした。成田市は、国際医療福祉大学と共同で、「国際医療学園都市構想」を打ち出し、医学部新設を目指している(『成田医学部、東北より早い可能性、市幹部が答弁』を参照)。
(略)
 もっとも、医療分野を含む「東京圏国家戦略特別区域計画」の第1次計画は、次回の会議で決定する予定だが、会議の開催時期は現時点では未定。同計画に、医学部新設の「結論」が含まれるかは否かも未定であり、石破大臣は、「いつまでに、とは断定できない。しかし、結論を出すことを、いつまでも遅延をさせてはいけない」と述べるにとどまり、結論を出す時期について言葉を濁した。東北地方での医学部については、新設に向け具体的検討が進められているが、国家戦略特区での医学部新設はなお流動的だ(『東北薬科大、医学部新設の“第一関門突破”』を参照)。
(略)

大学病院整備計画、土地確保前でも応募可- 埼玉県が詳細明示、来年1月に受け付け(2014年10月20日CBニュース)

医師不足などの改善を目指し、大学附属病院を公募する方針を示していた埼玉県は20日、病院整備計画の応募条件などの詳細を明らかにした。医師確保が困難な地域への医師派遣に協力することなどを条件に挙げており、医学部を設置している全国の私立大を対象に、来年1月5日から同月30日まで計画を受け付ける。【新井哉】

応募条件には、医学系大学院の併設や2018年3月までに着工することなどを明記。県内の医師不足の解消を図るために昨年12月に設立した県総合医局機構に協力することも条件に挙げた。また、県は参考資料として、応募する大学の関係者を対象にした「Q&A」も作成。例えば、土地を確保できていない場合でも、取得の時期や方法などを記載することで「取得予定でも応募できる」としている。

県が大学附属病院を公募する背景には、同県の人口10万人当たりの医師数(12年12月末現在)が148.2人で「全国ワースト1」といった要因がある。県内で医学部がある大学は埼玉医科大の1校のみで、県内の地方議会では、医学部設置を求める意見書を国に提出する動きが広がっていた。

こうした状況を受け、県は先月開催された県医療審議会で、大学附属病院の公募を盛り込んだ計画案を提示するなど、病床や人材の確保に向けた取り組みを進めてきた。県内の基準病床数を改定することで最大1502床の増加を見込んでいるが、医師の確保や育成を担う大学附属病院に対し、こうした病床を優先的に配分する方針。また、医学系大学院の併設によって高度医療にも対応できる人材を確保し、地域医療の水準向上にもつなげたい考えだ。

東北のケースによって医学部新設が有りなのだと認知された以上、全国各地から我も我もと手が上がるだろうことは当然に予想出来たところで、特に千葉県などはかねて亀田総合病院を中心としてメディカルスクール構想などもあっただけに、悲願とする医学部新設に向けて自治体とも一体化して強力なプッシュをかけてきていることは想像に難くありません。
興味深いなと思ったのは埼玉の計画なのですが、もちろん医学部新設を希望している点では従来通りなのですけれども、一方で独自に大学病院誘致についてどんどん話を進めているのが非常に興味深いやり方で、確かに医師確保や医療リソース蓄積と言う点から考えると県内に医学部はなくても、大学病院が存在し医師派遣が機能していれば問題なしと言う考え方も出来るかと思います。
そう考えると別に付属病院は一大学に一つと決まっているわけではないのだし、医学部新設は大変でも大学病院新設であれば特に国のお許しをいただく必要もないと言うことであれば案外手っ取り早い抜け道にもなりそうで、これが有りなら今後埼玉に限らず全国各地で同様の取り組みが活発化してくる可能性もあるのかなと思うのですが、その場合問題となるのが財源と基準病床数ですよね。

財源に関しては当然ながら自治体が土地を提供したり支援を行ったりと言ったことが誘致の条件としても出されるのだろうと思うのですが、すでに基準病床数に達している地域であれば当然こうした大規模病院を新設することなど出来ない道理であって、その意味では既存の中小病院を整理、統廃合していかに大学病院用の病床数を稼ぎ出すかと言ったことも必要になってくると思われます。
ちょうど例の地域医療構想策定作業と絡んで今後は都道府県が地域の医療提供のあり方にずっと積極的な役割を果たすことになるはずですが、この中の大きな役割の一つとして地域内での病床数管理と言うことも挙げられていて、要するに地域でどのような医療がどの程度供給されるべきなのかは各病院に任せるのではなく、きちんと計画的に配分され管理されるべきだと言う考え方です。
基準病床数と言う地域のベッド数の条件が決まっている以上、昔から大きなベッド数を確保している病院は例え需要がそこまででなくなっていてもベッドを手放さす、新たにやる気も能力もある病院が十分力を発揮出来ないと言う状況がまま見られていたわけですが、大学病院クラスの大病院がいきなり登場するとなれば大幅な病床再編は避けられず、場合によっては多くの病床を奪われ経営が成り立たなくなる施設も出てくるかも知れません。
もともと国際比較で日本は病床数が多すぎだと言う声は以前からあって、診療報酬の仕組み上ベッドは常に埋めておかなければ赤字がかさむせいで不要不急の入院が増え診療報酬を押し上げていると言う批判もありますから、大学病院と言う巨艦の登場で地域医療がどれだけ激変するか、ひいては医療費の動向がどうなるかと言うことも注目していくべきかと言う気がします。

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2014年10月22日 (水)

改めて注目される糖尿病のリスク

例のメタボ健診によって生活習慣病患者が激増したと実感されている臨床医の先生方も多いと思いますが、特に各種合併症の恐さなどからも対策の必要性が叫ばれているのが糖尿病で、各種民間療法まで入り乱れて様々な糖尿病対策が世に出回っているのはご存知のところかと思います。
そんな中で以前から糖質制限食等独自の糖尿病コントロール法を提唱してきた江部康二氏がこんな主張をしていらっしゃるのですが、江部氏の主張がこうなのか取り上げたメディア側の編集が恣意的なものだったのか、いささか誤解を受けそうな記事になっているようにも見えるでしょうか。

デタラメ治療の結果 糖尿病で年間3000人以上が失明、足切断(2014年10月19日NEWSポストセブン)

 予備軍を合わせ国内で糖尿病患者は2000万人を超えるといわれるが、その医療では、実に多くの「ウソ」がまかり通っている。そう指摘するのは、高雄病院理事長の江部康二医師だ。自身が糖尿病の内科医が、日本の糖尿病治療の欺瞞を暴く。

 * * *
 そもそも糖尿病とは血糖値が高くなる病気のことだ。血糖値が高くなると体内の酸化バランスが崩れ、活性酸素が生じて血管が傷つきやすくなる。また、血糖値が上がると血糖値を下げる唯一のホルモンであるインスリンが分泌される。インスリンは中性脂肪の分解を妨げ、血糖を体脂肪に変えて体重を増やす「肥満ホルモン」であり、高インスリン状態は動脈硬化を招く。
 この病気で本当に怖いのは合併症だ。血糖値の乱高下で血管が老化し、細い血管が傷つくと「三大合併症」と呼ばれる網膜症、腎症、神経障害となり、太い血管が損傷すると脳梗塞や心筋梗塞に至る。
 元凶である血糖値の上昇を招く唯一の原因は、糖質(炭水化物)の摂取だ。かつて米国糖尿病学会は3大栄養素(糖質、たんぱく質、脂質)のうち「たんぱく質や脂質も血糖に変わる」としていたが、研究が進み「糖質のみが血糖値を上げる」と2004年に見解を改めた。これが他の先進国も認める「国際基準」だ。
 唯一、血糖値を上げる糖質を制限すれば、血糖値上昇を抑えられる私の提唱する糖質制限食はこのシンプルな事実に基づく。

 ところが日本糖尿病学会はこの事実を隠し、2013年11月に発行の『糖尿病食事療法のための食品交換表 第7版』で「血糖値に影響を及ぼす栄養素は主として炭水化物だが、脂質とたんぱく質も影響を及ぼす」などと記載した。科学的根拠がなく、世界的な潮流とは真逆の非常識な見解だ。
 学会は現在も糖尿病治療として「炭水化物50~60%、たんぱく質20%以下、脂質の摂取上限25%」、「女性1日1200~1400kcal」、「男性1日1600~1800kcal」のカロリー制限食を推奨する。脂質とたんぱく質を控えれば、血糖値が上がる炭水化物を多く摂取しても構わないというのだ。
 論理矛盾も甚だしいが、この弊害は明らかだ。2型糖尿病患者が60%の糖質を摂取すると食後の血糖値は必ず200mg/dlを超える。血糖値が180mg/dlを超えると動脈硬化や合併症のリスクが高まることは、世界の医学界でエビデンス(科学的な根拠)として認められている。
 デタラメな治療の結果、年間1万6000人以上が糖尿病腎症から透析を受け、その医療費は年間800億円に及ぶ。さらに、年間3000人以上が糖尿病網膜症で失明し、同じく年間3000人以上が糖尿病足病変で足を切断している。これだけの患者数が物語るのは学会が主導する糖尿病治療の不首尾に他ならない。

まあ「年間1万6000人以上が糖尿病腎症から透析を受け」「年間3000人以上が糖尿病網膜症で失明し、同じく年間3000人以上が糖尿病足病変で足を切断している」理由は糖質制限食導入の是非と言うよりも、どのような食事内容であれそもそもカロリー制限を守らなかったり医師の指示に従って治療をきちんと受けることを怠ったことの方が影響が大きい気はしますけれどもね。
短期的に血糖を下げる点はともかく、いわゆる糖質制限食の長期的弊害に関しても様々に言われているところですが、基本的に日本の食生活の中心である米に関してはほぼカロリーとボリューム、そして味覚・嗜好的要素のために摂取されてきたと言えますから、「食事には銀シャリがなければ」と言うタイプでなければ現代の食生活では昔ほどの重要性はないとは言えるでしょう。
ただ食事の大きな部分を占め満腹感をも左右する米飯を抜いた部分を何によって補うのかと言うことも問題で、例えば糖尿病性腎症を来しているような方が血糖が上がらないからと肉ばかり食べていたのでは問題なのは明らかですから、この辺りはキャッチーなコピーばかりに踊らされることなくきちんとした知識を元に食事管理を行っていただきたいものだと思います。
ともかくもこれだけ糖尿病患者が増え合併症治療も含めて多額の医療費がかかっている以上、医療や製薬にとってもそれは大きな商機でもあると言えますが、当然ながら患者数から考えても糖尿病専門医だけで相手に出来るものではなく、一般臨床医であれば少なくともある程度の知識とコントロールの術を身につけておくことは必須スキルと言ってもよさそうです。
ただ糖尿病の場合放置患者の高血糖によるトラブルばかりではなく、厳格なコントロールを追及しすぎた結果低血糖性昏睡に陥るリスクもあるなどなかなかに管理が難しい面があって、純粋に医学的なベストを目指すだけではなく末端臨床におけるリスクマネージメントも考慮したコントロールが求められると思いますけれども、その辺りに関連して先日出ていたこちらの記事を紹介してみましょう。

道路交通法改正で医師や薬剤師も責任を負うのか(2014年10月21日DIオンライン)

【質問】
 道路交通法の改正で、糖尿病患者やてんかん患者に対する規制が強化されたと聞きました。患者が交通事故を起こした場合、治療に当たる医師や薬を交付した薬剤師も責任を負うことになるのでしょうか。(40代女性)

【回答】
法的責任が生じる可能性はある
回答者 ◎ 小林 郁夫(小林法律事務所 [東京都千代田区] 弁護士)

 2013年6月に公布された改正道路交通法が、14年6月1日から施行されました。この改正では、運転免許の取得時と更新時の「一定の病気」の症状に関する質問制度と、虚偽回答に対する罰則が整備されました。
 ここでいう「一定の病気」は、道路交通法施行令で定められており、統合失調症(自動車の安全な運転に必要な能力を欠く恐れがある症状がないものを除く)、てんかん(発作が再発する恐れがないもの、発作が再発しても意識障害・運動障害がもたらされないもの、睡眠中に限り発作が再発するものを除く)、再発性の失神(脳全体の虚血により一過性の意識障害をもたらす病気で発作が再発する恐れがあるもの)、無自覚性の低血糖症(人為的に血糖を調節できるものを除く)、双極性障害、そして重度の眠気の症状を呈する睡眠障害です。

 糖尿病では、治療薬の服用や注射などにより低血糖を起こし、意識障害をもたらす可能性があることは知られています。糖尿病患者の治療に当たる医師や、糖尿病治療薬を交付する薬剤師は、低血糖の可能性、服用から低血糖に至るまでの時間、低血糖になる前に糖分などを摂取することなどを患者に対して伝える必要があります。
 また患者の病状と職業によっては、運転や危険な仕事を回避するよう注意を喚起することが必要です。同様に、無自覚性の低血糖症、てんかん、統合失調症などの患者についても、それぞれ状態に応じ対応すべきです。

 糖尿病患者に関する過去の判例では、血糖管理を怠って自動車を運転し、事故を起こした患者の責任が認められています。自動車を運転する糖尿病患者は、自己の血糖を管理する義務があるのです。
 例えば、水戸地方裁判所の12年11月6日判決は、血糖測定後インスリンを注射したが、食事を取らなかったために低血糖の意識障害に陥り、交通事故を発生させた患者に禁固6年を言い渡しました。また東京地方裁判所の13年3月7日判決は、1型糖尿病による無自覚性低血糖でもうろうとした状態で起こした事故について、運転者の事故時の責任能力を否定しましたが、血糖管理義務を怠ったという理由で損害賠償義務を認めました。
 一方で、事故を起こした患者の主治医や、患者に糖尿病治療薬を交付した薬剤師の責任を追及している判例は、今のところ見当たりませんが、今後は法的責任が生じる可能性はあります。

 道路交通法は、「何人も、第1項の規定に違反して車両を運転することとなるおそれがある者に対し、酒類を提供し、又は飲酒をすすめてはならない」(第65条第3項)と規定し、運転者に対する酒類提供を禁止しています。
 もし、医師、薬剤師を酒類提供者と同じ立場であると考えるなら、糖尿病やてんかんの患者が運転する際の意識障害を防ぐ責任が生じます。つまり、意識障害の可能性がある患者に対し予防法や対策を充分に説明して、事故を回避させなければなりません。
 意識障害を生じる可能性のある疾患の患者に対する医師や薬剤師の説明が不十分だった場合や、全く説明をしなかった場合、患者の起こした事故による損害を賠償する責任が発生することも考えられます。
 該当する説明を患者にした場合は、念のため、その内容を薬歴などに記録しておくとよいでしょう。

この道交法改正に関しては以前にも取り上げたところですが、医学的に運転を行うことが妥当でないと判断される場合それを患者に遵守させるシステムが未整備であるとか、患者が医師の指示通りの治療を受けていなかった場合どこまで医師の責任が問われるべきなのか等々、少し考えただけでも実際の運用に当たっては様々な問題点がありそうな話ではありますよね。
特に糖尿病患者の場合は一時期その事故多発ぶりが社会問題化したてんかん患者のような「治療を受けるよう指示されながら放置」と言うケースばかりではなく、医師の指示通り治療を続けていた結果低血糖となって意識を失うと言うケースが一定数あるはずですが、こうした場合患者や家族から見れば指示を出した医師側の責任が全く問われないと言うのでは釈然としないところがあるでしょう。
今のところ直接的にこうした形で医師の責任を問い処罰する法律と言うものはなさそうなんですが、記事にもあるように解釈次第で責任を問われる余地はあるようですし、当然ながら患者や事故の相手方などから民事で損害賠償を請求されるリスクはあり、てんかん事故などでも勤務先の会社が訴えられたように民事の原則として「取れそうなところから取る」と言うことは予想されます。
同時に雇用する会社側にしろ担当する医師にしろこうした責任を問われることを回避したいと言う気持ちは当然あるはずで、よく言われる雇い止めのリスクなどはもちろん社会的に見ても問題ですけれども、必ずしも運転禁止とまでは言えない疾患の状態であってもリスク回避の観点から有病者には厳しめに指示を出しておくと言うことが、今後次第に増えてくるかも知れませんね。

そうしたリスクを患者側から見ると病気持ちであることはなるべく世間に知られない方がいい、さらに一歩進んでそもそも規制を受けるような病気と診断されなければいいと言う考え方になってしまえば体調不良を自覚しても病院に近づかない者が増え、社会全体としてかえってリスクが高まることにもなりかねませんから、要は規制強化と言うムチばかりではなくアメの部分も用意する必要があるはずですが、これがなかなか難しそうですよね。
糖尿病に限らず意識朦朧となった患者が事故を起こした、あるいは事故に巻き込まれたと言った怖い経験をされたことがある方は相応にいらっしゃるはずですし、臨床面から言えば救急隊や救急病院などはこうした運転手の基礎疾患を早い段階で見極める必要があるはずですが、そうした点からすると簡易な血糖値測定である程度白黒が付けられる糖尿病などはむしろ対応が容易い方だとも言えるかも知れません。
逆に言えば基礎疾患によっては即座に現場で診断をつけるのが難しく、患者情報がなければ治療が遅れると言うケースもあるかと思いますが、そう考えると法的規制を行うような「一定の病気」に関しては眼鏡などと同様免許に記載してくれれば医療の側は元より、患者さんにしてもそれなりに助かる場合があるかも知れません(もっとも略語やコード記載などでなく病名そのものを出すとプライバシーが問題視されそうですが)。
根本的にはマイナンバー制度に伴ってこうした医療情報も全部一元的に管理するようになればこの辺りの面倒はずいぶんと楽になりそうだし、技術的には何も難しいことはなさそうに思われるのですが、日医などは医療情報をマイナンバーで管理すること自体に反対だと言っていますしねえ…

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2014年10月21日 (火)

エボラ感染拡大に見る社会的対応の難しさ

確定した死者数だけでもすでに5000人規模にも上り、確認が出来ていない死者数まで含めると幾らになるのか誰も知らないと言うエボラ出血熱の現状ですが、オバマ大統領にエボラと並んで危険だと言われたプーチン大統領が不快感を示しただとか、逆に長年の米国の宿敵であったカストロ氏がエボラ対策に関しては米国とも喜んで協力すると表明したりだとか、各方面にそのインパクトが広がっているようです。
先日は安保理において国連幹部が「少なくとも感染死亡者の70%が他の人に汚染することなく埋葬する必要がある。10月1日から60日間の勝負。失敗した場合、指数関数的に感染者が増加する」と物騒なコメントを出して話題になりましたが、一部報道ではWHOが内部文書において初期対応の失敗を認めたとも言い、拡大を続ける感染に対して資金も人員も全く不十分であるとの危機感も広がっています。
そんな中で先日国内でのエボラ第一例が確認されたアメリカでは亡くなった同患者の検体と接触した可能性のある病院職員がクルーズ旅行に出かけて行ったと言うことが批判的に取り上げられたりもしているようですが、世界的に流行拡大阻止の必要性が言われる中で、そもそもどの程度用心すればいいのかと言う話も含めて個人の権利尊重と感染拡大阻止と言う公益との兼ね合いも議論がされているようです。

エボラ出血熱二次感染看護師 飛行機搭乗で混乱(2014年10月18日NHK)

アメリカでは、エボラ出血熱の男性が入院していた病院で二次感染した看護師が隔離される前に2度にわたって旅客機に乗っていたことから、保健当局が2つの便に乗っていた乗客合わせて280人余りに聞き取り調査を行うことになり、混乱が広がっています。

アメリカ・テキサス州では、エボラ出血熱で死亡した男性が入院していた病院の看護師2人が二次感染したことが確認されています。
2人目の感染者となった看護師は、10日から13日まで旅行に出かけ、旅客機に乗っていたことが分かっています。
13日には微熱が出ていたことから、アメリカのCDC=疾病対策センターは、念のため看護師が利用した2つの便の乗客合わせて280人余りに対象を広げて看護師と接触があったか調べています
また17日には、エボラ出血熱の男性が入院していた病院のスタッフが、カリブ海を航行中の旅客船に乗っていることが分かり、船がメキシコの港への入港を拒否されました。
船の運営会社は、このスタッフに客室内から移動しないよう求め、船は現在、母港があるテキサス州に向かっているということです。
こうした事態を受けて、テキサス州はエボラ出血熱の男性の病室に入ったことのある病院のスタッフに対し、ウイルスの潜伏期間が過ぎるまで、公共の場所に行ったり公共交通機関を利用したりしないよう指示を出しましたが、当局がスタッフの行動を十分に把握していない状況に混乱と不安が広がっています。

流行地から密入国・看護師感染… エボラ熱、広がる混乱(2014年10月17日朝日新聞)

 エボラ出血熱の感染の拡大で、各国に混乱が広がっている。感染者の入国を防ぐため、空港などでの検査の強化に乗り出しているが、不法入国者をどう調べるのかなど課題は多い。流行国からの入国の禁止を求める声も出始めた。

■欧州各国で水際対策 フィリピン、派遣のPKO撤退へ

 米テキサス州の病院で、エボラ患者の治療にあたっていて二次感染した看護師2人の感染ルートは、依然特定できていない。米疾病対策センター(CDC)によると、2人はいずれも防護服を着用しており、当初は二次感染の恐れはないとみなされていた

 しかし、米国の看護師組合「全米看護師連合」は14日、この病院の複数の看護師からの聞き取りの結果として、現場での訓練や防護服の装備が不十分で、感染防護の手続きも周知されていなかったなどとする声明を発表。看護師らに与えられた防護服は首の部分が覆われておらず、医療用テープで露出部分を覆うなどして補強したという。

 二次感染した2人のうち1人は症状を訴える前日に航空機に乗っていたことが明らかになり、CDCは同乗者132人の調査を始めた。

NHKの記事に取り上げられている看護師の飛行機搭乗の件などは特に大きな騒ぎになっているようで、CDCの長官がわざわざ「飛行機に乗るべきではなかった」とコメントしている点は個人の権利を何よりも重く扱うアメリカ人にとって非常に重要な意味を持っているとも言え、看護師団体などは現場には適切かつ十分な感染防御の装備もなくCDCの規定に従うことは無理だと逆批判のコメントも出しているようです。
基本的に医療従事者は病気に対して科学的な視点で対応すべきなのだろうし、実際に多くの場合で世間一般におけるよりも冷静に対処出来ているとは思いますが、その中でも感染症に関してはやはり自らも感染すると言う恐怖心が往々にして理性を上回る場合があるのか、時に医療現場においても診療拒否など様々な差別的対応が見られただとか言ったニュースが流れていますよね。
今回のエボラ騒動に関しても各国が医師スタッフを現地に派遣するなど対策が講じられていますけれども、防護服を来ていても医療従事者の感染が報じられているとなれば現地入りに二の足を踏みたくなるのも当然だし、軍医などが派遣を命じられた場合に拒否することは出来るのかと言った議論も行われているようです。

今や世界各国への感染拡大阻止と言うことが非常に大きな命題となっていますけれども、それについては当然ながら感染の危険があると判断された人々の隔離など個人の権利を制限する必要性があることであり、当事者がそれを拒否した場合にどの程度強制力を発揮出来るのかと言うことは国毎の事情も異なっていて、そうした対応の差が感染拡大にどれだけ影響するのかも何とも言い難いものがありますよね。
日本においても新型インフルエンザ騒動の際に様々な意見が出てきた経緯があって、例えば疑い症例にもどんどん検査をして白黒付けるべきだと言うのはその通りなのでしょうが、そういう積極的対応を行い感染者が次々と発見、隔離されてしまう病院には当の患者が行きたがらず、漫然と対症的に薬を出すだけの施設に患者が集まることになれば気がつけば患者が町にあふれていたと言うことにもなりかねません。
見つかれば面倒だからと患者が病気であることを隠そうとするようでは感染拡大阻止どころではありませんが、今後経過観察のために日常生活の制約を受ける接触者が増えれば増えるほどその社会手影響も大きくなるだろうし、患者に接触し感染した疑いがあるというだけで無制限に対象を広げていくことはさすがに現実的ではないとは言えそうです。
その辺りの見極めをどう科学的、疫学的根拠と共に決めていくかと言う点に加えて、実際に私権を制限した場合その金銭的補償はどうなるのかと言った事後処理の問題が今や待ったなしで存在しているのですが、その点から見ると何やら意味深にも見えるこんなニュースも出ているようです。

米エボラ熱対策責任者の人選批判-共和党から医療知識なしと(2014年10月20日ブルームバーグ)

 10月18日(ブルームバーグ):オバマ米大統領がエボラ出血熱の対策責任者にバイデン副大統領の首席補佐官を務めたロン・クレイン氏を起用したのに対し、共和党は医療の知識がある人物が必要だったと批判している。

クレイン氏(53)は弁護士で、クリントン政権でもゴア副大統領の首席補佐官だった。エボラ熱対応をめぐる公聴会で政府当局者を厳しく追及した共和党のマーフィー下院議員は同氏の指名について、「衝撃的であり、率直に言って米国民の懸念に全く耳を傾けていない」と指摘。下院エネルギー・商業委員会のアプトン委員長も、オバマ大統領が医療や感染症への対処の経験がある人物を指名すべきだったと述べた。

ホワイトハウスのアーネスト報道官は複数の省庁の調整でクレイン氏の管理能力が必要であり、議会のメンバーとも関係を築いていると述べ、今回の人事の正当性を主張した。

その道のスペシャリストは助言者や実務担当者の地位においておいてトップの責任者には全体的なマネージメントが出来る人物をと言うのは一般論として決して間違ったことではないと思いますけれども、その地位に据えられたのが弁護士だったと言うのが何ともアメリカらしいとも言えるし、この問題の社会的な対処の難しさを示してもいるのだろうと思います。
ちょうどアメリカでは選挙との絡みもあってこのエボラ対策が大きな争点となりつつあるのだそうで、与党民主党がCDCの予算削減を行ったと野党共和党を攻撃するなどと言う絵図はどこかの国とも共通ですけれども、面白いのはもっと強力な対策を講じるよう与野党双方が競い合う気配はあっても、どうもその方法論として私権の制限を伴うことはさして問題視されていないようにも見えます。
この辺りは何かと国家に対する忠誠心が問われるアメリカらしいとも言えますが、もちろん私権を制限した結果何もないともなればきちんと補償を要求するだろうことも権利社会アメリカのもう一つの側面であるでしょうから、米国政府としては今後厳しいエボラ対策の実施に伴い思いがけず大きな臨時出費を抱え込むことになるのかも知れません。
考えてみると有事における私権の制限と言う問題は日本においても防衛関係などで長年言われてきたところですし、当然ながらいざエボラ日本上陸と言う時に当たっても多かれ少なかれ制限を行わないことには感染拡大阻止も何もないはずですが、どうも日本では水際対策で国内流入をいかに阻止するかと言った話ばかりで、実際に入って来た段階でどう対応するかと言う議論は今ひとつ盛り上がりに欠けている気がします。
実際に感染拡大阻止に実効性のある対策を考えてみると非常に厄介かつ社会的影響も大きく、私権の制限に留まらず差別などの過剰反応も招きかねない面倒な話になるのも確実なのですが、だからと言って「起こってもらっては困る」「起こるはずがない」「だから対策は必要ない」の三段論法で済まされてしまっては大いに禍根を残すことにもなりかねないでしょうね。

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2014年10月20日 (月)

地方の学生はもはやおちおち大学にも行けない?

そろそろ進学問題で頭を悩ます時期だと思うのですが、先日出ていたこちらの記事を御覧になったでしょうか?

大学進学率の地域差、20年で2倍 大都市集中で二極化(2014年10月14日朝日新聞)

 大都市と地方で高校生の大学進学率の差が広がっている。今春の文部科学省の調査から朝日新聞が算出すると、都道府県別で最上位と最下位の差は40ポイント。20年で2倍になった。家計状況と大学の都市集中が主因とみられる。住む場所の違いで高校生の進路が狭まりかねず、経済支援の充実などを求める意見がある。

    家計に負担、遠い大学 地方の生徒「本当は行きたい…」

 文科省の学校基本調査(速報値)から、4年制大学に進んだ高卒生の割合を、高校がある都道府県別に算出した。今春は全国で110万1543人が高校(全日・定時・通信制と中等教育学校)を卒業。大学には浪人生を含む59万3596人が入学(帰国子女など除く)。進学率は53・9%だった。

 都道府県別では東京の72・5%が最高で、次いで京都(65・4%)、神奈川(64・3%)、兵庫(61・7%)など。最低は鹿児島の32・1%で、低い順に岩手(38・4%)、青森(38・6%)など。40%未満は5県だった。

 大都市圏では愛知と大阪が58・1%、福岡52・8%などだった。

 進学率は20年前に比べて全都道府県で上昇し、全国平均も32・8%から21・1ポイント伸びた。一方、都道府県別の最大差は広がり、1994年の19・4ポイント(東京=40・8%と沖縄=21・4%)の約2倍になった。

 拡大の一因は大都市圏での進学率の急上昇。大学の集中が進み、20年間で東京は32ポイント、京都は27ポイント、神奈川は25ポイント伸びた。今春は南関東と京阪神の全7都府県が上位1~10位に入り、2大都市圏の高い進学率が目立つ

 下位地域は伸びが鈍く、20年間で鹿児島8ポイント、岩手16ポイント、青森17ポイントだった。下位には従来、北海道・東北・九州の道県が並ぶ。上下位地域の固定化と差の拡大で、二極化が進んでいる形だ。

 進学率が伸び悩む地域には、県民所得の低い地域も多い。都市部の大学を選ぶ際に、下宿代などがネックとなるケースもある。

 「大学進学の機会」の著書がある小林雅之・東京大教授(教育社会学)は「選択は個人の自由だが、能力や意欲のある若者の進路が居住地の環境で限られるのは社会的損失だ。大学整備は専ら私学に依拠し、大都市集中につながった。その結果、私学の半数近くが定員割れで苦しむ一方、地方では多くの高校生が望んでも進学できないという矛盾も生じている。家計負担軽減には給付型奨学金の充実が急務。地方の短大や専門学校の活用も有効だ」と話す。(岡雄一郎)

家計に負担、遠い大学 地方の生徒「本当は行きたい…」(2014年10月15日朝日新聞)

 地域によって広がる大学進学率の差は、能力があるのに進学できないという状況を生んでいる。大学の少ない地域から、大都市圏の大学をめざす高校生を持つ家庭には下宿代などの経済負担がのしかかる

 「本当は大学に行きたいんだけど、親から言われたんだよね」。青森県立の高校で進路指導を担当する50代の男性教諭は今春、3年生の女子生徒が冗談めかした言葉に、切なくなった。提出された進路調査の第1志望欄には「公務員」。国立大も狙える学力だが、重い費用負担が理由だ。大学生の兄がおり、「妹の学費まで賄えないのだろう」と推し量った。

 例年、約300人の3年生全員が進学を志望するが、今年は就職希望者が約20人。同僚と「経済的な理由だろう」と話した。かつて成績上位の生徒に東北大(仙台市)を勧めたら、生徒の親から「金がかかる。余計なこと言わないで」と怒られたこともあった。

 隣の秋田県。小中学生の全国学力調査で上位の常連だが、高校生の大学進学率は42%で全国平均(54%)を下回る。「経済状況もあり、単純に『学力調査=進学率』とはいかない」と県教育委員会の担当者は言う。

 「進学の機運を高めて、頑張る高校生を応援しよう」と県教委は2010年、東大など難関大学の現役合格者数を数値目標に掲げた県高校総合整備計画を策定。希望する高校生向けに予備校講師による「ハイレベル講座」を開くなどの支援に取り組んでいる。

以前から都会に比べて田舎の学生が教育環境で劣るのではないか?と言う指摘は少なからずあって、単純に予備校や進学塾の類は田舎にはあまりなくて街中の方が多いものですし、学生数の多い都市部の方が競争も激しくなって進学校のレベルも上がりやすいだろうと言う想像は出来るのですが、大学進学率にして2倍の差があると言われると意外と大きなものなんだなと言う印象もあるでしょうか。
ただ今回の朝日の記事はその理由として家庭の経済事情を取り上げていて、朝日らしく例によって一部の例を取り上げて進学に伴う経済的負担が進路選択の範囲を狭めていると言う話に持って行っているところが目についたのですけれども、注目いただきたいのは進学率の高い地域が太平洋ベルトと言われる人口集中地帯ほど高く、そこから離れるほど低くなると言う非常に判りやすい状態であることです。
今どき大学と言うものは田舎であってもどこにでも整備されているもので、むしろ地方の小規模大学の方が学生を集めるのに四苦八苦で定員割れを起こしかねない状況にある一方で大都市圏の大学は学生人気が高いと言いますから、「東京の大学に行きたい」などと言う大都市志望がないのであれば地元で家から安く通える大学は幾らでも見つけられそうな気がします。
いわゆる最難関大学がそろって大都市部にあることは周知の事実ですから、各県一つは置かれている地方国立大レベルよりも上のレベルを目指す一部学生にとっては確かに遠距離進学の問題も大きいのだと思いますが、もともとそうした高学力の学生はせいぜい上位数%以下であり、そのレベルであれば最低でも無利子奨学金なども十分狙えるんじゃないかと思うのですけれどもね。

アメリカなどでは家庭の経済格差も背景にありますが大学は自分で稼いだ金で入るものと言う考えが当たり前に受け入れられていて、義務教育を終わった後でまずは仕事をし学費を稼いでから進学するのは珍しくないし、プロスポーツの選手が引退後に進学して別な業界に転身すると言った話も日本よりはるかに多い、そして軍隊などでは進学面での支援も一つのインセンティブとして活用されているとも聞きます。
逆に日本や近隣の東アジア諸国では進学コストは親が負担するのが一般的な傾向で、特に中国などでは一人っ子政策で元々が過保護気味であることに加えて将来的に一人の子が二人の親を養うわけですから、子供の教育とは将来自分の老後に跳ね返ってくる直接的な投資であると言う考え方の親も多いそうです。
ただ高等教育に関しては世界的には公的負担主体で行っている国々も多いようで、将来の国を支える知的エリートなのだから当然公的に支援を行うべきと言う考え方も理解出来る一方で、大学全入時代などと言う言葉も登場してきている現代日本の大学進学の状況を見ると、もはや学士様ともてはやされた往時のような知的エリートと言う表現が当てはまるのかどうか微妙な感じですよね。
あたら優秀な人材が経済的理由で進学出来ないとなれば社会にとっても損失だろうし、国や大学が望むような優秀な学生には授業料免除や奨学金など様々な支援策も講じやすいのでしょうが、正直さして優秀でもなければ勉学に熱意があるわけでもない学生がお金がないから進学出来ない、国民挙げて支援しなければと言われても「はあ、まあいいんじゃないですかそれはそれで」と言いたくなる人もいるでしょう。
その背景事情としてやる気も能力もなかろうが取りあえず大学の名前さえあればその後の人生に有利だと言う日本の社会事情があるのだとしたら、誰でも望めばお金を気にせず大学に行けるようになる経済的環境を整えることが本当の解決策なのかどうかですが、現実的に経済的問題の方がよほど解決がたやすいと言うのも確かなんですよね。

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2014年10月19日 (日)

今日のぐり:「喜怒哀楽」

現在進行形で絶讚拡大中のエボラ問題につき、先日妙なところで逮捕者が出たと報じられています。

冗談のつもりが大騒ぎ…機内で「私はエボラだ。みんな終わり」(2014年10月12日スポニチ)

 米東部フィラデルフィアからドミニカ共和国に向かっていたUSエアウェイズ機内で、エボラ出血熱に感染していると冗談を口にした米国人男性が、到着後に防護服を着た係官に連行される騒ぎがあった。米メディアが10日伝えた。

 騒動が起きたのは8日。男性がせきをしながら「私はエボラだ。みんな終わりだな」とこぼした言葉を不安に思った乗客が乗員に通報。機内から地上に連絡がいったようで、飛行機が着陸すると、青い防護服で身を固めた係官4人が客室に乗り込んできた。係官はそのまま男性を連行していった。ハリウッドのSF映画さながらの光景に、乗客はびっくり。恐怖におびえながら、連行シーンを携帯電話で撮影していた。

 男性は「冗談だった。アフリカには行っていない」と弁明。共同電によると、結局感染は確認されず、パスポートにもアフリカへの渡航歴はなかった。男性は米国に送り返された。

 機内でこの男性の真後ろに座っていた乗客は「男性は常にせきをしていた。冗談にもほどがある」と憤りを見せた。エボラ熱は高熱や頭痛などが主な症状で、必ずしもせきが出るわけではないようだが、くしくもアメリカでは8日に、発症第1号のリベリア人男性が死亡。誰もがナーバスになっていたさなかでの出来事だった。CNNによると、乗客の中には顔を覆ったり、席で騒ぎだしたりする人もいたといい、パニック寸前だったようだ。

 また、南部ジョージア州の刑務所では、エボラ熱に感染したとうそをついた囚人の男が、偽証などの罪で訴追。リベリアやナイジェリアを旅行したと話していたため、刑務所や病院が一時、厳戒態勢を敷く騒ぎになったという。

こういうネタは極東某国の親父の得意技のような気がしていたのですが、まあ世界共通で一定数このタイプは存在していると言うことなんでしょうかね。
今日は馬鹿げた騒動を引き起こした件の男性をもって一罰百戒とすべく、世界中からもうちょっと空気嫁としか言いようがない話を取り上げてみることにしましょう。

iOS8に深刻なバグが発見 「アナと雪の女王」のアーティストがすべてピエール瀧に!?(2014年9月29日トゥキャッチ)

 先日アップルより提供された最新OS「iOS8」。さまざまなバグが報告されているが、Twitter上にもあるバグが報告され、話題になっている。

 大ヒット映画「アナと雪の女王」のサントラ盤の、アーティスト名がすべて「電気グルーヴ」のピエール瀧氏になってしまったそう。

 実際にピエール瀧氏が歌っているのは、サントラ盤の中の一曲「あこがれの夏」だけなのだが…。

 なかなかに深刻なこのバグ。次回のアップデートで修正されることを期待しよう。

せっかくの感動の大作が台無しですけれども、しかしなぜよりにもよってピエール瀧氏なのか、そこにはリンゴ社との間でどのような背景事情があったのかですよね。
先日各紙で報じられ「さすがにそれはどうよ」とネット上で大いに話題になったのがこちらのニュースです。

飛鳥京跡:「取ったら災い」警告文付き土器を公開へ(2014年10月10日毎日新聞)

 奈良県明日香村の国史跡・名勝「飛鳥京跡苑池(えんち)」(7世紀)で、「取ったら災いが起きる」という内容の警告文が刻まれた珍しい土器が見つかった。警告の目的ははっきりしないが、泥棒よけや寺の権威を示すために刻んだ可能性がある。11日から奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(同県橿原市)で始まる特別展で一般公開される。

 同博物館によると、昨年度の発掘調査で見つかり、土器は口径12.3センチ、高さ3.1センチで7世紀末ごろに作られたらしい。器の外側に「川原寺坏莫取若取事有者□□相而和豆良皮牟毛乃叙−−」(□は判読不能)などと刻まれていた。「川原寺の坏(つき)であるから取るな。もし取ったら災いが起こるぞ」という内容で、漢字と万葉仮名で記されていた。

 苑池は天皇の宮殿に付属する国内初の本格庭園で、外交使節らをもてなしたと考えられる場所。川原寺は飛鳥川を挟んで西側にあった、飛鳥寺などと並ぶ重要な寺院。苑池からは寺の名前を墨書した土器が見つかっており、宮殿とのつながりが深いとされている。
(略)

いや、取ったら災いが起きるものを取ったらいかんだろjkと言うものなんですが、これによってどのような災いが起こるのか全国民が注目ですよね。
手段を選ばずの営業活動と言えばハローキティーがつとに有名ですけれども、こちらそれに負けず劣らずもう少し手段を選ぶべきだと突っ込まれているアイドルの話題です。

「シルバニアファミリー 海の荒ぶる漁師」だこれ! シルバニア売場づくりコンテスト2014の結果発表(2014年10月1日ねとらば)

 シルバニアファミリーを展開する全国のお店が、毎年夏休み期間中に個性的なディスプレイを競う「シルバニアファミリー売場づくりコンテスト2014」の結果が発表されました。特に最優秀賞の個性がすごいです。

 第16回目となる今回のテーマは「みんなで海に遊びにいこう!」。エポック社などの業界関係者によって最優秀賞に選ばれたのは、青森県「マエダ本店」のディスプレイ。シルバニアがご当地名物・大間のマグロ漁師に扮(ふん)して「でっけ~じゃ!」と叫ぶという、本来のかわいらしいイメージと正反対の実に独創的なディスプレイに仕上がっています。完全に「シルバニアファミリー 海の荒ぶる漁師」だこれ!

 その他、シルバニアがあまちゃんのコスプレをした岩手県「サンホビーアンクル」ら2店のディスプレイが優秀賞に。ファン投票で決められるディスプレイ賞には、ビーチでの結婚式を表現した和歌山県「ジョーシン有田川店キッズランド」が選ばれました。どれもシルバニアらしいかわいさに溢れているだけに、いかにマグロ漁師が異彩を放っていたのかがよく分かりますね……。

いやもう、画像を拝見するだけでも確かに独創性は素晴らしいものがありますけれども、やはりそこはある程度空気を読んでですね…
同じく世界中で大人気と言うあのアイドルに、あってはならない不祥事が発覚している?!と言う疑惑勃発です。

「バービー人形が放送禁止用語を連発した」としてママが激怒! どう聞こえるかネットユーザーで意見が分かれて注目の的に(2014年10月4日ロケットニュース24)

金髪のロングヘアに青い瞳を持ち、おしゃれセンスが抜群のバービー人形は世界中の女の子の憧れの的だ。しかし、そんな可愛いバービーが、想像もできないような汚い言葉で悪態をついたらどうだろうか!? あらかじめ録音された言葉を喋るバービー人形が、なんと放送禁止用語を連発したと訴える女性が現れ、話題になっているのだ。

・放送禁止用語を炸裂させるバービー!?
バービーが、子供に聞かせてはいけない放送禁止用語を連発したと主張しているのは、英ウェールズに住むタリナ・エヴァンズさんだ。彼女が、娘のデミレイちゃんのために地元の店で購入したバービー人形は、あらかじめ録音された “サロンに行くわよ”、“イメチェンするのが大好き” といった言葉を喋るように設定されている。
そして、ある日バービーで遊んでいたデミレイちゃんが、子供が言うにあるまじき言葉を突然発したのを聞いて、ママはビックリ仰天!! なんとデミレイちゃんは、「What the Fuck!」と聞こえる言葉を連発する人形を真似して、放送禁止用語を口にしていたのである。
(略)
・ネットユーザーの声は!?
どうやらネットユーザーの間でも意見が分かれているようなので、いくつかコメントを紹介したい。
    「母親の考えが下品だから、そう聞こえるんじゃない!?」
    「発音が違うから聞き間違えたんじゃないのか?」
    「これは Off the Hook だろ!」
    「音声が悪すぎて、良く聞きとれない」
    「どっちに聞こえてもおかしくないな」
どちらかというと、ネットユーザーは Off the Hook 派が多数のようだ。

・製造元が一件を捜査中
そんなこんなで、バービー人形を取り上げられてしまったデミレイちゃんは最初がっかりしていたが、汚い言葉を発するのは良くないことだときちんと理解してくれたそうだ。バービーを製造・販売するマテル社がタリナさんの苦情を受け、この一件を調査中だという。
愛らしいバービーが、高らかな声で放送禁止用語を連発していると思うと少し笑ってしまったが、デミレイちゃんが代わりのバービーを買ってもらえたのか気になるところだ。

果たしてそのあたりの実際はどうなのかと動画も参照頂きたいところですが、むしろ一部の大きなお友達的にはこの方が受けかねないと言う点でも空気を読んでいただきたかったところですかね。
昔から出生にまつわる伝説的逸話は世界各地に存在していますけれども、こちら今からこの調子では伝説の落としどころがどのようになるのかと注目されているニュースです。

【怪奇】16歳の母親が「生後2カ月の息子が一瞬で成人男性になった」と主張 / 祖父は暗黒世界の仕業と推測(2014年10月1日ロケットニュース24)

世界では、説明不能と思えるような不可思議な報告されることがある。それを超常現象というのか、あるいは心理現象というのか定かではないのだが、とにかく「奇妙」と呼ばざるを得ない事件が時々報告されることがある。ご紹介するのは、そのひとつと言って良いだろう。

・一瞬で成人男性に!?
リベリアのニュース紙「デイリー・オブザーバー」が報じるところによると、まだ2カ月の赤ちゃんを背負った16歳の母親が農場に向かう途中に、信じられない出来事が起きたそうだ。その赤ちゃんは降りると言い出し、抱っこ紐を解いて下したところ、一瞬で成人男性になって茂みに走って行ったというのだ。この男性(?)の行方はいまだにわかっていないという。このようなことがあり得るのだろうか?

・2カ月の赤ちゃんが5歳児のようにしゃべった?
同紙によると、赤ちゃんが一瞬にして成人男性になったと語っているのは、中部ボング郡に住むロープ・コリーさんである。2014年9月23日の朝、彼女は息子のスミスくんをおんぶして農場を向かっていたところ、突然降りたいと言い出したという。
まだ2カ月の赤ちゃんなのに、5歳の子どものようにハッキリと話しかけてきたというのだ。コリーさんは彼の訴えを聞き入れて、背中から降ろしたところ、突然成人男性に豹変して、茂みのなかへと逃げて言ったと、同紙に話している。

・奇妙な夢
彼女は以前に奇妙な夢を見たことを明かしている。その夢とは、彼女とスミスくんが街に行き、スミスくんに導かれてドアのない家に入っていくというものだ。その家でスミスくんは客に食事をもてなしていたという。スミスくんは夢のなかで彼女に、「夢の話は誰にも伝えてはいけない」と警告を発していたそうだ。しかし彼女は自分の母親に、その夢の内容を話していた。

・祖母と赤ちゃんの関係
さらに夢のなかでスミスくんは、コリーさんの母親、つまりスミスくんの祖母がどんな魔力も追い払う力があると話して、祖母を恐れていたという。祖母とスミスくんの関係が一体どのようなものだったのか、同紙から読み解くことはできない。ちなみにこの地域では、生まれながらにして身体に傷跡や奇形があると、「暗黒の住人」である証と考えられている。しかしスミスくんにはそのような形跡は見られなかったそうだ。

・暗黒世界の仕業か
だが、スミスくんの祖父は彼の失踪が暗黒世界の仕業であると考えているようだ。今回の事件について、家族はスミスくん自身のことよりも、この出来事により家族に良からぬ噂がささやかれることを心配している。不吉な家族であるというレッテルを貼られ、怖がられることを懸念しているようである。
なお、地域の伝統的なリーダーは伝統的な方法に基づいた調査を始め、村人に数日の間農場に近づかないように警告しているそうだ。本当に暗黒世界の仕業なのだろうか? 真相が気になるところである。

まさしく野次馬的に気になるとしか言いようがない話なんですが、しかしどのような結果になったとしても我々にとっては斜め上方向の話に収まりそうな気もしますでしょうか。
最後に取り上げますのはご存知ブリからの話題ですけれども、向こうの俳優と言うものはずいぶんと自由なんだなと感じさせるニュースです。

来年の夏はコレで決まり! 日焼け跡を防ぐ画期的な『水着』がイギリスで考案される(2014年9月29日ViRATES)

日焼けしたところと、日焼けしてないところ。黒と白でくっきりと身体の色が分かれているとかなりカッコ悪い。
ここに日焼けラインを防ぐ画期的な「アイデア水着」が登場した!
この手があったか!と思わせるコロンブスの卵的なアイテムだ。

考案したのは、イギリスの俳優ボビー・ノリスさん。
まだ商品化に至っていないものの、その良さを伝えるため自ら装着し実践しているそうだ。
来年の夏までには、商品化をぜひ間に合わせてほしい!

写真を見ていただければお判りの通りまあブリ的お約束と言いますか、紳士たる努力に日々怠りはないと言いますかですが、ちなみにこの俳優さんの場合その方面ではかなり筋金入りではあるらしいですね。
ちなみにこの画像を見た極東の某島国の住民達の間では「俺なら敢えて特大サイズを注文する」との声少なからずであったそうですが、それがどのような東洋的価値観に基づくものであるのかは明らかではありません。

今日のぐり:「喜怒哀楽」

岡山駅西口から少し倉敷方面に走り裏通りに入った住宅街の一画に寿司、割烹の看板を掲げているのがこちらですが、しかし駐車場も広ければ店構えも大きなもので、二階はごく普通の割烹風な個室になっているんですが一階部分はカジュアルな雰囲気もあって、若い人のグループも結構入っているようなんですね。
面白いのはドライブスルーがあったりバラ寿司全国配送承ったりと色々チャレンジもされている様子なんですが、メニューを見る限りではごく常識的な寿司+割烹と言う感じでしょうか、それだけに唯一トンカツが紛れ込んでいるのが異彩を放っています(まあ魚アレルギーの人もいますからね)。

お任せの握りをメインに幾つか注文を加えて見たのですが、こちらの握りは色鮮やかで見た目が綺麗なのが印象的ですし黄ニラを使ったりとそれなりに面白そうなネタも出しているのですが、ともかくシャリの具合が今三つと言うところで、まるで昔懐かしい酔っ払い親父の手土産の寿司のような風情があります。
まあ昨今寿司ロボットが進化してしまって下手な職人が握るよりも真っ当なシャリが出来てしまうから困るところも多々あるのですが、ちなみに甘エビを尾頭付きで握りにするのはこちらに限らず時々見るもので、確かに見た目は格好いいのだけれども実際食べる分にはどうかと思うんですが、あれはお店の方推奨の上品に食べるやり方があるんでしょうかね?
刺身盛り合わせはタイやハマチなどありきたりなものばかりで(もっともこの手の割烹でサーモンの刺身が出るのも珍しいと言えば珍しいのでしょうか?)特別季節柄や土地柄を感じさせるものではないのは惜しいのと、熟成の加減もあるのでしょうが味は見た目ほどではないかなとちょっと残念な気がしました。
この点で地元ネタと言うことで別枠でサワラの叩きを頼んでみましたがこちらは及第で、もちろんこの時期この界隈でまずいサワラを出す店の方が少ないですから迷った際にはお勧め出来るかと思います。
天ぷらは素材、揚がり具合共に可もなく不可もなく、もちろんランチの天ぷら定食に出てくるにはこれでも十分なのでしょうが、こうして単品で出てくる分にはもうちょっとがんばって欲しい気もしますね。
味の面で意外とよかったのがタコの煮物で、タコの風味を素直に楽しめるあっさり味も柔らかいながら心地良い噛み応えを残す煮加減もいい具合なんですが、逆にこちらは見た目の肌荒れ感がちょっと残念な感じでした。

全般的には特別にこれはと言う印象に残るものはなかったのですが、高すぎない値段でこういうものを食べられる店は貴重でしょうし、雰囲気的にも若い人から年配客まで顧客の間口は広く取れそうではありますが、寿司メインよりも料理屋として使うのがベターで、シンプルに季節の煮魚あたりでご飯をいただくとか、目先の変わるランチで利用するのがいいのかもと感じたのですが、こちらのランチメニューはどうなんでしょうね?
また個人的にはたまたまこの日取ったものがそうだったのかも知れませんが、素材も調理も案外オーソドックスな料理ばかりだなと言う印象もあって、一階部分だけででももう少し弾けたメニューにもチャレンジしてみてもいい気がしましたが、メニューは種類が多いのでじっくり見れば色々とおもしろいものも隠れているのかも知れません。
トイレなど設備面はしっかりしたもので授乳室も備えているんだそうですからこれまた誰にとっても使いやすいはずですし、接遇面もフロアは若い方々中心ですが割烹らしく落ち着いた雰囲気にしつけられていて、レスポンスも悪くないので好印象でした。

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2014年10月18日 (土)

臓器移植問題から考える死の概念の変化

臓器移植もあちらこちらで実施が報じられるようになって久しいですが、逆に言えばいちいち記事になっているうちはまだまだなのか?とも思わされるのがこちらの記事です。

法改正後も臓器提供件数が低迷 社会の関心薄れ(2014年10月7日エコノミックニュース)

 臓器移植法が改正され、2010年からは書面による意思表示がなくても家族が承諾すれば臓器移植を行えるようになった。15歳未満の子どもからの臓器提供も解禁されたが、提供件数は低迷している。日本臓器移植ネットワークによると、心臓や肝臓、腎臓などに重い病気を抱え臓器移植を望んでいる患者は現在約1万3,000人にのぼる。しかし法改正が行われた後も提供件数は伸び悩み、10年で113件、11年で112件、12年で110件、13年には84件と減少し、本年は8月末の時点で44件となっている。

 臓器移植は1997年に臓器移植法が施行されたことにより、脳死下の臓器移植が認められるようになった。「脳死」を「人の死」と認め、生前に本人が書面にて臓器移植の意思表示を明らかにしていた場合に限り、家族の承諾を得てその体から臓器を摘出することができるようになった。自身の臓器提供に判断を下すことができる年齢については議論が重ねられ、最終的には民法を基準として、遺言が可能とみなされる年齢を参考に「15歳以上」からがふさわしいという結論に落ち着いた。

 しかし、15歳未満の臓器提供ができないということで、子どもの患者は国内で臓器移植手術を受けることができず、海外での治療に希望を託すしか方法がなかった。外国への渡航費や莫大な治療費を集めるために募金活動を行うケースも多く、法の見直しが行われることとなった。2010年からは家族の承諾があれば本人の意思表示が不明な場合でも臓器提供が可能となり、実質的に提供者の年齢制限はなくなった

 切実な思いで臓器提供を待っている患者にしてみれば大きな転換となったが、社会の関心は徐々に薄らいでいっているのではないか。厚生労働省が13年8月22日~9月1日に20歳以上の国民を対象に実施した3,000人規模の世論調査によると、臓器移植に対する関心が「ある」と答えた人は08年で60.2%だったが、13年で57.8%となりやや落ち込むという結果だった。反対に「関心がない」と答えた人は08年で39.8%だったのに対し13年には42.2%と上昇している。

 関心があるとした人の多くは「マスメディアで話題になっているから」と答えていた。法整備に関する議論が一段落しメディアで話題にのぼることも少なくなっている今、関心を社会に定着させる新たな取り組みが必要となっているのかもしれない。(編集担当:久保田雄城)

この臓器移植法改正に関しては以前から当「ぐり研」においても断続的に取り上げて来ているところで、特にそのバックグラウンドとして重要なのが2010年5月にWHOから「自国で臓器提供が受けられないことを理由に、海外に渡って臓器提供を受けるのは望ましくない」と、海外渡航による臓器移植を自粛すべきだとする指針が承認された点だと思います。
とりわけ日本の場合は以前から高額な補償金を積んででも海外で臓器移植を目指す人も少なくないと言う点で、地元待機患者を押しのけて割り込むような行為があるのでは?とも懸念されてきたわけですけれども、第三世界を中心に臓器をお金のある先進諸国民に商業的に提供する行為もまかり通っていることもあって、自国民向けの臓器は自国内でまかなうべきだと言う考え方が推進される状況となっています。
ただその推進にあたってやはり脳死と言う問題が大きなハードルとして立ちはだかっていることは言うまでもないことで、特に先の改正で小児からの臓器提供も認められるようになった点に関しては実施例も散見されはするものの、そもそもドナーとなる小児が被虐待児ではないことをどうやって証明するかなど課題山積で国内需要に到底追いついているとは言えないですよね。
脳死移植の前提条件である脳死そのものも「人の死とは認められない」と受け入れない方々もいて、現状日本ではそれはそれで構わない、とりあえず脳死も臓器移植も受け入れられる方々だけで移植をしていきましょうと言うかなり控えめな考え方ですが、逆に脳死は人の死ではないと言うのであればあのような状況で生き続けさせるのは問題だと、尊厳死の問題と絡めて議論したくなる向きもあるでしょう。
この点でも日本ではどうも議論が遅れがちでようやくかなり腰の引けたと言うのでしょうか、強いてそれを望む人達にとっては道はあると言った程度のルール作りがなされた程度に留まっていますけれども、海外ではそもそもの人の死の概念そのものも日本とはかなり違ってきているようで、先日は安楽死と言うことに関連してこんな記事が出ていました。

欧州で進む社会実験「12歳から安楽死」の評価は?(2014年9月29日週刊プレイボーイ)

スイスへの「安楽死ツアー」が密かな話題になっています。
ヨーロッパでは2002年4月にオランダがはじめて安楽死を合法化し、ベルギーとルクセンブルクがそれに続きましたが、自国民にしか安楽死を認めませんでした。それに対してスイスでは、外国人でも自殺幇助機関に登録でき、不治の病の末期であれば安楽死を受けられます。費用は7000ドル(約70万円)で、現在は60カ国5500人が登録しているといいます。
ベルギーで「最高齢アスリート」として親しまれてきたエミール・パウェルスさんは今年1月、家族や友人約100人とシャンパンで乾杯したあと安楽死しました。パウェルスさんは高齢者選手権で数々の記録を打ち立てましたが、末期の胃がんで寝たきりの生活を余儀なくされていました。取材に対して、「わたしの人生の中で最高のパーティだ。友人全員に囲まれて、シャンパンと共に逝くのが嫌だなんて人がいるかい?」とこたえています。
北欧やベネルクス3国など「北の欧州」はネオリベ化が進んでいて、「個人の自由を最大限尊重し、人生は自己決定に委ねられるべきだ」というのが新しい社会常識になっています。こうして売春やドラッグ(大麻)が合法化され、安楽死が容認されるようになったのですが、その流れはますます強まっています。

安楽死は本人の意思を確認できる18歳以上が原則ですが、オランダでは「子どもを苦痛にさらすのは非人間的だ」との理由で12歳まで引き下げられました。また重度の認知症で意思表示ができなくても、事前に安楽死の希望を伝えておけば、病状が進行したあとに医師の判断で安楽死させることも合法化されました。もっともどの国もうつ病など精神的な理由での安楽死は認めておらず、死が避けられないことや、激しい苦痛をともなうことが前提となっています。
もちろん、安楽死には批判の声もあります。しかし合法化から10年以上たち、当初懸念されていたような、安易に死を選んだり、家族などから安楽死を強要される、という事態が頻発しないことが明らかになって、国民のあいだで理解が広まりました。それと同時に、ドイツやイギリス、フランスなど周辺国で安楽死の合法化を求める声があがり、法制化を待てないひとたちが「安楽死ツアー」に登録しているのです。
日本では安楽死に否定的な意見が圧倒的ですが、「いつでも苦痛なく死ねるとわかったら自殺願望が消え、生きる勇気が湧いてきた」との報告もあります。安楽死によって救われるひとがいるのは確かですから、その功罪は一概にはいえません。
(略)

まさしくこれは死の概念とは何かを問う壮大な社会実験とも言うべきものですけれども、興味深いのはやってみれば案外予想していたようなトラブルは少なかったと言うことで、もちろん問題視されるべき事例が全くなかったわけでもないのでしょうが全体としてはさしたることもなかったと多くの方々が実感し受け入れつつあると言うのは、死の概念もまた現実の変化に伴って変わっていくと言うことを示しているのでしょうか。
先日内科医の大西睦子先生が書かれていたアメリカにおける経緯も似たようなところがあって、安楽死合法化をした州が増え貧困者等に対する周囲から強いられた安楽死など各種トラブルの発生も予期していたところ、実際には「「医師による自殺幇助」を選択して死を迎えた人たちの大半は、教育水準の高い白人男性であり、それまで自分の人生をコントロールしてきた、がんに苦しむ患者さん」だったと言います。
無論これが歴史的背景に根ざす文化的差異なのか、それとも脳死移植など社会のあり方が変化していく中で死に対する考え方も変化してきたのかは何とも言えませんが、つまるところ死の概念など人それぞれで理屈をいくらこねてもそう簡単にコンセンサス形成など期待出来ないし、むしろやりたい人にはある程度自由に実践させてみればさしたる問題もない上にかえってコンセンサス形成は早いと言うことでしょうか。

安楽死と言えば思わず身構えてしまう人も未だ少なくはないし、それが臓器移植とセットで語られるとなればやはり不快を感じる人もいると思いますが、人間死ぬときは自分の望むような死に方をしたいと言う考え方であれば誰しも「それはそうだ」と同意出来る話なのではないかと言う気がします。
世界的には患者が無意味な延命処置を受けず死を迎えること(尊厳死)は当然の権利であるとも見なされていて多くの国で法制化もされ、むしろ何が何でも生きながらえさせようとする方が虐待であるとも言われかねませんが、日本においては先年厚労省が音頭を取って末期高齢者は場合によっては延命処置も中断していいですよ?と言う指針が改めて出されるなど、まだまだコンセンサス成立済みとは到底言いかねる段階です。
厚労省にしてもなまじこんなご時世にそんなことを言い出したものだから「どうせ医療費削減のために言い出したことだろ」などと痛くもない?腹を探られかねませんが、言ってみればそこで亡くなるつもりで入所しているDNAR(蘇生処置希望なし)の施設入所高齢者に対してもいざ心肺停止となれば半数が無条件で病院に救急搬送され心肺蘇生処置を受けていると言うのは、やはり少し考えてみるべき状況なのかも知れません。
もちろん死という概念の間口が広がったからと言ってそれが直ちにドナー急増につながるわけでもないし、つながるべきでもない全く別問題ではありますけれども、世論調査における国民の認識から考えるとよほどに少数派に留まる臓器移植の施行数を見る限り、そういう選択枝もありなんだと言う死の概念の変化が社会に認識されてくれば、移植なども自然と数が増えてきそうな気はするのですけれどもね。

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2014年10月17日 (金)

業界のクオリティコントロール

ひと頃から現代社会の暗部の一環として孤独死と言うことが言われていますが、孤独死自体は別に生涯未婚率の上昇がどうこうと言わずともはるか昔から当たり前にあった現象で、ただ亡くなってしまった場合にかんかんのうの一つも踊って弔いをしてくれる人もいないと言う周囲とのつながりの乏しさこそが悲しさを感じさせるのでしょう。
気持ちの問題はさておくとしても、本当に親類縁者もいない孤独死ともなれば大家の方々などは部屋の後始末をどうするか頭を抱えてしまう局面も多いと聞きますし、ご親族の方がいたとしてもそうそう時間をかけて遺品整理と言うわけにもいきませんよね。
そうした社会的需要もあってか遺品整理業者と言う仕事もあるそうなんですが、これが一部では問題ある仕事ぶりなのではないかと言う記事が出ていました。

「遺品整理業者」トラブル続出 貴重品を無断回収、見積もり4倍請求…業者見極め重要(2014年10月11日産経新聞)

 故人の遺品を片付ける「遺品整理」をめぐり、貴重品の無断回収や大幅な追加料金など業者とのトラブルが相次いでいる。1人暮らしの高齢者などの「孤立死」が増加傾向にあり、今後も遺品整理業者に対する需要は高まるとみられ、国民生活センターなどは優良業者を見極めるよう呼びかけている。
 国民生活センターや社団法人「遺品整理士認定協会」(北海道千歳市)によると、業者が無断で貴重品を回収してしまったり、料金の増額を求めたりする例が頻繁に聞かれるという。

 南関東に住む60代の女性は平成24年9月、父親の遺品整理をリサイクル業者に依頼。業者は仏像や花瓶など高価なものを女性に無許可で次々に持ち去った。何をどれだけ持っていったのかも不明だという。
 関東地方に住む50代の女性は今年7月末、70代の母の遺品整理を業者に依頼した。見積もりは約30万円だったが、作業後に請求されたのは約120万円。見積もりを安く提示し、作業後に大幅な増額を求める悪質業者の典型だった。

 同協会によると、遺品整理業者は1人暮らし人口が多い関東圏を中心に増加傾向にあり、現在は全国に約9千社が存在するという。
 利用者には、故人と疎遠になっていた遺族だけでなく、故人への思いが強いがために遺品に触れることができない遺族もいる。相場も分かりにくく、泣き寝入りすることが多い。一方の業者側も、仕事を始める際に行政機関への届け出は不要で、経験不足が目立つ。

 国民生活センターは「見積もりを細かく出し、内容を説明できる業者を選んでほしい。作業に立ち会えば、突然見つかった貴重品についてのトラブルも防げる」と注意を呼びかけている。
 約14年にわたって同業を営む「遺品整理の埼玉中央」の内藤久さん(54)=さいたま市中央区=は、業者を見分ける視点として「見積もりの根拠を説明できるか」「過去のトラブルを答えられるか」などを挙げる。家族間で各自の貴重品を一覧表などにまとめておくことも勧める。内藤さんは「故人との思い出をきれいなまま残すためにも、選ぶ目を養ってほしい」と話している。(佐藤祐介)

まあしかし、こうした場合の価値のあるなしは金銭的価値とイコールではなく個人的な思い入れと言うものに依存しているとも思われますから、やはり客観的評価しか行えない赤の他人との間で行き違いが発生するのはある程度必然的なのかなと言う気はします。
別に遺品整理業者に限らず人の死に関わる業界では直接的に幾らと聞きにくい雰囲気もあってか、例えば葬儀業者なども金銭的なトラブルが多いと言いますし、お寺さんに出すお布施の金額なども諸説あって何が相場なのかもよく分からない部分がありますけれども、やはりお金の絡む問題であるだけに通常の商取引と同程度の注意は払っておくべきなんでしょう。
もちろん勝手に貴重品だけ抜き取っていくような行為はどの業界基準でも悪徳としか言えませんから、持って行かれて困るものがあるのであれば作業に立ち会うしかないと思いますが、一般的にそうした手間ひまをかけることが出来ない方々が利用する機会も多いだろうと考えると実際問題として難しいところですよね。
業者を選ぶ目を養えと言われても一生のうちにそう何度も経験することもないだけにそうそう経験値も高まらないでしょうし、何十年前に頼んだ業者が良かったからと言って今回も頼めるかと言えば営業を続けているかどうか微妙なところですが、それではこうした日常的に利用する機会が少なく、仕事の内容や費用が妥当かどうかも判断が難しい仕事を依頼するに当たって何を判断材料にするかです。
一例として高い専門性から素人には働きぶりの善し悪しが分かりにくい業界の一つとして弁護士業界があり、素人目に何とも判断しようがないからこそ弁護士会のような業界団体もその質の維持には気を遣わざるを得ないのでしょうが、高度な倫理観を備えていてしかるべきと思われている弁護士業界にさえそれは社会常識に照らし合わせてどうよ?と思われる不祥事はあるそうですね。

弁護士の不祥事許さない 弁護士会、対策に躍起(2014年10月13日朝日新聞)

 各地の弁護士会が弁護士の不祥事を防ごうと躍起だ。業務をめぐるトラブルが増え続けているためで、不祥事防止のためのマニュアル作りなどにとどまらず、強制的な調査を発動できるようにした弁護士会まで現れた。関係者は「弁護士の数が増えて仕事が減ったのも一因」とみる。

■強制調査も可能に

 東京弁護士会は昨年、市民から苦情があった弁護士の実態を調べるため、副会長経験者ら3人でつくる調査チームを設置。今年からは、チーム数を3から4に増やした。

 背景にあるのは苦情の多さだ。昨年までの5年間は、毎年約1700~2千件で推移。同じ弁護士への苦情が続いたり、預かり金の横領などの疑いがあったりすれば、チームがただちに調査に着手する

 「弁護士は市民の信頼のもとに成り立っている。仲間内でかばい合うのではなく、弁護士会がしっかり調査していく意識が必要だ」。不祥事対策を担当する柴垣明彦副会長は危機感を募らせる。

専門職の質をどう担保するかはなかなか難しいところで、単純に技能、能力に関する部分であれば各種検定や資格認定などでもある程度評価出来るかと思いますが、その技能を用いてきちんとした仕事をするかどうかは正直各人の職業的倫理観に委ねる部分が多いだろうし、弁護士のように仕事面での独立性が高い職業だと相互の業務チェックも難しいのでしょうね。
記事中で留意いただきたいのが弁護士の数が増えて仕事が減ったのも一因なる文言なのですが、例の新司法試験の導入後短期間に弁護士養成数が激増し弁護士余りとも言われる状況となり、わずか3年間で平均年収が6割も低下するなど一気にワープア化が進んだ結果、もはや喰っていくために手段を選んではいられないと言うほどモラルが低下してきていると言う指摘もあります。
ただ弁護士全体がワープア化したと言うわけではもちろんなくて、古くからの顧客をがっちり抱え込んでいるベテランは相変わらず安定的経営を続けている一方で、新卒者は弁護士会の会費も払えず弁護士活動が出来ないほど貧困にあえいでいる者も少なからずだと言いますから、根本的には業界内に産まれた格差をどうするかが問題なんだろうと言う気はしますね。
その点で業界団体としても「弁護士たる者、他に恥じるところのない倫理観を備えているべきだ」などとお題目を唱えるだけでも、また良からぬ行為を働いた弁護士個人にきついペナルティーを科すだけでも根本的解決とは言えないだろうと想像出来るところで、極言すれば弁護士会を仕切っているようなお偉い先生方がどれだけ既得権益を若手に譲ってやれるかと言う話になるのかも知れません。

弁護士などは国によってはひどくイメージが悪い場合もあるようですが、医療の世界を顧みてみると幸いにしてと言うべきか興味深いことにと言うべきなのか、あれだけ医療訴訟の頻発が問題化し医療崩壊などと言われるようなご時世にあっても医師や看護師のイメージは概して良いようで、これは日本だけではなく世界的にもそうした傾向だと言います。
人間誰しも「こいつは何をするか判らない。信用できない相手だ」と考えている場合には何であれ悪い方に取る傾向がありますから、余計な先入観で仕事を難しくしないためにも個々の人間への信頼と同時に業界全体のイメージを守ることも大事だと思いますが、これまた面白いことにほぼ唯一の医師団体と言える医師会などは(控えめに言っても)必ずしも医師そのものほどイメージが良いわけでもないとは当事者も認めているところですよね。
そう考えると業界団体主導のイメージ改善作戦の実効性も果たしてどの程度なのかと疑問の余地無しとしないですし、国民に対する印象度が必ずしもよろしくないが医師の既得権益を代弁する組織として認識されている医師会と言う組織に対して、当の医師側からおかしいことはおかしいときちんと言っていくことは医師会にとっても決して悪いことではないのでしょう。
全員加入が義務となっていて所属することが活動の必須条件である弁護士会などではこの辺りの内部批判がどの程度大っぴらに行えているものなのか?とも思うのですが、取りあえず医師会加入が医師としての仕事のあり方と全く無関係である現状はその点では望ましいことにも思えるし、なるべくなら今後もそうあるべきなんだろうなと言う気がします。

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2014年10月16日 (木)

癌大国日本は健診のせい?

この時期秋の健診シーズンで職場健診を受けられた方も多いんじゃないかと思うのですが、最近こういう記事が出ていたのですが御覧になりましたでしょうか。

日本が世界有数の「がん大国」である理由(2014年10月4日エコノミックニュース)

 世界一の長寿国である日本は、実は、世界トップクラスのがん大国でもあるという事実は、どれほど知られているのだろうか。日本人の2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで死亡する日本。だが、多くの先進国ではがんによる死亡率が減少しており、死亡率が上昇しているのは日本だけだ。その訳はなぜなのか。
 理由の1つは、日本が世界一の長寿国であること。がんは、老化が1つの原因ともされるため、高齢化にともなって高齢者の数が増えると、同時にがんの患者数も増えるのだ。
 もう1つの大きな要因は、海外と比べて圧倒的に低い、がん検診の受診率である。例えば、子宮頸がんはアメリカでは84%が受診しているが、日本の受診率はわずか25%。乳がんでもアメリカやイギリスが7割を超えているのに対して、日本は24%と低くなっている。検診の受診率が低いため、発見が遅れて命を落とす人が多いのだ。

 がんは、早期に発見さえできれば、多くは治すことができる病気である。がん患者の中で一番多い胃がんは、進行すれば5年生存率が半数を切るが、ごく初期の段階では9割以上が完治する。
 多くのがんは、初期はほとんど症状がない。逆にいうと、症状が出てから初めて病院にいくのでは遅いのだ。症状のないうちに、検診でがんを早期発見するのが重要なのは、このためである。
 がんによる死亡を防ぐために効果的だとわかっているがん検診だが、なぜ日本では受診率が低いのか。内閣府の調査では、多くの人が「時間がない」ことを理由としていた。時間的な制約のほかにも「がんが見つかるのが怖い」という意見もある。また子宮頸がんなどでは産婦人科を受診すること自体が、心理的なハードルとなっていることも考えられる。

 こうした中、8月には国立がん研究センターや国立長寿医療研究センター、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)などが新たに、1回の採血で13種類ものがんを発見できる診断システムの開発に着手したと発表した。
 新たなシステムは、がん患者などの血液中で変化するマイクロRNAに着目したもので、認知症も対象とし、2018年度末の開発を目指すという。このシステムが実現すれば、検診受診率は一気に上がり、がんの克服にまた一歩近づくのかもしれない。
(略)

健診(検診)と言うものが非常に重要視される時代ですが、病院の経営的にも癌に限らず健診で引っかかって精密検査に受診する方々の存在はそれなりに大きなものがあって、癌ともなればいずれにせよ高価な治療を受ける方がほとんどだろうし、糖尿病や高血圧など慢性疾患にしても長期に渡って通院する常連顧客になってくれるわけですから、そもそものとっかかりである受診率が低いと言うのは様々な意味で困ったことです。
まあドックなどのついでに「中年以降の男性におすすめです!」などと言われるままに高い腫瘍マーカーのセット検査などを頼むのもなんだかなあ…とは思うのですが、何にしろ発見の機会がないことには癌も見つからないものですし、多くの癌では症状が出てきた時点ではそれなりに進行しているだろうと考えると、技術的進歩で気休めではなく本当に早期発見がかなうならそれに越したことはないですよね。
ただここで注目頂きたいのは日本ではどんどん癌患者が増えている、そして癌による死亡者数も増えていると言うことで、それは世界一の長寿国なのだし癌患者は全員届け出することになっているのだから統計上そうなるのは当然とも受け止められる話なのですが、興味深いのは世界中の先進国共通で高齢化は進んできているにも関わらず、日本のように癌死亡がどんどん増えているわけではないと言われる点です。

その大きな理由の一つとして以前から日本における癌検診受診率の低さが挙げられている…と言われると「そんなことはない。今どきどこの職場でもメタボ健診だとうるさいじゃないか」と言われるかも知れませんが、そもそもあのメタボ健診の必須項目は別に癌の発見を目的にしたものではありませんし、そのメタボ健診ですら受診率は半数にも満たないと言う現実があります。
ちょうど先日週刊現代がほぼ同じテーマの記事を出していて、こちらでも検診受診率の低さが癌死亡者数増加の大きな要因とされているのですが、ここで語っている東大放射線科の中川恵一先生によれば検診を担当する医師自身の業務への関心の低さも問題だと言うのは、某基幹病院では歳をとって現場で使えなくなった医師が健診部に送られる、などと言う話を聞けば確かにその通りなのかも知れません。
いずれにしても病気が見つからないのにいくら治療技術だけ進歩向上させても意味がないし、癌の早期発見と言う意味合いを突き詰めるなら今の癌検診のあり方がいいのかどうかも議論すべきところだと思うのですが、ただせっかく癌が見つかってもその後の治療の段階でいささか気になる風潮も見られると言う指摘もあるようです。

標準医療を否定する“ニセ医学”に注意せよ―内科医・NATROM氏インタビュー(2014年10月10日BLOGOS)

がんは治療してはいけない」「出産はなるべく自然に近い状態で行うほうがよい」…。メディアやインターネット上では、こうした根拠が不明確な健康、医療情報が大量に流通している。こうした情報と向き合い、その真偽を判断するためには、どうすればよいのだろうか。長年ブログで「ニセ医学」に関する情報を発信し続け、「「『ニセ医学』に騙されないために」 」を上梓したばかりの、現役内科医NATROM氏に話を聞いた。【取材・文:永田 正行(BLOGOS編集部)】

標準医療を否定する“ニセ医学”の問題点
―「ニセ医学」とは、具体的にどのようなものなのでしょうか?

NATROM:今回の本の中では、「医学の形態をとっているものの、実は医学ではないもの」という程度の定義をしています。一般の方がよく触れているものでいえば、例えば「食事だけでがんが治った」といった話です。こうした話は、医学的根拠がないものがほとんどです。「気功でがんが消える」みたいな話も典型的ですね。
(略)
NATROM:例えば、食事療法でも「これを食べるとがんにいいかもしれないよ」くらいであれば、そこまで問題になりません。ただ、今売れているような書籍は「“食事だけ”で治った」といった言い方をしているものも多いんです。「食事だけで治った」ということは、標準医療を否定する意味合いが出てきます。標準医療とは、現時点でわかっている科学的根拠に基づいて最良と考えられる医療のことです。
手術を勧められたけど、それを拒否して食事だけで治そう」となってしまうと問題です。「ニセ医学」の提唱者に「無理にがんと闘う必要はない」などと言われて標準的な治療をやめてしまうと、病状が悪化したり、手遅れになってしまう可能性もあります。とにかく標準医療と併用していただければ、それほど問題はありません。
(略)
「標準的な医療はこういうものです。一方で、私の提供する代替医療は、医学的根拠が不十分なため、一般的には認められていません。それでも受けますか?」というところまで、きちんと説明された上で、患者さんが選択したのであれば、ある程度仕方ないでしょう。
しかし、代替医療を提供している人間の多くはそんなこと言いません。代替医療のメリットのみ説明してリスクは説明しない。標準医療のメリットも説明しません。つまり、患者さんに十分に正しい情報を提供していないケースがほとんどです。その辺をついていけば、訴訟で勝てるケースもあると思います。
そもそもほとんどの医師は、医学的根拠のある標準治療をおこなっています。それでも結果が悪ければ、訴えられる可能性があるため、訴訟リスクも考えざるを得ない。ところが好き勝手やっている代替医療を行っている医師は、何故かそれほど訴えられていない。本当に不思議ですね。
(略)
NATROM:すべてに通じることですが、「うまい話はないよ」ということが、わりと有効だと思います。「断食するだけ」「ふくらはぎを揉むだけ」で、「いろんな病気がみるみる治る」と謳うものがあったりしますが、そんなことないですよね。そうした“うますぎる話”は割り引いて聞いた方がいいと思います。
(略)
―また、ネット上では「厚労省が~」「製薬業界が~」といった陰謀論的な情報も多いです。

NATROM: これは推測ですが、今メインで病院に来ているようなご高齢の方々は、テレビは見るけれど、それほどネットはしないので、そういう陰謀論に接する機会はあまりないのではないでしょうか。
なんだかんだ言っても、今のご高齢の方は“お医者さん”を信用していると思います。80歳ぐらいの方は私が「Aですよ」というと「Aなんですか、ありがとうございます」といった反応をしてくださいます。しかし、30~40歳くらい方は、疑うというか根拠を要求する場合が多い。それ自体は非常にいいことなんですが、だんだんやりにくくなって来ている面もあります。
現在、比較的若い20~40歳代のインターネットに親和性のある方、そういう中に一定の割合で存在する陰謀論を信じている方、あるいは標準医療否定の言説を信じている方は後々苦労するかもしれません。若いうち、40歳代くらいまでの間は標準医療を否定していても、困らないかもしれません。しかし、50歳、60歳、70歳になって標準医療を否定する言説を信じていると実際に健康に有害なケースが出てくるでしょう。

―セカンドオピニオンなども含め、広い意味で根拠を求める姿勢は持つべきですが、標準医療を否定したり、陰謀論に走るあまり医師に不信感を持つと、先々本当の治療が必要になった際に困ることになってしまうかもしれませんね。

NATROM:そういう事例が出てくるかもしれないと、漠然とは思っています。その結果、被害者の数が増えると、現在反医療的な主張をしている医療関係者に対して集団訴訟が起こる可能性もあるかもしれません。
(略)

NATROM氏と言えば長年ネット界隈で言論活動を続けられている方ですけれども、別にネット上の陰謀論を取り上げるまでもなく多くの実臨床家がこうした似非科学の類による弊害を実感しているのだろうし、特に癌のような進行性かつ致死的な疾患においては「あれがなければ助かっていたのに…」と悔しい思いをすることがままあるのだと思います。
この点で実は医者の側の責任もそれなりに無しとしない部分もあって、「医者は癌と言えばすぐ手術手術と言って患者の希望など聞いてもくれない」と言う誤解も根強いものがありますし、実際に癌が見つかれば患者の希望も受容もそっちのけで勝手にどんどん話を進めてしまうベテランの先生も未だいらっしゃるようですけれども、もちろん癌に限らず放置すれば死ぬからと言って必ずしも無条件に治療しなければならないわけではありません。
ただその判断の前提として正しい知識をきちんと得た上で主体的に自分の価値観が反映された意志決定が出来ていると言うことが重要であって、例えばひと頃話題になった宗教的信条に基づく輸血拒否のケースなどは平常時に冷静な頭で決めたことであると言うことが知れ渡った結果、今や医療現場で混乱を来すようなことも少なくなり粛々と対応されるようになってきていますよね。
癌なども年齢や状態によって治療の選択枝が変わってくるのは当然で、例えば癌を治療するための施設であるはずの拠点病院でのデータでも90歳以上なら半数が癌治療を行っていない(もちろん支持療法は行っているのでしょうが)と言いますが、残る半数の治療もカメラによる早期胃癌切除術などごく侵襲の少ないものに限られるケースが大半だろうと考えると、今や患者個々の状態や希望に応じた治療がごく当たり前に選べる時代になってきていると言えそうです。

それでも代替医療の類がなぜこうまではびこり、結果として患者に不利益がもたらされてしまうのかと言うことなんですが、やはり最大の理由として代替医療を手がける方々はよく患者と話をする、言葉を交わすと言うコミュニケーションに重点を置いていて、実際にはそれが単なるセールストークだとしても患者からすると自分の希望を十分に聞いてもらった上で主体的に判断した気分になるのかも知れません。
もちろん口八丁で単なる砂糖玉を高く売りつけるのが商売の人達なんだから口がうまいのは当たり前だと言われればごもっともですが、患者のためを思って良心的に治療の選択枝を提示したのに代替医療に逃げられたと言う真面目な先生方の中には、この種のコミュニケーションの点でいささか及ばないところがあったと言う事例がそれなりに含まれている可能性はありそうには思いますね。
冒頭の健診の話に戻っても人間ドックなどで結果を説明してくれる先生がいかにもやる気がなさそうだったとか、この先生本当に大丈夫なのかいな?と素人目にも能力を疑われかねない方であったりと言う経験をした受診者の方は少なくないと思いますが、本来的には自分でお金を出してでもわざわざ受診に来てくれる上顧客なのですから、一般外来の患者さん以上に気を遣い少なくとも丁重に対応するのが筋なのでしょう。
医師自身が「あの先生は臨床能力がちょっとアレだから健診部でも担当しておいてもらおうか」と言う態度では患者側も気持ちよく受診出来ないのは当然だろうし、仮にそこで癌の疑いが見つかってもそんな先生に応対をさせている病院で治療を受けたいとは誰も思わないだろうと考えると、早期発見早期治療のとっかかりとして以前に対外的イメージの面でも健診業務は病院の重要な表看板の一つであると言う認識が必要になりそうです。

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2014年10月15日 (水)

台風接近時に見られたゼロリスク追及

先日の台風では全国各地で大きな被害が出ていましたが、そんな中でこんな出来事もあったそうです。

台風19号 「運休は午後4時からじゃ…」3時45分が最終になったJR難波駅では詰め寄る人も(2014年10月14日産経新聞)

 台風19号が近畿地方に接近した影響で、大阪・ミナミの百貨店や商業施設も、閉店時間を大幅に繰り上げるなどの対応に追われた。

 「間もなく本日の最終電車が出発します!」
 JR難波駅(同市浪速区)では、3時45分の最終電車の出発時刻が近づくと、駅員が駅構内をまわって大声で乗客に呼びかけを行った。それでも、終電を逃してしまった人は多く、中には「運休は4時からじゃないのか」と、駅員に詰め寄る人もいた
 八尾市の飲食店アルバイト、竹内まゆさん(28)は、JRが全面運休する時間に合わせて仕事を早退したが、終電にはわずかに間に合わず、「もう少し急いで入ればよかった。私鉄とバスを乗り継いで帰るしかないですね」と話し、まだ運行を続けている近鉄の駅に足早に向かった

 午後2時、岸和田市の会社員、茂永陸さん(24)は、友人と昼食のために「なんばパークス」(大阪市浪速区)を訪れたが、レストラン街はすでに台風の影響で閉店。
 商店街に移動して食事は済ませたものの、商業施設などは店終いを始めており「台風だから仕方がない。あまり遅くならないうちに帰ります」と、諦めた様子で南海電車の駅へ向かった
(略)

特に電車での移動が原則となっている都市部ではこうしたことも起こりがちですが、車社会である地方においても当然ながら道路が寸断されたり大渋滞が発生したりとその影響が少なくなかったようで、せっかくの連休も残念な結果になってしまったと思っている方々も多いんじゃないかと思いますけれども、ここではJR運休を見た方々が一斉に私鉄に流れていると言う状況に留意ください。
もちろん大量の乗客を安全確実に輸送するのが仕事である以上、鉄道各社が必要に応じて運行を休止するのは当然の判断なのですが、その結果として運賃収益減少など経営的な損害は元より記事にもあるような乗客からのクレームも少なくないはずで、ただでさえ災害対応に追われている中でクレーム対応にまでマンパワーが割かれると言うのは安全確保の上でもマイナスですよね。
乗客の側でもいきなり運行休止をされては帰るに帰れない、実際問題困ると言う事情も十分に理解出来るところですが、そもそも本当に危ないのならなぜ私鉄は運行しているんだ?と言う素朴な疑問は感じるだろうし、本当に危険だと言う根拠があるなら各社判断が違うのはなぜなのか?と気にもなるでしょう。
特に近年運行休止を決めるタイミングがどうも早くなっているんじゃないか、昔と比べてやたらに公共交通機関が止まってしまう気がすると感じている方々がいらっしゃるかも知れずですが、その背景にはこうした識者の方々の安全第一という御意見もあるようです。

13日夕~夜に中国、近畿最接近 JR、早めの全線運休を専門家も評価(2014年10月12日産経新聞)

 JR西日本は10月12日、台風19号の接近に備え、13日午後から京阪神地区で全線運休することを決定した。早めに防災対応を決める施策は「タイムライン」(事前防災行動計画)と呼ばれ、8月の広島市の土砂災害で避難勧告の遅れが指摘されて以降「空振りを恐れない対応」をとる企業や自治体が目立っている

 JR西日本は10月上旬に台風18号が接近した際にも、一部区間の運休を事前に公表したが、京阪神全域では今回が初めて。「あらかじめ周知することで、外出計画を変更してもらう方が安全」と判断したという。専門家からは「交通機関が率先して動けば、社会が事前対応を決めることができる」と評価する声があがっている。

 防災・危機管理アドバイザーの山村武彦氏は「主要交通機関が早い段階で運休を予告することで、企業や学校に警戒を呼びかけることになり、混乱を軽減することができる」と話す。

 こうした「タイムライン」と呼ばれる対応は、米国ではハリケーンの被害を抑える効果が上がっているという。山村氏は「災害の完璧な予測は不可能。安全を最優先にするなら、空振りを恐れてはいけない」と指摘している。

安全第一に考えれば早め早めに対応すると言うのは当然のことであって、もちろんそれによって災害そのものによる被害を抑えられるのは結構なことなんですが、逆に言えば災害による被害のたびにあちらこちらから批判が殺到することを受けて、何であれ事なかれ主義的に対応しているだけなんじゃないか?と言う疑問を抱く方もいらっしゃるのではないでしょうか。
以前に山形県で列車が鉄橋部で突風にあおられ脱線した事故で、某大手新聞社が「風の息づかいを感じていれば、事前に気配があったはずだ」と風速が基準値内であっても事故は予測出来たと主張、その後事故が竜巻による局所的突発的なものであったことが判明し多いに批判を浴びた事件がありましたが、この種の後知恵的批判は事故が起こるたびに必ず出てくる以上各社とも対応を迫られるのは当然ですよね。
もちろん事故の原因をきちんと究明し適切な対応を取ることは非常に重要なのですが、先の御嶽山噴火事件でも見られたように「なぜ事前に規制を行わなかったのか」と言う方向にばかり話が進んでしまえば、どれほどわずかではあっても決してゼロにはならないリスクばかりを過大に評価し何も出来なくなると言うゼロリスク症候群の弊害が出てくると言えそうです。
実際にJRでは山形での事故などを受けて運行休止の基準を引き下げた結果、私鉄各社が運行を続けている中でJRだけが止まっていると言うことがしばしば見られるようになったそうですが、当然ながらこうした状況は冒頭の記事のように乗客の流れを大いに混乱させ、一部路線への乗客殺到でホームや階段で事故の恐れが出てきたと言うのですから単純に安全性が向上したと喜んで良いのかどうかです。
今回の台風災害においても電車運休を知って車などに乗り換えた人も相応にいたと思いますが、その結果道路が大混乱して交通事故はかえって増えていたのかも知れずで、社会全体のトータルで被害が増えたのか減ったのかを検証して初めて災害対応の妥当性も評価できるはずだし、是非するべきだと思いますね。

文明が進むほど人間一人を一人前にするコストは上がっていくと言う一事をもってしても、年々人間一人の命の重さが増していくことは理解出来るのですが、その一方で一定のリスクを甘受しないと世の中うまく回らないと言う現実もあり、また一つのリスクを回避してもそれ以上に別なリスクが増えているのでは意味がないことです。
子供に対してバイ菌が怖いと過度の清潔環境ばかりを用意しているとかえって抵抗力が下がって良くないと言う意見があって、その説の是非は別としても社会的にはそうした考えが広汎に受け入れられていることを考えると、過度のゼロリスクを追及して絶対に事故は起こさないことを追及するのが果たしていいのかどうか、その結果かえって別な方面でそれ以上の弊害が出て来ないかと言う視点も必要なのかとも思います。
もちろんその上で事故が起こった際には起こらないはずの事故、起こってはならないはずの事故が起こってしまったと大騒ぎするのではなく、一定確率で起こることが予想された事故に対して粛々と定められた通りの対応をする必要があるわけですが、そんなやり方は事故の犠牲者や識者からは到底受け入れられるものではないと言う意見はあるでしょう。
ただ毎年数千人の犠牲者が出る自動車事故などに関してはある程度こうした対応が社会としても個人としても出来ていて、事故当事者も含めて車そのものを根絶せよとか運行禁止をと言う声が大きくはならないことから考えると、人間リスクを身近に体感できる環境に置かれてそれに慣れることによって、初めて客観的なリスク評価と冷静な対応が行えるようになるものなのかも知れません。

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2014年10月14日 (火)

いよいよあの手この手で社会保障費削減が本格化

久しく以前から社会保障関連の予算拡大が続き対策の必要性が言われる中で、先日来相次いでこういうニュースが出てきています。

財務省、介護報酬下げ要請 現場の処遇改善除き6%(2014年10月7日日本経済新聞)

 財務省は2015年度の予算折衝で介護サービス事業者が受け取る介護報酬を引き下げるように厚生労働省に要請する。社会福祉法人が運営する特別養護老人ホームが高い利益率を上げていることなどを背景に、報酬の引き下げは可能と判断した。介護の現場は人手不足が深刻で処遇改善への加算は拡充するが、それ以外では平均で6%のマイナス改定を求める。

 8日に開く財政制度等審議会(財務相の諮問機関)で財務省案を提示する。今年末にかけての来年度予算の編成過程で厚労省に引き下げを求める。介護報酬は介護事業者がサービス提供の対価として受け取るもので、国が一律に決める公定価格となる。マイナス改定になれば06年度以来、9年ぶりとなる。

 厚労省が3日に発表した今年3月時点の介護事業者の経営実態調査で、特養ホームが8.7%と高い利益率を上げていることなどが分かった。特養ホームには毎年生じる黒字をため込んだ「内部留保」が総額で2兆円あるとの指摘がある。財務省は多額の内部留保の活用をかねて求めている。

 塩崎恭久厚労相は7日の閣議後の記者会見で、財務省の提案について「真剣に受け止めないといけない」と述べた。介護報酬の引き下げは利用する人の負担軽減につながる一方で、事業者の利益が減ることにもつながりうる。このため厚労相は「国民負担も考え、介護に携わる人たちの満足度も考えないといけない」と指摘した。

財務省、介護保険の利用者負担の更なる引き上げを提言(2014年10月9日官庁通信社)

財務省は8日の「財政制度等審議会」で、介護保険サービスの利用者に支払いを求める自己負担について、更なる引き上げを検討すべきだと提言した。医療では最大で3割の負担を求めていることや、保険料の増大が続いていることなどを念頭に、「負担の公平性を確保する観点から、自己負担の更なる見直しが必要」と主張している。

審議会の吉川洋会長(東大大学院教授)は会合後に会見し、こうした提案に賛同する声は多かったと説明。委員からは、「現行の1割は低すぎる」「要介護度の低い利用者は大幅に上げるべき」といった声も出たという。

介護保険サービスの自己負担は1割が原則。厚労省は来年度から、それなりに所得の高い高齢者に限って2割に上げることにしたが、対象者は65歳以上の約20%に限定している。財務省はこの対象の拡大を求め、負担割合の再考も促した形だ。

ただし、利用者団体をはじめとする介護関係者の間では、自己負担の引き上げに慎重な意見が根強い。年金の給付額が徐々に減っていき、消費税などの負担が段階的に増えていく今後を見据え、サービスを使えなくなる人が増えると反論しているのだ。慎重論のなかには、「介護は利用期間が長くなるため、医療保険と単純に比べるのは乱暴」といった指摘もある。

一方で、来年度以降の自己負担の水準を議論していた当時の審議会では、より多くの人を2割に上げるよう求める声も出ていた。2018年度を見据えた今後の制度改革の議論では、このテーマが再び焦点として注目を集めそうだ。

財務省はこのほか、来年度から始まる要支援者向けのサービスの改革について、訪問介護とデイサービス以外も地域支援事業に移すよう求めた。また、掃除や洗濯、調理といった訪問介護の生活援助を中心に、軽度者の給付範囲を見直すよう改めて訴えている。

社会保障費もこれだけ増大してくると財政改革の途上にあって聖域化していられないのも当然ですが、とりわけ出費の最大要因である医療・介護領域は削り甲斐もあろうと言うものでしょう、今まではどちらかと言えば医師の裁量の範囲が大きい医療の方面でもっぱら抑制をかけてきた印象でしたが、介護領域においても聖域無き支出削減のムチが振るわれていくことになるのでしょうか。
医療の場合は高齢者医療費の削減と言うことが特に終末期医療と絡んで近年議論されていて、少なくとも完治が望めない高齢者に無条件で若年者と同様の濃厚医療をすることには否定的な状況になってきていますが、いわばオプションのサービスである医療と違って介護は日々の生活そのものであるとも言え、最低限の介護を生涯にわたって万人に提供すると言う最低線は譲れないとも言えます。
この点でコスト削減にも限度があるでしょうし、ちょうど先日も低賃金過ぎて家のローンも組めないと嘆く介護業界の中の人の実態が記事に取り上げられていたのを拝見しましたが、前述の記事においても介護スタッフの報酬は削減対象としないようにも読めるのはそうした状況にも配慮してのことなのでしょうが、単純に考えて事業所の収入が減って経営が厳しくなればスタッフだけ給料そのままと言うことも考えにくいですよね。
そしてもう一点、介護における自己負担が増え経営も厳しくなっていくと言うことは、現状でも受け入れが遅れがちな医療から介護への引き渡しがますます困難なものとなっていく要因にもなり得る理屈ですが、この方面の影響を緩和するために「それじゃ高齢者医療費もセットで引き上げましょう」と言う話にでもなるのかどうかには要注目ですよね。

もちろん介護においてすらこれだけコスト削減要求が厳しくなっているのですから、まして医療においてそれが行われないはずはないのですが、この点で医療はその内容を規定する医師の裁量権が大きいこと、そして多くの国民から救急医療など医療サービスの提供水準がこれ以上下がってもらっては困ると言う要求も強いと言う点で、単純な削減ではなく無駄を省き効率化を図っていく必要がありそうです。
医師の裁量権との絡みで言えばそれが例えば医療の標準化と言うことであって、各種の標準治療をガイドラインと言う形で示されれば幾ら学会が「これは医師の裁量権を侵害するものではない」と言ったところで、万一裁判にでもなれば裁判所はガイドラインから外れているから駄目だなどと言い出しかねない以上、好き放題勝手放題な治療はなかなかやりにくくはなってきたとは言えますよね。
一方でPTC薬の拡大や風邪薬など一部の薬を保険収載から外そうと言う動きもあって、これは保険で治療していたものを保険外に持っていくと言うやり方ですけれども、「そんなことをして万一患者がひどいことになったらどうするんだ」と言う批判の声もある一方で、特に多忙な医療現場にとっては多少なりとも労働環境改善にも貢献するんじゃないかと言う期待もあるわけです。
そしてまた、医療そのものの必要性を軽減するために健康寿命延長だ、メタボ健診による疾患予防だと様々な努力も重ねられているわけですが、ただメタボ健診なども企業にとっては努力義務であっても肝心の個人に対して何らモチベーションとなり得ない欠点に気がついたのでしょう、この方面でもようやくこんな話が出てきたと言います。

“メタボ改善なら保険料減額” 厚労省検討(2014年10月12日NHK)

厚生労働省は、増え続ける医療費を抑制するため、中高年に生活習慣病の予防に取り組んでもらおうと、メタボリックシンドロームに該当する人の血圧や血糖値などが改善した場合、医療保険の保険料を減額する制度の導入を検討しています。

昨年度・平成25年度に、歯科を除く病院や診療所に支払われた診療費の総額は概算で29兆4000億円に上っており、このうち脳卒中や糖尿病などの生活習慣病がおよそ3割を占めています。
こうしたなか、厚生労働省は、医療費の抑制策の1つとして、中高年に生活習慣病の予防に取り組んでもらうための制度の導入を検討しています。
具体的には、内臓に脂肪がついて病気になる危険性が高まるメタボリックシンドロームに該当する人が健康診断で血圧や血糖値などが改善した場合、医療保険の保険料を減額するとしています。
また、メタボリックシンドロームに該当しない人についても、血圧などの数値が正常のレベルで維持され続けている場合、優遇措置を講じたい考えです。
厚生労働省は、社会保障審議会の部会で制度の詳細を議論し、来年の通常国会に必要な法案を提出したいとしています。

まさにかつて麻生さんが口に出して一部の方々からバッシングされた話そのままじゃないか、と言うことなんですが、当然ながらアメリカなどにおいて有病者が保険料が高騰して加入することも出来ず無保険になる、そして医療費が払えずますます不健康になっていくと言う悪循環を例に出して批判する人も多そうな話です。
ただ日本の場合民間保険であるアメリカ方式と異なって公的な皆保険制度ですから、もともと負担する保険料に上限がある上に有病者だからと加入を拒否される、あるいは法外な保険料を要求されると言うことはなく皆共通の費用で負担あって、ただその中から特にがんばって健康改善を達成した方々には優遇措置を講じましょうと言う話ですよね。
もちろん保険の仕組みを考えるならば、こうして一部の方々が優遇された分は回り回って最終的にはその他の方々の負担増として還元されていくはずですけれども、どこからボーナスを支給するかは幾らでも裁量の余地がある以上、例えば全体の1割2割と言った少数の方々だけがようやく達成出来るような高い水準の基準値を設定しておけばそもそも大したコスト増加にはならないのかも知れません。

こうして厚労省が筋道を立てて話を出してくると別にどこからも突っ込まれる余地のなさそうな当たり前の話に見えるだけに、かつて麻生発言を叩いていた方々がどういう態度を示すのかと言うこともなかなか興味深いのですけれども、「医療費負担ゼロの生保患者が一番いい医療を受けられる」などと言われるように、日本の医療システムは平等性を最優先するあまりしばしば逆差別的に感じられる部分もあったのは事実ですよね。
余分にお金を出してでも望み通りの医療を受けたいと言う方々に対しては近年徐々に混合診療の実質的な解禁が進んできたところですが、逆にとことん医療費負担を減らしたいと言う方々にとっては「病気になってもどうせ病院になど行かないのに、高い保険料ばかり払わされて馬鹿馬鹿しい」と保険料未納の動きすらあるとも言いますが、当然ながらそうした方々が増えるほど保健医療制度そのものも怪しくなってきます。
何でもかんでもとりあえず病院に行って高い検査をバンバン受け、飲まない薬をどっさりもらって「元を取った」と喜んでいる人も中にはいると言うくらいで、無駄な医療費を使わないことへのインセンティブが何かしらあってしかるべきだと言う意見も根強くある一方で、そんなことを制度化すれば医療が必要なのに我慢してしまう人が増えるじゃないかと懸念する反対論もあります。
そういう意味で本当の病気に関してはいささか扱いが難しいところもあるのですが、そもそもその必要性自体も未だに賛否両論あるメタボ対策がインセンティブ付与の第一歩になると言うのであればさしたる副作用もないのだろうし、健診など面倒くさいと言うばかりで病識に乏しい世のお父さん達に対しての啓蒙的効果も期待出来ると、一石二鳥も三鳥もあるよいアイデアであるかも知れません。

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2014年10月13日 (月)

今日のぐり:「哲多食源の里 祥華」

人間人生をかけた一発大勝負に出なければならないことはままありますけれども、それに失敗した場合にどうなんかです。

求婚拒絶され諦められない男、相手の女性にしがみついて離れず。(2014年10月2日ナリナリドットコム)

先日、中国のネットで話題になったとあるプロポーズ現場。中国版ツイッターの微博に投稿された写真には、ひとりの若い男性が女性の脚にしがみつき、顔を埋めている姿が写し出されている。その傍らには花束。女性の格好を見る限り、どこかの工員で、男性はその同僚だろうか。後方に佇む野次馬も同じような格好をしていることから、恐らくふたりが働く工場近くで撮影されたものだろう。

男性は拒絶されても女性にピタッとくっつき、離れようとしない。女性は必死に掴まれた脚をほどこうとするが、男性はやはり離さず、しまいには押し倒してしまう。それでも女性を離そうとしない。こうなると女性の意向などまったく関係ないようにも思えてくるが、それだけ男性はこの女性を愛しているのだろう。

最終的に女性が求婚を受け入れたのかどうかは定かではないが、この写真の数々は中国のネットで一気に拡散。多くの人の目に触れることになってしまった。

写真の方を参照いただければ状況は一目瞭然ですが、しかし昨今あまりに劇的な求婚を演出する流行があるそうですが、失敗した時のリバウンドはハンパないですよね。
今日は同情を呼ばずにはいられないこの男性に哀悼の意を表する意味も込めて、世界中から「気持ちは判らないでもないが…」と言うニュースを紹介してみましょう。

こりゃはずかしい~!! 海外の無断・迷惑駐車に対するおしおきが大胆すぎて笑っちゃう(2014年10月2日Pouch)

ドライブするときに必ず気になるのが「駐車場」。ちゃんと駐車スペースが見つかればいいけれど、「ちょっとだけだし」「ここなら大丈夫でしょ」と駐車禁止の場所に停めちゃったこと、ドライバーなら一度や二度はあるはず……。

でもね、停める方は「まあいいじゃん」かもしれないけど、停められる方は「もういい加減にしてくれーーー」と怒り心頭なわけで、海外サイト『AcidCow』に掲載されているように、愛をこめて思わずおしおきしちゃうこともあるんです!! 

ただ、これが日本ではなかなか見かけない大胆さで……笑っちゃうのよ~。
(略)

これまた是非とも元記事の画像を参照いただきたいと思いますが、まあそうするに至った気持ちはよく判ると言う状況ではありますけれどもね…
以前にハロウィンの仮装でご近所を訪れた留学青年が住民から射殺されるという痛ましい事件がありましたが、この場合どうなのか?となかなかに微妙なニュースです。

海賊コスプレの男性、強盗と間違った住民が襲撃 米フロリダ州(2014年10月1日AFP)

【10月1日 AFP】海賊人生は楽じゃない──人気映画シリーズ「パイレーツ・オブ・カリビアン(Pirates of the Caribbean)」の衣装を着て歩いていた米フロリダ(Florida)州の男性は、武装した近隣住民2人に襲撃されたとき、そう察した。

 9月29日付の地元紙サン・センチネル(Sun Sentinel)によると、ラリー・ハルカル(Larry Harcar)さん(49)はキャプテン・ジャック・スパロウ(Jack Sparrow)役で俳優のジョニー・デップ(Johnny Depp)が主演する同映画シリーズのファンで、2丁のおもちゃの銃や剣も含め、全身完全に仮装して近所を歩いていた。だが近隣住民の2人はその姿をみておののき、強盗だと勘違いしたという。

 アフメド・オスマンさん(24)とムハマド・アフマドさん(22)は警察に通報してハルカルさんを追いかけたが、ハルカルさんがダニアビーチ(Dania Beach)の住宅に入るのを見て、自力で解決する道を選んだ。2人は拳銃を取り出してハルカルさんを地面に伏せさせ、頭部に拳銃を突きつけながら暴言を浴びせた。

 ブロワード(Broward)郡保安官事務所のステファニー・ニュートン(Stephanie Newton)刑事によると、オスマンさんは、衣装に「恐怖した」と語っているという。2人は銃器による加重暴行や不法監禁などの容疑で逮捕され、それぞれ8500ドル(約90万円)の保釈金を支払って保釈された。

 ハスカルさんは、趣味でジャック・スパローの衣装をよく着ていると語り、2人に声をかけられたときは衣装を直すために自宅に戻るところだったと述べた。

 オスマンさんの弁護士は、誤解により生じた事件だったと語る。「この事件は全部、誤解だった。(ハスカルさんは)銃と剣を所持していたが、2人はそれが玩具だとは知らなかった」と同弁護士は述べた。

いや、そういう場合に追い掛けるのはどうなのかとも思うのですけれども、まあ犯罪者の格好をして町を出歩く以上こうした危険は覚悟の上なのでしょうか。
飲食店も競争が激しいもので顧客獲得にあの手この手ですが、とうとう使ってはならない禁じ手を使ってしまった店主が逮捕されたそうです。

リピーターを増やす為、食事にアヘンを入れていたラーメン屋オーナー逮捕(2014年9月27日日刊テラフォー)

中国のラーメン屋のオーナーが、リピーター客を増やすために、ラーメンの中にアヘンを混入していたことを認め、有罪判決を受けた。

ラーメン屋オーナーのチョウ被告は、店で提供していた料理の中にケシの実を砕いて入れていた。

今月初めに、店の常連客の一人リュー・ジュユーさん(26)が、定期的に行われていた検問で偶然止められ、検査をしたところ、違法薬物の陽性反応が出たことで事件が発覚し、チョウ被告は全てを白状した。

リューさんは、薬物の陽性反応が出た時、驚愕した。
違法薬物など使用したこともないにも関わらず、リューさんの体内から検出されたのは、麻薬の中でも特に巨力で恐ろしいとされているヘロインだった。

リューさんは、違法薬物使用の疑いで逮捕され、15日間拘留された。
だが、リューさんが検問を受けた日にチョウ被告のラーメン屋で食事をしたことを家族が突き止めて報告したことで、リューさんは何とか身の潔白を証明することができた。

チョウ被告は罪を認めたものの、裁判の判決を不服として控訴した。
だが棄却され、収監されたのだが、たったの10日間服役しただけだった。

無実のリューさんが15日間拘留されたことを考えると、あまりにも理不尽だ。

まあしかし日本においても中毒性のありそうな魔法の白い粉を使っているお店もあるとかないとかで、これまた使いたくなる気持ちは判ると言うところでしょうか?
ブリからの話題を二題続けて取り上げてみますけれども、こちらその気持ちは十分理解出来ると言う同情の余地あるニュースです。

「次降りますボタン」を押され続けたバス運転手、激怒してドアをロックして町内を周回/英(2014年9月30日メトロ)

あなたはこの運転手へ同情を持つことはできますか?

先週の金曜日、ウィガンを走るバス車内で、子供が「次降りますボタン」を繰り返し押すというイタズラをしていたとのこと。
注意をしたものの止める気配は無かったそうです。

怒った運転手はバスのドアをロックし、降車させず街中を走行し続けるという行為に出ました。
最終的には住宅団地前で停車、児童は降りたいと窓をたたく等して懇願していたとのこと。
また車内に残っていた生徒らは学校の校庭に戻されました。

児童の両親は激怒しているものの、バス会社は運転手の行動を擁護しています。
「子供のマナーはぞっとするようなものだった。 学校が児童の躾をきちんとしないかぎり、二度とこのルートを走ることはないだろう。」

しかしこれはしつけがなっていない子供と見るべきか、早くもブリ的いやがらせの神髄を理解した逸材だと見るべきか微妙なところでしょうか。
最後に取り上げますのもやはりブリからの話題なのですが、まあ結婚結婚と言うところからさらに一周して妙に解脱してしまった人は少なくないですが、ねえ…

独身はもう飽き飽き!自分と結婚した女性/英(2014年10月6日日刊テラフォー)

結婚相談所やお見合いサイトなども散々利用したけど、結婚相手が見つからなくて、独身であることに飽き飽きしている人は、たくさんいるだろう。
でも、結婚ばっかりは、自分ひとりではできないので、仕方がない。
―と、諦めるのはまだ早い。英国のある女性は、英国で初めて、自分自身と結婚した。

グレース・ゲルダーさんは、公園のベンチで自分自身にプロポーズし、50人のゲストを招いて、盛大な結婚式を挙げた。
グレースさんは、6年間の独身生活を通して、自分自身と向き合い、素晴らしく良好な関係を築き上げた。そして、気が付いた。
「これほど自分のことを分かってくれるのは、自分しかいない!他の人となんて、とても結婚できない!」
グレースさんは、歌手ビョークの曲『Isobel』からも影響を受けている。
『Isobel』には「私の名前はIsobel、私は自分と結婚したの。」という歌詞がある。
グレースさんはこの歌詞に共感し、自分ひとりでバージンロードを歩こうと決意した。

昨年11月にプロポーズしてから、挙式した今年3月半ばまで、式場の決定や招待客の選別、ドレス選びなど、普通の結婚式と同じように結婚の準備を進めた。
唯一普通と違うのは、式の主役がグレースさん一人だということ。
式の1ヶ月前には、マリッジブルーまで経験した。
式当日は、実の姉や友人達に見守られる中、鏡の中の自分とキスをして、永遠の愛を誓った。
「ちょっとナルシスト的だという指摘を多々受けますが、実際に、この結婚式は自己愛への声明でもあります。
でも私は、自分のモチベーションに従って式を挙げて、本当に満足しています。」
グレースさんは、結婚したことを示す公的な書類は持ってはいないものの、自分がもう独身ではないことを、とても嬉しく思っている。

どう解釈すべきか微妙な話題ではあるのですが、そう考えてみると確かに自分自身こそ最良のパートナーと言う考え方は一理ありますかね。
写真を見る限りでは大勢の方々に祝福された幸せな門出であったようですが、その幸せが末永く続くことを祈念したいと思います。

今日のぐり:「哲多食源の里 祥華」

岡山県県北は新見市哲多町に位置するこちらのお店、周りは本当に山ばかりと言う立地ですがなかなか立派な店構えで繁盛されているようですよね。
席さえ空いていればそのまま入れるのですが、基本的には予約制と考えるべきであるようで、特に週末の食事時はほぼ満席と言う状態が多いようです。

今回は季節ネタの多そうな旬彩たまて箱なるものを注文してみたのですが、客層を反映してか全般的に精進料理を思わせるあしらい方のものが多い印象で、それだけに先付けにローストビーフの一切れが加えられているのが妙に異物感があります(まあ新見市特産の千屋牛も名物ではあるようですが)。
お造りなどは海からは遠い土地柄かネタ的にはあまり特徴がなくありきたりで、せっかくですから刺身こんにゃくなどを出してもいいかなと思うのですが、煮物で出てきた湯葉は穏やかでいい味わいでほっとしますね。
天ぷらもごく一般的なネタがほとんどで山菜の天ぷらなどもあればいいのにと思うのですが、全般にさくさく食感で海老のプリプリ感もあるし天ぷらとしては別に悪くはないかなと思います。
ご飯として牛飯がつくのですが、牛丼と違ってかやくご飯に生姜の効いた牛肉がトッピングされたと言うスタイルで、この肉は冷まさなければもっとうまかったかとも思うのですが、こういう冷えた牛肉も独特の風味があって好き好きでしょうか。
汁物としては近隣の草間地区が蕎麦産地のせいかかけ蕎麦が出たのですが、草間地区で供されるような田舎蕎麦ではなく細打ちの割合にしっかりした蕎麦で、もちろん蕎麦として考えるとこっちの方がいいんですがこうした料理の中での汁物として考えるとすぐ食べないといけないものはちょっと困る面もありますね。
最後に水菓子として出てきたのが一見当たり前のアイスなんですが、これが食べて見ると小豆の味がすると言う何とも不思議なもので、これまた近隣の特産品である備中白小豆を使ったものなんだそうです。

よく見るとドリンクメニューもかなり充実しているようなんですが、この辺りは宴会向けなんでしょうか、前述の予約のことを別にしても料理に関して曜日限定だったり要予約のメニューもあるので飛び込みでの利用には注意はいりそうです。
全体にボリュームは控えめですが主食が牛飯ですから食べるとほどよい満足感と言うところですし、それなりには地元らしい食材も入っているだけにさらにこの路線を徹底していただければ部外者にはうれしいかなと思うのですが、ただ客層を見ていますと地元の方々の法事等での利用が多いようですから、まあ地元民としてはお金を出してまでいつも食べているようなものは食べたくはないでしょうし難しいのでしょうね。
接遇面では全般的に丁寧で繁盛店にありがちな嫌味などもないですし、見ていて意外なほど厨房のオペレーションもよく組織化されてきびきびしているのは好印象である一方、小綺麗に調えられてはいても和式主体のトイレはやはりご老人客にはどうなのかなと思ってしまいますが、これも回り回って洋式は使い慣れていないだとか言った事情もあるのでしょうか。

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2014年10月12日 (日)

今日のぐり:「山陽道吉備サービスエリア下りフードコート」&「山陽道龍野西サービスエリア上りフードコート」

何かと世知辛い世の中ですが、先日こういうちょっとショッキングな記事が出ていました。

「30年間窓際って、ある意味メンタル強すぎやろ」兵庫・新開地のゲーセンのポスターが”人の痛いところをついてくる”と話題に(2014年10月8日トゥキャッチ)

 兵庫県神戸市の新開地駅と高速神戸駅をつなぐ地下通路にある「メトロこうべ」。そこにあるゲームセンターのポスターが「人の痛いところをついてくる」とTwitter上で話題になっている。
(略)
 「その1」から「その11」まで投稿されている。美少女が問いかけてきてくれるが、どれも読んでいると胸が痛くなってくるものばかり…。

 話題になっているゲームセンターは同地で営業している「メトロPLAYLAND ZOO」のもの。

 なぜこのようなポスターを製作したのか…。その意図が知りたい。

かなりきわどい内容の突っ込みを入れてくる真意は何とも判断しかねるところですが、何かしら利用者のM属性に訴えかけるだとかそういう目的があるのでしょうかね?
今日は思いがけない場所で不意打ち的にダメージを負ってしまっただろう心弱きゲーセン利用者の方々にご同情申し上げながら、世界各地からなぜそうなる…と言う微妙な話題を取り上げてみることにしましょう。

二日酔いにラーメン二郎が効果的なことが判明 アルコール過剰摂取後に意外な健康効果 (2014年9月29日もぐもぐニュース)

昨日は休みだったからと飲み過ぎて、二日酔いの頭を抱えている人に朗報だ。ラーメン二郎を食べるべし! そんな超ヘビーなものは無理、と思うかもしれないが、二郎には二日酔いに思わぬ効果を持っているのだ。
そもそも二日酔いとは、アルコール飲料を過剰に摂取することにより、アルコール(エタノール)がアセトアルデヒドに代謝され、体内にのこっている状態だ。また身体的に見てみると、脱水症状や肝機能の低下が起きている。またアルコールの分解には多量のエネルギーも不可欠。

■イギリス人も二日酔い対策に二郎的なものを食べてた!

だから英国では二日酔いの翌日に、ベーコンエッグとトーストを食べるという民間療法があるし、専門家もこれを“正しい”としている。要は、炭水化物や脂肪でアルコール分解のためのエネルギーを、さらに肝機能を高めるためにタンパク質を摂れる。そういう食事が理想的なのだ。
そこで、ラーメン二郎の出番。二郎のラーメンならではで、タンパク質(ブタ)、糖分(麺)、脂肪分(ブタとスープ)が、アルコールの分解を助けてくれるわけだ。
またビタミンB1は肝臓内でのアルコール分解に必要な栄養素で、お酒を飲むことにより消費されてしまうが、ニンニクや豚肉にはこれが含まれている。なので通常のラーメンよりも肉の多い「小ブタ」を「ニンニク」で食すのがおすすめ。

■二郎愛好家たちには二日酔いはよく知られていた

二郎愛好家が多い慶応大学の体育会系OBによれば、「二日酔いの翌日はみんなで鍋二郎をよくやりましたね。みんなで食べるので量的にもちょうどいい。これを食べると、自然と二日酔いが治るんです」とのこと。
とはいえ、実際二日酔いの翌日に二郎の「小」といえど、食べるのはキツイだろうから「麺半分」などが現実的。また二郎はしょっぱいし、二日酔いでただでさえ脱水症状なので、とにかく水を飲みまくることも必要だ! 二日酔いの皆さん、今晩あたり二郎はいかがでしょ。

いやまあ、ラーメン二郎が食えるくらいならそもそも二日酔いではないと言う考え方も出来るわけですけれども、二日酔いには効果があっても別な方面で悪影響があったりも考えられますかね。
先日思わず二度見したと言う人続出なびっくりニュースが出ていたのですけれども、幾らなんでもそれは…と思ってしまうこの話は本当なのでしょうか。

『テトリス』の映画化、ついに決定(2014年10月1日WIRED)

『Wall Street Journal』紙のブログ記事によると、ゲーム「テトリス」が映画になるようだ。

テトリスは、もともと旧ソ連の科学者アレクセイ・パジトノフらが教育用ソフトウェアとして1984年に開発し、その後、世界各国で大流行したゲームだ。前述の記事によると、制作会社のThreshold Entertainment社が、パジトノフ氏が共同創設したThe Tetris Company社と提携して、落ちてくるブロックと、それらが1列のつながりを求める果てしない旅の物語を、超大作映画に仕立て上げるという。

Threshold Entertainment社がヴィデオゲームの映画化を手がけるのは、今回が初めてではない。同社はこれまでに、格闘ゲーム「モータルコンバット」関連の映画やTV番組を多数制作している。

Threshold Entertainment社のラリー・カザノフ最高経営責任者(CEO)は、すでに新しい物語が生まれていると明かしたうえで、次のように述べている。「これは非常にスケールの大きい壮大なSF映画だ。ブロックが列になって画面を走り回るような話ではない。図形に足を付けるようなこともしない。映画『テトリス』で目にするのは、銀河系間に重要な意味をもつ何ものかの、まさに氷山の一角になるだろう」。

脚本家はまだ指名されていないうえ、監督もキャストも未定だ。リリースの日付はもちろん、スケジュールも決まっていない。

『テトリス』の映画に関する最大の疑問は、まったくのところ単純な「なぜ?」だ。しかしその疑問は、「ブロックを積み上げるパズルゲームから映画を制作できるなんて、どうして考えられるんだ?」ではない。「『テトリス』にはすでに秀逸な動画がすでに存在する(文末に掲載。テトリスを通してソ連の歴史を解説する音楽動画)というのに、なぜこれに勝るものをつくろうとするのか」だ。おそらく、世の中には答えのない疑問というものがあるのだろう。

すでにネット上ではその内容の予想で大盛り上がりと言う状況ですけれども、それにしてもやはり「なぜ?」ですよね…

世の中どうしても怖い、耐えられないと言うことはあるわけですが、それに敢えて挑戦する意味があったのかどうか微妙…と言う少年の話題です。

なぜ乗った?ローラーコースターが怖すぎて失神→気が付いたけどまた失神(2014年10月2日IRORIO)
http://e.mag2.com/1mUIsUz
好きな人と嫌いな人がはっきりと分かれるローラーコースター。この動画に登場する2人は、明らかにローラーコースターが苦手らしく、出発前には緊張した表情が見て取れる。

特に右の男の子にはこのローラーコースターは刺激が強すぎたようだ。

一気に高いところに昇りきったところで、ひとしきり叫んだかと思えば気を失ってしまった。

これに気付いた隣の少年は笑い出してしている。驚くのは失神→気が付いたけどまた失神→気が付いたけどまた失神と、計3回も気を失ってしまったこと。

これほど怖がりなのに、それでも乗ってみた彼の勇気は、称賛に値する……かもしれない。

その状況は動画を御覧頂くのが一番速いと思いますが、それにしてもなぜ?と言わざるを得ないこれは奇妙なチャレンジですね。
お隣中国と言えば昨今すっかり当「ぐり研」でもおなじみですけれども、先日もこんな様々な意味で突っ込まれ甲斐のあるニュースが出ていました。

「これが中国流なのか…」損害賠償の払い方がひどすぎるとニュースに(2014年10月9日らばQ)

中国南部の昆明市のレストランで、女性客が皿が汚れてるとクレームしたところ、腹を立てた店主が「支払いが不足している」と言いがかりをつけた上、暴行するという事件が起こりました。

裁判所は、店主の男に1600ドル(約17万円)の損害賠償を命じたのですが……。

その支払い方法をご覧ください。
(略)

実際に何がどうだったかは是非元記事の画像を参照頂きたいところですが、これも子供時代に一度は考えることはあってもここまでの規模でと言うあたりが中国流なんでしょうか?
飛行機が遅れると言うのは何にしろいい気分はしないものでしょうが、こちらいくら何でもその理由は…と言う奇妙なニュースです。

カニ逃走で離陸遅れる NY空港(2014年10月9日CNN)

ニューヨーク(CNN) ニューヨークのラガーディア空港でUSエアウェイズ航空機の貨物室に積まれていた小型の「カニ」が多数逃げ出し、離陸が約30分間遅れる珍事があった。

同航空の親会社であるアメリカン航空の報道担当者によると、「カニ騒動」はノースカロライナ州シャーロット行きの890便で2日夜に発生。機体整備士らが逃げたカニを追い掛け、捕獲する羽目に陥ったという。カニは同空港で890便に積み替えられた際、逃げ出したらしい。

カニの輸送の目的は不明としながらも、航空会社は生きた動物を含む様々な貨物を運んでいるとも説明した。

同便の乗客によると、USエアウェイズ航空は空港で搭乗客に対し「カニが原因で出発が遅れる」と発表したという。この乗客はツイッターに「箱1つに入っていた生きたカニが逃げたため離陸が遅れた」と書き込んでいた。

別の乗客は、遅れが長引かなかったため搭乗客の怒りは強くなかったとしながらも、「遅れの理由には首をかしげるだろうけども」と付け加えた。

こういう理由だと説明される乗客の方も首をひねるばかりだったでしょうが、カニを追い掛ける整備士達もまさかこんなことをさせられるとは思ってもいなかったでしょうね。
最後にご存知ブリからこういうニュースを取り上げてみますけれども、これは解釈の余地が大きく非常に微妙な話題ですよね。

自暴自棄で横領続けたが…がんが思わぬ完治(2014年10月8日産経ニュース)

 英南部ボーンマスに住む女(61)は勤務先で総額約39万ポンド(約6800万円)の横領が発覚し、刑務所で4年間を過ごすことになった。がんになり、「どうせばれる前に死ぬ」と思い、7年にわたって横領を続けていたが、がんは完治した。

 地元メディアの報道によると、女はきょうだい2人をがんで亡くしている。自身も死ぬと確信し、くすねた金で家族と豪遊していたが、治療が予想外の効果を挙げた。(共同)

いやまあ、どうせ死ぬからと好き放題やってもいいと言うものでもないのでしょうが、定期的にこの種の話題は出るだけに人間生きていくが故にセーブされている欲望はよほどに多いのでしょうね。
この場合幸運なのか不幸なのかと言う判断は別れるところだと思うのですが、いずれにしても自らが招いた結果であるだけにまずはやるべきことをやって来てから人生を謳歌されるのがよろしいでしょう。

今日のぐり:「山陽道吉備サービスエリア下りフードコート」「山陽道龍野西サービスエリア上りフードコート」

民営化の影響なのか昨今では高速道路のSAもにぎやかなようですが、たまたま立て続けに二つばかりSAのフードコートを利用する機会がありました。

まずは岡山県の吉備SAですけれども、定食主体のレストランを補完する意味なのかメニューは麺類とカレー中心で、ちなみにここのラーメンは地元老舗の「すわき」が出しているらしいですね。
料理長のおすすめで結構出てる様子の特製牛バラ煮込み丼を食べて見ましたが、スタイルとしては温泉玉子をトッピングした牛丼なんですが、その牛がカレーなどに入っていそうな角切りバラ肉であるのが特徴で、そういえば豚ではなく牛肉でバラ煮込みは珍しいですよね。
食べて見ますと悪くはないんですが豚バラ煮込み的なトロトロと言うのとは違ってどうしても牛の脂の食感が気になるのですが、牛肉煮込みにこだわるのであればスネやスジを使った方が牛煮込みっぽいのかなとも思いました。
とは言えご飯のボリュームもかなりあるし、牛丼屋の紙のような薄切り肉と違ってバラ肉の塊がゴロゴロですから肉の食べ応えだけでもかなりなもので、これ一つで満腹感は相当なものと言いますか牛丼屋のあれのようなつもりで頼むとむしろ重すぎるかも知れません。
メニューを見ていて丼物などはオリジナリティも出しやづいのだからもっと充実させてもいいと思うんですが、こういう場所ではやはりオペレーションの都合もあるのでしょうか、まあうどんやラーメンならトッピングの違いだけでバリエーションも増やせるし簡単なんでしょうね。
個人的にこういう場所はおばちゃんが働いているイメージだったのですが、こちらは街の繁盛店のようにスタッフが若くて元気がいいのも特徴で、特にこういう賑やかな場所ですのでうるさいと思われても大音量のマイクプラス大きな声で呼び出すのは正解だなと感じました。

さて、龍野SAのフードコートでは一見同じような煮込み牛丼なるものを頼んで見たのですが、こちら見た目が牛丼屋以上に貧相な牛丼なのはご飯とトッピングのバランスが悪い上に、盛りつけ方も乱暴なせいか数少ない肉が丼の端に偏ってしまって、真ん中に不毛地帯が広がっているからであるようです。
いくら早さもご馳走のSA飯でももう少し見た目にもこだわろうよ…と正直思うのですが、食べて見ますと予想に反して味は牛丼屋とは全く違っていて関西風と言うのでしょうか、あっさりしたダシの味で食べさせる方向を目指しているようですが、ただこのダシの味自体は正直あまり感心できません。
牛丼屋のタレも確かに関東っぽいと言いますか考えようによっては癖もありますからこれ自体はおもしろいですし、肉自体の質も牛丼屋よりはいいとは思いますが、ただ個人的にはこういう味の組み立てであれば見た目的にもボリューム的にも卵とじの牛丼(他人丼)の方が良かったのでは?と言う気もします(ちなみに他人丼も関西発祥の料理と言いますしね)。
全般的に付け合わせの味噌汁も含めてダシの味が物足りないのがなんとも寂しい味に仕上がっている一番の理由だと思いますが、さらに加えて値段は町の牛丼屋の倍以上なのですからせめて見た目の貧相さは何とかして欲しいところで、このあたりは同じ煮込み牛丼と名乗っていても見るからに肉盛り状態の特製牛バラ煮込み丼@吉備SAに一番見劣りするところですね。
ちなみにこの煮込み牛丼、割り箸とともにサジもついて提供されること自体はいいのですが、多忙な時間帯にトレイに並べる作業や後の洗浄・廃棄の手間を考えるとこういう場所なのですから、勝手に備え付けのストックから好きな方を取らせてもいいのでは?と言う気もするのですがどうでしょうね。

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2014年10月11日 (土)

「皇太子殿下も気にかけられているっ!」減塩運動の行方

今日は当「ぐり研」の本分に沿った軽い話題を取り上げてみますけれども、まあそれは答えるにも困るわなと言う話が出ていますが、こちらの記事から紹介してみましょう。

皇太子さま「減塩運動は続いていますか?」 22年前のご記憶に秋田知事大慌て(2014年10月6日産経新聞)

 「減塩運動は今でも続いていますか?」。3、4の両日に秋田県を訪問した皇太子さまが、そう質問されたというエピソードを、佐竹敬久知事が6日の定例記者会見で明かした。

 皇太子さまは22年前の平成4年、第4回全国農業青年交換大会開会式臨席のため県内入りした際に県立脳血管研究センター(秋田市)を視察されている。その際に、県民病といわれた脳卒中の予防対策として減塩運動について説明を受けられたという。

 佐竹知事によると、「その成果はどのように出ていますか」と皇太子さまからご質問があり、「ご記憶がよく(返答に)あわてた」と話した。その上で「秋田のことについてご理解いただき、いろいろな面でお励ましをいただき、ありがたく思っています」と述べた。

皇室と言えば数年前に天皇陛下が琵琶湖などで問題化するブルーギルの食害に関して、自ら皇太子時代にブルーギルを米国から持ち帰った経緯に触れて「心を痛めています」と述べられた事が当時大いに話題となり、「陛下も心を痛めてるッ!」なるキャッチフレーズでブルーギルを使ったファーストフードが売り出されたことがありましたが、お役目がら何かと古いことも記憶されているのでしょうね。
それはともかくとして、ただでさえ緊張感から頭が真っ白になりがちな局面でかれこれ四半世紀も前の話を突然持ち出されればそれは言葉にも窮するだろうとは思いますけれども、一般的にこの塩分摂取量では濃い味付けの東日本が多いと言う説がありますが、統計的に見ても確かに東北などは塩分摂取がかなり多い一方で四国や九州は全般に少なめとなっているようです。
この辺りの原因としては東北地方で好まれる漬け物が悪いと言う話もあれば寒い地方では汁物が多くなるのが問題だとか様々に考えられるわけですが、全国一の塩分摂取量を誇る山梨県などは山間部で保存のためもあって伝統的に塩分濃度の高い食品が多いと言いますから、やはり地域の食習慣が非常に大きな影響を及ぼしていると言う意味では食文化そのものを反映しているとも言えそうですよね。
ともかくも今の時代は過剰な塩分摂取は不可と言うことでWHOなどは1日5グラム以下にしなさいなどと言っているのですが、正直塩分が味付けの中心となる日本の伝統的な食習慣においてこの数字は非現実的と言うしかなく、厚労省では当面の現実的な目標として男性9グラム未満、女性7.5グラム未満と言う、現状よりも2~3グラムほど減と言う数字を打ち出しています。
医療財政上も慢性疾患の管理が非常に重要視される時代ですから、自治体レベルでも健康増進のためにあの手この手の対策を工夫しているのですが今ひとつ効果の程がはっきりしない中で、先日同じく東北は岩手県が非常に即物的な塩分制限策を始めたと話題になっています。

突然訪問、みそ汁調査 家庭訪問、県が実施/岩手(2014年10月1日読売新聞)

 脳卒中で亡くなる人の割合が高い理由は?――県は、脳卒中による死亡率が全国ワーストの主因は、濃い味付けを好む県民性にあるとして、一般家庭を突然訪問し、みそ汁の塩分濃度を調べる「突撃! 隣のお味噌(みそ)汁」作戦を今月から始める。5年間で人口の1%をカバーする約1万2000世帯分のデータを集め、ワーストから抜け出したい考えだ。(安田信介)

 厚生労働省が5年ごとに実施している死因別死亡率調査(年齢調整)によると、岩手県は2010年、脳卒中(脳血管疾患)で亡くなった人が、人口10万人あたりで男性70・1人(全国平均49・5人)、女性37・1人(同26・9人)と、ともに全国最悪だった。県などの調査では、脳卒中を引き起こす高血圧のもとになりやすい食塩の摂取量(一日あたり)も11・8グラム(全国平均10・4グラム)と、全国最多だった。

 汚名を返上すべく、県がまず目をつけたのが、塩分が多いとされるみそ汁。家庭の食卓に毎日上るため、県民の食生活の塩分濃度を測る目安になると考えた。

 参考にしたのは、2010年に平均寿命が男女ともに全国一になった長野県の取り組みだ。1960年代には脳卒中による死亡率が全国ワースト上位だったが、一般家庭でみそ汁や漬物の塩分を測定し、薄い味付けを指導する減塩運動が奏功。脳卒中による死亡率が大幅に減り、平均寿命全国一を達成した。長野県では“主犯”は野沢菜などの漬けものとされた。岩手県も「長野の例を参考に、より詳しい原因を特定したい」(健康国保課)と話す。

 計画では、県内の主婦団体「食生活改善推進員団体連絡協議会」(約6700人)のメンバーが2人以上になって地域の家庭を訪問し、デジタル測定器でみそ汁の塩分濃度を計測する。目標値は薄味の目安とされる1・0%以下で、濃度が高い場合は薄めの味付けを指導する。まずは来年3月までに2310世帯を回り、傾向を分析する。

 同協議会の三浦フミ子会長(66)は「地域のつながりがあり顔見知りが多い地方だからできる活動。県民の意識が変わるきっかけにしたい」と話している。

まあ何と言いますか、ネーミングセンスからしていささかの脱力感を覚えないでもないのですけれども、栄養指導などを行っていても標準的な調理法による栄養素含有量を元に指導しているわけで、実際に各家庭で作っている内容によってその数字に大きな誤差が出てしまうのは当然だろうし、また多くの家庭において我が家の味が濃いのか薄いのかも評価判断する基準がないわけです。
記事中にもある長野県なども山間部の土地柄でもともとは塩辛い味を好んでいたせいか脳卒中死亡率全国1位と言う不名誉な地位を占めていたわけですが、それが長く地道な食習慣改善運動によってとうとう平均寿命日本一の長寿県にまで躍進したと言うのですから、人間やる気になれば生活習慣も変えられるものなんだなと勇気を与える話ですよね。
この辺りはどうしても食卓に欠かすことの出来ないものは減塩を指導する、また他のもので代替可能であればなるべく薄味のものに切り替えていくと言った作業になるのでしょうが、素材レベルで塩分濃度が変われば味のバランスも変わってくるだけに、単に減塩指導を行うだけでなく味の変化を補う技術を教える料理教室なども平行して開催していく必要があるのではないかと思います。
また昨今どこででも減塩調味料が手に入りやすくなっていて、使用量を変えることなく減塩が図れると言う点ではそれなりに便利なものではあるのですが、こうしたものは従来品と比べて保存性が悪化している場合もありますから、室温保存を当たり前に行ってきた年配者の方々には十分指導を行わないと食あたりする可能性もあるかも知れません。
ただ地域毎にそれぞれ固有の食材や料理が存在しているからこそ郷土料理を訊ね歩く楽しみがあると言う側面もあって、健康増進はいいのですが全国どこでも同じような個性のない減塩料理ばかりと言うことにならないよう、濃い味つけの伝統も含めて食文化のアイデンティティーを保持することもまた大事なことではないかなと言う気がします。

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2014年10月10日 (金)

生きると言うことはほんとうに(自他共に)健康に悪い

今日はまたどうでもいいことを書いてみようと思いますが、お食事会系サイトを自認する当「ぐり研」においてはいささか無視しかねるイベントが遠くブリの地で開催されたそうです。

リスバーガー、料理大会は大盛況/英(2014年10月08日 AFP)

【10月8日 AFP】リスは「よい食料源」となるし、リスの個体数の管理のためにも食料として利用されるべきだと、リスバーガー料理大会の主催者は7日、語った。

 レイチェル・トーマス(Rachel Thomas)氏は英イングランド(England)南西部で前週末に開かれた「フォレスト・ショーケース・フード・アンド・ドリンク・フェスティバル(Forest Showcase Food and Drink Festival)」でリスバーガーの料理大会を行った。動物愛護活動家らは怒りの声を上げたが、大会は来場者で盛況だった。

 大会の参加者は、ハイイロリスのミンチ肉4分の1ポンド(約115グラム)を与えられ、イマジネーションを膨らませて独創的なバーガーを作った。

 トーマス氏によると、リス肉は鶏肉とウサギ肉を組み合わせたような味がする。「肉を食べるなら、リスもいかが?ラムもウサギもかわいい動物なんだから、(リス肉をめぐって)みんなが何に悩んでいるのか私たちにはわからない」とトーマス氏は語った。

 またトーマス氏は、「リス肉はとてもよい食料源」と述べ、リスを捕獲して殺処分するのを止めて「食料源として利用するべき」と呼び掛けた。

 北米から持ち込まれたハイイロリスはイングランド原産のアカリスよりも繁殖し、現在の個体数の比率は66対1とされている。

 英国では一部の店舗でリス肉を取り扱っており、リス肉の料理を提供するレストランもある。だが消費量は少なく、まだまだ非常にマイナーだ。

しかし何故に紳士の国で植民地人の好む珍妙な料理などを用意しなければならないのか?と言う素朴な疑問も感じるところですが、やはり植民地原産の有害動物を植民地風料理でやっつけると言うブリ紳士一流の皮肉をスパイスに効かせていると言う事なのでしょうかね?
それはともかく日本人は魚や海産物は割合と何でも手を出すのに対して身近な自然の中に生息する超獣食材に対してはやや保守的なようで、駆除された鹿や猪の肉などもしばしば引き取り手に困っていると言いますし、来日した中国人なども「日本の鳩は何故こんなに身近に沢山いて人間を避けないんだ」と驚くそうですね。
もちろんかつては食されていた鶴や鶫のように今や法的規制を受けていてなかなか食べられないものも少なくありませんが、往年の公害列島日本を知っている中高年の方々ほどそこらで何を食べているか判らない生き物を食べるのは怖い、危ないと言う意識が働くのでしょう、管理された環境で飼育された家畜家禽の方が安心だと言う心理も判らないでもありません。
身近な生き物を食べて見たと言う方々があちこちで情報を公開されていて、カラスなどは普通にうまいと言いますし意外なところでは害獣として赤丸急上昇中のヌートリアなども食べて見ればご馳走だと言いますが、カラスなども都市部に暮らすハシブトよりも田舎暮らしを好むハシボソの方が上等であるように、野生生物は何を食べているかが味に大きく影響するのは確かではあるようです。
いささか話がずれましたけれども、「害獣だからと殺処分するくらいならちゃんと食べるべき」と言う主張は日本人のもったいない精神とも相通じるものがあって共感できる部分が多いにあると思うのですが、一方では食材として管理されて育てられた生き物であっても殺してしまうことには反対だと言うこういう立場の方々もいらっしゃるようで、こちらの記事が大いに話題になっています。

動物保護団体がレストランに突撃、「彼女(チキン)を殺したのは誰?彼女(チキン)はどこ?」と号泣(2014年10月7日メトロ)

動物保護活動家がレストランに突撃、食事している人々を激しく非難する様子が動画で撮影され、大きな騒動となっています。
これは動物権利保護団体が「直接行動」として行ったもので、youtubeに投稿されました。

彼らは調理された鶏の「死」についてレストランでスピーチを行ったとのこと。
メンバーの一人である女性は涙ながらに鶏…チキンの救出を訴えました

誰が彼女(チキン)を殺すつもりですか。
 彼女(チキン)は今、どこにいますか。
彼女(チキン)は消えてしまいました…

女性は涙を流しながら台詞を繰り返します。
それは食べ物じゃない!暴力だ。

興味のある方は以下のリンクから問題の動画を御覧頂ければと思いますが、動画を見る限りではいささか芝居っ気が過ぎて鼻につくかなと言う気もするのですけれども、一般に過激な動物保護団体には厳しい目線を送りがちなネット世論においても「ここまでぶっ飛んでるのはむしろ潔い」「イルカは食べるなと言いながら牛豚は平気で食ってる連中よりは筋が通ってる」と案外と評判がいいようですね。
生き物を細胞や遺伝子レベルにまで突き詰めて考えていくほど動物と植物であるとか、知能が高いの高等だのと言った区分には意味がなくて、どれも等しく生き物であるとしか表現しようがないと思うのですが、そうした立場からするとベジタリアンは良くて肉食は駄目だと言う考え方は意味がないし、仮に微生物学的に製造された栄養素だけで暮らしていたとしても生き物を殺して利用すると言う立場では同じことです。
本来身近な環境にはありとあらゆる生物が満ちあふれているのですから、動物愛護を主張するならろくに手洗い入浴、炊事洗濯も出来ない不潔な環境で蚊や蝿も追わず迂闊に歩いて蟻を潰すこともない不自由な生活を送るべきなのかも知れませんが、実際にはそのはるか手前のどこかで各人なりに折り合いを付けていられるからこそ彼らも「肉を絶ったらヘルシーよ(ハアト)」と健康で文化的な生活を享受できるのでしょう。
素朴な「命を大事にする」と言う感覚を離れた一部の過激な動物保護活動なるものも現代社会における新たな宗教とも言えますが、この宗教には未だ絶対的な教典がないだけに信者それぞれでどこまでが有りでどこまでが無しと言う境界線の引き方も異なるのだろうし、そこの教義解釈の差にある程度鈍感でいられるからこそ団体と称して集団活動出来ているのかも知れませんね。

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2014年10月 9日 (木)

今やタブーになりつつある?あの問題

昨今では何かと本業以外の部分で話題になることも多く、すっかりネタソース化しつつあるとも噂される朝日新聞ですが、先日その朝日にこんな記事が掲載されていました。

スルーする力って? 「もっと自由になる」方策(2014年10月7日朝日新聞)

 最近、なんだか世の中が息苦しい。何か言えば揚げ足をとられ、たたかれ、ネットで炎上する。重箱の隅をつつくような言葉はスルーして、もっと自由になれないだろうか。ミュージシャン・俳優のマキタスポーツさん、哲学者の千葉雅也さん、精神科医の片田珠美さんに聞いた。

■愛なきツッコミ見極める
〈マキタスポーツさん(ミュージシャン・俳優)〉

 今は、「一億総ツッコミ時代」だと考えています。ちょっと人と違うことを言うと、ネットやSNSで叩(たた)かれる。面と向かっては言えないような激しい言葉もぶつけられる。あらゆる人が上から目線で、お笑いでいう「ツッコミ」を入れる社会になってしまった。
 まったく知らない相手や問題にもツッコミを入れてしまう。「イスラム国」なんか、普通の日本人はほとんど知らないけれど、つまらない正論を展開する人が一定数いるんです。ドヤ顔で語って、自分がいい気分になるだけ。「しょんべん正論」と呼んでいるんですが、かけておしまいみたいな感じですね。
 ツッコミの人はすぐ「おまえの立場はどっちなんだ」「白か黒かはっきりさせろ」という。世の中はほとんどはグレーで、白か黒かなんて決められない。でも、冷静に思考するのはめんどくさい。白か黒かの正論に逃げたほうが楽なんでしょう。

 僕が「ニコニコ生放送」とかに出ていると、ユーザーがいろいろなツッコミを入れてくる。全部相手にはできないから、スルーとボケをうまく使い分けるんです。本当にむかつくコメントや単なる罵詈雑言(ばりぞうごん)は、相手をしてもしかたがないので、スルーする。ただ、スルーばかりだとかえって拍車がかかる。
 僕がからむことで面白くなりそうだと思えるコメントがあれば、ボケで対応する。わざとやられてみたりすると、喜ぶんですね。それを繰り返していくと、いわば魂が浄化されて、悪いコメントがなくなっていく。
 ボケやスルーを身につけるには、まず「自分は大したものじゃない」と自覚することです。正論を言う人というのは、自分こそ正義だと思っているから、叩かれると逆ギレする。正論に正論で返そうとするんです。でも、自分の正しさなんて危ういとわかっていれば、ボケたりスルーしたりできる。他人を許せるようになるんですね。

総論として今の時代においてはスルー力こそが最も求められるネットリテラシーであると言う論調には賛同するのですが、今この時期に他でもない朝日が「最近、なんだか世の中が息苦しい。何か言えば揚げ足をとられ、たたかれ、ネットで炎上する」などと言う記事を掲載すると、その意味づけに関して色々と深読みしたくなるのは自分だけでしょうか?
朝日の真意はともかくとして、今の時代は重箱の隅を突かれやすい時代であると言う実感は多くの方々が抱いていると思いますが、ディベート教育を受ける機会のあまりない日本人にとって常に他人に突っ込まれる可能性を意識した発言習慣を身につけることは、特に政治家やマスコミ関係者など公的な発信を行う立場の人間にとってはそれなりに意味のあることだと言う肯定的評価も可能ではあるでしょう。
ただマスコミなどが得意技としてきた文脈を無視して一部の言葉だけを取り出しての批判は正直あまり意味がないかなとも思いますし、それが行き過ぎて特定の言葉に対する言葉狩りのようなことになってしまうのでは真っ当な議論を阻害する懸念がありますけれども、最近少しばかり気になっている風潮の例として例えば先日出ていたこちらの記事があります。

「晩婚化、健康な子が産まれない」と市長が答弁…富山・滑川(2014年09月24日読売新聞)

 富山県滑川市の上田昌孝市長が市議会で「晩婚化と(出産が)遅いほどDNAの傷から、なかなか健康な子供が産まれてこない」などと述べたとして、議事録から答弁の削除を求める勧告書を市議会が上田市長に提出していたことがわかった。

 提出は22日付。読売新聞の取材に対し、上田市長は「一般論を述べただけ」と述べ、削除を拒否する考えを示した。

 上田市長は11日に行われた一般質問のなかで、市の人口減対策に関する質問に対し、晩婚化について「きわめて若い精子、卵子はDNAに傷がついていない。そういう若い精子と卵子から産まれた子供は非常に健康な子になっている」と述べる一方、「晩婚化と(出産が)遅いほどDNAの傷から、なかなか健康な子供が産まれてこない」「こういう夫婦間、あるいは男女間の問題にも触れながら進めるべき」と答弁した。

 議会運営委員会の高橋久光委員長によると、議会終了後、市議の一部から発言を問題視する声が上がった

 22日の議会運営委員会と全員協議会で「晩婚や高齢出産の女性への配慮を欠く」として、答弁の取り消しを求める勧告を決定。同日、岩城晶巳議長名で勧告書を市長に手渡した。上田市長は「個人を名指ししたわけではなく、削除する必要はない」と述べたという。

 高橋委員長は「公人の市長がすべき発言ではない。ここから先は市長個人の問題だ」と話した。

 上田市長は読売新聞の取材に対し、「誰かを名指ししたわけではなく、若いうちに健康な子供を産んでもらいたいという思いで発言した。撤回や謝罪をするつもりはない」と述べた。

まあDNAに傷がつくから云々は染色体異常を念頭に置いているのでしょうが、加齢による悪影響はもちろんそれだけのことには留まりませんし、なおかつそうしたリスクを知った上で晩婚化、晩産化を選ぶかどうかと言う個人の選択の自由は保証されるべきだとは思いますけれども、いずれにしてもこの種の発言が今や非常にセンシティブな話題になっていると言うことは推察されますよね。
この発言に対しては当然ながらフェミな方々を中心に一斉攻撃の構えであるようなんですが、記事から見る限りではこの場合発言そのものは多少知識的に不正確と言う範疇に留まるが事実の一端を示したとは言えても、その後の取材に対する補足発言の部分の方が個人の価値観、人生観に踏み込むもので余計なお世話だと言うものかなと思います。
社会にとっては何かしらの個人行動が利益になると言う場合はままあって、例えば政治家が「国民はもっと消費してくれた方が経済発展上も税収上も助かる」と言うのは事実の表明に留まるとしても、為政者とは国民がそういう気持ちになるように環境を整備するのが仕事であって、第三者のような顔で「誰かを名指ししたわけではなく、消費活動を活発にしてもらいたい思いで発言した」では済まない立場ですよね。
その意味では自他称識者の電波芸者における発言の自由の範囲と為政者におけるそれとはいささかファウルラインの角度が異なるだろうとは思うのですが、久しく言われている少子化問題と最近のトピックスである女性の社会的活用と言うことが結びついて相互作用すると、どうやら容易に「危ない発言」を導き出しやすい状況に陥ってしまうようです。

「産んだ年齢で子の育ち方違う」自民・町村氏が発言(2014年10月7日テレ朝ニュース)

 自民党の町村元官房長官は、少子高齢化問題への取り組みを議論する会合で、「母親が出産した年齢によって、子どもの育ち方が異なる」などと発言しました。

 自民党・町村元官房長官:「25歳で子どもが生まれても、あるいは40歳で子どもが生まれても、何にも違いがないと、単純にそう思っている方々がたくさんいる。しかし、明らかに、40代で生まれる(子)と、あるいは20代で生まれた(子)というのを比べると、やっぱり子どもの育ち方というのがいいんでしょうか、いろんな違いがあるかなと」
 この発言は、町村氏自身が会長を務める自民党の少子高齢化問題に関する議連の会合のなかで出たものです。この発言には同席した女性議員が注意を促す一幕もありました。町村氏の発言は、母親の出産時の年齢が子どもの発育を左右するとも取られかねないもので、今後、議論を呼ぶ可能性もあります

扶養者たる親の定年等も見据えての子育て計画と言う、いわゆる人生設計の視点で言っても、高齢妊娠、出産のリスクと言う医学的事実からしても発言内容が正しいか間違っているかと言われれば間違いではないとしか言いようがない話なんですが、ここで注目いただきたいのはその内容が何であれこの種の話題が一種のタブー化しつつあって、何か言えば叩かれるか「議論を呼ぶ可能性がある」式に焚きつけられてしまうと言う事実ですよね。
世の中とりあえず黙ってやらせてみることも大事であると言う場合は多々あって、先日は群馬県大泉町の町議が農業委員に農業経験のない女性を登用することに異議を唱えたところマスコミ各社から一斉に「差別だ」とバッシングされた件がありましたが、町議の真意はどうあれ実質的に女性によって支えられている日本の農業において未だ女性の地位改善が遅れている事を考えると、女性視点を入れること自体に意味はありそうです。
そうした観点からすれば女性の社会進出と医学的な高齢出産のリスク、あるいは人生設計上の難しさなどを絡めてさてどうしますか?と言う話に持っていくのであればこれは全く建設的なのですが、その入り口の段階で何か言えば突っ込まれると皆が口をつぐんでしまうようになってしまうと、これは当の受益者であるはずの女性にとっても大きな不利益と言うことになりかねません。

前述の為政者としてのあり方と言う点で言えば、例えば与党の政調会長が地方の人口減少とも絡めて「中小企業が多い地方でも、女性が働きながら子育てをしやすい環境の整備を進めていく」と語った、などと言う話を聞けばまことにごもっともで誰も突っ込みようがないと言うものですが、総論を現世御利益のある各論に落とし込む段階ではどうしてもどこかから突っ込まれる余地は出てくるはずです。
例えば従業員の交替勤務制などを取りやすい一定規模以上の事業所から女性登用を進めさせてみてはどうか、などと言い出せば「男に対する逆差別だ!」と言う声が上がるのは目に見えていますが、高齢出産問題にしても一人で妊娠出来るものではない以上、実のところ甲斐性のない男の問題でもあると言う視点はどうしても必要そうなのに、あまりそちらに言及されることはないのが突っ込まれ処が多すぎるからであるなら問題でしょう。
政策に限らず世の中理念優先で行くべきなのか、実利優先で行くべきなのかで議論のあり方は変わってくるものですが、もちろん状況的にまだまだ余裕がある局面では筋を通すことは大事ですけれども、久しく以前から言われている日本の少子高齢化問題でいつまでも「正しいが、実効性がないこと」ばかりを語っていられるほどの余裕があるのかどうかも議論が別れるところでしょうね。
結婚、出産の適齢期なのにそれをしない若い世代の声に素直に耳を傾ければ、若いうちから男がバンバン稼いで将来の稼ぎも安泰と言う雇用環境が確保されるのであれば、誰しも何も思い悩むことなくさっさと結婚も出来るし子供も持てるんじゃないかと言う気もしてくるのですが、こんなことをうっかり口に出してしまうとそれこそ男尊女卑の時代錯誤な考えだと炎上してしまうでしょうか。

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2014年10月 8日 (水)

感染症蔓延のリスクと個人の自由の制限

アフリカでかつてない範囲で拡大中のエボラ出血熱大流行は少なく見積もっても数千人の犠牲者が出ていると言うことで、当然ながら世界各国はその感染拡大阻止に大きな注意と努力を払っているところですけれども、日本からも資金や人材を提供していることはすでにご存知の通りですよね。
ただ国内のみならず国際的な人の行き来がこれだけ活発になっている時代にどこまで封じ込めが可能なのかは微妙なところだと感じるのですが、先日アメリカでついに発症者が出たと言うことが報じられ、しかもその経緯が問題だとちょっとした騒ぎになっているようです。

米初のエボラ熱患者、最初は抗生物質もらって帰宅-2日後入院 (2014年10月1日ブルームバーグ)

  10月1日(ブルームバーグ):米テキサス州ダラスで米国初のエボラ出血熱感染が確認された男性は、入院の2日前に病院を訪れたが、抗生物質を処方され帰宅していた。複数の当局者が明らかにした。
米疾病対策センター(CDC)が9月30日に発表したところによると、罹患が確認された男性はリベリアを旅行して9月20日に米国に到着。現在は集中治療室(ICU)に隔離されている。リベリア出国時に症状がなかったが24日に兆候が出始めたため、26日に病院に行った。その2日後に、テキサス・ヘルス・プレスビテリアン病院に収容されたが現在は重篤な状態にあると、CDCのトーマス・フリーデン所長が説明した。
同所長はアトランタでの記者会見で、「エボラ熱をわれわれがここで食い止めると絶対の自信を持っている」と言明した。
CDCの伝染病の専門家チームが、問題の男性と接触した人を21日間モニターし、症状が表れれば直ちに隔離、その人に接触した人も特定しモニターするという。

男性は米国に住む親族を訪ねたもので、症状が出た時はその家に滞在していた。フリーデン所長によれば、発症後に接触した人の数は少ない。また、同じ便に搭乗した人へのリスクはほとんどないという。「エボラ熱は発症前に感染しない。男性は飛行機を降りてから4日後まで発病しなかった。このため同じフライトの利用者にリスクがあるとは考えていない」と同所長が述べた。
男性は26日に病院を訪れ抗生物質をもらって帰宅したが、28日に救急車でテキサス・ヘルス・プレスビテリアン病院に運ばれ入院したと、同病院の疫学者、エドワード・グッドマン氏が述べた。救急車の乗員やその他の医療従事者もモニターされているという。
CDCと医師団は試験段階の治療法を試すことも検討しているとフリーデン所長は述べた。結論は出ていないという。ホワイトハウスはオバマ大統領が同所長から説明を受けたと発表した。

男性の氏名と搭乗した旅客機の便名は公表されていない。アフリカからダラス・フォートワース国際空港へ直行の便はなく、米主要航空会社にはリベリア行きの便がないため、リベリア以外のアフリカや欧州で乗り継いだ可能性、さらに米国の他の都市に到着し国内便でダラスに移動した可能性もある
米当局者によると、感染が疑われる別の患者が米国立衛生研究所の施設で診断を受けている。

なぜ米国でエボラ感染者は見逃されたか(2014年10月3日ロイター)

[1日 ロイター] - 米疾病対策センター(CDC)は9月30日、米国で初のケースとなるエボラ出血熱の感染を確認したと発表した。これまでの感染者は治療のため西アフリカから米国に帰国した4人で、いずれも医療従事者だった。今回のケースと違うのは、4人のエボラ感染は帰国前に分かっていたことだ。
リベリアに帰郷していた同国国籍のトーマス・エリック・ダンカンさんが、テキサス州ダラスに到着したのは9月20日。その4日後までエボラ出血熱の兆候は現れなかったが、26日に発熱と吐き気を訴えてテキサス・ヘルス・プレスビテリアン病院を訪れた。病院で看護師には西アフリカへの渡航の事実を伝えたが、「軽度かつ通常のウイルス性疾患」と診断され、抗生剤を処方されて帰宅した。ウイルス性疾患に抗生剤を処方すべきではないことはさておき、病院はなぜ帰宅を認めたのだろうか。

米国の医療システムは世界で最も進んでいる。しかし、複雑で非効率でもあり、そうした仕組み上の欠陥が、致死率の高いウイルスに感染している患者を見過ごしてしまったと言えるかもしれない。
(略)
医師同士の間にも、階層は多く存在する。エボラ出血熱のような病気の診断と治療を専門とする感染症の専門家は(筆者もその1人だ)、米国で働く医師の中では最も賃金が低い。感染症を専門領域に選ぶのは、報酬以外の理由があるからだ。
ニュース記事では病院関係者の話として、テキサス・ヘルス・プレスビテリアン病院は、エボラ患者の治療に「準備万端」だったと伝えられている。しかし、患者を自宅に帰す前に、病院がエボラ出血熱のような病気の専門家に診察を求めたとは考えにくい。それが真実であるなら、米国の医療が抱える深刻かつ危険なシステム上の欠陥を浮き彫りにしている。

患者を自宅に帰してしまった要因と思われることは他にもある。米国社会はテクノロジーに夢中になっている。エボラ出血熱と闘う最善の方法として、新薬や新しいワクチンが追い求められているのもそれで説明がつくだろう。医療の現場では、こうしたテクノロジー偏重が、一部で臨床試験や放射線検査への過度の依存につながり、医師が患者と向き合う時間が犠牲になっている。医師の中には、徹底的な身体診察をどうやればいいか忘れてしまったように見える人さえいる。
しかし、エボラ治療薬として期待される実験薬「Zマップ」でさえ、徹底的な身体診察とそれに続く公衆衛生の基礎の代わりにはならない
こうした医療行為は単純かつローテクに映るかもしれないが、結果に大きな違いを生み出す。病気の進行を未然に防ぐことにつながるのだ。しかし残念なことに、エボラ出血熱の流行などからわれわれを守ってくれる単調な作業を担う保健所やCDCは過去数年、予算の大幅削減が続いている。

リベリア国籍の男性からエボラ感染が拡大するかどうかは、ハイテク化が進んだ米国医療システムにとって良いリトマス試験紙になる。エボラ出血熱の流行は、医療システムが未発達のリベリアやシエラレオネ、ギニアでは、依然として拡大が続いている。しかし、20人のエボラ感染者が確認されたナイジェリアは封じ込めに成功した。セネガルでは、1人のエボラ患者が60人以上と接触していたが、感染は広がらなかった
今回のテキサス州のケースでは、男性は発症後4日以内に隔離された。もし同州で新たな感染者が見つかれば、それは、世界で最も高額かつ最先端の医療システムの構造上の問題が露呈することにほかならない。
*筆者は、感染症と公衆衛生を専門とする内科医で、医療ジャーナリストでもある。

最新の報道によればダンカン氏は危篤状態に陥っていると言うことで治療がうまく行くことを祈るのみですが、公衆衛生学的見地からすると幸いにも今のところ感染拡大の兆候は見つかっていないものの、マスコミによって同氏が路上で嘔吐した吐瀉物を清掃員が通常の高圧洗浄器で洗い流す映像が放映されるなど、果たしてこのまま感染を押さえ込めるのかどうかが非常に注目されているところです。
記事では病院がダンカン氏をそのまま帰してしまったと言う点が問題視されているのですが、初診時は発熱嘔気程度であまり特徴的な症状はなかったようでもあり、実際上未だ米国内で発生のない疾患に対してこれを疑っていきなり検査をすると言うのも実際上どうなのかで、なんでもかんでも検査連発ではさすがに保険会社の方から問題視されてしまいそうにも思います。
日本においても発熱等疾患特異性の乏しい症状で来院した場合に初診でそれを疑うことの難しさは、同様な発熱を呈する疾患であるデング熱患者の把握状況を見ても判る通りですが、そうなりますといざ患者が発生した場合にどこまで感染拡大を食い止めることが出来るのかと言うことへの不安が増しますよね。

エボラの場合インフルエンザと違って接触感染とされるのが唯一感染拡大防止における救いなのですが、この点も空気感染を起こす変異株出現の可能性が警告されるなどいつ何が起こっても不思議ではないと言う状態で、オバマ大統領も米国に着陸する航空機の乗客に対してエボラ感染の有無をチェックすることを検討させているとも言います。
また今回伝えられるところではこの患者のバックグラウンドもなかなかに興味深いものがあって、そもそもガーナの難民キャンプでかつかつの生活をしていたダンカン氏が渡米したのは米国内居住者と結婚して永住権を獲得するためだったと言い、エボラ感染者を運ぶ手伝いをしていたにも関わらず搭乗前のアンケートでは健康状態や患者接触歴などに関して全て「ノー」と答えていたそうです。
要するに社会的経済的な理由から感染リスクを隠して入国していた可能性があるとも言え、またご存知のように米国と言うところは普段から不法移民問題など外部からの流入者が多いお国柄ですからどこまで入国時のチェックが行えるかも怪しいものだし、なおかついざそれと診断がついた際にどこまでの対応が可能なのかも議論が別れるところですよね。

エボラ疑いでの隔離は憲法の定める「自由」に違反か…古典的な法律議論が再燃? 米(2014年10月6日News All Day)

ブリュッセルから米国へ向かうユナイテッド航空便の乗客。
彼らはニュージャージー州のニューアーク空港でエボラウィルスの検疫のため一時隔離されていましたが、週末に陰性と判明し解放されました。

米国ではヒトは絶対的な個人的自由を誇っています。憲法にも「個人自由は不可侵であり、大多数の利益は優先されない。」との概念があります。
ではあなたが本当に病気だったらどうでしょうか。自由権は?財産権は?

検疫と隔離を行うという政府は、安全保障と個人権利の法律バランスという古典的な議論を再燃させます。大衆に潜在的に害をなすのであれば、それは個人の自由権侵害も正当化されるでしょう。
検疫は国家による究極のプライバシー侵害ですが、同時に憲法上は正当な侵害です
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テキサス州はエボラ感染者であるダンカン氏、そしてその周囲の市民を隔離する権限を行使しました。
ですが検疫権限は無制限ではありません。国家検疫法でもいくつかの憲法上の制約を受けているのです。
市民お自由を奪うためにはいくつかのプロセスが必要だ、と。

隔離された人々は自由だけでなく、例えば働けないなどの財産権も侵害されています。しかしこれらの隔離された人への補償規定は存在していません

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憲法はひとまず横に置いたとしても、皆はエボラの隔離…個人権利のどんな抑制も支持するでしょう。この個人が「自分」となるまで。
そのとき、我々全員は個人権利のチャンピオンになるかもしれません。

日本でも新型インフルエンザ騒動の際に患者の行動制限も検討し対策特別措置法が制定された経緯がありますが、弁護士団体の反対や抗ウイルス薬など治療法が存在すると言う事情もあってか強制性と言うことは医療提供の場として土地や建物を提供することに関して言及されるのみで、患者の強制隔離等に関しては特別の強制力を持つものではありません(住民に外出の「自粛」を「要請」することは出来ますが)。
日本においても結核などは結核予防法29条の規定によって昔から見つかり次第即入院(命令入所)でしたが、興味深いのは同条には「都道府県知事は(略)結核療養所に入所し、又は入所させることを命ずることができる。」と書かれているにも関わらず、その強制力を担保する罰則等の規定がないことから実は場合によっては必ずしも法の通りに運用出来ていない側面がありました。
もちろん診断がついてはいないが極めてその疑いが強いと言う段階の方々はそもそもこの規定の対象にすらならないわけで、さすがに政府もこうした状況に思うところがあったのでしょう、先日エボラや結核などに関しては診断に必要な検体採取を強制的に行うようにすると言う感染症法改正案を今国会に提出することを決めたのだそうですが、これまた診断確定後の治療の強制力に関しては手つかずのままとなっています。
エボラや新型インフルエンザのような症状も強く命に関わる病気であれば誰だって死にたくはないのだから、別に強制にしなくても進んで入院治療を受けるんじゃないの?と言う考え方もあるかも知れませんが、すでに一部方面ではエボラを利用してテロをしかけようと言う物騒な話すら出ているとか出ていないとかですから、この調子で果たして大丈夫なのか?と言う懸念は感じるところでしょうか。

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2014年10月 7日 (火)

高齢者に特徴的な交通マナーが引き起こすトラブル

本日最初に、それはまた何で?と思うような奇妙な交通事故が起こったと言うニュースを紹介してみましょう。

料金所手前でUターン、高速逆走し正面衝突(2014年10月5日読売新聞)

 3日午後6時5分頃、広島市西区の広島高速4号下り線西風トンネル内を、山口県防府市の70歳代の男性が運転する軽ワゴン車が逆走

 広島市内の20歳代の会社員が運転するワゴン車と正面衝突した。2人とも軽傷。

 広島西署によると、男性が同市安佐南区の同高速沼田出口の手前でUターンするのを料金所の職員が目撃しているという。男性は所持金がほとんどなく、同署は、誤って同高速中広入り口(西区)に入り、料金所の手前で引き返そうとして逆走したとみている。

 この事故で、同高速下り線が約1時間50分、通行止めとなった。

今さらあのAAを貼り付けるまでもなく「何を言っているのか わからねーと思う」ような話なのですが、以前に紹介しましたようにこの高速道路の逆走は年間200件発生していて、その7割を高齢者が占めていると言う事実があって、高速道路慣れしていないことなど様々な要因があってのことなのでしょうが、高齢者の逆走原因としてこれと言う明確な理由が挙げられない場合がほとんどであると言う点は注目されますよね。
もともと免許を取った時に高速道路と言うものが存在していなかった方々が多いのですから無理はないと思いますが、それでも基本的な交通ルールに関する認識の欠如に加えていわゆる常識的判断が出来ないことが事故原因となっているのであれば問題で、これが認知症状の一環なのか年代的に自己中心的な考え方をしがちであると言うことなのかを考える上で、先日こんな記事が出ていたことを紹介してみましょう。

自転車の高齢者の誤った認識…4人に1人「車の方が止まってくれる」/大阪(2014年9月18日産経ニュース)

 自転車を利用する府内の高齢者のうち、4人に1人が「車の方が止まってくれる」と誤った認識でいることが17日、府警の聞き取り調査で分かった。「自転車は一時停止しなくてもいい」と考えている高齢者も2割以上いたという。府内では、自転車による死亡事故の死者は大半が高齢者。府警は「正しい自転車の交通ルールを知って」と呼びかけている。

 府警は6~7月、府内の自転車を利用する65歳以上の高齢者1014人に聞き取り調査を実施した。
 自転車の利用方法では、「自転車に一時停止の標識は関係あると思うか」という設問に対し、209人(20・6%)が「思わない」と回答。自転車走行中に「車の方が止まってくれると思うか」という設問には259人(25・5%)が「思う」と答えていた
 府警によると、自転車は道交法上「軽車両」に分類され、交通標識に従う必要がある。また、歩行者と同列の「交通弱者」でなく、車が譲る決まりもないという。
 一方、今回の聞き取り調査にあわせ、交差点4カ所で高齢者の自転車乗車マナーの実態も調査した。
 信号を守っているかを調べた2カ所の交差点では、1276人中514人(40・3%)が信号を無視。一時停止の有無を調査した別の2カ所の交差点では、581人中260人(44・8%)が一時停止をしていなかった

 府内では今年1~8月、自転車が絡む事故が8599件発生し、17人が死亡。このうち11人を高齢者が占めていた
 府警によると、高齢者は自転車で転倒した際、とっさに手を地面につけず頭を打ち、重篤化する傾向が強い。1~8月に自転車が絡む事故で死亡した高齢者のうち、9人は頭部を負傷していたという。
 こうした実態を踏まえ、府警は改めて高齢者に交通ルール順守や、高齢者用のヘルメット「エルダー・ヘルメット」着用を呼びかけていく方針だ。

一見すると「お年寄りは交通マナーが悪く無理・無茶をしがちである」が故に事故にも結びつきやすい…と言う風に誘導したそうな記事なのですが、この辺りは色々と解釈の余地がありそうなところで、なまじ車の運転歴のある人間の方が「事故になれば歩行者・自転車の方が優遇される」と言う部分だけが頭に残っていて、無理矢理押し渡るようなことをしがちなのかも知れません。
とは言えどんなに優先権があったとしても車が猛スピードで走っているところに飛び出していくのは単純に危ないだろうし、これは行ける、行けないと言う部分での判断が悪いことが事故につながっているのかも知れずで、実際経験的にも高齢者は無茶なタイミングで飛び出してくる、何を考えているのか判らないと言うイメージのある方は少なくないのではないでしょうか?
ただ自転車と言えば昨今例の車道の左側通行と言う大きなルール改正が行われたところで、これも見ていますと別に高齢者が守っていないと言うことではなく全年齢層でルールが周知徹底されていない印象ですし、先日大阪で初公判が開かれた50代タクシー運転手の起こした乗客絡みの事故なども明らかに間違った運転習慣がその原因と考えられるなど、年齢に関係なく無茶をする人は無茶をしているわけです。
ただ生まれた時から車社会の中で生きている人と、後天的に何とか車社会への変化に対応してきた人とではどうしても深層意識に染みついた部分が違うのだろうし、年齢的な老化が瞬間的な判断の遅れや誤りにつながる可能性が高まると言う点、そして高齢者事故に重症例が多く全体の中での比率も高そうだと言う点からして特別の注意が必要ではあるのでしょう。

こうした様々な事情を総合して「だからお年寄りの皆さんは気をつけてくださいね」で話が済めば簡単なのですが、問題は誰しも他人にああしろこうしろと言われて素直にはいそうですかと従える人ばかりではないと言う点で、とりわけ高齢者と言えば頑固、意固地と言ったキーワードと共に語られがちですし、年齢的に見ても認知機能や学習能力の低下から守りたくてもルールやマナーが守れないと言うことはありがちですよね。
特に前者に関連して気になるのがこの20年間で高齢者の起こした傷害事件が9倍、暴力事件が48倍にもなっていると言う話で、もちろん元気な高齢者が増えた結果暴れるほどの体力が残っている人も増えただとか、社会全体に高齢者愛護の精神が薄れ従来ならスルーされていた事件も通報されるようになったと言う事情もあるのでしょうが、しばしば言われるのが一見大人しそうな高齢者が突然切れると言う現象です。
これも識者なる方々に言わせれば団塊世代を筆頭に急成長する時代と共に生きてきた人々は、うまくいかないと言う事に耐性が低いだとか様々に言われているようですけれども、生まれついた時から続く不景気の中で育ちながら切れる若者などと言う言葉が流行り言葉のように言われたことを思い出して見れば、社会全体で我慢すると言うことが出来なくなってきている傾向にあるのかも知れません。
ともかくも高齢者と見たら何をするか判らない危ない人達だと考えろと言うのも哀しいものがありますから当事者も注意頂きたいところですが、今春には認知症の徘徊老人が起こした鉄道事故で老妻に巨額賠償金が命じられて話題になったことを考えても、社会の中には社会的に適切に行動することが出来ない方々もいると言う前提でルールを考えていかないとかえっておかしな話になってくるのかも知れませんね。

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2014年10月 6日 (月)

社会保障改革は高齢者の処遇から?

本日まずは本題にあまり関係ないところですが、先日日医がこんな主張をしていたと言う記事だけ紹介しておきます。

個人番号カードに保険証の機能付加は反対- 日医(2014年10月1日CBニュース)

例によっていつもの日医節と言いますか、少なくとも記事から日医の主張を読み取る限りでは全く同意出来る話ではないと感じるのですが、マイナンバー制度に関してはこの種の抵抗勢力は日医に限らずあちらこちらに存在している中で、どこまで制度を実効性あるものに出来るかは関係者諸氏の今後の努力次第と言うところがあるように思いますね。
日医の話はともかくとして、個人識別と言うことで近年身元不明の高齢者が全国各地で増えてきていると言う話題を以前にも紹介したところで、もちろん何かしらのやむを得ない事情でそうなってしまったと言うこともあるのかも知れませんが、一般的に認知症高齢者などがそう遠くまで出かけられるはずもなく、また遠くない場所であればご家族なりご近所なりのつながりで何かしら情報は出てきそうなものですよね。
その点では犬や猫を遠くに置き去りにするのと同様に人間もどこかから来て捨てていっている人もいるのではないか?と言う懸念がわったわけですが、どうもその現場を捉えたらしいと言うニュースが出ていました。

認知症の父をドラッグストアに置き去り 容疑の男「介護が嫌に」(2014年9月29日産経ニュース)

 認知症の父親をドラッグストアに置き去りにしたとして、鳥取県警智頭署は28日、保護責任者遺棄の疑いで、鳥取市的場、自称警備員、池内克貴容疑者(54)を逮捕した。

 逮捕容疑は27日午後9時ごろ、認知症の父(81)を自宅から車で鳥取市内のドラッグストアに連れて行き、置き去りにして立ち去った疑い。同署によると、「介護が嫌になった」と供述している。

 智頭署によると、父親は名前と生年月日は覚えていたが、住所は思い出せなかった

 ドラッグストアまでは車で約30分の距離。店員が、店内にいた父親に話しかけた際、十分に答えられず、身分証も持っていなかったため110番した。

同じ市内であったこと、名前と生年月日を覚えていたことから何とか素性が判明したわけですが、これら条件のいずれかが欠けていれば大変なことになっていただろうことは想像に難くないところで、身元不明老人(のうち、少なくとも一部)はこうして発生しているのではないか?と思わせるのに十分な事件であったと思います。
小児科の金言に「子供は小さな大人ではない」と言う言葉がありますが、同様に「老人は歳を重ねた大人ではない」とでも言うべきなのでしょうか、とかく高齢者に関しては医学的にも特別な配慮が必要であると言うことから、最近では全国医学部に老年医学講座を開設すべきだ、などと言った提言も出ているようですよね。
もちろん終末期医療の議論などを見ても高齢者特有の医療のあり方と言うものはあってしかるべきで、それはそれで医療従事者のみならず家族や地域社会も含めて広く国民の間で考えていかなければならない問題ですが、一方で高齢者と言えば一般に生産性がない被扶養者であり、同様の存在である小児と同様に社会に保護される身であるとも言えるわけです。
政策的に小児をもっと増やすべきだと数々の対策が取られている一方で、もちろん高齢者はもっと減らそうなどと表立って言う人はいないでしょうが、しかし高齢者の医療や介護を始めとする様々な扶養コストをどう負担するかと言う問題は近年の重要な政策的課題であり、また生活環境に関しても自宅がいいのか施設がいいのかと意見が分かれるところだと思いますが、中にはこんな「過激な」話までもが出てきていると言います。

独居老人は半強制的に地方に移住させるべき!?「老後破産」時代に求められる、過激な社会保障政策(2014年9月30日ダイヤモンドオンライン)

「人の命を救うこと」は社会貢献の大きなテーマだが、近い将来の日本においては、「人を殺すこと」が社会貢献の重要なテーマになるかもしれない――。9月28日に放送されたNHKスペシャル『老人漂流社会“老後破産”の現実』を見ながら、そんなことを考えてしまった。番組ではわずかな年金で暮らしていて、満足な介護や医療サービスが受けられない老人たちが次々と紹介された。
(略)
 日本には現在、独り暮らし老人が約600万人いるが、その約半数が年金収入年間120万円以下で暮らす。そのなかの約200万人が生活保護を受けずに、わずかの年金だけで暮らしているという。
 日本の年金制度は、三世代家族、つまり老人とその子ども、孫が一緒に暮らすことを前提に設計されているというが、同居世帯の数は1980年には60%あったものの、現在はたったの13%だ。当然だが、高齢化社会が進めば、番組で紹介されたような貧困にあえぐ独り暮らしの老人はますます増えるだろう。

公共事業、ODAを全廃しても焼け石に水 国を揺るがす社会保障費の負担

 このような事態に対処するために、番組に登場した大学教授はある提案をする。フランスで行なわれているような年金、医療、介護が一体となった福祉制度だ。つまり、年金が少ない老人でも十分な医療や介護が受けられる仕組みである。
 仮に、いまの日本で最低限の生活に必要な額が仮に毎月13万円だとして、年金が毎月10万円の人は他に3万円分の介護、医療サービスが受けられる仕組みにする。これは、いわゆるベーシックインカムの考え方だ。国民全員に国が定めた最低限の生活費を現金で配ってしまう制度で、最大のメリットは年金、介護、医療、障害者、失業などあらゆる社会保障のための制度を一元化し、行政のコストを大幅に削減できることだ。2000年代に入り、どこの国も社会保障費の増大に頭を悩ますなか、注目されているコンセプトである。個人的には、僕もこの考え方を支持する。ただし、それも「行政に金があれば」の話である。

 誰もが知るように、今後の日本は高齢化がますます進んでいく。団塊の世代が後期高齢者になったとき、つまり、2020年くらいの時点で社会保障制度は破綻すると、誰もが危機感を持っている。日本の社会保障費は現在でも約110兆円だ。無駄な公共事業費を削れという声も高いが、その公共事業費は約6兆円。全額を削ったところで、社会保障は維持できない。
「ODAで途上国なんか支援している場合じゃない。老人福祉にその金をまわせ」という意見もあるが、日本のODA予算は、無償資金協力で約1500億円、技術協力で約3200億円。国際金融開発期間などへの出資金や円借款を含めても約1兆8000億円だ(いずれも2010年度予算)。
 仮にODA予算を全廃したとしても、社会保障費の約1%程度。まさに焼け石に水である。つまり、もはや社会保障は「他の事業の無駄を削って、その金を充てる」という考え方では追いつかない状態にあるのだ。社会保障、社会福祉に対する考え方を根本的に変えなければ、制度が保てなくなるだろう。

「自由の制限」も必要に?コンパクトシティという選択肢

 社会保障費を大幅に下げるためには、コストの削減が必須だ。そのために「自由の制限」という、憲法で保障された国民の権利の制限など、思い切った考え方が必要になるかもしれない。
 たとえば、独り暮らし老人のために、老人が暮らしやすい「コンパクト老人タウン(仮)」のような施設を、土地や生活のコストが安い地方に作る。そして、独り暮らしの老人は半強制的にそこに移住してもらう。東京や大阪などの大都市からも移り住んでもらう。もし、あくまで自分が好きな場所で暮らしたいという場合は、年金も医療や介護のサービス費用も全額自費負担とする。無茶な考え方だと思うかもしれないが、これは「コンパクトシティ」の考え方と同じだ。
 いま、地方活性化のひとつの方法論として、このコンパクトシティが注目されている。これは、住人のすべてが徒歩で生活できる程度の範囲に町を集約するという考え方だが、これを実現するためには、住民を町の中心部に集める必要がある。つまり、強制的な移住がなければ、コンパクトシティ構想も絵に描いた餅になるのだ。
 コンパクトシティを語るとき、多くの人は「人間らしい暮らしの実現」と語るが、日本の場合はそれよりも行政コストの削減のほうが重要な課題である。
 町の中心部から10キロも20キロも離れた場所に一軒だけ民家があり、そこで暮らす人がいる。そこに電気やガスや水道、そして道路などの生活インフラを維持することは、もう地方行政には無理なのだ。だから、そのような人は町の中心部に移住してもらう。移住を拒否する人には、インフラの費用を自分で負担してもらう。これが、コンパクトシティの実態だ。
 実際、宮城県の山元町では復興に向けてコンパクト・シティ構想を実行中だ。住民に移転も要請している。もちろん、なかにはさまざまな理由で移住を拒否する人もいる。ある農家の男性は、自分の農地のそばで暮らさなければ農業ができないと、町の中心部に移住しないことに決めた。しかし、そうなると自分の農地周辺の道路を自費で作る必要がある。その費用、約1000万円。自己負担である。

住みたい場所で自由に暮らすためには、金がかかる時代へ?

 コンパクトシティの構築にはこうした側面があるのだが、それは先ほど述べた「コンパクト老人タウン(仮)」も同様だ。独居老人は集約する。それで、どれほどのコストカットになるのか、十分な精査も必要だが、サービスの集約化がコストの削減になるのは間違いないだろう。そして、自由に生きたい、暮らしたい独居老人には、その生活費や医療費、介護費用も含めて自己負担をお願いする
「住みたい場所で自由に暮らすためには、金がかかる」というのは、多くの人にとって受け入れ難い考え方だろうが(個人的には僕だって受け入れ難いが)、そこまで思い切った政策でもなければ、社会保障は保てなくなるのではないかと思っている。
 番組で紹介されていた老人たちは、異口同音に「早く死にたい」と訴えている。このような「悲痛な願い」を生み出すこと自体、この国の社会保障制度がすでに破綻している、つまり、もう日本は十分に貧しいのだということの証左だと思うが、経済成長だけでこの貧しさを克服できるかどうかは疑問だ。やはり、思い切ったコスト削減が必要だし、そのためには「過激な発想の転換」が、社会保障制度にも求められるのだろう。

先日の厚労省の調査では社会保証制度維持のためには最大の当事者である高齢者の負担増もやむなしと考える人が次第に増えて3割に達したと言いますが、興味深いのはこの負担増を支持する声が最も多かったのが高齢者の仲間入りを目前に控えた50歳代であり、逆に最も少なかったのが当事者である70歳以上であったと言うのはまあ理解出来るとして、その比率の差がほとんどなかった(34%と27%)点でしょう。
高齢者の負担増と言えば政治家目線で見ればともかく票数として多くを持っている当の高齢者が圧倒的に反対している、だから選挙のことを考えてもあまり厳しいことは言えず政治に関心がない若年者の負担を増やすように話を進めてきたと言う説がありますが、こうして見てみると社会保障の負担のあり方に関してはほぼ全年齢にコンセンサスが出来ていて、高齢者だからと特別自分達だけの優遇を期待しているわけでもなさそうです。
その上で前半部分に出てくるベーシックインカム的制度については、とにかく金がないのはどこの自治体でも同じですから現金給付と言うのは難しく、むしろ生保などと共通するシステムとして誰でも最低限食べていけるように食料の現物支給を行うようにすればパチンコや酒代に化ける心配も減るだろうし、地元の小さな商店にとっても固定的な納入先が期待出来ると言う産業振興的側面もあるように思います。
実際に全国の自治体で生保受給者を対象に現金を支給する一歩前の段階で食料を支給すると言うことを始めているところが出てきていて、単純に貧困者が餓死するようなことがなくなるだけでなく副次的に生保不正受給削減にも大きな効果があったと言いますから、高齢者に関しても同じシステムを準用していくことは十分可能ではないかと言う気がしますがどうでしょうね。

記事の後半部分に出てきたコンパクトシティ構想に関しては近年あちらこちらで注目されているところですが、特に農村部などでは土着的な高齢者がどうしても土地を離れたがらない一方で、都市部においては基本的に生活する場としての機能的な部分さえ確保出来ればいいと言ったように、それなりに考え方が違っている可能性はあるのかなと言う気もします。
集団移住を断れば道路等のインフラも自己整備だと言うのはずいぶんと乱暴な話のように聞こえますが、もともと農業をやっていれば農道や水路の整備は自分でやってきた側面が少なからずあるわけで、電気や水道など特別な知識が必要な部分のノウハウさえ提供されるのであれば、案外何でも揃っているのが当たり前の都市部の人間が思うほどには放置されることに不満はない可能性もありますね。
もともと日本全国津々浦々までインフラが整備されたのもこの半世紀ほどのことで、それまでは土地土地によって生活のあり方も違うと言うことが当たり前であったわけですが、ちょうどその時代を知っている方々が今の高齢者ですから、逆に考えると全国どこでも電気も水道もテレビ放送も同じように整備されていて当たり前と言う方々が高齢者になってからよりは、今この時期にこうした話を進めていく方が話は早いのでしょう。
特に真っ先にその対象となりそうなのが豪雪地帯の限界集落で、毎年雪かきだけでも大騒ぎになりますからああした小集落が整理統合されるだけでも自治体財政はずいぶんと違ってくるんじゃないかと言う気がするのですが、もしかすると移転か放置かと言うことに最後まで反対するのはそこに住んでいる高齢者の方々よりも、ずっと前にその土地を離れて都市部に移住している子や孫世代の方なのかも知れませんね。
ともかくも何かをしなければ遠からず国全体がどうしようもなくなってしまうと言う危機感は誰しも持っているところだと思いますから、後は何をどうするかと言う各論の部分で話を詰め実行していく段階であってしかるべきで、個人の権利と自由を重視してあまりにも非効率になってしまった部分がもし全体を大きく圧迫していると言うのであれば、その自由を維持する分のコストは自己負担でと言う考え方自体はまあ妥当なのかなとは思います。

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2014年10月 5日 (日)

今日のぐり:「焼肉秀吉 西古松本店」

数ある有名コピペの中でもとりわけほっこりすると人気のアレに関して、先日以来こういうものが話題を呼んでいるようです。

2ch有名コピペ「汚い猫を見つけたので虐待することにした」通りに仔猫を保護した動画が話題(2014年9月17日おたくま経済新聞)

 かつて匿名掲示板『2ちゃんねる』に投稿された伝説のコピペ「汚い猫を見つけたので虐待することにした」通りに、拾った仔猫を手厚く保護した動画がniconicoに投稿されている。

 動画ではまず、コピペ通り「嫌がる仔猫を風呂場に連れ込みお湯攻め」を。体から落ちた汚れで、お湯はあっというまに茶色く濁っていく。
「風呂場での攻めの後は、全身にくまなく熱風をかける」。仔猫はちょっと驚きつつも、気持ちよさそうな様子。
 熱風攻撃が終わると「とてもじゃないが飲めない白い飲み物を買ってきて飲ませる。もちろん、温めた後にわざと冷やしてぬるくなったものを」。「その後は棒の先端に無数の針状の突起が付いた物体を左右に振り回して猫の闘争本能を著しく刺激させ、体力を消耗させる」。
さらに、体力が消耗したところで「ぐったりとした猫をダンボールの中にタオルをしいただけの質素な入れ物に放り込み 寝るまで監視した後に就寝」。

 この動画の投稿者eiz5963さんによると、母猫は実家の車庫で子猫を産んだあと、逃げ出してしまったとのこと。子猫が排泄物まみれで汚れていたため、保護したそうだ。
 なお、保護した仔猫は2匹のため、動画は2本投稿されている。
投稿された動画には、「胸くそ(あったまる)動画」「2匹も・・・ひどすぎる・・・また気持ちよさそうに・・ちくしょうめ!」「ピーピーわめくんじゃねえ!撫で回すぞ!!」「なんて酷い優しさだ」「こんな扱いしたら十数年後には死んじまうぞ!?」「耳に水が入らないようにしてやがる…なんてことだ」とノリノリのコメントが数多くよせられていた。

「汚い猫」コピペも一大ブームになった結果今やいろいろなバージョンが出回っていますけれども、思わずニマニマしてしまう点ではオリジナルバージョンの完成度が一番高いと思いますね。
本日は汚い猫共に余計な手間ひまをかけさせられた動画主を慰労する意味も込めて、世界中からちょっと面倒くさいことになっている生き物達の話題を取り上げてみましょう。

猫が離してくれない…「もっと、もっと腹をなでるんニャ!」(2014年9月27日らばQ)

こちらの白猫さん、お腹をなでるとギュッとつかんで離してくれなくなるそうです。
うれしいけど困っちゃう、困っちゃうけどうれしい映像をご覧ください。

抱きついて離れたくない猫 The cat which wants to hug my arm - YouTube

ぎゅー、ぎゅぎゅー。
がっちりホールドして離してくれない!
身動き取れなくなってしまいますが、そんな飼い主さんがうらやましいですね。

どれだけ自堕落な生き物なんだと言う話なんですけれども、このような面倒くさい生き物に纏わり付かれたのが動画主の悲劇だったと言うことでしょうか。
猫と言えば人が仕事をしている時に限って決まって邪魔をしに来る生き物なんだそうですが、こちら全くはかどらず困っている方の話題です。

猫がいればエクササイズはこんなに楽しい!まったくはかどらないけど・・・(2014年4月3日カラパイア)

 2匹の猫、ショーティーとコディーを飼っているおにいさん。体を鍛えるために家でエクササイズをやっているのだそうだが、猫たちが「にゃに?にゃに?」と寄ってくるもんだからまったくはかどらない。マットはいつも占領され、運動しようとおもうとまとわりついてくるもんだから、エクササイズも一苦労。でもなぜかとっても楽しそう。一人でやるよりも全然楽しそう。
(略)
 おにいさんと2匹の猫のほのぼの動画は、他にもYOUTUBEチャンネルでたくさんみることができるよ。おにいさんが猫たちにどれだけ愛されているかどうかは以下の動画をみれば一発でわかる。

これまた元記事の動画を参照頂ければその面倒な状況がお判り頂けるかと思いますが、まあなんでしょうねこの傍若無人な横暴ぶりは。
同じくもう一つ猫動画を紹介してみますが、これまた仕事の最中に見事に邪魔をしてくれる彼らの暴走ぶりを示すものとなっています。

「猫が…」カメラの前で解説をしていた男性、笑いが止まらなくなる「だって猫が…!」(2014年7月14日らばQ)

レゴのプロモーション撮影をしていた男性が、説明の途中で大爆笑してしまいました。
それもそのはず、猫が信じられない方法で邪魔してきたのです。
(略)
そりゃあもう、笑うしかありません。
猫は動くものに興味を示しますが、まさかそこを、しかもそんなタイミングで……。
邪魔されても怒るに怒れない猫の珍プレーでした。

いやもうね、こいつら絶対判ってやってね?と言いたくなるクリティカルな邪魔っぷりなんですけれども、くれぐれもお仕事中に猫を近づけないようお勧め致します。
こちら今度は犬の話題なのですが、これまた何がどうなったのかと言うくらいに面倒くさい状況になっているようです。

トムとジェリー?ネズミを追うネコを追っていた犬が壁に挟まり、レスキュー出動(2014年10月3日日刊テラフォー)

アニメ『トムとジェリー』そのもののような光景が、ウクライナの都市ムィコラーイウで繰り広げられた。
ネズミをネコが追いかけ、ネコを犬が追いかけ、犬はネズミとネコが入って行った細い穴に挟まって、抜け出せなくなってしまった。

犬のミミは、飼い主のリアナ・コスキィさんと一緒に散歩をしていた。その時に、天敵のネコを見つけて、釘付けになってしまった。
もうミミの視界にはネコしかなく、そのままネコを追いかけて細~い穴の中に入って行った。
ネコが穴の中に入って行った理由はもちろん、ネズミを追い掛けていたからだ。
「ネコはちょうど、ネズミの後を追いかけていました。ミミはそれを見つけるやいなや、ネコの後を追って駆け出しました。」
ネコの追われていたネズミは、正に『トムとジェリー』のネズミと同じように、壁の割れ目の中へ入って行った。
「でも残念ながら、割れ目を通り抜けるには、ミミは大きすぎました。割れ目にはまって抜け出せなくなってしまいました。」

リアナさんは割れ目からミミを助け出すことができず、通りかかった人たちが消防隊を呼んだ。そして、消防隊によって、ようやくミミは割れ目から解放された。
「我々は、犬が壁の割れ目にはまって抜け出せなくなったという通報を、複数受けました。本当にたくさんの通報が来ました。」
かなり、大事になってしまったばかりに、ミミの醜態はたくさんの人に知られることとなった。
それでも、無傷で救出されたミミは懲りずに、ネコたちの行方を探していた。
きっとネズミとネコは、そんなミミの姿をどこかで隠れて見ていて、ほくそ笑んでいたに違いない。

その何とも情けなくも面倒くさい状況に陥った犬の醜態はこちらのサイトから御覧頂きたいと思いますが、しかし彼らに反省すると言う殊勝な気持ちはないものでしょうか?
闘牛と言えばひとつ間違えば重大事故にもつながりかねないと言いますが、こちら往年の少年漫画のごとき展開が…と言う動画を紹介しましょう。

子牛で闘牛したら余裕で勝利!…と思ったら予想外の展開に(2014年4月7日らばQ)

まだ幼い牛を相手に闘牛をする男性。
さすがに幼すぎたのか、子牛は向かってくることなく逃げ出してしまいました。
男性の完全勝利と思いきや、その後の意外な展開をご覧ください。

Bull calf revenge

かわいそうに、子牛は恐れをなして逃げ出してしまい……。
あれ?
うおっ!?
……なんという結末でしょう。子供だと侮っては痛い目に合うという例でした

何と言うのでしょうか、この予想外の展開は是非とも元動画を参照頂きたいと思いますが、追い詰められ本気のパワーを発動した牛侮りがたしですかね。
冗談なのか本当なのか、こんな奇妙な記事が出ていたようです。

インドネシアの妊婦が「やもり」を出産!厚生省も困惑を隠せず。(2014年6月6日秒刊サンデー)

インドネシア共和国、東ヌサテンガラ州のクパン郡において現地の厚生省長官、メッセ・アタウパ氏が発表したところ、5月30日にオエモファ・オエモロ村に て地元妊婦が一匹のトッケ(やもり)を出産したとのこと。この異常事態について、現地では調査団も入り詳しい経緯の確認を急いでいるとのことだ。

―記者会見が開かれる

31日に記者会見に臨んだメッセ氏は記者団を前に、「医学的見地からして有り得ない事が起こってしまった。」と驚きを隠せない様子だ。
記者たちに質問され、続けて氏は自論を披露した。
「現地に派遣した調査団の現在までの報告によると、明らかに妊婦だった母体の子宮内には妊娠した経過と、出産による影響がみられており、この異常事態を説明できるのは、いわゆる想像妊娠による結果とみなすしかないとの結論に至っている。私個人として、全く異なる種を妊娠・出産するということは、現代科学において説明できるものではない。」

-助産婦の強力な証言ー

しかし実際に、デビ・ヌバートニスというオエモロ出身の女性がやもりを出産したという話は、その出産を手伝ったオエヌント診療所勤務の助産婦、ジョセフィン・リディア・ヘレン・ワドによって事実と認められたものであった。
ジョセフィンによると、30日早朝5:30、妊娠8ヶ月のデビが産気づいたと連絡を受けた。デビの家は診療所から遠いため、急遽ジョセフィンがデビの家に向かってのお産となった。
陣痛に苦しみながら出産の時を迎えたが、考えられないことに出血に伴いなんと小さなやもりがその女性の胎内から飛び出したのだ。
あまりの事に呆然とするジョセフィンだったが、同日14:30には母体とその胎児であったやもりを検査のためオエヌント診療所まで搬送することになった。
前述のメッセ氏の言葉どおり現在も調査中のこの一件だが、周りの村民の証言によると、この母体となった妊婦を含む家族はある種の呪術修行中だったことを明らかにしている。
なお、今回人間の胎内から生を受けたこのヤモリの仔は、デビ・ヌバートニスとウェンピ・ロアササとの間に生まれた第三子目となる。
(略)

その実際は元記事の画像を参照頂きたいと思うのですが、しかし単なるやもり一匹であれば通常何と言うことはありませんけれども、これは社会的に何とも面倒くさい存在になってしまっていますよね。
こちら一見してどこがニュース?と思った方々も多いと思いますが、まずは予想外に面倒なことになったという記事を紹介してみましょう。

中国で少年がカメをパンツに隠して飛行機に搭乗!(2014年9月26日アメーバニュース)

 8歳の少年がパンツにカメを隠してこっそり機内に持ち込もうとしたようだ。

祖母の指示を聞かず

 この少年は中国の広東省広州市にある広州白雲国際空港で搭乗しようとしたところ、カメがズボンの中で動き始めたことで捕まってしまったそうだ。
 祖母の元で夏休みを過ごしたこの少年は、祖母が止めたにも関わらずカメをこっそり持ち帰ろうとしたのだという。国境警備隊の広報は「少年の祖母はそのペットを置いていくように言ったのですが、その祖母の指示に逆らって飛行機に持ち込もうとしたようです」とコメントしている。

いや、男子たるもの誰しもパンツの中に我が儘で時に暴れん坊の亀を隠し持っているものだと思っていたのですが、それを問題視するとは中国の方々も大人げないですね。
最後に取り上げますのが面倒くささでは世界一と言うご存知ブリからのニュースですけれども、一頭の鹿の行動が思いがけず面倒くさい状況を招いてしまったと言う話題です。

絶叫マシンがシカと正面衝突(2014年10月1日tomoニュース)

英北部の遊園地で、ジェットコースターがシカと衝突する事故が起きた。

事故はノース・ヨークシャーにある遊園地「ライトウォーター・バレー」で9月27日朝に発生。
欧州最長のジェットコースター「ジ・アルティメット」が、偶然レール上に迷い込んだとみられるシカに激突した。
シカの首は切断され、乗客らは血まみれになったという。

このコースターでは以前にも、シカとの接触事故が数件発生していた。
全長約2キロの「ジ・アルティメット」は1991年のオープン以降、「世界で最も人気の絶叫マシン」との呼び名が高い。

元記事にはいささかアレな再現動画が用意されているのですけれども、まあしかし鹿も眺めるだけなら何と言うことはありませんがジェットコースターのレール上では出会いたくはないと言うことでしょうか。
ちなみに施設の管理者によればこうした事態は「よくあること」なのだそうで、ブリの地でジェットコースターに乗ろうとする方々はいつでも鹿の生血シャワーを楽しめる可能性があるわけですね。

今日のぐり:「焼肉秀吉 西古松本店」

こちら岡山市内ではかなり古くから繁盛している人気店だそうで、支店展開もされているようですけれども、本日はその本店にお邪魔してみました。
さすがに駐車場にしろ店内にしろかなりな広さですけれども、こうした老舗にありがちな建て増しをしていそうな複雑な構造で、良く言えば個室感覚が残っているでしょうか。

殿様大皿セットなる盛り合わせを中心に食べて見たのですが、このセットは塩タンにカルビ、ハラミ、ロースに上ミノと人気のところが一通り揃っていて、とりあえずのオーダーにも向きそうですよね。
味の方も妙な臭みのある塩タン以外はまずまずで、特にハラミはバランスの良い味で良かったですが、全般的にサシが多すぎず赤身肉を噛みしめるうまさが楽しめるのは良い感じだと思います。
ただ骨つきカルビなども肉自体はそれなりなんですがもうちょっと噛み応えある厚さでもいいかも…と感じたり、牛バラしょぼり焼きなるメニューはニンニクとゴマにまみれたカルビなんですがとにかくニンニク風味が全てを圧倒して肉の味が分からなかったりと、純粋に肉の味のベストを追及する高級店の出し方とはちょっと違いますよね。
豚トロや石焼ビビンバなど定番メニューはどれも無難にまとまった味とも特徴がないとも言えるところで、全体にこれが印象に残ったと言うものはないのですが、メニューを見ても珍しいオリジナルメニューやちょっと変わったアレンジのものには乏しいのも、そういう一貫した方針なのでしょう。
ただ揉みダレだけでもかなり調味料の味が支配的なので、肉の味をじっくり楽しむ分には塩ダレ主体でオーダーした方がいいのかなとは感じました。

町の焼肉屋より少し高めだが高級店ではなく、ちょっと良い肉を出す大衆店的位置づけであるようですが、その少し余裕のあるコストをサシが多いばかりで味も何もないなんちゃって霜降りでなく、赤身ベースのちゃんとした肉を出すのに使うと言うのはアグリーで、昨今胃腸が弱ってきている身にも脂控えめな分幾らか優しい気がします。
トイレは設備こそ更新されて一通りのものは整っているんですがやはりあちこち古色は隠せない部分は感じられるのと、接遇面ではお客の少ない時間帯だけにレスポンスは悪くないものの少し下町的な(と言う表現が妥当なのかですが)大ざっぱさを感じるのも、高級店ではなく大衆店の延長線上にあることを感じさせるところではあるのでしょうね。
しかし市内中心部を外れ校外的雰囲気の住宅街にほど近いこの立地で深夜までやっているんですが、こうした場所柄そんなに深夜客がいるのだろうか?とも思うのですが、今の時代ですからネットで開いている店を検索して来店する一見客もそれなりにいるのかも知れません。

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2014年10月 4日 (土)

何事も言うだけなら簡単ですが

個人的には芸能情報の類には全く興味がないもので聞き流しているのですが、テレビのワイドショーの類では年中誰と誰がくっついた式の話を飽きもせずに放送しているようで、もちろん社会的に相応の需要があるからこそ放送しているのだと言えばその通りではあるのだと思います。
一方では社会全体として個人情報保護と言うことがこれだけ言われる時代で、他人のプライバシーを暴くことには基本的に反対の論調を取っているはずのマスコミ諸社がパパラッチのような行動を取っていることに奇妙な感を抱く人も少なくないと思いますが、先日SNSを介してこんなやり取りがあったのだそうです。

芸能リポーター・井上公造氏がTwitterで怒り爆発 「他人の仕事を否定する権利なんて、誰にもない」(2014年9月25日トピックニュース)

25日、芸能リポーターの井上公造氏がTwitterで怒りをあらわにした。

井上氏が怒るきっかけとなったのは、あるTwitterユーザーの投稿。このユーザーは「他人のプライベートや気持ちを勝手に解釈して報じるなんて本当に卑劣な仕事ですね。他人の恋愛観や結婚観なんてほっとけ見苦しいし目障り」と、井上氏に対して激しい非難の言葉を浴びせていた。
すると、井上氏はこれを引用し「ちゃんと名前を名乗ろうよ!ネット書き込みだけじゃ、全く説得力ないよ」と投稿。相手が匿名であることを挙げて反論した。
続けて「匿名で批判するなら、誰でも出来る。そもそも、他人の仕事を否定する権利なんて、誰にもない。必要とされない職業だったら、需要がなくなるはず」などと持論を展開し、怒りをあらわにした。

また、同じTwitterユーザーが「低俗なゴシップにこそ名前や情報源を明らかにすべきだと思いますが」とコメントすると、井上氏は「イメージじゃなく、もっとマスコミのこと、勉強したらいかがですか?情報源を明らかになんて言ったら、笑われますよ。裁判になっても言わないのに!」などと反論。
その後も、井上氏は「そもそも、芸能は格下と言う考えが差別です。政治、経済、社会ネタ、スポーツも含め、全て同じステージに立っています。」「取材源の秘匿の意味が分からないのですか?はっきり言えるのは、SNSでも名誉毀損は成立しますから」などと、激しいやり取りを繰り広げた。

ちなみに名誉毀損が成立する条件として事実であるかどうかは問うところではないのだそうで、早い話がブタに向かって「おいこのブタ!」と言っても名誉毀損になる余地はあると言うことらしいですね。
実際のやり取りを見ますとかなりヒートアップしているようではあるのですが、職業的犯罪者なども当事者的には需要があるからこそやっていると言う言い方は出来るわけですから、「需要がある=必要な仕事」と言うのは社会における業務の必要性を考える上ではあまり意味のある反論にはならない気がします(だからと言って、芸能リポーターの存在意義が直ちに疑問の余地なく否定されるものでもないのは当然ですが)。
純粋に議論としてはいささかかみ合っていないのは双方の目的としているところが違っている以上仕方がないところなのですが、ここで注目すべきなのは他人のプライバシーを暴く職業と言うものが世間からは(控えめに表現しても)好ましい存在とは思われていないと言う事実であり、そしてそれに対して当事者達はそれなりの職業的使命感と誇りを持って仕事を行っているらしいと言うもう一つの事実だと思いますね。
職業に貴賎なしと言う言葉もあり、社会的に嫌われていても重要な仕事など幾らでもあるわけで、所属組織から何らかの業務担当を命じられた当の本人がその業務に従事すること自体を恥じる必要は全く無いし、末端の当事者個人を批判しても仕方がないとは思いますけれども、多くの第三者にとっては井上氏が組織人を離れて一個の人間としてこの種職業の存在をどう考えているかを知りたかったんじゃないかなとも感じます。
ともかくも個人攻撃は有害無益としても、社会的に相応の批判を受ける業務を命じる組織の側に対してはそれなりに批判もあってしかるべき場合もあるはずですが、前述のようなマスメディアのプライバシーに対する相矛盾するように見える立ち位置と言うものについて、先日週刊誌にこんな記事が出ていたことを取り上げてみましょう。

悪人はさらし者」社会でいいのか 神戸女児遺棄事件を前に(2014年9月28日newsポストセブン)

 人権がいとも簡単にないがしろにされているのではないか。フリー・ライター神田憲行氏は「当たり前のことを主張するのに勇気が要る社会」という。
 * * *
 神戸市長田区の女児に対する殺人・死体遺棄事件は衝撃を多くの人に衝撃を与えた。わずか6歳の小さな女の子の遺体を切断して無造作に捨てるという犯人の所業に、極刑を望む声がネットで目に付いた。極論を煽って注目を集めるのは一部の人の「楽しいネットライフ」なのはもう知っているのでいまさらナイーブに反応はしないが、ふと、亡くなった私の大学の先輩を想い出した。今から10年以上前の昔話になるが、少し付き合っていただきたい。

 先輩はとある事件の被告人の弁護人をしていた。大勢の人が死んだ有名な事件だ。まず事件が起きた地元の弁護士会が中心になって弁護団をまとめ、先輩は地元ではなかったがマスコミ対応が上手かったので、そのスキルを買われて弁護団に参加した。
 マスコミ対応の弁護士だからメディアの窓口になる。しかも被告人が容疑を否認していたので、メディアが少しでも被告人を犯人扱いしたり、事件と関係ない被告人の家族を取材しようとすると、先輩は粘り強くひとつひとつに強く警告を出していった。「大悪人をかばう弁護士」というわかりやすいレッテルを貼られた。事務所員の女性が外に出た途端、フリージャーナリストからバシャバシャと写真を撮られて、先輩が取っ組み合いをしたこともある。
 しかし先輩がいちばん憤ったのは、メディアの取材ぶりではなかった。ワイドショーのコメンテーターに出演していた弁護士が「被告人はかなりの保険金を入手していますから、弁護士もそれが目当てでしょう」と言い放ったことだった。
 その事件では先輩も弁護団も、手弁当で参加していた。「保険金目当て」で弁護を引き受けるなどとは誤解も甚だしい。人権の基本をないがしろにする発言が同業の弁護士から出たことも許せなかった。
 凶悪事件が起きると、逮捕された容疑者・被告人に対して、「奴等を早く吊せ」と叫ぶ人たちから「石」が投げつけられる。その家族にも石が投げられる。弁護する弁護士にも石が投げられる。その石が弁護士からも投げつけられた。

 今回の神戸の事件に戻る。事件に関して流れてくるツイートを見ていて、ショックなものがあった。今回の事件で逮捕された容疑者の名前が最初匿名だったことに対し、若い新聞記者の方が、
このような凶悪な事件の場合は、加害者の名前を出すべき
 といった趣旨のことをツイートしていたからだ。容疑者の名前が当初伏せられたのは、その責任能力に疑問があったからだろう。それを踏まえてもなお記せという。そこにあるのは犯罪報道おける実名主義という報道の考えではなく、「悪人」をさらし者にせよという報復感情だけである。
 先輩はいわゆる「人権派弁護士」ではなかった。
「神田、自分が食えへんかったら、困ってる人も助けられへんでぇ」
 といって企業の顧問弁護士も普通に受けていた。ただ「法治主義」「推定無罪」という当たり前の原則を法律家の立場から貫こうとしていただけだ。
 あれから10年以上たって、原則はさらにないがしろにされている
 憲法で保障された生活保護制度を問題にする政治家がいる。路上で警官隊に守られながら在日韓国人の方々に差別的言辞を弄する集団がいる。私はヘイトスピーチを非難するツイートをして、集団と意見を同じにする人々からしつような罵倒のツイートが飛んできた経験が何回かある。職業柄私はそういうものには馴れているが、そうでない人々に萎縮効果を与えるだろう。
 いつのまにか私たちは「人権を守れ」という当たり前の主張をするのに、勇気が要る社会にしてしまった。

改めてこの記事が掲載されたメディアの何たるかに関して説明する必要もないとは思いますけれども、同誌に限らずその取材行動に当たってこれまで必ずしも人権に十分配慮してきたとは言えないことは明白であり、それに対して前述の井上氏よろしく「社会が必要としているから報じているのだ」式の自己正当化をしてきた経緯があると言う点には留意が必要かと思いますね。
一般的にはこうした記事の場合「お前が言うな」だとか「掲載メディアにまず文句を言え」と言われるところですが、記事の内容自体はまことにもって正論ごもっともと言うしかないものであるし、だからこそ同誌としてもこの記事を掲載したのだと思いますけれども、それ故「被災者に無遠慮にマイクを突きつけたり政治家に罵詈雑言を投げつける同業者達にも同じように批判してみたらどうだ」などと言う批判が出てくることもこれまたごもっともではあるでしょう。
マスコミ各社ももちろん鉄壁の一枚板と言うわけではないはずで、世間一般に照らして想像するならばある個人の仕事ぶりを別な個人は徹底的に嫌っている、ある部署の業務内容を他の部署が苦々しく思っていると言うことは当たり前にあることではないかと思いますが、では外部の誰かを批判する前に内部の問題をどれだけ自己批判してきたのか?と言えば、先の朝日新聞の問題などを見ても甚だ不十分としか思えませんよね。
そしてそうした自己批判の欠如、不徹底について他者におけるそれは日々厳しくバッシングを展開してきた身である以上、自らも他者から同等の基準によって批判を受けるのも当然だと思うのですが、冒頭の芸能レポーターのヒートアップぶりを見る限りでもどうやらメディアの中の人はバッシングされ慣れていない、そしていざバッシングを受ける側になると事の是非よりも自己弁護を優先し、彼ら自身が日頃批判する反省のかけらもない悪い当事者そのものの振る舞いになっていると感じます。

戦後民主主義日本においてマスコミと言う存在は第三の権力と言われるほど強化され、そして他の権力と比べても他者による批判や攻撃から最も遠い位置にあったと言えると思いますが、外部から見ると何が良いか悪いかは我々が決めると言った高慢な態度が鼻につく場合も少なくなかったとも言えます(もっとも羽織ゴロと言う言葉もあるように、こうした態度自体は別に戦後に出てきたものではありませんが)。
マスコミの「他人を一方的に攻撃できるが自らは攻撃されない」と言う特権的立場に関してようやくネットと言うもう一つの対立軸が顕在化してきたのがたかだかこの10数年のことですが、業界として正常化を図っていくには今後他人をバッシングする者は自らも同様のバッシングに晒される可能性が常にあるのだと言う当たり前の社会常識を、理念だけでなく経験によっても身につけていく必要があるんだと思いますね。
朝日事件の当事者を始め業界の内部改革の必要性を説く声は相応に聞こえてきていて、それがどの程度進んでいるかを見る一つの目安として同業者相互の批評批判とそれを受けての改善と言う地道な作業がどれだけ活発に行われるかが挙げられると思いますが、医療におけるアクシデントレポートや症例検討の類がそうであるように、検証と改善の手順が定着し実あるものとなるには相応の年月が必要にはなりそうです。

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2014年10月 3日 (金)

ネット上に広がるデマ、あるいは隠された真相?

「まったく今どきの若い者は」的なフレーズは有史以来人類社会から絶えたことがないらしいのですが、先日こんな記事が出ていたのを御覧になったでしょうか。

デマを簡単に信じる中高生、狭い空間での情報拡散をSNSが増幅(2014年9月24日ITmedia)

 2014年8月に発生した広島土砂災害では、災害現場で外国人が空き巣をしているというデマが出回った。匿名掲示板のまとめサイトやTwitterなどで噂が拡散したが、現地の調査ではそのような証拠も根拠となる情報も見つからず、完全なデマであることが分かっている。
 インターネット上には様々なデマや噂が次々と生まれ広まっている。その中で10代、20代の若者たちの多くは、デマや噂を広める側に回っている(写真1)。なぜ子どもたちはデマや噂を信じて広めてしまうのだろうか。

親の言うことは聞かないが友達なら…

 匿名掲示板に書いてある噂と、SNSでつながっている親しい人から聞いた噂なら、どちらを信じるだろうか。この質問には多くの人が、「SNSでつながっている親しい人」と答えるだろう。たとえ、実際は噂の中味がどちらも眉唾ものだったとしてもだ。
 東京大学情報学環教授橋元良明氏によると、実在の人物から直接発せられた情報の方が信頼される傾向にあることを、「イグゼンプラー効果(exemplar:典型、代表例)」という。テレビニュースで行われる街頭インタビューや、商品などの利用者の声などが入れられるのは、まさにこの効果を狙ったものだ。たとえその相手を知らなくても、実際に顔や名前を出している人が自分の口で言っている方が、真実味が増すからだ。
 SNSのほとんどは実在の人物から発せられた言葉から成り立っている。その上、SNSでつながっているのはほとんどが友人や知人だ。前述した通り、実在の人から聞いた話は信じこみやすいという特性があるため、特にSNSではデマが広まりやすいわけだ。
 さらに、中学生や高校生は友達が一番大事な時期にいる。親の言うことは聞かないが友達の言うことなら聞く。しかも始終SNSでつながり、オフラインでも密に情報を共有し合っている。その上、テレビや新聞などのニュースはほとんど見ていない。こうして友達から聞いた情報を信じて、それをそのまま広めてしまうのだ。

不安、知識のなさでデマ拡散

 広まりやすいデマにはいくつかのパターンがある。「震災後のデマ80件を分類整理して見えて来たパニック時の社会心理」(「絵文録ことのは」http://www.kotono8.com/に掲載)を参考にすると、例えば以下のような時になる。

    科学・医学情報など、専門知識がないと真偽が分かりづらいこと
    正しい情報を得ることが難しいため真偽を確かめづらいこと
    メディアで誤報が流れたこと。その後修正が分かりやすい形で行われていない
    エイプリルフールや企画などネタ元から生まれたもの
    他人や団体、政府などを貶める意図
    外国人などを差別する意図
    他人や団体、政府などに対する好意から生まれたもの

 大きく分けると、知識がないためや不安によって広がるタイプ、元ネタから誤解が広がったタイプ、他人を貶める意図あるいは好意により拡散したタイプがあるというわけだ。他人を貶めたり差別したりする意図を持って噂の元ネタを作った人たちには悪意があるが、実際に広めた人たちには悪意があるとは限らず、単純に信じて広めてしまった可能性が高い。
(略)
狭い世界で特に広がるデマ

 大人の場合、会社や家族、出身校、居住地など様々な場で役割があり、それぞれのつながりがある。普段は会社と家の往復でも、学生時代の友達もいるし、保護者という顔も持つなど、社会との関係に多様性があるものだ。多様な情報源を持ち、ネットを含めた新聞やテレビ、ラジオなどでニュースをチェックする人がほとんどだろう。
 ところが中高生の場合は、学校と家の往復の毎日である場合が多く、大人と比べて関係性が閉じられていて狭い傾向にある(写真5)。それゆえ、空間内で噂が立つと一気に広まり、それが世間の総意であるように感じられてしまう。そこでは偏った意見やデマが増幅してしまい、収集がつかなくなっていく。
(略)
多様な情報源を持ち、確認を

 大人でもデマに引っかかり、振り回されることがある。しかし、情報源をネットやSNSだけに頼るのは少数派だろう。ほとんどの人はまず常識で判断し、テレビや新聞などのニュースも見るという場合が多い。
 ところが、10代の中高生はそのような行動は取らないことが多い。世界が狭く、情報源が友達に限られている。情報の裏は取ることなど考えず、簡単に信じて広めてしまうのだ。
 中高生が噂話レベルのデマに引っかかりやすいのは、世間知らずという理由もある。大人ならば、Twitterには多くのデマが飛び交っていることを知っていて疑うが、彼らはほとんど疑わないようだ。友達だけでなく、もっと違う情報源を持ち、視野を広く持つようにすべきだろう。
 子どもがデマで迷惑や被害を被ったり、広めたりする側となってしまっていたら、疑うことも教えたい。友達が言っていたという理由だけで、噂をほかの人に無責任に広めないよう教えることは大切だろう。

つい先日も大手新聞社が何十年も広めてきたデマが今さら大騒ぎになって国会でも取り上げられるまでになったと言うのに「中高生はデマにひっかかりやすい」も何もないものだと思いますけれども、物理的な性質という点から考えるとかつてのメディアや口コミを通じて広まっていった時代と比べると、今のネット経由で広まっていく時代の方が圧倒的に拡散が速く共有範囲も広いと言うことは言えるでしょうか。
そうした今の時代の速い展開についていけなくなった大人達から見ると「今どきの若い者」は情報に振り回されているように見える部分はあるのかも知れませんが、基本的に情報の拡散が速いのと同等以上に検証速度も速ければ消失していくのも速いですから、それによって与えられるトータルな社会的影響力と言う点では果たして旧来の遅い拡散方式とどちらが大きいのかは未だ何とも言い難いのではないかと言う気がします。
それはさておき、この口コミに対する信頼感と言うのは別にネット時代に特有の現象ではなく、これも古来その実例を挙げることに何ら苦労することがない当たり前の人間心理だと思いますが、その発信元がネット上の仮想的な(少なくとも、実態を確認する手段のない)人格であると言う点が今の時代に特有の現象であるとは言えるでしょうね。
その典型例としてしばしば挙げられるのがいわゆる口コミサイトの類における利用者による評価と言うもので、先日も口コミ情報の削除を求めた店舗側が敗訴したと言う話があったように今の時代どこまで信用していいものか利用者側の見る目も求められる時代だと思いますが、最近こんな形で口コミサイトに反撃を行ったと言う店舗側の行動がちょっとした話題になっています。

「じゃらん」の否定的な評価に温泉宿が逆襲!迷惑客の実態を暴露で騒然(2014年9月26日探偵ファイル)

宿泊予約サイト「じゃらん」への投稿内容が発端となって、騒動に発展した。
群馬県草津町の「十二屋旅館」に対して、「二度と泊りたくない宿」と評する投稿が、今年7月中旬になされていたことが発覚。高額の割に、サービスや食事の内容に失望したという。これに対し、旅館側が反論を展開した。当該の客は「客室を壊した上に会計もせず逃げようとした」というのだ。
さらに、「警察を呼び裁判を起こす、韓国領事館に連絡するなど暴言暴挙を3時間もの間繰り返して他の宿泊客や近隣の住民にまで迷惑をかけた」と暴露。「御自分の都合が悪くなるとハングル語で話し出し会話にならない!」、「サービス云々の前に会計はして下さい!『おもてなし』以前の問題だと思います」と批判した。

この内容について、各種の憶測が飛び交った。一方、旅館のブログにも同様の話題があった。事実無根の口コミを投稿されたとして、じゃらんの運営側に削除を求めたそうだ。だが、証拠がないとの理由で、削除に応じられないと言われたという。「いやなら取引きを辞めて頂いて結構ですなんてまともな企業の言う言葉ではない!」と記している。
旅館のブログでは、過去にも迷惑行為に及んだ複数の客に言及していた。それらの客の在住地域や年齢を記し、激しく批判するなどしている。また、口コミサイトのサクラを請け負う業者から電話があったそうで、その内情を暴露したこともあった。こうした点についても、ネット上の反応は様々である。
当サイトでは、当該の旅館に連絡を取った。ネット上で騒ぎになっていることは、全く知らなかったそうだ。この件については、「答える義務はありませんので」と述べた。旅館側の主張への批判もあることを伝えると、「盛り上がるのは結構なことですので、どうぞご自由に書いてください」とのことだった。

実際にどのようなやり取りがあったのかは元記事から辿って頂きたいと思いますが、まあ客商売の常識的な一線と言うものから考えるとずいぶんと踏み込んだことを書いているものだなとも感じる一方で、宿泊業界などでは宿帳という形で個人情報を握っているわけですからこういう時代にあってはある意味顧客の弱みを握っているとも言えるんだろうなと言う気はします。
これだけ誰の書き込みかと言うことも特定されていると言う状況は書き込んだ個人にとっても予想外だったのかも知れずですし、もしも事実この通りの状況であったのだとすればそれこそ警察を呼ばれたり民事賠償請求が行われても不思議ではない状況であったとも言えるわけですが、個人情報を握られている利用者側としては実は案外立場が弱いと言うことでもあるのかも知れませんですね。
個別の事情に関しては双方どちらにも言い分があるのでしょうが、一般論として考えるとここまで公開の場でぶっちゃけてしまうことは客商売として相応にデメリットもあるでしょうから、それだけ憤りも激しかったのだと考えるべきか後先考えずについ書き込んでしまったと受け取るべきか微妙なんだと思いますが、この騒動に関してはさらに思いがけず斜め上方向に発展した続報が出ています。

続報・否定的な口コミに反論で炎上の温泉旅館、取材で新事実が発覚!(2014年9月30日探偵ファイル)

「じゃらん」での否定的な口コミへの反論が発端となった、群馬県草津町の「十二屋旅館」の炎上騒動について、続報を配信する。
騒動の過程で、じゃらんや「楽天トラベル」に掲載された口コミに対する、旅館側の返答の一部が削除された。一例として、旅館の経営者の子供が館内をうろついているという口コミがあった。これに対し、「子供の笑顔は皆を幸せにします!」と旅館は返答。だが、この旅館は「大人の宿」を掲げ、子供の宿泊を認めていない
部屋で香水をつけると宿泊費が倍になると口コミに書いた人物に対して、旅館は理由を説明。予約時に注意事項を確認してほしいという。だが、喫煙の禁止はHPや予約サイトに記載があったが、香水の禁止に関しては言及がなかった。この点が指摘されると、上記の返答も削除された。

当サイトでは、草津温泉旅館協同組合に取材した。組合には、非常に多くの問い合わせが来ているそうだ。十二屋旅館に予約を申し込んだという、客からの相談もあったらしい。心配ならば予約を取り消した方がよいと組合が勧めると、「取り消したらブログ等でネット上に晒されそうで、怖くてどうしたらよいか困っている」と客は述べたという。
炎上の原因になった、じゃらんへの口コミの件が最終的にどうなったかということは、把握していないそうだ。しかし、当事者間での解決が困難であったため、警察が仲介したことで一応話がついたと聞いていると、担当者は述べた。香水禁止の件や、昨年にブログで別の客を晒し者にしたことは、把握していなかった模様だ。
禁止事項は、HP等に明確に記載することが基本であるという。客個人を特定され得るような形で晒す行為は、地域全体のイメージや信頼にも関わり、組合員としてふさわしくない行為と判断するとのことだ。

これまた一般論として考えると先日の大手マスコミ(以下略)でもそうなんですが、他人に対して偉そうなことを言うならまず自分を正せと言われてしまいがちなのは世の常ですから、公の場であれだけのことを言い切ってしまえばそれなりのリアクションもあるだろうなと言う気はしますけれども、記事から見る限りではそれなりに突っ込みどころはある旅館であったと言うことなのでしょうか。
ただここで注目していただきたいのが予約をしてしまったのだがどうすればいいかと言う顧客が「取り消したらブログ等でネット上に晒されそうで、怖くてどうしたらよいか困っている」と不安視していると言うことで、先にも書きましたように旅館側は一定の個人情報をすでに握っているわけですから、その意味では実はネット上において強い立場に立っていると言う見方も出来ますよね。
もちろん実際にこんなトラブルの最中に個人情報を暴露でもしようものならそれこそ客商売として大炎上必至と言うもので、これは抜くに抜けない伝家の宝刀と言うものですけれども、およそ脅迫ネタと言うのは実際にそれが使われないからこそ脅迫ネタになり得るのだと考えると、利用者側が不安視することももっともだとは思います。

ネット上ではもちろん真偽を確認しようがない情報が飛び交っているのは常識であり、それに対してこれは嘘なのだからと色々と言いたくなる気持ちももちろん理解出来ないわけではないのですが、少なくとも過去の実例から判断する限りでは当事者が反応を示すことで世間の注目を集めかえって嘘情報が拡散してしまう、あるいは思いがけない二次的な情報が発掘され火に油を注ぐと言うことの方が多い印象ですよね。
この点では基本的にはスルーが一番だと言う意見も(心情的には正直承伏しがたい部分はあるのですが)現実的には妥当なのかなと言う気がしますし、行うにしても個別にどうこうと反論するよりはシンプルに民事で賠償請求なりを行うくらいの方がダメージが少なそうなのですが、ただこれも勝訴する確率と必要なコストから考えるとまず確実に赤字を覚悟してと言うことになりそうです。
ネット上のいわゆる誤情報に関してはもちろん単純な事実誤認や誤解に基づくものである場合も多い一方、時として何らかの理由によって行われる意図的なデマの流布も少なくないのでは?とも言われていて、明らかに事実に反する書き込みに対しては少なくともそれが事実ではないと言う証拠があるのであれば、書き込みの場所を提供したサイト側にも対応する責任があってよさそうには思います。

もちろん意図的に為されるデマであるほど事実かどうか確認出来るようなことは書かない場合がほとんどだろうし、そもそも気に入る気に入らないの主観的評価に嘘も何もないと言う話ですが、唯一店舗側にとって有利と思えるのはこの種の口コミを基準に選ぶ顧客は基本的には流行に左右された一見客であって、多くはあちらこちらとネット評価の高い場所を巡るばかりで馴染み客になる者は少ないと言われる点でしょうか。
ただ飲食店などについては地道に馴染み客を獲得していった店舗が結局は勝ち残っていくのだろうなとは思うのですが、宿泊業などそうそう何度も繰り返し利用する顧客が多くない業界では口コミの評判も馬鹿にはならないだろうし、そもそも口コミを基準に選ぶ側にとっても嘘やデマの情報に踊らされて間違った選択を強いられるのは不本意と言うものですよね。
口コミサイトを提供する側としても昨今こうした問題に対して、例えば利用者評価の単純平均で点数を付けると言うのではなくきちんとした評価を行っているとされるコテハンの方々を優先していく方針で対応しているところもあるようですが、そうなったらそうなったで既存のガイドブックの類と何が違うのか?と言う話にもなってしまいますから、万人参加が売りのこの種のサイトの位置づけ自体なかなかに難しいところではあるのだと思います。

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2014年10月 2日 (木)

いじめ事件に関連して各地で訴訟相次ぐ

自衛隊と言えば何しろああいう非常事態に活動する組織だけに規律にも厳しいんだろうというイメージがありますが、それが行き過ぎてと言うことなのかこのところ内部でのいじめの報道が相次いでいて、例えば先日は幹部養成を行う防衛大学でこんな馬鹿げた事件があったと報じられています。

防大生、いじめで同級生を刑事告訴 「いじめは修行」体毛に火、集団暴力、性的暴行…(2014年8月12日Business Journal)

 幹部自衛官を養成する防衛大学校(以下、防大と略)で、2学年の男子学生が校内でいじめを受けストレス障害になったとして、上級生や同級生8人を横浜地方検察庁横須賀支部に傷害と強要容疑で7日、刑事告訴した。
 昨年6月、当時1学年だった男子学生が、上級生に服を脱がされて体毛に火をつけられ、腹部に全治3週間のやけどを負ったほか、今年5月、地元に帰省した際に休暇届を出すのが遅れたことを理由に、上級生や同級生から殴られるなどした。さらに6月には、同級生から男子学生本人の顔写真を黒縁で囲み遺影のようにして、無料通話アプリLINE上にアップされた。男子学生は、これらが原因で重度ストレス障害になったといい、現在は地元の福岡県に帰省し休養している。

●いじめは防大や自衛隊の悪弊

 防大OBで現役幹部陸上自衛官は、こうしたいじめは、防大はもとより自衛隊全体にはびこる悪弊であるといい、その内情を次のように明かす。
「寝ている学生を靴やスリッパで叩いて起こす。服を脱がせ体毛を焼く。先輩の男性器をくわえさせ、それを写真に撮るなどのいじめは、数年前でも校内では行われていた。自衛隊の中でも、そうした事案は多々耳にする。今回、こうして公になったことで、自衛隊の悪弊を絶つための、いいきっかけになると思う」
 その一方で、同じく防大OBで現役幹部海上自衛官は、「こうしたいじめに耐える、いじめられないように立ち振る舞うことも自衛官としての修行になる」と話す。
「そもそも、いじめに遭うのは動作が緩慢な者か、やたらと正論を吐く理屈っぽい者が多い。自衛隊のような戦闘組織は命令一下、たとえ理不尽な命令でも率先して動かなければならない動作が緩慢な者はいざというときに組織の足を引っ張る。海外からの侵略や震災などの有事の際は、『何が正しいか』を議論している間に、事態が深刻化することもある。本人の考え方を自衛官らしく矯正し、もし向いていないと判断するならば、別の進路を考えさせることも防大同窓の役目だ」
 異なる見解を示すOBだが、「この告訴した男子学生が、これから防大に復帰して生きていくことは極めて難しい」との点では一致している。

●ITの発達で、密室の出来事を告発しやすい環境に

 昨年は保険金詐欺事件が発覚したが、防大ではほかにも、ここ数年の間に不祥事が頻発している。
 これについて前出の防大OB2人は、「ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)が発達するなど、インターネットの利用が増えたことで、防大外部へのアクセスが容易になったからではないか」という。つまり、不祥事が増えたというよりも、不祥事を告発しやすい環境になってきたということか。
 それでも公になっているのは、氷山の一角にすぎないようだ。防大OB、現役防大生をはじめとした関係者たちは、上級生による下級生への暴力を伴う指導、男子学生による女子学生への性的暴行など、表に出てこない不祥事は数多くあるといい、今回発覚したいじめ事案は、あくまでそのうちのひとつでしかない。
 長年、防大という密室の中での出来事は、外からはうかがい知ることができなかった。しかし、IT環境が発達したことで、内部からおかしいと思うことを告発し、事を公に解決しようとする動きが出てきた。防大内の膿を出し切ることはできるだろうか。

自衛官を育てる施設ですから自衛官として適切でない行動を取るものは矯正しなければと言う考え方もまあ理解出来ないわけではないのですが、その目的で行われることであればあくまでも組織としてルールなり基準なりを定めた上で公的な処分として行われるべきものであって、志願して入った者相手ではあってもいじめや私的制裁の形で行うと言うことは全く事情が異なるものではないかと言う気がします。
例えば医師という職業も他人を傷つけることを法的に認められた唯一の存在である、などと言う人もいますけれども、もちろん医師であるから街中で刃物を振り回して好き放題切り刻んでいいはずがないのであって、今の時代にふさわしい手順を正しく踏んで正当な医療行為であると認められる形での処置として行わなければ傷害罪等に問われてしまいますよね。
医療行為も例えば災害時など緊急避難的に通常のルールを逸脱して行われることはあるし、自衛官や警官なども同様に非常時には通常と異なる行動基準に従って活動することが求められるのは確かですけれども、少なくとも今回の防大内部でのいじめ行為に関しては全くそうした緊急性も考えられない犯罪行為である以上、通常のルールに従って法的処分を下されるのも仕方がないでしょう。

学校現場でのいじめと言うものも果たして悪化しているのか改善しているのかはっきりしないところがあって、文科省の調査結果を鵜呑みにすると85年の調査開始以来短期間に急減していたいじめ件数が近年また急増しているのだそうで、かつての学級崩壊世代の子供世代が再びトラブルを起こしていると言う意見もあるようですが、それにしてもここまで急増、急減を示すと言うのは調査のバイアスを疑わざるを得ませんよね。
医療事故なども年々把握される件数が増えていると言うのは医療安全がどんどん後退していると言うよりも、とにかく医療事故と言えるようなものは報告し把握しなければならないと言う認識が現場に根付いてきたからだと言いますけれども、いずれにしても表沙汰になろうがならなかろうがいじめがなくなると言うことはまず考えられないし、しばしば把握が難しいからこそ把握されたものにはきっちり対処しないことには話が進みません。
この点で近年ではいじめによる自殺事件なども受けてか、犯罪的行為には警察との早急な連携も必要であると文科省からも通達が繰り返されていて、当然ながら学校側としても見て見ぬふりを続けるなど許されないのは当然なのですが、ルールに基づいて厳正な処罰を行いますと言うのは簡単でも実際に行うとなるとなかなか難しそうだと感じさせられる訴訟が始まっているそうです。

いじめの「処分重すぎる」と高校生、停学取り消し求め訴訟(2014年9月25日サンスポ)

 福岡県立高校に通う男子生徒が、同級生へのいじめを理由に学校から受けた停学などの処分は重すぎるとして、県を相手取り停学とクラス変更の取り消しを求める訴訟を起こし、福岡地裁(高橋亮介裁判長)で25日、第1回口頭弁論があった。県側は請求棄却を求めた。

 提訴は7月30日。

 訴状によると、学校は7月14日、生徒を無期限停学とし、在籍していたクラス変更を伝えた。学校が認定したいじめは(1)からかう目的のあだ名で同級生を呼んだ(2)「近づくと汚染される」と言った-などと推認されるが、生徒側は「そういう事実はない。認定に誤りがある上、処分も重すぎる」としている。

 県教育委員会は取材に「複数の生徒から話を聴き、悪質と認定した。処分は妥当だ」と話した。(共同)

ちなみに無期限停学と言いますと停学が解けない限りは進級も卒業も出来ないわけですから、社会人における懲戒処分で言うところの長期の停職処分と同じく実質的には自主退学をしろと言っているとも受け取れる厳しい処分ですが、そこまで言うなら退学にしろ、うちの高校ではいじめは退学だったと言う声があるのもまあ理解は出来るところですよね。
この点は学校等の組織内部での処分は原則的に自治の範囲とされ一般の法律による司法権が及ばないと考えられているのですが、学校における処分の場合その境界線となるのが停学と退学の間なのだそうで、この理由として退学や卒業取り消しとなると学校の外部にも影響が及ぶからだと言うのですけれども、考えようによっては外部から口出し出来ない確実な方法論を採ったと言う見方も出来るかも知れません。
記事の内容は簡単なものなので実際の詳細はあまりはっきりしないのですけれども、記事のタイトルを見てもそうなんですが「認定に誤りがある上、処分も重すぎる」と言う表現からもいじめをしたこと自体の認定には異論がないとも受け取れるところで、このあたり当事者がどの程度までのいじめ行為を認めているのかどうかも今後の法廷で問題になりそうに思います。
ただ一般論としていじめを行っている側がおいそれとそれを認めると言うこと自体が滅多にないと言いますし、また行うにしても客観的な証拠がない状況だからこそ好き放題やっている場合が多いでしょうから、学校側も周囲に聞き取りもしてこれだけの処分を出している以上は今さら疑わしきは罰せずで、確たる物的証拠がないから無罪放免と言うわけにはなかなかいかないんじゃないかと言う気はしますね。

この種のいじめ行為は全国各地で日々当たり前に行われているのでしょうが、マスコミがこういうタイトルで報道したことをもってしても「いじめをしておきながら処分が重いとは何だ」と言う視点か少なからずあることが伺えるし、実際にネット上でもそうした見方が圧倒的に多いと言うのは、それだけ社会的な問題意識が高まっていると言うことが言えるんじゃないかと思います。
今まで教育関係者に直接話をうかがった範囲でも、やはり公立の小中学校における義務教育と言うものにはそれなりに配慮が必要と言う空気はあるようですから、小中学校の間であれば表向き教育的配慮云々からはっきりした処分もなされないまま指導をしました、みんな仲直りしてめでたしめでたしで有耶無耶にされるところがあると言うことを誰しも感じているところもあるでしょう。
そうした反動もあってか義務教育を済ませた高校生ともなれば厳正に処分されるのが当たり前だと期待値も高まろうと言うものだし、文句があるなら最初から高校生にもなっていじめなどするな、反省も全く見えないのだからもっと厳罰でもよかったと言う声も当然出てくるのでしょうが、ただし訴えた主体が形の上では高校生本人となっているとは言え、恐らく実際的には期待を裏切られたスポンサーたる親が訴えているんだろうと言う気はしますね。
そう考えるとこの高校生自身がいじめやそれに対する処分に関してどのように感じているのかは軽々しく論じられませんけれども、義務教育を終えて高校に通う歳ともなれば社会に出て一人前に働いていても何らおかしくない歳ではあり、自らのしでかした行為に対してはその責任は自ら取ると言う社会常識はすでに身につけていることが求められる歳ではあると思います。

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2014年10月 1日 (水)

専門職におけるプロフェッショナリズム

こういうことはあまりあって欲しくはないことですが、本日まずは医療現場における暴力行為の報道が続いたので紹介してみましょう。

「待ち時間長い」家裁事務官が看護師殴った疑い(2014年9月26日読売新聞)

 病院で看護師を殴ったとして、警視庁愛宕署が東京家裁事務官の男(56)から暴行容疑で任意の事情聴取をしていることが捜査関係者への取材でわかった。

 事務官は事実関係を認めており、同署は同容疑で書類送検する方針。

 捜査関係者によると、事務官は24日午前、東京都港区の東京慈恵会医科大付属病院で、近くを通った女性看護師の顔を殴った疑い。事務官は診察のため病院を訪れており、調べに「待ち時間が長くて腹が立った」と供述している。

看護師が患者暴行「早く死ね」 岩沼の病院(2014年9月26日河北新報)

 岩沼市の総合南東北病院(松島忠夫院長)で、30代の女性看護師が入院患者に暴行していたことが25日、分かった。現場にいた目撃者によると、看護師は患者に対して「早く死ね」などの暴言も吐いたという。病院は患者の家族らに謝罪し、看護師を停職3日間の懲戒処分にした。
 関係者によると、暴行があったのは6月中旬の未明。70代の男性患者が看護師に病室で顔を殴られ、左頬付近が腫れた。男性は直前に病室を出て廊下を徘徊(はいかい)していて、看護師に病室に連れ戻された。
 同室だった患者は「無理やりベッドに寝かせられたのか、男性は『痛い、痛い』と声を上げていた」と話す。看護師は男性の汚物処理後、寝ている男性の顔を殴り、「早く死ね、じじい」と言って立ち去ったという。
 病院は男性の頬に湿布を貼る治療をした。看護師は聞き取りに対し「男性の体が腹に当たり、とっさに手を上げてしまった」と釈明。暴言はなかったと病院は認識しており、看護師にも確認していないという。
 病院は「理由はどうあれ、あってはならないことで申し訳ない。再発防止のため職員の指導・教育を徹底したい」と話している。

まあしかし家裁事務官と言えば医療事務に相当する役職なんだそうで、普通の人以上に社会的トラブルにタッチする機会も多いでしょうに何を思ったのかですが、過去にもこの種の窓口トラブルは各地で報道されているところで、岩手県議が起こした炎上騒動では最終的に同県議の不可解な死と言う結果に終わったのも記憶に新しいだけに、看護師を殴っても待ち時間は改善しないと言うくらいの分別はあって欲しかったですかね。
岩沼市のケースでは暴言はなかったと言うなど今ひとつ事実関係がはっきりしないのですが、ネットで見ていて面白いなと思ったのは「なんでこんな酷いことをと言う人は一度介護を経験してみればいい」と言うもっともな意見もあり、他方「介護経験があれば痴呆老人殴ったり叱ったりしても無意味ってわかるだろ」と言うこれまたもっともな意見もあって、まあ気持ちは判らないでもないにせよそこはそれ、仕事でやっていることですからね。
いずれも職業的立場上求められる態度と言う点で見るといささか抜かりがあったと言う捉え方も出来るのかなと思うのですが、もちろん「一患者として病院に来ているのに職業など関係ない」と言う意見も正論ではある一方で、おそらく病院に限らずトラブルを頻発する職業・地位の方々と言うのは何となくありそうだと言う経験則は、多くの接客を伴う職業の方々がお持ちなのではないかとは思います。
ちなみに近年いわゆるモンスター顧客の類が社会的にもクローズアップされている中で、特に老後を迎えつつある団塊世代など年配層の暴走が目に余ると注目もされているそうですが、右肩上がりの社会の中で働いた分それなりに評価されると言う成功体験ばかり積み重ねてきた年配層の方々には、うまくいかないこと=当事者の努力や誠意の欠如と言う考え方に直結しやすい傾向があるのでは?と言う指摘もあるようですね。
いずれにしてもほとんどの人間はわざわざ悪くしてやろうと思ってやっているわけではないでしょうから、窓口業務にしろ夜間の看護・介護体制にしろ改善すべき点があるのであればシステム的に改善を図った方がスタッフ、利用者双方にとってストレスの少ない環境に結びつくのだと思いますけれども、この業務改善と言う点に関して先日少しばかり気になる記事を見つけたので紹介してみましょう。

疑義照会するとクビ?!(2014年9月29日日経ドラッグインフォーメーション)

 先日、ある大学の先生とお話する機会がありました。同級生の薬剤師が保険薬局で管理薬剤師をしていたが、処方医に疑義照会をしたら、しばらくして管理薬剤師をクビになって、他店に配置換えになったというのです。また、先生の大学の薬学生が、薬局実務実習先で、指導薬剤師に「疑義照会……。まぁ、まず聞き入れてもらえませんから」と諭された(?)そうです。
 話す先生も、聞く私も、複雑な苦笑いを交わし合うしかありませんでした。

 そもそも、疑義照会は、薬剤師法第24条で「薬剤師は、処方せん中に疑わしい点があるときは、その処方せんを公布した医師、歯科医師又は獣医師に問い合わせて、その疑わしい点を確かめた後でなければ、これによって調剤してはならない」とされている、薬剤師にとっては必須の事項です。薬学教育でも「処方に疑義があれば、きちんと疑義照会をしなければいけません」と教えています。
 疑義照会が「ただ確かめるだけ(=医学的に正しい処方に変えなさいというものではない)」と受け取られること、医師に疑義照会への対応を義務付けた法律がないということもあるのかも知れませんが、疑義照会がスムーズに流れない場面は少なくありません

 随分、昔の話かと思っていても、現実問題として「薬剤師ごときが医師の処方に口を出すな」とか、「患者の個人情報について、薬剤師に伝えるわけにはいかない」といった医師や医療機関の対応は、まだまだ珍しくないのが現実です。
(略)
 外来診療で疑義照会が来るのは、その患者さんのことは(いい意味で)忘れて、目の前の別の患者さんに没頭しているタイミングです。目の前の患者さんのことを考えれば、それを中断して先ほどの処方のことに対応するのは避けたいと思うのは当然です。既に自分は、その患者さんの治療について決断をして、責任を取るつもりになっているわけですから、なおさらです。

 私は、薬剤師が処方箋を受けて動くだけでなく、薬を交付した後にも動く必要があると思っています。調剤した薬剤を服用して、その患者さんがどうなったかを、薬剤師自身が電話などで確かめて、次回診察時に、薬剤師の“見立て”を医師に伝えることができるようにしたらどうでしょう。そうすると、医師は決断する前ですから、きっと薬剤師の考え方を参考にしたり、意見を取り入れたりしやすいと思います。病院で、外来化学療法の薬剤師外来が医師の診察前に設定されるケースが増えてきているのも、このような意味合いがあるからだと思います。また在宅業務で薬剤師が往診に同行するケースなども、これに該当します。
 課題は色々とありますが、薬剤師が、調剤した薬がどうなっているかを自分自身で確かめるようになれば、きっと解決の糸口が見つかるのではないでしょうか。

薬剤師に限らず看護師等も含めていわゆる確認の電話の類と言うものは忙しい臨床医にとっては少なからず鬱陶しいもので、それは字が汚くて読めないだとかとても普通では考えられない指示であるとか時に問い合わせと確認の必要性があるのは理解出来るし、また事故のリスクを減らすためにもお互い気軽に確認出来る状況にしておくべきだと言うのは判るのですが、そうは言ってもいつも笑顔で受けられる場合ばかりでもないですよね。
何をどう問題だと感じて何が確認したいのだと言う目的意識が明快ならばよいのですが、指示の内容をただ読み上げるだけで「と言う指示ですよね?」と言われるだけでは何が聞きたいのかさっぱりですし、多忙な業務の真っ最中や深夜早朝にこの種の問い合わせを頻発されたのではさすがにいつも平常心ともいかず、結果として「あの先生は怖いから確認はやめとこう」と言う風潮が蔓延すると後日思わぬ事故の原因ともなるわけです。
ここでは「調剤した薬剤を服用して、その患者さんがどうなったかを、薬剤師自身が電話などで確かめて、次回診察時に、薬剤師の“見立て”を医師に伝えることができるようにしたらどうでしょう。」と言うサジェストがなされていて、これまた「診断治療は医師の専権事項だ」などと言い出す先生もいらっしゃるかと思いますけれども、やはりどの職種であっても医療に従事する専門職である以上は治療の全体像をトータルに捉えて考える必要はあると思いますね。

胃癌検診などでもよく行われる胃透視(いわゆるバリウムですね)と言う検査がありますが、手技的な部分に関しては数をこなしている人間がうまいのが当たり前ですからそこらの医師よりもレントゲン技師の方がよほど上手だったりする、そして小さな小さなポリープも当てものよろしく見つけてくるのですけれども、所見をつける医者の方ではその多くは胃癌リスクと言う点ではさしたる重要性のないものだと判断しているかも知れません。
一見同じような病変でも写真から読み取れる様々な情報から精密検査に回すべきか経過観察でいいのか判断されるもので、逆に言えば見つけた病変に対して適切な判断を行っているかどうかで写真の撮り方も変わってくるはずですが、ではどうやってそれらの判断を行うかと言えば精密検査をした結果どうだったかと言う「正解」との突き合わせが非常に大きな意味を持ってくるはずですよね。
医師の場合は検診で引っかかった症例にカメラを行う、場合によってはさらに病理検査にも回し診断と照らし合わせると言う一連の行為の繰り返しが診断力を高め、そのフィードバックが胃透視での診断力も高めていくわけですが、技師にしても自分が拾った所見が結局何であったか興味を持ってしかるべきだし、検査精度維持のためには施設としてもその部分に関する教育機会は与えるべきではないかと言う気がします。
疑義紹介の類も電話の相手が何をどの程度考えて連絡して来たのかは聞いていれば概ね判るのだろうし、きちんと根拠や考え方の筋道もあっての疑問や疑義に残念なあしらいをすると言うのでは医師の側に問題があると言うしかないですが、そのためにもまずは専門職として相手にリスペクトされるだけの知識は身につけておく必要があって、医薬分業と言う制度はその教育機会と言う点ではいささか不利なのかも知れないですね。

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