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2014年9月13日 (土)

久しぶりに本分に立ち返って

近年コンビニ弁当と言うものの劣化が激しいと言いますか、ぶっちゃけまずいと言う声が周囲からも結構聞こえてくるのですが、価格競争が激しくなり原価を圧縮せざるを得なくなっていると言う事情も関係しているのでしょう、同じチェーンの商品でも高価格帯のプレミアム食品などはまともな味がすると言うケースも少なくないようです。
それでも安かろうまずかろうで済んでいるうちはまだしもで、そのうちどこかの国のように明らかに身体に悪そうなものを食べさせられるようになるんじゃないかと言う不安も出てくるのかも知れずですが、先日はこんな記事が出ていました。

添加物だらけのコンビニ弁当に厚労省が「健康印」のお墨付き?(2014年9月9日Business Journal)

 厚生労働省は、2015年4月より、コンビニエンスストアの弁当やスーパーの総菜などの加熱調理ずみ食品に「健康な食事」の認証マークを導入すると発表した。検討会では、すでに成人1食分の栄養素量などの基準案が示されたという。
 基準案は、国民の食事の実態や「日本人の食事摂取基準」を踏まえた分析を参考に作成された。主食は、1食あたりの炭水化物が50~70gで、玄米などの精製度の低い穀類が2割以上含まれること。魚や肉などによる主菜は、たんぱく質が12~17g、野菜やキノコなどの副菜は重量100~200gとなっている。1食のエネルギー量は650kcal未満、食塩は3g未満だ。
 「健康な食事」の認証は1食単位で、健康増進に必要な栄養素やエネルギー、塩分量の基準を満たしたものに許可される。主食、主菜、副菜の1品ごとの認証もあり、消費者はこれらを組み合わせて食べることもできる仕組みだ。製造・販売元には認証商品の報告が義務づけられる。

●基準を満たしているかは自己申告、添加物の含有には触れない「健康印」

 しかし、基準を実際に満たしているかどうかは、それぞれの製造・販売元の申告による。認証商品の報告義務はあるものの、商品に対して厚労省などの検査が一切ないとすると、この認証はどこまで信頼に値するのかは、はなはだ怪しい。また、栄養素量は満たされているとしても、保存料や着色料などの添加物について、まったく触れていない点も大いに疑問が残る。
 一方、「健康な食事」の認証基準の根拠にもなっている「日本人の食事摂取基準」は、2015年版からエネルギーの指標をこれまでのカロリーから「BMI(body mass index=体格指数)」に変更する方針だという。BMIは肥満を判定する指数で、体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)で算出するものだ。
 これまでの基準は、年齢や性別、身体レベルからエネルギー必要量を決めていたため、小柄な男性や大柄の女性には対応しきれていなかったが、今回、採用される基準では、望ましいBMIの範囲を維持できる食事量を示す。
 たとえば、目標のBMIは年齢が18~49歳なら「18.5~24.9」、50~69歳なら「20.0~24.9」、70歳以上なら「21.5~24.9」と設定。自分のBMIがこの目標範囲を下回っていれば、エネルギー「不足」、上回っていれば「過剰」ということになる。さらに食塩の1日の目標量を、16歳以上の男性は9gから8gに、女性は7.5gから7gとより厳しく設定している。

 厚労省によるこれらの新たな試みは、もちろん高齢化が進んだこととも無関係ではなく、生活習慣病予防や介護予防につながるのはいうまでもない。そして、独居老人などが増加している今日、手軽なコンビニ弁当やスーパーの総菜は、自宅で調理をしない人たちにとっては、ありがたい存在でもある。
 しかし、厚労省が、自宅で調理して食べる「内食」よりも、できあいの弁当や総菜を食べる「中食」を推奨するのは、いかがなものか。「健康な食事」の認証は、それを食べれば“健康”になるという錯覚を引き起こしかねない。 
 厚労省は、この認証マーク導入に伴って、マークのデザイン公募を行なった。「マークは原則カラーで、主食、主菜、副菜を判別しやすいデザイン」としている。来春、このマークの付された弁当がコンビニにお目見えする。果たして、厚労省お墨付きの弁当・総菜は、消費者、いや国民の心をつかめるだろうか。

今どきビタミン等々個々の栄養成分自体はサプリメントで簡単に補うことが出来るのですから、昔のように食品に含まれる栄養素ばかりチェックを厳しくするようりも一日トータルの摂取量で考えるべきなのでしょうが、それでも一日三食コンビニ弁当と言う人が実際に少なからずいるのだとすれば最低限これくらいはと言う必須栄養素の基準は求められるところでしょう。
必要な栄養素が含まれているのだからこれは健康な食事だと言うのも考えてみれば暴論気味なところがあって、そもそも健康被害などを引き起こすのは必要な栄養素が不足したからではなく余計なものが入っていた場合の方が圧倒的に多いと言うことを考えると、どうも添加物等栄養素以外のその他の部分に関していささか物足りない基準なのではないかなと言う気は確かにするでしょうか。
ただ幸いにもと言いますかある種判りやすい部分はあって、室温で何ヶ月も放置してもカビも生えないなどと言われるようなレベルの弁当などはやはり食べてもまずい、と言うのが悪ければ料理名から予想されるものとはかけ離れた不可思議な味がすると言う現実はありますから、どうがんばっても家庭で再現できないような奇妙な味のものにはやはり何か見た目通りではない別なものが使われているのだろうとは思います。
ただその大前提としてこの料理はこんな味と言う知識を各人が持っていないといけない理屈で、これも残念ながら産まれた時から出来合のお総菜ばかりで育ってきた方々の中にはこうした本来のものとかけ離れた味の方を本物だと認識している人もいると言いますから、やはり味覚と言うものも自分の健康を守る一つの手段として交通ルールを教えたりするのと同じように年長者の責任で教育していく必要はあるのかも知れません。
その意味で手っ取り早く本来の味を学習する手段として自分で材料を揃えて実際に作ってみると言うのは非常にいいことだと思いますし、昨今では男女を問わず料理が出来ると言うことは高く評価されるそうですから婚活の一助としても使えるんじゃないかと思うのですが、その点に関連して先日少しばかり気になる記事が出ていました。

若者の料理がマズいのは化学調味料を使わないから 「素材の味にこだわる」が悪影響(2014年9月10日もぐもぐニュース)

自分の料理がまずいと嘆く若者たち

うちの料理教室に通ってくる若い人が、自分の料理がマズイとなげくんですが、そりゃ当然ですよ。だって化学調味料を使ってないんですから」と、こともなげに言うのは、都内で料理教室の女性講師。
生徒たちの悩みを聞くと「料理がうすらマズイ」「味の輪郭がぼやけてる」「味が決まらない」といったものが多いという。そこでこの先生が「そういう時はね…化学調味料をちょこっと入れるのよ」と言うと、生徒たちはみんな顔をしかめるという。

みんなが『美味しんぼ』化している?

たしかに漫画『美味しんぼ』の海原雄山や山岡ではないが、我々としても化学調味料と聞くと、ちょっと後ろめたいものに感じてしまう。またラーメン屋などで料理を作っているのを見ていて、店員が大量の“白い粉”を投入すると、味もイマイチに感じることはある。

外食が美味いのは化学調味料使ってるから

「だけど、実際外食すればほとんどの店は化学調味料と濃い味付けで、店としての美味しさを出していますよね。それに中食、コンビニやスーパーの惣菜だって、それに近いものは使っているんですから、その味に慣れてしまえば、ふつうに作った食事はうすらマズく感じますよ(笑)」(前出・講師)
そうなのだ、外食や中食、他にも冷凍食品、レトルト食品などには、うま味調味料(最近は化学調味料とは言わずに、こう言う)がほとんど入っている。内容にアミノ酸などと書いてあるのがそうだ。だから味はパキッとして美味い

マズけりゃ入れろ、美味けりゃ入れるな

さきの講師は、化学調味料の肯定派でも否定派でもないといい、基本的には「上手に使えばいい」というスタンス。この料理教室の生徒に話を聞いてみると
「でも素材の味を引き出せとか、料理の本には書いてあるじゃないですか。だから化学調味料と聞くと『えー』って思いますよね。でも家に帰って母に、先生にそんなこと言われたと言ったら『私もむっちゃ使ってる』と返された」(23歳 OL)
そうなのだ、昔の人(といったら失礼だが)たちは、漬物に化学調味料をぶっかけたりすることに躊躇はなく、それが独自のハッキリした味の輪郭をだしていた。だから、料理の初心者が「下手に素材の味とか言ってもまずくなるだけ。そうやって上達していくんですけどね(笑)。味が決まらなきゃちょっと入れて、美味しく仕上がってればいれなきゃいい」(講師)とのこと。
とはいえ、逆に言えば素材の味とやらは実際わからなくなっているわけで、なんとも言えない気持ちになる話だ。

ご存知のようにお食事会系サイトを標榜している当「ぐり研」としては食べ物に関連した話題にはどうしても目が行くのですが、しかしこれは化学調味料入りの味に慣れてしまっているからと言うよりも、本物の味を教えるべき立場にある方々も含めて現代日本人がもう少し深刻な問題を抱えていることを示す話だと言う気がします。
以前に料理番組を見ていて、講師の料理人の方が「日本の料理は出汁さえしっかり取れていれば失敗しないのです」と言っていたのを聞いて非常にアグリーだったのですが、そもそも日本料理の味の組み立ての基本であり度台であるはずのこの出汁の味(うまみ)と言うものを深く考えずに料理をしている人が多いらしいと言うのが一番気になるところだし、その妥当な解決法を指導者が提示していないと言うのはもっと気になりますね。
こういう混乱が起こる理由は色々とあって、一つにはもちろん化学調味料の登場が最大手に挙げられますけれども、ある程度料理をする人であっても今や出汁やスープを満足に取らないで料理をするようになってしまっている理由の一つとして、カレールーやだしつゆ(出汁入り合わせ調味料)に代表されるように調味料とセットでそれなりにうまみ成分も配合されている便利なものが使われるようになったからと言うこともあるかと思います。
もちろんこう言うものは苦労せずとも味の基本を簡単に決められる便利なものではあるのですが、画一な味になりやすいと言う欠点は置くとしても多くの市販のだしつゆを指示通りに希釈してみれば判る通り、やはり調味料成分に対してうまみ成分は物足りないところがあるし、安価なカレールーほどスープにコストをかけるよりも簡単かつ安価にコクを演出しようと油脂成分に頼る傾向があるように感じます。
そこで肉野菜を煮込む時に水ではなくスープストックを使ってみようだとか、だしつゆをお湯ではなく出汁で割ってみようと言う方向に工夫が進むなら全く健全なのでしょうが、出汁の代わりに化学調味料で代用をとなると前述の記事にあるように「化学調味料アレルギー」を発動してしまい、結局は「蛇口から出るスープ(by陳健一)」で代用してしまい物足りない味で終わってしまうと言うことになりがちなのでしょう。

化学調味料と言うものも使いようではあって、よほどに突き詰めたピュアな味の料理ではない限りは「適切な量の」化調を加えた方がうまく感じると言うのも事実だし、要は他のうまみ成分もしっかり用意した上でバランスを崩さない範囲で使っている分には目の敵にするほどのものではないと思うのですが、昨今では商業的な面からも無化調であること自体が一定の売りになるらしいですよね。
特に大衆的な料理屋でよくあることですが、チープなりにバランスの取れた味だったものが「当店では化学調味料を一切使用しておりません」などと言い出すと途端にまずくなるのも、今まで通りの作り方でただ化学調味料だけを抜いたせいで肝心のうまみが激減してしまったからだと考えると納得出来る話で、まずいのは無化調だからではなく正しく必要なうまみを他の手段で補っていないからだと言えるでしょう(当然まともな店は最初からそうしているわけです)。
ちなみに業務用も含めて市販のスープの素の類は大抵相応の量の塩分も含んでいますから、これをただ抜くとたいてい塩分濃度が下がって薄味にも感じられるのを「さすが無化調はあっさりして素材の味が出ている」などと評する人もいるようなんですが、本来はこういうバランスの崩れてしまった味こそ「味の輪郭がぼやけてる」と言うべきじゃないでしょうか。
無化調にするならするで減ったうまみ成分を補うために何故出汁やスープをきちんととらないのかだし、料理教室などは調理法以前に真っ先に出汁やスープの正しい(かつ、普段使いできるほど安価で簡便な)取り方を教えるのが筋だと思うのですが、何故か出汁の取り方も知らないはずのずぶの素人相手の教室であってさえいきなり「材料:出汁1カップ」のところからスタートしている場合がままあると言うのはちょっと困ったことだと思います。
さすがに鰹節をかんなで削るところから始める人も今や少ないと思いますが、昆布と削り節で出汁を取るだけなら材料下ごしらえの片手間に簡単に出来ることであるし、各種うまみ原料を紙袋に詰め込んだ出汁パックを鍋に放り込むだけでも(ちゃんと真っ当なものを選びさえすれば)顆粒だしを使うよりはよほどすっきりした味を楽しめるのですから、料理の手間ひまが問題になるほど増えると言うこともないと思うのですけれどもね。

ちなみに化学調味料無添加と言っても材料をよく見ると「蛋白加水分解物」と書いてある場合も少なくないのにお気づきかと思いますが、そもそも化学調味料とはグルタミン酸などのうまみ成分を微生物に合成させたものを抽出・精製したもので、何しろ結晶化出来るほどピュアなものですから量を使いすぎると特定のうまみ成分だけに味が支配されて、「舌がしびれる」などと言う人もいるように妙に尖った味に感じられやすいようです。
この欠点を改善したのが蛋白質を分解することで各種アミノ酸を得る蛋白加水分解物で、様々な種類のアミノ酸が含まれるだけに複雑でコクのあるうまみが得られると今やすっかり主流になっていますが、興味深いのは蛋白質をただ分解するだけと言う簡単な方法で製造されると言う理由によって、化学調味料のような食品添加物ではなく食品として分類されていると言う点です。
もちろん日本人が昔から発酵だとか加熱、あるいはカビつけや長期熟成等々あれやこれやのテクニックを駆使してきたのも結局少しでも原材料中から取り出すうまみ成分を増やすためにしていることで、その意味で方法論に違いはあってもやっていることに変わりはないわけですが、一部で言われているような製法上の理由による危険性の危惧の真実性は置くとしても、やはり何となく釈然としないものは感じるでしょうか。
とは言えこの辺りは基本的に食品コーナーでものを買うに当たって原材料表記を確かめる癖をつけておけば、各人なりの考え方で何をどう利用するのかを選択することが可能になってくると思うのですが、スーパーなど小売業者さん側にも単に値段や売れ行きだけに従って品物を並べるのではなくて、こう言った原材料レベルでの選択枝を多様化することも考慮した品揃えを提供していただきたいと思いますね(いやホントに…)。

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