« なんでもさらせばいいと言うものでもなくて | トップページ | 久しぶりに本分に立ち返って »

2014年9月12日 (金)

医療の世界における理想と現実の乖離

医療の世界も様々なバックグラウンドを持つ人々の参入が図られていますが、先日こういう記事が出ていたのをご存知でしょうか。

存在感増す、「社会人ナース」(2014年9月2日日経メディカル)

 一般大学卒業後や社会人経験を経て、看護師養成所に入り直す人が増えている。国は、給付金制度の拡充などで社会人入学を後押ししており、この傾向は今後も続きそうだ。安心して働き続けられるよう、新入職者の教育体制を見直す医療機関もある。

 「私、ベテラン看護師とよく間違われるんですけど、実はまだ、臨床3年目なんです」――。こう話すのは、都内総合病院に勤める看護師のAさん(42歳)。大学(文学部英文学科)卒業後、一般企業で15年ほど事務職として働いていたが、父親ががんになったことをきっかけに、看護の仕事に興味を持った。30歳代半ばで看護学校に入学。「同級生90人中、30人は社会人経験者」(Aさん)という環境で3年間学び、卒業後は、がん症例の豊富な都内有数の急性期病院へ就職を果たした。
 入職後、第一希望の消化器外科に配属されたAさんだったが、実は目下、転職活動中だ。最大の理由は体力の限界。「ある程度覚悟していたつもりだったが、20歳代の若い看護師と同じように交替勤務を続けるのは、想像以上に辛い。レポートなどのノルマや残業も多く、ついていけなくなった」とAさん。それでも、がん看護に対する思いは強く、「今後は夜勤負担のない訪問看護に転職し、在宅での看取りに関わっていきたい」と語る。

定員の50%が「社会人枠」の養成所も

 近年、Aさんのように、社会人経験を経て看護師を目指す人が増えている。日本看護学校協議会(以下、協議会)が2012年に実施した調査によると、看護師養成所(3年課程)の入学者のうち、一般大学・短大・専修学校の卒業者は15.0%。経済不況から、安定した収入が得られることを理由に入学を希望する人も多く、養成所では、一般入試の受験資格の年齢制限を撤廃したり、一般入試よりも少ない科目数で受験できる「社会人入試枠」を拡大するなど、受け皿整備を加速させている。
 協議会の会員校(389校)のうち、社会人入試枠を設けているのは153校。「まだまだ限定的だが、その数は増える傾向にはある。我々の調査では、社会人枠が定員の50%を占める養成所もあった」と事務局長の遠藤敬子氏は説明する。「18歳人口が減少し“大学全入時代”となる中、学生確保のため、社会人にも積極的に門戸を開いていかないといけない」(遠藤氏)という養成所側の事情と、受験生のニーズがマッチした格好だ。

 昨年、取りまとめられた「社会保障制度改革国民会議」報告書にも、看護職員の養成拡大の方策の一つとして、大卒社会人経験者等を対象にした新たな養成制度の創設などが検討課題として盛り込まれている。2025年に向け、国としても社会人入学を積極的に後押ししたい考えだ。
 その一つとして、今年10月には、雇用保険法の改正に伴い、教育訓練給付金の給付内容が拡充される。
 これは、新たに資格取得などを目指す社会人を対象とした、キャリアップ支援制度。今回、専門的・実践的な教育訓練として厚生労働大臣が指定した講座(専門実践教育訓練)について、給付金の額が引き上げられ、給付期間も伸びる。看護師養成所も指定講座へのエントリーが可能で、申請が受理されれば、そこに通う社会人学生については、支払った学費の最大40%(上限年間32万円)の給付を、3年間、国から受けることができる。資格を取得した暁には、さらに20%分を追加で受け取れる“特典”付きだ(表1、ただし、受講開始日前までに通算で2年以上の雇用保険の被保険者期間を有するなどの要件あり)。
 8月には、第一陣となる8校の看護師養成所が指定を受けた。10月上旬には、第2回目の申請の受付が始まる予定。同制度は以前からあったが、支給期間が最長1年など制約があり、看護教育の現場ではあまり使われてこなかった。「給付内容の拡充に伴い、国は大々的にPRしている。各養成所にも都道府県経由で周知されており、指定を受ける養成所がこれから増えるのではないか」と協議会の遠藤氏はみている。

 協議会が、一般大学卒業後に看護師養成所に入り直した43人を対象に行ったアンケートでは、養成所に対して、学内の共用設備や図書室の蔵書、専任教員による実習指導や講義の質などの改善要望が挙がった。受け入れ拡大と同時に、学習環境の充実への対応にも迫られている。

色々と解釈可能な記事だと思いますが、しかしAさんのようなケースを見ても一昔前に盛んに言われたように「社会を知っている人の方が優れた医療人になれる」などと言う綺麗事ばかりではないと言う意見もありそうな一方で、どんな人材であれいないよりはいた方がいいと言う職場もまだまだ多いのも事実だろうと思います。
制度的にこうした別経路を支援すると言う動きが出ているのは記事にもあるような安定的雇用を目指す求職者とスタッフの充実を計りたい国や求人側との思惑が一致しているからと言うことなのでしょうが、実は学生人口全般で考えると昨今「2018年問題」などと言う言葉もあるように、今後学生数の減少に伴って大学全入どころか定員過剰となり学生の奪い合いや大学の経営難につながるのではないかと言う懸念もあります。
近年各地で看護系学部がやたらと整備されてきているのも手に職をつけた国家資格職であり、卒業後の進路に困ることがないと言うセールストークが学生に対する訴求力を持つからだとも言えますが、一方で現状でも離職有資格者が多いと問題視されている職場だけに、こうして資格を取った方々がどれだけ現場に残るものかと言う懸念はあるでしょうね。
ただ一般論として給料がいいだとか雇用が安定している、あるいは職場環境が良好であると言った理由で職業選択をするのは当然のことなんですが、どうも医療の世界に関しては昔からそうした普通の仕事としてあるべきではないと考える方も少なくないようで、先日アメリカからこういう記事が出ていました。

米国で自分の職業が嫌になる医者が多い理由(2014年9月8日ウォールストリートジャーナル)

 私は最近、どうしたらある患者が診察を受けに来るのをやめさせられるかと診察室の出入り口のそばでそわそわ考えていることが余りに多いことに気付いた。半ばに差し掛かったキャリアを振り返ると、自分が多くの点で、決してこうはなるまいと考えていた医者になってしまっていることを実感する。せっかちで無関心なことが多く、素っ気なく、偉そうなときもあるような医者だ。私の同僚の多くが同じような悩みを持ち、職業上の理想を失っている
 私はミッドライフ・クライシス(中年の危機)に見舞われているだけなのかもしれない。だが、私には医師という職業自体が中年の危機のようなものに見舞われている気がしてならない。米国の医師はかつて享受していた地位を失っている。20世紀半ば、医師はコミュニティーの中心的な存在だった。賢くて、誠実で、意欲にあふれていて、クラスでトップの成績ならば、就きたい職業として医師ほどに崇高で報いのある職業は他になかった
 今日の医師は1つの職業に過ぎず、医師は普通の人になってしまった。不安と不満を持ち、将来に懸念を抱いている。調査によると、大多数の医師は医療に対する熱意を失ったと述べ、友人や家族に医師になるのを勧めないと話している。1万2000人を対象に行った08年の調査では、職業にやりがいを持っていると答えた医師はわずか6%にとどまった。84%は収入が横ばい、ないし減っていると答えた。大半はペーパーワークのせいで患者との時間が十分に取れないと答えたほか、半数近くが向こう3年で診る患者数を減らすか、診察自体をやめると述べた。
 米国の医師は集合的マレーズ(不快感)に苦しんでいる。われわれはそれに抵抗し、自らを犠牲にしているが、一体何のためにそうしているのか。われわれの多くにとって、医師は単なる職業の1つに過ぎなくなっているというのに。
(略)
 ではわれわれはなぜ、こうなってしまったのだろう。
(略)
 1965年に高齢者のセーフティーネットとしてメディケア(高齢者向け医療保険)が導入されると、医師たちの給与は実際には増えた。医療を求める人が増えたからだ。1940年の米国の医師の収入の中間値は、インフレ調整後のベースで約5万ドルだったが、1970年までに25万ドル近くにまで増えた。これは平均的な世帯所得の6倍近くの金額だ。
 しかし、医師が豊かになるに伴い、医療制度からカネをむさぼっていると見られるようになった。米国経済が拡大するにつれ、医療費も急増した。一方で、無駄遣いや詐欺の報告が相次いだ。1974年に行われた議会の調査では、外科医が240万件の無駄な手術を行い、40億ドル近くのコストが生じたほか、1万2000人近くが死亡したとされた。ニューヘイブン郡医師会は1969年、医師たちに対し、「金の卵を産むガチョウの首を絞めるのをやめる」よう警告している。
 医師に患者を管理させるのがまずいとなると、誰かが代わりにそれをやらなくてはならなくなった。1970年以降、医療保険のシステムの1つである健康維持機構(HMO)が支持され、料金を統制し、支出を定額にするという新しい医療の形が推進された。
 メディケアや民間の保険と異なり、この仕組みによって医師たち自身が支出過剰の責任を負うことになった。その他の医療費を削減するためのメカニズムも導入された。患者によるコスト負担の導入、保険会社による医療サービスの審査といったことだ。こうしてHMOの時代が始まった。

1973年の時点では、正しいキャリア選択をしたかどうか疑いを持つ医師の比率は15%に満たなかった。しかし、1981年までには、医師になることを10年前と同じように強く推奨できないと答えた医師が半数に達するようになった。
 一般人の医師に対する見方も大きく変化した。医師は手放しで称賛される存在ではなくなった。テレビ番組では、医師が人間的に欠点があり、傷つきやすくて、職業的にも個人的にも過ちを犯しがちな存在として描かれるようになった。
 保険会社などが患者に必要な医療の内容を決定してコストを抑制するマネージドケアが伸びる(2000年代初頭までに保険に加入する労働者の95%はなんらかのマネージドケアプランに入った)につれ、医師への信頼感は低下していった。2001年の調査で、質問に回答した医師約2000人のうち58%が過去5年間に医療への熱意が薄れたと述べ、87%が全体の士気が下がったと答えた。より最近の調査によると、現役の医師の30~40%は、もう一度キャリア選択ができるとしたら、医師の道を選ばないだろうと答えた。そして、子供に医師のキャリアを追求することを薦めないと答えた医師の比率はもっと多かった。

 医者たちが幻滅する理由は、マネージドケア以外にもたくさんある。医療の進歩による意図せぬ結果の1つは、患者と十分な時間が過ごせない医師が増えたことだ。医学の進歩は、かつては死に至る病―がん、エイズ(後天性免疫不全症候群)、鬱血性心不全―だったものを、長期的な管理が必要な、複雑な慢性疾患に変えた。医師が持つ診断・治療の選択肢も増えたため、幾つもの検査やその他の予防的サービスを提供する必要が出てきた。
 一方、給与は医師の期待ほど伸びていない。1970年の総合診療医の収入はインフレ調整後ベースで18万5000ドルだったが、2010年の収入は16万1000ドルにとどまった。医師が1日に診る患者の数は2倍近くに増えているにもかかわらず、である。
 今日の患者が医療に支払う金額が増えていることに間違いないが、それを提供する医師などに向かう金額は少なくなっている。2002年に医学誌「アカデミック・メディシン」に掲載された記事によると、患者が最初に診察してもらうかかりつけ医の教育投資に対するリターンは、労働時間の差を調整すると、1時間当たり6ドル未満と、弁護士の11ドルを下回っている。このため、一部には、保険会社による割引のない自費で料金を支払える患者にのみ医療を提供する医師もいる。
 複雑な支払い制度の問題もある。医者たちは1日に平均1時間、年間で8万3000ドルを保険会社の書類のために費やす。カナダの医師の4倍だ。その上、訴訟の怖さも忘れてはならない。医療過誤に備えた保険料はうなぎ登りだ。チェスにたとえるならば医師は保険会社と政府の間の無力な歩兵に過ぎなくなってしまった。
(略)
 もちろん、今の時代、不幸なのは医師だけではない。弁護士や教師も、事務処理に忙殺され、社会的地位や尊敬も得られなくなっている
 ではどうしたら燃え尽きそうな医師を救えるだろうか。医療には幾つもの成功の指標がある。表彰制度を設けるのも一案だ。外科医の手術による死亡率や内科の再入院比率といった数字を公表するのは最初の一歩としていいだろう。または患者に医師を評価させるのもいい。私の病院の内科医は患者とのコミュニケーション術や患者と過ごす時間などの基準に基づき四半期に1度、成績表を受け取っている。
 また報酬の支払いは、治療への対価という現在の形ではなく総額支払い方式に変えなければならない。これは医師らがグループで総額を受け取り、それを分配する仕組みだ。これによって医師は技量に応じた支払いを受けられる。また患者を健康にすることへのはげみになるだろう。
 医師は大量の患者を診察すればよいというのではなく、ビジネス的になり薄れてしまった患者との人間的な関係を取り戻さなければならない。多くの医師は、不満の多い医師も含め、この仕事のいいところは人々の世話をすることだと言う。私は、これこそが現代社会の医師のストレスに対処するカギだと思う。自分にとって何が重要で、何を信じ、何のために戦うかを明確にすることだ。
 医師にとって最も重要なのは人間的な時間だ。医療は人々が弱っているときに人々の世話をすることだ。こうした人間的な時間があるからこそ、弁護士や銀行家がわれわれをうらやむのだ。結局、こうした気持ちを抱けるようにすることこそが、医師という職業を救う最も有効な方法だ。

日本とアメリカと言えば医療制度的に対局の関係にあるかのように語られる場合が多いものですが、こうして見てみますと皆保険制度導入以降の日本の医療が辿ってきた流れと本質的に何ら変わりがないようにも思えるところで、やはり制度の差異はあれ増え続ける医療費に対する社会的な抑制要求や業務量増加に対して年々相対的減少が続く報酬など、共通する問題の方が多いのでしょう。
もちろん多くの他業種に従事される他業種の方々にとっては「何を甘ったれたことを言っているんだ。これだから医者は世間知らずで困る」と言う程度の愚痴に過ぎないのでしょうが、留意いただきたいのはアメリカや日本を含めほとんどの国々で医師という職業はますます忙しくなってきている、しかしその見返りとして必ずしも医師個人に対する金銭的支払いの増加ばかりを求めているわけではないと言う点でしょう。
医師も人によって考え方が違いますからそんなことはない、俺はもっと給料が増えない限り働かないぞと言う人もいるでしょうが、日本においても勤務医の6割がすでに給与には満足していると言うデータは金ばかりを価値観の中心に据えている人は少数派であるとも受け取れる一方、世に言う医療崩壊と言う現象の処方箋として給料さえ増やせば済むと言うわけではないと言う解釈も可能だと言えそうです。

医師とて人間ですから、尊敬してもらいたいだとか患者さんとの人間的な関係を結びたい、あるいは人として健全な精神を育めるゆとりある生活をしたいと言った様々なしおらしい要求も、その大前提として給料は今の水準をキープしたままでと言う但し書きを付けて考えているのが本音のところだろうと思いますが、医療の財政面からの制約が多い時代にあって取りあえず給料増やせと要求されるよりはまだマシに思えますよね。
ただ給料と言うものは数字という客観的な指標であり、権限のある人間がそれと決断すればある意味簡単に増減できると言う点で非常に判りやすいものであるのに対して、「俺はもっと働きがいを感じられる仕事がしたいんだ!何とかしてくれ!」などと言われてもどうしろとと言う話でしょうし、実際その求める内容は各人各様の価値観によって違ったものなのでしょうから対応が難しいですよね。
そして金銭と異なってこうした価値観に根ざした配慮は一律の基準で評価することもまた難しいはずですから、今月のボーナスは全員○%増しなどと言った話と違ってあいつの方が配慮されている、いやお前の方が優遇されていると言う論争にもなりかねず、組織として制度として一律対応するには非常に難しいからこそ手っ取り早くお金で片付けておきたいと言う思惑もあるでしょう。
ともかくもこんな話が出てくること自体まだまだ医師という職業が社会的に恵まれているからで、食っていくのに精一杯ならそんな贅沢を言っていられないとも言えるのでしょうが、それだけに「俺にもっと楽をさせろ」では社会的な訴求力も何もなさ過ぎると言うもので、なぜそうした方が多くの国民にとっての利益につながるのかと言う点にまで立ち返っての労働環境改善の主張であることが、医療のスポンサーたる国民にも受け入れられるための必要条件となるでしょうね。

|

« なんでもさらせばいいと言うものでもなくて | トップページ | 久しぶりに本分に立ち返って »

心と体」カテゴリの記事

コメント

わりと近ごろは吹っ切れちゃってる先生が増えてる気がしますが。
患者さんとの関係も割り切れるようになってきてると言うか。

投稿: ぽん太 | 2014年9月12日 (金) 09時40分

いわゆるモンスター問題がごく一般的にあり得るトラブルなのだと認知されることで、かえって顧客との適正な距離感が判ってきたと言う場合も多いんじゃないかと思います。

投稿: 管理人nobu | 2014年9月12日 (金) 11時03分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/519753/60292325

この記事へのトラックバック一覧です: 医療の世界における理想と現実の乖離:

« なんでもさらせばいいと言うものでもなくて | トップページ | 久しぶりに本分に立ち返って »