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2014年8月12日 (火)

「何かあったら責任が取れるんですか!?」と言う声が聞こえそうな話

本日の本題に入る前に、先日来の台風襲来によって全国各地で大きな被害が出たところで、特に中心市街地が水没した高知では数日間の降水量が1200ミリを超えるなど記録的な大雨であったそうですが、その高知でさらなる大被害を招いていただろう非常に危険な状況を辛うじて回避し得た裏事情があったと話題になっています。

豪雨の中で鏡ダム越流をギリギリ回避した高知県職員 放流量を巧みに操作(2014年08月05日高知新聞)

 鏡川は大丈夫か?高知県内で記録的な大雨が降った3日、高知市民にそんな不安が広がった。豪雨と満潮が重なり、水位がどんどん上昇する。氾濫危険水位を超え、「あわや」という状況が続いた。ぎりぎりでそれを免れた背景には、上流の鏡ダム(高知市鏡)で水量をコントロールする高知県職員がいた。

 3日朝、鏡ダム管理事務所の町田明憲チーフ(57)は、祈るような気持ちで出勤した。
 「これ以上、降らんとってくれ!」
 1日から断続的に降り続けた雨は、3日午前に激しくなった。鏡ダム上流域にある高知県の雨量計は、午前9時までの1時間で82・5ミリを記録。ダムへの流入量も一気に増えた。
 このころ、西原滋所長(59)はダムを望む鏡ダム管理事務所で前例のない決断を下す。
 「ただし書き操作をやろう
 鏡ダムは普段、流入量に応じてゲートの開閉をコンピューターで管理している。「ただし書き操作」はマニュアルによる例外的な手動操作。高知県が30年ほど前に定めた。ダムの貯水量が8割を超えた場合に適用し、流入量に合わせて放流量を増やす措置だ。判断はすべて人間。これまで誰も経験したことがない
 午前10時15分。鏡ダムは毎秒1422トンの流入量を記録した。67年のダム完成以降、最大の流入量だ。前例のない操作に入る事務所に対し、担当課を通じて尾﨑正直知事から要請が入った。
 「鏡川の水位が上がるのを遅らせてもらえないか?
 満潮とほぼ同時刻の出来事だった。

 高知県都の中心部付近では、鏡川の濁流が土手の車をのみ込む。ポリタンクや流木が流されていく。川沿いの住民が、その様子を心配そうに見守っていた。
 3日正午前、高知市東石立町のマンションに住む橋本隆俊さん(69)は「どんどん水位が上がっていく。台風でもこんなことはなかった。これ以上、増水したら危ない…」。
 高知県河川課によると、3日午前11時半、鏡川は東石立町で今回の最大水位の4・84メートルに達し、氾濫危険水位を0・24メートル上回った。2日前の同時刻の水位は0・18メートル。この間の急激な水位上昇を物語る。
 西原所長は「ただし書き操作」を指示し、職員に声を掛けた。
 「ダムとしてできる、精いっぱいのことをやろう!」
 水位計、雨量計、レーダー。それらを注意深く目視しながら、町田チーフが放流ゲートを操作する機器の前に座った。5~10分間隔で、ゲートの開き具合を変えていく。それも数センチ単位で

 西原所長が言った「精いっぱいのこと」とは、満潮時の放流量を極力抑え、ダムの水位を上げていくことだった。毎秒1422トンを記録した最大流入量に対し、放流量はその半分近い毎秒798トンに抑えた。鏡ダムの水位は77メートルを超えると、あふれる。3日正午すぎには76メートルに迫っていた。あと、約1メートルだった。
 高知県は4日、鏡ダム下流の宗安寺水位観測所が記録した「洪水調節の効果」を発表した。「ただし書き操作」にどの程度の効果があったのか。発表によると、宗安寺での最高水位は推定0・91メートル低減したという。
(略)

約1m弱の水位低減と言うものがどういう意味を持っていたか、当時の高知県内の状況を写真で参照いただきながら想像してもらうより他にありませんけれども、わずかでも水量調節を誤ればダムそのものが決壊していたかも知れない中で前例のない手動操作に踏み切ると言うことに、どれほど大きな勇気と決断が必要であったかは想像に難くありませんよね。
ただし当然ながら30年も前に作られたマニュアルに従った操作であり、しかも誰も実際にはやったことがないと言うことでうまくいくかどうかはやってみなければ判らない上に、そもそも何をもってうまくいったかと言うことの判断基準も明確ではない以上下手をすると「ダム操作が間違っていたから大被害を被った!訴えてやる!」と言われてしまう可能性すらあるわけです。
その意味でダム側に要請した立場の高知県では今回の操作による成果について早速公式HPで広報を行っているのもそう考えると当然なのですが、先の原発事故でも官邸側から現場への過剰な介入が一つの状況増悪因子になったとも言われる中で、現場のプロフェッショナルが最大限の能力を発揮出来するために整えられるべき状況とはどんなものかと言うことを考えさせられる事例だったと思います。
さて話はかわって先日も取り上げましたように、今やアフリカはおろか大陸外にも広がりそうな気配を見せているエボラ出血熱の史上最大規模の大流行ですけれども、使えるあらゆる手段を使ってでも緊急の対策が求められると言う事は誰しも意見の一致を見ているだろう中で、意外とも当然とも言える理由によってそれが脚踏みしていると言う状況にあるようです。

エボラ実験薬の投与、倫理めぐる議論に(2014年8月7日AFP)

【8月7日 AFP】エボラ出血熱の流行ですでに1000人近くのアフリカ人が死亡している中、エボラ出血熱を発症した米国人患者2人に実験薬を投与した決定をめぐり、倫理をめぐる議論が起きている──だが米国の専門家らはこの決定を倫理的に正当化しうると述べる。
 米キリスト教系支援団体「サマリタンズ・パース(Samaritan's Purse、サマリア人の財布)」の米国人医療従事者2人に実験薬「ZMapp」が投与されたことを受け、世界保健機関(World Health Organization、WHO)は6日、西アフリカにおけるエボラウイルスの感染拡大に対して実験薬を投与するべきかどうかを話し合う特別会合を来週開くと発表した。

■エボラ研究第一人者「アフリカにも実験薬利用の機会を」

 同実験薬は現在、開発のごく初期段階にあり、これまではサルでしか臨床試験が行われていない。また大量生産も行われておらず、エボラを治療する能力があるかどうかも証明されていない。だが実験薬を米国人患者に投与したとのニュースに対し、ギニアやリベリア、シエラレオネなどの感染者の多い地域に同実験薬を提供するべきとの声が上がっている
 7人の感染が確認されているナイジェリアは、「ZMapp」入手の可能性をめぐり米疾病対策センター(Centers for Disease Control and Prevention、CDC)と協議を始めたと発表している。
 また、1976年にエボラウイルスを発見した一人であるロンドン大学公衆衛生学・熱帯医学大学院(London School of Hygiene and Tropical Medicine、LSHTM)学長のピーター・ピオット(Peter Piot)氏を含む、エボラ研究の第一人者3人は6日、同実験薬を幅広く提供するべきだと声明を発表した。
 米紙ロサンゼルス・タイムズ(Los Angeles Times)によると3人は声明で「もしエボラがいま欧米諸国で広がっているとしたら、各国の公衆衛生当局はリスクにさらされている患者たちに実験薬や実験ワクチンを提供するだろう。エボラの流行が起きているアフリカ諸国にも同じ機会が与えられるべきだ」と主張した。

■実験薬の危険性、誰が判断?

 だが、臨床試験はリスクが高い。リスクの高い臨床試験の候補に米国人2人がなった理由について、米ジョージタウン大学(Georgetown University)の生命倫理センターのG・ケビン・ドノバン(G. Kevin Donovan)氏は、2人が医療的な訓練を受けており実験薬の危険性を理解できることだったと述べた。
 ニューヨーク大学(New York University)の医療倫理部門責任者のアーサー・キャプラン(Arthur Caplan)氏は、実験薬がこれまでのところ良い反応を示しているものの、有効と言うには「ほど遠い」状況だと話し、「今後の倫理的な対策は、流行を阻止する予防対策を倍増することだ」と提唱した。バラク・オバマ(Barack Obama)米大統領も6日、実験薬よりも実証済みの保健対策に力を注ぐべきだと呼び掛けている。
 WHOの倫理委員会に携わった経歴のある米ジョンズ・ホプキンス大学(Johns Hopkins University)のナンシー・カシュ(Nancy Kass)教授は実験薬の危険性を指摘した上で、実験薬を広く提供するかどうかの判断は「世界最高の専門家たちが下すべき」と述べ、来週のWHO会合に期待を寄せた。(c)AFP/Naomi Seck

もちろん現段階でこうした新薬(と言うよりも実験段階にある薬)に対して過剰な期待を抱くべきデータすら存在しないとは言え、ともかくもこれだけ感染が急拡大しており、しかもひとたび感染すれば有効な治療法もないまま非常に高率で死亡してしまうと言う恐ろしい病気であるわけですから、多くの方々が「そんな議論は後回しでいいからとにかく使えるものは何でも使え」と言いたくなる話ではないかと思います。
一般的にどこの国でもそうでしょうが、新薬の類が一般臨床に使用するには国等による認可の手続きが必要であり、そしてそのためには相応に長い段階を踏んでいかなければならないと言うことで、映画などではこうした場合世界のどこかで開発された画期的新薬が大量生産され有効活用されるものですが、考えてみますとその新薬を手順を飛ばしてでも使っていいと誰が判断するのかはなかなか難しい問題ですよね。
この場合もちろん開発元がそれを提供すると言う同意をすることが大前提で、これまた開発中の薬をそんなに無造作に出してしまうとアイデアを盗まれてしまうのではないか等々様々な経営的判断があるのでしょうけれども、例えば感染の猛威にさらされているアフリカ諸国の国家元首がそうと是認すれば何でも使っていいと言うことなのかどうか、下手をしなくても人体実験ではないかと言う声が上がる余地は十分にあるところです。

留意したいのはこの場合、何も積極的な新治療を試みなくても多くの患者が亡くなっていく、そして現地の状況を考えるとどのような状況で亡くなっていったかと言う詳しい統計的データの収集すら困難になりかねず、仮に新薬を投じたところでそれが効いているのかどうなのか、どのような副作用がどの程度の頻度で出ているのかと言った事後に必要なデータがうまく集まらない可能性すらありそうです。
厳密に二重盲検で投与対象をランダム化して決める、などと言うやり方も現地に受け入れられるかと言えば普通はまあ無理だろうなと思えるところで、一方で今回のアメリカ人患者のようなごく少数の理性的な患者だけを対象にちまちまと正しい手順に従っての臨床試験を重ねていくことも、アフリカの多くの患者を無視して自分達だけが利益を得ていると言う批判も当然出てくるでしょう。
こう考えてみると意外にこれは難しい判断になりそうですし、そもそもこうした場合に誰が判断するのかと言うルールももちろん存在しない、そして仮に誰かが判断したところでそれを現地で使っていいものと国内法に照らして判断する必要も出てくるとなると、誰か偉い人一人が英断を下せばそれで済むと言うものでもなさそうに思えてきます。
ただアフリカの人々にすれば「新しい薬があるのなら何故俺達には使えないんだ!?」と言う話ですから、科学的な妥当性の判断以上に市民感情をどう納得させられるかと言うことも含めて考えると、これはかなり高度な政治的問題でもあるとは言えそうで、同時に不幸にして望まぬ結果に終わったとして「だから言ったじゃないか!どう責任を取るんだ!」と決断を下した人間を責めていれば済む問題でもなさそうですよね。

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コメント

>「何かあったら責任が取れるんですか!?」

人生において一度として責任ある立場にあったことのない輩が頻用する言葉です

投稿: | 2014年8月12日 (火) 08時35分

日本にも新薬の引き合いが来てるらしいですね。>エボラ
でも下手すると世界中で一番日本での認可が遅くなりそう…

投稿: ぽん太 | 2014年8月12日 (火) 09時29分

>でも下手すると世界中で一番日本での認可が遅くなりそう…

つ保険病名:インフルエンザw

投稿: 10年前にドロッポしました。 | 2014年8月12日 (火) 10時14分

エボラにも使えると言う新薬ファビピラビルは治験段階で副作用も結構出たと言うことなので、保険収載するにしても他剤無効の難治性インフルエンザに限る云々と使用条件が厳しくなりそうです。

投稿: 管理人nobu | 2014年8月12日 (火) 10時57分

何かあれば個人で責任が取れないから、粛々と、法令や規則に従って仕事をすれば良いのです

どのみち大雨がもっと酷く長く続かなかったラッキーに救われただけで、最悪、豪雨の量より早く放水を行わないといけない事態になったかもしれないのです

安全ののりしろを失う恐ろしさを、美談で済ませてはいけません

投稿: Med_Law | 2014年8月12日 (火) 16時19分

個人でなく法や組織で対応すべき
そのために必要な法はさっさと作ればいい

投稿: | 2014年8月12日 (火) 17時25分

世界保健機関(WHO)は12日、西アフリカで流行する
エボラ出血熱の感染者に対し、開発段階の未承認治療薬を条件付きで
投与することを容認すると発表した。アフリカ以外の場所で
初の死者もスペインで同日確認され、各国の保健当局は一層の
感染拡大に警戒を強めている。

*+*+ デイリースポーツ +*+*
http://www.daily.co.jp/society/main/2014/08/12/0007230423.shtml

投稿: | 2014年8月12日 (火) 22時34分

【AFP=時事】見捨てられたリベリアの村で唯一響き渡っていたのは、母親の遺体と共に自宅に閉じ込められ、飢えと渇きに耐えながら死を待つ少女の叫び声だった。

 やがてこの少女、ファトゥ・シェリフ(Fatu Sherrif)さん(12)もまた、同国を含む西アフリカ諸国で1000人以上の犠牲者を出しているエボラウイルスに命を奪われ、その声を止めた。

 地元指導者によると、父親の遺体を収容した保健当局は、村人たちにファトゥさんとその母親には近づかないよう警告。「2人は朝から晩まで隣人に食べ物を求める叫び声を上げていたが、皆が怖がっていた」という。

 母親は今月10日に死亡したが、ファトゥさんの叫び声は聞こえ続けた。一家の自宅のドアや窓はふさがれ、中の様子をうかがい知ることはできなかった。

 12日に再びAFPの取材に応じた地元指導者は、ファトゥさんが前夜に水も食料もないまま孤独な死を迎えたと語った。
http://news.livedoor.com/article/detail/9143132/

投稿: | 2014年8月14日 (木) 09時05分

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