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2014年8月27日 (水)

家族のために最後まで温存すべきものは

21世紀に入って十数年が経過した今も「退院は大安の日でないと」なんてことを言い出して平均在院日数短縮に躍起になっている病院側を困らせる患者さんはいるようですが、先日ちょっとした話題になったこちらの記事なども当事者の方々にとっては冗談でもなんでもなく、大いに真面目な話題であるのでしょう。

病院行きバスに不吉ナンバー 「42○○」が物議(2014年8月23日神戸新聞)

 兵庫県三木市内から北播磨総合医療センター(小野市市場町)へ向かう直通バスのナンバープレートが物議を醸している。一部の車両の番号が「死に」と読める「42」から始まり「病院へ向かうのに縁起が悪い」との声が上がる。人によっては4や9を使うこと自体を嫌うなど、数字への思いには個人差もあり、担当者は頭を抱えている

 車体が黄緑色の直通バスは、三木市が補助金交付要綱を定め、二つのバス会社が昨年10月から自主運行する。予備車両を含めて22台あり、うち13台が同じ小型ノンステップバスで、登録時の番号が「42」で始まっていた

 運行開始直後から、市役所やバスの運転手に「不吉だ」と苦情の声が相次いだ。昨年11月末、特に不評だった「4269(死に向く)」「4251(死に来い)」「4250(死にごろ)」などと読める3台の番号を変更。その後、特段の苦情はなかったというが、8月19日の市会総務建設常任委員会で、委員から「42から始まるバスには、乗りたくないという人がいる」との指摘があった。

 バス会社は「番号は登録順に振られるものなので…。病院へ行くという特別な路線なので、できる限り対応はしたい」。ただ、番号を変えるには神戸運輸監理部(神戸市)へ車を持って行かねばならない上、費用も掛かってくる。市の担当者は「費用対効果も考える必要があり、判断が難しい。まずは、どのくらいの人が不快感を持っているのか調査したい」と話した。(中川 恵)

しかし調査するのはいいとして、何人くらいの人がどの程度不快感を持っていれば手間とコストをかけてでもナンバー変更をするべきなのかと言うことなんですが、まあ理屈ではないだけに何をどう対応するにしてもなかなか判断が難しい話ではあるのでしょうね。
ちなみに一般的に「42」などのナンバーーは黙っていても避けることになっているのだそうですが、4や9を避けろと言われると番号選びにも不自由する局面が多くなるでしょうから、登録台数の多い地域ではあまり徹底することも難しいのかも知れません。
日本人はとかくこの語呂合わせが好きな民族であるとは外国人からも認識されているようで、ホテルの部屋番号がなぜ4だの9だのがないのかと不思議がられることもままあるようですが、逆に言えば大抵の数字の並びは無理やり読んでしまうことが出来るのですから、その気になればどんな番号だろうが何とかこじつけて縁起が悪いと解釈するのも可能ではあります。
一方で患者さんから見れば「俺たちは本当に死ぬかも知れないんだ。そのくらいの配慮はしてくれてもいいじゃないか」と言う話なんですが、社会的にどこまでコストをかけて百人百様な考え方への配慮を行っていくべきなのか、ノンステップ化など客観的に明らかな身体的問題ではなくこうした気分の問題に関しては一律の基準でどうこうするのも難しそうですね。

いささか前振りが長くなりましたが、この配慮と言う利他的行動はしばしばやさしさと言うことと密接に関係してくることですが、今回の件に関しても自治体当局が手間ひまやコストの問題を一番気にしているように、やはりそれを行うには行う側にもそれなりの余裕なり余力なりがあってこそと言う側面は否定出来ないと思います。
その点で先日終末期のモデル事業がいよいよ始まったと言う報道が出ていたように、この国ではいまやどう納得して死んでいくかと言うことも公に語られる時代ですが、政府が主導して大々的な社会事業として行えば行うほど、それにどれだけのコストや手間ひまがかけられるかと言うことが最終的には一番の問題になってくると言う気がしますね。
最悪お金や手間のことであれば何とか出来ると言っても、ベストな水準での配慮が毎日常時要求されるとなれば誰でも気力体力が続かないはずですが、長い間誠心誠意尽くしてきてもただ一度配慮が足りなかった、優しさが欠けていたと責め立てられればよほどの聖人君子でもなければ不満を抱かずにはいられないものでしょう。
そうした患者心理に慣れているはずの医療従事者であっても、超人でも聖人君子でもない以上24時間365日100%でなければ駄目だと言われれば燃え尽きてしまいますが、最近国策として推進されている「病院から自宅へ」と言う動きによって、患者が最も頼りとする家族のやさしさも大いにすり減らされていくのではないかと言う懸念は無しとしません。

在宅介護でストレス8割 3人に1人「憎しみ」も 連合、家族の意識調査(2014年8月21日産経ニュース)

 親や配偶者の在宅介護を担う家族の80%がストレスを感じており、3人に1人は「憎しみ」まで抱いていることが21日、連合による意識調査で分かった。

 調査は連合加盟の労働組合を通じ2~4月に実施。自宅で親や配偶者、配偶者の親らの介護をする40歳以上から、1381件の有効回答を得た。

 ストレスの有無を尋ねると、25・7%が「非常に感じている」、54・3%が「ある程度」と答え、計80%に上った

 「憎しみを感じている」との回答は35・5%。認知症患者の介護では症状が重いほど割合が増え、日常生活に問題行動がみられるレベルだと69・2%に達した。虐待した経験が「ある」とした人は全体の12・3%。重い認知症の場合では26・9%だった。

 連合は、介護保険制度が始まる前の平成7年にも同様の調査を実施しており、虐待経験は減ったが、憎しみを感じる人の割合は約1ポイント増えた。ストレスに関しては初めて聞いた。

しばしば長年在宅介護を熱心にやってきた家庭でこそ深刻な患者虐待が発生してしまうと言う悲劇がある一方で、逆にさっさと施設に放り込んで普段放置しているような家族がたまの休日にやってくると患者さんと仲良くやっていたりするものですけれども、やはり人間他人のために頑張れる総量には個人差はあっても、どこかに限界は必ずあるのでしょうね。
親に対する長年の恩義から、あるいは世間の目を気にして無理を尽くして家族関係が破壊されるくらいなら、適宜他人の力を借りてでもやさしさの余力を少しでも長く温存していく方がいいんじゃないかと思いますけれども、老人高齢者の事だからこそまだしも世間の理解も得られるのであって、これが子供の教育問題だと考えれば「この親は何だ」と炎上必死かも知れません。
要するに急に意識は変わらないと言う話ですが、今後特に医療従事者にとって問題となるのは年毎に患者の自己決定権と言うものが重要視されるようになってきている中で、人生の終末期のあり方に関して患者の意志と家族の意志が対立した場合に、医療・介護関係者はどちらに立つべきかと言うことではないかと言う気がします。
一般的に患者本人が認知症等でまあ正常な判断力を持っていないと見られる状態なら迷いなく家族側に立つでしょうが、現在推進されている健康寿命の延長と言う国策に従って元気な老人がどんどん増えてくるのだとすれば、今でさえしばしば言われているところの世代間対立なども医療介護をも巻き込んでますます深刻になってくるかも知れませんね。
特にそれが家長であれば財産分与等で後々様々な問題が続発する可能性もあり、ひどく現金な話ですが親の希望に従って長年黙々と自宅介護をした親族には遺産相続でも色をつけるべきではないかだとか、いやそんなことをすれば遺産目当てで老人を引き取って放置する遠い親族が増えるだけだとか、この方面でも様々な意見があるようです。

人間本当の感情など当の本人にとってすら判りかねる部分はあるのだし、形の上で思いやりにあふれた態度を最後まで貫けているのであればそれは事実思いやりにあふれた家族愛的行為であると考えて構わないかなとも思うのですが、当の患者さん本人が亡くなった後でぺろりと舌を出して札束を数えているような光景を想像するだけで面白くないと感じる人ももちろんいることでしょう。
ただ大原則としてはやはり他人のための配慮だのやさしさだのと言うものは自分自身にもそれなりに余裕があって初めて成立する部分があって、いくら高い志があっても仕事も何も放り出して介護に専念しなければならず、親の年金頼りで暮らすしかないからとにかく延命延命と言ってしまう、それでもどうしても至らぬ点もあればつい虐待じみたこともしてしまうほど追い詰められているとなれば、これは介護する側される側双方にとって不幸であることです。
その点ではやはり妥協できる部分はうまく他人の労力を当てにして、どうしてもと言う核心部分に家族だからこそのやさしさを発揮していくことが大事だと思いますが、冒頭の記事にも見られるようにサポートする側の行政などは各人各様の価値観の部分に対応するのは苦手ですから、患者本人の価値観から斟酌した患者の為の判断や決断と言う部分にこそ家族は最も注力すべきと言うことになるのでしょうか。
この点で長く献身的に患者の身の回りの世話を続け本人の事を一番理解しているはずの家族が、いざそのときになって終末期の意思決断を迫られるや「いや、私達には判りませんから先生に全てお任せします」と丸投げしがちな日本の医療現場の慣行とは、患者の自己決定権を尊重する義務を負う現代の医療従事者にとっても困ったことですけれども、何より当事者にとっても大変に勿体無い話ではあると思いますね。

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コメント

自宅介護したら家族に介護報酬支払うべきだろ

投稿: | 2014年8月27日 (水) 08時18分

>自宅介護したら家族に介護報酬支払うべきだろ

どこかの自治体でやってみたら、介護したことにして実は何もしていない家族がいたらしい。
赤の他人が介護するのと違ってそういうのを防げないですから。

投稿: クマ | 2014年8月27日 (水) 08時43分

放置にクレームつける立場の家族が自分で放置してんだから自己責任だろw

投稿: aaa | 2014年8月27日 (水) 08時54分

放置虐待する家族は自己責任でもされる老人の方は責任もなにもないのでは?

投稿: ぽん太 | 2014年8月27日 (水) 09時09分

一部の家族が悪用するのは仕方ないんでは?
ひどい施設があるからって、施設を廃止したりしないだろうに
悪用者よりもはるかに多くの、ちゃんと世話をしてる家族が報われないことの方が問題では

何もしてないことが発覚するくらいだから、チェックもされてるということだろうし
てか、全く世話をしてなければ、いくら老人だって生きてはいないだろうと思うけど

投稿: | 2014年8月27日 (水) 09時15分

本来効率が悪いはずの在宅療養を推進するのは、家族は無報酬が前提だからで
家族に介護報酬を払うくらいなら施設介護推進に方針転換されるんじゃないでしょうか。

投稿: JSJ | 2014年8月27日 (水) 09時36分

>>ひどい施設があるからって、施設を廃止したりしないだろうに

 廃止はなくても、介護保険の事業者指定を取り消しにしたりは普通にありますよ。指定取り消しになると、病院が保険医療機関の指定をはずれるのと同じで、全て利用者の自費負担になって実質的に利用者がいなくなり、つぶれます。

投稿: うう | 2014年8月27日 (水) 09時58分

現金支給とは言わずとも、在宅介護推進という国策のためにはそのアメとなるインセンティブは用意されるべきかと思います。
ただ小児と高齢者に関しては意思の決定者とそれを受けて執行される者が異なると言う永遠の課題があり、結局何が本人のためなのかと言う検証は難しいですね。
自宅で放置されていた時はいつもニコニコしていた人が、病院や施設で正しいケアを受けるようになった途端に「人殺し!」と叫び暴れまくる問題患者になってしまうと言うのはままあることですから。

投稿: 管理人nobu | 2014年8月27日 (水) 09時59分

そもそも介護保険は「介護地獄」とまでいわれた家族介護から家族を解放するのが目的の一つですから、
家族に報酬を支払って介護させるというのは本末転倒なのです。

>全く世話をしてなければ、いくら老人だって生きてはいないだろうと思うけど

在宅介護であれば要介護1程度の方もいるわけで、放置するからみんな死ぬ、と言うわけではありません。
親子が結託して不正請求していた事例もあったとか。

投稿: クマ | 2014年8月27日 (水) 10時06分

介護と虐待って紙一重なんかなー
なんかこのコピペ思い出したよ

汚い仔猫を見つけたので虐待することにした。
他人の目に触れるとまずいので家に連れ帰る事にする。
嫌がる猫を風呂場に連れ込みお湯攻め。
充分お湯をかけた後は薬品を体中に塗りたくりゴシゴシする。
薬品で体中が汚染された事を確認し、再びお湯攻め。
お湯攻めの後は布でゴシゴシと体をこする。
風呂場での攻めの後は、全身にくまなく熱風をかける。

その後に、乾燥した不味そうな塊を食わせる事にする。
そして俺はとてもじゃないが飲めない白い飲み物を買ってきて飲ませる。
もちろん、温めた後にわざと冷やしてぬるくなったものをだ。

その後は棒の先端に無数の針状の突起が付いた物体を左右に振り回して猫の闘争本能を著しく刺激させ、体力を消耗させる。
ぐったりとした猫をダンボールの中にタオルをしいただけの質素な入れ物に放り込み寝るまで監視した後に就寝。

投稿: | 2014年8月27日 (水) 10時15分

>廃止はなくても、介護保険の事業者指定を取り消しにしたりは普通にありますよ。

では、同様に介護者の資格なしとして介護報酬を支給しなければいいだけのこと

>親子が結託して不正請求

介護認定を取り消して介護報酬を支給しなければいいだけのこと

施設と同じように不正が発生して、
施設と同じように取り締まればいいってだけだろうに?
何がそんなに論外なのかまるでわからんね
施設のほうが安く済むとは思うけどね

投稿: | 2014年8月27日 (水) 10時22分

ヒント
既得権益

投稿: | 2014年8月27日 (水) 11時02分

>施設と同じように取り締まればいいってだけだろうに?

家族介護で不正請求だと、介護を提供する側と受ける側の両方に利益が出るので表面化しにくく、取り締まるのが大変なのです。
定期的に監視する部署を作るぐらいなら家族介護に報酬を出すことを禁止したほうが早い。

投稿: クマ | 2014年8月27日 (水) 11時15分

取り締まるのが難しい不正が出るのがそんなに悪いかね?
だいたい制度なんてみなそんなもんだと思うが。
まあ、足りる施設なんて永遠にできないから、まじめな介護家族が割りを食い続けるのがいいってことですかね

投稿: | 2014年8月27日 (水) 11時42分

私は、上に書いた理由で家族への介護報酬には否定的意見なのですが、
不正請求防止ということなら、
家族へ報酬を払う条件として、週一回とかのデイサービス&入浴サービスの利用を義務づけたらどうでしょう。
比較的低コストで監視の実が上がるんじゃないかと思うのですが。

投稿: JSJ | 2014年8月27日 (水) 12時16分

ボケ老人をわざわざ引き取ってくれようってんだから金くらい出してやれよ
不正だ放置だって言ってるけど必要悪って言葉知らんのか

投稿: | 2014年8月27日 (水) 12時51分

そもそも、終末期に家族に決断を迫ることが間違いの元なんですよね。
自己決定権と、家族に決定させる(訴訟回避のため)が混同されているのが悲劇の始まりです。

決定を迫れば、心的葛藤からうまくいかないのは当然です。決断抵抗・損失嫌悪・可用性バイアス...
そもそも家族にさせるのは患者の意思の推定であって、決定ではないわけで。

医療者が最終決定するが、推定意思+家族の意向の尊重を行う、とのスタンスが重要ですよね。そうすれば、家族にも葛藤からの逃げ場ができて、比較的自由な思いを伝えやすくなり、ひいては後悔の減少→いちゃもんの減少に繋がるので。

そもそも家族に決定させるにしても、殺してくれって言われて「ハイ」と殺さないわけで、行う医療処置の最終判断はやっぱり医療者がしてるんですから。

投稿: おちゃ | 2014年8月27日 (水) 13時41分

>不正だ放置だって言ってるけど必要悪って言葉知らんのか
報酬の不正請求や介護放棄を必要悪と呼ぶのは、言葉の用い方を間違えていると思いますよ。
けんか腰の議論というのも感心しません。

投稿: JSJ | 2014年8月27日 (水) 14時05分

えてしてマスコミに取り上げられるのは話題性のある極端なものが多いですからな
不正や悲劇といったものがどれくらいの割合で存在するかが重要ではないかと
万に一つの例外を取り上げて大多数の不具合を放置するでは歪んだ結論となりかねんでしょう

投稿: 元僻地勤務医 | 2014年8月27日 (水) 14時23分

でもみなさん老人介護問題には熱いんですね…

投稿: ジャミラ | 2014年8月27日 (水) 20時58分

いろいろ思うところがある方が多いのでしょう・・・

介護保険というのはケアプランを立ててそれに沿って介護を実施し、介護報酬を支給するという設計なので、
介護を提供する人が家族である必要がない、むしろ家族である必要を無くした、というのが厚労省の考え。
そこまでしないと家族から介護という業務を引きはがすことが出来なかったでしょうからね。

投稿: クマ | 2014年8月27日 (水) 21時25分

公的サービスなんだから使わにゃ損って人が思ったより多かったんでしょ
厚労省も自宅介護する文化がなくなってから慌てたってダメダメ

投稿: | 2014年8月27日 (水) 21時36分

3人に1人弱が男性 「親の介護」に変化が…
http://dot.asahi.com/wa/2014082700092.html

「最近、血縁を重視してか、『自分の親は自分で面倒をみたい』と考える男性
が増えています」

投稿: | 2014年8月29日 (金) 08時03分

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