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2014年7月17日 (木)

そのゆるすぎる行動はどこから生まれているのか

例によって本日の本題に入る前に、職場内の人間関係と言うことと絡んだ少しばかり興味深いケースレポートが出ていましたので概略だけ紹介してみましょう。

【参考】遅刻、早退を繰り返す出産前の職員に不満噴出(2014年7月14日日経メディカル)

ごく概略を簡単に紹介しますと、とあるクリニックで1人の看護師が妊娠し体調不良のため頻回の遅刻早退を繰り返すようになった、院長も無理をしないでいいと言う態度でスルーしていたところ周囲の職員から厳しい批判の声が出てきて驚いたと言うことで、てっきりそんな仕事ぶりでは周りに迷惑がかかるじゃないかと言う声なのかと思いますよね。
ところが実際には遅刻早退を繰り返しているにも関わらず給与はそのまま満額支払われていたことが最大の理由であったと言うことなんですが、興味深いのはこうした院内不満の蓄積に対して慌てて院長が手を打った、その結果何が起こったのかと言うことです。

 このクリニックでは、それまで職員の妊娠、育児といった経験が全くありませんでした。院長は、初めての経験ということでAさんに対して腫れ物に触るような態度で接し、勤怠不良についても何も言いませんでした。事務長(奥様)は自身の出産経験から、過剰な気遣いは不要と思いつつも、院長の指示通り特に注意することなく対応していました。その間に、Aさんはわがままを聞いてもらうのが当然のことと勘違いして、好きなように振舞うようになってしまったのです。

妊婦の時短勤務も「ノーワーク・ノーペイ」の原則で
 妊産婦に対する配慮は、男女雇用機会均等法で規定されています。通院時間確保の配慮や通勤ラッシュが母体に悪影響を与えると医師が判断した場合の時差通勤、時短勤務の配慮をうたったものですが、これらには全て「ノーワーク・ノーペイ」の原則が貫かれています。

 当然のことではありますが、妊婦だからといって自分勝手な勤務を許す法律ではありません。産科医の意見があれば、その意見に従って配慮をしなければならないという規定にすぎないのです。今回、このクリニックでは、最初の対応を間違えてしまったばかりに、Aさん本人に勘違いをさせてしまっただけではなく、職場の雰囲気まで悪化させてしまいました

 このクリニックには、就業規則が整備されており、母性健康管理措置の適用が「無給」として定められていました。忙しく過ぎる日々の中、規則の確認を怠り満額支給を続けてしまったがために、面倒な事態を招いてしまったのです。

 結局、院長がAさん本人と話し合い、産科医の指導内容を文書で提出してもらうことにしました(図1)。そして、産前の休業に入るまでは産科医の指導内容に従って勤務時間を定めること、短くなった勤務時間分の給与はきちんと減額することを納得のいくように説明したのです。このような取り扱いになると決まった次の日から、Aさんは定められた時間通りに勤務するようになったそうです。

今までの体調不良を訴えての遅刻早退は何だったのかと言う話なんですが、人間という存在はつねに環境に適応しながら変わっていく生き物であって、新たな環境に置かれればまたその環境に適応するだけであると言うことを非常に端的に示しているケースであるのかなと言う気がします。
となりますと、誰かが適切でない行動を取っている場合にそれは間違っていると指摘するだけでは駄目で、そうした行動を取ることが本人にとって合目的的であるならその背景となる環境自体を正すことが根本的な対応と言うものであって、世間一般であればともかく少なくとも学生教育であるとか若年社会人教育においては「教えられる側の未熟は教える側の下手」と言うことなんだと思います。
その意味で先日今どきの学生に関するちょっと興味深い記事が二つばかり出ていたのですが、両者を比較しながら読み進んでみていただきたいと思います。

「理系学生へのレポート教育」の現状 「約7割、引用なしのコピペ・丸写し」の例も(2014年7月11日J-CASTニュース)

(略)
   理系に限らず文系も一緒だと思うが「行った事や、その結果&考察した事」をレポートにする能力を学生時代に鍛え上げる必要がある。まあどのみち、卒業論文を書かないと卒業できない。しかし、無垢な新入生に実験レポートを提出させると、縦書きの四百字詰め原稿用紙にレポートを書いてきたりする……「ん?何がおかしいの?」と思うあなた、ズバリ、文系でしょう!!文学小説を書くわけではないので、理系のレポートは横書きのレポート用紙に書くのが常識である。

「ひょっとしてこれが『デジャブ』か……」

   そこで、入学当初はレポートのフォーマットから教え始めて、徐々に内容を充実させていくように指導することとなる。実験レポートは学生の勉強という意味合いも強いので、結果や考察ばかりでなく調べたこともいろいろ書かせる必要がある。

   すると、一部の学生のレポートはその内容の70%ぐらいは引用なしで本の丸写しやネット情報のコピペとなってしまう。どこかで聞いたような話であるが、その場合は、引用する場合のルールや著作権の問題など科学レポートの常識を教え、再提出させることとなる。しかし、高学年になっても「ん?さっきも、これ読んだよな。ひょっとしてこれが『デジャブ』か……」と思わせる数通のレポートが出現することがままある。その場合は、もう一年、同じ実験を行ってもらうという事で。(プロフェッサーXYZ)

ネット世代がはまる剽窃の陥穽 同志社大学教授・三木光範(2014年7月15日産経ニュース)

(略)
 ≪学生のレポート課題で多発≫

 インターネットを使えば、世界中のデータ(実験・調査データ・音楽・画像など)や情報(提案・意見・分析結果・論文・レポートなど)が、いつでもどこでも極めて容易に入手できる。人類の財産を活用するという意味では素晴らしいことであるが、同時に、盗用はもちろん、場合によっては捏造も極めて容易になった。
 大学で、学生たちにレポート課題を出すと、学生たちはまず、その課題に関係するキーワードでインターネットを検索する。すると、世界中のあらゆる情報が瞬時に得られる。それを丸ごと、あるいは、複数のホームページを適当に、切り貼り=コピー(カット)・アンド・ペースト=すれば、レポートが完成する。真面目に作成すれば、半日以上かかるレポートが30分程度で完成する。これで教員から良い点数をもらえるなら、遊ぶ時間が増え、実に効率的な大学生活となる。
 数年前、私が担当する演習で、前年と同じ課題を出すと、前年度に優秀な評価を得たレポートの作成者氏名だけを変えて提出する学生も出てきた。前年度の学生が自分のホームページにそのレポートを掲載していたためである。このことが分かってから、私はレポートに関して盗用が見つかれば厳罰に処するとともに、毎年、課題を大きく変えることにした

 ≪背景に「費用対効果」意識≫

 研究者が執筆する論文、政治家や企業人が書く報告書、学生が作成するレポートなど、コンピューターで生み出される成果物に、盗用や流用が多くなったのはなぜか。なぜネットの陥穽(かんせい)にはまるのか。人々の倫理観が欠如してきているのか。
 私は、理由はコストパフォーマンス意識にあると思う。コストとは自分が消費する知恵、労力、金銭、そして時間である。パフォーマンスとは得られる評価や成果である。盗用、流用に関して得られるパフォーマンスが大きく、コストが低いと感じればそれらはなくならない。教員が「どんな内容のレポートでも字が書いてあり、何かしら実験データ風の図があれば満点です」と言えば、どんなレポートが出てくるのだろうか。
 私は前述の演習のレポートではページ数を4と決めているが、4ページ目が1行だけという学生が出てきたので、4ページ目も80%以上埋めること-と追加注意をすることになった。学生に限らず、多くの人はコストパフォーマンスを追い求め、倫理観とは関係なく、最低限必要なことだけを最少のコストで達成しようとしている。
(略)
 中学・高校で塾に通い詰め、試験の点数を取ることだけに価値を見いだし、その先の大学も研究所も、研究者や即戦力ある学生の促成栽培に励んだ結果、人と人が直接的に接触しなくなり、長い時間をかけての人材養成が常識でなくなり、多くの研究者や学生がインターネットを使いこなし、できるだけコストパフォーマンスの高い論文やレポートを書くようになったのは、必然的帰結である。

 では、どうすれば、盗用や流用はなくせるのか。
 一言でいえば、コストパフォーマンスが良くないと感じさせることである。そのためには、論文やレポートを受け取る側が厳密な審査を行い、盗用や流用を発見する能力を養うこと、そして、それらが発見されたときには提出者が大きなコストを支払うようにすることである。
 さらに、提出する側には、「一時しのぎの成果でその場を乗り越えても、きちんとした成果を自分で出せる能力を身につけないと、いつでも盗用、流用などで人生を乗り切る羽目に陥り、薬物依存と同様に、そのうち人生の転落が始まる」という意識を植え付ける教育を徹底することが重要だ。
 目先の楽と、先々の楽のどちらを優先するのか、これは個人にとっても組織にとっても極めて重要な判断である。インターネットの発達は、われわれの時間感覚を明らかに短くしている。その代償は長い時間が待てないという「目先人間」の増大である。(みき みつのり)

いずれも「あるある」と言いますか、小学校で初等教育を受けていた頃から誰でも当たり前に行ってきたようなことを大学生にもなってまだやっているのだなと笑えば笑える話なのですが、しかし人間であれば誰しも環境に応じて最適解を求める衝動を持つ生き物であると言うのは、特に大学生のような受験競争を勝ち抜いてきた人々においてこそ当然に身についている作法ではないかと思います。
その点で学位の論文を書くまでにきっちりと正しい論文の書き方と言うものを指導されている学生がどれくらいいるのか、見よう見まねでせいぜい書いたもののチェックを受けるだけと言う場合も多かったのではないかと思うのですけれども、同志社の教授にしてからが一切こうした正しい書き方の指導について言及せず淡々と対象療法にのみ徹していると言う点にこそ問題の根本がありそうに思います。
要するにどちらが先かという話でもあるのですが、正しい指導が行われてこなかったから正しい作法が身につかなかったのが問題なのか、それとも正しい作法が身についていない人ばかりだから正しい指導より目先の対象療法になってしまうのかで、この辺りは施設毎の学生のレベルにもよるところで一概にこれが正解とは言い切れませんが、少なくとも初期段階で一度は正しくガイダンスを行うことが今の時代流ではあるでしょうね。
その結果正しい方法論を知っていても出来ない、敢えて行わないと言う学生が出るのもこれまた仕方のないことだし、その段階になって初めて教える側としても教えたのに出来ないのは努力なり才能が足りないからだとか、教えた通りの正しいやり方を外れているから失格だとか言える資格を持てるのではないかと言う気がします。

教育の原理原則に立ち返って考えてみるとそういうタイプの指導を行うのは高校までであって、大学では知らないことは自ら調べて学ぶのが当たり前であると言う古典的立場もまた正しくはあるはずなんですが、ゆとりと揶揄され歯学部学生が分数計算や一次方程式の解き方から学ぶような時代に、そこまで求めるなら大学全入などと温いことを言わず妥当なレベルの選抜を課して自分で求めるレベルの人材は自分で確保しろです。
最近これまた興味深いデータがあって、学力ではなく学ぶ意欲を指標に選抜したはずのAO入試で入学した学生の方が学力選抜を経て入学した学生(5.9%)よりもはるかに高い比率(15.5%)で途中退学しているのだそうで、AO入試自体の妥当性や是非はこの際置くとしても大学の偉い先生方が見て行う学生の評価などさして当てにはならないものなんだなと解釈することも出来そうですよね。
それならそれで入学後に徹底的に鍛え上げてモノになるよう育てると言うのであればまだしも話は判るのですが、やっているのが「4ページ目も80%以上埋めること-と追加注意をする」では小学校の先生じゃないんだからと突っ込みを入れられるのもやむなしと言うもので、これではいつまで経っても日本の大学は学問の府ならぬレジャーランドだと言われる汚名の返上とはいかないでしょう。

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コメント

大学生なんだからふざけたの出したら即落第でいいじゃな~い?w

投稿: aaa | 2014年7月17日 (木) 08時39分

> そこで、入学当初はレポートのフォーマットから教え始めて、徐々に内容を充実させていくように指導することとなる。

こんなに丁寧に教えてくれる先生がいたら学生時代の苦労もずいぶん違ってたでしょう…
今の学生は文献の集め方や文書の書き方はちゃんと教えてもらえるんでしょうか?

投稿: ぽん太 | 2014年7月17日 (木) 09時08分

直接的具体的にどのような指導が行われているのかは存じ上げないのですが、例えば医学部学生でも早い段階から各研究室について研究(のまねごと)や学会発表などのトレーニングが行われているようですね。

投稿: 管理人nobu | 2014年7月17日 (木) 10時14分

非常識なレポートが増えたのはゆとりの弊害でしょ

投稿: | 2014年7月17日 (木) 12時24分

脳出血起こして半年休職、歩けるしパソコンも何とか打てるけど左半身良く動かない状態で復帰した知人
復帰後も同じ時給が払われていると知った途端、同僚から批判噴出で結局辞めることになったなあ
本人は、ねたまれ、いじめられたという認識のようだったけど
これもゆるすぎる事例なんですかね

投稿: | 2014年7月23日 (水) 15時31分

将来のために金を払って訓練を受けている学生と
金をもらって仕事をする被雇用者を並べて
無名氏は何を問題にしたいのでしょうかね。 

>本人は、ねたまれ、いじめられたという認識

無名氏の行動原理がほの見えてくるような着眼(問題の取り上げ方)と思います。 無名氏ご本人は、この知人にどのように感じたのか、どう接したのか、どうしたかったのか を伺ってみたい(自省していただきたい)ですね。 

「社会の風潮がぬるいかどうか」などとは別次元の問題。  

投稿: 感情的な医者 | 2014年7月25日 (金) 13時47分

??
学生と比較なんかしてませんよ
妊婦の看護師を、ノーワーク・ノーペイの原則で扱うと聞いて、それなら障がい者もノーワーク・ノーペイの原則で扱えってことかしらと思ったまでです
妊婦にせよ、障がい者にせよ、同じ仕事はしてなくて、同じ時給でいいのか、自分には判断できませんでしたので。
世間は、そういう原則なのかしらと思ったまで。

ねたまれ、いじめられたと本人が言ってたので、それをそのまま書いたまで。
自分には、聞いてやることぐらいしかできないからね。

投稿: | 2014年7月25日 (金) 17時27分

 貴方様ご自身でご判断がつかないのに、
 お顔も存じ上げない(事情も分からない)私どもに何の判断ができましょうか。

 本当に世間に風潮がこうだから、としても、あきらめるのか どっちむいて頑張るのか、まで考えないと無意味だと、自分では思っておりますし。

>ノーワーク・ノーペイの原則で扱うと聞いて
 同僚が文句を言い始めたから問題化した、でしょ。気の良い院長は産休明けに復帰するならいいや、と思い、きついこと言って辞められても困るな、と思ったから払い続けていた。問題なかった、と私は 思っていますが。 

 もしも無名氏が妊娠した看護師の病院に勤めていた同僚だったとしたら、無名氏はどういう主張をしただろうか、看護師御当人だったならどう考えたのか、興味がありますね。 世間の風潮ではなくて。  

 判断がつかないなんて、かまととはおやめなさい。堂々と主張なさればよいでしょうに。

 せっかくあちこち張りまくっている皮肉の矢も 想像力欠如の劣等感が原動力と底が割れて、本来の力を失って、吐瀉物になってますよ。

 御気に障りましたら、大変失礼いたしました。

投稿: | 2014年7月26日 (土) 15時38分

投稿: | 2014年7月26日 (土) 15時38分 は
私のです。

投稿: 感情的な医者 | 2014年7月26日 (土) 15時41分

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