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2014年7月26日 (土)

国民感情を反映したはずの裁判員裁判制度が司法のプロにより否定される?

すでに各方面で大きく報道されていますが、裁判員制度による結論を最高裁がひっくり返したとして話題になっています。

求刑1.5倍判決を破棄(2014年7月24日テレビ東京)

2010年に大阪府寝屋川市で1歳の三女に暴行を加えて死亡させたとして、傷害致死の罪に問われた夫婦について、最高裁は一審二審の判決を破棄し、父親の岸本憲被告に懲役10年、母親の美杏被告に懲役8年の判決を言い渡しました。この事件は一審で検察側の懲役10年の求刑に対し、懲役15年の判決が言い渡され、二審もその判断が支持されていました。

最高裁はきょうの判決で量刑判断の公平性をあげ、同じような事件に比べ、突出して刑を重くする場合「その判断が具体的に示されるべき」と指摘し、一審二審ではそれが示されていないと減刑した理由を述べました。最高裁が裁判員裁判の量刑について判断したのは初めてです。

最高裁:求刑超え判決破棄 裁判員経験者の意見は分かれ(2014年7月24日毎日新聞)

 尊重されるべきは市民感覚か、それとも過去の量刑相場か。裁判員制度スタート当初からの議論に24日、最高裁が一つの答えを出した。「他の事件と比べて出した結論なら仕方がない」「被告にも会わず裁判員の判断を否定するのは納得できない」。求刑の1.5倍という裁判員裁判の判決を「不当」とした最高裁の結論に、裁判員経験者の意見は分かれた。【島田信幸、吉住遊、伊藤一郎】

 昨年、知人女性に対する傷害致死罪などに問われた男の裁判で裁判員を務めた岐阜県可児市のアルバイト男性(65)は「他の事件とのバランスを考慮する裁判官の判断で見直されるのなら、仕方がない」と受け止めた。
 男性が裁判員として加わった判決は、懲役15年の求刑を大きく上回る懲役20年。2審で「量刑は相当性を欠く」として懲役12年に減刑され、最高裁で確定した。「個人的意見として求刑を超える判決に迷いがあったので納得はできた。量刑に対する裁判員の意見にも幅があった。裁判員の判断が上級審で変更されるケースがあってもいいと思う」という。
 「プロの裁判官にとっては数ある裁判の一つでも、裁判員にとっては唯一の裁判」。2011年に東京地裁が強盗殺人罪に問われた男に死刑判決を出した際に裁判員を務めた女性は、2審で無期懲役に減刑された際、「市民感情を反映した判断が否定されたことに反感を覚えた」という。今回の最高裁判決についても「被告にも会わず、裁判記録と今までの事例との比較だけで、裁判員の判決が見直されるのは納得がいかない」と語った。
 判決後に取材に応じた岸本美杏被告の弁護人の間光洋弁護士は「無罪主張が認められなかったことは残念」とした上で「市民感覚が反映されるのが裁判員裁判と理解しているが、量刑の判断に基準がないわけではない。破棄は当然」と述べた。
 一方で、ある検察幹部は「検察の求刑は参考意見として出しており、それが常に正しいとは考えていない。検察としては事案に応じて公平な求刑を目指すだけだ」と語った。

 ◇被告に不利判断、裁判官が1人は賛成する必要

 裁判員裁判の判決は、6人の裁判員と3人の裁判官が評議で話し合って決める。意見が一致しない場合は採決して結論を決める。ただし、有罪と決めるなど被告に不利な判断をする場合は、裁判官が1人は賛成する必要がある。量刑を採決で決める場合は最も重い刑を主張した人から順番に数え、過半数に至った人が主張した刑が結論となるが、この際も裁判官が1人は含まれている必要がある
 例えば懲役20年に裁判員3人、懲役16年に裁判員2人、懲役15年に裁判官2人、懲役12年に双方が1人ずつ賛成したと仮定する。このケースでは「懲役16年以上」が過半数を占めているが、裁判官が含まれていないため結論には至らず、裁判官の意見の中で最も重い懲役15年が実際の刑となる。今回の1審でも最低1人の裁判官が懲役15年以上の刑に賛成していたことになる。

 ◇十分な情報提供で評議、適切な結論導かれるとの判断

 量刑問題に詳しい元東京高裁部総括判事の原田国男弁護士の話 最高裁は事件の実態に即した妥当な量刑判断を示した。今回の判決は、検察側の求刑を超える量刑判断自体を否定しているわけではなく、裁判官が裁判員に十分な情報を提供して評議を尽くせば、適切な結論は自然に導かれるとの判断を示したものと言えるだろう。

 ◇先例重視に傾きすぎれば制度の趣旨が損なわれる

 裁判員制度の設計に携わった四宮啓・国学院大法科大学院教授の話 公平性を強調するあまり、先例重視に傾きすぎれば制度の趣旨が損なわれる。量刑傾向を知ることは評議の出発点にすぎず、傾向に従うことがゴールになってはならない。裁判官の説明は慎重でなければならず、裁判員の自由な意見表明を促す努力が必要だ。

裁判員裁判:導入5年 傷害致死事件で「厳罰化」傾向(2014年07月24日毎日新聞)

 裁判員制度の導入から5年。最高裁によると、殺人や傷害致死など主要8罪で、今年3月末までに全体の1.0%に当たる43人の被告に求刑を上回る判決が言い渡された。求刑に法的拘束力はないが、制度導入前の約1年間に裁判官だけの裁判で求刑超え判決を受けたのは2人(全体の0.1%)に過ぎず、割合は約10倍になった。罪名別では傷害致死12人▽殺人8人▽強姦(ごうかん)傷害7人▽殺人未遂6人などが多かった
 求刑の範囲内でも、裁判員裁判では一部の罪で「厳罰化」している傾向がうかがえる。最高裁が2012年、裁判官だけの判決と裁判員裁判の判決の量刑分布の差を比較した。傷害致死事件は裁判官だけの判決のピークが「懲役3年超5年以下」だったのに対し、裁判員裁判では「懲役5年超7年以下」。強姦傷害事件などでも同様の傾向がみられた

 最高裁によると、1審の求刑超え判断が重すぎるとして、高裁が減刑した例は今年5月末現在で5例ある。アスペルガー症候群の男が殺人罪に問われ、大阪地裁が12年7月に「障害に対応できる受け皿が社会になく、再犯の恐れがある」と求刑(懲役16年)を上回る懲役20年を言い渡した事件では、大阪高裁が「受け皿がないとはいえない」と懲役14年に減刑、最高裁もこれを是認した。
 一方で求刑をやや上回る1審判決を高裁や最高裁が支持した例もあり、一定程度までの厳罰化は受け入れられている面もある。
 また、裁判員裁判では更生を重視した執行猶予判決も増えており、量刑に幅が出ているのが実情だ。【川名壮志】

ちなみに過去の判決から見る限り、傷害致死で10年と言うのは決して軽い判決と言うわけではないと言えそうですし、一般的に検察側の求刑に対して満額回答を返すと言うのもそれほど多いわけではありませんから、司法のプロもそれなりに重く罪を考えていると言う受け止め方が妥当かとは思います。
とは言え世間の受け止め方としては最大公約数的に言って「これじゃ裁判員制度の存在意義ないね」と言ったものが最多であるように見えるのですが、基本的に量刑がどの程度が妥当かと言う基準を持っていない素人ばかりが集まって判断するのですから、やはり一定の判断基準として専門家の下した「これくらい」と言う目安は必要だろうと言う考え方は理解出来ます。
この点で制度的な担保として記事にもあるように、いくら裁判員達が過大な量刑を下すべきだと判断しても最低一人は専門家である裁判官が賛同しなければ実際の刑として認められないと言うルールが組み込まれているのだと思いますが、注目すべきは今回の元判決では少なくとも一人の裁判官がこの量刑で妥当だと考え賛同していると言う点で、必ずしも専門家的に全くあり得ない判断とも言えないと言うことでしょうか。
もう一つ、司法判断が過去の前例踏襲、判例重視であると言うことはある意味当然なのですが、一方で時代時代に応じて何が罪として重いか軽いかと言う判断基準自体が変わっていくのも当然で、この点で基本的に明治の時代から続いている刑法の基準が妥当なのかは意見が大いに分かれるところだと思います。
見ていますとどの犯罪行為に対しても厳罰主義と言うわけではなく、やはり今の時代に世間的反発が大きい犯罪に対して、それもとりわけ同情の余地がないと思われるような場合に限ってごく限定的に(増えたとは言っても全体の1%)求刑以上の量刑が出ているらしいと言うのは首肯し得る結果ではあって、司法の専門家側としても自分達の下してきた過去の判例だけを金科玉条視しているばかりでは世間の了解は得られないのでしょうね。

もちろん司法の専門家の判断と世論の動向とが一致しないと言うことは裁判員制度に限らず幾らでもあるわけであるし、基本的に刑罰と言うものは個人の権利を究極的に制限するものである以上は抑制的に行使されるべきと言う大原則はあっていいはずですが、一方で時代時代の変化に応じて刑罰のあり方と言うものも変わっていくべきと言うのもまた大原則ではあるでしょう。
筋論としては昨今の飲酒運転厳罰化などにも見られるように、まずは世論と明らかに乖離している部分に関しては立法の場で議論し法律を変えていく、それに応じて司法の判断を行うと言う筋道が妥当なんだと思いますが、現実問題として今現在も行われている裁判員裁判ではまず検察の行う求刑が裁判員にとっての一つの目安になっていると言うことは否定出来ないように思います。
旧来であれば検察がこの程度が妥当と判断して求刑し裁判官がそれの八掛けくらいで判決を出すと言う阿吽の呼吸が成立していたのかも知れませんが、ある意味で空気を読まない裁判員が「これは厳罰に処すべきだ」と考え過大な量刑を出しやすいタイプの犯罪と言うものが明らかにあると言うことであれば、これに対しては検察側も一定の配慮に基づいて求刑を行っていくのが現実的ではあるでしょうね。
これからも裁判員制度が長く続き判例が蓄積されていくとなれば、その結果データベースそのものの書き換えが行われ量刑の平均値が変わっていくことになるわけですから、長期的に見ると次第に世間の納得する程度の範囲にプロの考える量刑判断も落ち着いていくのかとも思いますが、まあしかしこの機会に犯罪への処罰はそもそもどのような基準から決められるべきかと言う議論はもう一度あってもいい気がします。

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コメント

三人寄れば文殊の知恵
素人でもそれなりの人数で判断が一致したことは尊重すべきでは

投稿: | 2014年7月26日 (土) 08時41分

なんだ、ちゃんと裁判官の判断も入るようになってんだ?
どんな刑でも好きに出せるんだと思ってたけどこれならいいよね?

投稿: ぽちたま | 2014年7月26日 (土) 09時07分

怒れる12人の男みたいに少数の人間に皆がひきずられちゃうってことあるのかな

投稿: | 2014年7月26日 (土) 10時09分

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