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2014年5月 8日 (木)

医学部を増やせば僻地医療問題は解消するか?

先日は文科省から例の東北における医学部新設に関して応募要領が公表されるなど、被災地支援と言う名目の元に久方ぶりの医学部新設が推進されているところですが、いずれも仙台市内にある東北福祉大と東北薬科大のいずれかで確定的かと思われていたところに、南東北病院などを運営する福島の脳神経疾患研究所も手を挙げたと言う報道もあって、被災地支援と言うことで言えばこちらも有利とも言えますよね。
宮城県では自治体も出資する学生への修学資金貸し付け構想も用意されつつあるようで、例によってお金で若い人達の人生を縛り付けることが妥当なのかと言う疑問は置くとしても、東北各県を始め全国的に行われているこの種の御礼奉公システムが定員割れを来していると言う状況を側聞するにつけ、新設医大に限って今までよりも地域医療の情熱に燃える学生がより多く集まるものだろうかと言う疑問は残りますよね。
もともと東北地方の各医学部は地域定着率が決して高いわけではなくせいぜい半数程度と言われ、現状においてすでに入試に下駄を履かせてでも地元に残りそうな学生をかき集めていると言われる状況でも地域枠が埋まりきらないとなれば、地元志向の学生達はすでに掘り尽くされ新設医大に来るのは他地域からの国試受験留学予備軍が多数派を占めるのでは?とも想像されるところです。
その意味で地域の医師確保と言う観点からの医学部新設は少なくとも医師に対する求心力が元々低かった東北地方に関して言えば効果に疑問符が付かざるを得ないと思うのですが、地域医療と言うものの根本に立ち返って考えるとそもそもそういう問題なのか?と言う疑問を提示するなかなか良い記事が、先日日経メディカルに出ていましたので一部なりと紹介させていただきましょう。

必要なのは医師の数か?医学部新設と僻地医療(2014年5月7日日経メディカル)より抜粋

(略)
スーパーマン僻地医は時代遅れ

 今年2月、東日本大震災の被災地を2年ぶりに取材で訪れた。その時に聞いた宮城県の気仙沼市立本吉病院院長・川島実氏の「いつまでも本吉にいるつもりはない」という言葉が耳に残った。
 川島氏は、震災直後に本吉病院の医療支援に携わった縁もあり、2011年10月にそれまで務めていた山形県の庄内余目病院を退職して、院長として赴任した。人口約1万人の本吉町地区で同病院は唯一の医療機関。震災直後、前院長など2人の医師が相次いで退職、医師不在の病院にいわば“救世主”として着任したわけだ。川島氏は、前院長が診てこなかった小児科や小外科も担当。在宅医療にも積極的に取り組み、本吉地区の“家庭医”として住民から絶大な信頼を受けるまでになった。
 2月の取材でその川島氏は、「震災後に気仙沼で始まった在宅医療をさらに拡げたり、総合診療を手掛けたりして、地域の役に立ててよかった。半面、最近では住民の『ずっと本吉にいてほしい』という期待を感じる。ありがたいことだが、私も含めこの病院の医師は家族や親元を離れて働いているのが実情。昔のようにスーパーマン的な医師の熱意と犠牲で成り立つ僻地医療はこれからの時代に通用しない。私が仮にいなくなっても持続可能な僻地医療のシステムを作りたい」と語り、「いつまでも本吉にいるつもりはない」と続けた。
 「いつまでもいない」と公言する川島氏に対し、地元の医療関係者や住民の中には「中途半端で放り投げるな」といった声も出ているようだった。

スター僻地医が作った「五戒」

 被災地の医療復旧に尽力し、全国的にも名が知られるようになった川島氏のこの発言を聞いて、筆者はある僻地医が40年以上前に作った「僻地医五戒」という文章を思い出した。それはこんな内容だ。

1.僻地医は人間らしい願いを持ってはならない。
2.僻地医は超能力者でなければならない。
3.僻地医は病気にかかってはならない。
4.僻地医はマスコミを意識しなければならない。
5.僻地医は聖人でなければならない。

 北海道浜中町の町立浜中診療所に47年間務めた故・道下俊一氏が「僻地医五つの戒め」として自虐を込めて作ったものだ。
(略)
 『日経メディカル』はこの道下氏を1975年にルポしている。浜中町を訪れた記者に対し道下氏は、「私をこの僻地に22年間も踏みとどまらせた理由は何だと思います?……マスコミですよ、マスコミ。ここを逃げ出せば、私のことを“人非人”と書きたてるのではないかという不安。僻地の医者でなきゃ分からないでしょうね──」と語り、この「五戒」を示したのだった。
 筆者も2009年、『日経メディカル』500号記念臨時増刊の特集「日経メディカルは何を伝えてきたか」の取材で、浜中診療所を訪れている。地元出身の小川克也氏が社会人を経て、医学部に入り直し、2000年から地域の医療を守っていた。
 しかし、休日でも夜間でも、困った時はいつでも診療する、というかつての道下氏のスタイルとは一線を画し、平日診療のみ、時間外と休日は基本的に心肺停止や検死が蘇生の必要な場合に限る──と、ドライで割り切った診療姿勢を貫いていた。
 この時取材に応じてくれた小川氏は、「私も最初の2年間は24時間365日それをやった。肉体的にも精神的にもまいってしまった。私はこの町の出身。ここで長く続けることが、一番大事だと考えたら、このスタイルにたどり着いた」と語っていた。
 取材当時は、一部住民から診療姿勢に不満も出ていたようだが、小川氏は今もこの方針で診療を継続中だという。
(略)
 道下氏のようなスーパーマンが、自己犠牲を払いながら僻地医療を守る時代ではもはやない。漫画とテレビドラマの『Dr.コトー診療所』は大衆の心をつかんだが、現実の僻地医療の課題を何も解決していない
 マスコミを気にせず、聖人でもあろうとしなかったことで、小川氏は地域の“身の丈”に見合った医療を守っているといえるだろう。しかし、それも持続的な仕組みではない。仮に小川氏がいなくなったとしたら、浜中町は再び医師探しを余儀なくされるに違いない。それは、全国各地、僻地と呼ばれる場所で長年にわたって繰り返されてきた光景だ。

医師ではなくシステムを

 翻って現代の僻地医、川島氏は「いつまでもいない」とあえて周囲に公言しつつ、「だからこそ、持続可能な僻地医療のシステムを作りたい」と話す。「海と里山に囲まれた気仙沼は、子供を育てるにはとてもいい場所。小さな子供を持つ若い総合医が、家族で赴任して数年間地域医療を携わる、というような循環システムを作れれば理想だ」。
 川島氏は東北大とともに僻地を支える永続的な医師派遣の仕組み作りに関わっている。宮城県内に7つの拠点病院を置き、そこをベースとして医師が近隣の僻地の医療機関で勤務するシステムだ。僻地医として働き、総合医・家庭医の腕を磨きながら、拠点となる気仙沼市立病院で手術や重症例の経験も積んでもらう仕組みだという(『日経メディカル』2014年3月号特集「大震災は医療をどう変えた」参照)。
 これまで、各地で様々な僻地医療の対策が講じられてきた。しかし、そのどれも全国区にはなり得ず、持続的なシステムとして各地に普及・定着していくことはなかった。医師をどれだけ養成しても、システム不在のため末端の僻地まで確実に行き届かせることができなかったのだ。
 今、国と医療関係者が優先して取り組むべきなのは、一気に700人近く新卒医師が増える2015年以降に向けた、僻地医療の持続システムの構築ではないか。
(略)

患者たる一般人にも読ませるものとするとかなりぶっちゃけたところまで書いている記事だと思うのですが、人並み外れた熱意と努力を持って当たり前のように激務をこなしてしまうスーパーマンの存在を前提に医療システムを組み立てている限りそれはいずれ破綻する、それよりもどんな平凡な人間が従事しても持続可能な医療システムを構築することが重要であると言う考え方には非常にアグリーですね。
昨今では入試や研修システムの変化、あるいはいわゆるゆとり教育の影響などと様々に言われますけれども、「研修医が5時になると帰ってしまう」「夜間の呼び出しに応じてくれない」と言った不満が指導医の側にはあるようで、もちろん貴重な症例が来たから時間外でも勉強に来いと言うのであればまだしもなのですが、単に人手不足を補うために便利使いしているだけだとすればそれは臨床研修制度の趣旨に反する行為ですよね。
「今までそうやって医療を回してきたんだ」と言う意見も判らないでもないのですが、そもそも際限なく増大を続ける医療需要にこれまた無限に応需し続けようとする医療現場の努力こそが医療費削減政策を呼び、そして医療現場の過重労働から逃散さらには医療崩壊と言う現象にまで至っていることを考えた時、ただ要求に応需し続けることが医療の永続性確保にとってむしろマイナスであるかも知れないと言う視点は必要でしょう。
特に僻地と言われる地域では一人あるいはせいぜい数人の医師が24時間365日の診療体制を維持しようとすれば労基法無視の労働環境になるのも当然で、その結果医師が定着しないと言うことであれば結局どちらが住民にとっても得なのかと言う話ですし、黙っていても住民が理解出来ないのであれば医療側から強力に働きかけてでも永続性あるシステムを構築すべきではないかと言う気がします。

ところでこうした文脈でしばしば取り上げられるのが「心の僻地」と言う言葉で、東北地方では秋田県上小阿仁村などは全国的にも「聖地」として知られていますけれども、よくこうした田舎の公的医療機関における逃散のケースが報道されると言うことから地理的僻地に心の僻地が多いような印象もありますが、恐らく実際にはどこであっても同じように心の僻地的要素はあるのだと思いますね。
ただ複数の選択枝がある都市部では医療機関に過度な要求を行おうとしても「当院で出来るのはここまで。ご不満でしたら他院にどうぞ」と言われてしまう時代ですし、実際医療機関を転々としている問題患者は少なくないわけで、それが地域に公立の医療機関が一つだけとなれば納税者=スポンサーとして好き放題吹っかけられるのですから、やる方にとっては理想的環境ではありやられる方にとっては勘弁してくれと言う状況でしょう。
ともかく現状では記事にもあるように、こうした構造的・制度的な問題を現場レベルの医師による個人的努力に頼って何とかやりくりしていると言うのが一番の問題であって、単に医療技術に留まらずこうしたマネージメント能力も含めてスーパーマンの存在に依存しなければ医療の永続性を担保出来ないのだとすれば、ごく平均的な人間によっても無理なく行えるように制度面でも考えていくべきではないかと言うことですね。
そしてそのためには医療を提供する側ばかりでどうこうしても始まらず、何よりも医療を受ける側の意識改革が必要になるわけですが、その意味で医療制度を采配している国はもちろんながら地元自治体のスタンスこそ非常に重要で、残念ながら未だにある話ですが次の選挙に有利だからと住民の先頭に立って医療に無茶ばかり要求するような自治体は論外であることは言うまでもありません。

根本的な話として何故田舎に医師が根付かないのかと言えば単純にメリットが何もないからで、現状で唯一のメリットと言えるものは一般的に田舎の方が報酬がよいと言う点だけだと思いますが、医師の場合相対的に報酬が低めでも十分食っていける程度にはもらえるので、医局人事による強制派遣システムが崩壊してしまった以上はよほど熱意か物欲に満ちた医師しか田舎に行きたがらないでしょう。
そして行ったなら行ったで「隣町の病院ならこんなことは当たり前にやってくれるのにどうしてここでは出来ないんだ」と日夜言われるわけで、もちろん実力も熱意も人並み以上にある優秀な先生であればある程度は要望に応えて頑張っていけるでしょうけれども、そんな優秀な先生が田舎町の(言葉は悪いですが)医療環境としては終わっている場末の施設でずっと働いてくれると考える方がどうかしてますよね。
この辺り実は医師会なども「日本全国どこでも同じ医療を受けられるべきだ」といった幻想を語ってきた責任があると思いますが、やはり地理的物理的環境によって供給体制に差が出るのは医療に限らず当たり前の話であって、ただ国民皆保険制度下では差があるにも関わらず同じ物だと言う建前の元に同じ料金を強いていることが無理があり、提供側のみならず利用者目線で考えても実は面白くない話でもあったと言えます。
純粋経済学的に考えれば医師を呼ぶコストが高い僻地の方が医療費も高くあってしかるべきだと言うことにもなりかねず、さすがにその辺りは地域格差是正の方向で配慮が必要だと思いますが、経済面のみならず周囲にどれだけ医療機関があるか、すぐに相談できる専門医がいるかと言った各種条件の差も補正していかないと、田舎勤めは各種地雷のリスクが高まるばかりだと忌避される状況は続いていくでしょう。

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コメント

関係ないですけど浜中町と言えばルパン三世の出身地ですね。

私が以前僻地で働いていたときも似たようなことが話題になったことがありました。私が「だれでも出来る僻地医療を目指しましょう」と言いましたけれど、誰にも理解してもらえなかったです。

投稿: クマ | 2014年5月 8日 (木) 08時52分

住民から見たらサービス不足を我慢しろってことだから文句いうのは判るんですが…

今まで体壊すほど無理してでもがんばり過ぎたのが悪かったんですかね。
さすがに今じゃ無理しても何もいいことないってみんな判ってきたでしょうけど。
いざというときにはいつでも頑張れるくらいの余力がいる仕事ですもんね。

投稿: ぽん太 | 2014年5月 8日 (木) 09時18分

>地元の医療関係者や住民の中には「中途半端で放り投げるな」といった声も出ている

最初から来るなってことですねわかりますw

投稿: aaa | 2014年5月 8日 (木) 09時42分

このところ医師になら誰にでも出来る水準というものが下がってきているのは感じるところで、結果的にはこれが時代の要請に合っていたのかなと言う気はします。
ただ着実に意識改革が進んでいるように見える医療の提供側に比べて利用者側のそれは未だ不十分であるようで、特に情報弱者と言われる年配層が多い地域ほどその傾向が強いのでしょうね。
新聞テレビしか情報源がない僻地といわれるような地域においては、住民に対してどれだけの情報発信と啓蒙活動を行えるか、それを誰が行うかということが重要だと思います。

投稿: 管理人nobu | 2014年5月 8日 (木) 11時01分

少子高齢化+他国に比べ異様に多い中小病院と云う現状を鑑みると
やるべきは医師を僻地に派遣するのではなく
病院の統廃合による集約化でしょうね

投稿: | 2014年5月 8日 (木) 11時04分

>病院の統廃合による集約化

まさしく厚労省の主張通りに

投稿: | 2014年5月 8日 (木) 11時41分

2年ほど前のことですが、子供が頭をぶつけて1センチほど切ってしまいました。
近所の診療所(内科)に連れて行ったのですが、
外科に行ってもらわないと、ここでは縫えないとのこと。
この程度のことすら出来ないって・・・。
昔はこのくらいのことはどこでもやってくれたのにねぇ。
これじゃあ、医師(診療科)の数がもっと必要になるのも当たり前じゃないでしょうか?

ちょっとグチでした。

投稿: | 2014年5月 8日 (木) 12時32分

気仙沼といえば震災時の出来事を思い出します。

ど僻地での長期勤務を自ら志願した勇気ある知人も今は大都市近郊で家族を大切にしながら働いています。彼の姿を見て何かが解った様な気がしています。

投稿: 放置医 | 2014年5月 8日 (木) 13時23分

針、糸、持針器、ガーゼ、消毒薬、シート…傷を縫うのに必要な物を揃えると1万円くらいかかるでしょうか?
これだけなら大したことはありませんが、これ以外の様々な「滅多に使わない道具」も取り揃えておくとなるといくらくらいかかるのでしょう?

「外科に行って」なんて気軽に言えないような医療過疎地なら、逆にそういった道具を用意しておいても無駄にはならないでしょうね。
けれど「外科に行って」と言える地域の内科医院が滅多に使わないような道具を用意しておくのは無駄ではないでしょうか。

私自身は「イヤイヤそれは無駄ではなく必要なコストである」と言いたいのですが、そのための医療費の増加は許容していただけるのでしょうか。

投稿: JSJ | 2014年5月 8日 (木) 13時31分

しかも、現在は外科系じゃない医者が縫って傷が残ったら、裁判沙汰&医者側敗訴になりかねないですよ。
おエライおエライ裁判官様から、「専門外のことに手を出した医者が不届きである」とのお言葉を頂戴した判例がありましたしねえ。
しかも、賠償金だけで済むならともかく「訴訟を起こされて負けた開業医」なんて、患者さんが寄り付かなくなりますよ。

投稿: | 2014年5月 8日 (木) 14時15分

傷ぐらい縫えないのか?という素朴な疑問に対して、
傷を縫うのに使うもの以外のめったに使わないものまで取り揃えるのは無駄だとかいくらかかるのかとか・・・
意味不明だな

まあ自分だったら、不慣れな内科に縫ってもらうよりは素直に外科に行きますけどね

投稿: グチの人とは別人だけど | 2014年5月 8日 (木) 15時40分

まあ単科の診療所に使わない道具は置いていないのが普通ですからな
その辺りは仕方がないものと思われ

投稿: 元僻地勤務医 | 2014年5月 8日 (木) 15時43分

本筋とは全然関係ないですけど、

南東北病院 っていうネーミングに吹いた

わくわくしながらホームページを見たら西棟があった。

(今まで最悪のネーミングだと思ってたのは西東京市)

投稿: 嫌われクン | 2014年5月 8日 (木) 20時48分

うっかり子供の傷に手を出そうものなら、やれ傷が残っただのなんなの、地雷を踏むようなものです。

外科に行ってくれ、と体よく断るのは正しい防衛医療で、それこそがマスコミや国民が望んで作り上げた医療のはずです。

ナートぐらい、技術的にはできますよ。傷跡なんて気にしない高齢者とかなら。でも皮膚の縫合はデリケートだから、日常やらない手技には手出ししないのが、「責任ある立派な態度」ですよね。

投稿: おちゃ | 2014年5月 9日 (金) 13時01分

まったくそのとおり
人並み以上のことがやれないなら手を出してはいけない
それがこの国で求められている責任ある仕事のやり方

投稿: | 2014年5月 9日 (金) 13時44分

日常やってないことに手を出せと言ってるんじゃなく、
日常そんなこともやらないのか?と言われてるんじゃないのか・・・?

まあ日常診ないものは診ないってんなら、内科の範疇でも診れない病気だらけになりそうだな
どんどん守備範囲を狭くするってことですね

投稿: | 2014年5月 9日 (金) 14時20分

>日常そんなこともやらないのか?と言われてるんじゃないのか・・・?

内科医は日常そんなことはやりません。何か悪いんでしょうか・・・?
外傷を日常的にみているのは外科医・整形外科医ですし、手術で皮膚縫合するのも外科医。

>内科の範疇でも診れない病気だらけになりそうだな
すでにそうなってます。消化器内科医に心筋梗塞の治療、してほしいですか?神経内科医に胃カメラ、してほしいですか?

>守備範囲を狭くするってことですね
専門レベルの治療ができないなら、ちょっとでも診ちゃいけない、即転院させなさいって裁判官様もおっしゃってますので。

投稿: おちゃ | 2014年5月 9日 (金) 15時12分

ちょっとしたサービスのつもりが巨額賠償金につながる
そしてマスコミと世間に叩かれクリニックは廃業に追い込まれるからな

他人様の大事な命をお預かりしてるんだ
一瞬でも油断していいかげんなことしちゃいけないってことだよ

投稿: | 2014年5月 9日 (金) 15時25分

昨今の医学部新設動向は国際化を競っているようで、医師不足は解消したのでしょう。
牛丼や居酒屋業界の従業員不足が顕在化しているので、そちらの増員が先なのかもしれませんが(おもてなし学部?)

投稿: 通りすがり | 2014年5月11日 (日) 16時00分

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