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2014年3月24日 (月)

医療事故調時代到来を前にしての雑感

長らく一進一退の議論が続いてきたいわゆる医療事故調問題は、昨年春の厚労省の「予期せぬ患者死亡は全例届け出」と言う厚労省方針に従って着々と法制化が進んでいるところで、いよいよ来年にもその実施が決まりそうな状況ですけれども、当然ながら根強い反対意見もあり未だに賛否両論と言ったところですよね。
しかしながらすでに話は医療崩壊が促進するのではと言った理念的な領域から、小規模施設で実際院内調査が出来るのかと言った物理的な問題へと進んできているところで、結局のところ何がどうなるかはやってみなければ判らないし、何がどうなったところで賛成、反対どちらかに国論が統一されると言った類の話でもないようには思います。

患者死亡事故の届け出、調査を義務化 遺族の不信 解消に期待/群馬(2014年3月18日東京新聞)

 患者が死亡した医療事故の第三者機関への届け出と、原因を究明する院内調査を全医療機関に義務付けることを盛り込んだ地域医療・介護総合確保推進法案を政府が二月に閣議決定した。国会で成立すれば来年十月に施行される。遺族は「ようやくここまでたどり着いた」と歓迎。医療現場も再発防止に役立つと評価するが、小規模施設の負担を懸念する声もある。

 下仁田町の歯科医師平柳利明さん(63)は「大きな前進だ」と話す。二〇〇一年、娘の明香さん=当時(12)=が東京女子医大病院で心臓手術を受けた後に亡くなった。
 利明さんの訴えで警察が捜査し、人工心肺装置の操作を担当した医師が業務上過失致死罪で起訴されたが、裁判では別の医師によるミスの可能性が高いとされ、〇九年に無罪が確定。心肺装置のトラブルを死亡原因としていた病院側の内部調査は否定された。
 娘はなぜ死んだのか。真実を知りたいと望み続けた利明さんは、十年近く翻弄(ほんろう)された歳月を振り返り「中途半端な調査は怒りを買うだけ。遺族の気持ちを癒やすのも医療の一部であり、納得できる調査や説明をしてほしい」と語った。
 医療事故訴訟を起こす遺族の多くが、説明不足など事故後の対応に不満を抱き、何があったのか知りたいと望む。医療問題弁護団の木下正一郎弁護士はそう説明した上で「調査制度が正しく機能し、遺族の疑問や不信感が解消されるようになれば訴訟になるケースは減るだろう」と指摘した。

 医療機関の受け止め方はさまざまだ。横浜市泉区の緑園こどもクリニック院長、山中龍宏医師は「事実関係を明らかにし、再発防止策を打ち出せれば同種の事案を回避できる」と調査制度を評価する。ただ「調査結果が民事訴訟などで医師の責任追及に利用されるとすれば、違和感がある」と言い添えた。
 茨城県の診療所の六十代内科医は「医療には常にリスクがついて回る。小さな診療所で調査するのは困難だ」と院内調査の負担を懸念。厚生労働省は地域の医師会や大学、学会による支援体制を構築するとしており、取り組みが注目される。

<医療事故調査> 診療行為によって患者が予期せずに死亡した場合に、医療事故として第三者機関に届け出を行うとともに、外部の専門家も入れて院内で調査する。手術の合併症などで死亡した事例は除く。第三者機関は原因の究明や、再発防止のための評価と分析を行う。遺族や医療機関の依頼があれば第三者機関が調査する。

まあしかしそれぞれにお話はごもっともなのですけれども、各人の受け取り方を見てみますと未だに制度の目的とするところについて統一された理解に至っているようには思えないところが危惧されますでしょうかね?
ともかくも医療に限らずこうした事故調問題において必ず言われることが、それが個人責任追及のための手段となってしまっては必ずうまくいかなくなる、むしろ個人に対する免責などを条件に真実を語ってもらうよう担保しなければ再発防止になど結びつかないとされていて、アメリカでは「誰でも間違える」「過誤を罰しない」ことを前提に如何に過誤を減らしていくのかという実効的対策が取られているのは周知の通りです。
その意味で結局民事訴訟などに対する証拠として用いられるのではないかと言う懸念を解消出来なかった以上、当事者それぞれが自分の責任回避のために証言をすることになるのでしょうし、さらに言えば有名な東京女子医大事件のように組織防衛のために個人に責任を押しつけるなどというあってはならない事が起こるリスクもまた、一定程度発生し得ることは覚悟しておかなければならないでしょうね。
このあたりは以前から医療訴訟に詳しい井上清成弁護士などが色々と対案を用意しているところでもありますが、何しろこの10年ほどで医療現場においても司法を含めた社会システムへの理解が進んできたところですから、どのような制度が出来たとしても現場医療従事者が各人なりにリスクを判断し適当に対処することになるのではないかと言う気はしているところです。
ただそうは言っても医療のリスクは少なければ少ないほどよいと言うことは患者にとってはもちろん医療従事者にとっても切実な願いであるのも事実で、それではこれをどう減らしていくかと言う方法論の部分で議論が分かれているわけですけれども、先日こういう調査結果が出ていたことをご存知でしょうか。

死産・新生児死亡、25%は救えた可能性 滋賀医大検証(2014年3月20日朝日新聞)

出産前後に赤ちゃんが死亡した200以上の症例を滋賀医科大学が検証し、医療機関や妊婦側が適切に対応していれば4人に1人が助かる可能性があったと判定した。厚生労働省や専門家によると、全県的な検証は珍しく、再発を防ぐ取り組みとして注目される。

 高橋健太郎・特任教授(62)らのチームが、厚労省の許可を得て保健所から医療機関名や妊娠週数などのデータを入手。滋賀県で2007~11年に届け出があった出産前後の死亡症例352件について担当医にアンケートし、死亡時の状況や思い当たる問題点をすべて答えてもらった

 これまでに233件の検証と判定を終了。うち59件(25%)は命が助かった可能性があると判定した。内訳は妊娠満22週以後の死産が38件、新生児死亡21件。

こういう「命が助かった可能性」などと言われると、じゃんけんで「そこでパーではなくグーを出していれば勝てていた可能性が3割以上ある」なんてことを言われてもなあ…と感じる人も多いんだろうと思いますが、こういうものは個別的にこの症例ではこうすれば式の検証もさることながら、どういう方法論でアプローチすればマスとしての周産期死亡の改善に結びついていくのかと言うことを検討していくべきではないかとは思いますね。
歴史的な教訓となる例で言えばかつて分娩後の母体死亡の大きな原因となっていた産褥熱と言う病気がありますが、実は助産師が分娩を担当していた大昔には産褥熱というものはほとんど見られなかったのだそうで、17世紀頃から産科医が分娩に介入するようになり様々な医療行為をする中で女性生殖器内部に余計なバイ菌を押し込んでしまう、その結果子宮内などに新たな感染症が発生するようになったと言います。
無論産科医の介入でそれまでなら大変なことになっていたお産が無事に済むようになったことからトータルで見ればよい面の方が大きかったことでしょうが、18世紀になると各地で大々的に産褥熱が発生しフランス政府が警告を発するようになるまで蔓延していた、その理由として当時産褥熱患者の死因を何とか究明しようと熱心な医師ほど死者の解剖を積極的に行っていたことも一因だったと言うのですから何とも皮肉なことです。
コッホ以前の目に見えない生物が病気を起こすという知識の亡かった時代のことで、言わばバイ菌の塊を触った手でそのまま分娩に従事するのですから「産科医に担当してもらうより助産婦に担当してもらった方が安全」などと言われてしまうのももっともなのですが、細菌学登場直前の19世紀には手洗いの有効性と言うことが世に広まるだけでもどれだけ大変だったか、現代においても改めて噛みしめてみる必要がありそうですよね。

悲しむべきことに今の時代にあっても未だ産褥熱というものは発生する場合があって、特に近年では助産院での産褥熱ということがしばしば話題になりますけれども、実際に各地から出ている搬送症例の検討では助産院で麻酔器を使って流産の処置をしただとか、不潔な器具でへその緒を切って新生児破傷風に罹患しただとか、法令違反をさておいても21世紀の水準としてどうよ?と思う事例も散見されるようです。
もちろん医療の世界もエヴィデンスだ、医療安全だ、はたまた学閥の壁だと様々にがんじがらめなところがあって、これはよいと考えられることでもなかなか一般化していかないと言う腰の重さがありますけれども、逆に言えば少なくとも今の時代きちんとエヴィデンスさえあればいずれそのやり方は広まっていくだろうし、逆に廃れてしまったやり方というのはそれなりに理由があって消えたのだと言う言い方も出来るのでしょう。
そう考えると近年何事もガイドラインがどうこうと言う時代で面倒くさいと考えてしまいがちですけれども、とりあえずこういう時にはこうするんだと言う基準点を決めておくというのはとっさの時ほど重要なことで、もちろん腕に覚えのある人間ならばガイドラインを越えたところで勝負するのは自由ですけれども、それならそれで標準治療と比べてどうなのかと言う基準は持っていなければ単に適当にやっているだけだと見なされてしまいかねません。
医療訴訟などでもまず第一に問題になるのが平均的医療水準に照らしてどうなのか?と言う点だそうですが、やはり世間ではどういうやり方が一般的なのかと言うことを知った上で、敢えてそれを踏み外すのであればあったで「何故そちらにしたのか」「本当にそちらの方がいいのか」と言うことを、相応のエヴィデンスなりもつけて説明出来るようでなければ何かあった時に通用しないと言うことですね。
そう考えるとこの症例はこうすればよかった式のツッコミは症例検討会などでさんざんにやられているところですけれども、それは一般的な対応なのか例外的な対応なのか、例外的対応ならどういう時にどういう基準でそれを選ぶべきなのかと言ったところも併せて検討しておかないと本当に有効な対策として現場にフィードバック出来ず、単なるツッコミのためだけのツッコミに終わってしまう可能性もあるのでしょうね。

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コメント

もう開き直ってなるようになれの気持ちですが。
なんでもかんでも届け出てパンクするならそれもまたよしって言うか。
とにかくまさかの時にそなえて自己防衛だけは徹底するつもりです。

投稿: ぽん太 | 2014年3月24日 (月) 09時00分

琵琶湖県の出産は全部滋賀医大にお願いすべきだな

投稿: | 2014年3月24日 (月) 10時46分

こういう調査もそれこそ極端に成績の悪い個人なり施設なりがあって、その理由が何であったかと言うことまで検討できればそれなりに役に立つのかも知れません。
ただ調査に対して素直に答えているという担保は全くなくて、むしろ自分は悪くないと言うようにバイアスがかかっている可能性もありますから要注意ですね。

投稿: 管理人nobu | 2014年3月24日 (月) 12時28分

>死亡時の状況や思い当たる問題点をすべて答えてもらった。

本当の駄目医は問題点にすら気付かずな悪寒w

投稿: aaa | 2014年3月24日 (月) 16時05分

みんなでがんばって医療レベルを上げる

何かあったら「平均的医療レベルに達していない」と言われる可能性が高くなる

またみんなでがんばって医療レベルを上げる

ますます…

投稿: | 2014年3月26日 (水) 12時02分

オリンピックの体操とか、フィギュアスケートとか、時代と共に難度が高い技が普通になる
選手はどんどん大変になっていくよねと思ったりしてました

方針を変えて、がんばらなくてレベルを上げる方法を追求したらどうかと
努力が嫌いな人の方が、そういうこと考え付くもんですが

投稿: | 2014年3月26日 (水) 18時23分

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