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2014年3月28日 (金)

高齢者は医療から見放されつつある?

内科医である酒井健司氏が朝日新聞に連載をしているのですが、先日こういうことが書いてありました。

狙ってピンピンコロリは難しい(2014年3月24日朝日新聞)

死ぬのならピンピンコロリが理想的です」とよく言われます。〝寝たきりになって何年も生きるくらいなら、コロリと逝きたい〟というのです。家族に迷惑をかけず、また、自分が苦しむこともない。ピンピンコロリを望む気持ちは、よくわかります。ただ、なかなか狙ってできるものではありません。

寝たきりになる原因の一つである脳血管障害を考えましょう。脳梗塞で倒れて病院に搬送されたとします。「じいさんは寝たきりになるぐらいなら死んだ方がましだと言っていた」と家族が医師に伝えました。希望通りピンピンコロリになるかというと、そうは簡単にいきません。

よほどの重症で血栓溶解療法などの積極的な治療を行っても命が助かる見込みがきわめて小さい場合は、積極的な治療を行わず、そのまま看取ることになるでしょう。軽症で命の危険がない場合は、積極的に治療して少しでも後遺症が少なくなるようにすればいいです。

中等症のときは悩ましいです。積極的な治療を行わなず亡くなったのなら希望通りということになりますが、死亡には至らず後遺症を残して生き残る可能性もあります。しかしながら、積極的な治療を行ったせいでピンピンコロリになるはずだった人を助けてしまうということもありえます。

医療は不確実です。治療をしたらどうなるか、あるいは治療をしなかったらどうなるか、医師は大まかな予測しかできません。ピンピンコロリを希望しても必ずしも思い通りいくとは限りません。

一つ気をつけていただきたいことがあります。「寝たきりになってまで長生きしたくない」からと、あえて不健康な生活習慣を選択する人がいます。あたかも高血圧などの治療が寝たきりの原因であるかような論調の医療否定本の影響もあるのかもしれません。

単に「長生きしたくない」ならそれは個人の選択として尊重しますが、「寝たきりになりたくない」のであれば、不健康な生活習慣や高血圧を放置することは意味がありません。不健康な生活習慣のせいで脳梗塞を起こし寝たきりになることだってあるのです。

「ピンピン」と健康でいる期間を長くしたいのなら、できるだけ健康的な生活を送り、治療すべき病気は治療することをお勧めします。「コロリ」の部分は、普段からご家族に希望を伝えておき、あとは運を天に任せることぐらいでしょう。

ま、臨床的にはピンピンだった人がコロリと逝かれるのは色々と面倒な局面も多いもので、どちらかと言えば死ぬべくして死んでいただいた方がいいと言う考え方もあるでしょうけれども、厚労省にしても2007年に終末期医療のガイドラインを策定、さらに2011年には終末期高齢者には人工栄養中止も認めるという実質的な消極的安楽死容認を打ち出すなど、このところ高齢者の逝き方についてどんどん話が進んでいます。
この点で非常に興味深いなと思ったのが診療報酬改定作業も含めて制度面で高齢者に漫然と延命的医療や高度医療を行うことが難しくなっていたことで、例えば今春の診療報酬改定で胃瘻造設術の点数が実に4割も引き下げられ、しかも年間造設件数が50件以上の施設においては術前の嚥下機能検査が全例に義務づけられるなど、「とりあえず胃瘻を作ってさっさと退院させる」と言うことがとても出来ない状況になってきていますよね。
また病床再編によって高額な医療費を要する急性期のベッドを削減するという方針が示されたことは今まで救急に手厚く行われてきた医療政策の大転換だと思いますが、その結果当然ながら救急受け入れは本当に助けるべき人を優先すべきだと言うことにもなるでしょうし、単に看取り目的で施設から病院へ搬送されると言ったケースは今後物理的にも受け入れ先を探すにも四苦八苦することになりかねません。
もちろん将来的には本当に手厚い医療が必要な人から優先して受けられるということになっていけばいいのですが、現状ではまだ国民にしろ医療現場にしろ制度改定に伴う意識の変化が追いついていない中で、制度ばかりが先立って改められていくとあちらこちらでトラブルが発生することになるわけです。

救急病院「施設での看取り促進して」の声も-東京都病院学会で高齢者救急 搬送を議論(2014年3月14日CBニュース)

 東京都病院学会がこのほど都内で開かれ、高齢者の救急搬送における課題につ いて、東京都病院協会・急性期医療委員会のメンバーが議論した。都では高齢者 の救急搬送が年々増加しており、急性期の治療を終えても自宅に帰るのが困難 だったり、受け入れ先の病院が見つからず、新たな救急患者を受け入れられな かったりする状況が見られることから、医療機関同士の連携で、問題の解決を図 れないか話し合った。高齢者の救急搬送を減少させるための方策を救急病院に尋 ねたところ、「高齢者施設での看取りを促進する」という声も多かった。【大戸 豊】

 帝京大医学部救急医学講座の坂本哲也主任教授は、三次救急の立場から高齢者 の救急搬送の問題点を指摘した。 坂本氏は、東京都医師会が2012年10月に行った救急入院患者調査を示し、入院 患者で最も多い年齢層(5歳刻み)は80-84歳で、全入院患者の42.1%が75歳以 上だったと指摘。患者の1か月後の転帰を見ると、自宅は63.9%(在宅医療5.1%)、転院 5.7%、施設入所4.5%、入院継続中は14.0%だったが、自宅に退院した割合を年 齢別に見ると、50歳未満は83.8%だったが、75歳以上になると49.6%まで低下し ていた。  坂本氏は、「救命救急センターは本来、医学的な最後のとりでとして機能する ことが目的だが、社会的なとりでとして活用されていることも少なくない」と訴 えた。

高齢者の看取りを三次救急に搬送するというのもどうなのかで、特に老健など施設入居者の看取り目的での搬送に関しては今後施設側にも意識変化と対応改善を考えていただくのは当然だと思いますけれども、ここで注目いただきたいのは患者を受け入れる側の救急病院から「もうこれ以上は無理だから送ってこないで」と言う悲鳴混じりの声が上がっていることです。
高齢化社会がどんどん進行し、特に今後団塊世代の高齢化が話題になる中で「現状のような高齢者医療を続けていては医療現場はもたない」と言う声は以前から出ていたところですが、例えば千葉大学の予測によれば2035年までの20年間で首都圏だけでも高齢患者が実に44万人増加すると言い、各病院は高齢患者の治療に追われこのままでは救急外来にもトリアージが必要になると言う声もあるわけですね。
実は高齢者の場合若年者のように病気になりました、治療して治りました、元気になって帰って行きましたと言う単純なものではなく、ひとたび何であれ病気になればその都度心身の機能が低下していき新たな問題が発生するのが当たり前で、肺炎で担ぎ込まれてきたはずがいつの間にか心不全として治療していただとか、元気に暮らしていた人が転倒骨折一つで寝たきり胃瘻になって行き場がないと言ったことが珍しくありません。
当然ながらいわゆる救急から急性期にかけての医療に加えて、老人特有の回復期や慢性期的な医療も治療早期から同時並行的に行っていった方が効果が高いはずですが、現行の診療報酬制度ではこうしたものは全て施設をわけで段階的に転院を繰り返しながら対応していくようになっていて、当然ながら各施設間でも受け入れの可否を巡ってそれなりに手間ひまがかかることが治療効率と共にベッドの回転を悪くする要因にもなっています。

そもそも近年の診療報酬改定では救急医療のような激務でなり手が少ない領域に優先的に報酬配分が行われてきたわけですが、せっかくスタッフや設備が充実しても高齢者に特有の医療上の配慮を必ずしも適切に行えていないと無駄ばかりが増え誰の幸せにもならないと言うもので、子供は小さな大人ではないと言うのと同様に高齢者医療に関してもそれ専門の知識や経験があってしかるべきだと言うことです。
しかし元々高齢者医療と言えばはっきり言って若く前途有望な医師にはさほど魅力があると見なされていませんからアクティブな人材に欠けるきらいがあり、他所でおつとめを終えた大ベテランが最後に流れていく先のような扱いでやってきたわけで、到底急性期病院で他のスタッフに混じって高齢者医療の司令塔役を務められるような人材が育っているような世界ではないのが難点ですよね。
もう一つ考えてみると小児科や産科などはしょせん先細りの世界であって、これからの日本で一番将来性があるのは間違いなく老人専門の医者だろうと言う考え方も成り立つはずですが、逆に国としては今の医療システムではこうした高齢患者の急増に適切に対応出来ないということを一つの根拠として、高齢者への医療給付自体をどんどん抑制していきたいと言う本音ももちろんあるのだろうと思います。
ただそれが悪いのかと言えば大多数の国民は実際にはピンピンコロリ願望があって、歳をとったらぽっくり逝きたいと考えているのだとすればむしろ制度上の不備は願望充足の上では好都合とも言える部分もあって、「超高齢化社会到来に備えて高齢者医療はどんどん充実させなければ!」と言う話でもないと思うのですが、命は地球よりも重い的な長年染みついた考え方からすると正面切って反論するのは難しい命題でもありますよね。
小児医療を充実させます、産科医も呼んで安心安全のお産を目指しますなんて話と同じ文脈で高齢者医療も充実させ万一の時にも安心出来ますなんて言われるとつい頷いてしまいそうになりますけれども、「死にたいと思っても生きられる。さっさと死ねるようにしてもらわないとかなわない」などと放言して総バッシングされるのとどちらがより深刻に高齢化社会のことを考えているかと言われると、実のところ微妙なところではないでしょうか。

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コメント

若者には医療、高齢者は介護
社会保障給付の公平化をはかるべきでしょ

投稿: アクマくん | 2014年3月28日 (金) 08時29分

死亡確認だけが目的のような救急搬送は勘弁して欲しいです。
翌朝嘱託医が出向いて確認でいいんじゃないですか?

投稿: ぽん太 | 2014年3月28日 (金) 09時52分

高齢者の生命力は人それぞれですから。年齢だけで線引きするわけにはいかないと思います。
同じ年齢・同じような状態で入院してきても、歩いて退院する人もいるし寝たきり状態になる人もいるし。
もっている生命力が違うのに年齢で一律に扱うのは、それはそれで悪平等でしょう。

救命救急医療によって、
死んだはずの人が重い後遺症を残しつつも生き延び
重い後遺症を残したはずの人が軽い後遺症で済み
後遺症を残したはずの人が、後遺症もなく快癒するんだと思えば、
とりあえず救急治療はやれるところまでやっちゃっていいと思うんです。
重い後遺症を残した時のことは、その時考えればいいと。

必要なのは、延命治療をしないことではなく、救命治療が延命治療になった時点で中止することだと思っています。

投稿: JSJ | 2014年3月28日 (金) 10時28分

>救命治療が延命治療になった時点で中止すること

それがかんたんに出来ればこんな大騒ぎになってないですからw

投稿: aaa | 2014年3月28日 (金) 10時40分

これは個人的意見と言うものですが、いわゆる延命的医療ということに関して理念としては誰しも似たようなことを言っているんじゃないかと言う気がします。
ただそれを実際に実施することに関して温度差もあれば知識や経験の差もあり、各論としては全く違うことを言っているように聞こえるのではないかと言うことですね。
そうした言わば理想と現実の摺り合わせという点で、十分に経験を積んだ医師が家族と緊密に連携をしながら行う終末期医療のあり方にはそう大きな問題は起こらないのではないかなと思っています。

投稿: 管理人nobu | 2014年3月28日 (金) 10時43分

重い後遺症になったら安楽死が選択できる、がピンピンコロリに一番近いような

投稿: | 2014年3月28日 (金) 11時28分

ピンピンコロリは重症AMI、重症SAH、重症大動脈解離くらいしかなくて、それ以外の殆どの人は苦しんで死ぬわけで。
高齢者の終末期で最も理想的なのはガン(緩和医療のみ)で最悪なのは寝たきりになる脳卒中関連や変性疾患です。
とくに胃瘻とかで誤嚥〜肺炎の繰り返しでドロドロになる症例がほとんどでしょう。
救急搬送する側(家族、施設、医療者)としては「何もしてやれず、あいつらは見殺しにした」と陰口をたたかれたり、最悪カリフォルニアから飛んできた人に文句言われる事が非常に鬱陶しいわけです。「とりあえず救急搬送を試みたが、病院にどこも断られたので死んだ」となると、病院側に責任転嫁できるのでギリギリ文句言われることなく免責なわけです。しかしすでにCPAで8分以上経過している高齢者を救急搬送してCPRするのは医学的にも時間切れで全く無意味なわけで、死因は何であれ救急搬送すべきではないでしょう。医者が在宅か施設で死亡確認するだけで十分だと思います。
それすらできない(主として当事者責任回避のため)終末期現場では無意味な救急搬送も一向に減らないと思います。
ましてや肺炎とかで搬送しないとなると、今の時代90歳以上ですら最悪訴訟でも起こされかねません。
また同じ高齢者でもそれなりに社会的地位のある人(政治家、大学教授、大企業トップ)と一般国民とは違うし、
もともと元気溌剌な人と在宅寝たきりとは全然違うわけです。
ルールを明確化して、法制化して、看取り行為で当事者責任を一切問われることがない社会常識を定着させる必要があるわけですが、現実的に高齢者をとりまく今の日本の環境をみた限りでは難しそうですね。
胃瘻からの注入中止だけでもグズグズ悩むわけですから。そういう国民なんですよ。


投稿: 逃散前科者 | 2014年3月28日 (金) 11時43分

無駄な胃瘻を減らす画期的ルールを考えてみた

「誰かに胃瘻をつくる決断をした者は自分も経腸栄養剤以外口にしてはならない」

これでみんなも当事者意識を持てるだろ

投稿: | 2014年3月28日 (金) 11時51分

高齢末期には医療もそこそこで収めるにしても、誰がその判断をするかが問題では?
今は誰もそこを判断していないから三次救急にまでしわ寄せが来てるんで
順送りのなるべく早い段階で流れを断ち切らないと意味ないですよね

投稿: とんちゃん | 2014年3月28日 (金) 14時28分

リビングウィルを国民のDUTYにでもしなければ、この終末期3次救急カオスは延々と何十年も続く。
すでに認知症や脳卒中になってしまったリビングウィル確認不可能な人々(1000〜2000万人くらいはいるか?)はもはやどうしようもない。家族の意思=患者の意思ではないので、元々他者依存・責任回避傾向の強い日本人には誰にもその判断はできない。まして第3者の医療者や介護者などが判断できるはずもない。よって全部病院へ救急搬送してしまえとなる。
救急車タダ、国民皆保険、フリーアクセスを変えないかぎり、ますます高齢者終末期救急カオスは終わらないでしょ。
たぶん高齢者救急専門病院でも作らないとどうにもならない。

投稿: 逃散前科者 | 2014年3月29日 (土) 12時43分

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