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2014年3月20日 (木)

DNRはすでに当たり前なのに尊厳死法制化をと言う不思議な現象

本日の本題に入る前の余談ですが、ご存知のように日本の医療は国民皆保険制度をとっている関係上、全国どこでも同じ公定価格での提供が大原則となっていますけれども、一方で医療費削減のかけ声によるものか直接の医療以外の部分は年々自費化される傾向にあって、入院ともなると「こんなものまで別料金を取るのか?!」とびっくりされた経験のある方は少なくないかと思います。
保険診療では何に対して幾らの報酬が支払われるかが決まっている、そして年々この報酬も切り詰められ病院としても経営が苦しくなっているわけですから、保険の対象外の領域では少しでもお金をもらっておかないと施設の維持も出来ないと言うことになりますが、幾ら自由に価格設定が出来ると言っても施設毎の価格差があまりに大きすぎるのではないか?と思わせるニュースが先日出ていました。

おむつ代、医療機関によって30倍の価格差- 民間調査、テレビカードは千円台が9割超(2014年3月14日CBニュース)

 療養の給付と直接関係がないことなどから、価格設定が医療機関に任されているサービスのうち、大人用紙おむつ代には30倍の価格差があることが、民間の調査で分かった。価格に大きなばらつきが見られるサービスがある一方で、テレビカードの価格は9割超が1000円台だった。【佐藤貴彦】

 おむつ代などの日常生活に必要なサービスの費用や予防接種などの価格は、「社会的にみて妥当適切」な範囲で医療機関が設定できる。「医療経営情報研究所」(東京都千代田区)は昨年9月、こうしたサービスの価格に関する調査票を医療機関7467施設に郵送し、581施設から回答を得た。

 それによると、「大人用紙おむつ(テープタイプ、Mサイズ)」を医療機関から購入した場合の価格は平均127.6円最も高い価格は600円で、最低の20円とは30倍の差があった。一方、テレビカード1枚当たりの価格は平均1003.2円で、回答の95.7%が1000円台だった。価格が1000円台のテレビカードで視聴できる時間は「12時間以上18時間未満」が40.4%を占めたが、「30時間以上」(2.4%)や「6時間未満」(3.1%)との回答もあった。

 回答施設がある地域ごとの平均価格を比べると、大人用紙おむつでは「関東」(159.8円)が最も高く、以下は「九州」(133.8円)、「甲信越、中部」(130.0円)などと続いた。テレビカードの価格が最も高かったのは「中国、四国」(1026.6円)だった。

 「診療録の開示基本手数料」の平均価格は2732.7円で、最高は1万5000円、最低は300円。50倍の差があるが、基本手数料とは別に「閲覧料」を取る施設があった一方、基本手数料にカルテに関する医師の説明料金を含める施設もあったという。医師の説明(30分)の価格は平均5450.2円で、最高は2万2000円、最低は2000円だった。

 「インフルエンザ予防接種(大人、1回目)」の平均価格は3332.1円で、最高は6000円、最低は953円。3000円台が60.8%を占め、2000円台と4000円台を合わせると94.8%に達した。

まあしかしあのテレビカードと言うものも確かに割高に感じるもので、あれは大多数業者が設備一式全て管理していて病院側に場所代を支払うと言うシステムですから正直病院にとっては大きな儲けになるわけでもなく、その割に「なんでこんなものにこんな高い金を取るんだ!」と評判も悪かったりで、デジタル化による買い換えを機に自前のものを導入して無料化した施設も結構ありそうですよね。
よく高いと話題になる診断書の類の費用もどれくらいが妥当なのか?と考えてみるのですが、原価としてはやはり人件費(手間賃)がほとんどで医師の時給を平均年収や法定労働時間(笑)から計算し、診断書作成に要する時間や事務方の作業コストなどを考えても、病名だけ一筆書く程度ならまだしも保険屋の診断書など手間のかかる書類ならやはり1000円やそこらでは実費にもならないことは納得いただきたいと思います。
おむつ代などは市価が幾らくらいかとちょいと調べてみましたらネット通販サイトなどでは一つ100円強程度であるようで、それからしますと平均価格はまあ妥当な範囲だと思うんですが、一つ600円よりむしろ一つ20円と言うバーゲンプライスの方が気になるもので、こういう価格を設定しますと当然患者としてはそちらで買いたくなる道理で、よく言えば病院側としては全ての患者に使い慣れた同じものを使えるメリットはあるかも知れません。
ただ実際のところこの価格で赤字にならないのか?と言う疑問はあって、何しろ病院側としては大量のおむつを仕入れ保管しておく場所とコストも余計にかかるはずですし、近年はこうした面倒を嫌ってか市場でも簡単に手に入るようなものはなるべく自前で用意してもらう(あるいは、せいぜいが院内の売店で買ってもらう)方針をとる施設の方が増えている気がしますがどうでしょうね。
逆に高い方は比較的狙いがはっきりしている場合が多くて、それでどんどん儲ける気なのかと言えば必ずしもそうではなく、むしろ予防注射などに見られるように相場無視の高値を付けているところは「うちはやりたくないのです」と言う本音の表れでもあって、大学病院などが選定療養費をどんどん値上げしていっているのと同じように患者の行動を誘導したいのだと受け取っていただいた方がいいんじゃないかと思います。

前振りはそんなところにしておいて、個々の人間はそれなりの思想信条あるいは個別の事情によってかなり突飛な行動を示す場合もありますけれども、集団としてはおおよそ背景事情によって予測されるような行動傾向を示すということは、例えば診療報酬の誘導によって医療提供の実際が変わっていくと言うこと一つをとっても理解できますよね(ちなみに、基本的に医者は頑固で自分の考えを押し通しがちな人種なのですが)。
エヴィデンスに従って誰憚ることのない正しい医療を行っているはずの医療の世界でさえそうなのですから、特に深い理由があってのことでもなく日常生活における行動の大多数を決定している一般市民の方々においてはさぞやと思うところですが、とりわけ日本人の場合は民族性なのか自分自身の考え、主張を貫くと言うよりも、周囲の顔色をうかがい時には流されながら行動を決めてしまうタイプの方が多いと言います。
そういう民族性を持つ日本という国だからこそもっと慎重であるべきだ、と言う声は特に生命倫理関係で何かしら個人の意志を反映するためのルール作りを行うと言った場合に必ずと言っていいほど出てくる意見なのですが、このところようやく法制化が進んでいきそうな気配を示しているいわゆる尊厳死法案に関しても、この「自己決定権の尊重」派vs「周囲に流されてしまう懸念」派と言う構図が見られているようです。
世界的な流れを見ても当初は例え限定的なものであれ、こうした自己決定権の担保と言う方向で推進されていくのが規定の路線だとは思うのですが、どうも見ていますと言わば勝ち組に近い自己決定件尊重派にしてもいささか話の流れが見えにくくなってきているようにも思えます。

尊厳死法案 「自分の最期は自分が」「周囲の空気で…危険」岩尾総一郎、平川克美両氏が激論(2014年3月14日産経新聞)より抜粋

 本人の意思で延命措置を受けずに最期を迎える尊厳死について、法制化の動きが進んでいる。超党派の議員連盟が「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案」(通称・尊厳死法案)を用意、今国会にも提出する方針だ。法案では本人意思に基づく尊厳死では医師の責任を問わない内容となる見通し。法制化の是非について、「日本尊厳死協会」の岩尾総一郎理事長と、「尊厳死の法制化を認めない市民の会」呼びかけ人の平川克美氏に見解を聞いた。(溝上健良)

 ≪岩尾総一郎氏≫
死ぬ権利に裏付け必要

 --法制化への動きが進んでいる

 「われわれは人生の最期は自分で決める、不治かつ末期の状態になったら無駄な延命治療はしないでほしい、という運動を進めてきた団体で、チューブにつながれて不本意な終末期を送る人がいる中で、終末期についての立法をお願いしてきた。ここへきて法案提出の機運が出てきたことは感慨深い。早く決めてほしいが、今国会での成立は難しいかもしれない。まずは広く国民の前で議論をしてほしい」

 --不本意な終末期とは

 「昔は枯れるように人が亡くなっていたものだが、今は栄養をチューブで補給され、水ぶくれするように亡くなっている人が多くみられる。ロウソクの火が消えるように人が亡くなるところに、あえて医療が介入する傾向があるのではないか。本来、自分の最期は自分で決めるべきだが『先生、お任せします』となりがちで、任された医師の側としては延命治療をせざるをえない。救急の現場でよくあることだが、本人と同居の親族が『もういいよ』と言っても、遠くに住んでいる親類が延命を求める傾向がある。いまの法案では本人の意思について規定されているが、もし家族の意思も尊重するということであれば、そこに優先順位を付けておく必要があるだろう」
(略)
 --障害者団体などでは法制化への反対意見が根強い

 「私たちは常に『不治かつ末期』になったときに、と主張している。まだ十分生きられる、末期でない人に何かするなどということは毛頭、考えていない。なお、安楽死が認められている米オレゴン州では14年に及ぶ調査が行われ、安楽死が貧困層などに広がっていないことが実証されている。『尊厳死を認めることで、弱者にどんどん適用されていく』との考えは杞憂(きゆう)だ」
(略)

岩尾氏の発言も一見するともっともなんですが、しかしチューブで栄養を入れたり機械のサポートがあればまだまだ長生き出来る(生きているということの状態の如何を問わず、ですが)場合にそれが不治かつ末期の状態と言えるのかどうかと言えば、現代医学ではそこから何年という単位で生かすことも可能な場合があるのですから末期とひとくくりするのはいささか無理があるように思います。
別な例として糖尿病など放置すれば命に関わるリスクがある疾患は幾つもありますが、しかし我々はそれらに対してきちんとコントロールをすることで何ら支障なく日常生活を送れると言うことを知っているわけで、それではこうした方々に生きるために必須の治療を継続し生かし続けることと、チューブをつないでおけば長生き出来ると言う場合との間にどういう違いがあるものか?と考え始めると難しいものがあります。
岩尾氏は「まだ十分生きられる、末期でない人に何かするなどということは毛頭、考えていない」と言っていますけれども、実際には「末期であり、十分生きられない」ような人は何をしようがしなかろうがどうせ遠からず死ぬのであって、何かをしている限りそれなりに十分生きられると言う人にとってこそこの尊厳死問題がこじれるケースが多いのだと言うことを認識しなければならないと思いますね。
こうした混乱が生じるのも尊厳死と言うものを議論する場合に寝たきりの高齢者がただただ生かされていると言ったケースと、本来まだまだ生きられるはずの若年者が何らかの不治の病で遠からず亡くなるしかないと言ったケースでの議論が入り交じってしまっているからではないかと思うのですが、岩尾氏の語り口を見ていますと果たしてどちらの場合を問題にしているのか判らず見ている側も混乱してしまうでしょう。

ちなみに前者と後者の何がどう違うのかと言えば、前者の場合本人はまず苦痛を感じることがない一方で後者の場合本人が何より苦痛に感じていると言うことですが、「そんなことはない、今や末期癌でさえ大多数の疼痛は十分コントロール出来るのだ」と言うご意見もまことにごもっともなのですけれども、そうではあっても本来将来に期するところ大きい方々がただ死んでいくしかない、そしてそんな状況を理解しているという精神的苦痛は決して無視出来ません。
他方でこうした苦痛に満ちた状況下で冷静な判断が出来るのかどうか、単に心身の苦痛を逃れるためだけに安易に死を選ぶと言うことがあるのではないかと言うこともまた反対派の論拠になるわけですが、人間誰しもその時々の状況に適応して日々刻々と変わっていく存在である以上、子供の時に夢見た通りの大人になっていないからと言ってさぞや不本意だろう?と言うが如き突っ込みも正直不毛なのではないかと言う気はします。
逆に言えば長生きすればいずれ皆平等に老いていくわけですから、前者のような高齢者のケースではあらかじめ冷静な状態で自分の最後を十分に考える時間はあるはずで、本来そうしたことをじっくり考えた上で家族や担当医ともよく意志疎通を図っておくのが筋だろうし、また医療現場においても高齢者に関しては本人の意志をかなり広めに忖度してそれなりの対応をすると言うことがすでに定着しつつあるわけです。
要するに今や尊厳死問題の障壁とは「この人を何もせず死なせてしまって本当にいいのかどうか?」と医者も迷うような若年症例(当然ながらここには小児も含むわけです)への対応であり、こうした事例においても学会レベルでのガイドラインも定められつつある中で、未だに希望通りに行っていないとするならその理由が何なのかと言うことですね。

ちなみに反対派の方では「こうしたことは法律ではなく個別の判断で行うべきだ」と主張しているようで、実際にいささか意外にも思えるかも知れませんが岩尾氏の所属する尊厳死協会の調査でも同協会会員の92%が尊厳死をしたと言っていますから、現状でも大多数の方々にとっては強い意志と関係者の理解に基づいて希望通りの最後を迎えられると言う言い方は出来るかとも思います。
逆に言えばこうした協会の会員になるほど強い意志を持った方々が、書式の整った宣言書まで用意しているにも関わらず1割近くは不本意な最後を迎えることになった理由が何なのかですが、それが岩尾氏の言うような現場の医師達が「延命的処置を中止することで後で刑事責任を追及されたりするのではないか?」と言う懸念を感じているためだとすると、何らかの公的な裏付けがない限り完全には解消出来ないでしょうね。
ただ高齢者においても同様の司法絡みの問題が発生する可能性は若年者と全く同様にありますけれども、現実問題として近年着実に何もせず自然の経過で看取ると言う選択が増えてきていることを考えた場合に、実は本当に問題なのは司法によって殺人罪で有罪になるといった判例上もほぼ無視してよい刑事責任を負うことのリスクよりも、遠くの親戚問題に代表されるような民事責任上のリスクなのではないかと言う気がします。
要するに「これならトラブルにならないだろう」と医師が確信を持てるかどうかが実際上の障壁になっているのだとすれば、患者側としては熱心な尊厳死反対派や腰の重い立法府のメンバーを説得するよりは医師に納得させた方がよほどに効率的に自己決定件を発揮出来ると言うことなのですから、それではその方法論はどのようなものなのかと言うことを考えた方がより早く確実に最大多数の最大幸福につながる気がしますね。

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コメント

たしかに議論してる間に無駄な延命医療は減ってきてる気もします。
それでも若い人や子供だとちょっと躊躇はありますね。
まあ自分が担当だったらなるべく形ばかりで終わらせるようにはしてますが。

投稿: ぽん太 | 2014年3月20日 (木) 09時11分

いっしょうけんめいレスキューしたのにDNRでよかったのにと言われたときのがっかりぶり半端ないですから
そんなこと言うんだったらちゃんと申し送っとけよって思うんですよね

投稿: | 2014年3月20日 (木) 10時38分

ともかくこの尊厳死問題、議論の方向性としては法制化しなければうまくいかないと言う流れであるのに、実際には法制化しないまま順調に運用で実施されつつあるという面白い状況になっています。
積極的安楽死がほぼタブー扱いの日本においては大部分これで済む話なのかも知れませんが、いずれにしても医療現場と国民の双方にもう少し教育が必要であるかと思われますね。

投稿: 管理人nobu | 2014年3月20日 (木) 11時55分

コード(心肺蘇生)を末期がん患者や家族に尋ねるな
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/canceruptodate/topics/201403/535536.html

投稿: | 2014年3月20日 (木) 12時06分

「本人の意思」が確認できない場合はどうするんでしょうね?この法律は全く役に立たない気がします。
若年者の場合は不慮の病気や事故などで意識不明〜植物状態に至ってしまうので確認は不可能だし
高齢者の場合は認知症などで意思確認できない患者のほうが圧倒的に多い気がしますけどね。
個人的にはカリフォルニアの家族と不要な揉め事を避けるためには形だけでもCPRをしといたほうが無難だと思います。
DNRの患者をたとえ救急搬送やCPRしたとしても揉め事にはならないので。救急外来の医者は骨折り損でしょうが。
認知症で意思確認できない高齢者を家族や医療者の都合だけで「自然に」「看取り」とか言われても倫理的に納得できかねるのですが。

投稿: 逃散前科者 | 2014年3月20日 (木) 16時13分

お年寄りはご家族と阿吽の呼吸でやれる場合が増えてきましたな
こういうことも慣れの問題で、何もしない人が増えれば過剰なことは自然に減ってくる気がしますが

投稿: 元僻地勤務医 | 2014年3月20日 (木) 18時37分

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