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2014年2月27日 (木)

看取り専門施設の積極的活用は顧客満足度向上とコスト削減を両立させるか?

読売新聞と言えばかねて医療問題には一家言あるメディアとして知られていますけれども、先日こんな記事が出ていたのをご覧になったでしょうか?

無慈悲な医師/千葉市 会社員女性 36(2014年2月23日読売新聞)

 最愛の母(62)が末期がんで、地元の大病院で亡くなった。手術後に一度退院したが、半月で再入院していた。

 医師は、なすすべもないようで、緩和ケアによるモルヒネが母から言葉を奪った。亡くなる前日、最期を予期しながらもナースコールをして、当直医に診てもらいたいと懇願した。

 病室に来た医師は「末期がんの最期はこういう状態だから、わかってねー」と早口で告げると、足早に出て行った。

 患者や家族の気持ちを理解していないこの一言に、悔しさと悲しさで涙が止まらなかった。病院選びは大切だと痛感した。

こうした進行癌の手術を扱うような大病院で末期患者の緩和ケアを受けると言うのも確かに病院選びを間違っているとしか言いようがありませんけれども、担当医が施設の目的に沿わない患者を受け入れたと言う時点で今の時代の勤務医としてどうなのかで、やはりここはより適切な施設への早期紹介・転院を行っていくべきだったと言う点で施設にとっても患者家族にとっても不幸な症例であったと思います。
「昔からのかかりつけだから」とか「ここで手術を受けたから」と言ってずっと同じ病院にかかっていられる時代ではないことはすでに久しく以前から言われていますけれども、昨今では医療費削減や医療機関間での診療分担ということが国策としてどんどん推し進められるようになり、特にこうした急性期大病院の病床が今後削減されていくことを考えるとまさに国を挙げて患者に無慈悲になる時代と言う言い方も出来るかも知れません。
ただ医療機関それぞれに得意不得意が明らかにある以上、単に診療報酬上の誘導というのみならず患者にとって最善の医療サービスを提供する意味でも今後ますます転院と言う作業は重要になってくるはずで、まずは患者側からも担当医からの転院のすすめを「見放された」と言ったネガティブな気持ちで捉える習慣をなくすよう努めていくべきなのでしょうね。
そうした観点からすると最も大きく治療方針が別れるのが生かすことを目的とするのか、それとも逝かすことを目的とするのかと言う点だと思いますが、このわずか一点の差で医療のあり方がどれほど変わるものかと言うことを患者家族は元より、医療関係者においても過少評価されている気がします。

「余命3日」、転院で光(2014年2月22日朝日新聞)

 連載「わたしを生きる~最期はどこで~」の4回目の主役はわずかな余命を告げられた後、緩和ケア病棟で劇的に回復した広島県の51歳の女性。死を覚悟してたどり着いた場所でかなえられた最期がありました。

■一時、踊れるまでに~広島県の51歳女性

 2006年3月、愛媛県内で開かれた社交ダンスの大会。51歳の高野弘子さんが白いドレスの裾をゆらめかせながら踊っていた。
 ほんの1カ月前、瀕死(ひん・し)の状態にいた人とは思えなかった。

 広島市内で飲食店を切り盛りしながら女手ひとつで2人の息子を育てた。1999年にスキルス胃がん、03年には直腸と卵巣への転移がんが見つかった。そんなときにがん患者の集まりでダンスに出会い、のめり込んでいった。自宅のクローゼットには赤やオレンジなど鮮やかなドレスが20着も並ぶようになった。
 06年1月、胃がんが再発し、「余命半年」と告知された。入院を勧められたが、自宅からの通院を選んだ。次男の直也さん(38)には「病院のにおいや雰囲気が嫌いなの」と話した。
 病院で右の鎖骨のすぐ下に点滴用の穴をあけてもらい、自宅にいながら人工的に栄養を補った。だが、嘔吐(おう・と)を繰り返し、2月には自分で点滴の針をさせないほど衰弱して入院。急性腎不全と診断され、直也さんは医師から「このままではあと3日ほどです」と告げられた。あまりに突然の話にショックを受けた。母には「あと3日の可能性もあるけど、おしっこが出れば大丈夫だって」と伝えた。
 高野さんは3人部屋の真ん中のベッドにいた。手を伸ばせば左右の患者に手が届くほど狭い。「こんな場所で死なせられない」。直也さんは1月に母と一緒に見学した県内の緩和ケア病棟を思い出した。空きがあったシムラ病院(広島市中区)の緩和ケア病棟にすぐ転院した。

 最期を覚悟した場所で意外な診断が待っていた。「腎臓に管を通して尿を外に出せば回復する可能性がある」と担当の岩田尚士医師(54)。直也さんはためらう母を説得した。
 転院した日に手術を受けると、翌朝には5800ミリリットルもの尿が管から出てきた。転院から3日目には自力でトイレに行き、6日目には病院のそばを車いすで散歩した。
 12日目、51歳の誕生日。院内で家族や友人、病棟のスタッフに祝ってもらった。病室に戻ると、窓から見える川に浮かんだボートの上で、友人たちが「お誕生日おめでとう」と書いた板を掲げていた。まだ出にくかった声を振り絞って、「ありがとー」と大きく手を振った。
 病棟内のホールでダンスの練習も少しずつ始めた。パートナーを組む男性が病院まで来てくれた。そうやって出場した3月半ばの大会で、準決勝まで進んだ。

 4月下旬に退院し、通院しながらダンスの練習も続けた。だが、徐々に食べられなくなり、腹水もたまって、6月下旬に再び入院した。
 約2週間後、体は痩せて骨張る一方、足はむくみ、おなかは膨らんでいた。「自分を見るのがつらい、つらい。まだドレスを着て踊りたい」「私は踊っていると幸せだったのよ。病気の事も苦しみも忘れ」。自分が失われていく悲しみをメモ用紙につづった。
 7月20日夜、意識がもうろうとする中、病室で長男の孝志さん(40)の誕生日を祝った。医師から最期が近いと伝えられた直也さんは、「予行演習だけど言っておくね。お母さんの息子で良かった」。
 その言葉に笑顔でうなずいた高野さんは翌日の午後、息を引き取った。希望通り、あの白いドレス姿で見送ってもらった。
 「がんになったからダンスに出会えて、この病院に来たからダンスを続けられた。短くも太い人生だった」。直也さんは今、そんな思いをかみしめている。

■緩和ケア病棟 280カ所

 緩和ケア病棟は主にがんによる心身の痛みを和らげながら、患者が自分らしく過ごすのをサポートするための場所だ。1990年、診療報酬に「緩和ケア病棟入院料」が導入されてから増え、2011年時点で全国で279カ所ある。
 病室は個室が中心で、トイレや家族が休めるソファなどを備えるのが一般的。簡易キッチンやシャワー付きも珍しくない。「その人らしさ」が重視さ れ、ペットとの面会を認める病院もある。医療スタッフ以外に研修を受けたボランティアも活動し、患者や家族の話し相手になったり、お茶会を開いたりする。
 患者の中には体調が安定すると退院し、自宅での最期を選ぶ人もいれば、最期が迫って再び入院する人もいる。(南宏美)

(略)

おそらく進行癌で積極的治療の対象とはならないだろう患者の病状を把握しているはずの担当医が、余命半年の時点で入院を勧めていると言う点にも注目いただきたいと思いますけれども、恐らく末期胃癌による通過障害で嘔吐を繰り返しているが直ちに命が失われる状態ではない患者に対して担当医はどんな選択枝を用意出来るかです。
大勢の患者が日々やってきてどんな重病にも対応出来る大病院と言うと何やら最高の医療を提供しているようなイメージがありますけれども、こうした病院ほど患者をさっさと治して可能な限り短期間で退院させる医療に特化しているせいか意外なほど末期患者の顧客満足度は低くなりがちなのは、患者家族は元より多忙な中でも少なくない労力を割いたはずのスタッフにとってもやりきれない話ですよね。
そうした状況になっているのは根本的にはそのように割り切らなければ経営が成り立たない診療報酬の設定すなわち国策に理由があるわけですが、例えば末期癌の患者が死ぬ前に行きつけの店のラーメンを食べたいと希望したのに許可が出なかったと言った話を聞くと、なるほど一日でも長く生かすことに特化した施設で看取りを行うのは単に無駄が多いのみならず合目的的でもないのかなと言う気がします。
無論昨今ではいわゆるJBM的リスクマネージメントの観点からも「とんでもない、そんな末期患者でも喉に詰めでもすれば高額賠償一直線だ」と言う意見もあるはずですし確かにそれもそれで正しいのですが、だからこそ生きるということを目的としない施設へ転院することで余命延長だけを目的とした様々な縛りから解き放たれ、患者にとってもスタッフにとってもよりストレスのない看取り・看取られ方が出来るかも知れないと言うことですね。

もちろん実際には緩和ケア病棟も緩和ケア病棟で様々な問題がありますし、家族にとっても病気自体の治療を目的としない施設という概念がもう少し理解出来ていないところがあるように思いますけれども、記事の末尾にあるように末期癌患者のみならず今後はもう少し対象を広げていくことで医療費削減という国策成就のみならず、各種非専門職スタッフの雇用拡大という面からも意味があるように感じます。
特に昨今のトピックである高齢者の看取り問題と言うことに絡めて言えば、高齢者向けの慢性期施設であってもやはり病院と名乗る以上はスタッフの意識的にも生きさせると言うことに意識が行ってしまいますけれども、生きさせることを目的としない施設であれば北欧諸国のごとく「自分で食事が取れなくなったらそのまま何もせず看取る」といったことも現実的な生き(逝き)方の選択枝に挙がってくるかも知れません。
厚労省は医療費削減目的で在宅医療への移行と言うことを言っていますけれども、苦痛緩和の手段も知識もない在宅では何か少しでも変化があれば即救急車だ、入院だと言う流れになりがちであって、それならば最初からその道の専門家が24時間手厚く見守ってくれる環境で(変な言い方ですが)健やかに身罷られる方がよほど本人も家族も安心だろうし、かえって無用に長引かせお金を使うこともないかも知れないですよね。
コスト面では計算をきちんとしてみないことには何とも言えませんけれども、適切な患者割り振りの結果常に施設目的に合致した内容で働けばいいスタッフの気持ちには違いが出るでしょうし、患者や家族の満足度においても自宅放置と看取り施設とでは大差が生まれそうに思うところで、国としても下手にベッドが足りないからと植物園ばかり拡張するくらいならいっそ看取り専門の施設に重点投資した方がいいんじゃないかと言う気もします。

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コメント

以前の職場の近所にあったホスピスは患者さんには非常に評判が悪かったですね。
ああいうところこそ評判にもっと気を遣うべきだと思うんですけど。

投稿: ぽん太 | 2014年2月27日 (木) 09時53分

看取り施設といえば聞こえはいいがまともな病院に行き場のない三流医者のたまり場になってないかい?
積極的に治療しないからって誰でもやれるって仕事じゃないんだよね

投稿: koma | 2014年2月27日 (木) 10時32分

学生あるいは初期研修レベルの教育として、ホスピスでの経験と言うものをもっと積極的に取り入れてもいいようには思いますね。
結局のところ誰しも最後は死ぬわけですから、死をいかに受容するか、させるかと言うことは医療の根本に関わる気がします。

投稿: 管理人nobu | 2014年2月27日 (木) 11時13分

 最初の記事、当直医を呼んで具体的に何をして欲しかったのでしょう?

投稿: おかだ | 2014年2月27日 (木) 19時34分

うんこ安倍に見殺しにされ、飢えと寒さで亡くなられた被災者に合掌

うんこ安倍に見殺しにされ、飢えと寒さで亡くなられた被災者に合掌

うんこ安倍に見殺しにされ、飢えと寒さで亡くなられた被災者に合掌

うんこ安倍に見殺しにされ、飢えと寒さで亡くなられた被災者に合掌

投稿: | 2014年2月27日 (木) 21時13分

助けられれば助けたい、という意志がみじんもないように思えたんじゃないですか
捨て置かれて死んでく、みたいに思えたんじゃ

投稿: | 2014年2月28日 (金) 11時54分

>助けられれば助けたい、という意志がみじんもないように思えたんじゃないですか
助かる=救命・延命ということであれば、助からないものは助からないのです、(むしろ助からないほうがよい、と言いたい)としか(実際にはもう少し言葉を飾るとしても)お答えしようがありません。
助かる=苦痛から逃れるということであれば、可能な範囲で手は尽くしたいですね。

私の伯父は医者でしたが肺癌で死ぬ前々日に自分の意思で点滴を拒絶しました。
私が死ぬ前日に見舞ったときには、すでに意識はなく、穏やかに横たわっているだけでした。
伯父は良い死に方を選んだと思っています。

管理人さんのコメントが全てかと
「こうした進行癌の手術を扱うような大病院で末期患者の緩和ケアを受けると言うのも確かに病院選びを間違っているとしか言いようがありません」

普遍化して語るのは間違っているかもしれませんが、
医者が「死」を受け入れてしまうと、救命とか延命とかへの情熱が失われてしまうような気がします。
だから自分は救命という点ではたしかに3流だなぁ、と。
若い人に見て貰いたいとも思いますが、若いうちは染まらずにいてほしいなぁ。

投稿: JSJ | 2014年2月28日 (金) 12時47分

本質に関係のない質問ですみません。
患者さんが51歳で、息子さんたちが40、38歳であってますか?

投稿: ポプラ | 2014年2月28日 (金) 12時55分

当時の年齢と今の年齢が混在してるのでは?
どっちにしろ若いお母さんだったんでしょうけど

投稿: | 2014年2月28日 (金) 13時15分

進行癌の患者に3大治療(手術、抗癌剤、放射線)を施しても、さんざん副作用で患者を痛めつけて苦しませて挙げ句の果てに早死にするので、そんな無駄な医療費は使わないようにしようという事なのでしょうか?
「最後まで手を尽くす=最後まで侵襲的濃厚医療を徹底的にやってもらう」?
「病院でやることないから在宅か緩和ケアへ追い出される=見捨てられる」?
日本における、医療万能幻想、医療依存的気質。患者側の誤認にも大いに問題ありそうですね。
進行癌患者に必要なのはメンタルケアのできる人間であって、それは3大治療を施したい医師ではないような気がします。
「3大治療できない=医療の敗北」多くの病院医師はそう刷り込まれていますからね。

投稿: 逃散前科者 | 2014年2月28日 (金) 15時40分

ともかくも大病院=最高の病院という古典的刷り込み&誤解がむしろ懐かしさすら感じさせる症例かと
こういう記事を載せるだけでなんらの解説もしないマスコミのせいで誤解が拡大再生産されていくのでしょうな

この場合は自院で看取ると決めた担当医のムンテラ不足がすれ違いの最大要因とはいえましょう
しかしこういう明らかな病院違いの患者を強制的にでも転院させるべきか否かは意見が分かれそうですな
へたに温情?をかけて恨まれたことを考えるとさっさと転院させるべきではあったのでしょうが

投稿: 元僻地勤務医 | 2014年2月28日 (金) 16時21分

精神科の医師が外科の手術がうまくないのはあたりまえって誰でもわかることです。
それと同じで積極治療のための大病院の先生が末期のみとりがうまくないってそりゃあたりまえでしょうと。
自分で望んでへたな先生にみてもらってへただへただって言うのはどうなんだろうって気がします。
大病院って楽にきれいに死ぬ場所じゃなくて最後まであがきにあがいて生きようともがく場所なんですから。

投稿: ぽん太 | 2014年3月 1日 (土) 10時18分

あたりまえって思ってるのは医者だけだと思いますよ
それでそんなことも知らないのかって馬鹿にするのは、まあ勝手だけど
だから冒頭みたいな投稿も出るんでしょうね、当然の結果だなあと

投稿: | 2014年3月 3日 (月) 13時01分

>それでそんなことも知らないのかって馬鹿にするのは、まあ勝手だけど

自分や愛する人の生き死にに直結する事をまったく知ろうともしないのは如何なものかと…。私は法曹ではありませんが、もし冤罪着せられそうになったら必死で法律やら評判のいい人権派弁護士wやら調べ捲ると思いますよ?

投稿: 10年前にドロッポしました。 | 2014年3月 3日 (月) 14時52分

だから冒頭の投稿で、病院選びは大切だと痛感したって言ってくれてるじゃないですか

投稿: | 2014年3月 4日 (火) 15時26分

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