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2014年2月21日 (金)

ベルギーで小児の安楽死が合法化される

日本でもようやく尊厳死法案が提出されると言う時代になってきていますが、当然ながら各方面から未だ根強い反対論も出ている中でその初期には非常に抑制的に運用することが予想され、客観的にも主観的にもどこからも文句の出ようがないと言った場合に限ってのみ行われることになりそうです(それでも赤の他人に文句をつけたい人はもちろんいるのでしょうが、そこは個人の選択の自由というものではないかと言う気がします)。
一応用語的にここで言う尊厳死とは「延命的治療を行わず死に至らしめること」であり、一方で安楽死とは「薬物等により死を迎えさせること」としておきますが、個人的には素人目に混乱しやすいことからそれぞれ消極的安楽死、積極的安楽死と言う表現の方がいいのではないかと思うのですが、いずれにしても医学的に末期的状況にあることが前提だと言う点で自殺などとは区別されるものですよね。
消極的安楽死に関して言えば実のところ、法的には必ずしも認められてはいない中で日本でも現場レベルの判断で行われてきた(そして、時に司法によって取り上げられても来た)経緯があり、世界的に見るとむしろ末期であることが確定している状況でいたずらに苦痛を長引かせるが如き延命治療を続けるのは虐待に近い(そして何よりコストの無駄)と言う認識がありますから、日本以外ではさしたる議論になることはないようです。
他方では積極的安楽死に関してはやはり殺人との関わり合いが取り沙汰されるためか、世界的に見てもこれが認められている地域は非常に限られ数える程度しかありませんが、そんな中で2002年に安楽死法が成立したベルギーでこれまた議論を呼びそうな話が持ち上がっているそうです。

「年齢より判断力を優先」=子供の安楽死合法化-ベルギー(2014年2月14日時事通信)

 【ブリュッセル時事】ベルギーで13日、子供の患者の安楽死を合法化する改正法が成立した。年齢制限のない安楽死の法制化は世界初。議会では反対派のキリスト教系政党が、年齢を「15歳以上」に限定するよう求めたが、推進派の社会党などは「大事なのは年齢ではなく子供の判断力だ」と譲らなかった。

 法改正は、成人(18歳以上)患者を対象に2002年に合法化した安楽死の年齢制限を撤廃する内容。ベルギーに先駆けて安楽死を合法化した隣国オランダは、年齢を「12歳以上」と定めている。

 しかしベルギーの推進派は、病苦から解放されるために死を選択するとはどういうことか、一人ひとりの子供の患者に「判断能力」があるかどうかが重要で、年齢で線引きをして安楽死の可能性を奪うのは妥当でないと主張。「子供は大人に比べて衝動的に判断する傾向がある」として一定の年齢制限を訴えた反対派には耳を貸さなかった。 

判断力があるか否かと言う議論もこの場合なかなかに意味深なものがあって、文字通り死ぬまで続く苦痛に対してこれを唯一回避する道が積極的安楽死のみであると言った説明は恐らく学童でも理解可能かと思うのですが、一方そもそも死とは何であるかと言うことを彼らが本当に理解出来ているかは微妙なところで、「それじゃまたレベル1からリスタートなんだね」程度に思っている可能性もなきにしもあらずです(いや冗談でなく)。
しかしながらそれを理由に反対論を唱える大人達が死という概念を正しく理解しているかと言えばこれまた微妙なところで、何しろどんな人間にとっても平等に死に関しては常に経験値ゼロであることが明らかなのですから、年齢が幾ら以下だから一律駄目と言うのは問題だ、年齢よりも判断能力の有無こそが問われるべきだと言われればそれは確かにその通りではあるでしょうね。
ただこれまた問題なのは子供に限らず個人が何かについて適切な判断力を備えているかどうかを誰がどうやって判断するのかで、そもそも判断する側の判断力が正しいという前提でなければ判断自体の正しさも担保されないのでは…などと考え始めると、これは実に人間とはそもそも何かと言う根源的命題にも遡りかねない非常に厄介な問題なのではないかと言う気がします。
現実的にはやはり子供自身の判断力がどうこうと言うよりも親がそれを認めるかどうかの方がよほど重要で、日本的に考えるならば親が子の安楽死願望を認めず「この子はまだ正しい判断力がない!」と言い張れば通ってしまいそうな気がしますけれども、さすがその道の先進国ベルギーではもう少し先のところにまで議論が進んでいるようです。

ベルギー「子供の安楽死」合法化のジレンマ(2014年2月17日ニューズウィーク)より抜粋

(略)
 子供の安楽死を認めるべきかどうかは、ベルギー社会を二分した論争になっている。それも旧来の政治的イデオロギーではなく、個人の道徳観によって意見が分かれている
「どう考えていいか分からない」と、東部の都市リエージュで映画関連の仕事に就いているセバスティアン・プティ(34)は言う。「子供たちの命を奪うのは間違っていると思う半面、苦しんでいる子供たちがいることもよく分かる
 作業療法士をしている妻マリー(28)は、成人の安楽死法がうまく機能していると考えており、子供の安楽死を合法化することにも問題はないという意見だ。ラ・リブレ紙の世論調査によれば、74%の人が新しい法律を支持している。
 しかしカトリック教会、イスラム教、ユダヤ教などの宗教団体や、多くの医師、看護師は強く反対している。「苦痛や終末期の不安は薬物によって必ず抑えられる」と、レーベン大学病院の腫瘍専門医ブノワ・ビューゼリンクは主張する。
「それで十分でなければ、苦痛緩和のための薬剤を与えて深い眠りに就かせることもできる。これでもう苦しむことはなくなり、たいていは数日のうちに息を引き取る。その間、家族は子供と一緒の時間を過ごし、別れのプロセスに入れる」と、ビューゼリンクは言う。「死とは本来、自然なプロセス。できる限り、それを尊重すべきだ」

既に秘密裏には行われている

 だが法案を支持する人々に言わせれば、こうした主張は時代遅れだ。ブリュッセル自由大学のペーテル・デコニンク名誉教授(小児外科)は、子供の安楽死をめぐるタブーを打ち破る時期が来たと語る。
「現代の子供は50年前の子供と違って、精神的に成熟している」と彼は言う。「終末期の病気の子供に分かりやすく、少しずつ話をするのは医師の義務だ。最初から何もかも話すことはないにしても」
 支持派に言わせれば、ベルギー国内では既に子供の安楽死は実施されている。「実際、小児科医は同情の念に突き動かされて、保護者の同意を得た上でかなりの数の子供たちの命に終止符を打っている」と、緩和ケアに詳しいブリュッセル自由大学医学部のヤン・ベルンヘイム教授は言う。
これまでは訴追される恐れがあったため、秘密裏にやらざるを得なかった」とベルンヘイムは言う。「今後は合法的にできるようになるだろう」

 もちろん、本人が望むだけでは安楽死は実現しない。法案では、子供自身に十分な判断能力があるかどうかを、心理学者と医師が判断することが要件となっている。また医師は子供に対し、苦痛を緩和するための医療行為にどんな選択肢があるかを伝えるとともに、本人の希望について対話を続けることが義務付けられている。
 それでも「安楽死」という言葉を用いて話をすることは、重病の子供たちに死を選ぶよう圧力をかけることにつながりかねない。
緩和ケアが功を奏しているのに、子供たちの命を堂々と奪うことなどあってはならないと思う」と、欧州生命倫理研究所(ブリュッセル)のカリーヌ・ブロシエは言う。「ベルギーは世界の安楽死の実習室になろうとしている。安楽死はワッフルと同じ、ベルギーの代名詞になるだろう」
 ブロシエによれば、子供の安楽死容認は倫理的に危うい領域への第一歩になりかねない。「次に来るのは認知症の人々の安楽死だろうか。その次は障害のある人々の安楽死か」
 ブロシエは言う。「今でさえ認知症の患者に対しては、蘇生措置や抗生物質の投与など、苦しみを長引かせるだけで無意味と思われる医療行為を控えることがほとんどだ。ほかの人であれば与えられるはずの救命措置に、彼らは値しないと考えられている」
(略)
 新法をめぐる議論はベルギー社会やそのモラル、義務についての考え方を映す鏡になるだろう。「子供の安楽死は、ベルギーに暮らす私たちの生活にとってどんな意味を持つのか」とブロシエは問う。「末期患者である子供たちの苦痛を和らげるには、緩和ケアに対する財政支援の拡充といった、さらなる連帯こそが必要なのに」

 忘れてはならないのが子供の親たちの立場だ。「『本当に死にたい』と言われれば、90%の親はそうさせるだろう」とファンデルウェルフテンボスは言う。親にとって子供が苦しむ姿を見るのはつらいことだからだ。
そうは言っても、彼らが非常に苦しい選択を迫られることに変わりはない。医師の中からは、そんな耐え難い立場に置くくらいなら、子供の安楽死を決定するプロセスから排除するほうが親のためではないかとの意見も出ている。
(略)

個人的には記事を読んでいて、安楽死議論に関わる違和感の根源とは医療に関して何が担保されるべきかと言う点で、黙っていても一定の医療は与えられるべきだと言う観点と医療とは希望した時に希望したものを受ける権利があると言う観点とが対立しているんじゃないかと言う気がするのですが、少なくともインフォームドコンセント重視の現代医療は前者重視の20世紀医療から後者重視へと移行しつつあるようには感じます。
それはさておき、全国民の3/4が賛成しているだとか、子供の安楽死願望に9割の親が賛成するだとか言った話はさすがに現時点での日本では考えられませんけれども、一つ留意しておかなければならないのは深い鎮静など医学的に限りなく苦痛を感じさせないようにさせることは現段階でも可能であって、しかもそうした苦痛除去によって(当然食事等も取れないわけですから)長くない期間の後に最後を迎えることは可能であるということです。
そうした事実を知った上で驚くのは、医学的にそうした状況にあるにも関わらずベルギーではすでに現場レベルで小児の安楽死が行われているということで、実際にどの程度の積極性を持った安楽死処置であるのかは記事からは何とも判りませんけれども、仮にいわゆる積極的安楽死の領域にも踏み込むようなものであるとすれば日本と比べてずいぶんと意識が違うと考えるほかありませんよね。
この辺りは彼らの人権意識が「回避可能な苦痛をいたずらに長引かせることはすなわち虐待である」と言うことに重きを置いていると言うこともあるのでしょうが、同時に東洋人と比べて白人は苦痛に対する耐性が低い(アメリカで大腸内視鏡を鎮静無しで行うと虐待扱いされる)だとか、日本の医療現場でのモルヒネ使用量がまだまだ少ないと言ったことから考えても身体的物理的な人種差も関係しているのかも知れません。
ただそうした文化的、人種的な差異を考慮しても医療関係者や宗教関係者は強く反対していると言う点をどう見るかですが、別な見方をするならば彼らは一般人よりも圧倒的に末期に立ち会う機会が多い人間でもあって、経験的に末期の苦痛に関してはそれほど恐れるものではないと言う認識を持っているのか?と言う気もするところです。

ともかくも日本ではこうまであけすけな議論がなされると言うのも現状でちょっと考えにくいところですけれども、考えてみると死のあり方と言うものは究極的な個人選択の自由を保障されるべき状況であるとも言え、そのあり方に対して「不謹慎だ」とか「法律で決めるな」と言った批判で聖域を作り上げてしまうのはどうなのかで、日本でもこれくらいの議論はあってもいいんじゃないかと言う気がします。
ただ一つ言えることは日本で現在なされているような尊厳死の議論の行方が世界的には必ずしも主流派ではないと言うことで、精神的、肉体的に耐え難い苦痛を感じている人に何が何でも延命治療を続けると言うのは決して多くの国々で推奨もされていないし、ましてや望まれているものでもないと言うことには実は日本の多くの人々にとってもさして意外なものではないのかも知れません。
その上で様々な苦痛も苦労もあってこその人生だと言う考え方ももちろんそれはそれで有りだと思いますが、いずれにせよ法律等の公的ルールがそうした多様な考え方の実施を妨げる方向にばかり機能していると言うことであればこれは不要な社会不満の溜まる原因となってくるのは当然であって、それこそ法律で決めるべきではない個人の自由選択の道をなるべく広げておくのが最大多数の最大幸福に寄与するのかとも思います。

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コメント

死が避けられない難病で本人家族が納得してるなら仕方ないんですかね
あとで周りの人からいろいろ言われないことを願うのみです

投稿: kame | 2014年2月21日 (金) 08時33分

耐え難い苦痛から逃れるために子供が自ら死を選ぶ。
これっていじめ自殺と同じようなロジックだと思います。
安楽死がいいならいじめ自殺もいいってことにならないでしょうか?

投稿: ぽん太 | 2014年2月21日 (金) 09時11分

>「次に来るのは認知症の人々の安楽死だろうか。その次は障害のある人々の安楽死か」

それの何がいけないんでw?

>安楽死がいいならいじめ自殺もいいってことにならないでしょうか?

それは一見関係ありどうで関係ない話、って奴じゃ…?

投稿: 10年前にドロッポしました。 | 2014年2月21日 (金) 09時24分

>安楽死がいいならいじめ自殺もいいってことにならないでしょうか?
引用記事では、「不治」という安楽死の前提条件を省いてますね。

投稿: JSJ | 2014年2月21日 (金) 09時30分

>>「次に来るのは認知症の人々の安楽死だろうか。その次は障害のある人々の安楽死か」

>それの何がいけないんでw?

「不治」「末期」「耐えがたい苦痛」(Wikipediaより)を安楽死の前提条件とすれば、
認知症は「末期」もしくは「耐えがたい苦痛」の欠如(認知症による苦痛を訴える人はまだ末期じゃないし、末期の人は苦痛は訴えないかと)
障害は「末期」の欠如
によって、どちらも本来は安楽死の対象にはなりえないかと。

逆に言うと、ブロシエ氏の懸念は心情的には理解できますが、やはり一種の詭弁かと。

投稿: JSJ | 2014年2月21日 (金) 10時11分

なるべく感情面を排除して考えると、この問題は当事者(本人、家族)についてと非当事者(他人、社会)についてに二分して考えるべきかと思います。
前者については選択枝が認められない場合はともかく、こうして選択枝が認められたというケースで問題化することはほぼありません(思想信条的に受け入れないものであれば権利を行使しないので)。
後者の非当事者にとってどうなのかですが、社会にとって言えば不治の難病を抱えた末期患者は明らかに「持ち出し」ですから、少なくとも選択枝を広げることで特段のデメリットはありません。
となると要するに周囲の他人にとってどうなのかと言う点だけが問題であって、自らの思想信条に反する(そして自らに直接の不利益にならない)行為を他人が行うことをどこまで許容するかと言う点に尽きる気がします。
一見すると「そんなもの当事者の勝手だろう」で終わりなんですが、社会の進歩に伴ってますます重要視されるようになってくる公衆道徳やマナーと言った問題は大多数この領域に含まれるわけですよね。

いずれにしても少なくとも今後数十年のレベルで見ると、万人が納得できるような正解が存在するような問題ではないと思いますが、とりあえず彼の地では国民の大多数が「それは有り」だと認めたということです。
そして思想信条や宗教によって国が別れることが普通に起こりえることを考えると、日本では全く違う結論になっても何らおかしくはないと思います。

投稿: 管理人nobu | 2014年2月21日 (金) 10時57分

90歳であろうが100歳であろうが、急変したら救急搬送してCPRするのが当たり前では?
認知症末期や寝たきり老衰者、ガン末期患者でも尊厳死や消極的安楽死などもってのほか。
まして本人の延命拒否同意の書面がない以上、延命処置を控える正当な理由は全くないし、法的にも全く認められてない。
家族がいくら拒否しようが本人の意志とは関係ない。積極的に救命延命処置は最後までやるべき。それが日本の医療の常識です。
海外がどうしようが関係ないです。延命中止は殺人に等しいのではないでしょうか?

投稿: 逃散前科者 | 2014年2月21日 (金) 12時31分

日本の常識が世界で通用する、と言う物でもないでしょう。
今の日本の法と医療制度上では、基本的には最後まで積極的治療を施す、と言う事。
とある国では、もう一つの選択肢を増やしたよ、と。

我々日本人としては、その国のその対応を見て、今後どうしましょうかね?
と個人レベルでの思慮を報道が促したに過ぎないかと

投稿: 恥の戸市民 | 2014年2月21日 (金) 13時06分

そうしたい、と強く願う人の気持ちをかなえてあげられるようになったのはいいことなんでしょうか
なんとなく釈然としないものがあるんですが、きっといいことなんでしょうね…
家族がこんな選択を迫られることがなければいいのに…と願ってしまうのはエゴでしょうか?

投稿: てんてん | 2014年2月21日 (金) 14時38分

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