« 2014年1月 | トップページ | 2014年3月 »

2014年2月

2014年2月28日 (金)

田舎にも立派な病院を!?

全国どこでもありふれていると言えばありふれている話題ですけれども、和歌山の方からこんな話題が出ていました。

医師不足で診療に苦慮 市立病院 和歌山(2014年2月27日産経新聞)

 有田市立病院が深刻な医師不足で患者が減少し、平成25年度決算で6年ぶりに赤字の見込みとなることが26日、分かった。退職や異動で内科医と産婦人科医が減少し、十分な対応ができていない現状で、望月良男市長は「非常に困っている」と述べた。

 同病院医務課によると、内科では昨年4月時点で5人だった医師が3人に減少。現在は週3日しか診療できず、入院や外来の患者数が減少した。また産婦人科では医師2人が異動になり、昨年10月以降は常勤医がゼロ。これにより、同市と有田郡内で分娩(ぶんべん)できる医療機関は有田川町内のクリニックだけとなり、公立病院では県立医大付属病院(和歌山市)か国保日高病院(御坊市)まで行くしかないという。

 同課は「4月から毎日診療できるよう、他府県の医大も含めてお願いしているが、深刻な事態」としている。

 市は今年度一般会計3月補正予算案で2億7千万円を市立病院事業会計に繰り出し、赤字圧縮を図る。26年度当初予算案にも、5億7260万円の市立病院繰出金を組み込んだ。

内科医が3人いるのに診療が週3日ってどういうことだ?と思ってHPを見てみましたら本当に週3日で3人の医師が入れ替わりで診療しているようで、非常勤と言うわけでもないようですからどういう業務分担になっているのか判りませんけれども、高齢患者が多いという地域の約150床の公立病院で内科医が3人ですから様々な仕事があるだろうとは思うところですし、スタッフ不足の状況でも無理はしないという方針なのかも知れません。
同病院の収支報告が公表されているのですが、ざっと見てみる限りでも病床利用率は6~7割と安定的に低い一方で職員給与比率は6割超と健全経営水準を上回っているという、いわば典型的な田舎公立病院と言った状況が読み取れるのですが、「地域で唯一急性期病床を有する公立病院」と言うことでまあ、一部の方々にとっては最後の砦として何としても死守すべき病院ではあるのでしょう。
すでに約1/4の病床を削減していると言うことですから基本的に身の丈にあった規模に縮小していくのが正しいのでしょうが、当然医師数や病床数の減少に見合った程度にコメディカルスタッフらも削減するということにはならないでしょうから、今後はますます人件費率も向上して自治体財政における不良債権化が進行していくのではないかと言う気もするところです。

有田市立病院もかつては25床の小さな町立病院だったそうですが、20年ほど前から大幅な増改築が行われ200床弱(現在は一部病棟閉鎖)の立派な病院に生まれ変わったそうで、もちろん地域の基幹病院として立派なものが欲しいという気持ちは理解できないわけではないにしても、県庁所在地の和歌山市からそう遠くない地域だけに必ずしも必要不可欠かと言われると微妙なものがありそうですよね。
別にこれは有田市だけが分不相応に過剰な贅沢をしている!ケシカラン!と言う話ではなく、ひと頃はどこの田舎町にもあった「おらが町の病院」すなわち地方自治体病院も平成の大合併や近年のいわゆる医師不足問題の影響もあってかかなり統廃合も進み、かつさらにその流れを推し進めていかなければならないとは言われているところで、いわば世に言うところのキトクケンエキ打破の側面もなきにしもあらずです。
効率や費用対効果として考えるならばあちらこちらに中小病院を無秩序に乱立させているよりは、一定医療圏毎に基幹施設に医師を集約し周囲に外来等を担うサテライト施設を整備すると言うスタイルの方が明らかに有利なのですが、日本ではもともと民間病院主体で統合となると経営権の問題も出てくることに加え、各地の中小自治体病院が消えるとなれば当然ながら選挙対策としてもよろしくないと言う話になってきます。

消化器内科医、郡部への派遣要請 知事、偏在解消へ秋田大に(2014年2月26日さきがけweb)

 

消化器内科の医師が秋田市に集中しているとして、佐竹敬久知事は秋田大医学部に対して郡部への医師派遣を強く要請したことを25日、明らかにした。知事が特定の診療科名を挙げて医師派遣を求めるのは異例。同日開かれた県議会の一般質問で答えた。

 厚生労働省の2012年調査によると、本県の病院や診療所に勤務する消化器内科医は179人。人口10万人当たり16・8人で全国トップだ。ただ、市町村別では秋田市が101人と突出して多く、同市以外は0〜18人と著しい偏在が生じている

 県内で消化器内科の患者は多いが、中核病院では湯沢市の雄勝中央病院に常勤医がいないほか、秋田市以外の病院の多くは秋田大ではなく他県の大学からの派遣に頼っているという。

 一般質問では小松隆明県議(自民)が偏在の原因について「医師派遣を担う秋田大の消極的な対応にあるのではないか」と指摘。「医学部付属病院のホームページを見ると、消化器内科には多くの医師が名を連ねているが、郡部の病院では医師不足が著しい」と述べた。

 佐竹知事は今月、自ら秋田大幹部に医師派遣を強く要請したことを明らかにし、「大学側も問題意識を持っており、地域医療確保のための医師派遣に一層努力するという回答を得た」と答弁した。

秋田市にだけ偏在していると言うことはそれはそれで問題なのでしょうが、大学病院に集まっている消化器内科の医師をあちらこちらに派遣するというのが本当に県民の利益拡大につながることなのかどうかです。
外科や産科、消化器、循環器と言った手技中心の診療科をあちらに一人、こちらに二人と分散配置することの無意味さはようやく知られるようになっていて、何しろ24時間365日いつ緊急処置が入るか判らないわけですからどうしても複数医師による交替勤務制が必要ですし、手技自体も複数医師の協力が必要な場合もありますから分散配置は無駄が多いどころか明らかに不利益です。
昨今医学部新設で話題になっている仙台厚生病院なども医師を3人一組で地域の病院に派遣するシステムを提唱していますけれども、消化器内科なども医師1人の病院を沢山作るよりは医師5人、10人をまとめた基幹施設を作っておいた方がより高度な処置にも対応出来るし、年々高額化する高い医療機械を導入しても元が取れるというものですよね。
ただ理屈の上ではその通りなのですが、住民にしてみれば「なんでポリープ一つ取るのに隣の街の病院まで行かなきゃなんねえんだ」と言う話でもあって、未だに全国各地で医師分散配置を求める住民(及びその代弁者たる議員さん)が「なぜここの病院には医師派遣できないんだ!」と大騒ぎしているのが現状でしょう。
考えてみると日常的に行う買い物などでも近所の古い小売り店がどんどん潰れて隣町の大きなショッピングモールに行くようになったのを「なんでも揃っていて便利になった」と喜んでいるのに、それよりもはるかに利用頻度が少ない医療の分野でその真逆のことを期待していると言うのは何とも奇妙な現象にも思えますが、やはりそこには「隣町にもあるものが何故おらが町にはないんだ」と言う対抗意識もあるのでしょうか。

もちろん田舎町の住人ばかりが悪者と言うわけでもないのは当然で、根本的な問題としては大病院に医者を集めるのはまあ仕方がないと受け入れるとしても、何故そうした大病院が揃いも揃って大都市部にばかりあるのか、田舎は医者も引き抜かれ病院も潰され損するばかりではないかと言う不平不満があるのではないかと言う気がします。
もちろん人口分布の重心ということを考えると都市部の真ん中にあった方が患者のトータル移動距離が少なくなると言う理屈は判りますが、都民ならともかく地方都市では例え数ブロック先だろうが歩いて行くと言う選択枝はほぼ排除されるので、その意味で郊外や田舎の何もない場所に基幹大病院を建てても別にそう困らないはずではあるのですよね。
実際に亀田のように僻地にありながら全国に名の知られた大病院もあるわけですが、田舎に大病院を配置することの意味として前述の地域間の不公平感是正に加え地価が安く減価償却がしやすいこと(特にもともと都心に自前の病院を持っていた施設なら土地代差額だけでもかなりの利益になるはずです)、空間設計に余裕が出て利用者の利便性が向上することなど、決して少なくありません。
そして最も重要と思われる副次的効果として近隣住民が「ちょっと具合が悪いから」とコンビニ受診をすることに対して物理的アクセスの低下が抑制的に働く可能性があるかと言う期待なのですが、もちろん近隣に大した一次救急施設がない地域であれば大病院であっても一次救急的役割も果たさなければならず、この辺りは併設診療所を設けるなどの工夫は必要になるかも知れませんね。
ともかく医師の偏在解消も含めて様々なメリットがあると思われるこの「ド田舎に大病院を作ろう」計画(仮称)ですが、勤務する医師らスタッフにしてみれば田舎暮らしは嫌だと言う忌避要因にはなるでしょうから、それを上回る吸引力を施設として発揮出来るかどうかが一番の課題で、とりあえず黙っていても医師が集まる医大などから率先して都市部脱出を図っていただくとよろしいんじゃないかと言う気がします。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2014年2月27日 (木)

看取り専門施設の積極的活用は顧客満足度向上とコスト削減を両立させるか?

読売新聞と言えばかねて医療問題には一家言あるメディアとして知られていますけれども、先日こんな記事が出ていたのをご覧になったでしょうか?

無慈悲な医師/千葉市 会社員女性 36(2014年2月23日読売新聞)

 最愛の母(62)が末期がんで、地元の大病院で亡くなった。手術後に一度退院したが、半月で再入院していた。

 医師は、なすすべもないようで、緩和ケアによるモルヒネが母から言葉を奪った。亡くなる前日、最期を予期しながらもナースコールをして、当直医に診てもらいたいと懇願した。

 病室に来た医師は「末期がんの最期はこういう状態だから、わかってねー」と早口で告げると、足早に出て行った。

 患者や家族の気持ちを理解していないこの一言に、悔しさと悲しさで涙が止まらなかった。病院選びは大切だと痛感した。

こうした進行癌の手術を扱うような大病院で末期患者の緩和ケアを受けると言うのも確かに病院選びを間違っているとしか言いようがありませんけれども、担当医が施設の目的に沿わない患者を受け入れたと言う時点で今の時代の勤務医としてどうなのかで、やはりここはより適切な施設への早期紹介・転院を行っていくべきだったと言う点で施設にとっても患者家族にとっても不幸な症例であったと思います。
「昔からのかかりつけだから」とか「ここで手術を受けたから」と言ってずっと同じ病院にかかっていられる時代ではないことはすでに久しく以前から言われていますけれども、昨今では医療費削減や医療機関間での診療分担ということが国策としてどんどん推し進められるようになり、特にこうした急性期大病院の病床が今後削減されていくことを考えるとまさに国を挙げて患者に無慈悲になる時代と言う言い方も出来るかも知れません。
ただ医療機関それぞれに得意不得意が明らかにある以上、単に診療報酬上の誘導というのみならず患者にとって最善の医療サービスを提供する意味でも今後ますます転院と言う作業は重要になってくるはずで、まずは患者側からも担当医からの転院のすすめを「見放された」と言ったネガティブな気持ちで捉える習慣をなくすよう努めていくべきなのでしょうね。
そうした観点からすると最も大きく治療方針が別れるのが生かすことを目的とするのか、それとも逝かすことを目的とするのかと言う点だと思いますが、このわずか一点の差で医療のあり方がどれほど変わるものかと言うことを患者家族は元より、医療関係者においても過少評価されている気がします。

「余命3日」、転院で光(2014年2月22日朝日新聞)

 連載「わたしを生きる~最期はどこで~」の4回目の主役はわずかな余命を告げられた後、緩和ケア病棟で劇的に回復した広島県の51歳の女性。死を覚悟してたどり着いた場所でかなえられた最期がありました。

■一時、踊れるまでに~広島県の51歳女性

 2006年3月、愛媛県内で開かれた社交ダンスの大会。51歳の高野弘子さんが白いドレスの裾をゆらめかせながら踊っていた。
 ほんの1カ月前、瀕死(ひん・し)の状態にいた人とは思えなかった。

 広島市内で飲食店を切り盛りしながら女手ひとつで2人の息子を育てた。1999年にスキルス胃がん、03年には直腸と卵巣への転移がんが見つかった。そんなときにがん患者の集まりでダンスに出会い、のめり込んでいった。自宅のクローゼットには赤やオレンジなど鮮やかなドレスが20着も並ぶようになった。
 06年1月、胃がんが再発し、「余命半年」と告知された。入院を勧められたが、自宅からの通院を選んだ。次男の直也さん(38)には「病院のにおいや雰囲気が嫌いなの」と話した。
 病院で右の鎖骨のすぐ下に点滴用の穴をあけてもらい、自宅にいながら人工的に栄養を補った。だが、嘔吐(おう・と)を繰り返し、2月には自分で点滴の針をさせないほど衰弱して入院。急性腎不全と診断され、直也さんは医師から「このままではあと3日ほどです」と告げられた。あまりに突然の話にショックを受けた。母には「あと3日の可能性もあるけど、おしっこが出れば大丈夫だって」と伝えた。
 高野さんは3人部屋の真ん中のベッドにいた。手を伸ばせば左右の患者に手が届くほど狭い。「こんな場所で死なせられない」。直也さんは1月に母と一緒に見学した県内の緩和ケア病棟を思い出した。空きがあったシムラ病院(広島市中区)の緩和ケア病棟にすぐ転院した。

 最期を覚悟した場所で意外な診断が待っていた。「腎臓に管を通して尿を外に出せば回復する可能性がある」と担当の岩田尚士医師(54)。直也さんはためらう母を説得した。
 転院した日に手術を受けると、翌朝には5800ミリリットルもの尿が管から出てきた。転院から3日目には自力でトイレに行き、6日目には病院のそばを車いすで散歩した。
 12日目、51歳の誕生日。院内で家族や友人、病棟のスタッフに祝ってもらった。病室に戻ると、窓から見える川に浮かんだボートの上で、友人たちが「お誕生日おめでとう」と書いた板を掲げていた。まだ出にくかった声を振り絞って、「ありがとー」と大きく手を振った。
 病棟内のホールでダンスの練習も少しずつ始めた。パートナーを組む男性が病院まで来てくれた。そうやって出場した3月半ばの大会で、準決勝まで進んだ。

 4月下旬に退院し、通院しながらダンスの練習も続けた。だが、徐々に食べられなくなり、腹水もたまって、6月下旬に再び入院した。
 約2週間後、体は痩せて骨張る一方、足はむくみ、おなかは膨らんでいた。「自分を見るのがつらい、つらい。まだドレスを着て踊りたい」「私は踊っていると幸せだったのよ。病気の事も苦しみも忘れ」。自分が失われていく悲しみをメモ用紙につづった。
 7月20日夜、意識がもうろうとする中、病室で長男の孝志さん(40)の誕生日を祝った。医師から最期が近いと伝えられた直也さんは、「予行演習だけど言っておくね。お母さんの息子で良かった」。
 その言葉に笑顔でうなずいた高野さんは翌日の午後、息を引き取った。希望通り、あの白いドレス姿で見送ってもらった。
 「がんになったからダンスに出会えて、この病院に来たからダンスを続けられた。短くも太い人生だった」。直也さんは今、そんな思いをかみしめている。

■緩和ケア病棟 280カ所

 緩和ケア病棟は主にがんによる心身の痛みを和らげながら、患者が自分らしく過ごすのをサポートするための場所だ。1990年、診療報酬に「緩和ケア病棟入院料」が導入されてから増え、2011年時点で全国で279カ所ある。
 病室は個室が中心で、トイレや家族が休めるソファなどを備えるのが一般的。簡易キッチンやシャワー付きも珍しくない。「その人らしさ」が重視さ れ、ペットとの面会を認める病院もある。医療スタッフ以外に研修を受けたボランティアも活動し、患者や家族の話し相手になったり、お茶会を開いたりする。
 患者の中には体調が安定すると退院し、自宅での最期を選ぶ人もいれば、最期が迫って再び入院する人もいる。(南宏美)

(略)

おそらく進行癌で積極的治療の対象とはならないだろう患者の病状を把握しているはずの担当医が、余命半年の時点で入院を勧めていると言う点にも注目いただきたいと思いますけれども、恐らく末期胃癌による通過障害で嘔吐を繰り返しているが直ちに命が失われる状態ではない患者に対して担当医はどんな選択枝を用意出来るかです。
大勢の患者が日々やってきてどんな重病にも対応出来る大病院と言うと何やら最高の医療を提供しているようなイメージがありますけれども、こうした病院ほど患者をさっさと治して可能な限り短期間で退院させる医療に特化しているせいか意外なほど末期患者の顧客満足度は低くなりがちなのは、患者家族は元より多忙な中でも少なくない労力を割いたはずのスタッフにとってもやりきれない話ですよね。
そうした状況になっているのは根本的にはそのように割り切らなければ経営が成り立たない診療報酬の設定すなわち国策に理由があるわけですが、例えば末期癌の患者が死ぬ前に行きつけの店のラーメンを食べたいと希望したのに許可が出なかったと言った話を聞くと、なるほど一日でも長く生かすことに特化した施設で看取りを行うのは単に無駄が多いのみならず合目的的でもないのかなと言う気がします。
無論昨今ではいわゆるJBM的リスクマネージメントの観点からも「とんでもない、そんな末期患者でも喉に詰めでもすれば高額賠償一直線だ」と言う意見もあるはずですし確かにそれもそれで正しいのですが、だからこそ生きるということを目的としない施設へ転院することで余命延長だけを目的とした様々な縛りから解き放たれ、患者にとってもスタッフにとってもよりストレスのない看取り・看取られ方が出来るかも知れないと言うことですね。

もちろん実際には緩和ケア病棟も緩和ケア病棟で様々な問題がありますし、家族にとっても病気自体の治療を目的としない施設という概念がもう少し理解出来ていないところがあるように思いますけれども、記事の末尾にあるように末期癌患者のみならず今後はもう少し対象を広げていくことで医療費削減という国策成就のみならず、各種非専門職スタッフの雇用拡大という面からも意味があるように感じます。
特に昨今のトピックである高齢者の看取り問題と言うことに絡めて言えば、高齢者向けの慢性期施設であってもやはり病院と名乗る以上はスタッフの意識的にも生きさせると言うことに意識が行ってしまいますけれども、生きさせることを目的としない施設であれば北欧諸国のごとく「自分で食事が取れなくなったらそのまま何もせず看取る」といったことも現実的な生き(逝き)方の選択枝に挙がってくるかも知れません。
厚労省は医療費削減目的で在宅医療への移行と言うことを言っていますけれども、苦痛緩和の手段も知識もない在宅では何か少しでも変化があれば即救急車だ、入院だと言う流れになりがちであって、それならば最初からその道の専門家が24時間手厚く見守ってくれる環境で(変な言い方ですが)健やかに身罷られる方がよほど本人も家族も安心だろうし、かえって無用に長引かせお金を使うこともないかも知れないですよね。
コスト面では計算をきちんとしてみないことには何とも言えませんけれども、適切な患者割り振りの結果常に施設目的に合致した内容で働けばいいスタッフの気持ちには違いが出るでしょうし、患者や家族の満足度においても自宅放置と看取り施設とでは大差が生まれそうに思うところで、国としても下手にベッドが足りないからと植物園ばかり拡張するくらいならいっそ看取り専門の施設に重点投資した方がいいんじゃないかと言う気もします。

| | コメント (15) | トラックバック (0)

2014年2月26日 (水)

指先の操作一つが一生を決める?

今日の本題に入る前に、これも冗談のような本当の話というのでしょうか、盗難事件に妙なオチがついたと言うこちらのニュースをご存知でしょうか。

男「電車で寝てる間にスマホ盗まれたふざけんなッ!」 → 所持者が美人女性だと判明 → 男「デートしてくれたらスマホいらないわ(笑)」(2013年10月29日ロケットニュース24)

人は誰だって突然恋に落ちるものである。特に出会いを求めていないようなタイミングで、胸がキュンとときめくことがあるから不思議なものだ。これはとあるスイス人学生の恋物語である。いや本来は恋物語ではないのだが、本人が相手に熱を上げているので、恋物語になってしまったのである。
その男性、二クラウス・クネヒトさん(24歳)はチューリッヒで電車に乗っているときにスマホを盗まれた。彼はうたた寝をしていたそうなのだが、その隙に奪われてしまったようなのである。端末の所持者はモロッコにいる女性であることがわかった。一体どうしてわかった?

・Dropboxに画像がアップロードされ始める

スマホが盗まれてから後に、彼が管理するオンラインストレージ「Dropbox」に、北アフリカのモロッコから画像がアップロードされ始めたのである。画像には女性が自宅や公園、ビーチでくつろぐ姿が写っていた。またモロッコのものと思われる民族衣装をまとって、家族と写っている姿など。彼はこの人物こそ、自分のスマホの所持者に違いないと考えた。

・画像の女性が気に入ってしまった

ところが困ったことに、彼はスマホを返して欲しいと願うよりも強く、別の思いにとらわれ始めていた。この女性を気に入ってしまったのである。日々アップロードされる画像を見ては、その思いを募らせて行きどうしても会いたくなってしまった。

・どうしても会いたくてFacebookページ開設

彼はもはやスマホなんかどうでも良くなってしまっている。彼女とデートできるのであれば、スマホは返って来なくても良いとさえ言い始めた。彼は自分の願いを叶えるために、Facebookにページを設けて、そこに女性の画像をアップロードしていったのだ。こうしておけば、いずれ本人か親しい人物の目に止まり、連絡先を手に入れられるはず。そう考えたのである。

・窃盗とは無関係?

現在のところ連絡はない様子。だが、彼は意外と楽観的で、モロッコに行く準備を整えているそうだ。しかし気になるのは、彼女が本当に盗んだかということだ。もし窃盗した本人であった場合、彼は彼女を許すのだろうか? 彼は「彼女は窃盗とは無関係」と根拠のない推測をしている。女性は事情を知らずに窃盗犯から購入したと見ているようだ。
「彼女と会えると思うとワクワクする。もちろんスマホは彼女のものだ」、一体どこからこんな純粋なときめきが湧いてくるのか、不思議である。まあ、恋は盲目というので、今の彼に何を言ってもきっと無駄なのではないだろうか。きっとスマホがなくなった当初は、不便を強いられ、無駄な出費がかかっただろうに、そんなこととっくに忘れているようである。

思わず気に入ってしまった彼女の画像は元記事の方を参照いただくとして、一般論として何事も楽天的であることはまあ悪いことではないと思いますけれども、この場合何しろ犯罪行為が絡んでいるだけに超えるべきハードルは決して低くはないように思いますけれどもどうでしょうね?
それはともかく、ここで注目いただきたいのがオンラインストレージに日々アップされる画像の数々に現在の持ち主である彼女が気付いていないと言う点で、それはもちろんスマホがそうした設定になっていることを設定した本人ででもなければ確認しようとは思わないでしょうが、その結果思いがけない個人情報が流出してしまっているという事実です(仮に彼女が犯罪者であったとすれば何とも間抜けな物証ですよね)。
最近は携帯やスマホをカメラ代わりに使っている人が多く、そして万一のバックアップだとか画像管理の都合などから自動バックアップを行う設定にしている人も少なくないと思いますけれども、携帯の乗り換えなどでバックアップ先が変わるとそれまでの画像データは放置と言う方も結構いらっしゃるのではないでしょうか?
ましてや昨今では撮った画像をその場でSNS等にアップロードすると言った機会も決して少なくありませんが、こうした何気なく行われている行為がどこでどう流用されるか判らないと言う恐怖を自覚して行っている人は必ずしも多くはないようにも思います。

毎週Facebookに画像をアップする人が半数 流出懸念の声も(2014年02月23日Economic News)

 ソチ冬季五輪に出場するスキー・アルペン女子レバノン代表選手、ジャッキー・シャムーンさんのヌード画像がネット上に出回り、本人が謝罪するほどの事態となっている。
 問題の写真は、3年前ジャッキーさんがレバノンでカレンダー用の写真撮影をした際に同時に撮影されたと見られるもので、裸体の一部をスキー用具などで隠したもの。画像が出回りレバノン国内のテレビで放送されると、シャムーンさんは「動画と写真は、写真撮影の準備段階を収めたメイキングの一部で、公開されるはずではなかった」と説明。「皆さんに謝罪します。レバノンは保守的な国であることは私も知っているし、これらの画像はわれわれの文化を反映するものではありません」と謝罪した。

 本人の意図せぬところでの画像等の流出は後を立たない。シャムーンさんにしても3年前に撮影した画像がこのタイミングで流出してくるとは思わなかったのではないだろうか。実際、これまでに蓄積された膨大なデジタルコンテンツの管理を不安に思う人は多い。
 エフセキュア株式会社によれば、ユーザーの33%が、自分のコンテンツに対するコントロールを失っているように感じているとのこと。特にネットやモバイルを使いこなすマルチ・デバイスのユーザーのほうが、PCなどの単一デバイスのユーザーよりも強く感じているそうだ。
 また、デジタルコンテンツのセキュリティに関しては、クラウド上のストレージやバックアップ・サービス、あるいはSNSでの自分のコンテンツに対する不正アクセスについて、平均59%の人が懸念を示している。コンテンツのアップロード先の1位は、Facebook。マルチ・デバイスユーザーの約半数が週に一回以上Facebookへコンテンツをアップロードしている。次に続くのがYouTubeだ。

 FacebookをはじめとするSMSを介して一度ネット上にアップされた画像は、コピーが容易であるため、本人が削除したとしても場合によっては永遠に出回り続けることになる。また、自分がアップロードしなくても、自分も一緒に写った写真が友人にアップロードされてしまうというケースもある。
 一度アップロードしてしまったコンテンツを完全に管理することは難しい。英国で行われた元空き巣へのアンケート調査によると、約8割が「ターゲットを特定する際にFacebookやTwitterを使う」と答えたという。友人だけとシェアするつもりの画像も、思いもよらない人に見られている可能性がある。デジタルコンテンツの扱いは慎重に。(編集担当:堺不二子)

思いがけないところから思いがけない画像が個人情報付きで流出して人生がすっかり変わってしまったと言う悲劇的な事件もありましたけれども、最近では別れ話のもつれなど個人的怨恨と絡めてより積極的に他人の画像をどんどん流出させてしまうと言う、いわゆるリベンジポルノ事件も相次ぎ公的ルール策定が急がれているところで、今後は余計な画像は撮らない撮らせない保管しないが大原則になっていくのかも知れません。
ただもちろん「これは流出してもらっては困る」と本人が認識している場合には予防対策も講じられるでしょうが、昨今問題化しているのはそうした危険性を全く感じてもいなかった画像等から個人情報がどんどん割り出されていく場合が少なくないと言うことで、SNS等がひとたび炎上するとあっと言う間に「そんなことまで…」と思うほどの個人情報が暴かれ晒されるということは全く珍しくないですよね。
「そんなもの別に知られても何ともないし気にもしない」と言う人もいるかも知れませんが、近年画像に留まらず個人がネット上に残した足跡が事実上半永久的に流通してしまう問題が「デジタルタトゥー」と言う表現で問題視されており、当然ながらネット上に記された足跡のどこかに反社会的行為が認められればその時点でアウトとなるのみならず、将来にわたってそうした個人情報が残されてしまうわけです。

例えばある会社が人材を集めると言う場合、募集してきた人の名前をネットで検索するだけでこうした情報が幾らでも手に入るわけですから、仮に犯罪行為とまではいかずともその会社の方針にいささかなりとも反していると受け取られかねない画像なり発言なりが過去に一つでもあれば、わざわざ数多の求職者の中からその人を選ぶと言うことに躊躇するのは当然ですよね。
百歩譲って大の大人が自分のしたことに責任を取るのは当然ではないかと言う意見もあるかも知れませんが、もともとネット上の足跡から人物を知るなどと言うことは非公式の活動であるわけですから表立った原理原則に囚われるはずもなく、ましてそれが未成年時代に行われたものか成年後の足跡なのかをわざわざ調べようという人もいないでしょうから、単に「この人は過去にこんなことをした」と言う記号的事実だけが残っていくわけです。
今どきは子供もスマホの一つも持っていなければ仲間はずれにされると言う時代ですけれども、単に子供がエロサイト巡りでもするんじゃないかなんて親御さんの不安はこういう将来にわたる不安に比べればよほどに小さなことであるはずなのに、こと対策と言う点に関してみれば成年向け有害サイトのブロックほどにも取られてもおらず、取り得る対策も確立されていないと言う現状にはもう少し危機感を抱いてもいいように思います。
実際にどのような教育を行うのが適切なのかは未だこれと言う妙案がないのも事実でしょうが、少なくとも子供がネットデビューを果たす際には過去にどんな事件があったかと言う概略なりとも知らせて注意を促すくらいのことはしておくべきでしょうし、親世代も実社会での様々なリスク以上にそうしたネット利用のリスクに対して無関心であってはいけないと思いますね。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2014年2月25日 (火)

生殖医療は生命倫理のダークサイドに踏み込みつつある?

本日の本題に入る前に、最近はあまり聞かなくなったのは事実として減ったからなのかニュースバリューが減じて報道されなくなったからなのかは知りませんが、ひと頃排卵誘発剤による多胎妊娠ということがやたらに報道されていた時期がありましたよね。
2011年には双子以上の多胎妊娠が少なくとも1000件以上あったそうですが、そのうちのおよそ4割が排卵誘発剤を使用していたものだと言いますが、専門家によれば簡便で使用しやすい内服薬のみではほとんど多胎妊娠の可能性が増えることはないそうで、やはり注射薬等も用いて強力な排卵を促した場合に可能性が高まるというものであるようです。
もちろん子供を欲しがって高い薬も使っているくらいですから双子や三つ子でも喜びこそすれ嫌がる夫婦もそうはいないと思いますが、あまりに多胎が過ぎると当然ながら母体・胎児双方にとってよい結果にはならないと言うことを改めて思い知らされる症例が先日報じられていました。

女性 1日で10人の子供を出産し、失う(2013年12月19日The Voice of Russia)

   インドで前代未聞の出来事が起こった。マディヤ・プラデーシュ州に住む28歳の女性アンジュ・クシワハさんは、1日で10人の子供を出産したが、全員死亡した。

   伝えられたところによると、陣痛が始まった時、クシワハさんは妊娠12週目だった。クシワハさんは自宅から123キロ離れた病院に搬送されたが、医師たちには助ける力がなかった。

   スミトラ・ヤダワ産婦人科医によると、胎児の数が多かったことから判断して、女性は不妊で苦しみ、医師が女性の子宮内に一度に複数の胚を移植した可能性があるという。だが、妊娠の経過を確認する医師はいなかったため、減数手術などの処置を施すことができなかった。もし女性が頻繁に医師の診察を受けていれば、少なくとも3人の赤ん坊の命が救われた可能性があるという。

今回の場合は詳細な状況が不明で体外受精の可能性があると報じられているのみですが、ともかくも胎児数の増加に従って早産率が高まり胎児体重が減少する、妊娠中毒症や羊水過多の恐れが高まり妊娠継続が難しくなるなど明らかに母児双方にとってのリスクが高まることは知られているわけですから、せっかくなら不妊治療そのものよりもその後のフォローアップの方にこそ多大な労力とお金をかけるべきだったと思える症例ですよね。
こういう多胎妊娠の場合には減胎手術の是非が議論になりますが、公的基準も未だ定まっていない中で異常が見つかった胎児を選択して減胎手術を行っていた(ちなみに胎児異常を理由とした中絶も公的には認められていません)施設の存在が報道されるなどすると「命の選別につながる」と言う批判的な声は必ず出てくるところで、とかく生殖医療に関しては医学的な安全性・妥当性に加えて社会的・倫理的な視点が絡んでくるものですよね。
その意味で昨年から開始されすでに予想以上に活況を呈していると言ういわゆる新出生前診断などは「胎児の産み分けにつながる」として根強い慎重論・反対論がありますけれども、すでに時代はさらにその先へと進み始めているというニュースが出ていました。

着床前スクリーニング:産科婦人科学会 導入是非から議論(2014年2月23日毎日新聞)

 日本産科婦人科学会(日産婦)は22日、体外受精卵を子宮へ戻す前に広く染色体異常を調べる新たな検査「着床前スクリーニング」について、学会としての方針を検討する小委員会を設置すると発表した。日産婦は「最近、すべての染色体を網羅的に調べる新技術が登場し、会員からも検討を求める声がある。多様な考え方があるので、容認を前提とせずに議論したい」と説明した。

 3月以降、1年程度かけてこの検査を導入することの是非、導入する場合の対象や方法を検討する。

 日産婦は現在、目的を限定した受精卵の検査「着床前診断」を認めている。全身の筋力が低下する「デュシェンヌ型筋ジストロフィー」などの重い遺伝病▽流産を繰り返す「習慣流産」で夫婦いずれかの染色体異常が原因の場合−−を対象とし2004年以降、計308件を承認した。

 一方、複数の染色体を調べる着床前スクリーニングの実施は認めていない。しかし、学会内では、データを集めて技術の有効性を調べるよう求める意見や、妊娠後に胎児の染色体異常を調べる「新型出生前診断」が昨春始まり、着床前診断が認めないダウン症などの疾患が対象になっていることから、「ダブルスタンダードだ」との指摘があるという。受精卵の検査には「命の選別にあたる」との批判も根強い。【須田桃子】

 ◇着床前スクリーニング

 体外受精による受精卵から一部の細胞を採取し、染色体や遺伝子に異常がないかを調べる検査の一つ。最近、受精卵のすべての染色体を網羅的に調べられる「アレイCGH」と呼ばれる技術が登場している。国内の一部医療機関では、異常のない受精卵を子宮に戻すことで妊娠率を上げたり流産率を下げたりできると主張してアレイCGHによる着床前スクリーニングを導入している。ただ、海外では相反する報告もあり、有効性に関する結論が出ていない

記事によると現状では未だ医学的な評価も確定したものとはなっていないようですけれども、理屈の上で考えるならば言うまでもないことですが体外受精をする場合に受精卵全てが全く同じと言うわけではなく相応に違いがあるのは事実で、それがどう違うのか判らない間は妊娠の成否も確率論に頼るしかなかったのでしょうが、こうして物理的にある程度調べをつけることが可能になればまた悩ましいというものですよね。
特にこうした技術が妊娠可能性等に留まることなく児の遺伝的素因までとなるとこれまた産み分け議論に直結しかねませんけれども、例えば受精卵であればそれは生命倫理に絡んだ議論が必発になりますが、世界的に受精前の配偶子段階では未だ生命ではないとされているだけに、将来的には配偶子の時点で何らかのセレクションが行われるという方向に技術が進んでいく可能性もあるのでしょうか。
いずれにせよこうした技術が究極的に発達し子供は選んで産み分けることが可能と言うことになれば、単なる不妊医療技術の進歩と言うだけではなく早い話がいずれ自然妊娠は損ということになるか?と言うことなんですが、SFの世界では近未来世界において産み分けは元より遺伝子選別から遺伝子操作まで以前から描かれていたものでもあって、それによって母子のみならず社会に何が起こるかも主要なテーマとなっています。
ただ産科医療の進歩によって周産期死亡率が劇的に低下したと言うのも医療介入がそれだけ増えたと言うことでもあり、現状ではそれは基本的に良いことだと認識されている一方でそれはやはり不自然だと感じる(決して多数派ではない)一定数の人々が様々なリスクを甘受してでもいわゆる「自然なお産」なるものを行っている現状を見ると、こうした技術も一般化すればいずれ個人の選択の自由の範疇に収まるのかも知れません。

かつて昭和の時代には命の価値に違いはないとか命は地球よりも重いだとかいった価値観がかなり広汎に蔓延していた時期がありましたが、風の噂に聞くところによれば消毒や滅菌と言った処置すらも「無用に命を奪う」と拒否する人もわずかながら本当にいらっしゃるとかいらっしゃらないとかで、そうした方々にとっては世にトンデモと言われる自然派助産師のやり方こそ正しいとなるのかも知れません。
しかし実際にはやはり命の価値には違いがあるだろうと言うのが実生活上暗黙の前提として認められているのは否みがたい事実であって、社会的にも生産性の高い(あるいは、近い将来高くなることが見込まれる)命は価値も総じて高くなる一方で、胎児などに関してはどこからが一人前の命として認めるべきかすら(一人前と認めることに派生する実際的諸問題と言う課題もあって)未だに議論が別れるところですよね。
ただもちろん総論としてはそうであっても各論としては個々の意志や思想信条が優先されるべきと言うのが現代日本における医療の立ち位置でもあって、たとえ世間一般では「この人にこれ以上の濃厚医療をやっても…」と言った場合にも「とにかく出来るだけのことをしてください!」が公費で許容されるのが現代日本のありがたさでもあり、その程度の自由はまだまだ許容されてしかるべきだと多くの国民も感じているんだろうと思います。
一般論としてもそれが公共の福祉に反しない限りにおいては、「○○をすべきではない」と言う制限論を唱えるのであれば「○○をする自由を認めるべきだ」と言う許容論もまた認めなければならないと言うものでしょうし、選択枝が増えていき各人が各人なりの考えに従った結果、大多数は自然に行える行為に高いお金を払ってまで高度なオプションを追加すると言う選択が直ちに多数派になるとも思えないのは自分だけでしょうか。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2014年2月24日 (月)

粗忽長屋なら笑い話ですみますが

非常に不思議な事件と言ってはいささか不謹慎なのでしょうが、救急搬送に関連してかなり珍しいことが起こったと言うニュースが出ています。

<京都市消防局>生きてるのに「死んでいる」 後で救急搬送(2014年2月22日毎日新聞)

 京都市消防局の救急隊員が室内で倒れていた70代女性を「死亡」と判断して引き揚げた後、現場の警察官が生きていることに気づき、救急搬送されたことが分かった。女性は入院中だが命に別条はないという。

 市消防局によると、今月14日午後11時5分ごろ、京都市中京区のマンションの住民男性から「女性が倒れている」と119番通報があった。駆けつけた救急隊員が「呼吸や脈がなく、死亡している」と判断し、約30分後に京都府警中京署に引き継いだ

 ところが、約1時間20分後、鑑識活動中の署員から「生命反応があるようだ」と連絡があり再び出動。別の隊員が、女性の目が開き、呼びかけにも応じることを確認し、救急搬送した。

 「死亡」と判断した隊員は市消防局の調査に対し、呼吸や脈、死後硬直を確認したとする一方、「新聞が数日分たまっているという通報内容から先入観があったかもしれない」と話している。市消防局は「過去にない事例。原因を調査し、職員の処分も検討する」としている。【村田拓也】

救急隊員「死亡」→警官「息がある」→別の隊員が搬送(2014年2月23日スポーツ報知)

 京都市消防局の救急隊員が市内のマンションで倒れていた70代の女性住人を誤って死亡と判断し、救急搬送せずに引き揚げていたことが22日、市消防局への取材で分かった。現場を引き継いだ鑑識活動中の警察官が女性の生存に気付き、消防があらためて救急搬送した。現在、女性は入院中で、容体も安定し回復に向かっているという。

 市消防局によると、14日午後11時5分ごろ、京都市中京区のマンションの男性住民から「女性が洗面所で倒れている」と119番通報があった。男性は女性の隣人で、女性宅の新聞受けに新聞がたまっているのを見て心配になり、訪ねたが応答がなかったという。玄関の扉に鍵はかかっておらず、安否を確認しようと中に入ったところ、洗面所で倒れている女性を発見し通報した。約5分後、20代と30代の男性救急隊員2人が現場に到着。女性に呼吸や脈がなく、死亡と判断し、約30分後、現場に到着していた京都府警の中京署員に引き継いで現場を離れた。

 だが、15日午前1時ごろ、鑑識に入った警察官が、女性が息をしているのに気付き、呼び掛けに応じることを確認し消防に連絡。現場には別の救急隊員が急行し、女性は京都市内の病院に救急搬送された。

 京都市消防局によると、当初駆けつけた隊員は「(死亡確認の)手順は行った」と説明しているという。市消防局は「多大なご迷惑をおかけして申し訳ない。再発防止のため医師の助言を受け、原因の調査を進めていきたい。隊員の処分についても検討する」という。

まさか脇の下にピンポン球を挟んでいたなんてオチでもないんでしょうが、恐らくは暖房も付けていないような状況だったのだろうと思われますから生きていたとしても相当な低体温だったでしょうし、あるいは実際仮死に近いような状況であったのかも知れませんから、救急隊員がどの程度の確認を行ったのか判りませんが先入観を持って形ばかり触ってみる程度では判りにくかったのかとも思います。
いずれにしても最終的に命に別状なかったと言いますからネタのような本当の話と言うくらいで済んでいますけれども、これが手遅れで亡くなったともなれば業務上過失致死なり何らかの刑事罰にも発展しかねないところで、内部処分を云々する以前に十分な隊員教育を行っていくことが重要だと思いますね。
それはともかくこうした記事を見ていて多くの人が疑問に思うでしょうが、救急隊と言えば呼ばれれば取りあえず生きていようが死んでいようが病院までは運ばなければならず、実際にDOA(dead on arrival=到着時死亡)と言う言葉があるくらいに「病院に搬送されたが死亡が確認された」ケースは珍しくなく、死体だからと言って直ちに搬送を断る訳ではないはずですよね。
他方でドラマなどでも人が死んでいる!と言えば警察が到着するまで現場をなるべく動かすなと言うシーンは見慣れたものですけれども、実際にこうした異常な状況に遭遇すれば果たしてそのまま死体(状態の患者)を即運び出してしまっていいものなのか?と言う疑問も湧くところであり、そうなると結局死体も搬送すべきなのか、それとも搬送すべきではないのかと言う境界線が疑問になってきます。

まず基本的に日本では「人が死んでいる」と認定することは医師にしか行えないことであると言う法的大前提があって、一見して死亡しているように見える状態でも医師の確認を得るまでは生きているものとして扱わなければならないんじゃないか?と言う素朴な疑問が生じますが、他方では誰が見てもこれは死んでいるし蘇生処置など考えられないという状況は必ずありますよね。
こうした誰が見ても死んでいる状況を「社会死」と言うのだそうで、もちろん湖底に沈んだ車から見つかった遺体であるとか床下から見つかったミイラ化した遺体などはこれに含まれるわけですが、具体的には以下の7項目を全て満たすものを社会死と認め、この場合には搬送を行わなくとも良いと言う扱いになるのだそうです(最近ではさらに念を入れて心電図モニターでも確認するのだそうですが)。

意識がない
呼吸がない
脈がない
体温が低下
瞳孔の散大
死後硬直
死斑の出現

もちろん実際には物理的にこれら全項目の確認が不可能であると言う場合もありますが、そうしたケースでは当然「確認するまでもなく明らかに死んでいる」と言う状態でしょうから救急搬送は行わず警察に引き渡すということになるわけですが、興味深いのはここまで明確に確認手順も定まりルール化されているにも関わらず、過去にも死んでいたはずの仏さんが生き返ったと言う事例が一つならずあるらしいと言うことですね。
その場合に実際に仮死状態から生き返ったということなのか、それとも確認時の不徹底で生きている人を死んだと判断してしまっているのかは何とも言えないのですけれども、この辺りはまさに社会的に死を定義すると言うことの意味が問われるところで、例えば川で流された子供が懸命の捜索の末に川底で発見されましたと言った場合には「明らかに死んでいる」としてもまず間違いなく病院に搬送されるのではないかと思います。
逆に今回のような高齢者の孤独死と言った言葉が容易に想像出来そうな状況であるなら、やはりそこまでの熱意をもって生きている可能性にかけるよりも死んでいることにしておきたくなるのが人情と言うものでしょうから、通報された際の状況から予断を持ってしまったと言う当事者の声は確かに本音なのだろうなとは思いますね。

問題はこの事件の余波がどれほどのところにまで及ぶかなのですが、聞くところによると京都という街は人権意識の高い土地柄なのだそうですから各方面から「何と言うことだ!こんなとんでもないことが起こっていいはずがない!」と言う声が数多挙がった結果、「やはり人の生き死にの確認などと言う重大業務を消防隊員に任せる訳にはいかない」と社会死が疑われるケースも全例搬送、などと言うことにならないのかです。
その場合実際にはそういう微妙なケースと言うものがそう沢山あるというわけでもないのでしょうから、単純に救急受け入れ要請が増えて救急現場が多忙になる分にはさほどの大きな影響はないのかも知れませんが、明らかにそれは生きていないだろうと言うケースの搬送が増えるとなると関わるスタッフの間にもある種の心理的負担が急増する(そして、場合によっては離職につながる)と言うことは起こりえるのかも知れませんよね。
この辺りはやはり社会として死をどう定義づけるかと言うことでもあって、元々死亡確認後最低24時間は置いてから火葬にすると言った決まりが出来たのももちろん通夜と言う宗教的習慣に配慮したと言う側面もあるとは言え、時にはその間に生き返ることもあるんだよと言う意味でもあったわけですから、容易に死を受け入れられない事情のあるケースを除いてあまり過誤診断リスクを突き詰めすぎてもどうなのかな、と言う気はします。
しかしひと頃の野戦病院じみた救急医療機関では言葉は悪いですが「DOAは研修医のトレーニング台」と言った感があって、どんな名医が手を尽くしても救命し得ない症例だからこそ研修医が救命救急処置の腕を磨く絶好のチャンスだと見なされていた側面もあるやに聞きますが、草食化が進行しているとも言う今の時代の研修医も「すわDOAの到着だ」と勇んで飛び出していく気概はあるものでしょうか?

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2014年2月23日 (日)

今日のぐり:「桃山亭 当新田店」

先日のバレンタインでは全国各地で様々なチョコレートが飛び交ったものと思いますが、こちらちょっとうれしくない?チョコレートが話題になっているようです。

歯科学生が作った「入れ歯チョコ」がリアルすぎると話題に(2014年2月13日秒刊サンデー)

歯科学校に通う生徒が作った「バレンタインチョコレート」が気持ち悪いとネットで話題となっている。気持ち悪いというよりも妙にリアルでこの物体をチョコレートをするという発想がなかなか無いため、妙な違和感を覚えてしまうのである。ちなみにこのチョコレートは家族には不評なのだというが、はたしてどのようなチョコレートが出来上がったというのだろうか。
(略)

―ネットの反応

    ・ 実習で使う模型の型で、
    ・ いらねえwww食べづらいwww
    ・ 入歯っていうより模型チョコやないかい(゜д゜)この発想はなかった
    ・ 調べてみたらお菓子作り用の入れ歯の型が売っているらしい
    ・ 歯茎の色が悪いですな。
    ・ か、かわいいいー!!!
    ・ ぎゃあ~っ
    ・ どこで買えますか?
    ・ これはわしもいらないwwwwww
    ・ ふつーに欲しいww
    ・ 買ってでも欲しいです
    ・ かっこいいですね
    ・ 歯も食えるの
    ・ 歯はホワイトチョコ?
    ・ 割って食おう

その状況は元記事の画像を参照いただきたいと思いますが、しかしホワイトチョコ系+食紅ならこんな違和感はなかったはずで、やはり食べ物というものは色合いも重要なのだと再認識させられますね。
今日はすばらしいチョコレートを作り上げた歯科学生に敬意を表して、世界各地から食べ物にちなんだ話題を取り上げてみたいと思います。

なんですかこのかわいさは!!! コーギーの形をしたオムライスがTwitterで大人気(2014年2月14日ねとらば)

 コーギーと言えば、胴長で短足でプリケツでピンと立った耳が特徴のわんこ。そんなコーギーのかわいらしさをオムライスで表現してみた写真がTwitterで話題になっていました。

 ケチャップライスでコーギーをかたどってその上から薄焼き玉子の布団をかけて……めちゃくちゃかわいいいい!!! 伏せのポーズでちょっと上目使いなところもキュートです。作成したのは、コーギーグッズの専門店を運営しているやなぎ(@yanagikota)さん。2月13日に写真を投稿したところ、7500件以上リツイートされ、大人気となりました。

 先日ネットで話題になった大根おろしのカピバラ親子といい、以前ご紹介したリラックマ料理の達人といい、皆さんほんとにお上手! まさに料理はアートですね。

これまた画像は元記事を参照いただくとして、しかしこうしたビジュアル系の料理はたびたび話題になるのですけれども、パンダなどはカワイイで済みますけれども原色再現の巨大虫などになると一体誰得なのでしょうね?
これまた衝撃的と言えば衝撃的過ぎるものなのですが、とりあえず画像的には閲覧注意と言っておくべきなのでしょうか?

【閲覧注意】海外のアーティストが作った“肉テント”が衝撃的(2014年2月20日ねとらば)

 海外のアーティストが製作した“肉テント”が衝撃的なビジュアルをしています。サーモンピンクのテントの中いっぱいに腸のような造形が広がり、入り口からはその腸そっくりの物体と血のような液体が外へ漏れ出しているというものです。

 作品のタイトルは「Embrace the Base(基底の抱擁)」。繊維ガラスの彫刻にワックスを塗り、腸のようなピンク色を演出しています。

 作者はスウェーデン出身で英国ロンドンを拠点に活動中のAndrea Haslerさん。Andreaさんは英国バークシャー州の新グリーナム美術館から委任され、2013年8月から作品のプロジェクトを立ち上げました。

 美術館付近のグリーナム・コモンは、1980年代に女性たちが大規模かつ長期に渡る反核運動を行ったとして知られる地です。Andreaさんの肉テントは、女性らが運動時にこの地で張ったテントや、彼女らの人間らしく肉々しい美学を思い起こさせる作品となっています。ナイロン製のテントの布も、感情を閉じ込める皮膚をイメージしているそうです。

 Andreaさんは同プロジェクトでほかにも、丸い肉塊から両足だけが生えたものや片手だけが突き出たものなど、グリーナム・コモンの女性を表現した彫刻を数点製作しています。Vimeoに投稿された動画では製作風景も見られます。

何とも悪い夢が見られそうなテントと言いますか、他の作品も含めて何とも言いようがない画像は任意で参照と言うことにしたいと思いますが、しかしやはりここでも関わってくるのはブリでしたか…
アメリカでは先日大麻が合法化されたと話題になっていましたが、こちら観光名所としても期待出来そうな?新店舗のニュースです。

“マリファナ” を使った料理を出す高級クラブが NY に!? でも、「ハイになるためのお店ではありません」(2014年1月30日えん食べ)

昨年11月、米・コロラド州で嗜好用の大麻(マリファナ)が合法化し、今年の1月1日には、ついに販売解禁となった大麻に長蛇の列ができるなど、話題を呼んでいる。
そんな中、ニューヨークに “大麻を使った料理” を提供する高級ナイトクラブがオープンするという噂が浮上しているそうだ。マ、マジかよ!

米メディア Eater.com が伝えるところによると、ナイトクラブの名前は「Sinsemil.la(シンサミラ)」。同店では「鶏手羽のコンフィ」や「放牧豚のカツレツ」といった春メニューが用意されており、それぞれの料理に合う大麻で風味づけされているのだとか。
また、同店の公式 Web サイトには、このようにある。

「当店は、大麻でハイになるための店ではありません――高級料理を提供する店なのです」

具体的に、ニューヨークのどこに、いつオープンするのかなど、詳細についてはわかっていないそう。同メディアはこれを何かの “悪ふざけ” かもしれないとしながらも、Web サイトの信ぴょう性については認めている様子。さらにサイトの背景には、どう見ても大麻と思われる白煙が揺らめく演出も。
もし本当なら、かなり先鋭的かつ独創的なアイデアだと思うが、これ、法律的にはアウトじゃないの...?

ちなみに大麻は熱を加えると有効成分?が出てくるものなのだそうですが、そうしますと当然ながら料理に使った場合はさぞや…
飲食関係も客商売である以上いろいろとあるものなのでしょうが、こちらさすがにそれはちょっと大人気ないのでは?というケーキ屋の話題です。

【海外:NZ】ムカついた客の婚約パーティにウ○コ型ケーキを送り付けたケーキ屋(2014年1月9日日刊テラフォー)

「具体的にどんなケーキが欲しいのか言わないとこうなる!」という教訓を客に教えるため、ケーキ屋が客の婚約パーティにウンコ型の世にも醜いケーキを届けた。
極め付けに、本来なら祝福のメッセージが綴られるハズのケーキに刺されたミニフラッグには、「糞くらえ!」と記されていた。

とんでもないケーキを作ったのは、ニュージーランドの南島にあるケーキ屋『Oh Cakes of Riverton』のオーナー、エマ・マクドナルドさん。
彼女によると、お客のミカエラ・ハリスさんは、ケーキの購入に使える50ドルのバウチャーを持って店に現れた。
だが割引券の使用には条件があり、今回のミカエルさんの場合は、ケーキの他にもケーキの配達等のアレンジが必要だったためか、30ドル分のみ使用可能だった。
その条件を説明した後、エマさんがミカエラさんにどんなケーキが欲しいか尋ねたところ、ミカエラさんは欲しいケーキの詳細はほとんど何も言わなかったという。

もしかしたらミカエラさんは、
「とびきり最高のケーキを作って。でも、バウチャーで支払える30ドルの範囲内で。」
というような、ちょっと職人泣かせのリクエストをしたのかもしれない。
しかしそこを上手く汲み取るのがプロというものだが、エマさんはこの生意気な言動にブチ切れてしまった。
「たった30ドル(約2600円)で婚約パーティのケーキが欲しいってか!最高じゃん。それぽっちのお金でどんなケーキが作れるって言うだよ、教えて欲しいね!」
「素晴らしい考えがあるよ!ほら、これを見て!アンタの糞ケーキだ!これで、少しは学んでほしいね。」
と、自身のFacebookページにウンコケーキの写真付きで投稿した。

当然ながらエマさんのページは直ぐに炎上したが、エマさんはほぼすべてのコメントを削除した。
エマさん自身は炎上くらいどうってことはなかったのかもしれないが、エマさんの家族は大迷惑だった。
エマさんのせいで嫌がらせを受けていると直接彼女にメールした後、彼女のFacebookページにも不満をぶちまけた。
「ウンコケーキは箱に入れてラッピングされていました。だから、最悪なサプライズプレゼントと意図して、彼女が作ったのです。私たちにとっては、本当に不名誉なことです。」
ケーキを受け取ったミカエルさんがどんな反応を示したかは不明だが、意外とエマさんの意に反して、面白がってくれたかもしれない!?

ちなみに元記事の写真を見ても判るとおり日本でよくある漫画的なものと言うよりはかなり写実的なものであるようですが、それだけに望まずとも長く記憶に留まるものにはなったでしょうかね…
北欧名物の食材として世界一の悪臭を誇るというアレがありますけれども、このたび明らかに身の危険を感じるレベルのアレが発見されたと話題になっています。

24年前の世界一臭い缶詰発見、“発酵進み爆発”恐れて軍にも連絡。(2014年2月20日ナリナリドットコム)

ニシンを塩漬けにして発酵させた珍味で、“世界一臭い缶詰”として知られるシュールストレミング。この缶詰に、恐怖を感じたノルウェーの夫婦がいる。先ごろ2人は、所有する山小屋の軒と屋根の間に錆びた缶詰が挟まっているのを発見した。それは24年前、パーティーで残ったものを夫が置いたまま忘れていた、シュールストレミングの缶詰。ただでさえ臭い食べ物が、さらに24年もの時間をかけて発酵され「どれだけ臭くなっているのか」恐れた夫婦は、スウェーデンでシュールストレミングの普及促進を行っている専門家へ処理の依頼を依頼したという。

スウェーデン紙ザ・ローカルやノルウェー放送局NRKによると、24年前の缶詰を見つけたのは、ノルウェー・トリシルに山小屋を所有するインゲ・ハウゲンさん、ビョルグさん夫妻。2人は最近、山小屋の屋根下から覗いていたシュールストレミングの缶詰を見つけた。妻ビョルグさんの話では、見つかったのは1990年3月にパーティーで食べ残したもので、2缶を食べて満足した夫が残った1缶をそこにしまい、そのまま忘れてしまったそうだ。

きれいに軒と屋根の間に挟まった缶詰は、24年の時を経て全体的にすっかり錆びついている様子。しかも中の発酵が進んで缶が膨張していた。この状況に「いつ爆発するか分からない」と恐怖を感じたという夫婦。発酵が進み「どれだけ臭くなっているのか」分からない中身が飛び散れば、付近に与える迷惑も相当なものと考え、ひとまず近所の人に事情を説明して注意を促し、念のためノルウェー軍にまで知らせたという。

そして、もはや恐怖でしかない缶詰をどう処理すべきか困った夫婦は、シュールストレミングの母国スウェーデンに助けを求めた。

これに応じたのは、シュールストレミングの普及促進活動を行っている専門家のルベン・マドセンさん。彼は夫婦に「全く爆発の危険はない」と安心させた上で、処理依頼を快諾した。シュールストレミングは「時間と共に味わいが豊かになる」と話す彼だが、自身が持っているコレクションでも古いのは15年モノが精いっぱい。そこに突然“24年モノ”が現れたとなれば、専門家としての興味は抑えられず、夫婦の依頼を快諾したようだ。

そこでマドセンさんは2月18日にトリシルへ出向いて、24年モノの“シュールストレミング開缶式”を行うと宣言。この知らせはノルウェーとスウェーデン両国のメディアでも注目を集め、「よだれを流しそうになる」シュールストレミング好きの人も多く詰めかけるのではないかと報じられた。

そして迎えた“開缶式”の当日。集まったシュールストレミング愛好家が見守る中で、軒から缶詰が外され、缶を開けてみると……。中味はどろどろで、臭いについてはマドセンさん曰く「腐った卵のようなニオイ」だったそうだ。結局、食べられる状態ではないと判断。24年モノを味わうという夢は、幻となってしまった。

その状況に対して動画まで用意されているのもどうかなのですが、それにしてもどれだけ無謀なチャレンジャーが多いのかと言うことですよね。
最後に取り上げますのはご存知ブリからの話題ですが、起こって良いことではないことが起こってしまったと言うのがこちらのニュースです。

【腹ペコ】政治家の車に侵入した泥棒、機密書類をスルーしてパイを盗む/英(2014年2月13日日刊テラフォー)

ヨーロッパの大物政治家がロンドンに滞在中に、車上荒らしに遭った。ただ、機密書類には一切手を付けられず、盗まれたのは美味しいパイだった。

欧州委員会副委員長のヴィヴィアンヌ・レディング女史(62)は、2月10日に開催された会議に出席するため、ロンドンを訪れていた。
だが、会議終えて外に出てきた時、使っていた公用車が車上荒らしに遭い、荷物が盗まれていることに気が付いた。会議の前に市場で買ったコテージパイも盗まれていた。
「世界中を旅していて、カバンを盗まれたのは、今回が初めてです。しかしながら、不幸中の幸いにして、泥棒は書類は盗まないでおいてくれました。服やジュエリー、化粧道具はまた買えばいいですからね。
私のイヤリングは世界中のメディアの写真に載っていますが、きっとそれほど価値あるものではないでしょう。ただ、オリジナル商品なので、(もし私以外の人が持っていたら)直ぐに分かるでしょうね。
泥棒がパイを捨てずに食べたことを願います。」
重要な書類は盗まれていなかったことに少し安心したレディング女史は、そう報道陣に答えた。

パイを盗んで行った泥棒も驚きだが、そんな大切な書類を車の中に置きっぱなしにしていたレディング女子にも少なからず驚いてしまう。
次からは、書類は肩身放さず持っているか、信用できる人に預けておいた方がよいのではないだろうか。

ちなみにコテージパイ(シェパーズパイ)とは肉とジャガイモで作るブリ伝統の家庭料理だそうですが、この閣僚もわざわざそんなブリ食に手を出したことが辛うじて最悪の事態を免れ得た理由であったわけです。
記事からは同女史がその後改めてパイを買い直したかどうかははっきりしませんけれども、やはりブリ食と言えどブリ住人に対しては相応の求心力を発揮し得るものなのですね?

今日のぐり:「桃山亭 当新田店」

岡山市街地から南へ下った郊外に位置するこちらのお店、今回で訪店は二回目なんですが時間帯にもよるのでしょうか、前回よりもお客が増えたか?と言う気がします。
元々は香川の老舗と言うことなんですが、その創業からのメインメニューである肉ぶっかけが変わったらしいということで、今回は冷たい肉ぶっかけを注文してみたのですが…

見た目には通常のぶっかけの上に薄切り牛肉を牛蒡と甘辛く煮たものがトッピングされていると言う状態で、まあ味の組み立てとしてはほぼすき焼きっぽい味のようなのですが、見ていますとうどんは氷水で締め出汁は冷蔵庫から出したものを使いと、かなり冷え冷え状態での提供にこだわっているようです。
ならば実際に食べて見てキンキンの冷え冷えかと思えばこの生暖かいトッピングが全てぶち壊しにして中途半端な生ぬるさと言うしかない状況なのですが、逆にこういう暖かいトッピングだからこそうどんと汁を冷やしてもいるのでしょうね。
問題はこうしたうどんの上にトッピングすることで暖かかった肉が冷えて、にちゃにちゃと半ば凝固しかけた白い脂のたっぷり浮いたダシがもう何とも言えない食感になってしまっていることなんですが、正直味以前の段階でごめんちょっと自分には無理…と言う感じでした(口に入れれば自然に溶ける良い脂であればまだ救われたのかも知れませんが…)。
それでもおろし大根の大量投入で何とか誤魔化して食べたのですけれども、これは本当にうまいまずいという次元でなく吐きそうになってしまったのは自分が特殊なのでしょうか、どうしてもこのおろしぶっかけを試すなら暖かい方がよさそうに思いますし、そもそも普通にかけうどんに乗せて肉うどんとして食べるのが一番いい気がします。
一応はうどんとしてはごつく硬めの食感ながら表面滑らかに仕上げられたうどんや、香川スタイルらしくやや薄口ながらすっきりした出汁の感じは悪くないので、やはりこちらでいただくのであればシンプルに普通のぶっかけかなあと言う気がしますがどうでしょう?

接遇面ではセルフの標準と言うところですが、入店した瞬間からじっと目線で追跡されるのはちょっと勘弁と言うのでしょうか、無用なプレッシャーを感じてしまいますね。
うどん屋としてはこの硬めのスタイルが好みに合うならまあ悪くはないのかなと言うところなのですが、それにしても香川県民はこういう味が好きなのでしょうかね?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月22日 (土)

大雪に関して雑感

先日来の大雪で未だ孤立世帯が少なからずあると言う状況だそうですが、今日は大雪に絡んで感じたことを書いてみようかと思います。
さてのっけから脱線めいていますが、やはり大雪と言えば人間誰しもやっておきたくなるのがアレと言うもので、こちらアメリカからいささかやり過ぎてしまったと言うニュースをお伝えしてみましょう。

アメリカの学生「雪がすごいので、雪だるまを作ってみた!」→転がって巨大化、建物を破壊する(2014年2月18日らばQ)

雪だるまを作るときは、大きなものを作ろうと張りきりがちですが、坂の上では注意が必要です。
アメリカ・オレゴン州の学生が雪だるまを作っていたところ、制御を失って転がっていくうちに大きくなり、寮の壁を破壊してしまったというニュースがありました。
(略)
寮内には3人の学生がおり、衝撃に驚いたそうですが幸いけが人は出ませんでした。また、修復費用は2000~3000ドル(20~30万円)と見積もられていますが、学校側は処罰するつもりはないそうです。
現地のニュースでも報じられ、「雪だるまを作った2人の専攻は数学だが、計算違いがあったようだ」と説明されていました。本人たちも思わぬ事故にショックを受け反省しているとのことです。

雪だるまを作るときは地形や環境を考慮しておかないと、思いもよらぬ結果になりかねないようです。
ちなみにリード大学といえば、スティーブ・ジョブズが進学した大学としても知られてますね。

その笑撃的…もとい、衝撃的な映像は元記事の写真を参照していただければと思いますが、冗談のような話が本当にあるものなんだなと思いますね。
ともかくも大雪と言ってもこれぐらい元気があれば大丈夫ということなのでしょうが、仕事を持っている人間ともなれば雪だるまを作ってばかりもいられないというもので、交通網の麻痺した首都圏などでも出勤を巡る様々な悲喜劇があったと報道されていますけれども、当地でもそれなりの積雪があり交通網が寸断されたり、各人家や職場の雪かきをしたりで大変ではありました。
ところでその雪かき業務というものですけれども、個人の持ち家であれば自分が通れない訳ですから通れるように雪かきをするのは当然だと判りやすいのですが、これが集合住宅ではどうなるんだと言うことがちょっとした話題になっているようです。

マンションの雪かきするのは管理人なのか 記録的豪雪で除雪の責任問題が議論に(2014年2月18日J-CASTニュース)

  記録的大雪に見舞われた日本列島では死傷者が1000人にものぼり、交通網が混乱、未だに孤立する地域が存在するなど深い傷跡を残している。2014年2月14日から15日にかけて降った大雪は、2月18日になっても路肩などに汚れた雪が積み上げられている。
   とりわけマンションなど集合住宅の周辺に残っているケースが多い。ネットではマンションやアパートの「雪かきは誰がやるんだ?」などと議論になっている。

「管理費取ってるんだから住人はやらなくていい」?

   関東地区での2月第3週の積雪は、都心で45年ぶりの大雪となった2月8日と同じ27センチ、多摩地区の八王子市では大垂水峠付近で86センチを記録した。
   多摩地区の住宅街では雪が道路に積もり、ゴムの長靴を履かなければ歩くこともできない。一戸建ての場合は家族総出で雪かきをしている姿がよく見られるが、マンションやアパートに関しては道路に繋がる道も隠れてしまう場合が少なくない
   こうした状況からネットでは、「雪かきは誰がやるんだ?」といった疑問が出て、
    「賃貸だけど管理費取ってるんだから住人はやらなくていいでしょう」
    「別に雪かきなどしなくてもいい。誰もやらなければどうしても必要な者が勝手にやり始めるだろう」
    「雪かきは管理会社の仕事って北のほうでは当たり前」
などといった議論が交わされた。

   マンションやアパートの雪かきは誰がやるのか。都内にある不動産関係に詳しい法律事務所に聞いてみたところ、まず建物周辺の道路は自治体の管理であるため、管理組合や大家、住民が雪かきをする法律的な義務はない。建物の敷地内の雪に関しても特別な取り決めがなければ、これも誰も雪かきをする法律的な義務はない、ということだった。ただし、建物の中に入れないなど生活に支障が出た場合は大家の負担で生活ができる状態に戻す必要があるという。

新潟市では住民誰もが自然に協力し合っている

   また、マンション管理会社大手の日本ハウズイングの担当者は、
    「管理委託契約書に記載されている業務の中に、除雪作業が盛り込まれることは一般的には殆んどありません
と打ち明ける。北海道などの豪雪地帯のマンションでは除雪の専門業者に委託する例もあるが、それは全く別の契約なのだそうだ。といっても、管理人がいる大きなマンションでは、契約書に書かれていなくても管理人が除雪作業をすることになる。ただし、勤務時間が短いところもあるほか、土日祝日などは管理人に臨時で出勤させ雪かきの仕事を任せることも難しい。さらに、巨大なマンションの雪かきを僅かな人数の管理人でこなせるとは考えられない。
   となると、集合住宅では雪かきがされない場合もありそうだ。
    「お住まいの皆様が快適に安全に生活できるよう、できる限りのお手伝いをしておりますが、雪かきに関してはこうした状況なのです」
と話している。
   NPO法人全国マンション管理組合連合会でも、誰がやるかはルールで決まっているものではない、とし、
    「特定の誰かにやってもらうものでもなく、マンション住民のコミュニティーで解決する問題です」
と「自治」を強調した。

   雪国ではどうなのか。新潟市にある不動産会社の女性に話を聞くと、マンションの雪かきをする専門業者と契約したり、管理人に任せるという話は聞いたことがなく、住民全員が自然に協力し合っているのだという。家族でマンションに住んでいる男性の話では、朝などは通勤する時間が早い人から順番に雪かきをして道を作り、昼近くになるとだいたいの整備が終わっている
    「みなさん当たり前に雪に対してやっていることで、都会のように『管理組合は何をやっているんだ!』などと主張する人がいたら、ここでは住んではいけませんよね」

まあ隣近所との付き合いが希薄な都市部住民が、大雪の降った朝にだけ一致団結して雪かきをするという光景もある種不自然なものになりそうですけれども、公的なルールとして確立されたものがない以上必要と感じた人間が必要と感じた範囲で行うべきと言うのが公式回答ということになるのかなと言う気もする一方、正直何となく釈然としないものも残りますよね。
必要な人が必要なだけと言ってもスタートが同時であるならまだしもですが、こうした状況になると当然ながら早く部屋を出る人間ほど真っ先に通路を啓開すると言う大仕事が待っていることになり、ゆっくり起きてきた人間はこうした先発組の成果をただ寝ながら待っていればいいと言う非常に不公平なことになるのではないか…と言う疑問は誰しも思いつくところでしょうね。
もちろんマンション管理人なり一部住民なりが声かけをしてでも皆で一緒にやりましょうと言う流れになれば理想的なのでしょうが、ここで注目したいのは誰しもそうした作業が必要であると理解していることであるにも関わらず、誰も率先してそれをやらないと言う現代社会にしばしば見られる現象で、仮に「働いたら負け」症候群とでも呼ぶべきものが存在しているのではないかと言うことです。
例えば雪かきにしても道路部分は国なり自治体なりの責任で行うことだと言う理屈はその通りですけれども、実際にはやはり建物へのアクセス部分に関しては各建物の利用者が行うのが「当たり前」だと思うのですけれども、それは自分の仕事ではないと皆が放置する結果かえって自分自身がより長期間にわたって不利益を被ると言うのは何とも馬鹿馬鹿しいように思えますね。

アメリカなどでは(自分は未だ経験したことはないのですが)契約外の業務を頼もうとすると「それは私の仕事ではないから」と拒否されることがあると言いますが、何しろ身一つで渡ってきた人々が建てた国ですから仕事に対しては相応の対価を支払うと言うことが文化として根付いているのでしょうし、チップの習慣に見られるようによく働けばその分沢山稼ぎになると言うのは理解しやすいのは確かです。
他方で日本では昔からの丁稚奉公の流れなのでしょうか、職場にひとたび身体を預けた以上は全ての仕事は業務範囲内と言った感じでまともに業務契約を提携してもいない場合すらままありますけれども、これがうまく回っている時は外国人が「日本の従業員はチップも払わないのに非常によく働いてくれる」と感激されるほど、自分で仕事を見つけてどんどん片付けていくという勤勉さにつながっていたのでしょう。
ところが今やワープアと言われるほどの低賃金労働の蔓延で多くの従業員が仕事と対価が見合っていないと不満を持っている、そしてブラック企業などへの対策としても労働者の権利は自ら守らなければと言う認識が広まってきているとなれば、対価にも結びつかない業務など可能な限りサポタージュしたくなるのが当然と言えば当然ではありますよね。
職場での勤労意識の変化が社会全般の行動に直接結びつくものかどうかは判りませんけれども、住民が「それは自分の仕事じゃない」と雪かきを放置するならマンション管理人が「契約書に書かれていない以上それは自分の仕事ではない」と言うのも受け入れなければならない道理ですし、何よりそんなやり取りばかりでは世の中が妙にぎくしゃくしてしまうだろうと容易に想像出来るところです。

普段からリソースとして非常用の備えをどれほどしておくかと言うことは常に議論になるところで、津波対策の巨大堤防建設の是非などは未だに意見が分かれますけれども、東京なども雪国並みの備えをしていればこの程度の雪で毎回大騒ぎになることもないと言うのはその通りなのですが、それには相応のコストがかかることを考えるとまあ何年かに一度の事であれば我慢するか、と言うのが現状でのコンセンサスなんだと思います。
ただ物的リソースを控えた以上その分マンパワーにコストを投じるべきはずなのですが、現状で「万一大雪が降ったときに雪かき費用がかかるので、月々のマンション管理費を値上げします」と言って認められるかと言えば否定的でしょうし、だからと言ってコスト負担に反対した人がいざ大雪となった時に反省してこれからはお金を出しますと言うかどうかと言うもので、のど元を過ぎかけたこの時期に一度早急に話し合っておくべきでしょうね。
ただ基本的には昨今では天気予報という便利なものもあるわけですから、予想出来る災害に対しては各人それぞれがそれなりに備えておくべきだとは思いますし、雪が積もると判っているなら足下は長靴で固め車には冬タイヤを装備し通常よりも早めに出発すると言う程度のことは雪慣れしない地域の人でも当たり前にやっていれば、東京以南の温暖地域の都市部ではそうそう深刻な状況に陥ることはないと言う気がします。
もちろんそうした個人レベルの対策ではどうにもならない大雪が降る地域もあるわけですが、そうした地域では今もそれなりの地域協力体制が維持出来ているようだと言うことからすると、雪かきは大変ですが東京辺りにも時々はいくらかの雪くらいは積もった方が地域住民の団結がより高まり、より大きな災害時にも自然と皆で協力できるような習慣づけにつながるのかも知れません。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2014年2月21日 (金)

ベルギーで小児の安楽死が合法化される

日本でもようやく尊厳死法案が提出されると言う時代になってきていますが、当然ながら各方面から未だ根強い反対論も出ている中でその初期には非常に抑制的に運用することが予想され、客観的にも主観的にもどこからも文句の出ようがないと言った場合に限ってのみ行われることになりそうです(それでも赤の他人に文句をつけたい人はもちろんいるのでしょうが、そこは個人の選択の自由というものではないかと言う気がします)。
一応用語的にここで言う尊厳死とは「延命的治療を行わず死に至らしめること」であり、一方で安楽死とは「薬物等により死を迎えさせること」としておきますが、個人的には素人目に混乱しやすいことからそれぞれ消極的安楽死、積極的安楽死と言う表現の方がいいのではないかと思うのですが、いずれにしても医学的に末期的状況にあることが前提だと言う点で自殺などとは区別されるものですよね。
消極的安楽死に関して言えば実のところ、法的には必ずしも認められてはいない中で日本でも現場レベルの判断で行われてきた(そして、時に司法によって取り上げられても来た)経緯があり、世界的に見るとむしろ末期であることが確定している状況でいたずらに苦痛を長引かせるが如き延命治療を続けるのは虐待に近い(そして何よりコストの無駄)と言う認識がありますから、日本以外ではさしたる議論になることはないようです。
他方では積極的安楽死に関してはやはり殺人との関わり合いが取り沙汰されるためか、世界的に見てもこれが認められている地域は非常に限られ数える程度しかありませんが、そんな中で2002年に安楽死法が成立したベルギーでこれまた議論を呼びそうな話が持ち上がっているそうです。

「年齢より判断力を優先」=子供の安楽死合法化-ベルギー(2014年2月14日時事通信)

 【ブリュッセル時事】ベルギーで13日、子供の患者の安楽死を合法化する改正法が成立した。年齢制限のない安楽死の法制化は世界初。議会では反対派のキリスト教系政党が、年齢を「15歳以上」に限定するよう求めたが、推進派の社会党などは「大事なのは年齢ではなく子供の判断力だ」と譲らなかった。

 法改正は、成人(18歳以上)患者を対象に2002年に合法化した安楽死の年齢制限を撤廃する内容。ベルギーに先駆けて安楽死を合法化した隣国オランダは、年齢を「12歳以上」と定めている。

 しかしベルギーの推進派は、病苦から解放されるために死を選択するとはどういうことか、一人ひとりの子供の患者に「判断能力」があるかどうかが重要で、年齢で線引きをして安楽死の可能性を奪うのは妥当でないと主張。「子供は大人に比べて衝動的に判断する傾向がある」として一定の年齢制限を訴えた反対派には耳を貸さなかった。 

判断力があるか否かと言う議論もこの場合なかなかに意味深なものがあって、文字通り死ぬまで続く苦痛に対してこれを唯一回避する道が積極的安楽死のみであると言った説明は恐らく学童でも理解可能かと思うのですが、一方そもそも死とは何であるかと言うことを彼らが本当に理解出来ているかは微妙なところで、「それじゃまたレベル1からリスタートなんだね」程度に思っている可能性もなきにしもあらずです(いや冗談でなく)。
しかしながらそれを理由に反対論を唱える大人達が死という概念を正しく理解しているかと言えばこれまた微妙なところで、何しろどんな人間にとっても平等に死に関しては常に経験値ゼロであることが明らかなのですから、年齢が幾ら以下だから一律駄目と言うのは問題だ、年齢よりも判断能力の有無こそが問われるべきだと言われればそれは確かにその通りではあるでしょうね。
ただこれまた問題なのは子供に限らず個人が何かについて適切な判断力を備えているかどうかを誰がどうやって判断するのかで、そもそも判断する側の判断力が正しいという前提でなければ判断自体の正しさも担保されないのでは…などと考え始めると、これは実に人間とはそもそも何かと言う根源的命題にも遡りかねない非常に厄介な問題なのではないかと言う気がします。
現実的にはやはり子供自身の判断力がどうこうと言うよりも親がそれを認めるかどうかの方がよほど重要で、日本的に考えるならば親が子の安楽死願望を認めず「この子はまだ正しい判断力がない!」と言い張れば通ってしまいそうな気がしますけれども、さすがその道の先進国ベルギーではもう少し先のところにまで議論が進んでいるようです。

ベルギー「子供の安楽死」合法化のジレンマ(2014年2月17日ニューズウィーク)より抜粋

(略)
 子供の安楽死を認めるべきかどうかは、ベルギー社会を二分した論争になっている。それも旧来の政治的イデオロギーではなく、個人の道徳観によって意見が分かれている
「どう考えていいか分からない」と、東部の都市リエージュで映画関連の仕事に就いているセバスティアン・プティ(34)は言う。「子供たちの命を奪うのは間違っていると思う半面、苦しんでいる子供たちがいることもよく分かる
 作業療法士をしている妻マリー(28)は、成人の安楽死法がうまく機能していると考えており、子供の安楽死を合法化することにも問題はないという意見だ。ラ・リブレ紙の世論調査によれば、74%の人が新しい法律を支持している。
 しかしカトリック教会、イスラム教、ユダヤ教などの宗教団体や、多くの医師、看護師は強く反対している。「苦痛や終末期の不安は薬物によって必ず抑えられる」と、レーベン大学病院の腫瘍専門医ブノワ・ビューゼリンクは主張する。
「それで十分でなければ、苦痛緩和のための薬剤を与えて深い眠りに就かせることもできる。これでもう苦しむことはなくなり、たいていは数日のうちに息を引き取る。その間、家族は子供と一緒の時間を過ごし、別れのプロセスに入れる」と、ビューゼリンクは言う。「死とは本来、自然なプロセス。できる限り、それを尊重すべきだ」

既に秘密裏には行われている

 だが法案を支持する人々に言わせれば、こうした主張は時代遅れだ。ブリュッセル自由大学のペーテル・デコニンク名誉教授(小児外科)は、子供の安楽死をめぐるタブーを打ち破る時期が来たと語る。
「現代の子供は50年前の子供と違って、精神的に成熟している」と彼は言う。「終末期の病気の子供に分かりやすく、少しずつ話をするのは医師の義務だ。最初から何もかも話すことはないにしても」
 支持派に言わせれば、ベルギー国内では既に子供の安楽死は実施されている。「実際、小児科医は同情の念に突き動かされて、保護者の同意を得た上でかなりの数の子供たちの命に終止符を打っている」と、緩和ケアに詳しいブリュッセル自由大学医学部のヤン・ベルンヘイム教授は言う。
これまでは訴追される恐れがあったため、秘密裏にやらざるを得なかった」とベルンヘイムは言う。「今後は合法的にできるようになるだろう」

 もちろん、本人が望むだけでは安楽死は実現しない。法案では、子供自身に十分な判断能力があるかどうかを、心理学者と医師が判断することが要件となっている。また医師は子供に対し、苦痛を緩和するための医療行為にどんな選択肢があるかを伝えるとともに、本人の希望について対話を続けることが義務付けられている。
 それでも「安楽死」という言葉を用いて話をすることは、重病の子供たちに死を選ぶよう圧力をかけることにつながりかねない。
緩和ケアが功を奏しているのに、子供たちの命を堂々と奪うことなどあってはならないと思う」と、欧州生命倫理研究所(ブリュッセル)のカリーヌ・ブロシエは言う。「ベルギーは世界の安楽死の実習室になろうとしている。安楽死はワッフルと同じ、ベルギーの代名詞になるだろう」
 ブロシエによれば、子供の安楽死容認は倫理的に危うい領域への第一歩になりかねない。「次に来るのは認知症の人々の安楽死だろうか。その次は障害のある人々の安楽死か」
 ブロシエは言う。「今でさえ認知症の患者に対しては、蘇生措置や抗生物質の投与など、苦しみを長引かせるだけで無意味と思われる医療行為を控えることがほとんどだ。ほかの人であれば与えられるはずの救命措置に、彼らは値しないと考えられている」
(略)
 新法をめぐる議論はベルギー社会やそのモラル、義務についての考え方を映す鏡になるだろう。「子供の安楽死は、ベルギーに暮らす私たちの生活にとってどんな意味を持つのか」とブロシエは問う。「末期患者である子供たちの苦痛を和らげるには、緩和ケアに対する財政支援の拡充といった、さらなる連帯こそが必要なのに」

 忘れてはならないのが子供の親たちの立場だ。「『本当に死にたい』と言われれば、90%の親はそうさせるだろう」とファンデルウェルフテンボスは言う。親にとって子供が苦しむ姿を見るのはつらいことだからだ。
そうは言っても、彼らが非常に苦しい選択を迫られることに変わりはない。医師の中からは、そんな耐え難い立場に置くくらいなら、子供の安楽死を決定するプロセスから排除するほうが親のためではないかとの意見も出ている。
(略)

個人的には記事を読んでいて、安楽死議論に関わる違和感の根源とは医療に関して何が担保されるべきかと言う点で、黙っていても一定の医療は与えられるべきだと言う観点と医療とは希望した時に希望したものを受ける権利があると言う観点とが対立しているんじゃないかと言う気がするのですが、少なくともインフォームドコンセント重視の現代医療は前者重視の20世紀医療から後者重視へと移行しつつあるようには感じます。
それはさておき、全国民の3/4が賛成しているだとか、子供の安楽死願望に9割の親が賛成するだとか言った話はさすがに現時点での日本では考えられませんけれども、一つ留意しておかなければならないのは深い鎮静など医学的に限りなく苦痛を感じさせないようにさせることは現段階でも可能であって、しかもそうした苦痛除去によって(当然食事等も取れないわけですから)長くない期間の後に最後を迎えることは可能であるということです。
そうした事実を知った上で驚くのは、医学的にそうした状況にあるにも関わらずベルギーではすでに現場レベルで小児の安楽死が行われているということで、実際にどの程度の積極性を持った安楽死処置であるのかは記事からは何とも判りませんけれども、仮にいわゆる積極的安楽死の領域にも踏み込むようなものであるとすれば日本と比べてずいぶんと意識が違うと考えるほかありませんよね。
この辺りは彼らの人権意識が「回避可能な苦痛をいたずらに長引かせることはすなわち虐待である」と言うことに重きを置いていると言うこともあるのでしょうが、同時に東洋人と比べて白人は苦痛に対する耐性が低い(アメリカで大腸内視鏡を鎮静無しで行うと虐待扱いされる)だとか、日本の医療現場でのモルヒネ使用量がまだまだ少ないと言ったことから考えても身体的物理的な人種差も関係しているのかも知れません。
ただそうした文化的、人種的な差異を考慮しても医療関係者や宗教関係者は強く反対していると言う点をどう見るかですが、別な見方をするならば彼らは一般人よりも圧倒的に末期に立ち会う機会が多い人間でもあって、経験的に末期の苦痛に関してはそれほど恐れるものではないと言う認識を持っているのか?と言う気もするところです。

ともかくも日本ではこうまであけすけな議論がなされると言うのも現状でちょっと考えにくいところですけれども、考えてみると死のあり方と言うものは究極的な個人選択の自由を保障されるべき状況であるとも言え、そのあり方に対して「不謹慎だ」とか「法律で決めるな」と言った批判で聖域を作り上げてしまうのはどうなのかで、日本でもこれくらいの議論はあってもいいんじゃないかと言う気がします。
ただ一つ言えることは日本で現在なされているような尊厳死の議論の行方が世界的には必ずしも主流派ではないと言うことで、精神的、肉体的に耐え難い苦痛を感じている人に何が何でも延命治療を続けると言うのは決して多くの国々で推奨もされていないし、ましてや望まれているものでもないと言うことには実は日本の多くの人々にとってもさして意外なものではないのかも知れません。
その上で様々な苦痛も苦労もあってこその人生だと言う考え方ももちろんそれはそれで有りだと思いますが、いずれにせよ法律等の公的ルールがそうした多様な考え方の実施を妨げる方向にばかり機能していると言うことであればこれは不要な社会不満の溜まる原因となってくるのは当然であって、それこそ法律で決めるべきではない個人の自由選択の道をなるべく広げておくのが最大多数の最大幸福に寄与するのかとも思います。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2014年2月20日 (木)

史上最悪となった振り込め詐欺被害の余波で

名称が二転三転した結果結局は振り込め詐欺という言葉が一番通用しているというあの詐欺被害ですが、これだけ注意喚起されながらも沈静化するどころか大変な被害額に膨れあがっているようです。

振り込め詐欺被害額 過去最悪486億円余(2014年2月6日NHK)

「振り込め詐欺」の被害額は、去年、息子などに成り済ます手口が急増したことなどで、486億円余りに達し、過去最悪となりました。

警察庁のまとめによりますと、去年1年間の振り込め詐欺の被害は1万1998件で、被害額は前の年より122億円以上多い486億9325万円に達し、過去最悪となりました。
1日に1億3000万円以上の被害が出たことになります。
このうち、息子や孫に成り済ます「オレオレ詐欺」の被害はいったん減りましたが、4年前から再び増加に転じ、去年は170億7678万円に上り、前の年より58億円、率にして53%増加しました。
オレオレ詐欺は、犯人が直接、現金を受け取りにくる手口が急増したのが特徴で、全体の78%を占めています。
また、未公開株や社債の購入など金融商品の販売を装う手口も依然多く、被害額は176億7668万円で、1件当たりの被害額は996万円に上っています。
さらに、パチンコや競馬などで必ず勝てる方法があると持ちかける「ギャンブル必勝法詐欺」の被害は前の年より倍以上増え、579件、30億8363万円に上りました。
振り込め詐欺全体の被害者は、70代以上の女性が半数近い48%を占め、最も多くなっています。
警察庁は、被害の増加に歯止めがかからない事態を深刻に受け止め、警察が総力を挙げて詐欺グループを摘発するとともに、悪用されている預金口座の凍結や携帯電話の契約の解除など対策を徹底し、被害の減少につなげたいとしています。

現金受け取り型が急増

「振り込め詐欺」は、被害者にATM=現金自動預け払い機から現金を振り込ませる手口が横行し、その名前の由来にもなっていましたが、去年は、犯人が現金を直接受け取りに来る手口が初めて最も多くなりました
また、郵便や宅配便で現金を送らせる手口が2番目に多くなり、詐欺グループが現金をだまし取る手口には変化が見られます。
このうち、現金受け取りによる被害額は、去年240億円に上り、「振り込め詐欺」全体のおよそ50%を占め、件数も5100件余りと前の年の2倍近くに急増しています。
被害者の中には、だまされたあと、「『振り込め』と言われなかったので詐欺だとは思わなかった」と話した人もいるということです。
また、郵便や宅配便を悪用する手口では、現金を入れさせたレターパックなどの封筒や小包を都内の私書箱などに送付させることが多いため、警察庁は、去年、日本郵便と大手宅配便会社に対して悪用された私書箱の情報を提供し、該当する荷物があれば配達を止めるよう要請しました。
これによって、この宅配便会社では、去年10月から2か月間に少なくとも62件の荷物の配達を止め、合わせて1億8000万円の被害を防いだということです。
警察庁は、今後、ほかの宅配便会社にも同じ要請を行うとともに、「レターパックや宅配便で現金を送れ」という電話は、すべて詐欺だとして絶対に応じないよう注意を呼びかけています。

警察庁長官「非常に深刻」

振り込め詐欺の被害額が、去年、過去最悪となったことについて、警察庁の米田長官は「非常に深刻な状況である」と述べ、警察の総力を挙げて被害の予防や犯人の検挙に臨むという認識を示しました。
警察庁の米田長官は、6日の記者会見で「検挙人数や水際で阻止した率がいずれも過去最高を記録するなかで、被害総額が急増しており、非常に深刻な状況であると認識している」と述べました。
そのうえで、「警察の全部門の力を結集するとともに関係機関などとの連携を強化し、犯行組織を壊滅させる」などと述べ、警察の総力を挙げて詐欺被害の予防や犯人の検挙に臨むという認識を示しました。

銀行側の対策として今現在は口座開設時の個人確認の厳格化と併せて、振り込め詐欺に利用された口座を凍結すると言った対策を講じているようですが、詐欺グループがこれだけ組織的になれば口座開設や現金受取に使い捨ての人材を利用するなど造作もないことでしょうし、仮に口座凍結してもよほど早期に詐欺だと判明しない限り振り込んだお金は引き出されてしまうことでしょう。
実際に多くの振り込め詐欺は巨大なグループによって行われているそうで、しかも本当の主犯は配下の誰が捕まっても決して足が付かないようにしていると言うことなのですし、最近では昔ながらの投資詐欺的な手法も併用していると言うことで被害者が被害にあったことに気付かないというケースも多く、先日ネットの書き込みをきっかけにグループ丸ごと逮捕に至ったケースなどは非常な幸運と大変な努力の結果だと言えそうです。
ともかくも被害者の半数が70代であると言うように基本的には判断力の衰えた年配の方々が被害に遭われている訳ですから、例えば子供等親族の同意の下に一定金額以上の引き出し、振り込みには指定された連絡先にその都度確認を取るといった対策もありかと思うのですが、何しろたびたび確認を求められるようになると連絡される側も大変でしょうね。
近ごろでは高齢で資産があるだとか、過去に何かしらの詐欺被害に遭ったといった情報を記載した「カモリスト」なる名簿も売買されているようですが、やはり振り込め詐欺に限らず繰り返し詐欺被害に遭う人が一番のターゲットになっているわけですから、こうした方々に対しては特に重点的な対策が必要になるんじゃないかと言う気がします。

さて、最近では過去に犯罪に使われた電話番号をチェックしてくれるような機材なども登場しているようですが、もちろん何度も同じ電話を使うような間抜けな犯人ばかりではないでしょうけれども、電話番号一つ取るにしてもそれなりに手続きもいる以上、とりあえずは足が付くまでは一つの電話を使い回すと言ったことは当然行われているのではないかと思います。
その点で携帯電話などの購入が昔と比べてずいぶんと面倒なものになってきているのも犯罪対策の一環として理解は出来るのですが、日本ではもともとSIMの使い回しが難しかったりと携帯通信事業の規制が何かと多いという伝統があり、その上でさらに規制強化ばかりが進むと利用者の利便性という点では後退していると言うことになってしまいますよね。

複数台持ちもできなくなる!? 『振り込め詐欺』対策で規制強化の可能性(2014年2月11日タブロイド)

このところ、振り込め詐欺などに悪用される事態を重く見てか、「携帯電話の不正入手」対策に注力している警視庁。NHKニュースによれば携帯キャリア5社の担当者を集めた会議を開催し、契約時の本人確認などの徹底を要請したとのことです。
今回の会議では、警視庁からキャリアに対して徹底を要請された「本人確認が不十分なまま契約された携帯電話が悪用されるケース」のほかにも、免許証の名前を書き換えて他人になりすます犯罪グループの存在や、実態のない会社名義での大量契約といったケースが紹介されたのだそう。
このニュースと前後する形で、悪質なレンタル携帯業者の400回線あまりをNTTドコモが一斉に契約解除したという事例もあり、携帯電話悪用問題の広がりと根深さを感じさせます。

さて、ヘビーでスマ充なユーザーにとってはここからが本題。この話題に伴ってどうやら携帯電話の複数回線契約の規制についても強化を検討されているそうなのです。今や2台持ちも珍しくない時代だけに、ユーザーとしても気になるところ。
ちなみに現時点でも携帯電話各社の名寄せシステムによって、個人で契約できる携帯電話の回線数は最大5回線に制限されていますが、今回さらに規制が強化される可能性が出てきたということ。
ここからさらに規制強化されることになれば、モバイルルーターや通信機能つきタブレットなど複数の通信機器を駆使する層では影響を受ける恐れもあり、ヘビーユーザーは今後の展開に注視する必要がありそうです。

実際にきちんとした確認がなされないまま売られた携帯が犯罪に利用されていると言う実態があることは理解出来るし、犯罪被害額がこれだけ巨額になっているのを見れば対策が急がれるのも当然なのですが、幾ら対策を講じたところでそこらの名もなき人に一回幾らの手数料で携帯を取得させるといったローテクな手法は可能であるわけで、完全な対策は難しそうだなと感じられますよね。
もちろん大量に契約している見るからに怪しい幽霊会社等への対策は徹底的にやっていただきたいのですが、個人レベルでどこまで対策をするべきかは利便性との兼ね合いもあって難しいところで、「自分は二台持ちしないから」と思っていても昨今のPCやゲーム機はデータ通信カードを組み込んでいるものも多いですから、「それも通話出来るよね?」とばかりに規制がかかるようですと大変な騒ぎになりそうです。
特に近い将来の東京五輪で外国人がSIM等を購入する際にどうするのかと言う問題があると思いますが、日本人と同様の厳しい対応をするなら今のご時世に通信環境の非常に劣悪な五輪ということになるでしょうし、仮に外国人に対しては手を緩めるということであれば犯罪組織もそれを抜け道として利用するだろうことは容易に想像出来るところですよね。
ともかくも直接の詐欺被害には遭わない人でもこうなるとどこでどれだけの迷惑を被っているか判らないというくらいに社会的影響も大きくなってきていると言えそうですが、結局は犯罪者が悪いと言うのは言うまでもないことですので、とりあえず警察を始めとして関係各所は一刻も早く不逞の犯罪者の撲滅を図っていただきたいところだと思います。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2014年2月19日 (水)

保険指定取り消しとなった東朋香芝病院の代替病院はこれから建設予定

昨年10月に奈良県香芝市の東朋香芝病院が診療報酬不正請求により保健医療機関指定を取り消され、併せて勤務医3人も戒告処分を受けるという非常に重い処置が下ったのですが、先日その東朋香芝病院の病床再配分先が早くも決定したというニュースが流れていたことをご存知でしょうか?

東朋香芝241床 後継に藤井会…県「急性期医療に実績」(2014年2月18日読売新聞)

 近畿厚生局が香芝市の総合病院「東朋香芝病院」(288床)に対し、診療報酬の不正受給を理由に保険医療機関の指定を取り消す処分をしたことを受け、後継医療機関を再公募していた県は17日、県医療審議会を開き、大阪府東大阪市の医療法人藤井会が香芝市に新設する病院に241床を配分する方針を示した。近く決定する。

 最初の公募で、47床分の後継機関は橿原市の平成記念病院が同市に開設する「平成まほろば病院」に決まっており、今回の再公募には5医療法人が応募していた。藤井会は2017年4月、「香芝生喜(せいき)病院」(仮称)を開設する予定。県地域医療連携課は「これまでの急性期医療の実績のほか、多くの医師・看護師を確保している」と選んだ理由を説明している。

 近畿厚生局の処分を巡っては、東朋香芝病院側が求めた執行停止を大阪地裁が認める決定を出しており、病院側と国との行政訴訟の1審判決後の60日後まで執行停止となっている。

指定取り消し病院後継問題 病床配分すべて決定へ 奈良(2014年2月18日産経新聞)

 ■香芝の新病院に241床 審議会了承

 厚生労働省が東朋香芝病院(香芝市、288床)の保険医療機関指定取り消しを決めた問題で、県は17日の県医療審議会で後継の医療機関として、医療法人「藤井会」(大阪府東大阪市)が平成29年4月に香芝市に新設する病院に241床を配分する案を提出し、審議会の了承を得た。残り47床は、すでに社会医療法人「平成記念病院」(橿原市)の「平成まほろば病院」(同市)に配分することが決まっており、後継医療機関への病床配分はすべて決定する。審議会の了承を踏まえ、県は月内にも正式決定する。

 県が実施していた後継医療機関の公募には、今回の藤井会を含む5案が寄せられていた。
 県は、有識者もまじえて審査。藤井会以外の案では「計画の実効性に問題がある」「母体となる法人の経営基盤が脆弱(ぜいじゃく)」などとして藤井会に決定した。
 藤井会の案では、香芝市穴虫に29年4月、病院を新設。藤井会のグループ病院からの異動や新規採用で医師を45人、看護師を140人確保する。
 29年度は150床で開設。診療科は東朋香芝病院の全科目を引き継ぐ。科目は、脳神経外科と内科、外科、整形外科、消化器外科、リハビリテーション科、皮膚科、形成外科、循環器内科、泌尿器科。
 開設2、3年目で241床に増やし、新たに眼科や小児科、婦人科、消化器内科、呼吸器内科、呼吸器外科、麻酔科を増やす。
 救急患者は29年度に年間1200人、2年目からは1800人程度を受け入れるとしている。

 この計画に対し、審議会側からは「新たに病院を開設する29年までの空白はどうするのか」との疑問も出された。県の担当者は「入院については県内外の4病院と連携して対応する。救急や外来については、周辺の公設、民間の病院に呼びかけて対応していく」と説明した。
 後継医療機関への病床配分は決定したが、東朋香芝病院は処分の取り消しを求めて大阪地裁に提訴しており、大阪地裁は判決の60日後まで処分の執行を停止する決定を下している。
 訴訟の行方次第では、東朋香芝病院と後継病院が併存する形となるが、県の担当者は「訴訟の結果を待って公募を始めたのでは医療に穴が空いてしまう。併存する形になってもやむを得ない」としている。

念のために申し上げて置きますと、保健医療機関の指定を取り消されるということは保健医療を行えなくなるということであって、直ちに病院として存続出来ないと言うものではないにせよ一般に保健医療機関は収入の大部分(同院の場合97%だと言います)を保険診療に頼っている訳ですから、よほどの事がない限り早晩経営が立ちゆかなくなることは想像出来ますよね。
この診療報酬不正請求問題の詳細はこちらの記事を参照いただければと思うのですが、看護師の月当たり夜勤時間制限(72時間制限)を満たさないまま2年間で1千万円弱の入院基本料不正請求を行ったと言うことで、その後72時間ルール違反は解消され不正請求分も全額返還予定であるにも関わらず取り消し処分まで受けたというのは、正直罪状として上げられる不正に対してかなり厳しい処分であったように感じます。
もともと2006年の診療報酬改定で導入されたこの72時間ルール自体、例の7:1看護基準による全国的な看護師不足と相まって現場では対応に四苦八苦していた経緯があり、同病院でも様々な苦労をしながら何とか対応しようと苦慮していた形跡がうかがわれますけれども、最終的には内部告発に基づく監査が引き金になったと言うことです。
興味深いのは同院は年間2200人の救急を受け入れる地域の中核病院であり、法人としても近隣府県で3病院他を経営しており今回の処分も何とか乗り切れる可能性があったと思うのですが、同院存続に向けて他法人に経営権譲渡を図るも奈良県がこれを認めなかっただとか、処分理由は72時間ルール違反のみであるにも関わらず他の罪状も考慮された形跡があるなど、何としても潰したかったのか?と言う印象も受ける点です。

この辺りは医療紛争で有名な井上清成弁護士が代理人について引き続き法廷闘争を行っていく予定であるということなのですが、ともかくもそうした争いが続いている最中にさっさと病床再配分を決めてしまったと言うのは何とも性急な印象を受けるところで、しかも病床譲渡先が実績もありすぐ稼働できる既存の医療機関というならまだしも、平成まほろば病院にしても香芝生喜病院(仮称)にしても今後改めて新設する予定だと言います。
医療に穴を空けるわけにはいかないと言うのであれば現病院の存続を第一に考えるのが無難であり、仮に施設が老朽化しているだとかスタッフが不足しているだとか言う場合にも新病院が出来るまでの一時的な処置としてでも現病院譲渡運営が早道だったと思うのですが、記事からうかがう限りでも病院譲渡案に対する冷遇ぶりのようなものがうかがわれ、何かしら深い事情でもあったのかと気になるところですね。
いずれにしても他施設から異動し現病院スタッフも受け入れるとは言え、このご時世にしかも聖地奈良で常勤医45人、看護師140人を擁する新病院がそう簡単に実現するものだろうか?と言う疑問も感じるところなのですが、あるいは係争中を口実?に実際には処分が実施されないままで新病院が出来上がるまで現病院の運営が続いていくという展開も、全くないと言う訳でもないのでしょうか。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2014年2月18日 (火)

今回のオリンピックで見られるちょっとした異変

ちょうどオリンピックが行われている最中ですが、それに関連してこんな報道が出ていることをご存知でしょうか?

【複合】暁斗、メダルかじれず JOC異例「禁止」通達(2014年2月15日スポーツ報知)

 12日のノルディックスキー、複合ノーマルヒルで2位となった渡部暁斗(25)=北野建設=は、13日に五輪パーク内でメダルセレモニーに出席し、銀メダルを手にした。終了後、事前に「メダルかじり」禁止の通達が出ていたと明かした

 「セレモニーの前に、メダルをかんじゃダメだと言われました。スキー連盟というか、日本からですかね」と苦笑い。全日本スキー連盟(SAJ)の成田複合部長が、日本選手団からの通達として渡部に伝えたもようだ。

 日本オリンピック委員会(JOC)竹田恒和会長の長男で慶大講師の竹田恒泰氏が8日、自身のツイッターで日本代表選手に対して「メダルをかむな。品がない上にメダルを屈辱することになる」などとつぶやき、議論を呼んだばかり。フィギュア団体で優勝したロシア代表もうれしそうにメダルをかんでいたが、日本は異例の禁止を通達した

渡部暁にJOCが“メダルかむな指令”(2014年2月15日デイリー)

 ノルディックスキー複合の個人ノーマルヒルで銀メダルを獲得した渡部暁斗(25)=北野建設=が13日夜、五輪公園でのメダル授与式に臨んだ。両手を上げて観衆に応え、受けとった銀メダルに「かなり重くてびっくりした」と実感に浸った。

 一方でメダリストたちには、日本オリンピック委員会(JOC)から“メダルかむな指令”が出ていることも判明。渡部暁は、授与式前に複合チームの成田監督から「メダルをかんじゃダメ!!」と通達され「カメラマンさんに『かんで』と言われたけど、何とかやり過ごした」と苦笑いで語った。

 メダルをかむパフォーマンスに関しては、JOCの竹田会長の息子で慶大講師の竹田恒泰氏がツイッター上で「メダルはかむな。品がない上に、メダルを侮辱することになる」と発信し、話題となったが、この通達との関連性は明らかになっていない。

スポーツ報知のタイトルでは選手は囓りたかったのにJOCからの通達によってかじれなかったかのような表現になっていますけれども、デイリーの記事によれば実際にはカメラマンからかじれと言われたことに対してJOC側からの通達を理由に断ったという状況であったらしいことに留意ください。
過去のオリンピック等を振り返ると新聞等の写真ではメダルをかんだ状態での写真ばかりが掲載され誰が主体となって行為を行っているのかはっきりしませんけれども、テレビ等で見ると自分の見聞する範囲内では例外なく報道機関側からの要請によって選手がメダルをかじると言うポーズを取っているようで、これまでにも執拗に選手にメダルかじりを求めるマスコミに対して視聴者から反発の声が上がっていた経緯があります。
近い例ではノーベル賞を取った山中教授に対してもメダルをかじってくれと要求したマスコミに対しての批判と、これを明確に拒否した山中教授に対して「さすが」と称讚の声大なるものがあったことは記憶に新しいところですが、面白いのはテレ朝がこのメダルかじり要求場面を含めてニュース動画をアップしたことで、マスコミ的には特におかしな要求だとも感じていないということなのでしょう。
ともかくも冒頭のスポーツ報知の記事からしてもめだるを「かじらせる」ことが出来ず不満たらたらというマスコミ業界の怨嗟の声が聞こえてくるようなのですが、一方で別方面からもこのメダル禁止令に対して異議を唱える声が上がっているようです。

為末氏、メダルかじり禁止を批判(2014年2月16日TOPICニュース)

開幕から7日を迎え、ソチオリンピックでの日本代表によるメダル獲得が連日大きく報じられている。これまで、テレビや新聞などのメディアは、こういった活躍を選手が「メダルをかじる」映像・写真で伝えることが多かったが、今回のソチ五輪ではこの行為について異例とも言える禁止通達がされている。

12日のノルディックスキー・複合ノーマルヒルで2位となり、銀メダルを手にした渡部暁斗は、13日に五輪パーク内でメダルセレモニーに出席。ここで渡部は、取材陣に対し「メダルかじり」を日本オリンピック委員会(JOC)から禁止されていることを明かしていた。

この「メダルかじり」禁止について、異論を唱えたのが、スポーツコメンテーター・為末大氏だ。為末氏は16日にTwitterでこのニュースを引用し、「噛むふりをするのはメダルを顔に近づけてメダリストとメダルを同時に撮れる効率がいい方法として国際的に行われています」と投稿。その後「昔『たかが選手が』という言葉があったけれど、似たようなものを感じるな」「頑張ったのは選手じゃないか」と続けてツイートし、JOCの「禁止措置」を選手の立場を軽んじるものとして批判している。

さらに、為末氏は別のTwitterユーザーの「オリンピックのメダルの所有権は誰にあるのでしょうか?」との問いかけに答える形で、「オリンピズムってなんだろう」と題したJOCの公式サイトを掲載。このサイトでは「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。」というオリンピック憲章の一文が紹介されていることから、為末氏はあくまで「メダルの所有権は選手にある」と主張しているようだ。

その後、他のユーザーから「メダルかじり」を「下品」と指摘するツイートが複数寄せられたが、為末氏は「気にならない人もいて、選手のメダルですし選手の思う通りにすればいいだけで、外から強制する事ではないと僕は思います」「ご自身が取られた時は、そうなさればいいと思いますよ」などと返信しており、JOCの「禁止通達」に批判的な姿勢を崩していない。
(略)

ちなみに外国ではメダルはかじるよりもキスする方がよほど一般的なようで、逆に近年誰も彼もがカメラの前でメダルをかじってポーズを取るという日本選手団の風習?に対しては海外マスコミからも「あれはどういう理由があるのだ?」と問われることもあるようです(ちなみに選手に同じ質問をすると、ほぼ例外なく「カメラマンにかじって見せてくれと言われたから」と答えるのだそうですが)。
もちろん為末氏の言うように「選手のメダルですし選手の思うとおりにすればいいだけ」なのは事実なのですが、そもそもメダルかじりがこれだけ世間の注目を悪い意味で浴び批判されるようになったと言うのも、当事者の選手が自然発生的に行ったことに対して批判があるというわけではなく、あくまでかじる意志もない選手にそれを強要するマスコミ批判であることを考えると、実は為末氏のポジションも全く同じであると言えますよね。
細菌学的に言えば実はコインなどは意外と?そこまで汚くはないと言う報告があるにせよやはり誰が触ったかも判らず不潔で口に入れるものではない、行儀が悪いと言う考え方も当然にあるでしょうから、メダルをかじりたいと考える人もいる一方でかじるつもりなどないと思っている人もいるはずで、結局はやはり個人個人の価値観や考え方に任せるしかないことだと思いますね。

一般にメダルかじりの始祖と目されているのは1988年五輪で水泳の金メダルを獲得したアームストロング・ダンカン・ジョン選手と言われますがこれ以前からあったと言う説もあり、いずれにしても元々はあくまで選手側が自然な欲求に従って行った行為であり、たまたまそれを捉えた写真がメディアで取り上げられたと言うだけですし、「メダリストとメダルを同時に撮」りたいなら単にメダルを掲げてもらえば済む話ですよね。
他方で現時点では前述のように日本こそ がメダル囓りの本場のようになっているのは同じように選手側の自然な欲求の結果であるかと言えば疑問の残るところで、「日本には揃いも揃ってメダルかじりが大好きな人達ばかりが住んでいるのだ」と言った特殊な民族的背景を想定するよりは、やはり他の要因の方が大きいように思えますがどうでしょうか?
ともかくも個人の希望や考え方を無視して一律に禁止というのもやり過ぎだと言うなら、同様に一律にメダルかじりを要求するというのもやり過ぎということになるはずでしょうし、まして当の選手側が「かみたくなかったので通達が出てよかった」とまで言っているのを見ると今回の通達はやり過ぎというよりも筋違いとも言うべきであって、しかるべき別方面に正しく通達を出していたならば全ての人々が幸せになれ丸く収まっていたことなのかも知れませんよね。

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2014年2月17日 (月)

医者と患者の関係 主治医制導入を前に

患者から見て困った医師というのは様々なタイプがあるのでしょうが、そのうちの重要な部分を占める要素の一つとして診療の能力が低いということが挙げられるんじゃないかと言う気がします。
先日海外から出ていたのがこちらのニュースですが、確かにこうして記事にしたものを読む限りではあまり担当医と患者という立場で接したいタイプの方には見えませんよね。

誤診繰り返した元医師に禁錮3年、オランダ(2014年2月12日AFP)

【AFP=時事】オランダの裁判所は11日、患者への誤診を繰り返し、うち1人を自殺に追い込んだとして、元神経科医に対し禁錮3年の有罪判決を言い渡した。同国のANP通信によると、医師が誤診で有罪判決を受けるのは同国で初めてという。

 同国東部アルメロ(Almelo)の地裁が出した声明によると、エルンスト・ヤンセン(Ernst Jansen)被告(68)は、1997~2003年の間に「患者8人の命を意図的に危険にさらした」罪で有罪とされた。

 声明によれば、被告はアルツハイマー病や多発性硬化症、萎縮症などの重病について誤診を繰り返し、「患者8人にの診断を誤り、不適切な治療を行った」という。

 国内メディアによると、実際にはヘルニアだった男性患者は多発性硬化症と診断され、車椅子での生活を強いられていた。また、2つの病気の末期にあると誤診された女性患者について、裁判所は「治療が原因で自殺したと判断した」という。

記事からは「意図的に」と言う状況がもう少し判らないのですけれども、刑事罰まで出ていることを考えるとよほどに問答無用レベルの誤診であったということなのか、ともかくもあまり見かけない類の病名を持ち出してしまうと後日外したと判明した時に言い訳が効きにくいんじゃないかなと言う気がしますがどうでしょうか?
こういう「誤診の繰り返し」を云々する話になると決まって話題になるのが「何を以て誤診と言うのか?」と言う問題ですけれども、例えば初診でかかった場合に処方された薬が全く効かず、別な医者にかかったところまるで別の薬を処方されよく効いた、これは誤診ではないか?と言うことを感じる人は世の中少なくないようです。
もちろん「後医は名医」と言う言葉通り、初診においてはまず最も可能性の高そうな疾患を選んでひとまず一般的な治療を行ってみるということが妥当であるだろうし、その治療効果によって診断が固まるだとか次の治療法が判ってくるだとか言うことはままあることですから、別に初診で外したからと言って恥じる必要などないですけれども、特に高い薬をやって大外れとなると患者の側からは「金返せ」と言いたくもなるのでしょう。
このあたりは医療というものが診療契約で依頼された通りの結果を出す、出さないに関わらず診療行為そのものに対して報酬を受け取る準委任契約に相当するということがその理由でもあるわけですが、近年いわゆる「医療=サービス産業」論と言ったものが一定の勢力を得るに至った結果なのでしょうか、「希望通りの結果が出ていないのに金を取るのはおかしい」と主張する顧客の方も一定数いらっしゃるようです。
無論こうしてこじれたケースからはしばしば未収金問題にも結びついてくる訳ですが、金銭トラブルに限らずこうした「医療=サービス産業」論の普及が全般的な患者の行動を変質させつつあるということなのでしょうか、このところ困った患者が増えてきたのではないか?と感じる先生方も少なくないんじゃないかという気がします。

医者が語る「困った患者」とは?(2014年2月9日産経新聞)

(略)
匿名を条件に6人の医師に「困った患者」の特徴を聞いたところ、「絶対に腸炎、などと病名を決めつけてくる」「診断に対して、この病状は○○病では? など聞きかじりの知識を振りかざす」といった態度が挙げられた。なかでも困るのは、「風邪と診断しても、空腹時の胃痛や疲労時の頭痛など、様々な症状を相談される」ことだとか。

『患者トラブルを解決する「技術」』の著者、尾内康彦氏によると、「テレビの健康番組で病気を取り上げると、その病気を疑って診察を受ける患者が増える」とのこと。また、ネットで調べて、症状から病気を推察して相談する人も増えているそうだ。しかし、「様々な症状について質問攻め」は、患者の気持ちとしては理解できるような気も。

「患者は一人だけではありません。ひとりにかける時間が延びると、診察できる人数は減ってしまいます。ほかの患者の待ち時間も長くなるし、極論をいえば、病院経営が成り立たなくなることも理解してほしいですね」

不安な患者心理からすれば、医師は親身に寄り添うのが当然、と思いがち。だが、症状が軽い患者に対しては、そうも言ってられない現実があるようだ。

「“困った患者”の増加は、消費者意識の肥大が原因のひとつ。特に、2001年の厚生労働省による“患者には様をつけるのが望ましい”という指針以降、患者は消費者で病院はサービスを提供する店、と意識する人が増えた気がします。ただ、医師も人間。わざわざ、医師を困らせるような態度で診察を受けるのは得策ではないと思いますよ」
(略)

世の中には「み○も○た症候群」だの「た○してガッ○ン症候群」だのと言う言葉もあるくらいで、衰えたりとは言えマスメディアの影響力は未だ小さからざるものがあると見るべきか、あるいはそうしたものに過剰に影響されてしまうタイプの方々こそがマスメディアの主要な利用者であるのかは何とも言い難いのですが、ともかくも病院受診の理由の一つに「テレビで見て気になった」と言った理由を挙げる人は少なくありません。
マスメディアの大きな特徴の一つとして針小棒大に小さなボヤを大きく延焼させることを得意技にしているということもあってか、こうしたタイプの方々のほとんどがいわゆる不定愁訴を訴えて来院されるわけですが、当然ながらそうした不定愁訴の多くはどんな病気でも起こりえるものであり、さらにその大多数は多くの医師の本音として「大したことじゃないんだからもう少し様子を見れば?」と言いたくなるものでもあるでしょう。
無論そうした中に一定数の重大疾患持ちが隠れている場合もありますから、少なくとも患者がそれを求めて来院した際には一通りのチェックは行うべきと言うのが現在一般的な考え方だと思いますが、意見が分かれるのはこうした場合に行う諸検査のコストを保険診療に回していいものなのか、それとも自費診療でやるべきなのかということですよね。

特に問診等であまり問題がなさそうだと見極めがついた場合「全額自費診療になりますがよろしいですか?」の一言を切り札的に使っている先生も少なくないと思いますが、一般論として患者の求めに応じて医学的に必要性が乏しい診療を行うとなれば自費扱いが妥当であって、そんなものを全部保険扱いにしていれば後日査定で切られ最悪マスコミから「不必要な検査でボロ儲けの悪徳医師」と叩かれるのがオチでしょう。
保険財政上ももちろん許容される行為ではなく、そして現場の医療従事者からも評判が悪くなり不要な患者-医師対立を招くとなれば全面禁止にしても良いくらいだと言う意見もあるかも知れませんが、他方ではこうしたささやかな訴えからマイナーな病気を見つけ出すことに大いなる喜びを感じているタイプの先生もいらっしゃるわけで、こうした先生方に言わせれば除外診断は医学上全く適正な行為だとなるのでしょう。
最近では家電を修理に出すにも昔のようにパーツコストだけを取るのではなくて、「どこが悪いかを診断するのに幾ら」とコストを取る場合が増えているようですが、本来的には患者の訴えから判断をし何が必要なのかを考えると言う医師の頭の中で行われている作業にこそ価値があるのであって、検査や投薬などはその結果発生するあくまでも二次的なものであるはずです。
ところが日本では検査やコストをしなければ医師の判断という部分だけではろくにお金が出ないと言う奇妙な診療報酬体系になっているだけに、優秀な医師が十分な時間をかけた丁寧な問診で診断をし患者の手間暇や余計な出費を抑えると言ったタイプの診療のやり方は全く経営的には大赤字でもあるし、下手をすれば「あの先生は検査も治療も何もしてくれない」と患者にも見放され閑古鳥が鳴くということにもなりかねません。

今春の診療報酬改定で主治医というものの評価がより大きくなされるようになると言うことも一つのトピックスになっていて、何しろ一定の条件を満たして主治医として登録されれば黙っていても毎月患者一人あたり1万5千円という金額が入ってくるというのですから、「今どき主治医かよ」と言う話は別にしても先日話題になった訪問診察料ボッタクリ問題のようにまたぞろ悪用されるのではないか?と言う懸念がないわけではありません。
ただ本来的に主治医となれば複数の診療科にまたがった疾患を抱える患者にどの診療科に相談するのがいいかとアドバイスしたりだとか、先に挙げたような延々と不定愁訴を言い立てる患者に対してきちんと話を聞き適切な鑑別診断も行うと言った多大な労力もかかる地道な作業をすることも期待されているはずですし、そうした作業を真面目にすると1万5千円では割りに合わないと言う考え方もあるかも知れませんよね。
このあたりは誰がやりたいやりたいと主治医として手を挙げ、誰がそんな面倒くさいことは御免だと主治医を押しつけようとするかを見ていくのも面白いんじゃないかと思いますが、一つには患者が希望する主治医と実際になってくれる主治医とが割れてしまうケースと言うのも当然起こりえるはずで、この場合注意すべきは「引き受けた医者=良い医者」「断った医者=悪い医者」的な割り切りをすべきではないということです。
開業医はもちろん勤務医であっても経営上なるべく主治医となるよう要請されるはずですが、それでも自分の能力や専門の方向性、あるいは実際に主治医としての対応が出来るか否かをきちんと見極めた上で出来ないと判断すると言うのはそれなりに冷静に自己評価が出来ているんじゃないかとも思えるところで、案外そういう先生の方が自分の能力の範囲内ではきっちりした仕事をしている場合も多いんじゃないかという気がします。

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2014年2月16日 (日)

今日のぐり:「たかと 白楽町店」

2月14日と言えばバレンタインデーですが、ちょうどその日に衝撃的なニュースが全国を駆け巡ったことをご存知でしょうか。

ダイオウグソクムシ:絶食1869日…深海生物ついに死ぬ(2014年2月14日毎日新聞)

 三重県鳥羽市の鳥羽水族館は14日、5年1カ月にわたって絶食を続け話題を集めた深海生物「ダイオウグソクムシ」の「No.1」(体長29センチ)が死んだと発表した。午後5時すぎ、月1回の餌やりを試みた際に死を確認した。絶食期間は1869日。解剖したが死因は不明で、水族館は「餓死かどうかは分からない」としている。

 水族館によると、14日朝に飼育担当者が観察した時は、動きが鈍っていた。解剖したところ、胃は空で、きれいな状態だったという。

 「No.1」は2007年9月に入館。09年1月2日に50グラムのアジを食べて以降は、月に1回与えられる餌に見向きもしなくなった。何も食べていないのに昨年10月には、体重が入館時(1040グラム)より125グラム増えて1165グラムになるなど生態は謎に包まれている。

 一昨年の秋以降、その絶食ぶりが話題となり、餌やりの様子を生中継したインターネットの大手動画サイトにアクセスが殺到するなど人気を集めていた。No.1の死により、同水族館で飼育中のダイオウグソクムシは8匹になった。「No.5」という個体が12年末から絶食しているという。

 広報担当者は「絶食と死の関係は全く分からない。最後まで餌を食べさせることができず残念だ」と話した。【新井敦】

ネット界隈では「1号たん」とも呼ばれる人気者だっただけにすでに追討企画も用意されているようですけれども、ともかくも生まれ育った環境と切り離されながら何年にもわたって生き続けてきたその生命力には敬意を表さざるを得ませんよね。
今日は今は亡き「1号たん」に敬意を表して、世界中からまさにその生き様には敬意を表する以外に道はないというニュースを取り上げてみたいと思いますけれども、まずは先日のバレンタインにちなんだこんなニュースを取り上げてみましょう。

バレンタイン絶対阻止!映画館の奇数席を独身者が買い占め、中国(2014年2月13日AFP)

【2月13日 AFP】バレンタインデーに合わせた「映画デート」を楽しみにしていた中国のカップルには残念な知らせだが、上海(Shanghai)の映画館では、14日の奇数席が全て独身者たちに買い占められてしまった。

 上海紙・新聞朝報(Shanghai Morning Post)によると、インターネットでの呼び掛けで集まった独身者たちが、上海市内の観光名所「新天地(Xintiandi)」のショッピングモールにある映画館で14日夜に上映される恋愛映画『北京愛情故事(Beijing Love Story)』の奇数席をそっくり買い占めたという。

 同紙が掲載した映画館の座席予約状況を示す画像には、2つ並んだ空席は1つも残っていない。

 同紙によれば、買い占めを計画した人物はネット上に、「バレンタインデーに映画が見たい?ごめんね、君たちは別々に座らなきゃいけない。一緒にいられない時間が長くなるほど、愛情は深くなるっていうだろう。僕ら独り者にもチャンスをくれよ」というメッセージを掲載しているという。

 この人物は昨年、彼女と別れたことをネット上で告白している。

男達の魂の泣き声に全世界がもらい泣きした!とも言うべき感動的なニュースなのですけれども、AFPの配信からいわゆるバレンタインの習慣がない国々の方にこの感動が幾分かでも伝わったものでしょうか?
春先に見るからにちょっとアレな感じの人を見かけると思わず足早に歩き去ってしまいがちですけれども、なかにはこんな事情を抱えた人もいるんだというニュースをお伝えしましょう。

【感動秘話】ピンクの「チュチュ」を着て世界中で写真を撮りまくる変なおじさん!? 彼が妻に与えたかったもの(2013年12月16日ロケットニュース24)

写真家のボブ・ケアリーは、世界中のいたる所に、変な格好で訪れて自分の写真を撮る。米ワシントンのリンカーン記念館や独ベルリンのブランデンブルク門などへ行って、写真を撮るのだ。
問題はその格好。彼はバレリーナが着用する、ピンクのチュチュだけをまとって、上半身丸裸で珍妙なポーズをとる。ボブは若くもなく、イケメンでもない。どこにでもいるようなデブのおじさんである。一見するとただのヘンタイおじさんだ。実は彼は、愛する妻のためにこの営みを続けてきたのである。

・妻に与えたかった最良のクスリ

彼の営みは「チュチュプロジェクト」と名付けられている。彼の妻リンダが乳がんを患ったことをきっかけに、このプロジェクトは始まった。ふざけてないで、献身的に看病するべきではないかと思われるかもしれない。しかし彼が妻にもたらしたかったものは、最良のクスリであった。

・笑顔

そのクスリは誰もが持っているもので、周りから引き出すことができるものだ。ボブがチュチュを来て、世界の名所で撮影した写真は、はっきり言って滑稽である。「なんじゃこりゃ?」と思わずにはいられない類のものだ。その写真を見ると、リンダは笑わずにはいられないのだとか。つまり「笑顔」を与えたかったのである。

・他のガン患者にまで影響

妻の笑いのツボを心得ていたボブは、できるだけ滑稽な写真を撮るために、わざわざチュチュ一枚だけで珍妙なポーズをとった写真を撮り続けたのだ。その結果、入院していた彼女は明るい気持ちを保つことができ、ポジティブに病と向き合うことができたそうだ。さらにすごいのは、病院にいる間にほかのガン患者にまで、笑顔をもたらし続けたそうだ。

・写真集を出版

2003年から撮り続けた膨大な量の写真は、2012年の写真集『Ballerina』として発売し、収益は乳がん患者の支援のために寄付されているそうだ。まさに、愛情のなせるわざではないだろうか。たとえヘンタイおじさんと指をさされることになろうとも、ボブはリンダの笑顔のために、チュチュを着て写真を撮り続ける。

何そのちょっといい話と感動した心のまま元記事の画像を参照していただくとあまりの感動でモザイクなしでも画像がよく見えない状態になってしまうかも知れませんが、ともかくも滑稽と言うか何と言うかインパクトは強烈なものがありますよね…
男たる者ひとたび誓った以上は何が何でもやり通すという心がけが重要ですが、まさにその鏡とも言えるようなこんな男の中の男がいるのだそうです。

賭けで“おっぱい”作ったパパ、豊胸手術後にできた娘も「慣れた」。(2013年11月17日ナリナリドットコム)

今から17年前、米国で暮らすあるカナダ人男性は、友人と10万ドル(当時のレートで約1,100万円)をめぐる変わった賭けを行った。それは、男性が豊胸手術を受けてそのまま1年間耐えられるかという、驚くべきもの。そして現在、依然膨らませた胸を保ち続けている彼は、もはや愛着すら湧いてしまったと話し、娘までも「慣れた」とおっぱいの大きなお父さんを受け入れているそうだ。

英紙デイリー・メールやデイリー・ミラーなどによると、この男性は「ギャンブラー兼マジシャン」としてラスベガスで暮らしている51歳のカナダ人、ブライアン・ゼンビックさん。11月7日に米放送局CBSの情報番組「インサイド・エディション」が紹介して話題となっている彼は、1996年に友人と滑稽な賭けを行い、実際に豊胸手術に臨んだという。もちろん賭けは1年間保ち続けた彼が勝ち、賞金の10万ドルを手に入れた。

しかし、約束の1年が過ぎても胸を元に戻そうとはしなかったゼンビックさん。なぜなら、賭けには「1年延長するごとに1万ドルのボーナス」という項目も含まれていたからだ。そして賭けを始めてから17年、13歳に成長した娘がいようとも、依然彼は豊かな胸を保ち続け、普通に生活をしている。念のために触れておくが、彼は見た目も心もごく普通の男性だ。しかし、自分の体の一部として長年付き合ってきてしまった今、彼は自分の膨らんだ胸がもはや「当たり前」と話し、愛着すら湧いてしまったという。

趣味のランニングをする際には、女性用のスポーツブラを着用して外出。胸の不思議な谷間を見せ、揺らしながら走る彼の姿は、市民の間でも常に注目の的のようだ。ただ胸を元に戻さない理由は、単に愛着が湧いたからというだけの話でもないという。50代になった彼の体で、もし胸に入れたインプラントを取り除いた時、一体どのような影響を受けるのかとの不安が拭えないといい、さらに戻したら肌がたるまないかという「恐怖」も、元通りにしない大きな理由になっているそうだ。

そんな姿の父親を、寛大に見守っているのが思春期を迎えている娘のミカさん。父の胸について「もちろん、ちょっとおかしいと思う」としながらも、「お金が入るもの」と利益優先で考えられるあたりは、とても大人な性格の持ち主だ。また、今では父の姿に「慣れた」という彼女は、「私のお父さんでもあり、お母さんのようでもある」とコメント。不思議な見かけを持つ父親のすべてを認め、ありのままを受け入れているようだ。

その状況は元記事の画像を参照いただくとして、男の中の男とも言うべき強い精神は女性的な姿をもって現れる場合があると言う事実は、全世界の進歩的なフェミニストを勇気づけるものであるのかも知れません。
心身ともにタフであるということは男のあこがれですけれども、こちらまさにタフガイ中のタフガイと言うべき偉大なる勇者のニュースです。

サメに襲われ傷も自ら縫い乾杯、たくましい男の“武勇伝”が話題に。(2014年2月2日ナリナリドットコム)

スピアフィッシング(※銛や水中銃などを使って、素潜りしながら魚を捕まえる漁)をしていたニュージーランドの男性が、先日、大きなサメに襲われたそうですが、その後に取った“武勇伝”が話題を呼んでいます。
豪紙ザ・シドニー・ヘラルドによると、この男性はニュージーランドで暮らすジェームス・グラントさん。先日、サウスアイランドのコーラック・ベイという海岸沿いで、友人ら数人でスピアフィッシングに興じていました。

その日は海水の濁りもあって、視界はあまり良くなかったそう。そして、海面から2メートルほど潜ったところで、グラントさんは突然左足をぐいぐいと引っ張られる感覚に気が付きました。「最初は友人がふざけて足を引っ張っているのだと思った」というグラントさん。振り向いてみると、なんと彼の足には大きなサメがガッツリと食らいついていたのです。
普通ならパニック状態に陥るシチュエーションですが、グラントさんは「ちぇ、これを足から放さなきゃいけないのか」と、落ち着いたままだったそう。そして、ちょうど手にしていたハンティング・ナイフで、サメに反撃を開始しました。
何度かナイフを振り下ろした結果、サメも危険を感じたのか、グラントさんから離れて逃亡。その後、海岸にたどり着いた彼がウェットスーツを脱ぐと、5センチほどのかみ傷が、ばっくりと開いていたのです。そこで、まだ海の中にいる友人らに助けを求めようと声をかけましたが、友人らは誰もグラントさんの話を信じてくれませんでした。
「誰も助けに来てくれない……」と、多少気落ちしたグラントさんですが、さすがにサメを追い払った度胸のある人。「飼い犬のために救急箱に入れておいた」という縫合用の針と糸を取り出すと、その傷を自分で麻酔なしで縫い始めたのです。「アドレナリン全開の状態だったので、痛くもありませんでした」と振り返るグラントさん、実は将来、医者になる予定の医療助手であり、縫合くらいであれば自分で出来る技術を身に付けていたのでした。

縫合が終わり、これで万事オッケー(?)となったグラントさんは、ようやく海から上がって来た友人らとともに、そのままパブへ直行。ビールで自分の武勇伝に乾杯したそうです。
ただ、縫合は応急処置だったために出血が止まらず、店のフロアに血がついてしまったことから、店のスタッフから絆創膏が手渡されたとのこと。傷口は後日、きちんと病院で処置しなおしてもらったと伝えられています。
この話題は米ソーシャルサイトでも話題となり、「さすがニュージーランドの男、タフ!」といった彼の行動を賞賛する声が上がりました。
ちなみに専門家によると、グラントさんを襲ったサメは、エビスザメの可能性が高いとのこと。このサメは体長3メートルにも達するそうで、グラントさんの「口の大きさが20センチ以上あった」という証言からも、成長した個体だったようです。

しかしハリウッドの肉体派スターの出演する映画などを見てもそうですが、本物のタフガイの行動とはしばしばいささか知的にアレな印象を周囲に与えるものなのでしょうかね?
ご老人の話題が続きますけれども、こちらまさに死ぬときはかくあるべしと言う手本を示した人物のニュースです。

【ビデオ】米で話題となった「愛車のハーレーにまたがったまま埋葬された男性」(2014年2月5日AUTOblog)

1967年型ハーレーダビッドソン「エレクトラグライド」に乗ったまま、プレキシガラス製の棺に収められて埋葬された男性のニュースが米で話題となっている。

米国オハイオ州西部にあるデイトンの地元メディア『Dayton Daily News』によると、埋葬されたのは、デイトンの北東に位置するメカニクスバーグという町に住んでいたビリー・スタンドレイ氏。同氏は亡くなる18年も前から、いずれは愛車のハーレーに乗ったまま埋葬されたいと考え、既に先立った妻の眠るお墓の横にある3区画を予め収得していたという。

そんな父の思いを受けて、息子たちはプレキシガラス製の棺と、その棺の保護のために通常の棺用に比べると3倍以上ある2.7mx3.4mのコンクリート製の埋葬用コンテナーを用意。そして、同氏が亡くなると、葬儀社の社員5人がかりで防腐処理を行い、さらに背中をメタル製の板で支えて、遺体をひもでバイクに固定したという。

スタンドレイ氏の息子たちは、「ぶっきらぼうで取っ付きにくいが、気持ちは地球のように大きな人だった」と同氏の思い出を語った。また、この葬儀を担当したヴァーノン葬儀社のタミー・ヴァーノン氏は「バイクにまたがっての埋葬は故人が長い間抱いていた希望であったので、お手伝いが出来てよかった」と語っている。

バイクに遺体をまたがらせる形式の葬儀は初めてではないが、今回の埋葬は、同氏の望みと遺族の多大なる努力が形になったものと言える。誇り高き最期の姿にハーレー・ライダーたちも敬意を表するに違いない。同氏のご冥福を心からお祈り申し上げたい。

それでは早速、葬儀の様子をビデオでチェックしてみよう。

その状況は是非とも元記事の動画を参照いただきたいと思いますが、しかしここまで大がかりな葬儀というのも大変なものですが、ご本人にとってはまさしく我が人生に一片の悔い無しというものなのでしょうね。
最後に取り上げますのもやはりご老人の話題なのですが、これまた人生に悔いがないどころか今がまさに我が世の春という状況であるようです。

【海外:イギリス】100歳を迎えたおばあちゃん、男性ストリップダンサーを呼んでお祝い!(2014年1月17日日刊テラフォー)

ドリス・ディアハーディさんは、先日100歳の誕生日を迎えた。誕生日パーティには、自分の4分の1の年齢しかないうら若き男性ストリッパーを呼んで、大はしゃぎだった。
男性ストリッパーは、ドリスさんとパーティに来てくれた友人たちの前で一糸まとわぬ姿になり、ドリスさんの100歳の誕生日を祝福した。

誕生日パーティが開かれたのは、イギリス・レットフォードにあるパブで、ドリスさんは自分自身でストリッパーを選び、男性がストリップショーを開催する大ヒットイギリス映画『フルモンティ』の曲に合わせて、脱いでほしいとリクエストした。
何て若くてカワイイおばあちゃん!と感心してしまうが、実は、ドリスさんが当初リクエストしたものは、もっと過激なものだった。
「ヘリコプターに乗って空を飛んで、上空でパイロットにストリップしてもらえないかしら?」
と、息子のお嫁さんであるシャーロンさんにリクエストした。
さすがにそれは無理だ!そんなことをしてくれるパイロットはいない!と皆でドリスさんに話し、「それなら、本物のストリッパーを呼びましょう!」という流れになったのだ。

かくして、ドリスさんは、鍛え上げられた筋肉とぷりぷりのお尻を持ったストリッパーを選出した。
「彼は、とても体のケアをしているように見えたから選んだの!」
パーティ当日のドリスさんは、ストリッパーに塗るベビーオイルまで自分で用意して、もう大はしゃぎだった。
「もう素晴らしかったわ!本当に良い夜だった。ストリッパーに跨られた時のおばあちゃんの顔と言ったら!」
とシャーロンさんは、ドリスおばあちゃんのはしゃぎっぷりを報告している。
100歳になっても若い男の裸に大興奮することこそ、ドリスさんの元気の秘訣なのかもしれない。

そのすばらしき状況は元記事の画像にて確認していただくとして、まあ何と言うのでしょう…やはりこうしたニュースに対して我々としては「ブリなら普通のこと」と言うしかないのでしょうかね。
それにしても100歳の方の娘さんと言えばやはりそれなりのお歳でしょうが、これまた思いがけない誕生会を心底楽しんでいるように見えるのがやはりブリ的精神の発露ということなのでしょう。

今日のぐり:「たかと 白楽町店」

醤油うどんの看板が目立つ程度のシンプルな店構えのこちらのお店、倉敷市町中の消防署の隣にいつの間にか出来ていたのですが、どうも児島の方に本店があるようですね。
この近隣ですとうどん屋の看板が結構あちらこちらで目立つ印象があって相応に激戦区なのでしょうが、見た目的には正直あまりインパクトのある方ではないようです。
店内に入ってメニューを見ますとやはり醤油うどんがトップに来るようですが、他は種物がメインな感じで一通りのものは揃っていて、強いて言えば卵系のメニューが妙に目立つ一方でキツネはないらしいと言うのが目に付いたところでしょうか、残念ながらぶっかけと言うものは置いていないというのも割合に珍しいですね。
ちなみに他には天丼とおにぎりの他におでんがあるらしいんですが、見ていますとオーダー後に茹でにかかるのか比較的時間がかかる間を、各人適当におでんなどをつまみながら待つというのがスタイルであるようです。

どうもメニューからすると卵にこだわりがあるようなので敢えて醤油うどんでなく釜玉うどんを頼んで見ましたが、これまた相応に時間はかかるもののちゃんと茹でたて本物の釜揚げ状態で出てきました。
しかし近頃は見た目重視なのか、不届きにも卵をうどんの上にトッピングしてある店もあるようなんですが、こちらはちゃんと温めた器の底に卵が沈められた上にうどんが入れてあるのは感心ですよね。
テーブルに置かれた醤油をうどんの上からひとまわし、薬味としては青ネギが別添えですが個人的には生姜の方が欲しいかなと言ったところでしょうか。
肝腎のうどんの方はごくわずかな表面の肌荒れはありますが色つや良好な生きの良いうどんで、もともと釜揚げだけにふわふわ柔らかめなのですが噛んでみますと底にしっかり腰もあり、舌触り喉越しも良好とこれはなかなかいいうどんですね。
このうどんの塩梅ですと茹でたてを冷水で締めてざる等でいただくのが一番合いそうなんですが、冷たい醤油うどんが一番人気であるようですので出汁の味にこだわらない方はそちらでもよさそうです。
気になった点としては見た目からすると値段はかなり高めであるらしいことで、最も安価な醤油うどんが500円とは初めて見ましたがまあこうしたやり方では回転は上げられないでしょうし、周囲には安いうどん屋もあるわけですから棲み分けが出来ているように思います。

建物の見た目からすると新しい店に見えるんですが、トイレなどは古風かつシンプルですし内装も最低限と、本当に仮設店舗か?と思うほどうどん以外に何もないというのは徹底していますよね。
接遇面では基本おじいちゃんとおばあちゃんで回している店のようで全く愛想はないんですが、これはこれで味と言うものなのでしょうか、会計も一応伝票はあるようなんですが自己申告しないと正しい結果は期待できない可能性がありそうです。
まあしかし近所で安くてそこそこの味を出すチェーン店が安定的にお客を呼んでいる一方で、こういう小さなうどん屋もやっていけると言うのが食べ物屋商売のおもしろいところですよね。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2014年2月15日 (土)

まとめサイト受難の時代来る?

最近は「便所の落書き」などと悪評もある掲示板よりもまとめサイトの方を利用するという人も増えているそうで、ニュース解説などが商売になるのと同様ネット上の乱雑な書き込みをまとめると言う作業も商売になってきているのだろうなと思うのですが、一方で「他人の発言で商売するとは何事か」「単にまとめるだけで自分独自の情報発信が何もない」と言う手厳しい意見もあるようですよね。
そんな中で先日大手検索サイトがこんなことを言い出したと話題になっていたのですが、いわゆるまとめサイトに対してもその影響無しとしないのでは?と今から懸念する声もあるようです。

「内容薄い」コピペサイトにペナルティ Googleがアフィリエイト運営者に警告(2014年2月3日J-CASTニュース)

  検索サイト大手の米Googleが、無断転載や内容の薄いウェブコンテンツに対して、ウェブサイトで改めて警告した。アフィリエイト広告による収益を目的に、他サイトのコンテンツをコピーしたり、同じような内容のサイトを量産したりするサイト管理者が後を絶たないからだ。
   品質に関するガイドラインを再提示し、サイトを検索できなくするペナルティもあると言っている。

サイトの付加価値が問われる

   英語のウェブマスター向け公式ブログに2014年1月27日、「アフィリエイトプログラムと付加価値」という題の記事が掲載された。Googleではこれまでも内容に乏しいもしくは無断転載など、十分な付加価値のないサイトを運営することに対して、ガイドラインなどを通じて警告してきた。
   公式ブログによると、多くの動画サイトで最近こうした動きが見られ、特にアダルト業界が当てはまるが、それ以外の業界でも同じだ。これらのサイトでは数百や数千ものサイトと同じ、アフィリエイトプログラムによるコンテンツを掲載しているという。
   情報のまとめをメインにしたサイトも増えているが、自分のサイトに付加価値があるかどうかを確かめる質問が紹介されていた。
    「オリジナル情報源の代わりに検索結果として表示されても、ユーザーが訪れたくなるほどの大きな付加価値がサイトにある?
   これが「NO」ならばガイドラインに違反している可能性があり、検索結果の質を維持するため、検索エンジンの登録を削除することも含め対応することがあるという。

   増え続けるウェブ上のスパムサイトをGoogleはアルゴリズムで自動検出している。アルゴリズムに改良を加える「パンダアップデート」の後には、検索順位が大幅に変動するサイトもある。価値のないコンテンツの検索順位が下がり、反対に「質が高い」と見なされたものは上位に表示される
   アルゴリズムだけでは対処できない分は手動で対策が行われ、質問や解答などを投稿したりする、ヘルプフォーラムでは「ペナルティを受けた」という報告例が少なくない。2013年8月の日本語版公式ブログによると、手動でインデックスから削除されるドメインは2%に達していないものの、アフィリエイトサイトにとっては大打撃だ。

2ちゃんまとめサイトにも影響?

   乱立する2ちゃんねるまとめサイトは、同一スレッドをもとにほぼ同じ内容のまとめ記事が大量に作成され、ピックアップする書き込みにわずかな違いがあるだけで、付加価値を加えにくい。Googleのガイドラインでは「内容の薄い」アフィリエイトサイトの例として、
    「・他のサイトのコンテンツをコピーし、(語句を類義語に置き換えたり自動化された手法を使用したりして)若干の修正を加えた上で転載しているサイト
       ・ユーザーに実質的な付加価値を提供することなく、他のサイトの動画、画像、その他のメディアなどのコンテンツを埋め込んだだけのサイト」
などが挙げられている。実際、ペナルティを受けてインデックスから削除されたというまとめサイトもある
   マスメディアでも取り上げられるなど、近年まとめサイトの影響力は強まっているが、一方では検索結果に同じような中身のサイトが並ぶことへの不満もあった。
   ネットではGoogleのペナルティ対応について、
    「2chコピペブログとか消えるのかな」「人を増やしてじゃんじゃんやって欲しい」「検索すると同じ内容のまとめが引っかかりすぎて邪魔なんだよな。もっと駆逐してくれ
と歓迎する声が出ている。

googleと言えば近年では著作権者の意向を無視して書籍のデジタル化を推進するなどお騒がせ企業としての悪評がすっかり定着している側面もあるだけに、正直お前が言うなと言いたい人も少なからずではないかと言う気もするのですが、ともかくも何かについて検索すると同じような内容のまとめサイトばかりが上位に並んでくると言うのもあまりうれしい状況ではないと言う声は根強いものがあります。
まとめサイトに関しては「情報を取捨選択し何を残すか判断することも立派な知的活動の成果だ」と言う意見もあり、個人的には特定記事に関する議論の保存と言った観点からも個人的には必ずしも全否定する立場にはないのですが、やはり一面では広告バナーを大量に貼り付け収入を得るという、いわゆるアフィブログに対するやっかみも含まれているのではないかと言う印象を受けます。
そうしたネット世論を反映してと言うことでしょうか、先日これまたまとめサイトに関するびっくりするような事件が相次いでいるというニュースが出ていたのですけれども、これも様々な応用技が考えられる手口だけに今後どこまで騒動が広がっていくのか注視する必要がありそうな話ですよね。

2ちゃんねる「まとめサイト」続々と閉鎖 運営者の本名、電話番号が晒され不正アクセスも(2014年2月13日J-CASTニュース)

 2ちゃんねるまとめサイト運営者の個人情報がネットに晒され、それをもとにした迷惑行為が相次いでいる。被害を受けて閉鎖したサイトの数は10を超え、さらに他のサイトも巻き込んで騒ぎが拡大する「祭り」状態となった。
 発端は2ちゃんねる「なんでも実況J(なんJ)」板で作成された「偽装gif」だ。単なるの画像のように見えるが、1、2分経過すると殺害予告画像に突然切り替わる。これに気づかずそのままスレッドを転載したまとめサイトが、意図せず自らのサイトで特定人物の殺害予告をしてしまった

■ドメイン情報から本名や住所を特定

 「なんJ」ユーザーは、まとめサイトの非を責めて「炎上」させたほか、ウェブサイトのドメイン登録情報を調べられるWhoisを使って個人情報を調べ上げ、本名、住所、電話番号を特定した。ドメイン情報はトラブル解決のため公開が原則となっている。個人情報を隠すための代行サービスもあるが、炎上したサイト管理者はそのまま自分の情報を登録していたようだ。
 運営していた他のサイトや通っている学校、顔写真までも次々に晒し上げられ
  「今回はお騒がせしてしまい大変申し訳ありませんでした。きちんとした内容の確認をせず、転載をしてしまい大変反省をしております」
謝罪・サイト閉鎖に追い込まれた
 その他まとめサイトの多くもドメイン情報から個人の特定可能だと判明し、「なんJ」ユーザーは個人情報をどんどん暴いていった。Whois情報が晒されたサイトの数だけで30を超える。
 2013年8月に起こった「2ちゃんねるビューア(通称●)」個人情報流出問題のデータと照らし合わせる者まで現れ、アニメ「プリキュア」を扱うまとめサイト管理者が特定された。ツイッターやサイトのパスワードが「●」と同一ではないか、という推測をもとにログインを試みたユーザーが乗っ取りに成功し、Amazonでのアダルトグッズ購入履歴も晒された。これらは不正アクセス禁止法に違反する行為だ。
 迷惑行為は過激化して、流出した個人情報で勝手に企業や団体にエントリーしようという動きもある。真偽は明らかではないが、騒動のまとめWikiには「アルカイダ(メールにて入隊申し込み完了)」「アレフ(寄付申し込み)」などの記載があった。検索エンジンのキーワード候補にネガティブなワードが出るようにする「サジェスト汚染」の方法も共有されている。

アフィ収入サイト全般に攻撃対象が拡大

 こうした「まとめサイト潰し」の騒動は「なんでも実況J」板だけでなく、「ニュース速報(VIP)」板、「ニュース速報(嫌儲)」などに広がり、攻撃対象のサイトを一覧にしたスプレッドシートも作られた。それによると閉鎖に追い込んだサイトは11に上る
 当初の標的は殺害予告画像の転載をした一部まとめサイトだったが、対象はアフィリエイト収入を得る2ちゃんねるまとめサイト全般に拡大しつつある。その背景にあるのは、2ちゃんねる一部ユーザーの「まとめサイト嫌い」にある。
 まとめサイトは、書き込みの一部を「編集」してアクセスを稼ぎ、広告収入を得るのが一般的なモデルだ。コピペで記事を構成するので「他人の褌で相撲を取る」との批判があるのに加え、中には恣意的な書き込みの抽出で対立を煽り、誹謗中傷するサイトも存在しているため以前から問題化していた。
 2012年7月には、事態を重く見た2ちゃんねる運営が、一部まとめサイトについて「刺激的な内容で広告収入を得ることが生業になっている」と指摘し、転載禁止を言い渡したこともあった。
 今回の騒動は、まとめサイトを叩く格好の機会とばかりに2ちゃんねらーは盛り上がり、大手サイトを引きずり出そうと目論んでいる。「祭り」のまとめWikiに「アフィブログ管理人の皆さんへ」というメッセージがある。
  「今の祭りに巻き込まれブログを閉鎖するのは嫌だ。けど対策なんてできない……そんなあなたに朗報  自分より上の管理人の情報を流出させればいいんです。彼らは大物が出ればそちらに集中するので中小への注目は薄くなります。更には自分のブログが上位に入れます」

しかしよくもまあ色々と考えるものだと思いますけれども、本家たる某掲示板界隈では様々な利害関係も絡んだ陰謀論まで展開されているような状況で、そもそもまとめサイトに関してはコメントを恣意的に抜粋することで特定の主張に従う意見ばかりを偏って採り上げ多数派の世論であるかのように装うといった、ある種の情報操作の場としても機能しているという指摘はなされてきました。
一部ではこうした手法に対して「マスコミによる偏向報道と同じではないか」と言う批判もあったわけですが、興味深いことに今回ターゲットになったサイトがかねてそうした偏向傾向を指摘されていた有名サイトであったと言う話もあると言う点で、かつ事前に犯行予告とも受け取られかねないつぶやきがあったとも言いますから、単なる愉快犯的な行動ではなく根の深い問題なのでは?と言う意見が出るのも無理ないことかも知れません。
そうした疑惑に対する反発と元々のまとめサイトに対する反発、そしてこうしたまとめサイトに否定的に取り上げられてきた当事者の反発とが互いに絡まり合って現状はなかなか複雑な様相を呈しているところですが、少なくとも一部まとめサイトがアフィに絡んだアクセス数稼ぎの目的でタイトル等においてもひどく恣意的な表現を使って来たと言う批判は甘んじて受けなければならないでしょうね。

ネットを通じて何かしら意見を発信したいと考えることは、マスコミによる一方的なブロードキャスト型の情報発信に対する反発からも当然あっていいものだと思いますが、現状ではそこにアフィ問題という営利が絡んでいるからこそ話がややこしいのであって、本当に真面目な情報発信あるいは自己主張をしたいと考えているのであればまずは広告を外せと言う意見は当然にあるでしょう。
この辺りはアフィブログに対する金儲け批判に留まらず言論活動における一般的な認識として、例えばメディアが特定業界の権益を擁護するような言論を打ち出す隣で当該業界の広告を大々的に扱っているともなれば「いやそれは扱う部門が違っていて内容とは全く無関係なので」などと言ってもやはり世間的には「ははん、そういうことか…」と色眼鏡で捉えられてしまうことはやむなしだと思います。
そうかと言って公平を期して完全無作為に広告を選んだところで今度は「記事では色々と批判してるようなことを言ってるがちゃんと金受け取ってるんじゃねえか」と馴れ合い批判もされかねないと言うもので、いずれにしても言論活動にお金が絡んでいるとなるとそれ自体が何かしらのメッセージ性を持ってしまうというのは避けられないことなのかも知れません。
すでに警察も動き出しているようでもちろんまとめサイト管理人も被害者としての側面があることは事実なんですが、少なくとも政治的主義主張などと言った次元とは全くかけ離れた領域で今回の件を単純に「ざまあw」と見る人が少なからずいるという現実はサイト管理者側も認めなければならないでしょうし、ここから改めてどういう活動を展開していくのかで周囲からも再評価されていくことになるのだと思います。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2014年2月14日 (金)

根拠のない主張も説得力がありませんが

ネタとしては少し古い話になりますけれども、地域医療に長年取り組んでいる名郷直樹先生のコラムで先日こういう興味深い逸話が紹介されていました。

捏造論文利用するワクチン反対派(2014年2月11日産経新聞)

 今回は、ワクチンにまつわる論文が捏造(ねつぞう)された話を紹介したいと思います。

 ワクチンについての捏造論文は1998年、医学雑誌『ランセット』に発表されました。この雑誌は、論文捏造で問題になっている高血圧薬「ディオバン」の論文が掲載されたのと同じ雑誌ですが、医学の世界では権威のある雑誌とみなされています。
 発表された論文は「麻疹、風疹、おたふくの3種混合ワクチンによって自閉症が引き起こされる」というものでした。12人の自閉症患者を調査したところ、8人がこの3種混合ワクチンを受けているという結果から導き出した結論でした。
 この論文の影響は世界に大きな影響を与えました。論文発表前、90%を超えていたイギリスのワクチン接種率が、発表後は60%にまで低下したと報告されています。
 その後、この論文は捏造であったことが明らかとなり、2010年には撤回されました。著者のウェイクフィールドは医師免許を剥奪(はくだつ)されています。

 この結果がでたらめであることは別の研究でも明らかです。02年に医学雑誌『ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディスン』に掲載された論文で、ワクチン接種者44万人と非接種者9万人以上を比較したところ、自閉症の発症率はむしろワクチン接種者で低く、統計学的な差がないことが示されています。数十万人規模で比較対照を持つ研究と、12人で比較対照を持たない研究のどちらが信用に足るかは論じるまでもないでしょう。
 そもそも、たった12人の自閉症のうち8人が3種混合ワクチンを接種したというだけで比較対照も示されていない論文が、なぜ権威のある医学雑誌に掲載されたのでしょう。当時のワクチン接種率が90%を超えていることを考えれば、ワクチンを受けている人の割合が低いくらいです。一見するだけで取るに足らない論文ということが分かります。
 しかし、この捏造論文はいまだにワクチン反対グループによって繰り返し取り上げられ、一定の影響を持ち続けています。「ワクチンに含まれる水銀が自閉症を引き起こす」とのデマもこの論文から始まっており、このデマを信じてワクチンに対して不安を抱く人がいるのはとても残念なことです。
 「ワクチンで自閉症になる」という論文は、医師免許を剥奪された著者による捏造論文だということを改めて明確に指摘しておきたいと思います。(武蔵国分寺公園クリニック院長・名郷直樹)

冷静に考えれば、この議論はもう終わっている(フィラデルフィア小児病院感染症研究部主任ポール・オフィット)」というこのワクチンと自閉症との関係については、ちょいと検索しただけであちらこちらで言及されているくらいで未だにそれが事実であるかのように語られている場合も多いようですが、ワクチンのリスクと利益に関して迷いのある方はこうした記事も参照にされてみてはどうかと思います。
無論ワクチンもなんでもかんでも打てばいいというものではなく、経済性も含めた不利益に対して予想される利益が少ないと言ったものも多々あるのは事実ですから、例えば幾ら致死的な重篤疾患だとは言え過去半世紀も発生がなく清浄地域とされる日本で全国民に狂犬病ワクチンを打てというのもやり過ぎでしょうが、逆に若年女性に対する風疹ワクチンなど明らかに推奨されるものもあるわけです。
とかく科学の世界もソース原理主義的なところがありますが、かつて紹介したようにホメオパシー医学教会が自説の根拠だと主張していた論文が原典に当たってみると実は全く真逆の内容であったり、数々の優秀な科学者がホメオパシーを認めていると言うその科学者氏達が単なる他の代替医療の信奉者であったりと、ソースロンダリング的な事も日常的に行われているというのは悲しくもあり、評価するに注意を要するところです。
逆に言えばびっくりするような内容であってもひとたび根拠となるものが確立されてしまうと後々まで影響が残り大変なことになりかねないと言うことはあって、こういう現象は純然たる自然科学よりもJBM(司法判断に基づく医療)等々のような社会科学の絡んだ領域に多い印象を受けるのですけれども、その意味で先日何とも興味深い判決が出たと言うニュースを紹介してみましょう。

M・ジャクソンのファンら、元専属医から慰謝料 1人140円(2014年2月12日AFP)

【2月12日 AFP】仏中部オルレアン(Orleans)の裁判所は11日、世界的な人気歌手の故マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)さんの死によって「精神的損害」を受けたとするファン5人の訴えを認め、ジャクソンさんに対する過失致死罪で有罪判決を受け服役した元専属医のコンラッド・マーレー(Conrad Murray)氏に、被害が認められた原告1人につき1ユーロ(約140円)の慰謝料の支払いを命じた

 裁判を起こしていたのは、オルレアン近郊に拠点を置く「マイケル・ジャクソン・コミュニティー」という団体。マイケルさんの死で苦痛を被ったとする原告34人が、麻酔薬の過剰投与によりジャクソンさんを死亡させた罪で有罪となり、2011年に収監され、4年の刑期を2年に短縮されて昨年10月に出所したマーレー氏を訴えていた。同裁判所は、原告団のうちフランス人2人、スイス人2人、ベルギー人1人の計5人が精神的苦痛を受けたことが証明されたという判断を示した。

 原告団の弁護士はAFPに対し、「私の知る限り、ポップスターに関連した精神的損害という概念が認められたのは今回が世界で初めてだ」と話した。また同弁護士によると、損害は象徴的なものであり、原告らはマーレー氏に実際に慰謝料1ユーロずつの支払いを求めるつもりはないとしている。その代わりに、裁判所によって「被害者」と認定されたことで、米ロサンゼルス(Los Angeles)にある一般非公開のジャクソンさんの墓への参拝が許可されることを望んでいるという。

しかし当事者にほとんど縁もゆかりもない人達が精神的苦痛を受けて損害賠償を云々ということは決して珍しい話ではないとは言え、それが認められてしまったと言うのはまさか賠償金額が少額だったからと言うわけでもないのだと思いますが、ほぼ無関係な赤の他人からの賠償請求でも認められるというのは少なからず意外な印象を受けるところで、色々と応用技も考えられるところですよね。
何かとスキャンダラスだったというマイケルジャクソン氏の晩年については各方面で今も話題になるところですが、当時から色々と言われていたように同氏の専属医師を務めていたマーレー氏が薬物過剰投与の過失で刑事罰を受けたと言う点で、公的にジャクソン氏の死について責任ある立場であると認められた形であると言うことなのでしょうか。
先年の福島原発事故に関連しても、提供された放射能情報が嘘ばかりだったと「トモダチ作戦」に関わった米兵ら100人以上が巨額の賠償金を求めて東電を訴えたと言う報道がありましたが、単にファンであったと言うだけの赤の他人が賠償を認められたと言うことになれば当事者そのものである米兵の方がよほど賠償を認められてしかるべきということになりかねません(もちろん、実際の司法判断は国毎に別々ではありますが)。
フランス国内でどういう法体系になっているのかは存じ上げませんけれども、今後同国内でも「○○によって精神的苦痛を受けた!謝罪と賠償を(以下略」と言った裁判が続出するということになるようであれば、このわずか1ユーロの判決が大きな社会的影響をもたらしたと評価されるようになるのでしょうか。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2014年2月13日 (木)

徐々に変わりゆく救急搬送のあり方

すでに少し以前から高コストな急性期医療を絞り込み、かわりに慢性期あるいは在宅医療を強化するという話が出ていたことはご存知だと思いますが、先日厚労省からもう少し具体的な話が出てきたようです。

重症向け急性期病床4分の1削減へ 医療費抑制で転換(2014年2月7日朝日新聞)

 症状が重く手厚い看護が必要な入院患者向けのベッド(急性期病床)について、厚生労働省は、全体の4分の1にあたる約9万床を2015年度末までに減らす方針を固めた。高い報酬が払われる急性期病床が増えすぎて医療費の膨張につながったため、抑制方針に転換する。4月の診療報酬改定で報酬の算定要件を厳しくする。

 全国に約36万床ある急性期病床の削減は、診療報酬改定の目玉のひとつ。実際は急性期ではない患者が入院を続けるケースも目立ち、医療費の無駄遣いと指摘されてきた。急性期病床以外での看護師不足も招き、「診療報酬による政策誘導の失敗」といった批判も強まっていた。

 急性期病床を減らすため、厚労省は4月から、入院患者7人当たり看護師1人という手厚い配置をすると病院に支払われる「7対1入院基本料」の算定要件を見直す。

まあしかし、ひと頃は「人の命は地球よりも重い」ともてはやされたはずの急性期病床も今やずいぶんと酷い言われようだなと思うところですが、国民の認識も厚労省あるいは財務省の認識と同じほどに進んでいればよろしいのですけれどもね。
基本的に病院に来るような人は急ぎ医療が必要であるから来るのだと(少なくとも公式には)見なされる立場ですから、とりあえず急性期病床を充実しておけばどんな患者が来てもまあ何とかなるだろうと言う考え方は一見妥当なのですが、実は日本のように三次救急クラスの重症向け施設に直接患者が駆け込んで来て「一週間前から風邪で」と言い出すと言うのは実は世界的に見るとそう一般的なことではありません。
日本と同様に皆保険制度を敷き医療費抑制に実を挙げてきたイギリスの場合、まずは指定されたかかりつけ医を受診し専門医受診の要有りと診断されなければ勝手に病院にかかれないようになっていて、それが嫌なら自費で私的病院に受診すると言うゲートキーパー方式になっていることが知られていますが、同国の医療費抑制政策の是非はともかくこのゲートキーパー機能については近年日本でも注目されているところですよね。
その背景にあるのは救急崩壊と言われるような救急受け入れ困難の事例が全国的に注目を集めるようになっていると言う事情もあるわけですが、全国的に見ると相変わらず救急搬送は増える一方にも関わらず何施設も受け入れを断られるような「たらい回し」のケースは減ってきているということで、消防庁が主導し全国的な搬送のルールを作ってきたことが多少なりとも効果を示しているということなのでしょうか。

ともかくも国策として決まったことは決まったことで、これはこれでなるようになっていくと思いますが、こうした受け入れ施設側の削減に伴い重症患者の受け入れ状況も変化していくと思われますから、現状に即して制定されただろう一部の診療ガイドラインはある程度実地に即した改訂が必要になるかも知れずで、例えば脳梗塞や心筋梗塞などでタイムリミット超えのケースが増えてくるといった場合にどう考えるべきなのかでしょう。
他方では重症者向け病床がこれだけ削減されるということは、とりわけ地方などでは施設の統廃合ということも視野に入れる必要があると思いますが、その場合順調に受け入れが決まったとしても物理的に搬送時間が延びることになる救急隊としては今まで以上に搬送業務以外の領域に手を出すべきなのかどうかと言う点も議論が必要になってきそうです。
この点では今春から救命救急士の業務が拡大され、心肺停止前の輸液や低血糖時のブドウ糖溶液投与などが特定行為として行われるようになる予定なのは将来的な救急搬送長期化に合わせ車内医療の拡大に向けた布石なのか?とも勘ぐってしまうところですが、これまた制度設計が着々と調えられていく中で未だ全く問題無しとはしないようです。

「指導救命士」創設、MC協議会が認定へ- 消防庁作業部会が制度案(2014年2月9日CBニュース)

 総務省消防庁の救急業務に関する検討会の作業部会が、若手の教育などに当た る救急救命士を「指導救命士」として認定する制度案をまとめた。救急医らが加 わる都道府県メディカルコントロール協議会(MC協議会)が、指導救命士を認定 することを明記。また、各地の消防本部の枠を超え、全国的に活躍する場を提供 する必要性も挙げた。この制度案は、検討会の報告書に盛り込まれる見通しで、 早ければ年内にも認定制度が創設されそうだ。【新井哉】

■特定行為の業務拡大、「資格要件」求める声も

 救急救命士の教育体制をめぐっては、医師から具体的な指示を受けて行う「特 定行為」の業務拡大に伴って、専門知識などを習得する研修時間が増加。今年4 月からは、心肺機能停止前の輸液とブドウ糖溶液の投与も特定行為に追加される 見通しで、メディカルコントロールを行う医師らに、搬送患者の緊急性や重症度 などを医学的な視点から伝える必要性から、教育体制の拡充や見直しが求められ ていた。
 ただ、消防本部ごとに教育方法に違いがあったり、指導を担う人員体制に格差 があったりするのが実情で、関係者からは、認定看護師制度のように、「指導的 な立場を担う救急救命士にも、資格要件があれば良い」といった意見が出ていた。
 指導的な立場を担う救急救命士の呼称をめぐっても、さまざまな意見が出てい た。消防関係者を対象に行ったアンケート調査では、「救急スペシャリスト」や 「メディカルオフィサー」といった“横文字”に加え、「事後検証救急技術指導 者」や「統括救急指導員」といった“お役所的”な呼称も寄せられたという。

■優秀な人材、全国的に活躍する場を

 作業部会では、こうした提案を踏まえ、地域での呼び方は自由としながらも、 「報告書や国から示す場合などで、全国統一的な呼称が必要」と判断。委員らで 検討した結果、指導救命士に一本化することを決めた。認定の基本的な考え方に ついても、救急医などの地域の医師が加わる都道府県MC協議会が認定するとし、 人選には「実務的に(下部組織の)地域MC協議会が関与する」とした。
 作業部会は、優秀な人材を全国的に活用する方策も提案。指導救命士が地域MC や消防本部の枠を超え、全国的に活躍する場を提供する必要性にも触れ、「国な どが積極的に関与することが求められる」とした。
 また、一般の救急救命士から指導救命士を目指す際のインセンティブについて は、昇任や昇格、人事評価への加点は、各消防本部の考え方や制度の違いで「全 国一律的に実施することは困難」とする一方、国が胸章や肩章の「標準エンブレ ム」を示すことで、差別化を図ることを求めた。

興味深いのはちょうど特定看護師制度と言うものも昨今議論が続いていて、先日は新たに特定看護師という公的資格を創ることに対しては日医らから根強い反対意見がありまとまらなかったと言う話が出ていたと記憶するのですが、こちらでは指導役の救命救急士に対して実質的に新たな資格を認定するということが特に反対もなくまとまったように見えるのですが、やはり議論の参加者の違いなのでしょうか?(苦笑)
それはともかく実際の教育にあたってどうやってトレーニングを積むかということが非常に大きな課題で、もちろん看護学生が相互に点滴の練習をするなどと言ったように表立っての場ではなくてもトレーニングは出来るでしょうが、資格として認めるということであればやはり公的な場所で認められた研修を積む必要がありますよね。
過去にたびたび歯科医の全身麻酔というものが警察沙汰になっていて、歯科医と言えども口腔外科など全身麻酔を必要とする手術は当然あるのでしょうが、歯科医の場合全身管理のノウハウがないためガイドライン等に従って届け出をした上で医科で麻酔研修を積まなければならないと言う面倒なシステムになっているようで、うっかりこの届け出を怠ると警察のご厄介になってしまうということです。
救命救急士の場合に研修後医の法的な位置づけがどのように用意されているのかは承知しませんけれども、ある程度年期を積んだ看護師でも静脈路確保の際に神経損傷を起こして患者とトラブったと言ったケースがままあることを考えると、研修を受け入れる側の施設担当者も事故の際の責任をどう取ったらいいのかと正直頭が痛いところなのかも知れませんね。

もちろん今の時代個人に責任を負わせるような体制は許容されないのは当然で、何かあれば施設として医賠責保険等で対応するのが当然ですけれども、やはり慣れない行為をやった結果トラブルを起こしてしまったとなると当事者である救命救急士の心的ダメージも相当なもので、「そうまでして危ないことに手を出さなくても…」と考えてしまう人が出るのはむしろ当然かと思います。
その意味で業務負担が増える以上それに対してどう見返りを用意するかという議論が出てくるのは当然なのですが、今回の議論を見る限りではあくまでも公的には名誉的なものだけで各現場の自主的な判断に委ねられているように見えるというのは、今まで何かと全国統一の基準で動いてきたように見える救急隊であるだけにインセンティブの約束をするのがそんなに嫌なのか?とも受け取られかねませんよね。
こと医療の現場に関しては資格よりも実力が優先されるという傾向があって、その意味では能力がある人がどんどん手を広げてやっていくことは全く悪いことではないと思いますが、実力も意欲もある先生ほど難しい患者をどんどん押しつけられ訴訟リスクが高まると言う逆説と同様、努力している人間の方が損をするような制度設計にしていたのではうまくいかないのではないかなと懸念するところです。
そしてまた、救急を受ける側の多くの医師にとっては「そんなことよりもきちんと正しい報告が出来るよう真っ当な医学常識を身につけてくれ」と言いたいところだと言うのも本音でしょうから、ドラマなどでも取り上げられそうな見た目に華々しい道ばかりが本当に社会にとって有用なものであるとは限らず、日々の基本業務こそが最も重要なのだという当たり前の認識も改めて再確認していただきたいですよね。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2014年2月12日 (水)

試験に悩まされる大学生

この時期入試に追われ受験生の方々は大変な思いをしているでしょうが、大学に入学しても未だに試験に追われた人がいるとニュースになっていました。

東京外大の成績盗み見、男子学生を書類送検 「正当に評価されているか見たかった」(2014年2月10日産経新聞)

 東京外国語大(東京都府中市)の学内のシステムが昨年10月、不正アクセスされて学生の成績が盗み見られた事件で、警視庁サイバー犯罪対策課は10日、不正アクセス禁止法違反容疑で、同大国際社会学部2年の男子学生(20)を書類送検した。

 サイバー課によると、「自分の成績に不満があった。正当に評価されているか確かめたかった」と容疑を認めている。

 男子学生は昨年10月24日、成績や講義の時間割などを閲覧できる同大のホームページ上のシステムに偽装したフィッシングサイトを作成。同大名義で学生222人に「不具合が生じた」とメールを送ってサイトに誘導し、入力されたIDとパスワードを自分のメールに転送させていた。

 送検容疑は同月26~28日、学内のシステムに学生55人分のIDとパスワードを入力して不正アクセスしたとしている。

ネットなどでみますと「他人の成績を見たところで何の役に立つ?」と言う意見も多いようでまあごもっともなんですが、こういうことを考えちゃう人というのは基本的に真面目に考え込んでしまうタイプなんだろうなとは思いますから、その才能をもっと有意義な方向に活かしていればこんな騒ぎになることもなかったでしょうにね。
ともかくも日本では大学と言えば入試が全て、入学後はとりあえず馬鹿でも卒業は出来るかのように言われてきましたし、実際に企業側でも大学名は気にしても学生時代の成績はほとんどスルーなどと言う話もありましたけれども、最近ではさすがにあまりに学生の質がどうなのかと言う問題もあるようで一部では入学後ももっと学生に勉強をさせるべきだと言う話にもなっているようですね。
以前に定員数激増の影響もあって学生のレベル低下著しい某歯学部で学生カリキュラムに分数の計算だとか一次方程式の解き方などと言う義務教育レベルの内容が組み込まれていると大騒ぎになったことがありますが、未だそこまではレベル低下を来していないにしても伝統的に進級が極めて緩い(学部が多い)と言われるのが全国国公立医学部です。
学生時代はバイトと部活三昧でも卒業できるなどと言われた(一部)医学部もさすがに最近ではもう少し厳しくしようという風潮があるやに聞きますが、その一環と言うわけでもないのでしょうが先日知らない人が聞けばびっくりするようなニュースが出ていました。

広島大医学部、追試の120人全員不合格 試験内容変更(2014年2月7日朝日新聞)

 試験をパスしたのは6人。追試験も120人全員が不合格――。広島大医学部の講義「神経解剖学」で、こんなことが起きた。例年、本試験とその後の追試験は同じような内容だったが、今年は担当教員の判断で変更されたという。ネット上で話題となっている。

 大学によると、1月11日に試験があり、2年生126人が受けた。パスしなかった120人は同月31日の追試験に挑戦したが全員が不合格だった。

 大学は神経解剖学など5科目の成績を総合して「人体構造学」の単位を決めるため、不合格でも留年するとは限らない。大学側は「本試験と追試験で似た内容を出題することは以前はあったが、見直している」としている。

広島大医学部 追試受けた120人全員不合格(2014年2月7日スポニチ)

 広島大医学部の2年生120人が神経解剖学の追試験で全員不合格だったことが7日、大学関係者への取材で分かった。大学側はこの試験結果だけで落第するわけではないとしているが、「全員に補講を行い、学力の向上を図りたい」と頭を抱えている。

 大学関係者によると、神経解剖学の試験は5科目あり、そのうちの一つを1月11日に実施。2年生126人が受けたが、合格したのは6人だけだった。その後20日間の猶予があったのに、31日の追試では残らず落ち、担当官は掲示板に反省を促す文面を添えて「不合格」を通知したという。

 掲示後、落第を危ぶむ学生らから不安の声が相次ぎ、大学側は「他の科目との総合点で判断するので即留年ではない」とメールで連絡し、対応に追われた

 医学部のある幹部は「神経解剖学は複雑で膨大。(今回の)テストは毎年、本試験と追試験で同じような問題が出ていたが、今年は違う問題が出たのではないか」と分析している。

大学と言うもののシステムを知らなければ「何だこれは!」というニュースなのですが、もともと教授の気分次第で単位認定のハードルが高くも低くもなるという一面があって、過去にも何度か同種の大量落第事件が発生しているという点を見ても今回も比較的マレではあっても起こりえる事件ではあると言えそうですが、問題は何故今回こういう事件が発生したのかということです。
風の噂によればもともと同大神経解剖の試験はひどく難問で知られていて本試験ではほとんど合格者が出ないような内容だった、一方でその救済措置と言うことなのか追試の問題は本試験のものがそのまま出るという「伝統」があったのだそうで、これに対して多くの学生が本試験には全く勉強せずに臨むと言うことが常態化していたのだそうです。
ところが今年に限って何故か追試験で全く別の問題が出たことから要領よくやろうとしていた方々がそろって討ち死にしたということらしいのですが、この場合考えてしまうのはこういう事態に至ったことについて結局誰が悪いのかで、「そんなもの勉強していない学生が悪いに決まってる」で済ませてしまっていいのかどうかです。

例年においても本試験ではほとんど通る学生がいなかったと言うのですが、学生のうちでも追試験でいいやと最初から本試験を投げてしまう者ばかりではなく、当たり前に本試験で通ろうと真面目に勉強している学生も少なくないはずなのですが、そうした学生も含めてほとんど通らないレベルの試験を出すことが果たして教育的に妥当なのかどうかで、しかも何しろそれをやっているのが神経解剖学ですからね。
そもそも追試で毎年同じ問題を出すと言うのは教授の側にも本試験の内容に問題があるという認識があったのかと推測させるのですが、好意的に考えればそれだけ試験に出る範囲は是非とも覚えて欲しいと考えているのだとすれば毎年二回も試験を受けていれば必ず記憶に残っていたでしょうが、そういう狙いであれば追試で全く違う問題を出すのではなく同方向で掘り下げた問題にするといったやり方もあったでしょう。
学生も毎年のことだと慣れきってまともに勉強をしなかったのも事実でしょうが、別に学生といえども暇を持て余している者ばかりというわけでもないでしょうから重要性の低いものに無制限に時間をつぎ込むよりは大事なところに出来るだけ時間を使いたいと考えるはずで、その意味からするとやはり神経解剖学などはあまり学問的魅力がないと言いますか、最低限通ればいいと思われがちな領域の筆頭ではあると思います。

面白いのはいずれにしても学生の生殺与奪を握っているのは教授であるわけですが、その教授の権限で出来の悪い学生を落第させたという(少なくとも形式的には)全く正当な行為を行っただけにも関わらず、大学側がむしろ釈明に追われているかに見えるという点で、このあたりは学生気質の変化とも親対策とも何とも言えませんけれども、案外大学内部でもやり過ぎだと言った批判も出ているのかも知れませんね。
すでに補講が決まっているということですが、学生側にしてみれば他講座のようにごく普通に講義をしごく普通の試験をしていてくれればこんな面倒なことにもならなかったのにと言う思いはあるはずで、その意味では来年以降の試験のやり方がどうなるのかは何とも言えませんが、「どうせ神経解剖を落としても留年しないんだから」と好き勝手にやるというのではそれこそ教育的効果が怪しいというものですよね。
解剖学領域などは多くの学生の目から見ると何十年も昔に終わっている学問と見なされがちで、アカデミックな興味を元に勉強に励むタイプの学生にも医師という目標を目指して一直線というタイプの学生にも正直あまり魅力あるとは言えませんけれども、それだけに試験のあり方についても昔ながらの方法論をただ踏襲するのではなく、「あの講座は講義も試験も面白い」と言われるくらいに工夫を凝らしてもらいたいと思います。

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2014年2月11日 (火)

今日のぐり:「すし茶屋 吉祥 田町店」

先日とある意外な試算が話題になっていたのですが、ご覧になりましたでしょうか。

「走れメロス」は走っていなかった!? 中学生が「メロスの全力を検証」した結果が見事に徒歩(2014年2月6日ねとらば)

 一般財団法人 理数教育研究所が開催した「算数・数学の自由研究」作品コンクールに入賞した「メロスの全力を検証」(PDF)という研究結果がとても興味深いです。中学2年生の村田一真くんによるこの検証では、太宰治の小説「走れメロス」の記述を頼りにメロスの平均移動速度を算出。その結果、「メロスはまったく全力で走っていない」という考察に行き着きます。端的にいうとメロスは往路は歩いていて、死力を振りしぼって走ったとされる復路後半の奮闘も「ただの早歩きだった」というのです! なんてこった!

 メロスは作中、自分の身代わりとなった友人を救うため、王から言い渡された3日間の猶予のうち初日と最終日を使って10里(約39キロ)の道を往復します。今回の研究ではこの道のりにかかった時間を文章から推測。例えば往路の出発は「初夏、満天の星」とあるので0時と仮定、到着は「日は既に高く昇って」「村人たちは野に出て仕事を始めていた」とあるので午前10時と仮定して……距離を時間で割った平均速度はずばり時速3.9キロ! うん、歩いてるね!

 メロスは復路の日、「薄明のころ」目覚めて「悠々と身支度」をして出発し、日没ギリギリにゴールである刑場に突入します。村田くんは北緯38度付近にあるイタリア南端の夏至の日の出がだいたい午前4時、日の入がだいたい午後7時と目星をつけ、考察を開始。復路では途中、激流の川渡りや山賊との戦いといったアクシデントがあり、これらのタイムロスも勘案してメロスの移動速度を算出します。

 その結果、野や森を進んだ往路前半は時速2.7キロ、山賊との戦い後、死力を振りしぼって走ったとされるラストスパートも時速5.3キロと、思った以上に「ゆっくりしていってね!」な移動速度が算出されてしまいました。メロス……走ってないやん!!!! ちなみに、フルマラソンの一般男性の平均時速は9キロだそうです。

 もちろん、現代のように道が道らしく整備されている保証はありませんし、いろんな足止め要素を想像すれば、算出された平均速度以上にメロスは頑張っていたと想像することも可能です。ちなみに発表者の村田くんは、「往路の事でメロスは、結婚式のために色々買ったので、それをすべて持って村に行かなければいけないので、少し遅くなったと思います。しかし、遅すぎると思いました」「『走れメロス』というタイトルは、『走れよメロス』のほうが合っているなと思いました」と、ざっくばらんに感想を寄せています。村田くん、ナイス研究!!!

いやまあ、ネロスも気持ちの上ではもちろん全力疾走していたのでしょうけれども、やはりそこは待ち受けるものを考えると脚も自然と重くなろうと言うものでしてね…
今日は彼なりのベストを尽くしただろうネロスの努力を称えて、世界中から知ってみたらびっくりというちょっと想定外の事態を知らせるニュースを紹介してみましょう。

【海外:アメリカ】TVを付けたら大ショック!TVの中で愛車が盗まれ大爆発していた!(2014年1月27日日刊テラフォー)

アメリカ・フロリダ州在住のウィリー・ケリーさんは、ある日テレビのニュースを見て大ショックを受けた。自宅近くで起こった交通事故のニュース映像に映し出されたのは、紛れもなく自分の愛車だったのだ。車は、跡形もなく大破していた。

ウィリーさんは、愛車のピックアップトラックをこよなく愛しており、「ボスとホットソース」というニックネームを付けていた。名付けのセンスはともかく、それくらい大切に思っていたということだ。
だがテレビの中で、その愛車が猛スピードで暴走して警察とカーチェイスを繰り広げ、電柱に衝突して大爆発してしまう瞬間を目の当たりにしてしまった。
「あ~、俺の車が・・・。」
当時警察は、別件の窃盗事件について、ウィリーさんの自宅近郊を捜査していた。
だがウィリーさんの車を盗んだ泥棒は、警察に見つかってしまうのではないかと恐れて、猛スピードでその場を去ろうとしたため、かえって警察の目を引いてしまい、カーチェイスを繰り広げる事態に陥ったとみている。

ウィリーさんは、自分の車が盗まれていたことすら、テレビを観るまで気付いていなかった。
「本当に傷つきました。僕のトラックが、あんなふうに焼けてしまうなんて。」
警察は、この事故で車に乗っていた男3人を現行犯逮捕した。
犯人は捕まっても、残念ながらウィリーさんの車は、永久に戻って来ない。

気付いてしまったものは仕方ないということですけれども、それにしても自分の大切なものが見ている前で台無しにされていく心境と言うのはどうなんでしょうか。
こちらもいきなりこんなことをされてしまうと驚くのも無理はないという、びっくりどっきりな仕掛けの顛末を伝えるニュースです。

地下鉄で突然バッグ食べる美女、座席隣の男性は思わず距離取る。(2014年2月7日ナリナリドットコム)

街中できれいな女性を見かけると、ついつい目で追ってしまうのが男性の悲しい性。そんな美女が電車で隣に座った、なんてことで喜んでしまう人も少なくないだろうが、米ニューヨークの地下鉄に乗ったある男性は先日、隣に座った美女に見つめられニンマリだった……かと思いきや、突然彼女が持っていたハンドバッグを食べ始めるという衝撃の光景に出くわし、驚くハメになってしまった。

その一部始終を紹介しているのが、2月3日付でYouTubeに投稿された動画「Model Eats Designer Bag on NYC Subway」(http://www.youtube.com/watch?v=CVodEqUmBFA)。米紙ニューヨーク・デイリーニュースなどによると、この動画はニューヨークにあるお菓子やパン専門の料理学校が投稿したもので、先日モデルの女性を地下鉄に乗せ、学校で制作したケーキを使ったドッキリの様子を撮影したものだ。

動画は冒頭、モデルの女性がシャネルのロゴ入りのハンドバッグを持ちながら、地下鉄に乗車するところから始まる。若い男性客の隣に座ると、これ見よがしに視線を送り、男性の気を引く女性。これに思わず笑みを浮かべる男性客。ただ、ほかのスタッフが2人にカメラを向け、周りの乗客が異変を悟っている様子も映されていて、男性もこの美女が何か“訳あり”の人だとは気付いているようだ。そんな彼を前に、女性はシャネルのバッグを口元へと持っていき、おもむろに端をがぶりと食べ出した。

続いて、めくれたサイドの皮を剥がして女性はさらに二口目。表情を変えず平然とバッグを食べる姿が不気味だったのか、その瞬間男性はお尻をずらし出し、女性から離れようと距離を取った。驚いたのは彼だけではなかったようで、近くで見ていた乗客の誰もが彼女を見て、怪訝な表情を浮かべたり苦笑いを浮かべたりとさまざまな反応を見せている。

そして最後はタネ明かしが行われたようで、尻込みしてしまった男性も女性のハンドバッグを味見。ほかの乗客がスタッフらと楽しそうに会話をしている様子も紹介されており、料理学校の宣伝ドッキリは大成功となったようだ。

ドッキリを楽しむだけでなく、女性が口に運んだハンドバッグケーキの精巧さを確認する意味でも、一度この動画をご覧になってはいかがだろうか。

その状況は元記事の動画を参照いただきたいと思いますけれども、確かに腰が引けていますよねえ…まあ無理もないと言えばその通りではありますが。
同じく実はケーキだったと言うオチなのがこちらの記事ですけれども、真相を知ったところでやはりそれはどうなんだという気もするニュースです。

息子そっくりな等身大ケーキ、出来映えに満足も切り分けるときに…。(2014年2月2日ナリナリドットコム)

先日、英国のある女性は誕生日を迎える4歳の息子に喜んでもらいたいと、“特別なケーキ”をケーキ屋に注文した。それは、そのお店だからこそお願いできた等身大のバースデーケーキで、贈られた息子も大喜びしていたそうだ。

英紙バーミンガム・メールなどによると、息子の等身大ケーキを作ってもらおうと考えたのは、バーミンガム近郊の街キングス・ノートンに住む23歳のシャンテル・ローズさん。先日、彼女の息子アルフィーくんが4歳の誕生日を迎えるにあたり、彼を溺愛する母は、近くの街ウォルソールで「Tasty Cakes」というケーキ屋を営むララ・クラークさんに特別なケーキの注文を出した。母が求めたのは、息子に似せた等身大のバースデーケーキ。そして、クラークさんにお願いしたのには理由があった。

なぜなら、クラークさんは人やキャラクターに似せたケーキを作る名人だったから。昨年、プロアマ合わせて150人の職人が集まった英国のケーキコンテストに90時間かけて作ったという、高さ約165センチの映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」の主人公ジャック・スパロウのケーキを出品し、見事優勝に輝いたほどの腕の持ち主だったのだ。そんな彼女はアルフィーくんの等身大ケーキの依頼を引き受けると、写真をもとに製作に取り掛かった。

体の基礎としたのは、積み重ねたチョコレートのスポンジケーキ。クラークさんは、まず13時間かけて1枚ずつ、12枚のスポンジケーキを焼き上げたという。そして、重ねたスポンジを削って体の形になるよう整えると、小麦粉や砂糖で周りをコーティングして色を付け、3日がかりで隣に彼が大好きなサルが寄り添ったアルフィーくんの等身大ケーキが完成。ただ、「写真から立体的なものにするのは難しかった」「一番時間がかかったのは頭の部分を削り出す作業」という彼女の話を聞くと、とにかく等身大ケーキ作りは大変な作業の連続だったことは間違いない。

しかし、クラークさん渾身のケーキは確実に依頼主を満足させたようで、一目見て「ケーキには見えなかった」ほど見事な出来栄えに魅了されたというローズさん。集まった皆で食べようとケーキを切り分けようとした時には、「息子の頭を切り落とすようで」変な感覚に陥りながらナイフを入れたという。

店のFacebookには、ケーキと並ぶアルフィーくんの写真なども紹介されており、同じような服を着て笑顔を浮かべている姿を見ると、母からのプレゼントに彼も大喜びしていたようだ。

そのそっくりさんぶりは画像を参照いただくとして、それにしても自分のそっくりさんが解体されて食べられてしまうという状況を当の子供はどう見ているのか、こういう経験の積み重ねが立派なブリ紳士を生むのでしょうか?
犯罪者を捕まえるために古来活用されているあのテクニックですけれども、これで何故捕まった?と話題になっているのがこちらのニュースです。

【まさかの発見】あの「警察が発表した似顔絵が面白すぎる強盗」ついに逮捕! 容疑者の顔写真も公開される!!(2014年2月2日ロケットニュース24)

以前お伝えした、「警察が発表した似顔絵が面白すぎる強盗」の犯人と思われる男がなんと逮捕されていた! 

発表されていた似顔絵は、小学生の描いた「優しいお父さん」風の、なんとも特徴のつかみづらい絵だった。それゆえ、実際の犯人が捕まったらどんな顔か見たいという声も多かったが、なんと地元メディアに容疑者の顔写真の画像がアップされていた!

・住居侵入や強盗の連続犯

容疑者の名前はグレン・ランドルス(32)。どうやら彼は、この件とは関係ない事件にも複数関与している凶悪な犯罪者だったもよう。今回の逮捕も先に別件で警察が捕まえ、その後に今回の強盗事件の容疑で再逮捕したという形だったようだ。

・「この顔」にピンときてしまった警察官

逮捕にあたって一番気になるポイントは、「警察がどのようにして容疑者を特定したのか?」だろう。実はあのボンヤリとした似顔絵が……なんとしっかり役に立っていたのだ!! 発表を知った町の警察官が「すでに被害届の出ていた別の事件の犯人像と似ているのでは?」と思い、捜査本部に連絡をしたというのだ。

・「優しいお父さん」ではなかった

容疑者の実際の写真は「優しいお父さん」とは程遠い存在……。似顔絵の、ちょっと人間離れした「クリクリおめめ」はどこにもなく、実物は切れ長の鋭い目。また似顔絵では1本線で描かれていた口も、実物はかなり分厚い唇をしていた。唯一、髪型だけは近いものを感じるかもしれないが、こんなシンプルな髪型は他にも該当する人は沢山いるはずである。
何はともあれ、凶悪な犯人が捕まったので一件落着である。そして、あんな似顔絵から犯人の特定に結びつけたという町の警察官の功績は表彰に値するレベルだ!

いや、これでピンと来る方もどうなんだというびっくり比較画像は元記事を参照いただくとして、それにしてもよく捕まったものですよねえ…
中国と言えば今どき少々のことでは驚きませんけれども、これは判ってやっているのかどうか?と大いに話題を呼んでいるのがこちらのお店です。

中国で機械翻訳のエラーをそのまま店名にして大恥をかく(2014年2月6日秒刊サンデー)

中国にあるとあるレストランが国を挙げての大恥をかいていることが判明しました。店の名前はレストランを意味する「餐庁」。その横に英語で「Restaurant」や「Dining Hall」ではなく「Translate server error」と記載されているのだ。なるほどちょっと面白いレストランの名前だね・・・。と思うのかもしれないが、実はこれガチで間違えてしまったという懸念があるのだ。
通常であれば「餐庁」を英語に直せば「Restaurant」や「Dining Hall」となります。ところがどうやら翻訳ツールを使ったのか書かれているのは「Translate server error」、つまりサーバ上で翻訳機能がつかえませんでしたということだ。おそらく接続のトラブルか何らかの障害が起きてそのような文言が出てしまった可能性がある。
ところが看板を作る際にそれに気付かなかったのだろうか、そのままエラー文を看板にけいさいしてしまったというのだ。これには中国をはじめ海外では大笑い。世界を上げて中国のこのレストランが、笑いものになってしまったのだ。
とはいえその影響で皮肉にも認知度は高まったようだ。

―404という意味合いでは?

もしあえて狙ったとするのであればこの店はサーバエラーつまり404を意味するということではないかという考え方もできるとの声も。つまりこの店は何らかの形で問題を抱えているのではないか。もちろんあえてそれを強調するという意味も分からないが、期待と想像は膨らむ。

―海外の反応

    ・ 404の食べ物ということだな。
    ・ 404の人ってことだろ!
    ・ 404のチキンってことで
    ・ 本当にダウンするということを期待したのに。
    ・ Googleによると、漢字は「餐庁」は「レストラン」を意味するらしいね。
    ・ アルファベット順の検索結果の上位になるのは素晴らしいトリック!
    ・ 何を食べさせてくれるのかな。
    ・ 実際にはレストランを意味するようですね
    ・ 「餐庁」ってのは中国語ではカフェテリアの意味
    ・ 私は今、中国語で「サーバーエラーを翻訳」の書き方を知っている。
    ・ ダイアルアップでこの画像何度も見た
    ・ 恐竜時代より古い画像だ。。。
    ・ 斬新ですよこのアイディアは。

その状況は元記事の画像を参照いただきたいところですが、少なくとも世界中にその名を知られたと言う意味では十二分に宣伝効果はあったのではないかという気がします。
最後に取り上げますのはご存知ブリからのニュースですけれども、ペットが3年も帰って来なければまあ普通の家庭では心配になるのが当然ですよねえ?

【海外:動物】迷子のネコちゃん、3年間パイ工場に潜み、たっぷり肥えて帰宅する(2014年2月7日日刊テラフォー)

行方不明になっていた飼いネコが、3年ぶりに自宅の玄関の前に現れ、家族は驚いた―3年ぶりに会う飼いネコは、随分と太っていたのだ。

ネコのフージーは、3年ぶりにイギリス・コーンウェルの飼い主の元に戻って来た。
3年前のある朝、何の前触れもなく突然に、フージーは姿を消していた。それからというもの、飼い主のヘレン・ジョーンズさんとフィリップ・ジョーンズさん夫妻はフージーのいない寂しい生活を送っていたが、先週の火曜日に、獣医によって発見されて、家に戻って来た。
当然ジョーンズさん夫妻は驚いたが、2人が驚いたのはフージーの長い時を経ての帰宅ばかりではなかった。
「フージー、やっと帰って来たんだね!・・・って、本当にフージー?かなり太ってない?」
そう、フージーは3年間も彷徨っていた割には、随分と肥えていたのだ。

そのドスコイ体型から推測するに、どうやらお腹を空かせたフージーは自宅から約48km先にあるパイ工場に辿り着き、そのまま3年間その周辺に潜んで生活していたようだ。
これから再び温かい家庭の中で生活するフージーだが、パイですっかり舌が肥えてしまったフージーは、普通の健康な食生活に戻るのに苦労しそうだ。

それにしてもネコの行動圏がこんなにも広いとはちょっと予想外なのですが、あるいは何らかの事情で遠くまで運ばれてしまったのかも知れませんね。
迷った結果パイ工場にたどり着いたのか、それともパイ工場を見つけた結果帰宅を放棄してしまったのかは何とも言えませんけれども、さすがに3年もパイ漬けで飽食したということなのでしょうか?

今日のぐり:「すし茶屋 吉祥 田町店」

岡山市内を走る電車通りに面した繁華な一画にあるのがこちらのお店なんですが、見ていますと持ち帰り寿司を看板に掲げる一方で、珍しい寿司の食べ放題があるようなんですね。
店内に入ってカウンターに座ってみますとなかなか本格的な感じがしますが、席数は寿司屋としては標準ですがこれで文字通り食べ放題にすると親父さん一人では捌き切れない懸念もあって、それをどうクリアするかが興味深いところですよね。
ちなみにシステムとしてはデザートも含めた一品料理を三つまで選べる上に寿司は随時任意でと言うことなのですが、原則予約制になっているせいか席に着いた段階で突き出し的に何貫か出されてくるようです。
ネタ自体は大きく見た目立派なんですが、作り置きなのか若干ネタが乾いてるかなと言うのが第一印象でしょうか。

何はともあれ肝腎の寿司なんですが、アジはわずかに生臭さが感じられるものの及第と言うところ、ヒラメはしっかりした食感に加えて旨味も十分で今日のMVPと言うところでしょうか。
シメサバは酢加減が強すぎないのはいいんですが、その分生のサバのくせは残るのが少し気になるのと、煮穴子も仕上がりが硬くなってしまったのは残念ですよね。
甘エビはこのサイズなら二尾付けにすべきかと思うのですが、甘エビらしい甘みが希薄で妙に水っぽいのが残念ですし、イカは歯ごたえだけはいいんですがイカらしい深みある旨味には欠けると言う感じでしょうか。
面白いのは玉子で、とにかく大きいんですが幅が広いんじゃなく縦に長い切り方というのは食べにくいもので、味はかなり甘口でいわゆるデザート的なのはいいんですが玉子の溶き方焼き方が少し乱暴な感じなのが残念ですね。
寿司としては全体的なネタの満足度は値段なりですが、握りの案配が持ち帰り寿司的に固めなのは個人的にちょっと残念でしたね。
単品ものではつまみ的なメニューのタコ唐は熱々のよく言えばクリスピー系ですが過剰に揚がり過ぎ、かつ塩加減も少し強すぎるでしょうか。
定番の茶碗蒸しは完全に蒸し器から出す時期を逸していると言うのでしょうか、出汁の味はまあ標準と言ったところだけにちょっと残念ですよね。
これまた定番の赤だしは魚だしが効いた潮汁的な味わいはいいんですが、これも長く火にかけているのか味噌汁として見ると味噌の風味は飛んでしまっています。
総じてネタ、握りともに回転寿司よりはさすがに寿司らしいですし、回転であっても腹一杯食べればそれなりの値段になることを思えばコスパも悪くないと思うのですが、システム的にやや難点も感じますね。

寿司は五十種類あると言うのですが、それらが全部載ったメニューはないらしい(少なくとも自分は見つけられませんでした)、なおかつ当日どのネタがあるかは頼んでみるまで判らないので、ネタケースなども見ながらありそうなものを頼むしかないようですが、その結果ありきたりなネタばかり頼みがちになってしまいます。
またシステム的に忙しいのは判るんですが親父さんも殺気だって機嫌も悪くなりがち(根はごくいい人のようなのですが)なのはお客にとってはかなりなプレッシャーで、オーダーも通りにくいですし見ていても気ぜわしくて落ち着いて寿司もつまめないですから、こういう時に対面のオープンキッチンは双方にとって不利なんだなと感じるところで、少なくとも大人数で行くのはお勧めしません。
設備面ではトイレはかなりなつぎはぎ感がありますが一通りの設備は揃っているものの、手洗いの蛇口が妙に判りにくいデザインになっているのが気になったのと、一応は真っ当な寿司屋っぽいナリなのに醤油さし等の卓上備品が回転レベルなのはちょっと興ざめですよね。
酒の品揃えなどをみてもなかなかに面白そうなので、親父さんの手が空いている時間に来て普通に食べた方が満足度は高そうな気がするんですが、まあそれにしてもあれだけの客数を当たり前に捌く回転って実はかなり偉大なんだなと改めて感じましたね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月10日 (月)

非常勤医はまともな戦力にならない?

医学部学生の男女比が限りなく半々に近づきつつある現在、医療資源有効活用の観点からも女医というものの扱い方には誰しも注目せざるを得ませんけれども、特に女性特有の妊娠・出産という現象に前後してそのキャリアが大きく分断されるということが昔から大きなハードルとして扱われています。
特に子供がいるともなれば未だ日本ではどうしても女性の側に育児負担が多くかかるためフルタイムの勤務は難しいというのももちろんなんですが、使う側にとってもこうした女医ならではの特性に留意すべきことも当然ながら、女医の側にとってもそれなりに不自由を感じているというのが現状であるようですね。

女性医師の「マミートラック」、どうなってる?(2014年2月6日日経メディカル)
より抜粋

(略)
 Aさんは、循環器科医としてキャリアを積んでいたが、出産して職場復帰した後、経皮的冠動脈形成術(PCI)を担当できなくなったという。「24時間オンコールで働けない私には担当させてもらえなかった」と憤っていた。

 別の日に出会った女性医師Bさんも循環器科医。子供がまだ1歳足らずで、「いま就職活動をしているけれど、第一線では働けないな……」とのこと。

 産後、職場復帰は果たしたけれど、キャリアアップとは無縁の仕事内容で働く母親専用のキャリアコースを「マミートラック」という。社会全体に目を向けると、35~44歳の働く女性の割合は今や71.3%と過去最高であり、子供を持ちながら働く女性はかなり増えてきた。
 そんな時代になって、産休・育休から復帰することから復帰後の仕事内容に関心が移り、マミートラックという言葉を新聞などで見掛けるようになっている。
 医師業においては「キャリアアップって何?」という部分からして様々な意見があるだろうが、お二方の場合、「(24時間オンコールでは働けないものの)それなりに長い時間を割いてしっかり仕事をしたい」という気持ちは滲み出ていて、仕事の特性、職場の文化、周囲の人の考え方、個人的な環境などから、満足のいく働き方をするのは難しいと考えているようだった。

 民間企業でも模索中の「働く母親活用策」、医師業界ではどうなっているのだろうか。十分戦力になる女性医師を戦力外にしてしまっている事例は少なくないのだろうか。
 「イクメン医師」の実情を伝える特集記事(Cadetto2013年秋号「イクメン医師、増加中!」)で行った医師対象のアンケート調査(有効回答数1276人)では、「育児と両立できるほど医師の仕事は甘くない」「育児は女性の仕事」といった自由意見が散見された。24時間365日働いてこそ、という職場の雰囲気が透けて見えるようだ。
 とはいえ、「イクメン医師、増えている?」という質問には、「増えている」「どちらかといえば増えている」合わせて45.6%と、半数近くの人がイクメン医師の増加を実感していた。(パートナーが医師で子供を持つ)女性医師に「ご主人(パートナー)はイクメン医師?」と聞くと、「はい」が46.4%に上った。医師業界でもイクメンは存在感を増していそう。
 徐々に若い医師の意識は変わってきたものの、主治医制が根強く残り、医師は一般的に長時間労働だ。AさんやBさんのように感じる女性医師は少なくない、というのが実態ではないかと思う。

 あるセミナーで厚労省事務次官の村木厚子氏は女性医師の活用に触れ、「(費用を投入して)育てた女性医師の4分の1が厳しいところから離れている。何とか活用してほしい」と言っていた。医師として一生涯働く女性が増えた今、女性医師のキャリアパスについていつかきちんと取材してみたいと思っている。

こういう話を聞くといささか本題と離れることは承知の上で、日本の医療現場もいつまで主治医制を続けるのだろう?と思わされるのですけれども、しばしば臨床現場でも見られることに能力も意欲も十分にあるが24時間365日の体制で働くことだけは出来ないと言った先生に、まさにそれが理由で誰にでも出来るような片手間仕事しかさせていないという職場がありますよね。
その結果として能力も意欲もまともに問われることなくただ24時間365日働けるというそれだけのファクターで連日激務を強いられている先生がいるというのもどうなのかですが、医療リソースの有効活用という点からもさることあがら、こちらで能力の高い先生が手が空いているのに向こうで見るからに一杯一杯になっている先生の手が空くのをじっと待たされる患者にとってもつらいものがあるでしょう。
こういうことは本来管理職の先生方がうまいことスタッフをやりくりして仕事を均等に割り振りしておけば誰もが幸せになれると思いますが、これが頭の硬い先生が上に立っていると「あの先生は非常勤だから外来でもやっててもらおうか」と患者も来ない診察室に一日押し込めて終わりと言うこともままあることで、その結果常勤医が未だに不平等とも言える長時間労働を強いられているのですから不平不満も貯まろうと言うものです。

激務変わらぬ勤務医 研修医「時間外が月200時間」(2014年2月7日中日新聞)

 病院勤務医の過労死裁判で、医師の過重労働が社会問題になったのは一九九〇年代後半。それから十数年もたつのに、労働環境の改善が一向に進んでいないことが、全国の勤務医労働実態調査で浮き彫りになった。当事者の話を聞くと、勤務医不足の中、懸命に診療にあたる姿が浮かび上がる。背景には、日本の医療の非効率な仕組みがあるとの指摘もある。

 「こんなふらふらの状態で患者さんを診て、本当に大丈夫なのか」。愛知県内の二十代男性の初期研修医は、研修先の病院で何度もそう思ったという。
 通常の診察に加え、症例報告会や勉強会、雑用で勤務はいつも深夜まで。帰宅後も救急などで頻繁に呼び出される。当直日は朝から通常勤務をこなした後、翌朝まで救急などの対応にあたる。引き続き昼間の勤務があり、夜の勉強会まで重なると帰宅は深夜になる。四十時間に迫る連続勤務。月五回の当直時間を含めると、ひと月の時間外労働は二百時間近くになった。
 研修医は過労で顔がむくみ、吐き気、しっしんなどに悩まされるように。指導医に相談したが「皆やってるんだから」「休めば病院が回らない」と人手不足を理由に取り付く島もない
 精神的にこたえたのは同僚研修医の態度。感染症をこじらせて休んだのに、「ばか、出てこい」と、携帯電話の向こうからなじられた。「こんな働き方、患者さんのためにならない。医師として成長できるとも思えない」

 二〇〇九年に医師らが結成した全国医師ユニオン(東京都千代田区)などは昨年、一二年に全国で実施した「勤務医労働実態調査2012」の報告をまとめた。回答した勤務医(研修医も含む)は二千百八人。それによると、「業務負担がこの二年間で変わったか」という質問に、「減った」と答えた医師が16・3%なのに対し、「増えた」は41・6%に達した
 七割の医師が当直を担い、うち八割は三十二時間以上の連続勤務をしていた。「多くの病院で労働時間が適切に管理されておらず、長時間労働や残業代不払いなどの労働基準法違反が起こる原因となっている」とユニオンの植山直人代表。勤務医の離職率は高く、慢性的な人手不足で過重労働が常態化し、医療事故が起こりやすくなるのを懸念する。アンケートで勤務医が答えた医療事故の原因の多くが、労働問題に関わる内容だった=表。
 調査結果からユニオンは、主に労働基準法順守の徹底や医師養成数の増員を厚生労働省に求めている。こうした課題は以前から認識されてきたが、その背景には、日本の医療の非効率な仕組みが問題という見方がある。

 社会保障に詳しい経済学者の八代尚宏・国際基督教大客員教授は「医療サービスの公平性を建前に、診療報酬が決められているが、価格が低く抑えられているため、病院事業者は患者数をこなして稼ぐようになりやすい」と指摘する。
 さらに本来は専門医療を担うはずの大病院に、軽症患者が自分の判断で受診できる仕組みが非効率を助長。かかりつけ医の紹介で大病院を受診したり、夜間当番医制度を活用したりするよう求めても、患者の行動を変えるのは難しい
 八代さんは「欧州では、救急を除き、患者は事前に登録した家庭医(総合診療専門医)を受診し、必要に応じて専門病院を紹介してもらわなければならない。こうした仕組みでマンパワーを有効活用すれば、過重労働を防ぎながら医療の質も高めることができる」と主張する。鍵を握るのは、病気を総合的に診断できる家庭医の育成。しかし、日本の医学界は臓器別の専門診療科教育を重視してきたため、医師に占める家庭医の比率はごくわずかだ。

面白いのは年々これだけのペースで医師が増えていて、しかも国策もあってか病院数は過去20年間で10数%も減ってきているのですから施設あたりの医師数はどんどん増えていてもおかしくないのですが、その割に仕事の割り増しが以前より増えたと答える勤務医が多いというのは医療需要そのものの伸びもさることながら、非常勤医やマイナー科医の伸びも大きな影響を与えているのではないかという気がします。
特に非常勤医と言えば近年そのあり方が大きく変わったものの一つで、かつてであればどこかで常勤をしたり大学で研究をしたりしている医師が医局人事で人手の足りない病院に週一回のアルバイトに出かけるといったスタイルが当たり前だったものが、今現在では麻酔科などを筆頭にどこにも常勤として勤めず非常勤だけで暮らしている先生が話題になったりしていますよね。
もちろん手に職を持ってどこに行ってもバリバリ仕事をこなす先生もいらっしゃいますが、一方でただ新聞を読んだりテレビを眺めたりでひたすら勤務時間が過ぎるのを待つだけという先生も未だにいらっしゃるようで、もちろんそもそもそうした職場に非常勤医が必要なのかどうかという議論もさることながら、非常勤でも出来る仕事をわざわざ常勤にやらせているのであれば人使いが下手だと言われても仕方がない気がします。
このあたりは使う側にも色々と意見があるようで「何かあったら来なくなるかも知れないから責任のある仕事は一切させない」などと公言する先生もいらっしゃるようですが、医者という仕事の場合世間一般とは逆に時間あたり賃金では非常勤の方がずっと高いということも決して珍しい話でもないだけに、一生懸命働いている常勤の先生からすると不平不満の貯まらざるを得ないところではあるでしょう。

記事にもあるようにいわゆるコンビニ受診に代表されるような医療需要の伸びも大きな問題ですし、何をするにも長々とした説明と同意がいる、書類仕事がやたらと増えた云々と昔と違ってとにかく医療が手間暇かかるものになってきたのも事実ですが、そうであるからこそ医師は医師でしか出来ない仕事に専念するのが最も効率よく病院経営に貢献できる道であるはずです。
全く同じように常勤医は常勤医にしか出来ない仕事に専念するのが(以下略)と言う理屈になるはずなのですが、どうもここで妙に昔気質の「患者は一人の主治医が責任を持って最初から最後まで担当すべき」などと言う考え方がそれを邪魔しているというのであれば、そもそも患者が入院を要するほど重症であった場合に加療に当たれない非常勤医に外来をさせたりするのもおかしいという話になってしまいますね。
もちろん実際に非常勤にも色々と面倒で手のかかる仕事をしてもらうためには、病院毎に全く違ったやり方で行われている医療環境や治療方針を共通のものとしていかなければ妙な事故が起こってしまう可能性が高まるでしょうし、逆に言えば他病院なりのやり方であってもそれを理解し受け入れる柔軟性が医師の側にも求められるということになりますが、そのためには非常勤の先生にも相応に努力も勉強も求められるはずです。
もちろん中には「俺は気楽なアルバイトのつもりで来たのに、そんな面倒なことを言うならもう来ないよ」と言い出す先生もいるでしょうが、逆に非常勤であっても勤務時間以外はしっかり頑張りたいという先生もいるはずですし、手術やカテ、内視鏡といった手を動かす系の仕事は続けなければせっかくの技術も忘れてしまうだけに、むしろ可能であればどんどんやりたいという先生は少なからずいるように思いますけれどもね。
その結果何か問題が起こった時に非常勤医がどう責任を取るんだ?と言う声もあるかも知れませんが、そもそも今の時代に何かあったときに医師であれ何であれ現場のスタッフ個人が責任を取らされるような病院は到底時代に追いついているとは言えないわけですから、この機会に組織内における事後対策方針の大々的な転換もあわせて図っていただいた方がよろしいのではないかと言う気がします。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2014年2月 9日 (日)

今日のぐり:「よりしま多幸半」

ちょうどロシアでは冬季オリンピックが始まったところですが、かねて「世界最強の国家元首」の異名を持つあのお方にまたも新たな伝説が加わったようです。

猛獣使いプーチン、ペルシャヒョウの子どもをてなずける。その後記者、襲われる。(2014年2月6日カラパイア)

 ロシア、プーチン大統領がソチ国立公園内の動物保護施設を訪れ、絶滅危惧種であるペルシャヒョウ(snow leopard(ユキヒョウ) と表記されていたが、ペルシャヒョウだそうだ)の子どもたちにと面会した。ここではユキヒョウの個体数を増やすための試みが行われている。
 プーチンは自らケージに入り、去年の夏に生まれた子どものうちの1匹、グロムを膝に抱き、頭をモフり、「俺たちはわかりあっている。お互いに好きなことがわかるんだ。」と語ったそうだ。

 ペルシャヒョウの子どもたちは大勢の人間がやってきたので興奮気味だったにもかかわらず、プーチンには無抵抗だったという。
 これでもう友だちになったと語るプーチンと、なぜかプーチンに抱かれるとおとなしいペルシャヒョウ。
 ところがプーチンの手から離れると暴れん坊となり、この時にいた記者1人が襲われ、手や膝を噛まれて血まみれになったのだそうだ。プーチンの命令なのかどうかはちょとよくわからない。

 ペルシャヒョウはヒョウよりも体躯は小柄で、体長100-150センチメートル。尾長80-100センチメートルほど。ソチに近いコーカサス山脈に生息していたが、1970年に絶滅。その後ロシアでは保護施設を設け、積極的にその個体数を増やす努力をしている。

元記事には各種画像に動画まで用意されているので是非ともご参照いただきたいところですが、まあ何と言うのでしょう、ヒョウの子供にとっても色々とストレスのたまる経験であったということなんですかねえ…
今日はヒョウをもふった大統領閣下の偉業に敬意を表して、世界中からちょっとそれはどうかと突っ込みが入りそうな人と動物との関わり合いを紹介してみましょう。

女性の頭にハリネズミ落下、270本刺さる リオ市街地(2014年1月18日朝日新聞)

 ブラジルのリオデジャネイロで、街を歩いていた女性の頭にハリネズミが落ちてくる珍事があり、女性は270本ものハリが頭に刺さって病院に運ばれた。ハリネズミは、そのまま逃走した。地元テレビ局グローボが17日、伝えた。

 報道によると、被害にあったのは地元の主婦サンドラ・ナブコさん。リオの市街地では、エサを求めて山から出てきたとみられるハリネズミの姿がしばしば目撃されているといい、今回はその一匹が、電線をつたって移動中に落ちてしまったようだ。

 ナブコさんはハリを抜く治療が痛かったと嘆きながら、「お年寄りや子供の頭に落ちてきたら、こんなけがではすまなかったでしょう。でも、私の頭がクッションになってハリネズミの命を救えたならうれしい」と話しているという。(サンパウロ=岩田誠司)

いやもうどこから突っ込んだらいいのか、自己犠牲とか無私の献身とか言った言葉では言い表せない暖かさを感じるニュースではあるのですが、W杯観戦に出かけようという方々はくれぐれも頭上には注意いただきたいと思いますね。
牛と言えば一般的には人間にとって非常に有用な生き物として知られていますけれども、まさかこんなしっぺ返しがあるとは思わなかったというニュースがこちらです。

牛小屋爆発…原因は「げっぷ」 独、90頭分のメタンガス充満(2014年1月28日産経新聞)

 ドイツ中部の町にある乳牛の飼育小屋で、牛のげっぷなどで排出されたメタンガスがたまって爆発する騒ぎがあった。英BBC放送などが伝えた。

 現地警察によると、小屋では90頭を飼育。当時、相当量のメタンガスが小屋の中にたまっていたといい、静電気で引火して爆発した。

 この爆発で小屋の屋根が壊れたほか、乳牛1頭がやけどして治療を受けたという。(共同)

まさかこんな理由で爆発事故が起こるとは誰も思わなかったでしょうが、聞くところによると牛のげっぷは今や地球温暖化を大いに促進すると危険視されているのだそうで、牛のげっぷどれだけ凄いんだという話ですよね。
野性に帰ると言えば一般的に動物にとってはよいこと幸せなことのように言われますが、実は必ずしもそうではないのか?とも思わされるのがこちらのニュースです。

6年間毛刈りを逃亡した羊「シュレック」が凄いと話題に(2014年1月30日秒刊サンデー)

6年間の逃亡生活の末発見された羊のシュレック(享年16)の姿が凄いと話題になっている。この羊は毛刈りを嫌がったのかそれとも自由気ままに生きたかったのか定かではないが、とにかく人目から逃れ結果的に毛が生え放題となってしまったということだ。とはいえ、野良羊は本来人の手が下ることもないので、すべてこのような姿になるかと思うが、それにしてもひどい姿だ。
シュレックは昨年話題となりネットなどのメディアでも取りざたされた。しかし16歳という年齢で亡くなってしまっていることはあまり報じられていない。死因は不明だが、逆に今まで毛の重圧に耐えながらもよく生きていたものだと感心させられる。毛の重圧よりも人間に「毛を駆られる」というストレスのほうが大きかったのだろうか、羊の世界の気持ちはわからない。

―毛を駆られて綺麗に

シュレック君が最後に発見された時は200着分のスーツが作れるほどの容量だったという。その重さ約27キロ。(60ポンド)かられた後は何ともきれいにそして、ほっそりとして以前のような貫禄がなくなってしまっておりますが、あまりの寒さに驚いて亡くなったというわけでなければよいですが。

―海外の反応

    ・悟空が戦うために思い胴着を脱ぐときのようだ。
    ・その羊は窃盗で逮捕される必要がある。
    ・このストーリーは私を幸せになったよ
    ・これは誰?
    ・彼は子羊であったようだね。
    ・6年間シュレックは、自由は何であったかを知っていた。
    ・たぶんすごい悪臭を放っていたと思う!
    ・そこで、彼らはスーツを作るのですか?
    ・これは、捕食者に対する枕鎧のようになると思います。
    ・草を食べたり触れたりしていたのに、よく削ぎ落ちないな
    ・私はこのビデオを見て覚えています。それはかなり面白かった
    ・本来羊はあまり毛が成長しないようですよ。

元記事には使用前、使用後の写真が載っていますので是非参照いただきたいと思いますが、しかしまあ日常生活に支障を来しそうな状況に思うのですけれどもね…
こちら人とイヌという有史以来の深い友情を物語るとして話題になっている写真なのですが、しかし本当にその解釈でいいのだろうか?と少し不安にもなるニュースです。

「空港で犬が寝ている軍人を守ってる…」かわいらしいと話題の写真(2014年2月5日らばQ)

アメリカの空港で撮影された、ある軍犬と兵士の写真が話題を集めていました。
なんと兵士は疲れて眠りこけていたのですが、それを守る犬の姿をご覧ください。
ぐっすり眠る兵士と、その上を覆い尽くすように乗っかっているジャーマンシェパード。
誰にも触らせないぞと言わんばかりです。
この様子がほほえましいと、海外掲示板には多くの人がコメントを残していました。

●左でカメラを構えているかわいそうな奴が家に帰ってみると、もう他の誰かが先に投稿していると気づくんだ。
↑そして怒るんだ。
↑そしてまた投稿しなおすんだ。
●これはインディアナポリス国際空港だね。
●うちの犬はいつも自分の上で寝ているよ。守っているといわけではなく、この犬も慣れない環境を怖がっているのかもしれない。
↑軍の犬だぞ
●あるいは、その犬は自分が優勢であることを強く主張しているのかも。
●空港で働いているが、昨日軍用機が降りてきた。幾人かの兵士が犬を連れていて、1匹は真っ黒のジャーマン・シェパードで撫でさせてもらった。その犬は自分の目をじっと見つめて、魂のすべてを見透かしているようだった。
↑「少しでも動いたら、お前は終わりだ」犬より
●こういう忠誠心は買えるものじゃないな。
●「これはオレのニンゲンだ。似たようなのがいっぱいいるがこれはオレのだ。」
●このストーリーを思い出した。
1900年代初期、フランスのサバティエ工場で労働者たちがでナイフを研ぐ仕事をしていた。巨大な回転研磨盤の前に腹ばいになって作業をしていた。経営者はコスト削減のために暖房を入れなかったので、ほとんどの労働者は犬を連れてきて、暖をとるため背中の上に横たわった。それが理由でサバティエナイフのロゴはグラインダーと犬があおむけになっているんだ。
●守っているのか、襲っているのか…
●守っているか、枕として使っているか…
●これが理由で猫を軍に使わないんだ。

犬の忠誠心に感心するコメントも多かったのですが、いずれにせよかわいらしいですね。
寝ている間もこんな風に守ってくれたら、どんな場所でもぐっすり寝られそうではあります。

いやまあ、元記事の画像を見る限り賢いことで有名なジャーマンシェパードですから確かに守っていたのかも知れませんが、守っているというにはいささか不自然に横柄な態度と言うのでしょうか、ねえ…
いつもながらブリからのニュースには驚かされますけれども、昨今賢いと評判のあの生き物にこんな利用法があったようです。

【海外:イギリス】教官はオウム!?教官席にオウムを乗せていた仮免運転手に厳重注意(2014年1月30日日刊テラフォー)

ウェストヨークシャーで、まだ仮免中の女性ドライバーが、教官を乗せるべき助手席に、オウムのみを乗せて走行していたところを、警察に摘発された。

今週日曜日の午前中、高速道路を走っていた50代のその女性は、スピード違反の疑いで警察に呼び止められ、車を停車させた。
そして、女性の車を覗き込んだ警察は、唖然としてしまった。
まだ仮免許しか持っていない女性は、そもそも高速道路を走ってはいけないし、一般の公道を運転する場合でも、常に運転免許を持っている人を教官として助手席に乗せなければならない。だが、女性の横に乗っていたのは、オウムだったのだ。

警察は助手席に乗ったオウムを写真に収め、Twitter で次のようにつぶやいて市民に喚起を促した。
「残念ながら、彼の飼い主は仮免許しか持っていません。オウムは仮免ドライバーに運転を教える権限がありませんので、飼い主の車は、我々警察によって没収されてしまいました。」
おそらく女性は後日、無免許運転とスピード違反の罪で処理されることになる。
高速道路でスピード違反ということは、女性は相当なスピードを出して運転していたに違いない。今回はただの笑い話で済んでいるが、もし女性が事故を起こしていたら、惨事は免れなかっただろう。
オウムは教官の真似をして指示を出すことはできるかもしれないが、残念ながら正式な車の免許は持っていないので、教官を務めることはできない。

それでもこの程度の珍事はブリでは普通のことと言いますか、教官が裸ネクタイの正装で助手席に乗り込んでこないだけむしろまともとも言えるかと思いますが、しかし50代で仮免で二重の違反ですか…
ともかくもそれでは正しいブリ的紳士とはどのようなものなのかと言うことを考察する意味で貴重な示唆を与えそうなのが、こちら最後に取り上げるニュースです。

【英国】「彼は羊に興味があった…性的に。」牛や羊を襲った男の裁判が始まる(2014年1月29日ミラー)

9月4日、郊外にピクニックに来ていたカップルが不審な男を発見しました。
ポール・ラヴェル被告(61歳)は裸で、手にはビニール袋を持っていたとされています。
目撃情報によれば、「被告の目線の先には牛と羊がいた。」そうです。

被告は何頭かの牛に近づいては性行為を試みましたが、全て成功しませんでした。
次に被告は別の場所に移動し、今度は羊を相手に”試して”みました。
目撃者は性器を羊に押し当てている様子を見たと言います。
被告は無理やりに羊を押さえ込んでいたとのことで、「被告の性的ないとは明白」とのことです。
検事は言います。
「カップルが目撃したことは、非常にうんざりするような光景だったはずです。」

被告はその後、横たわったままパンツを引き上げたものの、
別の羊が近づくと再びパンツを下ろしたそうです。
「彼は羊に興味を持っていた。性的に。」
ショックを受けたカップルにが通報したことで被告の男は逮捕されることとなりました。
被告は終始、黙秘しているとのことで、
また動物への性行為については否認しています。

手に持ったビニール袋が一体どのような目的で使用されるものだったのかが記事からははっきりしませんけれども、何と言いますかカップリング先を見繕うにしてももう少し見境が欲しかったところでしょうか?
しかし一流のブリ紳士たるもの牛や羊など手当たり次第というわけではなく、歴史と伝統に従ってラクダや山羊と交流を深めるべきだったかも知れませんね。

今日のぐり:「よりしま多幸半」

福山市内を走る国道から一本裏通りに入った場所にあるこちらのお店、魚がうまいと言うことで人気のお店なのだそうですね。
ちなみに一見すると隣にあるものが店の駐車場かと思うんですが、よく見てみますと月極と小さく掲示が出ているあたり、夜だとどこに停めるべきか正直判りにくいですね。
いろいろと面白そうなメニューもあるようなんですが、とりあえずはその日のおすすめをおまかせで出してもらうこととなりました。

おつくりはヒラメ、ブリにマグロ赤身といったところですが、季節ネタのブリなどもいい具合ですがマグロは若いものなのでしょうか、深みはないがすっきりした味わいが楽しめていいと思います。
焼き物のタチウオはこれまで見た中で一番立派と言うくらいに身厚なものなのですが、これだけ厚くても焼き加減も頃合いで塩がいい具合に味を引き出していますね。
天ぷらには車エビなど定番ネタに加えてシャコが出たのが珍しいと思うのですが、エビはこういう尾頭付きで天ぷらにすると頭が食べられる状態にまで揚げると身の揚げ時を逃す気がするのは自分だけでしょうか。
すでに小鉢にほぐしてあるワタリガニの身はきつすぎない甘口の酢でさっぱりいただけましたが、関係ないですがカニの身のほぐし方がさすがプロだなと妙なところで感心してしまいました。
大ぶりなカキはかぶら蒸しで出していただいたのですが、生だと少しばかり苦手なカキの強い風味をうまく抑えつつ味はしっかり残っているというもので、火の通り加減もなかなかいい具合ですよね。
雑炊は出汁はあっさり薄口ですがその分魚など具材の味も楽しめる感じで、全般に魚が売りだと言うことで確かにどれもうまいこと素材の持ち味が出ていると思います。

欲を言えば個人的にはもうちょっととんがったと言うのでしょうか、これは何だ?と思うようなメニューもあってもいいのかなとも思うのですが、まあそういうものはセットメニューではなく単品の枠になるのでしょうね。
一階席は大部屋ですが二階の個室は静かでスペースにも余裕があっていいと思いますし、トイレなど設備面もそれなりに整っているんですが、二階はいいのに一階のトイレが場所や造りなど妙に気を遣ってしまいそうな気がするのが少し違和感があるでしょうか。
接遇面では見ている範囲ではまずまず丁寧なもので及第なのですが、見えない部分でやたら駆け回る足音がバタバタとうるさかったり食器の音が響いたりともう少し配慮が欲しいところですね。
しかしこういう店だけにもちろん酒の品揃えもそれなりなんですが面白いのはむしろノンアルコール系で、あまり聞いたことのないローカル商品が多数あったりいわゆるノンアルコールビールやその類似商品がやたらと沢山そろっていたりと、見ているだけでも面白いなと思いますけれども、これら全品を制覇した人っているんでしょうかね?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月 8日 (土)

同人活動はプロより自由で儲かる?

先日の北海道の少女監禁事件で容疑者逮捕につながった目撃証言が「何冊も少女漫画を持った不審な男がいる」と言うものだったと報じられたため、全国各地から「偏見だ!」と言う抗議の声が上がったそうですけれども、ひと頃は規制論も真面目に語られるほどだった漫画ブームも近年やや落ち着いてきた感があって、雑誌やコミックの実際発行部数などもピーク時の半分ほどにまで落ち込んでいると言いますね。
その一方で億の単位でバカ売れする漫画もあると話題になっているくらいですから売れない漫画がどれだけあるのかと言うことなのですが、先日漫画業界の厳しい内情を物語るこんな記事が出ていました。

編集者批判から金銭事情の暴露まで…ブログやツイッターの出現で変化するマンガ家と編集者の“力関係”(2014年2月4日オタポル)

「今思い出しても地獄の日々です。」「これは、作家としての誇りの戦いなのです。」――今年1月下旬、『ふしぎ遊戯』などのヒット作をもつマンガ家・渡瀬悠宇さんが自身のブログで、『アラタカンガタリ~革神語~』を連載している「少年サンデー」(すべて小学館)の編集部員に対し、激しい不満を表明して話題となった。『アラタカンガタリ』において、当初の編集者だった“Iさん”なる人物が作家の意向を無視し、自分勝手なストーリー展開を押し付けたため意気消沈。一時はマンガ家をやめようと考えるほどまで追い詰められた様子が克明に語られていた(※現在、当該ブログ記事は削除されている)。

 出版社とマンガ家のトラブルといえば、2008年に『金色のガッシュ!!』カラー原稿紛失について作者・雷句誠さんが小学館を提訴した話が有名だろう。本人の旧ブログには当時の記事がまだ残されている(外部参照)。何人かのマンガ家が雷句さんに同調し、新條まゆさんもブログ中で同社の傲慢なやり方へ不満を述べた(外部参照)。

 出版社がマンガ家を抑圧し、ときには消耗品のように扱う――そんな風潮は昔からあったはずだが、一般読者にまで広く伝わるようになった背景には、ブログやSNSといった“ITツール”の普及が無視できない。マンガ家たちが出版社のフィルターを通さず、読者にナマの声を届けられる時代になったのだ。
(略)
 ブログやツイッター、SNSの出現によって、作家と出版社の関係をめぐる問題は広く取り沙汰されるようになった。さらに、こうしたサービスは“出版社への反撃”や“業界への問題提起”ツールとしてだけではなく、マンガ家がファンへ直接的に自身と自身の作品を売り込む“セルフプロデュース”ツールとしても大きな役目を果たしている。新刊発売やサイン会を告知する場として、日常のあれこれや創作論を語る場として、落書きやラフ画を掲載するファンサービスの場として……ITツールはとても有用に機能している。

 自分自身の言葉ではっきりとファンに心情を伝え、編集者から理不尽な扱いを受ければ公表できるツールをマンガ家が持ちはじめたのは、一部の出版社にとっては面白くない事態だろう。しかし「週刊少年サンデー」を例にとれば、今の発行部数はピーク時(1983年)の1/4以下、雷句誠さんの訴訟でイメージダウンした2008年と比較しても約40%の落ち込みを見せている。これは出版市場全体の縮小より、はるかに大きな下げ幅だ。クリエイターと出版社との“パワーバランス”が着実に変わりつつある現在、描き手の気持ちを軽視するような出版社には、今後さらなるしっぺ返しが待っているかもしれない。

書き手の不満は大きく分けて編集者らからの過干渉と報酬面での冷遇に二分されるのだそうで、前者に関しては先日あれほど大きく取り上げられたSTAP細胞なども実際の論文掲載までには散々編集者らからの過干渉があったと側聞しますから、やはり雑誌掲載という「他人のふんどし」で勝負している限りは他人の注文にある程度応じる義務が伴うのは仕方がないのかなと言う気もします。
金銭面ももちろん同じ事で、何しろ就業希望者だけは掃いて捨てるほどいるという超買い手市場ですから「気に入らなければ他所にどうぞ」と言いたい放題だと思いますけれども、少なくとも商業的に掲載され出版社にも儲けをもたらしているものに対しては相応に報われるべきだろうし、様々な面での創作者の権利擁護ということは今後業界が解消していくべき課題なのかなと思いますね。
ただ面白いなと思うのは記事にもありますように昨今こうした一方的とも言えた関係にどうやら変化が起こりつつあるということで、それはいわゆるブラック企業などに絡んでの内部告発などを見てもブログやSNS等を介してのネタバレ度は大変なものがありますし、今までの一方的な関係に慣れている業界関係者にとってはずいぶんとやりにくくなったなと感じているのではないでしょうか?
同時に何もそこまで嫌な思いをしてまでも既存の出版社と結びつかなくてもいいんじゃないか?と言う考え方もかなり広まっているようですが、先日出ていたこんな記事を読むと「実は出版社に持ち込んで商業出版を目指すってもの凄く損なんじゃ…?」と思ってしまいそうですよね。

《前編》コミケバブルはいつ弾ける? 同人誌ブームに潜む真実(2014年2月4日ぶっちNEWS)

出版不況なのに好況な同人誌

 出版不況が叫ばれて久しい。かつては「若者の活字離れ」などがその理由として挙げられていたが、どうやらそれだけではなさそうだ。売れていないのは書籍だけではない。活字媒体ではない「漫画」も売れていないのだ。今年2月には、老舗漫画誌の『漫画サンデー』が休刊。出版科学研究所によれば、2010年には23点、2011年には10点、そして2012年には14点の漫画誌が消えていった。
 しかし、商業漫画業界が悲鳴を上げるなか、同じ漫画でも「同人誌」界隈はいたって好況の様子。毎年2回、「夏コミ」と「冬コミ」が開催される「コミックマーケット」。1975年の創設以来、その道の趣味人から「コミケ」の名で親しまれる世界最大の同人誌即売会だ。昨年12月29日から31日まで東京ビッグサイトで行われた「コミックマーケット85」。その85回は動員が52万人、昨夏の84回が59万人、一昨年冬の83回が55万人と記録的な来場者数が続いている

 過去に行われた調査によると、コミケ一般来場者の平均購入額は、男性が33,740円、女性が30,100円。コミケ全体では、3日間で150億円以上の経済効果があるとされている。オタクブームどころか、もはや市民権を得た感もある。同人誌市場は、今後ますます拡大していきそうだ。
「売れっ子漫画家になって豪邸を建てる」というジャパニーズドリームは、もちろん今でも存在する。しかし、アニメやゲームなどコンテンツビジネスでヒットを飛ばし、数千万円~億単位の年収を得ている作家など、ほんのひと握りだ。一般商業漫画誌における新人作家の原稿料は、少女漫画が4,000~6,000円、少年漫画やヤング・アダルトで5,000~8,000円。有名漫画誌に連載を持つ、多少は名の知れた作家でも、年収は200万円以下なんてのはザラ。家を建てるどころか、ほとんどワーキングプアだ。

「壁際」の一部では年収1000万の作家も

 そんな夢のない話の一方で、同人作家の一部には年間に1千万円以上を稼ぐ者も多い(※1)(店舗委託・ダウンロード販売を含む。地道に儲からない同人活動をやっている人が大半だが、出展者の僅かとはいえ人気作家もそれなりの数存在する)。彼らの強みは、「直売」に尽きる。印刷代や運送費などはかかるものの、出版社や取次を介さないため、売上から必要経費を除いた額のほとんどすべてが自分の懐に入る
 しかも、商業誌のように販売数や利益を公にする機会がないため、納税を「チョロまかしている」者もいる(※2)。実際、2007年には同人作家・S(仮名)の脱税が発覚。3年間で約2億円の所得があったにもかかわらず、約2000万円と過少申告。支払うべき所得税6,750万円を免れたとして在宅起訴された。
 単純計算で、彼女の1年間の所得は6,666万円。一流企業の社長でも、これだけの額を稼ぐ者はなかなかいない。(当然だが税務当局も十年以上前から目をつけており、同人作家向けの確定申告に関するHPはいくつもある。また最近は同人税務の書籍も刊行されている)。
 漫画誌が次々に消えていくなか、年に6,000万円稼ぐ商業漫画家がどれだけいるか。あえて商業誌デビューを目指さず、同人誌で生きていく作家が増えているのも当然だ。

以前にも取り上げましたが表向き同人作家を名乗っていても中の人は実はプロ作家と言ったケースも少なくない一方で、名の知れたプロ作家が自作愛読者に対する読者サービス的に番外編を同人出版すると言ったケースもあって、とにかく今の時代プロ作家と同人作家の垣根が酷く曖昧になっていますけれども、注目いただきたいのは同人活動はプロ活動と比べて何かと自由なのは当然として、一面でひどく儲かる(あるいは、より儲けを出しやすい)という点です。
昔ながらのコピー機と手作業での製本と言った少数部数の薄い本でも大量に売ればそれなりに儲けは出るでしょうが、昨今では商業誌並みにきちんと印刷されたものもある(すなわち、それだけのことが出来るほど数が出る)ようですし、名前さえ知ってもらえばほとんど手間賃だけで丸儲けになるダウンロード販売という手もある時代なのですから、それは人気作家ともなれば儲かるでしょうね。
この辺りの税金面での扱いがどうなっているのかは税務署の仕事なので何とも言えませんけれども、少なくとも一部の作家においては素人がちょっと片手間に小遣いを稼ぐと言ったレベルで収まらなくなってきているのは事実のようですし、こちらの方を生業にしている人間も出ていると言うくらいには採算が見込める商業活動になっていると言うのは大変なものだと思います。
出版社を介さず自由に出版できるというのはこうした売り上げが手取り収入に直結するうまみもさることながら、前述の課題に即して言えば編集者らに余計な茶々入れをされない自由も確保出来るということであって、そもそも編集者が正しかったのか自分が正しかったのかが売り上げと言う形で明確に示されるという点では、やはり書き手の側としてはダイレクトに手応え(あるいは失望)を感じられる利点もあるのでしょう。

もちろん同人活動の自由度というのも薄氷の上に立つようなもので、以前にも取り上げましたように同人活動の大きな領域を占めているいわゆる二次創作というものが多くは著作権者に無断で出版されているという限りなくブラックに近いグレーな活動である以上、他人の土俵に乗っておいしいところだけ取っていると言う批判にも甘んじなければならないはずです。
日本においては歴史的にもプロと同人との垣根が低い(と言うより、混在している)と言う事情があるせいか、なるべくこうした二次創作活動に対しても緩く広く認める方向で運用がなされてきましたけれども、TPPによる規制強化がと言わずとも年中編集者に追い立てられ安い原稿料で働かされているプロ作家の一人が「あいつら実はケシカランのジャマイカ?!」などと当たり前の権利意識に目覚めるだけでも一気に大騒ぎになりかねませんよね。
知的財産権の考え方からすると少なくとも他人の作品を下敷きにして商売をするのであれば、原作の著作権者に対して何かしらの支払いなりのルールがあってもいいんじゃないかと思いますが、他方ではこうした同人活動の興隆を見た出版社側にとってもアンソロジー本などと言う形で半ば公式に同人活動を表の商業ルートに乗せるという共存共栄的な道も存在しているわけで、決してwin-winの関係が見込めないわけではないと思います。
一番馬鹿馬鹿しいのはいたずらに両者が紛争化した結果同人側が著作権問題の回避を狙って誰が見てもあの商業作品のあのキャラまんまなのに名前やキャラデザ、設定が微妙に違っている…と言った不毛な逃げ道に走ってしまうことかと思うのですが、考えてみると電子配信が当たり前になれば表向き別作品っぽい体で配信しておいて隠しコマンド一発で「原作準拠モード」に切り替える、なんてことも出来ないわけではなさそうですよね。
世界に誇る漫画文化が衰退するのどうこうと大きな話をせずとも、こうした活動に染まるような人であれば誰しも子供の頃から数々の名高い作品の描き出す世界にどっぷりはまって生きてきたでしょうから、そうした素晴らしい作品とそれを生み出した作者に対する敬意は最低限忘れないでいただきたいものです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014年2月 7日 (金)

介護の実態を知るためにもまずは経験が必要?

また妙な事件が起こったものだなと思うのですが、先日和歌山の介護施設で発生したこちらの一連の事件をご存知でしょうか。

介護施設の50人避難へ=薬投与か?低血糖で搬送-和歌山(2014年2月5日時事ドットコム)

 和歌山市中島の介護老人保健施設「ラ・エスペランサ」(中谷浩久理事長)で昨年12月下旬以降、認知症の入所者5人が相次いで原因不明の低血糖状態に陥り、病院に搬送されていたことが分かった。施設は5日、安全を確保するため5人がいた別館の入所者50人全員を他の高齢者施設に避難させる方針を決め、受け入れ先を探し始めた。

 県警和歌山東署は、何者かが血糖値を下げる薬を投与した可能性もあるとみて、傷害容疑で4日に施設を家宅捜索した。

 市によると、昨年12月22日、86歳と85歳の女性が低血糖状態で搬送されたのをはじめ、今月5日までに85歳と90歳の男女3人が同じ症状で入院した。いずれも命に別条はなく、退院した人もいるという。

事故というよりはいかにも事件性を感じさせるニュースなのですが、先日はアメリカで手術後の夫の点滴に排泄物を注入していた妻が発見され逮捕された、などというびっくり事件もあったらしいだけに、これまた何かしらの犯罪行為が絡んでいる気配は濃厚なのですが、そうなりますと誰がそれをやったのかと言うことになりますよね。
万一にも職員が関与していたなどという話にでもなれば「恐怖の介護施設!」などとマスコミから散々書き立てられることは想像に難くありませんが、いったいに医療や介護の現場におけるいわゆる虐待問題というのが騒がれることは昨日今日始まった話でもなく、以前にも認知症患者の爪のケアをしていたところ「老人虐待をする鬼看護師!」などとマスコミに叩かれ大騒ぎになった事件などもありました。
高齢者の胃瘻造設など諸外国から見れば虐待そのものだと言う指摘もあるくらいに医療・介護行為と犯罪的行為との切り分けは中々に難しいところがありますが、それでももちろん医療・介護の常識から見てもそれは問題だろうと考えられるケースも(控えめに言っても)決してないわけではなく、その理由としてスタッフのモラル(倫理)低下以上にモラール(士気)の低下があると言う指摘もあるようです。
士気低下に関してまず言われるのがいわゆる3K問題で、人材不足の深刻化に伴い医師や看護師など医療専門職の給与は近年上昇傾向だと言いますが、介護スタッフなどは上昇傾向とは言え未だ全般的に低賃金の傾向にあり離職者が続いているとも言うもっともな指摘もある一方、実は低賃金以上に士気を下げているのは職場における人間関係なのではないか?と言う話もあるようですね。

介護の虐待はなくなるか?(2014年1月8日日経ビジネス)より抜粋

(略)
三原:でも、現場をウオッチしている限り、低賃金だけが辞める理由ではありません。確かに全産業平均で見れば介護職の給与は低いのですが、何で辞めているか理由を聞いている「介護労働安定センター」の調査を見ると、「人間関係」が24%ぐらいで一番多い。「経営理念に対する不満」も同じく24%で2位になっています。「低賃金」を理由に挙げる人は17%ぐらい
 やっぱり人間関係が悪かったり、経営の理念がしっかりしていないところが多いのではないかと感じます。例えば人間関係でいうと、「閉じられた空間」の仕事なので、利用者との関係もあるし、それから職員同士の関係も影響していると思います。
 例えば、こんな現場の話を聞きました。介護職のAとBとCというベテランヘルパーさんがいます。この人たちは、みんなばらばらに経験を積んでいる。そこに、新人Dが入ってきて、Aという人の話を聞いて仕事をしたとします。その後に、シフトでBが来ますよね。そうしたらBは「何でAのやり方をやるんだ」と怒る

なるほど、人によってケアの仕方は違うわけですね。

三原:AとBとCは、見掛けは仲がいいんですよ。だけど仕事のやり方が気に入らないから、「何でAさんのやり方をやるの」と言う。そこで新人Dは、1週間かけてBのやり方に変えて、今度はCの下に入ったら、「何でBさんのやり方をやるのよ」と言われる
 閉じられた空間で、すごく自分のやり方に凝り固まっている。だから介護は本当に十人十色のケアがある。ケアの内容や要介護者との関係も人間性が現れます。だから、どれが悪いとは一概には言いにくい。

なるほど。そこで、「法人の理念」とか、標準化したケア手法がしっかり決まっていることが重要だ、と。
(略)

なかなかに示唆的な話だと思うのですが、例えば病院でこれまでA大学系列の医師主体で回していたところが今度はB大学から入ることになった、そうするとA大学系列の医師が一斉に辞めてしまうと言うことは珍しくないことで、もちろん大学医局が手を切って医師を引き上げただとか、系列医局が変わって出世の目がなくなった以上残る意味がないだとか様々な理由はあるでしょうが、今時は大学人事でない医師も少なくないわけです。
そもそも大学人事とあまり関係ないような小病院でも同様の話が結構あると言うのは、やはり日本では古来医療と言うものは医局単位で長年積み重ねられていて大学によってどころか同じ大学でも医局が違えば治療方針も異なると言うことが珍しくなかった、そのために流儀の異なる人と一緒に働くのは非常にやりにくいという現実的な問題もあるということですよね。
興味深いのは近年ご存知のように新臨床研修制度というもので新卒医師は大学医局からの派遣ではなく全国各地の病院に勝手に就職していくようなシステムになった、そして院内においても各科ローテート研修を行うようになった結果、とにかく今までとは段違いに異なる流儀に接する機会が増えてきているわけです。
同じ病気に対する治療法でも母校と研修先とでは違うし内科と外科でも違うと言うことを当たり前に知るようになった医師達の価値観がどのように変化していくのかと言うことですが、実は彼らに教える側にとってもチャンスであって、よほどに頑固に凝り固まった先生でもなければ研修医を介して他者の知恵や経験を取り入れようとするだろうし、最終的にそうしたものの集積が医療の標準化にも結びついていくかも知れませんね。
いささか話が脱線しましたけれども、やはり医療や介護という業界は極度なマンパワー集約型産業である以上大抵の問題は人間関係ということに帰結してくると言えそうですし、閉鎖的な空間で一般人にはよく判らない作業をやっているせいか職員が結託して隠蔽している!と疑心暗鬼に駆られる人もいるようですが、実は先日「完全に全国民に開かれた介護システム」を提唱する意見が出ていて興味深く拝見したところです。

「徴介護制」が問いかけるもの カネを使わない福祉の可能性(2014年2月5日日経ビジネス)より抜粋

(略)
 現状でさえ、介護現場は人手不足にあえいでいる。介護労働安定センターが実施した2012年度の「介護労働実態調査」によると、職員が「大いに不足」「不足」「やや不足」しているとした施設の合計は全体の57%を占め、2011年度から4.3ポイント増えた。
 重労働なうえに、一般的に待遇は良くないとされ、同調査では、管理者を除く職員の平均月給は21万1900円。介護の収入では家族を養えないと考えた男性職員が、結婚を機に退職する「寿退社」も、業界では珍しくない
 より良い老後を過ごすためには、一体どうすればいいのか。自分だけのことを考えれば、宝くじでも当てれば問題は解決するのかもしれない。だが、周囲の多くの人が悲惨な老後を送るようになるとすれば、そんな社会に住みたいとは思わない。

 そんなことを漠然と考えていたところ、最近、ある1つのアイデアに出合った。その名も「徴介護制度」。簡単に言えば、国民の多くに一定期間、介護事業に従事してもらおうという仕組みのことだ。
(略)
 私が「徴介護制度」というタイトルの著作物があることを知ったのはこの1月のことだ。仕事で関連のことをインターネットで調べていたら、たまたま出くわした。ちょうど広く薄く、介護従事者を増やす必要があるという思いを抱いていたところだったので、目に留まった。興味を引かれ、一通り目を通した後、私は著者である古閑比佐志氏に会いに行った。
 古閑氏は脳神経外科の専門医。現在は中国福建省に昨年新設された病院に勤める傍ら、東京都内にある「岩井整形外科内科病院」でも診察を続けている。氏が「徴介護制度」を書いたのは、2011年のこと。きっかけは、2008年に78歳だった父が病気にかかり、介護が必要になったことだったという。
(略)
 「今の日本では、公共性や福祉について真剣に考える機会があまりに少ない。どんな形であれ、若年層の協力がなければ介護は成り立たないのなら、若い人たちに介護や福祉に触れる機会を与え、考えてもらうべきではないでしょうか」。古閑氏はそう言う。
 古閑氏が提案する制度の概要は、下記のようなものだ。

    (1)例外を除くほぼすべての国民に、一定期間の介護ボランティアへの参加を課す
    (2)徴兵制とは関係ない(兵役の代替として課すものではない。蛇足ながら、古閑氏は徴兵制に反対する立場)。
    (3)専門技能がない制度参加者は、簡単な家事代行や専門職の人材の補助を中心業務とする。豊富な労働力を現場に投入して専門職の人材にかかる雑務の負担を減らし、彼らが高度な介護サービスに専念できるようにする
    (4)年金などに関連付けて、参加者の利益を担保する

 そしてこの制度をより有効に運用するために、介護を高校のカリキュラムで必修化し、大学入学の要件にすることなども同時に提案。コストを抑えながら労働力を確保し、福祉や公共に対する生徒らの理解も深める。彼らがその後の人生において、主体的に関わっていけるような契機にするのだという。

 パッと聞いただけでも、この仕組みの欠点や課題はいくつも思いつく
 専門技能者でない人材が介護をすることで起きる事故のリスク。過酷な現場を体験する若者への精神的なケア。人間関係に起因する様々なトラブル。管理の仕組みの構築。そして、個人に対して国家権力があまりに強力な新たな義務を課し、一定期間とはいえ自由を束縛することに対する反発などだ。
 古閑氏は著作の中で、介護保険料など公的な数値を用いながら、制度の利点についてより詳細に説明してはいる。だが、ここに上げた問題が一切生じないとは、主張していない。
 むしろ会話の端々や文章全体からにじみ出てくるのは、自らの提案の不完全さは自覚しながらも、それをたたき台にして、「特に若年層の意識を高め、今まで到底なし得なかった協力体制を社会で築いていこう」という意志だ。
(略)

古閑氏はドイツ留学中に彼の地の徴兵制を目にしたことがこのアイデアの源流になったようですが、もちろん指摘されているように実施にあたっては問題も多々あって現状で直ちに実行に移すには支持も少ないと思われますけれども、要するにその基本となるのは「いくら理屈をこねくりまわしても実際に自分でやってみないと本当のところは判らない」というシンプルな考え方であるように思います。
医療の世界に古来言われる「遠い親戚」問題というものがありますが、別に遠い親戚でなくともたまたま見舞いに来たら痰が絡んでいるのに放置されていた、なんて酷い施設だと言いたくなる瞬間は誰でもあると思いますけれども、実際にはスタッフは何十人もいる患者それぞれの状態に応じて評価をして、限られたリソースをトータルとして最も有効な結果が得られるよう順番に処置を行っているわけです。
もちろんその結果たまたま運が悪いことが重なって誰かが痰が詰まって窒息したといった事態に至るかも知れませんけれども、少なくとも何らのリスク評価も行わず声の大きい人ばかり優先して処置を行っているよりは大勢の人々の安全が向上しているはずで、それは放置しているとか虐待しているとか言った話とは全く違ったことであるはずですよね。
もちろん同室の患者にすら興味も関心もないタイプの方々にとってはそうした話はどうでもいいと言われるかも知れませんが、いわゆる「何も知らない顧客がぼられる」のを防止するという意味からも一度皆で経験してみるというのは意味あることでしょうし、医療介護に限らず何であれ利用する一方では見えてこないものが沢山あると言うのは当たり前である以上やってみれば今までとは見る目線が変わるということは大いにありそうですね。
遠い親戚の問題も結局は普段から介護など面倒な部分を親族に押しつけてきた後ろめたさが過剰な攻撃的態度として表れるのだと言うもっともな指摘もあるようですが、いわゆる救急医療のコンビニ化なども「素人には何が重症か判断出来ない」という好意的な?意見もあるわけですから、若いうちから人の生き死にも関わる現場に出て一定の修羅場?を踏んでおくというのはそういう点からもよい経験になりそうな気はします。

| | コメント (9) | トラックバック (1)

2014年2月 6日 (木)

携帯の危険性が叫ばれる中で例外的に規制緩和に動き始めた医療業界

ネタのような本当の話と言うのでしょうか、先日こんなびっくりするような事故が報道されていました。

深夜の飲食店、携帯見ていて階段から転落、町長死亡 北海道・むかわ町(2014年1月31日産経新聞)

 31日午前0時半ごろ、北海道むかわ町末広2丁目の飲食店ビルで、2階から1階に下りようとしていた同町の山口憲造町長(65)=同町福住=が階段から転げ落ちた。頭を強く打ち、病院で死亡が確認された。死因は急性硬膜下血腫だった。

 道警によると、山口町長は知人らとビル内の店で飲食していた。携帯電話を見ながら階段を下りていたという。消防によると、約2メートルの高さから転落した。

 山口町長は平成11年から旧鵡川町長を2期務めた後、合併後の18年、むかわ町長選で無投票当選し、現在2期目。

ともかく携帯電話のながら使用というものの恐さを改めて思い知らされたような気がしますが、携帯電話の場合昨今何かと話題になる使用マナー上の問題もさることながら、昨秋にも歩き携帯による踏切での死亡事故が報じられたようにこういう物理的危険の原因ともなりかねないというのは改めて認識しておくべきですよね。
統計によると交通事故が年間14000~15000件程度、そのうち携帯電話の絡んだものが50件程度と言いますから決して圧倒的に多いという訳ではないのですが、特徴的なのはその大多数を追突事故が占めているという点で、一般事故における追突の占める割合が4割程度に留まることを考えると前方不注意に大きく関与する因子となっているように思えます。
今回の事故もまさに前方不注意が事故原因と考えていいと思いますけれども、アメリカなどでは事故を起こした運転手の携帯を没収出来るという法案が出されたり、事故を起こした運転手にメール等を送っていた側にも損害賠償が求められたりと言ったケースもあるようですので、今後日本でも場合によっては民事上の争点としてもこの携帯電話というものが浮上してくる可能性もあるかも知れませんね。
ところで携帯と言えば医療機器の誤作動を招く可能性があるということで、長年「医療機関では携帯の電源を切る」というルールが広く知られていましたけれども、実はこちらの方では世間の流れとは逆に規制緩和が進み始めているというニュースが最近出ています。

病室・診察室、携帯OKに…誤作動の恐れ低く(2014年2月3日読売新聞)

 病院などで携帯電話を使うことを認める新たなルール作りが産学官で始まった。

 電波環境協議会(会長=上(かみ)芳夫・電気通信大名誉教授)が6月をめどに新たな指針を医療機関に周知する。現在、病院内では携帯電話の電源を切ることが求められる場合が多い。新ルールでは、医療機器から離れた病室や診察室などでの携帯電話の使用は認める方向だ。

 協議会には総務省や厚生労働省、有識者、通信・医療機器業界が参加し、携帯電話の電波が与える影響などを検討している。1997年には「携帯電話の電波が医療機器の誤作動を招くおそれがある」として、手術室などに限らず、診察室や廊下など病院内では電源を切るべきだとの指針をまとめた。指針に従う義務はないものの、現在も多くの医療機関は当時の指針に基づいてルールを作って運用している。

 協議会がルールを見直すのは、携帯電話の電波は以前より弱くても、遠くまで届くようになったほか、人工呼吸器や、人工透析などに使う医療機器も、電波の影響を受けにくくする対策が進み、誤作動が起きる恐れが低くなったためだ。

すでに数年前から医療現場では(少なくとも部分的な)携帯解禁が進んできたという事実もあるのですが、一体にこの携帯電話の医療機器に与える危険性というものがどの程度のものなのかと言う点は平静24年に開かれた第一回の「電波の医療機器等への影響に関するWG」でも言及されていて、「国内でも国外でも携帯の電波による干渉事例は確認されていない」と結論が出ています。
携帯の普及期には電波によって輸液ポンプの設定がリセットされるだとか様々な危険性が言われていましたが、実際には密着した状態で電波をがんがん送信でもしないことには問題になるような影響はないようで、そうした干渉が起こるような条件で携帯を使用するというのもまず考えられない以上、機器側の対策も進んできた現在ではほぼ問題なくなったと考えて良いのでしょうね。
現実的にもっとも接近して使用される可能性があるのはペースメーカー等埋め込み型機器の場合だと思いますが、海外における一般的な指針である「15cm以上離して使用する」という条件でも全く問題なかったと言うことであれば実際の使用上はまず問題ないと思われますし、WGにおいても過去の過剰とも言える規制は科学的根拠に基づくものではなく患者団体側の申し入れによる「社会的規制」であったと認めた格好です。
「それでも不安が」という声もあるのは理解出来ないことではないにしても、例えば先日も病院待合室の椅子の下から旧軍の爆弾が見つかると言うびっくりニュースがありましたが、だからと言って「万一に備えて病院の椅子の下に爆弾を置けないよう対策を求めるべきだ」などという規制論が出てこないように、社会的に見て無視してもいいほど小さなリスクに万人を巻き込む公的規制という方法論は適当でないと言うことでしょう。
その上でどうしても個人として心の平安を求めたいと言うのであればいたずらに社会全体に不毛なゼロリスク追求を強いるのではなく個人防衛によって行われるべきでしょうし、「放射能汚染が怖いから海外移住する」などと言う話が実際にあることを見ても個人の選択の自由として十分それは行えるものではないかと思いますね。

つまるところ純科学的に見れば通常使用するようなやり方で医療機器に悪影響があるということはまず考えられず、まして電話使用時には病室から離れると言った一般的なマナーを守っていれば何ら支障はないと言っていいと言うことなんですが、他方で積極的に携帯使用を認めるメリットというものも近年注目されるようになってきているところですよね。
一体に現代の若者は新聞やテレビのような一方的な受信型メディアには重きを置かず、ネットやSNSと言った双方向型メディアに注力しているのは周知の通りですが、彼らにとってはメールやメッセージのやり取りが外部との重要なコミュニケーション手段である以上、病院内で物理的に外部環境から隔離された上にさらに電子的にも隔離されるということは非常なストレスをもたらすということです。
ヒキヲタにとってはネットさえつながれば家にいるのも病院にいるのも同じ、などと言うケースはさすがに極端な例ですが、娯楽と言えばネットゲームやソーシャルゲーム、ニュース等の情報はBBSやまとめサイトで収集し友人とのやり取りはメールにSNSと言ったタイプは昨今決して珍しくないだけに、環境が激変しやすい入院生活においてこれらを維持させることは非常な安心感につながることは容易に理解出来るところです。
また昨今では医療現場においても個人端末使用が当たり前になってきましたが、患者にとっても医師ら専門職からの説明でちょっと理解出来ないことをネットで情報を仕込むと言ったことはごく当たり前に行われていることであって、こうした相互意志疎通の手段としてもそれがあるのとないのとでは大違いですし、医療側にとっても説明に余計な手間暇をかけるよりは勝手に自習してもらった方が都合がいいという側面もあるでしょう。
要するにそれが可能であるならなるべく病院内でも普段通りの快適な生活を送ってもらった方が患者の精神衛生上良いという当たり前のことが、ごく小さな道具一つでそのかなり大きな部分が済むようになったのですから全く良い時代と言えますが、無論使用可能になったからと言って病人の集まる場所で大声で話すなどマナー面は全くの別問題であり、未だ「社会的規制」の対象となっているのは変わらないと言えますね。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2014年2月 5日 (水)

教育現場におけるある種の配慮の現状

最近は社会全般にやや辛口の風潮が広がっていると言うのでしょうか、教育方面でもゆとり教育の見直しと言うことが言われカリキュラムが厳しくなってきているようですが、その一方でこんな「優しい」意見もあると言う記事が出ていました。

中学入試は早生まれが不利にならぬよう配慮必要と教育専門家(2014年2月1日NEWSポストセブン)

 1月から4月1日までに生まれた、いわゆる「早生まれ」の子供たちは、特にスポーツ面で不利だといわれてきた。だが、周囲の「早生まれは不利」という考えが、子供の可能性を摘んでしまう傾向は、教育面でもいえる。
 これについては、一橋大学大学院経済学研究科・川口大司教授(労働経済学)の『小学校入学時の月齢が教育・所得に与える影響』のレポートに詳しい。

 総務省の就業構造基本調査(2002年)の100万人のデータを基にして、25~60歳の男女を対象に分析したところ、最終学歴(平均教育年数)は、3月生まれが4月生まれより、男性で0.2年、女性で0.1年短いという結果が出たという。川口教授が語る。
早生まれの子供は、小学校入学の時点で、4月生まれの子供に比べて幼いため、学習や社会的な活動といった側面で不利になるという可能性が指摘されています。
 実際に同じ学年に所属する児童の中で、月齢の高い者よりもテストの成績が悪いといった結果は、世界中の研究者がほぼ一貫して報告していることです。

 実は中高一貫校では“4月生まれの生徒の数が3月生まれの倍だった”という例も多く確認されています。これは小学6年時に横並びで試験を行なうためです。
 小学校入試では誕生月で差をつけるケースがあるが、私はこれを中学入試にも適用し、早生まれの者が不利にならないような配慮が必要であると思います」
 また、周囲の教員にも責任があると川口教授は語る。
「教員などが早生まれの子供に対し、早い時期に“あなたはできない子だ”という烙印を押すケースが多いが、教育現場ではこうした決めつけをしないように注意する必要がある。
 早生まれであることの不利は、学年が上がるに従ってなくなっていくことも確認されています」

不肖管理人の知り合いの一人も早生まれなのですが、小学校時代は多数の保護者からから「あの子とだけは同じクラスにしないでくれ」とクレームが舞い込むほどの問題児だったそうですが、今は立派に更正?して社会人としてやっていると言いますから、記事にもあるように「早生まれであることの不利は、学年が上がるに従ってなくなっていく」と言うのは全く以て納得のいく話です。
逆に言えば小学校や中学校の時点で学年単位でのお受験による選抜が妥当なのかどうかで、早生まれであるにも関わらず周囲に劣らない成績をあげられる子は非常に伸びる可能性があるのだからむしろ優遇すべきだとか、一年単位でなく月あるいはシーズン単位で区切って成績を評価した方がいいんじゃないかとか、こと平等と言うことに関して言えば色々と対策は考えられますよね。
ただ教育の場において平等であることが必ずしもいいのかどうかと言う視点もまた存在していて、誰しも教科毎に得意不得意はあるでしょうに数十人というまとまった単位で同じ内容を横並びで学ぶというのは、理解出来ている子にとっては退屈で成長の余地をスポイルすることになるでしょうし、理解の遅れている子にとってもついていくのが難しくこれまた退屈だと言うことになりかねません。
その点で昔から教育は習熟度別にすべきではないかと言う意見は少なからずあって、これに対して日頃個性を重視した教育の重要性を唱えているような進歩的な方々ほど熱心に反対論を繰り広げる傾向があるというのはなかなかに興味深い現象だなと思っていたところでしたが、先頃国から公立中学校でも習熟度別教育を取り入れるという話が出てきたようで、予想通り大いに議論を呼んでいるようですね。

中学英語の「習熟度別指導」全国拡大検討へ(2014年2月3日読売新聞)

 文部科学省は、一部の公立中学校で行われている英語の「習熟度別指導」を、全国的に広げて実施できるよう検討を始める。

 生徒の理解度に応じた少人数グループによる指導で学力向上を図り、2020年度に実施を目指す中学での英語による英語授業に向けて弾みをつけたい考えだ。今月上旬に有識者会議を発足させ、今年夏をめどに、すでに導入している中学校での効果を検証し、提言をまとめる

 公立中では、アルファベットの読み書きが困難な生徒と、日常英会話が堪能な生徒が混在し、教員から「授業が進めにくい」との声が出ている。一方、習熟度別指導を導入している中学校では、生徒の理解度向上や学習姿勢の積極化などの効果が見られるという。

 こうした現状を受け、習熟度別指導では、例えば、1クラスを複数の少人数グループに分割。苦手な生徒にはアルファベットの書き方など初歩的な内容で基礎力の定着を図る。得意な生徒には、より高度な読解や作文など発展的な学習に取り組ませる。


習熟度別授業に賛否 日教組の教研集会(2014年1月28日47ニュース)

 「学習への意欲が高まった」「差別につながる恐れがある」-。学力低下への懸念が広がる中で奈良市を中心に開催された日教組の教育研究全国集会。28日までの期間中、各分科会などでは、理解度によってグループ分けする習熟度別授業をめぐり、教師たちの賛否が割れた

 導入例が多く報告されたのは算数・数学や外国語の分科会。導入している教師は「授業にも出なかった生徒が『もっと授業を増やしてくれ』と言うようになった」(中学・数学)、「中1でも割り算ができない子がいるという現実を何とかしなくては」(同)と効果や切実な背景を訴えた。

 これに対し、子どもの競争心や差別感をあおるとの批判が相次いだほか、学力問題のシンポジウムでは「できるクラスの生徒が『おれはばかクラスじゃなくてよかった』と言っている」という例も紹介された。

習熟度別授業に批判集中 日教組教研集会閉幕(2014年1月26日47ニュース)

 埼玉県内で開かれていた日教組の教研集会は26日「子どもたちに平和な未来を手渡すために、憲法・教育基本法の理念を生かす実践を進めることを決意する」とのアピールを採択し、3日間の日程を終えた。

 学力問題や算数・数学の分科会では、子どもの理解度に合わせてクラスを分ける「習熟度別授業」に批判が集中した。

 学力の分科会で、北海道の男性教員は「自分も高校時代に能力別授業を受けた。『あほクラス』と呼ばれ卑屈な思いをした」と話した。沖縄県の教員も「欧米では1980年代に失敗した考え方だ。日本はその分析もせずに導入している。少人数授業と混同されている面もある」と指摘。

 「子ども同士の学び合いや学級集団としての成長を分断している」とする声が圧倒的だった。

それぞれの学童が教科によって得意不得意があるのだからレベルに応じて教えてもらえるのが当然と言う意見もある(特に算数・数学や英語ではこうした差が大きいと言います)一方で、しょせん教師が楽をするためのシステムに過ぎないと言った意見もあってまさに賛否両論ですけれども、厚労省によれば公立小学校の78%、中学校の68・5%が採り入れていると言いますからすでに「やるか、やらないか」の話ではありませんよね。
となればどのような方法論がよりよい教育効果を上げるのかと言うことと同時に、やはり公的な教育とは言っても今の時代は顧客満足度向上と言う視点もどうしても無視出来ませんから、当事者である学童や保護者にとっての満足度がどうなのかと言う観点も必要かと思いますが、面白いのは全国学力テストなどの結果から見ると成績上位者に対しては効果がある一方で、成績下位者に対してはほとんど効果がないとも言うことです。
この理由として成績下位グループにはもともと学習能力が低い者、あるいは素行等に問題があってそもそも学習する意欲に乏しい者が集まりやすい傾向があり教育効果が乏しいという説に加えて、(主にカリキュラム等の兼ね合いもあって)結局グループ分けをしても同じ内容・同じ進度で授業をするので教育効果が上がらないのだという説もあってどちらもそれなりに頷けるものがありますが、では子供目線で見るとどうなのかです。

例えば学習能力は低いけれども学習意欲は高いという子供がいた場合(こうした子供はしばしばイジメなどの対象にもなりそうであると想像し得るところですが)、別室で問題児と隣り合わせで隔離されたのではおちおち勉強もしていられないでしょうから、放っておいても学べる成績上位者よりも成績下位者ほど細かいクラス分けが必要になるはずですが、これまた「うちの子を不良と認定するのか!」と言われかねない側面はありそうです。
また本当に学習能力に乏しい相手にカリキュラム通りの授業を進めて結局何も身につかないよりは、カリキュラムを無視して(あるいは、一部だけを抜粋して)徹底的に教えた方が結局身につくものは多くなるのではないかと言う意見もあって、この辺りはむしろ文科省など教育のルールを決めている側がきちんと現場がやりやすい制度を調えなければ幾ら習熟度別と言ったところで意味がないということになりかねませんよね。
前述のように成績下位者にいわゆる問題児が集まりやすいとすれば、現実的に問題児の隔離と言った本来の目的外にも使える(と言うより、恐らく自然にそうなってしまう)と言う制度でもあって、特に物わかりの良い生徒ほど熱心に教えたくなるというのも人情でしょうから、ともかくも実質放置するだけの隔離部屋になってしまわないようにどうすべきかと言う点は非常に気を遣うべきことでしょう。

ちなみに一方の当事者である保護者がこうした習熟度別授業についてどう考えているのかということなんですが、まずは総論として賛成であると言う意見が8割と圧倒的多数派を占めているというのも去ることながら、これまた面白いのは「子供の成績が良い」だとか「親の学歴が高い」場合ほど肯定的評価をする比率が高まるのだそうで、このあたりはまあそうなんだろうなと思うところではありますよね。
個人的に思うことには実施にあたってのクラスの振り分け方についてで、私学において生徒をランク付けするのはまあいいとして公的教育で成績によって振り分けるというやり方がいいのかどうかで、むしろ個人個人の要望に応じて「どんどん応用問題を解かせるコース」だとか「じっくり基礎を学べるコース」と言った複数の選択肢から各人の要望に応じて選べるようにした方が余計な反対意見も出にくいんじゃないかと言う気がします。
そうなると今度は「それでは全員が上のコースを選びたがるに決まっている」と言う意見もあるでしょうが、教育の一側面である学習効果と言う点から考えると限られた人生の時間を使ってどこにどれだけのリソースを投じれば最大の成果が得られるかという最適解を探す作業に他ならないとも言えますから、判らないものを判っている顔で聞く時間も判りきったものを無駄に聞き流す時間と同様に無駄な時間の使い方ですよね。
もちろん判りきっていると聞き流すから無駄になると言う考え方もあって、例えば近年大学教育などでも昔ながらの講義型の教育スタイルは効果が乏しい、全員参加型のディスカッションスタイルを取り入れるべきだと言った主張がありますが、「他人に理解させることこそ一番難しい」と言うようにすでに判っている(つもりになっている)ことでもやり方次第で更に次の段階に進めるという効果は期待出来るかとも思います。
要するにどう道を選んでも自ら工夫し高める方法はあると言うことで、つまりは今のところ教育にはこれと言う絶対的な正解もないし、教える側も学ぶ側も今なお試行錯誤している過程にあるとも言えるかと思いますが、そういう性質のものであるからこそ今の時代の広汎に広まりつつある考え方として、十分な説明と理解に基づき各個人に自ら選ばせるという過程こそが重要なんじゃないかなと言う気がします。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2014年2月 4日 (火)

習慣性を伴う嗜好品の経済的損得勘定

喫煙という行為に関しては年々世間の風当たりが強くなる一方ですが、先日アメリカの厚労省から喫煙の及ぼす経済的悪影響に関して中々に驚くべき数字が発表されたのをご存知でしょうか。

米厚生省が発表喫煙で損失30兆円(2014年1月31日リアルライブ)

 喫煙に関連する疾患を巡り、米国では年間約50万人が死亡、約1600万人が健康を損ね、それにより毎年3000億ドル(約30兆円)近い経済損失が生じているという報告書を、1月17日に米厚生省が発表した。

 喫煙による健康被害はよく知られている。しかし報告書は、肺がんだけではなく、糖尿病や肝臓がん、大腸がん、関節リウマチ、目の加齢黄斑変性、男性機能不全の原因にもなるとも指摘している。
 山梨大医学部名誉教授の田村康二氏が言う。
 「確かに、タバコの害は皆さんが考えているほど甘くはありません。現在、すべての疾患の8%が、喫煙が原因になっているといわれています。同様に飲酒をしている人にも同様のことが起きているんです」

 加えて米厚生省は、吸わない人も受動喫煙で脳卒中になる恐れがあるとしている。さらに、1965年に43%だった米国人の喫煙率は18%に低下したが、新たな喫煙者が毎年生まれている状況に変わりはないと警鐘を鳴らし、若者をターゲットにした、たばこ業界の売り込み姿勢を徹底的に批判している。
 「ハワイなどのマーケットに行くと、タバコはレジの後ろの鉄棚の中に入っている。しかも、鉄柵には錠がついています。販売は禁止されていませんが、多くの場所で喫煙が禁じられているのです。一方、日本は分煙は進みましたが、税収確保のため国は積極的に動かない。そもそも、かつては禁煙運動の先頭に立たなければならない医師の55%が喫煙していたぐらいですから、意識は低くて当然の話です」(同)

 消費増税を機に止めるか…そう悩んでいる人は、今回の報告が背中を押してくれるかもしれない。

ちなみに蛇足ながら、現在の医師の喫煙率は一般国民平均の1/3ほど(オトコ2%、女3%)であり、とりわけ呼吸器科医師の喫煙率は最も低いという調査結果が出ているということも書いておかなければフェアではないのでしょうね。
さて、おおむねこうした数字は大きめのものを出してくるものだと思うのですが、仮に試算の1/10だとしても決して小さなものではないと言えるでしょうし、少なくともこうした叩き台となる数字が出てしまった以上は今まで以上に禁煙の推進が個人レベルの健康増進のみならず、国の財政的にも求められるということになりそうですよね。
管理人個人としては公共の場でのマナーを守り、周囲に迷惑をかけない範囲であれば自己責任で好きにしたらいいのではないかと考えるのですが、慢性の呼吸器疾患で見るからに息も絶え絶え、担当医からは絶対的な禁煙厳守を言われている患者がそれでも病室から抜け出して煙草を吸っている、なんて光景は決して珍しいことではなく、煙草というものの習慣性の強さを思い知らされたという先生方も少なくないと思います。
ただそうした悪影響もあくまで個人の範疇に留まっているのであればまだ良いのですが、いわゆる受動喫煙の問題を別にしても喫煙者と言えども何かしら健康を損ねた場合は当然治療を受けるわけですから医療費支出がかかる、それも年間何兆円単位で余計にかかると言うのでは社会的影響としても無視出来ないものがありますから、日本においても分煙ではなく禁煙を推し進めるべきだという声が大きくなるかも知れません。
日本の場合国民皆保険制度でどんな基礎疾患やリスクがあろうが保険料も医療給付も変わりませんが、先年麻生氏が主張したように「頑張って健康を維持しようと努めてきた人間にそれなりのメリットがないのはおかしい」という考え方は以前から相応に広く共有されていて、特に医療財政上の問題から保険料が上がったり給付が制約されたりと言うことにでもなれば民間保険同様、リスクによる階層化も議論に上がって来そうです。

それはさておき、ここで改めて注目いただきたいのが個人レベルの嗜好に関わる問題をどうこうするにあたって一つにはもちろん周囲の迷惑だ、公共マナーだと言った数字に表しにくい評価軸も一つの推進力になるわけですが、国家レベルでより強力な政策的推進を行うにあたってはやはり財政的な面からその影響を評価していった方が説得力がありそうだと言う点ではないでしょうか。
記事にもあるように日本において公的な禁煙の推進が今ひとつだと言われるのも、今のところ喫煙による医療費高騰等々の支出増よりも煙草販売による少なくない税金収入の方が国に取ってはありがたみがあると考えられているからだとも言え、明らかに前者のデメリットが後者のメリットを上回ると立証されれば少なくとも財務省などは問題をいつまでも放置するとも思えません。
逆に言えば一見して有害なように見えても金銭的メリットの方が大きいと考えられることであればそれが敢えて推進される場合もあり得るということなんですが、先日これまたアメリカから興味深い試算の結果が出ていたことを紹介してみましょう。

ハーバード大“大麻合法化の経済効果は87億ドル” 規制や裁判の費用も節約(2014年1月23日NewSphere)

 コロラド州は全米で初めて個人使用目的の麻薬売買を合法化した。2014年1月1日から、21歳以上の成人は、医者の処方箋なしで、大麻を合法的に購入できるようになった。他の州においても麻薬を合法化する動きが広がっている。その原因を探ってみた。

【大麻合法化は財政危機を救う?】

 アメリカの新聞モーニング・コール紙によると、コロラド州において、21歳以上の住民は大麻を一度に1オンス購入できる。一般的に、大麻の値段は8分の1オンスにつき30ドルである。コロラド州は大麻に29%の税を課している。
 1月1日、個人使用目的の大麻の販売が開始され、販売額は100万ドル以上に上った。一週間で販売額は500万ドルに達した、とアメリカのサイトであるデイリー・ネブラスカンは報道している。大麻の合法化により、コロラド州には今年7,000万ドルの税収があるだろう、と州税務課は予想している。その内、4,000万ドルは教育に使われ、残りは大麻規制に当てられる予定である。
 大麻の合法化により、税収が増加するだけでなく、麻薬規制の施行や裁判にかかる費用も節約できる。コロラド州の司法局によると、2012年と2013年、大麻を12オンス以上所持したとして起訴された犯罪者数は73%減少した。大麻の公共消費罪の起訴数は17%減少した。
 ハーバード大学の調査によると、大麻の合法化は国家全体で87億ドルの財政節約になる。75万件近い大麻関係の逮捕者もゼロ近くまで減少すると同調査は予想している、とMSNのサイトは報道している。
 国家および州の財政が圧迫されている中、税収増加の道を探る他州も大麻の合法化に踏み切るであろう。しかし、大麻は健康に有害であると懸念されてきた。大麻の危険性に関する賛否両論はいかに?

【大麻は飲酒より危険性が低い?】

 オバマ大統領は、「大麻は悪徳で、時間を無駄にし、かつ健康にとって大変有害であるが、飲酒以上の危険はない」と述べた。オバマ大統領の発言は「ニューヨーカー」誌に1月27日に掲載予定である、とUSAトゥデイは報道した。
 オバマ大統領に発言に対し、「とても危険である」とニューヨーク市の医療関係者は反論した。大麻が飲酒より安全である理由としてよく挙げられるのは、大麻を吸ってすぐに死ぬことはない。しかし、過剰な飲酒で死ぬことはある、というものだ。同医療関係者は、タバコを吸ってすぐに死ぬことはないからといって、タバコの危険性が薄まる訳ではないと指摘した。
 デイリー・ネブラスカンによると、ハワイ州でも大麻の合法化の動きがある。日本人にとって観光のメッカと言える場所で今後大麻の個人使用が認められたら、「大麻観光」が広がる可能性がある。海外で大麻を使用しただけなら、帰国後も罪に問われることはない。しかし、日本国内では、大麻は法で厳しく制限されている。わずかでも大麻を持ち帰るなら、即逮捕である。

記事にもあるオバマ大統領の先日のコメントはそれなりに議論を呼んだものでしたが、諸外国では長年にわたる使用経験から大麻使用者の行動については「陶酔行動は危険なものではなく、ユーモラスなもの」と捉えられており、しかも大麻は安価で多くは自家栽培されることから取引を巡って犯罪の誘因となり得ず、要するに自傷他害の恐れがない社会的に無害なものであると認識されてきたという経緯があります。
一方で近年の研究では従来言われていた無害な(と言うのも妙ですが)副作用に代わって「精神異常の急激な進行や加速、重大な神経不安症など精神に深刻な影響を及ぼ」すことが判ってきていて、特に「青少年期に大麻を使用し始めた人に現れる確率が高い」ことが明らかになってきたと言いますが、ここでの試算はそうした近年の研究成果で知られた医療経済面でのデメリットを過少評価している可能性もありますでしょうか。
ただいずれにしても日本人的感覚からすると麻薬の類を認めることで社会経済的な利益が出るというのは極めて意外に思えるのですが、確かに危険性がさほど深刻ではなく経済的リスクも大きくないものに対して多額のコストと手間暇を使って規制を行うことは効率的ではなさそうだとは言え、むしろかつての禁酒法のように禁止による社会的リスク増大の方が高くつくと言う可能性も出てくるということなのでしょうね。

ともかくアメリカではこの薬物使用の合法化ということが大きなビジネスチャンスと捉えられているようで、先年はマイクロソフトの元役員がマリファナ販売会社を立ち上げて大儲けを狙っている、なんて記事が出ていましたが、将来的に大麻産業は400億ドル市場に成長する余地があるとも言い、過去には禁酒法廃止によって酒造会社が一気に世界的大企業に成長したという学ぶべき歴史もある以上「二匹目の泥鰌」を狙いたくもなるでしょう。
副次的な効果としては今まで禁止薬物である以上こうした薬物使用歴を公にする人間は限られていて、正しい統計的データが得られていなかった可能性が高いと思われますけれども、合法化によって誰もが薬物使用歴を気兼ねなく正確に申告できるようになれば、今まではっきりしなかった有害事象についても正しい評価が出来るようになるのではないかと思います。
その結果実は思った以上に有害性があり医療費支出の増加にもつながりかねないと言うことになれば損得勘定の前提条件も揺らぐことになりかねませんが、その頃には煙草と同様社会的にも完全に大麻使用の習慣が根付いてしまっているとすれば、必要性は指摘されながら禁煙政策が遅々として進まないのと同様の現象がまた改めて繰り返されることになるかも知れないですよね。

| | コメント (13) | トラックバック (0)

2014年2月 3日 (月)

未だ公に吹聴される差別意識の余波

国会における野次というものも中々に賛否両論のある問題ですが、先日は一つの野次が取り上げられ話題になっているようです。

「安倍総理が水を飲んだら民主党議員が『下痢するぞ』と汚いヤジ」みんなの党・和田議員が『Twitter』で明かす(2014年1月31日ガジェット通信)

1月30日、みんなの党の和田政宗参議院議員(@wadamasamune)が『Twitter』にて

    今日の本会議で、安倍総理が水を飲んだところ民主党議員からまた「下痢するぞ」と汚いヤジ。私は「そんなこと言ってはだめでしょう」と民主側に声を上げ注意した。後方席の民主党男性議員である。難病やハンデをあげつらう発言で許せない。民主は今日もNHK会長発言を取り上げ批判。不当な政治圧力だ

とツイートした。翌 31日11時の段階で2000件以上のリツイートを集めるなどして注目されている。また、

「残念ですね。品位がない。こんな国会議員がいることに失望。」
「その議員を特定して欲しい」

といった返信が寄せられているようだ。

和田議員は元NHKのアナウンサー。昨年7月の参議院選挙の宮城県選挙区で民主党の岡崎トミ子氏との接戦を制し2位となり初当選。激戦であり、国家公安委員会委員長でもあった岡崎氏がネット上でなにかと有名なことから開票速報ではかなり注目されていた選挙区だったので覚えている方も多いのではないだろうか。

当然ながらネット上では「誰がそれを言ったのか?」と言う確認作業が行われているようですけれども、某政党のキャッチフレーズとして「人に優しい政治」というものがあるのだそうで、そうしますと優しく扱われていない難病患者などはさしずめ人に非ずという認識をお持ちいただいているのでしょうか。
ご存知のように安倍総理と言えば難病の潰瘍性大腸炎を患っていることはすでに本人もカミングアウトされているところで、先の第一次安倍政権時代にはそのコントロールが悪化したことも辞任の大きな要因となったと言うことですが、マスコミなど一部方面の方々にとってはこうした持病を抱えた人間が要職に就くなど格好の標的と見えるようで、今に至るも繰り返し「政権投げ出し」と言った表現を常套句としているようです。
こうした「心身の弱さ=相手を攻撃するためのネタ」と言う捉え方をしている方々というのは社会的には決して珍しいものでもないし、いわゆる差別的な発想だと自覚されないまま行われている場合の方がより多いというのは運動部におけるいわゆるしごき問題などを見ても判るところですが、一応現代社会においてはそうした考え方は少なくとも表立って称揚されるべき性質のものではないというのが一般的コンセンサスですよね。
人としてというよりも生物として「自分と違うものに対しては警戒心を抱く」ということは決しておかしな話でも不思議な現象でもなくごくごく本能的な反応ではないかと思うのですが、他方で人とはそうした本能的な何かを超克した存在であるべきだと言う考え方もいる、そこで生まれる様々な事象は非常に興味深いものではないかなといつも思って見ているのですが、先日これまた議論を呼びそうなこんなケースがあったようです。

相次ぐ障害者ホーム反対の背景は(2014年1月27日NHK)
より抜粋

障害のある人が地域社会で暮らすグループホームやケアホーム設置を巡る反対運動が起きて、計画断念に追い込まれるケースが、今全国で相次いでいます
「ノーマライゼーション」の理念に基づき、施設などで暮らす障害者に地域のホームに移って生活してもらう「地域生活移行」が進む一方で、なぜこうした問題が起きるのか。どうすれば障害のある人とない人が共に地域で暮らしていけるのか。水戸放送局の井上登志子記者が取材しました。

ホームが建てられない

東京・文京区小石川にある障害者のグループホームの建設予定地では、2年余り前に計画が持ち上がってから一部の住民が反対運動を続けています。建設予定地の周辺には今も「障害者施設建設反対」と書かれたのぼり旗が立ち並んでいます。この場所には文京区出身の障害者10人が暮らすグループホームが建設される予定です。
ホームを建設する社会福祉法人の江澤嘉男施設長は、「障害のある方たちが地域の住民の方と普通に交わって、地域の中の一市民として認めてもらえるためにも、このグループホームができあがることがわれわれにとって悲願です」と話しています。
しかし文京区が開いた説明会では、建設に反対する住民から障害者への不安や嫌悪感を示す発言が相次ぎました
説明会の議事録には反対する住民たちの発言が記されています。
女性の後をつけ回したりしないか」「ギャーとか、動物的な声が聞こえる」「(地価など)資産価値が下がる
こうしたグループホームへの反対運動は、今、全国各地で起きています。
対話を重ねても双方が折り合えないケースもあります。文京区も、説明会を何度も開きましたが反対派の住民たちは、計画の白紙撤回を求め続けています。NHKの取材に対して周辺の道路が狭いことなどを反対の理由に挙げ、「住民説明会は単に形を繕うだけのものだ」としています
反対派住民との関係は今もこう着状態に陥ったままで、文京区障害福祉課の渡邊了課長も「やはりまだまだ障害者への理解が進んでいません、地域において十分浸透していないということを痛感します」と話しています。

対立より「賛成派」を増やす

一方で、茨城県牛久市には反対運動を乗り越えて、3年前に建設されたケアホームがあります。
このホームでは、知的障害のある20代から40代までの男性4人が暮らしています。
ホームを運営するNPOの秦靖枝さんは、反対運動が続くなかで周辺住民との交渉に中心となってあたってきました。秦さんによると、当時、ホームの建設に反対した人のほとんどが、障害者と身近に接したことがない人たちだったといいます。
住民説明会では、反対する住民の1人が「インターネットで集めた障害者の問題行動の事例だ」とする資料を持参して、会場で配布したということです。
当時の資料を見ながら秦さんは、「インターネットですごくいろいろ出るんです。『突然に突き飛ばす』とか『たたく』とか。不安感とか分からないことに対する恐怖心、それがどんどん悪い方にエスカレートしていくんだと思うんです」と話してくれました。
周辺住民の不安を取り除くには知ってもらうしかないと、秦さんたちは説明会を繰り返すとともに、入居予定者一人一人のプロフィールを紹介する書類を作り、入居予定者本人と一緒に近所を回りました。そのうちに反対する人は減っていき、最後は数人だけになりました。
秦さんは「反対してる人は、数はそんなに多くはないんですが声が大きい。だからとにかく説明をして分かっていただいて、反対している人と戦うのでなく賛成している人を増やそうとした」と回想します。
(略)

反対が目立つのは「新興住宅地」

この牛久のケースのように、ホームを運営する側が懸命に努力して、地域の一員として普通に交流ができるようになったところがある一方、今なお、周辺住民の理解を得られず難航しているケースもあります。こうしたグループホームへの反対運動は「施設コンフリクト」と呼ばれ、NHKが全国の都道府県と政令指定都市の担当者に聞いたところ、この5年間で少なくとも58件の反対運動が発生しているということでした。
また、障害がある人の2つの家族会に聞いてもその件数は合わせて60件に上るということでした。つまり自治体、家族会のどちらに聞いても60件程度の反対運動を把握しているということです。このうち家族会が把握している60件の反対運動のうち、設置を断念したり予定地を変更せざるを得なかったりしたケースは36件に上っていました。
施設コンフリクトについて研究している大阪市立大学の野村恭代准教授は、「こうした反対運動は古くからの住宅街よりも新興住宅街で、より多く確認されています。新興住宅街は、障害者と接する機会が比較的少ない若い世代が多く、こうした人たちが“障害者は怖いのではないか”という判断をする傾向が強いためだと考えられます」としています。
こうした状況を解決しようという動きも出てきています。去年6月、「障害者差別解消法」が成立しました。障害者への差別を解消する責任は国や自治体にある、と明確に定めた法律です。法律では、国や自治体が差別による紛争を防止し、解決を図るために体制を整備するよう求めていて、ホームを設置しようとする事業者にとって、大きな後押しとなるものです。
野村准教授は「私が行った調査でも、事業者だけに任せて施設コンフリクトがこれまで解消したというケースは非常に少ないので、行政が積極的に介入していくことが必要だと思います」と話しています。
(略)
グループホームへの反対運動について専門家はゴミの処分場や火葬場などを「迷惑施設」だとして反対する“NIMBY”と呼ばれる住民の行動パターンと似ていると指摘しています。
“NIMBY”とは“Not In My BackYard”つまり、「自分の裏庭には来ないで」という英文の略で、「施設の必要性は認めるが、自分の近所には建てないでほしい」という主張です。
しかし、グループホームは「人が住む住宅」です。野村准教授は、グループホームが「人が住む場所」だからこそ、反対運動を乗り越えた地域では以前よりも強い、住民同士の絆が生まれていると指摘しています。
そして、「グループホームは迷惑施設ではなく、うまくいけば地域の中で住民どうしのつながりを形成する場所として機能している。障害者が暮らしやすい地域はほかの住民すべてにとっても暮らしやすい地域であり、より“成熟した社会”なのです」と話していました。
逆説的な言い方ですが、グループホームへの反対運動には、新たな、より良い地域づくりへの可能性も秘められているというわけです。知らないことに対する不安やおそれは誰もが持つものです。それを乗り越えて、一歩踏み出すには近道はなく、ただ「知る」ことしかないと牛久市のNPOの秦さんは話していました。取材をして、私たち一人一人が今問われているのだと、思いました。

記事の末尾にも示されているようにゴミ処理施設や葬儀場などに対する反対運動と同様の側面がこの問題にはあって、正直「成熟した社会では」などと難しい理屈をこねずとも法律なり条例なりを盾に問答無用で造ってしまえば程なく慣れてしまうものだと思いますけれども、そうした「行政の横暴」に断固反対していた側の立場の方々にとってこそ今回の問題はなかなか悩ましい問題になっているのかなと思うのは穿ちすぎでしょうか?
ともかくこの障害者問題と言うもの、例えば昔から「知的障害者の犯罪率は一般人よりも高い(あるいは低い)」と言う議論が様々なデータ付きで散々に議論されてきた経緯があって、そうした経緯をネット等で知っている人にとっては何か言いたくなる事情は理解出来るのですが、むしろ外的なアクティビティーは低いはずの身体障害者に対しても一定の反対運動があるというのは興味深い現象ですよね。
とある体育会上がりの精神科の先生が社会人になってから「学生時代にしっかり鍛えておいてよかった」としみじみ述懐されているのを聞いたことがありますが、高校生がバットを振り回して暴れていれば誰しも近寄りたくはないでしょうが、幼児がバットに振り回されている光景などむしろ微笑ましいというべきもので、結局のところ怖いというのは実は自分自身に対する自身の無さと裏表だと解釈出来ることなのかも知れません。
ただ現実的に見るとぶっちゃけ障害者を差別してはいけません、差別解消のために頑張りましょうなどと言ったありがたさばかりが先立つ法律を作るよりも、障害者が何かトラブルを起こした場合には国なり自治体なりが責任を持って補償すると言う法律を作った方がはるかに実効性が高いという可能性があるかとも思うのですが、この辺りは障害者に限らず自然災害の被害補償などにも通じるもう少し普遍的なテーマにつながりそうですね。

もう少し小さな話をしてみますと、こうした反対運動というのは例えば放射性廃棄物や米軍基地といったものと比べるとはるかにローカルな話題に留まるもので、お隣の町内にそうした施設が出来ようがこちらの町内では話題にも上らない、ましてや全国から活動家が集まってどんどん輪が大きくなるなど考えられないだけに、少数の「声の大きい人達」によって地域の世論が方向付けられやすいと言うところがあるかと思います。
この辺りは日本人の横並び意識とも関係してくるところでしょうが、例えば町内会長なりがその声の大きい人であって強力に賛成なり反対なりの論陣を張っている場合、その他大勢がそれを覆して「いや自分は別な考えを持っている」と言えるかどうかはなかなか微妙であって、下手をすると地域住民の総意とは全く真逆な方向で住民の意志なるものが形成されてしまうという可能性もあるわけですよね。
さらに面倒なのはこうした地域の問題の場合いわゆる多数決で話を決めるのはよくないことだ、少数意見に十分配慮し全員一致で決めるべきだと大まじめに主張する人もいて、しかも障害者施設程度の狭い範囲での問題であればちょっと頑張れば地域住民の総意なるものがまとめられる可能性もなくはないと言う点がいささか問題をややこしくしているように思います。
逆に言えば反対派を説得するためにも集団ではなく個人個人を相手にしていればいずれ片が付く可能性があるということで、それこそ反対派一人一人を連れ出して施設にでも連れて行って無理矢理にでも入所者と興隆させると言った顔の見える活動が有効なんじゃないかと思いますが、そうした地道な活動を行うコストや手間暇を支えていくことも行政の行うべき仕事の一つに挙げられるんじゃないかという気がしますけれどもね。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2014年2月 2日 (日)

今日のぐり:「牡蠣屋」

部活動と言えばどこもそれなりに苦労もあるものでしょうが、こちらも意外な苦労があるんだなという記事が出ていました。

吹奏楽部は文化部じゃない! 楽譜の落書きが次々と晒される(2014年01月30日トゥキャッチ)

 体育会系文化部との異名を誇る吹奏楽部。吹奏楽は見た目以上に体力、気力を使うもの。その苦しみが密かに楽譜に反映されているのをご存知だろうか。

 始まりは、上記のツイートからだった。

 これを見た人が中学の時の思い出を話し始めたところ、同じような人がいることが判明。

 あなたもおもしろい楽譜の落書きがあったら、Twitterで晒してみては?

元記事に掲載されたつぶやきの数々を見るだけでもその苦労が忍ばれますけれども、それにしてもこの書き込みがどのような演奏を表現しているのか素人目には全く謎ですかね。
今日は日々体力気力を消費し精進し続ける全国吹奏楽部員にエールを送る意味で、全世界から音楽にちなんで「これぞ苦労の甲斐があった」という人々の話題を紹介してみましょう。

【天は彼女に色々与えすぎ】ピアノ・バイオリン・琴を同時に演奏する美女が話題に!(2014年1月30日gori.me)

3つの楽器を同時に演奏する天才美女、現る!
昨年11月に1人でピアノや木琴など、複数の楽器を同時に演奏した「情熱大陸」を紹介したが、今回はピアノ・バイオリン・琴を同時に演奏する美女が話題になっていたので、紹介する!

見るからに美しい女性が3つの楽器を1人で器用に演奏する

ただでさえピアノ・バイオリン・琴をそれぞれ演奏できるだけでも十分凄いはずが、この女性は3つの楽器を同時に演奏している。しかも何を隠そう、美人だ。天は二物を与えず、とは言うものの、どうやら天はこの女性に勢いで色々と与えすぎてしまったようだ。だからあれほどデバッグをしろと言ったのに…。
何はともあれ、美女の演奏するクラシックメドレーは一見の価値あり!以下よりご覧あれ!

Girl plays three instruments at once! AMAZING!!

予めドラムの打ち込みを後ろで鳴らしておきながらピアノ、琴、そして途中からバイオリンの演奏も加わり、演奏者が1人でありながら様々な音色が楽しめる素敵な作品に!素晴らしい!こういうのはライブでやったら盛り上がるんだろうなあ…!

一つの楽器をやるだけでも結構大変なのでしょうが、複数の楽器を代わる代わる演奏してみせるというのはこれは相当な努力を要するはずですよね。
こちらもまた世界中から「ハンパない」と称讚されている「フルート奏者」のニュースですが、単なるフルート奏者ではないところが味噌のようです。

これが手から出る音だと…… 世界中が絶賛 日本人ハンドフルート奏者の演奏が感動的(2013年11月14日ねとらば)

 手を使って笛のような音を出すハンドフルート(手笛)という奏法をご存知でしょうか? YouTubeに投稿された日本人ハンドフルート奏者の演奏が感動的だと世界中で話題になっています。

hand flute & piano "CHILDHOOD"

 演奏者はハンドフルートとピアノのデュオ「CHILDHOOD」の森光弘さん。お祈りをするように手を組み、そこに息を吹き込んで音を鳴らすのですが、その音色は手から出ているとは思えないほど美しいもの。オリジナル曲から「星に願いを」「ふるさと」など定番の曲のカバーまで、情感たっぷりに演奏されています。

 YouTubeに投稿された動画は、日本人だけでなく世界中で人気に。「美しい……」「さすが日本人だ」「手の中にフルート飼ってるとしか思えん」など、称賛のコメントが多数寄せられています。

素人目にも何やらとんでもないことをやっているらしいというのは判るのですが、ちなみに森光さんは世界でただ一人のプロのハンドフルート奏者であるそうで、これぞ本物の芸ですよね。
一方で一つの楽器をここまで使い倒すというのも並々ならぬということを思い知らされるのがこちらの何とも愉快な演奏です。

【動画】1台のピアノがオーケストラのように!! 斬新な方法でピアノを演奏する男達に世界が騒然 / ネットの声「なんてクリエイティブ!」(2013年12月7日ロケットニュース24)

ピアノを演奏する。と言えば「鍵盤をたたいて演奏する」、これが基本だ。1人で弾くことが多いが、複数で連弾することもある。これが一般的なピアノの演奏だ。
だが、動画「Angels We Have Heard on High (Christmas w/ 32 fingers and 8 thumbs) – ThePianoGuys」を見れば、そんな概念は消えてしまうだろう! なんと男性4人が1台のピアノを演奏。鍵盤だけでなく、かなり斬新な方法で楽曲を演奏するのである。豊かな音色はまるでオーケストラのよう。とても1台のピアノから奏でられたとは思えないほどなのだ。
驚きの演奏で世界を騒然とさせているのは、音楽ユニット「The Piano Guys」の4人だ。その名の通り動画には1台のピアノと4人の男性が映し出されている。
そして、おもむろにクリスマス・ソングの定番『GLORIA / 荒野の果てに』を奏ではじめるのだが、彼らの鍵盤を弾くだけではない! 中の弦をバイオリンのように弾いたり、ギターのように爪弾き、本体を太鼓のように叩いたり……1台で、鍵盤楽器、弦楽器、打楽器とさまざまなバリエーションを見せるのである。
さらに彼らの歌声が加わって、もう最高!! まるでオーケストラコンサートを聞いているかのようだ。この動画には次から次へと賞賛の声が寄せられているぞ!

「アメイジング!」
「好き、好き、大好き!!」
「クーーーーール!!!」
「本当に美しい。これを気に入らない人なんている?」
「もう14回も見ちゃったよ! なんて素晴らしい作品。想像もできないほどの努力があってこその作品だと思います」
「なんてクリエイティブな作品なんだろう」
「クリスマスが待ちきれなくなったよ」

なお、彼らはそれぞれが固定のパートを持っているのではない。ある瞬間は、あるメンバーが鍵盤を叩いているかと思えば、次の瞬間、彼はパーカッションに変わり、鍵盤を弾く係は交代、また弦を爪弾いていたメンバーが鍵盤に合流して連弾をしたりと、素晴らしいチームワークで演奏しているのだ!
彼らの演奏は、耳で聞くだけでなく、目で見ていても楽しい。人々を釘付けにるす音楽パフォーマンスなのである。

単純に演奏技術としても大変なものなのでしょうが、クリスマスのパーティでこんな演奏をされると場が盛り上がること請け合いという何とも楽しいパフォーマンスですよね。
最近は多重録音を駆使した一人演奏も一般的なものになってきましたが、中でもこちらは「そこまでやるか!」と話題だという青年のニュースです。

なんと心地良い美声だ! メインボーカルもコーラスも楽器も! 全部ひとりでやってのける18歳青年スゲェ!(2014年1月10日ロケットニュース24)

ひとりでメインボーカルからコーラスまでフルで担当し制作された、多重録音作品。

動画サイトYouTubeには常、こういった作品が数多くアップロードされているわけなのですが、本日みなさまにご覧いただく映像は、そのどれをも凌駕しかねないとんでもないクオリティーを誇る作品の数々です。

スティービー・ワンダーによる往年の名曲『Don’t You Worry ‘Bout A Thing』をカバーする、ロンドン在住のミュージシャン、Jacob Collierさん。随分童顔ね……と思いきや、なんと彼はまだ、18歳。

若くして驚くべき才能を発揮するCollierさんは、メインボーカルに加えて5パートにもおよぶコーラス、さらにはギターにベースにキーボードなどの楽器まで、すべてを担当。

しかもその仕上がりは言うまでもなく完璧、そのまま音源リリースできちゃうレベルなの。いやそれどころか、あまりの美声に思わずクラクラしちゃうほどなんですっ。しかもお顔も可愛いし!

Collierさんは同曲のほかにも、自身のYouTubeチャンネルに、アカペラ・インストゥルメンタルなど多種多様な作品をアップしている模様。末恐ろしくすらある若き才能を、あなたも今すぐ体感してみて。

元記事の方に複数の動画がリンクされていますので是非参照板dかいたいと思いますが、しかしこんなところでもブリ侮り難し…と受け取るべきなのでしょうか。
最後に取り上げますのも同じくブリからの話題なのですが、番組視聴者にとってはどこかで見たような驚きの瞬間がまた!と言う感じなのでしょうか。

【動画】天才あらわる! オーディション番組に出演した9歳少女の歌声がスゴすぎて絶賛の嵐(2013年11月4日ロケットニュース24)

イギリスの『ブリテンズ・ゴット・タレント』は世界的に知られているオーディション番組である。才能を持つ無名の人たちが、世界へと羽ばたいて行った。そのなかでも第1回のポール・ポッツや第3回のスーザン・ボイルはあまりにも有名だ。

この番組に習って、世界各国で同様のオーディション番組が放映されている。最近オランダで、驚くべき才能を持つ少女があらわれた。9歳の少女、アミラ・ウィライアージちゃんは、審査員からも観客からもまったく期待されていなかった。ところが、歌い始めるとその歌唱力にすべての人が度肝を抜かれ、大絶賛を受けたのである。この才能、ハンパない!
・オペラに挑戦

若干緊張した面持ちの彼女がステージに立つと、審査員はそれを和らげるように、いくつかの質問を投げかけた。どんなパフォーマンスを披露するのかと尋ねると、彼女はオペラを歌うことを告げたのである。彼女が歌う曲は、プッチーニ作曲の歌劇『ジャンニ・スキッキ』の劇中歌、『私のお父さん』である。
・素人では歌えない曲

素人では到底歌うことのできない難易度の高い曲だ。本当に歌えるのか? と審査員も観客も誰もが思ったはず。9歳の緊張した女の子が披露する類の歌ではないのだから、誰もがそう思っても仕方がないことだ。
・空気一変、満場の拍手に

ところが、イントロが流れて彼女が静かに歌い始めると、会場の空気が一変した。豊かで透き通るような歌声は、9歳の少女のものとは思えないものだった。美しく力強い声は、天才と呼ぶにふさわしいだろう。歌い終わると満場の拍手に包まれ、審査員は賞賛の言葉を送ったのである。

このような映像を見ると、本当に天賦の才能というものに思い知らされる。彼女の将来が非常に楽しみである!

Amira (9) verbijstert iedereen met opera - HOLLAND'S GOT TALENT

もちろん現地では早くも第二のスーザンボイルか?と大いに話題になっているそうですが、スーザンボイルの時もそうでしたがこの番組は歌以前に審査員との掛け合いが何とも楽しいですよね。
それにしても唯一彼女の将来にとって残念に思う点はごく普通の9歳児と言うのでしょうか、映像的なインパクトが偉大な先輩に今一歩劣るところではないかなと…あくまでもブリ的に、ですが。

今日のぐり:「牡蠣屋」

宮島の商店街中程、最も繁華な一画に位置するのがこちらのお店ですが、間口は狭くうっかりすると通り過ぎてしまいそうなお店ながら、入って見ますと案外奥は広くなっていて二階席まで用意されています。
牡蠣養殖で名高い広島湾の一画に位置するだけに安芸の宮島と言えば牡蠣料理を出す店には事欠きませんが、他の店舗が多かれ少なかれ一般の観光客向け飲食店にありがちな定番メニューも併せて取りそろえているのに対して、こちら清々しいまでに牡蠣料理一本に徹していますよね。
HPを拝見しますと「宮島で最も長く牡蠣を焼き続けてきた職人がはじめた牡蠣料理専門店」であり「扱う牡蠣は市場に出まわることのない、広島県産の選び抜かれたものだけを使用」しているそうですが、牡蠣の味を活かしたシンプルな料理もさることながらアルコール類の品揃えもかなりこだわっているようです。

あるメニューを適当にと言いますか、もともとメニューの種類は非常に限られているので牡蠣屋定食一つで全種類制覇してしまうことになるのですが、まず定番の焼きガキは実は潮の香りが強すぎて個人的にはちょっと苦手な一品なんですが、こちらの場合一見して生っぽいのに生じゃない活性化された旨味と香ばしさがあって看板料理の名に恥じず確かにうまいですよね。
洋食屋の定番カキフライと言えばこの時期どこで食べてもまずハズレがないメニューですが、こちらは元々の牡蠣が違うのか下処理の問題なのか、口に入れて噛んだときに妙にいい風味が広がっておいしくいただけました。
主食系である牡蠣飯は牡蠣の煮汁で炊いた飯はうまいんですが、トッピングの醤油で煮付けた牡蠣はせっかくの牡蠣の旨みがちょっと抜けている感じがして、この飯に先刻の焼きガキのぶりぶりの身が載っていたらさぞやうまかろうにな…と思ってしまいました。
酒のつまみにも重宝しそうなオリジナルメニューのオイル漬けは特に好きというわけでもないんですが、下味にオイスターソースまで使っているせいか牡蠣独特のくせが消えて旨味だけが濃縮された感じで、何やらここからの応用を考えてみたくなる味でしょうか。

しかし席に案内されて「決まりましたらお呼びください」と言われたはいいんですが、一見ドリンクメニューしか置いてないじゃないか…と言おうと思いましたら、フルカラーのボトル写真が並んだドリンクメニューの片隅にほんとに目立たない文字情報だけで食べ物系のメニューが載せられているというのも牡蠣料理専門店としてある意味斬新と言うか、普通に考えてここは一体何の店だ?です。
以前に来たときは全部英訳付きのメニューが置いてあって「さすが国際観光都市」と言う感じだったんですが、これは外国人のみならず視力の弱いお年寄りなども含めていささか顧客層を選ぶなと思う一方で、これだけワインをプッシュしていて雰囲気もある内装であるにも関わらず観光地の店にありがちなことに夕方にはさっさと店じまいしてしまうというのもおもしろい経営戦略ですよね。
接遇面では二階席まである広い店内を考慮してかヘッドセットを使っていてオペレーションは本格的なんですが、ただ相互の連携はいいのでしょうが個々の接遇自体はあくまでバイトレベルで、レスポンス面では客足が減った時間帯であればそれなりに数が多いので許容範囲か?と言ったところです。
トイレは設備自体はそれなりに整っているんですが席数を考えると数は少ないですし、これだけ細長い店内であれば二階席にも欲しいかなと思うのですが、しかし以前に来たときには二階にもあったように思っていたんですが勘違いでしたでしょうか?
ところでこちらに限らず宮島全体で観光地価格なのはまあいいとして、全般的な牡蠣の相場を見ていますと岡山は日生名物のカキオコはやはり割安感だけは半端なかったんだなと妙なところで感心してしまいました。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2014年2月 1日 (土)

著作物出版にまつわる最近の話題

電子出版と言えば最近は個人による出版の敷居が大いに下げられると言う点でも注目されていて、中には月々百万円を売り上げた猛者もいると言いますが、書籍というハードに依存せずコンテンツの電子化が推進される時代になるといわゆる自炊行為などは元より、大手検索サービスによる著作権者に無断での書籍電子化などモノを伴わず情報がやり取りされることによる問題が多々続発しています。
特に著作権者の権利保護ということは非常に注目されていて、無断流通される海賊版対策は元より電子化も見込んだ出版契約のあり方など時代に即した著作権法の改正案が近く文化庁から出される予定だと言われていますけれども、本来的に書籍というモノにまつわる制作・流通コストが不要になるだけ著作権者の手取りも増える可能性がある出版方法であるとは思います。
ただ利用者の側にとって手元にモノがないということによる思わぬ弊害もあるようで、先日はこんな「あるある」な記事が出ていました。

買ったはずの蔵書が消える 電子書籍、企業撤退相次ぎ(2014年1月30日朝日新聞)

 せっかく買い集めた蔵書が消える――。電子書籍の世界で、紙の本ではありえない事態が起こり始めた。電子書籍は買っても「自分の物」にならない契約が多く、企業の撤退などで読めなくなるケースがあるからだ。電子書店は乱立状態で、「撤退は今後も続く」(出版関係者)可能性がある。事業者に説明責任を求める声も強まりそうだ。

 電子書籍事業から撤退するローソンの異例の対応が話題になっている。2月下旬のサービス終了に伴い、これまでの購入者全員に対し、購入額の相当分を、ローソンなどで現金と同じように使えるポイントで還元すると発表したからだ。

 同サービスは、ネットを通じてサーバーに置かれた書籍を読むという仕組み。どこでも「購入」した書籍を読めるのが利点だったが、サービスが終了すると書籍は消えてしまう

すでに電子書籍がかなり広く普及しているアメリカなどと違って日本では普及が未だに進んでいない、むしろ商業的にはちょっとどうなのかと危惧されているというのは、一つには元々狭い国土で身近な店で現物を容易に入手できるという環境が購買行動に表れていたのかとも思うのですが、これも近ごろではネット通販の発達で街中の本屋が次々と廃業していっている事から少し状況が変化してきていますよね。
コンビニ等で未だに容易に入手できる雑誌類に関しての電子出版のメリットとしては、一つには地方にあっても発売日に確実に入手できるという迅速性、そして手元にモノがないことと裏表の関係ですが読み終わった後の始末に困らないという点にあるかと思いますけれども、逆に多少時間はかかってもじっくり読みたい、手元に置きたいという類の書籍に対してはこうした点は特に長所にはならないわけです。
もちろんそうしたケースでも「お気に入りの本を何十冊もスマホ一つで読めるのは便利」と言ったヘビーリーダー(と言うのでしょうか?)の声もあったのは事実なのですが、そうした人にとってこそこのようなリスクが存在するというのは非常に困ったことであって、やはり手元にモノがなければ不安と感じさせることになりかねませんよね。

単純にオンライン閲覧などやめて全部ダウンロードさせればいいじゃないかと言う考えもありますが、当然ながらひとたびファイルとしてダウンロードされてしまうと書籍という現物に縛られることがないだけに複製されてしまう可能性はあるというわけですから、売る側としてはなるべく紐付きでやりたいというのも本音なのでしょうか。
他方で利用者側にとっても複数端末で読みたいとか、端末に余計なファイルが貯まっていくのはありがたくないと言う意見もあるはずで、基本的にこうしたオンライン閲覧式の場合支払後の利用期限を切るなりして、読み捨て需要にのみ対応すると言うのが本来的なのかも知れません。
ただ素朴な消費者心理としては紙の書籍と同様お金を出した以上いつでも読み返せる状況に置いておけと求めたくなるはずで、例えば廃業するにあたっては記事にあるようにある程度金銭的な還元を行うか、あるいは希望により手元にダウンロードできるようにすると言ったことはできないものかと思いますが、元より廃業するほど収支が厳しい時にそうしたコストをかけられるかどうかです。
業界団体なりが管轄して後始末を義務づけるようなやり方も考えられるかとも思うのですが、実際ほとんどの利用者が読み捨て前提で利用しているとすれば双方にとっての壮大な無駄手間と言うものですから、最初に読み捨てか保存用かを選んで契約させるというのが現実的なのでしょうか。

電子出版に関するもう一つの話題として、今や個人が簡単に創作物を出版してお金を稼ぐチャンスを手に入れたという肯定的な面もある一方で、どこまで個人出版が許されるべきか非常に悩ましい問題となっているのがコミケ等でも大きな部分を占める二次創作物への対応で、先日も「著作権違反のものを売るコミケに行くなどケシカラン!」と内定取り消しになったというネタ記事が事実化と勘違いされ話題になりましたよね。
この辺りは未だに試行錯誤が続いている段階で、大手検索サービスによって原作者にも利益還元を行う二次創作出版サービスが開始されると言う発表が話題になっていたように、利益配分や作品世界観をどう守るか、そして原作者に二次創作出版の拒否権はあるのかどうかと言った点で様々な考え方があるといった状況です。
先日も紹介したように最近では原作者の許諾を示す「同人マーク」と言ったものも制定され、基本的にはなるべく自由な活動を認めようと言う方向で話が進んでいるように見えるのは同人作家諸氏にとっては朗報ですけれども、これまた別方向から強力な規制がかかるようになる可能性があると言う点は知っておくべきかと思います。

TPPでコスプレに紛争? 著作権厳しく(2014年1月29日東京新聞)

 政府間交渉が進む環太平洋連携協定(TPP)をめぐり、コスプレや同人誌といったサブカルチャーの盛り上がりに水を差される懸念が広がっている。いまやクールジャパン戦略や地域おこしの起爆剤としても期待されるサブカルだが、著作権法上はグレーゾーンも残る。TPPの知的財産分野では著作権侵害を厳しく捉える方向で議論されているといい、関係者は「活動が萎縮しかねない」と心配している。 (原昌志、石原猛)

 「ルールが決まれば従わざるを得ないけれど、窮屈になるのは困りますね」
 二十六日に浜松市内で開かれたコスプレイベントに参加した市内の男性会社員(44)は苦笑した。コスプレは、アニメやゲーム、特撮映画などのキャラクター衣装を身に着けて楽しむ。“聖地”とされる東京・秋葉原は有名だが、コスプレイベントは全国に広がる。「四~五年前から流行し始め、今では全国各地で商店街や自治体が支援してイベントを開くケースも増えている」(浜松市でイベントを開いた運営会社代表)。
 だがこうしたイベントは実は著作権法上あいまいな点も多い。原作者らの許可を得た衣装ではなく、自作だったり無許可の衣装を購入したりして参加するケースも少なくない。その場合、たとえば譲ったり売ったりした側は、法で許されている「個人で楽しむ範囲(私的使用)」を超える可能性がある。イベントそのものも「仮に許諾なしに利益をあげれば、厳密には著作権法上アウト」(アニメ業界団体関係者)というのが一般的な見方だ。非営利をうたっても、線引きは難しい
 それでもほとんど問題化しなかったのは、日本では著作権侵害は「親告罪」と位置付けられている面が大きい。原作者ら著作権者が、被害を訴えない限りは刑事罰に問われない。
 「大方は黙認してくれている。ファンが盛り上がれば原作の利益にもつながる。新たなクリエーターを生む場という考え方もある」と広島県でコスプレイベント「コスカレード」を主催する河口知明さん(63)は解説する。ある地方の主催者は「許諾を得ようと版権元に問い合わせたら、『聞かれたらダメと答えざるを得ない』と言われたことがある。知らんぷりをさせてほしい、ということでしょう」と明かす。
 これに対し、TPPでは「非親告罪化」が検討されている。告訴がなくても捜査当局が「違法」と認定して摘発することが可能になる制度だ。ファンや関係者の間では「すぐに取り締まりが厳しくなるとは思わないが、第三者の告発が増えれば警察も動かざるを得ないこともあるのでは」といった声も。コスプレ以上に、アニメや漫画の原作を基にして物語などを「二次創作」する同人誌の世界でも懸念は強い。

◆二次創作 萎縮させる

<著作権問題に詳しい福井健策弁護士(第二東京弁護士会)の話> TPPの知的財産分野で交渉が緊迫しているのは、著作権の保護期間延長と非親告罪化をめぐる議論だ。著作権侵害が非親告罪になれば、二次創作の担い手が萎縮し、クールジャパンの文化全体が打撃を受ける。
 原作者の立場からすると、あらかじめ明確な線引きをし、二次創作に許可を出すことは難しい。どうしても許せない悪質なケースには告訴可能で、作品を盛り上げるファンたちのコスプレや同人誌活動を黙認できる現行の制度は、双方にメリットがあると言える。
 第三者が告発できるようになると、原作者の意図とは関係なく、原理原則に基づいて著作権侵害が問題化する。法令順守が求められるイベント主催者も、活動しづらくなる。実際に逮捕されるようなケースは少ないと考えられるが、二次創作活動を萎縮させるには十分だ。海外に売り込める日本の武器を失いかねない。
 現在のTPP参加国で、非親告罪化に反対しているのは日本とベトナムの二カ国だけ。交渉が妥結すれば、さまざまな懸念が現実化する可能性は高いだろう。

<コスプレや同人誌をめぐる主な著作権事件> 1999年、アニメ「ポケットモンスター」のキャラクターを使って、アダルト漫画を描いた同人誌作者の女性が京都府警に逮捕された。2007年には漫画「ドラえもん」の最終回と称する物語を勝手に描いて販売していた男性が、出版元などの警告を受けて謝罪し、売り上げの一部を支払った。13年9月にはテレビ番組の特撮ヒーローのコスプレ衣装を無許可で販売した会社社長が、広島県警に逮捕された。いずれも販売して利益をあげたことが悪質とされた。

もちろんこうした活動は今や海外にも熱心なファンが多いことではあり、二次創作で存在を知り気に入ったからと原作に手を伸ばすという人も少なくないほどですから、そう簡単に規制はされないと言うより規制強化で誰得?となりかねないものではあるのですが、原作者の権利保護と言う錦の御旗を前面に押し出されてくると現状よりは相当厳しめにならざるを得ないところですよね。
前述の大手検索サービスのように原作者にも利益還元をと言うのは商業的活動に対する原作者の感情好転には一定の効果が見込めると思いますが、むしろ泥沼の紛争化しやすいのは作品世界観を壊すようなものを出しやがって!と言った類の感情的な反発であるかも知れずで、非親告化すればむしろ原作者よりも熱心な原作ファンからの告発で厳しい取り締まりが行われるようになるのかも知れません。
日本の場合は原作者と二次創作作家の距離感が例外的に近く、プロと言えども別な顔で同人活動もやっているというケースがまま見られるだけにそうそう深刻な対立関係には陥りにくいとは思いますが、世界的に見るとそうした良好な関係は実は例外的ではあって、TPPのように多国間に共通するルール作りとなると日本のような例外的ケースを基準に行うわけにもいかないのは当然ということでしょう。
もちろん各国の当局者がどういう基準で対応するかが最も重要なのは言うまでもないことで、例えば性風俗関連のコンテンツに関しても時代時代でどこまでが有りでどこからは駄目と言う基準が大きく変化していたり、事実上の賭博行為である賭け麻雀がほとんどの場合黙認されているように、実際にどこまで黒と見なされるかはその時々の判断による部分も大きいはずです。
逆に言えば往年のファイル交換ソフト騒動のように当局者に「昨今の風潮には問題がある。一罰百戒の効果を示すためにもここは厳しく対処せねば」と考えさせるような活動を行っているようでは必要以上に厳しい対応を呼び込んでしまうことになるわけですから、特にお金の関わる活動を行っている各位には自主的に時代の空気を十分に読んでいただかないことには、自分だけの問題で終わらないということですよね。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2014年1月 | トップページ | 2014年3月 »