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2014年1月24日 (金)

医療のコストパフォーマンスを別な角度から見ると

昨年発行された「がん診療 UP TO DATE」で「補完代替医療とそのエビデンス」の一項を担当された帝京大の大野智先生が、先日補完代替医療とも関連して医療の費用対効果(コストパフォーマンス)というものについてこんな一文をあげられています。

「臨床現場の状況・環境」の視点からEBMを再考する(2014年1月23日日経メディカル)より抜粋

(略)
 「臨床現場の状況・環境」に関して考慮しなければならない点としては、「利益(治療効果)と不利益(治療に伴う副作用)のバランス」「治療にかかるコストや資源の利用」などが挙げられています[1]。

 「利益(治療効果)と不利益(治療に伴う副作用)のバランス」については、「癌」に限らず、様々な疾患に係る診療の現場で重要視されるようになりました。その一方で、「治療にかかるコストや資源の利用」についてはどうでしょうか? わが国では国民皆保険制度の下、比較的安価で医療を受けることができるため、国民や患者は医療にかかるコストのことはあまり気にしていないかもしれません。しかし、平成23年度の国民医療費が38兆5,850億 円に達し [2]、年々増加していることは、ご存知のことと思います。そこで、厚生労働省は、今後の医療制度の安定的な運営のために、中央社会保険医療協議会において費用対効果評価専門部会[3]を立ち上げ、医薬品や医療機器、医療技術を費用対効果の観点で評価する仕組みについて議論し始めました。

 補完代替医療の領域においても、適切なサプリメントの利用によって生活習慣病や骨粗鬆症などに関係する医療費を、年間で数億~数十億ドル削減可能であるとの報告書[4]が、アメリカの有用栄養物審査会(Council for Responsible Nutrition)から公表(2013年9月23日)されました。補完代替医療が、医療費削減に一役買うのではないかという興味深い結果です。

 一方で、癌の臨床現場における費用効果分析に基づく医療政策の話題としては、費用効果に応じて治療法の選択肢に制限がかかるといった事例があります。例えば、イギリスにおいて、国立医療技術評価機構(National Institute for Health and Clinical Excellence;NICE)は、高い価格に見合うだけの効果が得られないとして、Bevacizumab(商品名アバスチン)の大腸癌への「使用を推奨しない」というガイダンス[5]を2010年12月に公表しています。

 限られた医療資源を、どのように分配し、いかに効率良く運用していくかは、世界各国において喫緊の課題になっているようです。それを裏付けるかのように、医学研究の分野においても、費用効果分析の論文数が右肩上がりで増えてきています(図2)。
(略)

ここで注目いただきたいのは純粋な効果の有無ではなくコストパフォーマンスという評価軸によって、皆保険先進国のイギリスでは「Bevacizumab(商品名アバスチン)の大腸癌への「使用を推奨しない」」と言っている点でしょうか。
さて、大野先生は「残念ながら、現時点では、補完代替医療の領域にはヒトを対象としたランダム化比較試験のエビデンスは非常に少ない」と述べていますが、近年の医療においてはとかくコストパフォーマンスというものが追及されるようになってきているのは周知の通りで、何かとやり玉にあがる「高い医療」に限らず補完代替医療の領域においても次第にコスパに関わるエヴィデンスが蓄積され初めているようですね。
いわゆる代替医療というものがそもそも有益なのかどうかは諸説あるところで、ここでは「保険薬と比べて効果は劣るかも知れないが一定の効果は期待出来そうなもの」というくらいの位置づけで議論したいと思いますけれども、例えば女性に多い鉄欠乏性貧血なども(そもそもの基礎疾患の診断等は別として)こと治療部分に関して言えば多くの場合、病院にかからずともそこらの鉄系サプリメントでも飲んでいればいい訳です。
もちろん医学的に見れば「何故鉄欠乏になったのか?」の方がより興味をそそられる問題であったりとか(生理が酷いからと言って胃潰瘍や大腸癌のリスクがないわけじゃないですよね)、そもそも世間一般で言われる貧血と呼ばれる現象が鉄欠乏性貧血であるとは限らないだとか、むしろ最近は鉄過剰の引き起こす諸問題の方が色々と言われているんじゃないかとか、それなりに考えるべきことは少なくありません。
こうした一連の医師による判断を経て行われる正規の治療に対して自己診断とサプリメント等々の市販品を用いる自己治療のリスクは主にこの辺りにあって、だからこそ医療側からの反対論も根強くあるわけですが、医療におけるコスパを云々するのであればまさにそうした様々な生命・健康リスクも込みで考えなければならないのは当然ですよね。

日本では医療に関してお金の有る無しで選択枝が変わってくると言うことが過去半世紀ほとんどなくなっていて、「助からなくても出来るだけのことをしてください!」の一言でどう見ても回復の見込みのない末期患者に巨額のコストを要する濃厚医療が行われるということが常態化していましたけれども、高い医療を行えば支払いが追いつかないのが当たり前という諸外国ではこんなことはもちろん一般的ではないわけです。
要するに「命に値段はつけられない」と言う命題を絶対視してしまえばコスパという評価は実用的な指標になり得なくなってしまう(そして、そうした考え方は諸外国では一般的ではない)と言うことなんですが、では日本では医療とコスパという考えは縁遠いか?と言えば必ずしもそうでもないようです。
近年話題になったところではいわゆる癌検診というものがあって、例えば「肺癌早期診断目的での」胸部レントゲン検診はどうやらあまり意味がなさそうだとか、個別検診ならともかく集団検診なら質的には劣ったとしてもコスパ的には胃カメラよりバリウムの方がよさそうだとか、「命はお金に換えられない」なんてお題目はすでに放棄されてコスパ重視の考え方が当たり前に受け入れられるようになってきていますよね。
未だ「命の沙汰も金次第」とまではさすがに言わないですが、例え命がかかっている医療と言えど100と101くらいの違いを出すためにコストが10倍かかると言った場合には安い方でいいんじゃないかと言う考えはそれなりに社会に受け入れられるだろうし、医療財政上も受け入れてもらわなければ困るはずなんですが、実は最も強固にこうしたコスパ論に反対の論陣を張ってきたのが一方の当事者である医療側でもあったわけです。
日本では皆保険制度において患者側にとっては定額の保険料プラス安い窓口負担から「医療は使わなければ損だ」と言う感覚が生まれやすかった、一方で医療従事者も何かと売り上げ売り上げと言うように出来高制の元で不要不急の医療を何かと理由を付けて行うことが正義であるかのように言われていたという点で、残念ながらコスパ第一主義の観点からはいささか非効率な医療であったとは言えそうですね。
その割に日本の医療総体として国際的に見てもコスパが非常にいいと評価されてきたことの理由がどこにあるのかはまた興味深い話題ではあるのですが、とりあえず言えることとして日本の医療制度というものは患者側からもそうですが特に医療側にとってコスト削減意識が働きにくい、むしろ本質的に拡大路線を取りやすいものとなっているとは言えるかと思います。

そんなことはない、最近はどこの病院でもDPC導入でコスト意識が盛んになっているという意見もあるでしょうが、ではそうした病院で地域住民の治療が順調に進んでベッドも外来もガラガラになってきた時に事務方からどう言われるかと言えば、間違っても「先生方に頑張っていただいたおかげでこの地域の健康水準が改善しました。今日はお祝いに病院負担で飲み会をしましょう」なんてことを言われるとは思えませんよね。
医療を行う側は商売でやっている以上仕方がないことで、特に診療報酬切り下げで薄利を強いられている近年はとりわけ多売にどこの病院も努力している状況がいささか目に付くのですが、例の自己負担がない生保患者が安価なジェネリックを使いたがらないという現実を見るまでもなく、日本では患者の側にとっても医療費削減に協力する動機付けが働きにくいという状況ではあります。
これは風邪薬一つ飲むのにもドラッグストアで売薬を買うより病院にかかって診てもらった方が安くつきかねない制度上の問題でもありますが、「万一の見落としがあってはいけない」と主張しまさしくそうなるように長年制度設計に関わってきた某医療系団体などは、確かに(現状はともかく)かつてはそれなりに合目的的な政治力も保持していたのだなとは改めて思いますよね。
いささか話が脱線しましたが代替医療の話に戻って考えると、「血圧の薬は飲みたくないからサプリを飲んでいる」なんて話を耳にするたびに感じる素朴な疑問として、月数百円の自己負担で済む標準医療に劣るとも勝らない効果を月数千円以上をサプリメントに投じて期待するということが果たしてコスパ的にいいのか?と感じてしまうのは果たして自分だけでしょうか?

もちろんこの場合コスパ評価上の医療費というのは患者自己負担に留まらない保険負担分も含めたトータル医療費のことであり、と言うよりはむしろ保険負担分が高いか安いかと言うことの方が医療政策上は大きな意味を持ってくるわけですから、100円でも国庫負担が減らせるなら患者の自主的な負担増加が1万円増えても何ら問題は無い、むしろ薬屋が儲かり国民総生産が向上し税収も増えればありがたいくらいだとも言えるでしょう。
ただそれでは保険給付の範囲を制限し自費診療に移行させるのと同じことではないかという話なんですが、実際のところ最近ではかなり多くのOTC薬が発売され保険外で相当な治療めいたことも出来るようになってきた訳ですから少なくとも手段は整ってきた点から、「以外と市販薬も効果は馬鹿に出来ない」と言う状況にはなってきています。
それでは前述のように一部業界関係者も含め懸念されてきた診断等の質の部分の担保はどうなのかと言うことですが、これも先行する参考にすべき他業界の事例があって、例えばテレビなどでも大々的に宣伝しているように法律相談などと言うものは昨今すっかり定着していますよね。
法律関係のトラブルも一歩間違えば(社会的に)命取りにもなりかねない怖いケースが多いですが、(少なくとも以前は)人材不足で医師ほど全国津々浦々まで行き渡るということのなかった弁護士業界では昔から電話やネット経由での相談というものに積極的で、この点では何かと「守秘義務が」と言って電話対応に拒否的だった医療業界とは好対照です。
医療や司法に限らず多くの専門領域である程度フローチャート的に大まかな仕分けをこなしていくことが可能で(昨今の診療ガイドラインはまさにそれですよね)、とりあえず明らかにこれは困った病気ではないだろうと言う人を市販薬に誘導する、一方でこれはちょっと危ないぞと言う人は確実に病院にと言う流れを定着出来れば(誰が・どうやって負担するかは別議論として)コストはずいぶんと削減できる理屈です。
それ以上に「どんな症状であっても重大疾患の可能性は否定出来ないから、とりあえず病院へ」などと何でもかんでも受診させた結果病院外来が多忙を極め医師は悲鳴を上げる、患者は患者で「三時間待ちの三分診療だ」とおかんむりという状況の改善にも期待は出来るでしょう。

コストパフォーマンスと言う言葉は医療の場合、ともすれば(ほとんと絶対視というほど)いかにパフォーマンスを下げずにコストを切り下げるかという点に注目が集まりますが、一つには国民は現代医療をいささか過剰過ぎるように感じているという現実もあるようですから、案外医療従事者が考えている以上にパフォーマンスの切り下げということは可能であるのかも知れません。
そしてコストの切り下げということに関して言えば日本の医療現場ではとかく医療従事者の労働コストを切り詰めることによって高いコスパが達成されてきたと言えますが、それがいわゆる逃散現象を招きかえって労働コストを引き上げつつある現状を見るとき、医療の手間ひまについては単純にコスパ改善という視点のみならず、医療現場の労働環境改善という意味からももっと注目されてもよさそうですよね。
「風邪をひいて大学病院」などとも揶揄される日本の医療現場をもう少し効率的にしようとは誰しも言っていて、患者の受診制限的な事もたびたび議論に上がってはそのたびに「いや医療を受ける自由が」「早期発見早期診断は重要で」と反対論が持ち上がるという繰り返しですが、泥沼化している医療労働環境改善問題に使える新たな道具の一つとしてこのコスパ改善という錦の御旗は有りだろうと言うことです。
「万一の見逃しに誰が責任を取るんだ」と言う人もいますけれども、そうした生命・健康のリスクも含めてコスパ評価をしていこうと言うのは世のお墨付きを得ていると言うことですし、何より人材不足人手不足を声高に喧伝している医療業界こそ昨今人余りが問題化しつつある弁護士業界などよりも、よほど率先して「コスパ改善の方法論としての省力化」を推進していく大義名分があるだろうとは思いますね。

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コメント

コスパ計算上命の価値をどう数値化するかが一番の問題なんじゃないかとって気がします。
かろうじて高齢者だけは「命の沙汰も(国の出す)金次第」がちょっとは通じそうにも感じますが。

ところで高いだけで効果が乏しい癌治療は混合診療だけど高いだけで効果が乏しい延命治療は全部保険。
これって実は命の価値がすごく不平等に扱われてるとも言える気がするんですが。

投稿: ぽん太 | 2014年1月24日 (金) 10時14分

ある程度医療も経済原則に縛られるとして、今後は誰がどの程度縛られるかの議論が必要となるでしょう。
若年急性期への縛りに拒否感が強いとなると、高齢者等他の領域だけ縛るのも公平性に反すると言われかねません。
後期高齢者医療制度等の年齢別の区分はそう考えると、医療の差別化には有用だったはずですけれどもね。

投稿: 管理人nobu | 2014年1月24日 (金) 12時22分

世界的に日本の医療ほどコストパフォーマンスの最悪なものはないですね。金を溝に捨てているようで。
高齢者末期患者に対する年齢度外視の濃厚医療(透析やICU治療)、CT/MRIなど必要外の高額検査の乱発、
人間ドックや検診の過剰な推進、ガンの早期発見による抗癌剤乱用、風邪の抗生物質乱用などなど
これだけ検査や治療に金をかけてもたぶん病気が治ったとか死者が減ったという話は聞かない
高額な検査/治療する理由は明白で、主としてゼロリスク信仰による訴訟リスクの回避と医療者の利益追求。
負担ゼロの生活保護者や負担率の低い高齢者には痛くも痒くもないので、誰も批判の声を上げず、国の負債が際限なく増えて収拾がつかなくなっている状況ですね。ちょっと批判すれば、「患者を見殺しにするのか(怒)!!!」ヒステリックに反応する輩ばかりですからね。
医療先進国からしたら、この国の迷走医療とそれをずっと許している国民は失笑ものです。

投稿: 逃散前科者 | 2014年1月24日 (金) 15時00分

国別の医療支出を比較するにしても元データの取り方が統一されていないのだから厳密な比較は難しいでしょうな
ただ国民の間に医療費を減らすというモチベーションが起こりがたい構造になっているのは否めないようでこれをどうすべきか
給付削減よりも麻生氏の唱えたようなボーナス制の方がまだしも受け入れられるかと愚考いたしますが

投稿: 元僻地勤務医 | 2014年1月24日 (金) 17時57分

日本の医療のコストパフォーマンスは世界イチィィィィィィィ
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1640.html

あとは、寿命を切り下げるしかないですねぇ。

投稿: おちゃ | 2014年1月27日 (月) 13時20分

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