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2013年10月29日 (火)

日本では患者の自己決定権は尊重されていない?

国内某界隈で近年信者を増やしている一派があると側聞しますが、このたびとうとう映画まで出来上がったそうです。

「自ら考え、決める」貫く がん患者の記録映画 各地で上映(2013年10月17日東京新聞)

 乳がんを患いながら積極的な治療をせず、昨年五十八歳で亡くなった渡辺容子さん=東京都杉並区=の終末期を追ったドキュメンタリー映画「いのちを楽しむ-容子とがんの2年間」が今夏から各地で上映されている。自ら考え、がん“放置”を選んだ女性の姿を通じ、人の生き方、死に方を見つめる。(山本真嗣)

 映画では余命一年の宣告から、亡くなるまでの二年間を追った。がんが見つかったのは一九九四年、四十歳のとき。主治医は「患者よ、がんと闘うな」(文芸春秋)著者で、慶応大病院の近藤誠医師。「ほとんどのがんに手術や抗がん剤の治療は効果がなく、早期発見、早期治療に意味はない」と主張する近藤医師に共鳴した。
 がんは徐々に大きくなり、皮膚を破る恐れがあったため、六年後にがんだけを除去する乳房温存手術を受けた。その後、全身への転移が分かり、放射線とホルモン療法で痛みを抑える方法を選んだ。「長くだらだら生きるより、短くても楽しく生きたい」と渡辺さんは映画の中で語っている。
 経過観察を続けながら、学童保育職員の仕事をしばらく続け、旅行にも出掛けた。全身転移後も普通に生活し、治療体験録を発行したり、パーティーに参加したり。母親もみとった。古里の福島県を思い、「できることを」と反原発集会にも駆け付けた。
 現代医療への懐疑心から何冊も本を読み、医師に質問し、治療法は全て自分で選んだ。「人生は自分が自分の主人公でいられることが大事。主治医も自分」
 だが、現実は容赦ない。最後の数カ月はほぼ寝たきりで、全身の骨に転移したがんの痛みに苦しむ。「死ぬまでには大変な苦労がいる」といい、衰弱していく渡辺さんを、カメラは克明に記録する。
 それでも、みとった妹の越子さん(57)は「やりたいことをやり通した姉は、幸せだった」と振り返る。

 映画では、渡辺さんと対照的に積極的な治療に臨むがん患者の女性=当時(56)=も登場。五十四歳で子宮肉腫と診断された女性は、子宮の全摘手術や抗がん剤、放射線治療のほか、保険適用外で一回数十万円の免疫療法なども受けた。女性は「ずっと死刑宣告を受けて生きている気持ち。背負った重い荷物を下ろせないような」と語る。
 この女性も渡辺さんと同様、徹底的に調べて自ら治療を選んだ。しかし、容体は悪化し、緊急手術の二日後に亡くなった。夫は「小さな明かりだったかもしれないが、少しでも可能性があれば、治療が生きる希望だった」と話す。
 容子さんの知人で、映画を製作したビデオプレス(東京)代表の松原明さん(62)は「がんも生も死も一筋縄ではいかないという現実を見て、それぞれの生き方、死に方を考えるきっかけにしてほしい」と話す。

      ◇

 映画は十一月十九日、さいたま市の彩の国さいたま芸術劇場で上映。千二百円。(問)ビデオプレス=電03(3530)8588=へ。
◇渡辺容子さんのがん発見後18年間の歩み
1994年春  右乳房に5ミリほどのしこり発見。近藤医師に受診し、放置を決める
2000年7月 しこりが4~4.5センチほどになり、乳房温存手術を受ける
 08年10月 鎖骨上のリンパ節への転移確認。ホルモン剤治療を続ける
 09年8月 骨、肺、肝臓への転移確認。放射線治療開始
 10年3月 近藤医師から余命1年の宣告受ける
   7月 ビデオプレスが撮影開始、がん治療体験録を出版
   10月 母・ワキ子さんをみとる。小笠原諸島に旅行
 11年4月 東京電力前の反原発集会に参加
 12年2月 骨転移からくる痛みが激しくなる
   3月 豊島病院緩和ケア病棟で死去

記事だけから映画の内容を云々するのも無理があるかと思いますが、記者がこのように受け取り要約する内容の映画だったとすると様々な意味で癌治療というものを考えさせる問題提起に満ちた映画に仕上がっているのではないかと考えますがどうでしょうか。
信仰と言う事に関して昔から貧乏人が神の存在を信じるなどおかしいじゃないか、信じる者が本当に救われるのならなぜいつまでも貧乏のままなんだと口の悪いことを言う人もいますが、人生最後まで信仰の世界に浸りきり自己完結したまま終われるのだとしたら、それはそれで幸せな人生と言えるのではないかと思いますね。
それはともかく、先日は安楽死が合法化されたオランダで安楽死専門クリニックに 1000人単位で患者が殺到しているとの記事が出ていましたが、人が将来を想像できる唯一の生き物である以上自分がどのように死ぬかということに関心が向かうのはある種の必然であって、生き方の多様性が実現した世界では死に方の多様性を求めたくなるのも自然な人間心理なのかもしれません。

最近では社会保障政策に対する不安と不満があちこちで語られていて社会的な圧力もあるのでしょうが、寝たきりになって長生きするぐらいなら元気なうちにぽっくりいきたいという声が高まっていって、逆になぜ日本ではぽっくりいけないんだという疑問から寝たきり老人がいないという諸外国への関心が高まっているのですが、これも種を明かせば口から食べられなくなれば何もしないでいかせるというだけのことなんですね。
寝たきりになる前に弱ってくれば何もせずいかせてしまうという選択は日本ではむしろ医療従事者の間から反発の声が強くて、「少し点滴でもすれば回復する人もいるだろうに」との声もありますけれども、逆に言えばわずかな脱水でそこまで状態が悪化してしまう人はどちらにせよ人生の終末期であるということに間違いはないともいえるわけで、結局はどこからを積極的な手を引くべき終末期と定義するかの社会合意の問題でしょうか。
その点で未だ社会的合意の存在しない現段階の日本では医療従事者と患者家族との間で考え方に違いがあるだろうし、国が進めたい方向性と国民の求める方向性にも違いがあるのは当然ですが、それでもどちらを選んでも大差ないのではないかと思えるような局面で、当事者である国民の意思が反映されないというのはやはり困ったものだという気がします。

心停止時、心肺蘇生を望まない入所者も救急搬送(2013年10月25日日経メディカル)

 産業医大救急医学教授の真弓俊彦氏は10月21日、第41回日本救急医学会総会・学術集会のシンポジウム「長寿社会に安心を届ける救急医学」で口演し、施設入所者を対象とした実態調査やアンケート調査の結果を発表した。心肺停止しても心肺蘇生は望まない(DNAR)意志があったにもかかわらず、心肺停止時に救急搬送され、心肺蘇生を実施されている入所者がいる実態が明らかになった。

 真弓氏らは、以前の勤務地である一宮市立市民病院救命救急センターに2010年4月から12年4月までに老人保健施設などの要請で救急搬送された心肺停止例を対象とした実態調査と、一宮市内の老人保健施設や特別養護老人ホームなどの施設を対象としたアンケート調査を実施した。

 実態調査の対象は、同センターに搬送された心肺停止334例のうち、施設から搬送された12例と訪問看護師の要請で搬送された21例。そのうち、8例が事前にDNARの意志を示し、DNAR指示が出ていた。しかし、全8例について、心肺停止時に対応に当たった施設担当者や訪問看護師はDNAR指示を把握しておらず、救急隊にも伝わっていなかった。その結果、その多くで心肺蘇生が実施されていた。

 アンケート調査では、一宮市内にある老人保健施設や特別養護老人ホーム、老人福祉センターなど181施設に調査票を送付。59.8%に当たる108施設から回答を得た。その結果、56%の施設が入所前後に延命処置を希望しない意志があるかどうかを確認しており、42.9%の施設がすべての入所者を対象としていた。しかし、延命処置を希望しない意思の表明があった際の対応マニュアルを定めていたのは18.1%にとどまり、35.2%の施設でマニュアルも対応の仕方も決まっていなかった

 また、延命処置を希望しない意志の表明があった入所者が急変した場合の対応を聞いたところ、心肺停止時には全て救急車を呼ぶと答えた施設が43.7%に上った。心肺停止を含めた急変時には嘱託医を呼ぶなど施設で対応すると答えた施設は28.2%、心肺停止時のみ嘱託医を呼ぶなど施設で対応するとした施設は6.8%、目撃のない心肺停止時のみ嘱託医を呼ぶなど施設で対応すると回答した施設は4.9%だった。

 真弓氏は、「DNAR指示のある入所者の情報が共有されず、施設としての対応も決まっていないにも関わらず、DNARの意志や延命処置を希望するかどうかを確認している施設もあった」と指摘。「入所者の意志を尊重して無益な救急搬送を減らすためにも、施設での死亡確認を進めていく必要がある。また、学会などが協力して、施設での急変時の対応指針などを作る必要があるのではないか」と話している。

救急を受けている病院ですと「なぜこれを搬送してくるかな…」と思うような症例にあたることもままあると思いますが、もちろん患者本人や家族が濃厚医療を希望しているのに医療従事者側が「この人には必要ないだろ」と勝手に判断するのもいいことではありませんが、逆にそれを希望しないのに強制的に心肺蘇生をするのも支払い負担が発生する分、余計にたちが悪いとも言えますよね。
もちろん連絡不徹底やマニュアルの不備などもあるのでしょうが、注目していただきたいのは実に半数近くの施設が急変時には全例救急車を呼ぶと答えている点で、せっかく終末期の看取り方の意思確認をしているにもかかわらずこうした対応をしているのでは全く何の意味もないことです。
なぜこのような現象が発生するのかということですが、施設に勤務しているスタッフすべてが利用者全員の希望を熟知していることはもちろんありえず、いざ急変となるとカルテなど文書で確認しなければならない、一方で急変時には一分一秒を争うと誰でも常識的に承知していますから、とりあえず救急車を呼んでおけば「まあ手厚い対応をされて嫌がる人もいないだろうし」とトラブルも少ないという判断なのでしょう。
自己決定権以前に救急車を一回呼べば数万円、心肺蘇生を受ければ一財産持って行かれるのが当たり前という諸外国ではちょっと考えにくい「万全の」対応と言えますが、これまた質量ともに不足しがちなスタッフによって何とか日本の医療システムとの間で整合性を保とうとする介護スタッフの苦心の結果というべきで、仕方ないといえば仕方ないことなのかもしれません。
もちろん利用者の自己決定権尊重という観点から大いに問題があるし、国としてもせっかく高齢者にはDNRが当たり前という風潮を拡散させて医療費抑制の一助としようと考えていたでしょうから困ったことなのですが、今後はより厳密に利用者個人の気分を拾いあげ実現に努力するという方向に進む施設と、最初から決まりきった対応でいいよという利用者しか受け入れないという方向に進む施設とに分かれていくのでしょうか。

最近では高齢者においても金を持っている人には応分の負担をという考え方が次第に浸透してきていて、経済的な政策誘導が国民の行動を左右するということからすると日本においても徐々に高齢者には若い人のようにはお金をかけないという考えが浸透してくるものと思いますが、まだまだ当分は北欧諸国のような「年寄りは弱ったら放置」という社会的な合意とまでは至らないのは当たり前のことです。
その北欧ではむしろ今までは医療に対するアクセスを規制過ぎたという反省もあって、もう少し国民が医療を利用しやすいように制度改革してもいいんじゃないかという考え方さえ出ているそうですが、国の規模がずっと大きい日本では基本的に全員が対象のサービス提供は控えめにしておいてリソースに余裕を持たせる、その上で困っている人には何かしらの追加措置をという形の方がコントロールしやすいんじゃないかと思いますね。
その点で実は一番の対抗勢力になりそうなのが一部の医療関係者で、昨今医療に対して過度の無抵抗主義のような妙な考え方が広まっているのも「人の命は地球よりも重い」とばかり延命こそ唯一最大の正義であるとも受け取られかねない過剰医療を提供してきたことの反動だということを考えれば、「誰一人として困ることのないように」などと過剰なサービス提供を当たり前の大前提にしろと言い出さないかとも懸念されます。
ともかくも癌だろうががんもどきだろうが疑わしきは全て決め打ちで最初から何もしないというのも極端だし、個人の希望や死生観も無視して全例徹底的な濃厚医療というのもまた極端というものですが、患者にとってどう死ぬかということがこれだけの重大関心事なのに、自分の患者がどう死にたいと思っているかに関心を示す医師は思いのほか少ないという現実にはギャップを感じないではいられませんね。

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コメント

基本的に、その施設で看取るよりも救急車で搬送した方が施設にとって楽なのが一番の問題かなと思います。
施設で看取れば数十万円の介護報酬をつけ、施設で看取った医師にも相応の診療報酬をつけるようにすれば、徐々に施設で看取る方向に誘導されると思います。当然後ではしごを外すことを前提として・・・

投稿: クマ | 2013年10月29日 (火) 08時59分

これって終末期対応の仕方を問うことが目的化してて意味など考えてないんでしょうね。
一生懸命心肺蘇生してなんとか心拍復活したころにやってきた家族から「別に何もしてもらわなくても…」って言われたときの疲労感は半端なんですが。
こういうのに限らず施設の人ももうちょっと真面目に医療を勉強して欲しいって思うときがありますね。

投稿: ぽん太 | 2013年10月29日 (火) 09時02分

ところで施設でお見送りしたら清拭やら諸々かかるコストは持ち出しになる?
それだったら病院に丸投げしたくなるのは無理ないよね?

投稿: トマト | 2013年10月29日 (火) 09時11分

>>ずっと死刑宣告を受けて生きている気持ち。背負った重い荷物を下ろせないような

最初に癌が発見された時に直ぐに手術を受けておられたら背負う荷物もずいぶん軽く、場合によっては荷物すら背負わずにおすみになったのではないかと思うと残念な気がします。

投稿: 浪速の勤務医 | 2013年10月29日 (火) 09時22分

>1994年春  右乳房に5ミリほどのしこり発見。近藤医師に受診し、放置を決める

はい終了終了w

投稿: aaa | 2013年10月29日 (火) 09時32分

>ところで施設でお見送りしたら清拭やら諸々かかるコストは持ち出しになる?
介護保険施設でも医療機関でも、自費扱いで料金設定できますよ。
参考例
http://www.town.kyotamba.kyoto.jp/reiki/reiki_honbun/r244RG00000785.html
http://iryoujimu1.com/iryoujimukouza9-7.html

投稿: JSJ | 2013年10月29日 (火) 09時46分

従来型老健においてターミナルケア加算は最高76100円です。
ただし、きちんとしたプランを前もって作成し実行しなければなりません。
つまり急変時には加算は一切ありません。

投稿: 嫌われクン | 2013年10月29日 (火) 09時48分

5mmの初期乳癌を放置させて苦しみまわって死亡させたのに患者に喜ばれたという嘘のようなホントの話。
ムンテラマイシンってよく効く人にはほんと劇的に効くんだね。

投稿: | 2013年10月29日 (火) 10時12分

まあ本音の部分では無治療放置の是非が問題なのではなくて、無治療で手遅れになるまで放置しておきながら心変わりして「治してくれ」なんて言い出すことに辟易している先生が大多数かなと感じますが。
その意味では最後まで近藤先生の御指導通りに余計な手をかけずにやっていただけるのであれば、急性期の医療リソース温存という意味でも一定の評価をすべきなのかも知れません。

ところでコスト請求はともかく、夜間に看護師のいない施設だとお見送りのための処置も苦労するかと思いますが、そのあたりはいわゆるおくりびとなりに外注することになるんでしょうかね?
何もしらない介護スタッフが清拭したり綿を詰めたりなんて作法を知っているとも思えないし、そんなことをやれと言われた日にはただでさえ3k4kと言われる職場からさらに人が消えそうな気がします。

投稿: 管理人nobu | 2013年10月29日 (火) 11時35分

明らかに病期の違う患者を比較して無治療でもこんなに楽しく長生きできる、積極的に治療したって苦しんで早死にするだけだという描き方に悪意を感じる。
近藤が初診時に正しい治療をすすめていれば楽に完治していただろうに。
というかこいつまともな診断能力もないんじゃないのか?
ガンモドキ理論って確かに画像診断のできない放射線科医にとっちゃいちばん楽なやり方だよね。w

投稿: 駒野 | 2013年10月29日 (火) 12時19分

>コスト請求はともかく、夜間に看護師のいない施設だとお見送りのための処置も苦労するかと思いますが
昨今、病院でも「死後の処置はしません」という施設が現れているそうです。

投稿: JSJ | 2013年10月29日 (火) 13時29分

何年か前に民間業者のエンゼルケアの講習会を受けましたが、
死後に、手首やあごを縛るのは「やっちゃいけない」こと
     綿詰めは、例外はあるにせよ大半のケースでは「意味のない」こと
と教わりました。

投稿: JSJ | 2013年10月29日 (火) 13時37分

近藤氏のトンデモ屁理屈に対する批判はこちら。
ttp://pseudoctor-science-and-hobby.blogspot.jp/2013/10/blog-post.html

早期癌を放置してしまうとやっぱりこうなるというある意味貴重な症例の方のブログがこちら。
ttp://lumokurago.exblog.jp/
近藤誠は最後の頃の記事を音読する様に!!!怒

トンデモ妄想を面白半分に取り上げて記事にしてるマスゴミ箸ね。特にウソヒ新聞。

投稿: 放置医 | 2013年10月29日 (火) 13時52分

それでもこいつは「私は患者に選択枝を提供しただけ。選んだのは患者自身だ」と言ってそう

投稿: | 2013年10月29日 (火) 14時39分

亡くなられた乳癌の方、ご本人はともかくご家族も納得されている様子なのが気になりますな
もともとそういうキャラクターだとご家族にも受け止められてでもいたのですかな?

投稿: 元僻地勤務医 | 2013年10月29日 (火) 17時28分

一部転載させていただきました。
パーキンソン7年目、自分の中では終末で、「在宅独り死」を希望し、時折挫けています
自宅で独り死(孤独死でなく)の、医療、介護の体制がふつうになってほしい。
老いて、自宅を離れて、悔やまない人はいないと思う
人生の最後になって、自分の居場所を失い、他所で終わるのは不幸。

自宅から、移り住んで、手厚い介護を受けながら、
でも、押し潰されそうな悲しみの中に暮す人に
「寿の命」について考える

自宅で独り死(孤独死でなく)が、しあわせだと思う
ポックリ死というのは、基本独り死が多い

スエーデンなどでは、私の考えが普通だと思うけれど??
日本では非常識・・
一体、世界の終末医療はどうなってるのだろう
私はこんなに悩んでいるのに
議員さんたちは、海外視察で、視察してことを国民に知らせてほしいし、
メディアは報道してほしい

やっぱり、利権が絡んで動けないのだろうか・・
「まずコストも高く設定する、安心な看取りの医療を」
コストにならないない患者は嫌われる(嫌味でなく生活保護者は上客)

投稿: ぽんのんの「 | 2014年7月20日 (日) 21時25分

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