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2013年9月24日 (火)

終末期医療 一生に一度の選択を迷いなく行うには

ショートショート1000編執筆という偉業を達成した作家の星新一はメモ魔として有名で、何でもかんでも思いついたことを片っ端から紙切れに書いては机の周りに放り出していたそうですが、後日そこから思いもかけない新作のアイデアが生まれることもあれば、「いったいこれはどういう意味だったんだろう?」と首をひねるしかないメモも少なくなかったと言いますが、その星新一氏の何気ない言葉にこんなものがあります。

三日かけてなぶり殺しにするといわれたら即座の死を望むだろう
しかし一年となると、こちらを選ぶに違いない。境目はどこにあるのだろうか。

ある時期が来たら確実に死ぬということが判っている場合、どうせ死ぬなら余計な苦痛などなくさっさと死にたいと考えるのもまた人間ですし、同時にまだそれだけ生きられるのなら最後まで生きたいと思うのもまた人間ということで、個人の考え方や立場によってもなかなかこれという明確な割り切りは出来ないように思いますね。
医学的に言えば例えば癌などのいわゆる余命告知問題なども同様のジレンマが存在しているのでしょうが、これまたどのように死と向き合い対処するかという考え方は人それぞれで個人差も大きいだけに告知の是非が云々と言われても本当の意味での正解はないはずで、ただ医療提供の上で何かしらのルールや指針が存在しないことには現場もどうするべきか迷うだろうし患者や家族ともトラブルになるということでしょう。
昨今では一部に例外はあるものの司法判断においては患者の自己決定権と言うものが非常に重視されるようになってきていて、その流れでこうした余命告知においても原則知らせるべきであるし、知らせなければ後で訴えられるかも知れないよと言うことになってきていますけれども、これなども考えて見ればJBM的な考え方が滲透してきている結果だとも言えそうですよね。
終末期のただ延命だけを目的とした人工呼吸器なども医学的にも患者家族の心情的にもいつまでもやっていても忍びないだけなんですが、下手をすると殺人罪で訴えられるということを考えるとうかつに外すことも出来ず非常に煩雑な手続きを必要とするのが現状ですけれども、これまたより徹底的に(言葉は悪いですが)「事なかれ」的対応をしていくというのが学会などの考え方なのはそうした理由もあるわけでしょうね。

くらしナビ・医療・健康:9月→人生の終末に 今週は学会の指針 患者への説明、より丁寧に(2013年9月19日毎日新聞)

 2006年に発覚した射水市民病院(富山県)での終末期患者の人工呼吸器外し問題以降、終末期医療に関するルール作りの議論が続いている。指針に基づく治療中止などの報告は多くはないが、指針をきっかけに、患者の意思確認が徹底されるなどの効果もあるようだ。

 射水市民病院の問題発覚の前、北海道立羽幌病院での呼吸器外し事件で、延命治療中止を理由に医師が初めて殺人容疑で立件された(06年不起訴処分)。

 医師の独断を排除し医療現場の混乱を避けるため、終末期の治療方針決定に関するルールを求める声が相次いだ。厚生労働省は07年、患者本人の決定を基本にした上で複数の医療者が判断するなど、方針決定の流れを示す指針を公表。終末期医療に関する国の初の指針となった。

 だが、終末期の定義など具体的な内容が盛り込まれなかったことなどから、医療や介護の現場でなかなか浸透していない。同省が今年3月、医療機関や介護老人福祉施設の施設長を対象にした調査(対象4200人、回収率35・4%)では、同省の指針に沿うよう指導している病院や介護施設は全体の約2割。指針を知らないケースも病院・介護施設で約3割、診療所では約6割に上った。

 一方、終末期の患者にかかわるさまざまな学会が独自の指針を策定、患者への丁寧な対応や混乱防止を図ろうとしている

 日本救急医学会は07年11月に指針を公表。治療開始から短い時間で死が迫る救急現場の特殊性を踏まえ、終末期の定義を「不可逆的な全脳機能不全(脳死診断後など)」など具体的に示し、延命中止の選択肢(人工呼吸器取り外しなど)も明記した。

 同学会の終末期医療のあり方に関する委員会(委員長=横田裕行・日本医科大教授)は昨年5月、指針の活用状況を救急科専門医に調査した(対象3374人、回収率19・5%)。その結果、指針を「よく知っている」「おおむね知っている」は計82・4%で、公表直後の08年調査時(73・3%)より増えた。

 ●倫理観共有にも有益

 治療中止を検討する際、学会や病院独自の指針を使ったことがあるのは2割程度だったが、指針によって「終末期の方針を相談する機会が増えた」「説明や同意の内容について正確な記録を残すようになった」との声が08年調査時よりも増えた。指針が、より丁寧な患者対応を促している可能性がある。

 横田委員長は「家族らに説明するタイミングや環境にも配慮するケースが増えたようだ。医療チームで判断することを明記したことで、現場全体で倫理観を共有化するのにも役立っている」と話す。【大場あい】

もちろん患者にとっては文字通り人生最大の決心を求められる一大事だけに、こうした終末期対応の齟齬はマスコミからは格好の医療叩きのネタになるらしく、何かと言えば「医師の無神経な言葉に傷つき」云々といった話を取り上げたがりますし、いわゆる顧客満足度向上の考え方からも本人家族と十分な意思疎通を図るというkとおは重要であることは言うまでもありません。
ただそれだけ懇切丁寧な説明を繰り返すということは医師らのマンパワーを非常に大きく要する作業で、現状でこうした作業には控えめに言っても十分な診療報酬が出されているとも言えないだけにコスト負担はどうするのか、ますます丁寧な説明を求められ仕事も回らなくなるくらいなら最初から余計なことなど言い出さず家族が見るに見かねて「先生実はお願いが…」と言い出すまで黙って呼吸器をつけとけばいいとなりかねませんね。
学会などは「医療とはかくあるべし」を決めているところでもあって、もちろん理屈の上でそれは正しいのも理解できますが、実際の医療とは診療報酬設定によって容易に誘導されてしまうようにしょせん金にならないことはやりたくてもやれない程度の「薄利多売」の商売なのですから、学会が医療財政を無視してかくあるべし論を突き詰めるほど現場はついていけなくなるし、そこで国をどう巻き込むかという考えも必要になるはずです。
いささか話が脱線しましたけれども、癌対策ということに関連して一つにはcureを目指した積極医療というものがあり、そしてもう一つにはBSTなどと呼ばれる苦痛緩和などのcare主体の対応があっていわば両輪を形成していますけれども、先日特にその後者に着目してこういう話が出たそうです。

がん対策に在宅の充実を-対策推進協(2013年9月20日CBニュース)

 国のがん対策推進協議会(会長=門田守人・がん研究会有明病院長)は20日の会合で、今後のがん対策の方向性について意見を交わした。委員からは、がんの罹患者・死亡者が増える高齢社会に向け、在宅医療の充実を図る必要性などが指摘された。

 この日は、前回会合から新たに加わった委員らが、今後の対策を考える上で重要な視点や課題について発表。がんに対する国民の意識を向上させることや、就職や結婚、出産といったライフイベントのさなかにある若い世代の患者への支援、在宅でがん患者を支える仕組みづくりなど、現在欠けている対策について述べた。

 議論では、在宅医療に関する意見が多く出された。堀田知光委員(国立がん研究センター理事長)は、「(高齢化のピークに向かって)患者数が増え、サバイバーも亡くなる方も増えてくるという状況の中で、これにどう対応していくかという大きな視点も必要だ」とし、在宅の重要性を指摘。川本利恵子委員(日本看護協会常任理事)は、「がんケアに強い訪問看護ステーションが必要と思うが、連携を考えた体制づくりをしていかなくてはならない」と述べた。細川豊史委員(京都府立医科大附属病院疼痛緩和医療部長)は、在宅でがん患者を診たいものの、「何から手を付ければいいか、何を勉強すればいいか分からない」という開業医も多いとした上で、「最初の治療を終えた退院時に、在宅かかりつけ医を紹介するシステムをつくってほしい」と訴えた。【烏美紀子】

正直普段からcureばかりでろくにcareをやっていなさそうなナショナルセンターや大学病院の偉い先生方ばかりでこういう議論をすることに違和感を覚えざるを得ませんが、深読みすると「積極治療が出来なくなればうちでは診療の対象外だから、あとは開業医さんの方で適当にやってね」ということなんでしょうか?(すみません冗談です)
それはともかく厚労省としても入院主体の医療から在宅医療へと軸足を移していくという大方針を先日打ち出してきたところで、この終末期癌患者の在宅医療という話も同じ一連の文脈で語られている可能性がありますし、当然ながら対象者は多くは寝たきり、緩和療法などcare主体と言う点で、同じく開業医中心で見込まれている高齢者の在宅医療ともリソースが共用化できそうだと言う計算もあるのでしょう。
以前から「最後は自宅の畳の上で死にたい」という希望を多くの患者が口にしている、一方で多くの家族は「最後は病院で看取ってもらいたい」と希望しているというギャップが以前から指摘されていて、その理由の大きな部分として現実的な「介護の負担」などと並んで「患者が苦しんでも家族では何も出来ない」という技術的な問題も多くの家族が指摘していたわけですね。
在宅医療といってもきちんとした方法論をとればかなりのことが出来ますから、看取りを担当する在野の医師は最低限在宅医療で何がどこまで出来るのかということを精通しているのはもちろん、患者を手放す側の病院側担当医にしても事前に外泊等を積極的に行わせ患者や家族の不安感を払拭する努力が必要となりますし、行政側はそれを可能にする診療報酬体系を整備することが求められるのだと思います。

医師なら患者から「先生ご自身(あるいは先生の家族)だったらどうします?」などと問われることがあると思いますが、よく言う話に日頃から末期癌の患者にもどんどん積極的な医療をしているような医師自身が末期癌だと言われた場合に、それじゃ自分も一生懸命頑張るという人が思いの外少ないというのは、医師が患者に伝える情報が医師自身と同じ理解に達するにはまだ不十分なものであることを示唆しているとも言えそうです。
先日は日本癌学会の会長が会長としてではなくあくまでも個人的意見と断りながらも近藤氏の言うところのがんもどき理論は「荒唐無稽」と斬って捨てたと言い、それなら長年同氏を飼っている慶大病院の責任はどうなのかとも思うのですけれども、近藤氏に見習うべき点があるとすれば延命効果だとか根治率だとか言った数字に出る客観的評価ではなく徹底的に患者の苦痛といった主観的評価から論を展開しているところではないかと思いますね。
冒頭の星氏の二択にしても表現に左右されるところが大きくて、「これから1年間貴様には徹底的に苦痛を味わせてやる」「だが近藤教に入信すれば三日後に安らかな死を迎えさせてやろう」と言われれば近藤教に入らせてくださいと誰だって言いたくなろうと言うもので、「癌治療はつらくて当たり前」ではなく患者苦痛という評価軸もきちんと組み入れて方針を考え伝えていくこともこれからの重要なステップではあるのでしょう。
それにしても今現在は医師と患者が同じ情報を手にすることが正しい判断の大前提だという考え方で話が進んでいますけれども、同じ情報を手にすれば立場の違いを超えて同じ結論に達するようになるのか、それともやはり異なった選択をするのかということは今後の行方を見守るべき興味深い命題だと思います。

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コメント

目的が違うんだから選択が違ってもあたりまえ
医者は手間かからずに金になる患者を求めてる
患者は金かからず手間暇かけてもらえることを求めてる

投稿: | 2013年9月24日 (火) 08時28分

勤務医は給料同じだからそんな金金言ってないって思いますけどね。
金金言ってる経営者はもうかるなら勤務医の手間がかかろうが知ったことじゃないですが。

投稿: ぽん太 | 2013年9月24日 (火) 08時57分

普通の客商売と違って多くの医師はもっとお客(患者)に来て欲しい、なんて思ってませんから
むしろ少しでもお客を減らすために努力してる感じですよね

投稿: tama | 2013年9月24日 (火) 09時36分

そういう意味ではチップ制度というのはそれなりに合理的で、日本でもドクターフィー導入を求める声が一定数あるのも理解は出来ますね。
いきなり制度としてどうこうは一部方面の反対もあるでしょうから、医療特区などで導入してみてどうなるかを検討してみればいいと思います。

投稿: 管理人nobu | 2013年9月24日 (火) 11時36分

けっきょく金払いがよくないと患者の為に働く気にはならないってことね

投稿: | 2013年9月24日 (火) 16時53分

>金払いがよくないと患者の為に働く気にはならない
というより、オプション料金を出さないのであれば標準的サービスを越えてまで期待するなということでは
そしてすでに日本では多くの医師達が標準的サービスをはるかに越えて奉仕しているわけで

投稿: 元僻地勤務医 | 2013年9月24日 (火) 18時02分

病院勤務医時代は少しでもお客を減らす(病院に来る必要のない患者の強制的逆紹介)努力をしていましたが、
開業医になると客商売と同じですから、誰もがもっとお客が来て欲しいと思っているはずです。
そうでないと採算とれずにすぐにつぶれますからね。
日本のように技術料も診察料も安く設定されていて、自転車操業の薄利多売システムだと短時間の薬盛り診療で1日50人〜100人診察しないと採算がとれないとか。
脳外科医や皮膚科医や消化器科など元々精神科ではない医者が「精神科・心療内科」と標榜して開業しているクリニックの乱立などはそれを象徴してますね。
金がかからず手間暇かけてもらいたいというエゴは医療を崩壊させる強力な因子になりえますね。

投稿: 逃散前科者 | 2013年9月25日 (水) 12時22分

というわけで、
手間暇に対して金を払おうとしないことが、今日の日本の医療をとりまく諸問題の原因のひとつ、
ということでよろしいでしょうか。

投稿: JSJ | 2013年9月25日 (水) 13時09分

開業医もDQNはさっさと始末つけないとあとで大きなツケ払わされるよ〜

投稿: | 2013年9月25日 (水) 13時33分

保険診療でやってる限り手間賃を払おうにも払えないようになっていることも一因ではないかなあ
予約を時間通りにみてもらうのにいくら、専門医にじっくり話を聞いてもらうのにいくらと取れれば需要はある気が

投稿: 元僻地勤務医 | 2013年9月25日 (水) 14時06分

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