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2013年9月17日 (火)

要求水準は高すぎても低すぎても適切ではない

本日の本題に入る前に、クレーマーという言葉が世に定着して久しいですが、一部のゴシップメディアのみならず一般紙でも行き過ぎた行為が否定的な文脈で取り上げられるようになってきたのかなと感じさせられるのがこちらの記事です。

ドアに腕挟まれた男性、車掌にしつこく謝罪要求(2013年9月15日読売新聞)

 14日午後10時25分頃、札幌市営地下鉄東豊線の新道東駅で、栄町駅行きの電車から降りようとした男性客が、ドアに腕を挟まれた

 最後部の車掌室にいた車掌がドアを閉める操作をし、すぐに気付いてドアを開けた。男性客にけがはなかったが、男性客がホームで車掌に「謝罪がない」などと執拗(しつよう)に訴え、車掌が乗車できなかったため、この電車は出発が約18分遅れた。乗客は約30人で、他6本にも5~12分遅れが出た。

 市交通局によると、車掌はドアを閉める前、ドアが閉まる旨をアナウンスした。男性は40歳代とみられ、ポロシャツにズボン姿で、やや酒に酔った様子だったという。他の乗客たちは、のぞき込んで見るなどしながら出発を待っていた。

一口にクレーマーと言っても様々なタイプに類別され対策も異なるということであちらこちらで様々な分類法が試みられていますけれども、一般的にはドアが閉まる前には危ないぞと音や放送等でその旨がきちんと知らされているはずですし、乗客も30人と言うことですから混雑で身動きが取れないという状況でもなさそうで、警告を無視した本人が一番悪いと言えそうです。
クレーマー対応は千差万別でケースバイケースでやるしかないという意見にも一理あるのですが、最低限不当な要求に対しては安易に妥協せずきちんと断るということを徹底する、そしてもう一点は理を尽くして説明しても納得が得られない(そもそも納得などする気がないからクレーマーなのですが…)場合には通常の顧客対応から外し、法務担当者や顧問弁護士など専門家が対応する必要があると言います。
公共交通機関などにおいても当たり屋的にわざとドアに挟まって賠償を得ようとする人間が一定数いるそうですから、今後こうした場合には怪我の有無の確認なども必要ということでまずは電車から離れさせ駅側スタッフできちんと対応するというようにした方がよさそうに思うのですが、昨今どこも人員削減でなかなか難しいところではあるのでしょうね。

ともかくもクレーマーとまでは言わずとも昨今何気ない日常の中で「そこまで言う?」と思うほど厳しい要求にさらされる機会が増えていると感じている人は少なくないと思いますが、もともとは何かしら不満があればその場で大きな声を出して解消するというのは世界的に見ても一般的なスタイルで、不満を抱えたまま黙って立ち去り二度と足を向けないという日本人のスタイルの方が異端であったとも言えます。
そうしたケースが一般化するほど社会もそれに対応して変質せざるを得ないというもので、判りやすいところでは何かしらものを買うにも契約書だの説明だのがやたらと長ったらしく面倒くさいものになったと言うことがあげられると思いますが、特に影響が深刻なのがその場で迅速かつ臨機応変にやらざるを得ない割に結果が深刻な場合がしばしばあるという現場で、救急医療などはその一つの代表格ですよね。
近年救急崩壊などと言われる中で必ずと言っていいほど取り上げられるのがとにかく医療訴訟が激増し、医療側から見て理不尽とも言える判決が相次いだ結果医療現場が萎縮してしまっていると言う論理で、もちろんクレーマー紛いの症例が増えていると言うことも救急を忌避させる大きな原因ではあると思いますが、先日出ていたこちらの記事を紹介してみましょう。

【救急搬送】消防と病院の連携強化を(2013年09月15日高知新聞)

 県内の救急現場の厳しい現状があらためて浮き彫りになった。
 夜間、搬送先が決まらず救急隊員が何度も電話をかけ、医療機関との長いやりとりの末に搬送を断られる―そんな実態がある。
 社会の高齢化が進み、救急医療の需要は増している。迅速な治療開始のため、救急システムの在り方を問い直す必要がある。

 救急搬送の受け入れ拒否は、2007年に奈良県の妊婦が医療機関に受け入れを10回以上断られて死産したケースをきっかけに社会問題化した。
 背景にあるのは慢性的な医師不足だ。本県でも郡部を中心に産科医や小児科医、麻酔科医などの不足が深刻で、救急体制どころか地域医療の存続そのものが危うい状況にある。
 多くの病院が限られた人員で治療に当たっている。夜間や休日の急患受け入れが現実的に困難な場合もある。
 患者の立場に立てば、より専門的な医療を受けたいのは当然だ。だが、行き過ぎると救急医療に支障が出ることもある。
 重症以上の救急搬送で「専門外」を理由に医療機関から搬送を断られたケースがある。医療裁判で「専門医なら救命できた」と判断されることもあり、専門医がいない場合、病院が受け入れをためらうことも多いという。
 その結果、高度医療機関に患者が集中し、医師の負担が増している。
 医師の確保とともに、診療科目の偏りへの対応など地域の実情に合わせた救急医療体制の見直しを急ぐべきだ。

 一方で、消防と医療機関の連携も強化する必要がある。
 佐賀県では11年に救急車にタブレット端末を配備し、搬送先を瞬時に検索できる全国初のシステムを導入した。当番医の専門や病院の混み具合が、救急隊と病院側双方に分かる仕組みだ。
 本県にもこれに似た「こうち医療ネット」がある。各医療機関が対応可能な診療科目などを公開する専門サイトだ。しかし、情報の更新が不十分で、ほとんど活用されていない。消防関係者が搬送先を決める際に最も頼りにしているのは自らの経験だという。
 登録する医療機関に協力を促し、効果的に運用できるよう工夫したい。
 患者受け入れを何度も断られる事態が後を絶たない中、最初から受け入れ可能な病院を広範囲に探すことができる仕組み作りが求められる。

消防と医療の連携と言えば、施設側が受け入れる意志が全くないのにマニュアル的に冗長な報告をしていたずらに時間を浪費している救急隊もかなりあるようで、この辺りはそれこそクレームがつく理由にもなるのでどこまで端折っていいかは難しいところですけれども、少なくとも病院探しは臨機応変に空気を読んだ対応が出来るベテランが行うべきなんじゃないかという気はしますね。
しかし今の時代現場が無理をしなくなったと言うのでしょうか、「これはちょっと専門外だしうちでは難しいけど、でも取りあえず受けようか」ということは確実に減ってきていると思いますが、要求される医療水準を保とうと思えばどうしてもそうならざるを得ない訳で、いわゆるJBM(司法判断に基づく医療)云々以前に最低限備えていることを要求される水準が各診療分野で高くなっているのだと思います。
ただ問題はその要求している主体がどこにあるのかと言うことで、もちろんクレーマーやモンスターと言われる顧客側、あるいはJBMや医療バッシングを繰り返してきたマスコミなど第三者側の要因も大きいのですが、一方で医療側自身も「現実的にそれは現場で実施するのは難しいのでは?」と思われる医療水準を当然備えておくべきものとして求めて来た部分が少なからずあったのは事実だと思いますね。

救急なども理想的には当座どんな分野であっても初診をきちんとさばき、必要な応急処置を講じた上で専門医に送るという仕事をgeneralに出来る総合医なるものが増えてくればいいのでしょうが、従来の専門分化した医学教育システムで育った医師達においては救急専門医など限られたスタッフしかこうした仕事には対応出来ず、総合医が充足するまで個々の医師の努力や資質に頼るしかないのが現状でしょう。
その総合医もキャリアとしてどの程度魅力的なものになるかも未だにはっきり見えてこない上に、そもそもそうした進路を積極的に選択する医師が本当に救急初診などやってくれるのかという懸念も依然あって、とりあえずは初期研修の期間内に最低限ある程度診られるだけの能力は身につけておいてくれと願うしかないのでしょうか。
ただ現状の初期研修では病院側が研修医を評価すると同時に研修医側も病院を評価していて、それがために厳しい評価を避けようと学生実習の延長のようなお客様研修でお茶を濁している施設も少なからずあって、知識などはともかく物理的な技量であるとか、あるいは救急の現場で最も求められる決断力などは育ちにくい環境にも思えますね。
もちろん学生時代にきちんと勉強して「こいつは出来そうだな」と思える優秀な研修医であればどんどん先に進んでいけるものなのでしょうが、医療の標準化ということが叫ばれトップの水準よりも最低ラインの位置こそが注目されがちな今の時代、実際にやるやらないは別として自分の身を守るためにも最低限は出来るスキルは身につけておくべきかなと言う気がしますし、そうしたリスクを負えるのも責任を取らなくて済む研修医時代の特権ではありますよね。

先日たまたま大学で教育システム改革をしようと頑張っている先生と話をする機会があって、従来の講義方式できちんと興味と関心を持ち伸びていけるのは学生のうちわずか1割に過ぎない、これではあまりに非効率過ぎるから何とか早急に改革すべきだと言う主張は、その領域に関心もあり学ぶ意欲を持って参加しているはずの臨床医ですら講演会場で居眠りが目立つことからも非常に首肯できる話だと思いますね。
ではどうしたらいいのか、例えばディスカッション形式など参加型の教育システムに改め自分で主体的に考えるよう誘導すればこれが5割に上がると言うのはその通りなのでしょうが、学会のハンズオンセミナーが常に定員が限られ対象が限定されているように、大学の教官が文字通り教官としての仕事をもっと積極的にやる、出来るようにならなければ最も手間暇のかからない講義形式が相変わらず続くことになるでしょう。
そもそも論として人に教える教官として雇用しているはずの人間のセレクションが論文数が幾らであると言った、教育スキルに全く関係のない評価基準でのみ行われていることが問題なのだという意見もあって、例えば大手予備校のように教育能力が実績として反映されるようにすべきだと言う考え方もありますが、医学部教授と言えば学閥のトップであるだけに研究や臨床のスキルも問われないではいられないのでしょう。
となるといっそ教育と医学とを完全に分離するということで、それこそ医学部と大学病院とを完全に分けてしまうということも一つの手なのでしょうが、学生(正しくはその親)からの莫大な収益で病院を運営している私学に限らずこうした方向への改革は当事者の多くにとって決して喜ばしいことではないだけに、権威筋から改革の気運が盛り上がるということはあまりなさそうですよね。

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コメント

クレーマーは許容しないという社会的なメッセージを出していくべきです。
でもいままでそれに荷担して一緒にバッシングに回ってたマスコミはどうするんでしょうね?

投稿: ぽん太 | 2013年9月17日 (火) 08時57分

マスゴミも許容しないって事でw

投稿: 10年前にドロッポしました。 | 2013年9月17日 (火) 09時23分

札幌市の地下鉄東豊線で、乗客が発車間際のドアにはさまれると言う痛ましい事故があったそうだ。△札幌市営地下鉄と言えば斬新な車体デザインで話題になった。しかし車内には荷物を載せる網棚もないなど、利用者の利便性への配慮は今ひとつだ。△開業以来ホームからの転落事故の多さも問題視された。現在は対策が講じられつつあると言うが、今回またしても事故が発生したことの意味を噛みしめて欲しい。△今後各路線でホームへの安全扉設置を進めるとともに、順次ワンマン運転化を予定していると聞く。利潤追求のあまり安全への配慮が不十分になるのであれば利用者の信頼は得られまい。

投稿: | 2013年9月17日 (火) 10時00分

地元の救急隊は近隣病院の当直表が手元にあるらしいんですけどね。隣町の救急隊が無茶ぶりしてくるのってなんとかならないものかしら。病院と名前がつけばなんだって同じだと思ってない?

投稿: こだま | 2013年9月17日 (火) 10時55分

こういう場合に発車が遅れたために損害を被ったと他の乗客がクレーマーを訴えることが出来るものなのかどうかですが、普通の弁護士であればどうせ訴えるなら鉄道会社にしろと指導するんでしょうかね。
今回読売ですからまだしもですが、朝日あたりがこういうニュースを取り上げないというのは平素からのスタンスと矛盾するという自覚があるからなのでしょうか。

投稿: 管理人nobu | 2013年9月17日 (火) 12時01分

当直中に救急隊のためにタブレットとか操作してる時間ないですorz
つうかよけいなことしたって搬入が増えるだけじゃん
こっちは365日受け入れ不可にしときたいのが本音ですから

投稿: tomo | 2013年9月17日 (火) 15時44分

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