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2013年6月18日 (火)

認知症は誰にでもやってきます

現時点で65歳以上の高齢者の15%、462万人の認知症老人がいるという厚労省の推計が先日発表されましたが、その前段階である軽度認知障害の方もほぼ同数いると考えられていて、実に高齢者の4人に1人が認知症とその予備軍であるということになりますが、2010年の推計では280万人と言われていたことを考えると大変な急増ぶりですよね。
そもそも年齢と共に衰えてくるのが当たり前の知的活動能力に対してどこから認知症と認定していいのか、長谷川式の点数だけが全てなのかと色々と疑問もつきないところだと思いますが、社会的には社会生活を正常に歩めなくなった時点で認知症であると認定するのだとすれば、その認定はなかなか困難な部分があると考えさせられる記事が先日出ていました。

独居のご近所さんが認知症っぽいが…。あなたならどうしますか?(2013年6月10日日経メディカル)

 気づいたのは、ほんのささいな違和感からだった。

 私が住む家の近くには、一人暮らしの高齢のご婦人がいた。きれい好きと見えて、毎朝の自宅近辺の掃除を日課として過ごされていた。会えば「今日は暑いですね」など、他愛ないあいさつを交わすことも多かった。

 数年前のある朝、同じように掃除されているその方を見かけ、声をかけた。受け答えはいつも通りだったが、何か違和感があった。いつもきちんと髪をまとめ、身だしなみも小ぎれいにされているのに、その日はなぜか起き抜けのようで、服も寝間着そのままのように見えた。「疲れてるのかな?」と、その時は特に気にも止めず、あいさつを交わして仕事に向かった。

寝間着のまま外に出て、ごみを空き地に置くように

 けれどそれ以降、違和感は日々大きくなっていった。日課の掃除は欠かさないが、服装はいつも寝間着のまま。しばらくすると、ごみの出し方が分からなくなってしまったようで、空き地に置いていくようになった。

 そしてある日、家の近所で「帰り方が分からなくなった」と、近所の方に道を聞くようになった。どう見ても認知症の症状だ。「どうすればいいと思う?」と妻に問われてみて、これは意外と難しい問題だぞと思い至った。

気づいても、誰に相談したらいいか分からない

 介護分野の取材を通して、認知症に関する知識はひと通り頭に入っている。初期段階で適切に介入し、認知症の専門医や介護事業者につなげ、進行を遅らせるのが大事だと、記事中では何度も書いてきた。

 だが、誰にどうやって話をつなげればいいのだろう?

 私の家族をはじめ、その地域の半数は10年ほど前に引っ越してきた新しい世帯だ。昔からそこに住んでいるご婦人と深い付き合いはなく、家族関係も分からない。古い世帯の近所付き合いも希薄なようで、つながりが全く見えてこないのだ。「あなたは認知症みたいだから、ご家族の連絡先を教えてくれ」などと言うわけにもいかない。

市の担当部局に電話をかけるも…

 自治会などを通じて、お子さんなど家族の連絡先が分かったとしても、単なる近所の人間が電話をかけるのは、相当にハードルが高い。「近所の者ですが、あなたのお母さんは認知症のようです。医療機関や介護事業者に相談した方がいいと思います」──。決して愉快な話ではないし、相手によっては「なんでこの電話番号を知っているんだ!」などと逆に不審者扱いされかねない

 とはいえ、このまま放置するのは、人として道義にもとる。いろいろ考えた挙句、市の介護福祉課に、「実は近所に認知症らしい方がいまして……」と電話をかけた。そのやり取りは非常にお役所的で、面倒かつ要領を得ないものだったが、その後、地域包括支援センターに話がつながり、ケアマネジャーを経てご家族に話がつながった(ようだ)。

 しばらくして他県に住む息子さんという方が、「自宅近くの有料老人ホームに入居してもらうことにしました」とあいさつに来訪した。ご婦人も、状況をきちんと理解できているのかは分からなかったが、その表情は以前よりも安心しているように見えた。
(略)

一昔前であれば地域の長老格のコミュニティーがどこの町内にも存在していて、そろそろあの人が危ないという情報も共有されなにくれと目を光らせていたりお節介を焼いたりもしていたものですけれども、昨今の地域内でのつながりの希薄さから考えると今後こうした状況はいくらでも増えていくものだろうと思います。
問題は認知症になった時に本人だけしか知り得ない個人情報をどうやって周囲が把握するのか、インフォームドコンセントがこれだけうるさく言われる時代にどう自己決定権を担保するのかといった手続き上の問題も大きいことで、早い話が親族にも連絡がつかず病院や施設に入れようにも手続きのしようがないということもいくらでも起こりえるわけですね。
もちろん独居老人が倒れていたといったケースでは緊急性があり当座の処置は本人同意なしで可能ですけれども、そうでない慢性的な経過を辿ったような場合では誰かの同意なしには何も手出しできないという制度になっていることが昨今は非常に多くなっていて、早い話がそうなる前にきちんと自らの身の振り方を決めて誰かに依頼しておけということになるでしょう。
ひと頃救急医療崩壊が叫ばれた頃には「まずは大した病気がなくとも平素からかかりつけ医を持ちましょう」ということが盛んに言われた時代がありましたが、その文脈で言えば「今はまだ大丈夫だと思っていても呆けた時の対策は講じておきましょう」ということになる理屈だとして、どうも世間では思った以上にこの方面での危機感に乏しいらしいというのが気がかりです。

認知症になる可能性「感じない」35%- 内閣府が55歳以上に調査(2013年6月17日CBニュース)

 今後自分が認知症になる可能性について、55歳以上男女の34.9%が、まったく感じていないことが、内閣府の調査で分かった。「まったく感じない」と答えた人の割合は、年齢が上がると高まる傾向にあった。

 調査は、昨年9月27日から10月14日にかけて、55歳以上の全国の男女3000人を対象に実施。1919人が回答した。回答率は64.0%。
 認知症になる可能性については、「まったく感じない」に続き、「まれに感じる」28.3%、「ときどき感じる」25.3%、「いつも感じる」5.7%となった。

 最期を迎えたい場所を聞いた質問では、「自宅」が54.6%で一番多く、「病院などの医療施設」27.7%、「特別養護老人ホームなどの福祉施設」4.5%と続き、整備が急速に進んでいる「高齢者向けケア付き住宅」は4.1%だった。「病院などの医療施設」の割合を男女別にみると、男性の23.0%に対し、女性は31.6%だった。

■自分は延命治療を受けたくないが、家族には受けさせたい人も

 病気が治る見込みがなく、死期が近くなった場合の延命治療の希望については、91.0%が「延命のみを目的とした医療は行わず、自然にまかせてほしい」と回答。この割合は、同じ質問をした2002年(81.1%)、2007年(87.7%)の調査と比べて増えていた。「少しでも延命できるよう、あらゆる医療をしてほしい」と答えた人は5.1%だった。
 一方、自分の家族が同様の状況になった場合の延命治療の希望は、行わない希望が73.7%に減り、延命治療を望む回答が14.7%となった。【大島迪子】

失礼ながらいい年をして「自分が認知症になる可能性がない」などと夢想していられるのは子供が「ボクはオトナにはならないよ!」などと無邪気に信じているのと同じようなもので、本気で言っているのであればすでに将来の可能性を云々するような段階は通過してしまった後ではないかと愚考しますけれども、ともかく当事者およびその予備軍の実に3人に1人がこんな調子であるというのは困ったものですよね。
もちろん調査のバイアスも大きいということはあって、例えば自分が本当に年取ったと感じている人は「俺もすっかり老けちゃって…ハハハ」なんてことは言わないもので、客観的に危険度が高いはずの高齢世代になるほど危険性を過少評価しているように見えるのは、実のところ実感としてその怖さを日々感じているが故であるのかも知れませんね。
またおもしろいのはこうした調査においてしばしば見られる男女差の存在ですが、男性が自宅で死にたいと言う人が多いのに対して女性は医療施設と言っているのは希望と言うよりも、どうせその頃には配偶者もいないし…というある種覚めた現実認識を感じさせられるように思います。
しかし世間ではテレビにしろ新聞その他の紙面にしろ認知症関連の話が出ない日はないほどで、特にその予防などということに関しては大きな商売になるほど反響を呼んでいるはずですが、こうした方々は全く興味が無く平然としているタイプなのか、あるいは全く真逆にあらゆるアンチエイジングに精通していて老化など他人事だと感じているタイプなのか、おそらくは両極端いずれもが含まれているのでしょうね。

今現在団塊世代の高齢化だ、超高齢化社会の到来だと危機感をもって語られていますけれども、実は団塊世代などは適当な時期に結婚し子供を産んでという相応に理想的な人生行路を歩んできた人たちでもあって、むしろ結婚や出産が当たり前のことではなくなってしまった現在の現役世代の老後の方がよほど難しいという危機感は必要だと思いますね。
もちろん若年世代が減る一方であれば年金問題しかり、社会保障の財源しかりと財政的な裏付けにも事欠くようになりますけれども、それ以前にやはり遠くとも家族や親族による意志決定能力の保持こそ様々な制度を動かす最初のきっかけになるものであって、医療であればいきなり天涯孤独な呆け老人が運ばれて来たと想定してみれば意志決定してくれる親族のありがたみが判るはずです。
終末期医療なども患者本人のためにと言うよりは家族の方を向いて治療している側面が色濃いもので、どうせ本人は何も判ってはいないのだから家族さえ理解し納得してくれるのであれば文字通り何もしないという選択肢もありだと思いますし、医療を実施する側の医師らが「それでも何となく…」と決まり切った延命手順を踏んでしまうことは、すでに社会的にも望まれないものになりつつありますよね。
ただいくら呆けきった爺ちゃん婆ちゃんでも「殺される~!誰か助けてくれ~!」なんて叫び放題の方をそのまま黙って何もせず見送るというのは自己決定権尊重の上でどうなのかですから、孤独な老人が一人で死んでいく時代の到来を前にどのように現場で本人意志の尊重を実現していくのか、医療の側にもあらかじめルールを用意しておく必要がありそうですね。

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コメント

>気づいても、誰に相談したらいいか分からない

こういうのって町内の民生委員が熱心なところはかなり手配してくれるんですよね。
年とってくるとご近所のつきあいって大事だなって思います。

投稿: ぽん太 | 2013年6月18日 (火) 08時42分

「僕はボケません! あなたが好きだから、僕はボケません!僕が、老後のお世話もしますから!」

今やそんなプロポーズの言葉もあっていいと思ういやマジで

投稿: teru | 2013年6月18日 (火) 09時18分

>「僕はボケません! あなたが好きだから、僕はボケません!僕が、老後のお世話もしますから!」

婚活歴40年オーバーのベテランをしてはじめて叫んでいい決めぜりふw

投稿: aaa | 2013年6月18日 (火) 10時26分

遺伝子診断が個人の人生に影響を及ぼすんじゃないかと懸念されていますけれども、例えば呆けにくい遺伝子なるものが発見された場合にはパートナーとして優良物件視されるんじゃないでしょうか。
ただ高齢者医療制度の先行きを考えると長生きするばかりが正義ではなく、太く長くということも決して悪いことではないのかなとも思えてきますね。
患者の自己決定権を担保するために告知など正しい情報を知らしめることが重要だと言うのであれば、人生の自己決定権を担保するために遺伝子情報も万人が知る権利があるということになりますが…

投稿: 管理人nobu | 2013年6月18日 (火) 11時58分

ところでもしかしてですが、からだはバリバリに元気だけど頭はもうさっぱりってご老人がいちばんやっかいなんじゃ…?

投稿: てんてん | 2013年6月18日 (火) 16時06分

「物忘れ=認知症」という誤解。記憶障害しか診ていないので見逃される「物忘れ外来」という落とし穴。
「簡易知能評価スケールが25点以上=まだ認知症ではない」という誤解。
「認知症=アルツハイマー」という誤解。アルツハイマーの治療薬を開発販売したメーカーが自社の薬を1つでも多く売るべく、TVCMを駆使して「困ったら相談だね」「認知症の新しい治療が始まりました」という喧伝。
医療の進歩により感染症による死亡の激減による長寿化。これが認知症増加の最大の理由でしょう。
個人的には認知症の患者にアルツハイマーの治療薬を出したら一安心。だから認知症が心配なら医療機関を受診して皆さん薬を飲みましょうというキャンペーンが白々しく馬鹿馬鹿しく思えてならない。
自分は認知症にならないと信じている5%の方、おそらく別の理由で高次脳機能障害をきたしているとしか。

投稿: 逃散前科者 | 2013年6月18日 (火) 16時25分

うちのご近所の人にそっくりです。ご本人も「まだらボケになってきた」と言ったりしているのですが、他人に言われると怒ることもあるらしい。
「運動不足だから」とよく散歩に出たり、買い物にも行ってるようなのだが、家が分からなくなったこともあるらしい。ゴミ出しがわからなくなって、近所の人が声をかけているけど、自治会の回覧も回せなくなり、順番的にしょっちゅう聞きに来られる人がねを上げて、「もう回覧は無理だから、しなくていいんじゃないか」と言い出した。
でも、最近独身らしい息子さんが戻ってきて同居しているようなので話をしたら、「何とかしないといけませんね」といっただけだとか。
まったくの一人暮らしというのも、他人が口を出すのはどうかとためらわれるけれど、同居家族がいる場合も意外と面倒です。家庭にはそれぞれ事情があるから、現状維持のままどうにもできないという可能性もあるでしょう。
「近所の人で見守りを」という言葉は美しいけど、認知症の人に関しては、正直無理だと思います。

投稿: わわわ | 2014年5月15日 (木) 18時44分

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