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2013年4月25日 (木)

医学教育が大いに変わる?

日本とアメリカとでは医学教育のカリキュラムもずいぶんと異なることは言うまでもありませんが、その背景にはもちろん学問的な重点の置き方に対する考えの違いというものもあって、例えば一昔前の日本では学生時代は遊んでいろ、教育は研修医時代からという考え方も結構あったものです。
その背景には国土の広大なアメリカと違って狭い地域に複数診療科が近接して存在する日本では、医者は自分の専門領域だけをやっていれば許されていたと言うこともあったと思いますが、近年では日本の医学教育もローテート必須になり学部教育も年々高度なものになっていっているのは必然なのでしょうね。
その一方で単なる学問としての違いというだけではなく国民意識の違いも背景にあるようで、例えば先日米国での医学教育に関わるこんな記事が出ていましたが、日本であればかなり議論を呼びそうな内容ではないでしょうか?

《119》 米国のある医療倫理に関する模擬問題(2013年4月23日朝日新聞)

 さてここで皆さんにクイズを出題しましょう。アメリカの医師国家試験(アメリカでは州単位なので厳密にいえば州の資格試験)において出題された医療倫理に関する模擬問題です。正解が1つありますので、a~eの中から正解を選んでみて下さい(樋口範雄:終末期医療と法の考え方. 老年精神医学雑誌 Vol.24 増刊号-Ⅰ 139-143 2013)。

     84歳の女性が腹痛で入院した。入院2日目に彼女は、腸穿孔による熱、重度の低血圧、頻脈状態になった。患者は、自分の病状を理解する能力のまったくない状態であった。その後48時間にわたって抗生物質、水分、ドーパミンを投与したが、効果はなく、重度の無酸素性脳症の徴候がみられた。医療代理人(healthcare proxy)は指名されていなかったが、患者が自分で話すことができたならば自身のために希望したであろうことについて、家族間で一致した合意があった。家族の指示により止めることができないものは、以下のうちのいずれか。

     a. 人工呼吸器
     b. 血液検査
     c. ドーパミン
     d. 水分および栄養補給
     e. なにもない(つまり、すべて中止することができる)

 東京大学大学院法学政治学研究科の樋口範雄教授がこの問題の正解について端的に解説しておりますので以下にご紹介しましょう(樋口範雄:終末期医療と法の考え方. 老年精神医学雑誌 Vol.24 増刊号-Ⅰ 139-143 2013)。

     「正解は最後のeである。そこには『困惑』はない。明らかな医療倫理上の正解が存在すると考えられている。もちろんそこに法の出番はない。裁判所に行く必要もなければ、水分や人工呼吸器を外したことで警察が介入することもない

     なぜか。それは、患者サイドでは終末期医療における『自己決定』を尊重することがまさに医療倫理と考えられていること、さらに、医療サイドでは、無理な延命は、医療倫理に反することであり、医療にも一定の限界がある(それを越えた医療はfutility=無益)と考えられているからである。」

 自己決定が最優先されることに関しては、「ひょっとして認知症? Part1─改めて尊厳死、平穏死を考える(第325~337回)」において詳しくお話しました。リンク先のファイルの冒頭に記載しておりますように、「自己決定権の尊重という、医療倫理上もっとも重要な原則に照らす限り、患者本人の意思が明瞭に示されている場合に延命治療の中止を認めるかどうかが議論の対象となることはありえない。議論の対象になるとすれば、それは、昏睡患者などで、患者本人に意思を表明することができない場合だが、その場合でも、米国の判例は『昏睡患者などで本人に意思を表明することができない状況においても、その自己決定権の行使を保証する』という立場をとり、近しい家族による本人の意思の推定を、きわめて合理的な手段として受け入れている。」のが米国の現状でしたね。

 一方で、筑波大学大学院人間総合科学研究科生涯発達科学の飯島節教授は、自己決定原則の限界についても言及しておりますので以下にご紹介します(飯島 節:高齢者医療に必要な法律的知識. 2013.3.23付日本医事新報No.4639 42-45)。

     「いずれのガイドラインにおいても、それが現在のものであるか病前のものであるかにかかわらず、患者自身の自己決定を最優先している。しかし、和を尊び自己主張を抑制することを美徳とする我が国の高齢者には、自己決定を避けて、信頼できる誰かに決定を委ねようとする傾向もある。米国においても、ほとんどの患者は自己決定権を行使したいとは思っていないという指摘もあり、自己決定に頼りすぎることの弊害も説かれている(マーシャ・ギャリソン:ケース・スタディ生命倫理と法 第2版, 樋口範雄 編著, 有斐閣, 2012, p377)。」

腸穿孔と診断のついたショック状態の患者を48時間も保存的治療だけで経過観察という時点でそもそも消極的安楽死も同然ではないかという意見もありそうな症例なのですが、要するに回復の見込みもないどころか近い将来永眠するだろうことが確実視されている患者の終末期問題という普遍的なテーマであるということですね。
日本においてもこのところ終末期のガイドラインが次第に整備されつつあり、きちんとした手順を踏めばa~dのいずれも中止できるという制度にはなってきていますけれども、例えば救急医療の終末期ガイドラインなども複数の医師が終末期であると客観的に診断した上で、繰り返し家族の意志も確認しながら慎重な対応を行うよう求めていて、家族が求めたから即中止可能とまでドライなものにはなり切れていません。
また記事にもありますように日本の場合は特に家族そのものの意志も曖昧な場合が多く、リスクを恐れる医師の側にしても多くは無理押しをするつもりもありませんから医療費自己負担が安いということもあり、どう見ても回復の見込みのない終末期患者に巨額の医療費が漫然とつぎ込まれていくということが少なからずあるわけですね。

終末期医療に関してはもちろん民族の文化や各個人、家庭での考え方の差異が大きく、どれが正解でどれが間違いだという話でもありませんけれども、いずれにしても一事が万事で現代医療と言う日常的に多国間でエヴィデンスを共有し進歩してきた領域においても、これだけ圧倒的な文化格差が存在するということは非常に重要なことだと思います。
もともと医療制度は国単位で行われているものですから、別に国毎にどんな医療観があっても問題なかったと言えばなかったのですが、どうもこれからの時代はそうも言っていられないらしいと言う話が先日日経メディカルに掲載されていました。

日本の医学教育に“黒船”襲来(2013年4月23日日経メディカル)より抜粋

(略)
 ことの発端は2010年9月。米国外で医学教育を受け、米国での臨床研修を希望する医師の臨床研修資格を認証するECFMG(Educational Commission for Foreign Medical Graduates)が、「2023年以降は、国際的に認められた認証評価を受けた医学部の卒業生のみを認証する」と通告したことに始まる。この背景には、アジアや中東、中南米で医科大学の新設が相次ぎ、その卒業生が米国に多数流入したため、それらの医師の質の担保が必要となった事情がある。

 この通告によって、日本の医学部を卒業した医師も、このままでは2023年以降、米国の臨床研修資格を得られなくなるという事態に陥ってしまった。そのため、文部科学省と全国医学部長病院長会議は、日本にも医学教育の認証機関を設置し、国際的に同機関を認められるよう働きかけることを決定。2012年度の文科省の先導的大学改革推進委託事業(GP)で、認証機関となるJACME(日本医学教育認証評価評議会;Japan Accreditation Council for Medical Education)を立ち上げた。認証は各大学の自己点検評価と、JACMEから派遣された評価者による実地評価とで行われる(図1)。今年度は、試行的に東京医科歯科大と新潟大、東京慈恵医大の3校で評価を行い、ECFMGが期限とする2023年度までに希望する全医学部の認証を行う予定だ。
(略)
 現在作成中の評価基準について、日本医学教育学会認証制度委員会で委員長を務める北村氏は、「多くの医学部は現在のカリキュラムの組み直しで認証を受けられるはずだ。不適格にはならないだろう」と話す。もちろん、形だけの評価制度になるというわけではない。「『最終的にどのような医師を育成するか』というアウトカムを重視するのが、現在の国際標準。『何を教えるか』というプロセスを重視してきた日本の医学教育は、組み直すのに苦労するのではないか」と北村氏は予測する。

 例えば、WFMEの評価基準の冒頭、「医科大学の使命と目標」の領域の基本的水準では、「医科大学・医学部は自己の使命を定め、大学の構成者ならびに医療と保健に関わる分野の関係者に理解を得なくてはならない」とされている。いわば、医学部としての“ミッション”を示すことが求められているわけだ。だが、「創立者の理念が強く反映される私立大学はともかく、地方の国立大学では、『何のために、どのような医師を育てるのか』を明示できない医学部がほとんどのはずだ」と北村氏。カリキュラムや入試方法も当然、その“ミッション”を達成するための方策として位置付ける必要がある。

 臨床実習も問題だ。日本における臨床実習の期間は平均48週。だが、米国では一部の州で72週以上の実習期間が義務付けられているほどで、日本は国際標準と比較して短い。72週が必達目標とはならなくても、現在よりも長い実習期間が求められることは間違いない

 期間だけでなく、質も問題だ。文科省GPの担当責任者で、東京女子医大の外部評価(次ページ別掲記事参照)に評価員として携わった東京医科歯科大医歯学教育システム研究センター長の奈良信雄氏は、「女子医大の評価の際、海外の評価者からは『1週間ごとに全診療科をまわる日本のスタイルでは深い実習ができない』との指摘があった。見学ではなく診療参加型の臨床実習へと変える必要もある」と指摘する。当然、大学教員の負担は重くならざるを得ない

 しかも、これらの評価基準に基づく評価結果はJACMEのWebサイト上で公開され、改善計画の提出も求められる。
(略)
 例えば、医学部の臨床実習の充実は、認証評価と関係なく以前から課題とされてきた。奈良氏は以前、ある大学の教授から「教員も施設も十分でなく、臨床実習の充実は難しい」と打ち明けられたことがある。だがその大学ではその後、学生が臨床実習の充実を強く要求し、臨床実習の見直しに向けて動かざるを得なくなったという。また、「認証の際に評価結果が公表されるため、認証は優秀な学生を集めるツールにもなる。大学としては認証評価制度に参加せざるを得ないだろう」と奈良氏は話す。

 いずれにしても今年度、医学教育の認証制度が立ち上がり、来年度以降多くの医学部で受審が行われるのは間違いない。臨床、研究、教育の3つの役割を求められている医学部教員は今後、教育にこれまで以上の比重をかけざるを得なくなりそうだ
(略)

しかしこの話、直接的にはTPPとは全く無関係に出てきた話なんですが、教育の世界でも国境を越えて世界標準化が求められるようになってくると国内専用のシステムは全く組み替えていかなければならなくなるというのは、全くもって示唆的な話という気がしてこないでしょうか。
アメリカの教育システムが最良と言うわけではもちろんなく、特に向こうは日本と違って学士レベルから教育がスタートするのですから目的意識も教育密度も違うのは当然なんですが、ともかく現代医学がアメリカという世界最大の医療市場を中心にして動いている以上は、そこでの基準がデファクトスタンダードになっていくのは仕方がありません。
もちろん日本の医学教育は数々の問題を抱えていることは全くの事実で、特に教育者としての教官の技量や経験を全く評価するシステムが存在しないまま研究者としての業績を上げたものが漫然と教育者としての権力も掌握していくというのは、決して日本だけの問題でもないでしょうが医学教育の質的担保という意味ではよろしくないとしか言えませんよね。
本当であれば講師、助教クラスで教育能力の高いスタッフを抱えてきちんとしたプロフェッショナルな教育を受けられるようにするのがいいのかも知れませんが、毎週入れ替わりでやってくる学生達のためにそこまで自分の人生を捧げる気になる人がどれだけいるかと考えると、やはりどうしても本業の片手間にということが増えてしまうのは仕方がないのかも知れません。

特に記事を見ていても強調されているのが、医学に限らず日本の教育現場で重視されがちな「何をどのように」という方法論ではなくて、その結果をもって評価されるという点ですが、それこそ医師たる者点滴採血は言うに及ばず通常分娩くらいは扱えなければ駄目だ、なんてことにでもなってくれば教育課程の大改革は言うに及ばず、そうした実習を可能にする法体系の整備も必要になってくるはずですよね。
医学よりも実学寄りな看護学の方でも「いかにして手技の能力を担保するか」ということは長年の課題で、かつては法的にはともかく学生同士であれやこれやの「実習」をしていたという話も聞きますが、さすがに医師に求められる高度侵襲的処置はおいそれとはやれませんから、これからはすでに導入が進んできている医療実習用ダミーを使っての実習も単に「やったことがあります」レベル以上の習熟を求められるようになるのでしょうか。
もちろんこれが世界標準ですと言われれば横並び意識の強い日本のことですからどこの大学もカリキュラムの改正をし道具もそろえるのでしょうが、それに対して本業が他にある教官達の教育時間の捻出がきちんと行えるかどうかの方が問題で、せっかく機材はそろえても指導医もいない部屋で学生達がダミー人形を相手に黙々と自習を繰り返しているだけなら何の為の教育改革かということになりかねませんよね。

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コメント

いつ変わるか?今でしょ!

投稿: | 2013年4月25日 (木) 08時36分

老教授達が引退してその弟子達がまた引退する頃には少しは変わってるかもねw

投稿: aaa | 2013年4月25日 (木) 09時38分

設問内容がもう少しシビアで「患者本人は少しでも長生きしたいと希望していたが家族は治療費負担に耐えかねている」とかであればどうなんでしょう?
国試の問題としては厳しすぎるかもしれませんがアメリカで一番起こりそうなトラブルってけっきょくそういうことなんじゃないかって気がします。
だいたい自己決定権最優先ってルールだったら本人が死んでもいいよって言わない限り家族は未来永劫治療費負担に耐えていかなければならないってことですかね?そりゃ医療費による破産が多いわけです。

投稿: ぽん太 | 2013年4月25日 (木) 09時56分

同意の上でやっていれば警察は介入しないという原則が担保されてるだけでも、現場の感覚としてはずいぶん違うんじゃないかと思います。
その意味で医療関連のトラブルは親告罪にしようという考え方にもそれなりの意味はあるのかなと思いますね。

投稿: 管理人nobu | 2013年4月25日 (木) 12時33分

臨床現場に長年終末期に携わってきた個人的な印象から言わせてもらえば、日本では今後増加するであろう超高齢者や末期癌老衰患者ですら欧米のようなクリアカットな終末期処理は永遠にまず不可能でしょうね。それは日本人の社会全体が終末期の縮小医療を全く認識・受容できていないからです。終末期医療の延命濃厚医療は今後どんどん増えていくでしょう。そして医療経済は破綻に近づく。
今のままだと残念ながらそういう破滅的転帰が見えているから、TPP交渉参加を契機に現行システム(国民皆保険制度)が破壊して米国のような格差医療を導入するしか道はないと思います。延命医療が自己負担になればカネの切れ目が命の切れ目にならざるをえない。
医学教育に関しては何十年も前の学生時代の教育がどれほど臨床現場で役立っているでしょうか?研修医以後、仕事を初めてからの教育こそが大事ですが、日本には臨床医の教育システムが確立していないので、指導医や指導環境で格差が生まれるのでしょう。
やはり医学は年々刷新されていくので、指導以外にも個々の医師がいかに自主的に学かが大事だと思います。

投稿: 逃散前科者 | 2013年4月25日 (木) 14時44分

素人考えですがいっそ医学部も4年生のメディカルスクールに変更するのはどうでしょう?
私立の場合学費も安くなるし良いと思うのですが
幸い大学側も勉強しない学生を見て卒業を厳しくする方向で動いてますし
学部ごとの入試ではなく入学後学部を選択する案も出てますので結構有りな気はしますが,,,,,

投稿: 匿名 | 2013年4月25日 (木) 16時25分

六年間でやっと詰め込んでるカリキュラムを四年に押し込むのは無理があるかと
ずっと対象の狭い歯科や薬科ですら六年かかるのが現実であるわけで

投稿: adams | 2013年4月25日 (木) 22時43分

現在でも学士編入がありますし出来そうな気がしますが?
それに単純な比較はできませんが4年生の先進国も多いですし

投稿: 匿名 | 2013年4月26日 (金) 01時49分

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