« 近づく総選挙とネット | トップページ | 社会のために日々身を削る努力を続ける人々 »

2012年12月 7日 (金)

高齢者終末期医療問題 もう一つのハードル

昨今経済的・財政的な側面から高齢者医療問題が取り上げられることが珍しくなくなりましたが、先日日経に掲載されたこの記事もそうした文脈に沿った内容になっているようですね。

高齢者「病院から施設へ」進まず 介護入院、最長に 医療費の膨張招く(2012年12月3日日本経済新聞)

 入院の必要がない高齢者を病院から介護施設へ移す政策が進んでいない。2011年度末に全廃する方針だった病院内の介護療養病床は、廃止を決めた06年度の68%がなお残る。一方で介護が目的の高齢者の入院日数は11年に平均311日と過去最長となった。対応を先送りすれば、医療費の膨張や不十分な介護体制が続く。衆院選を控え現実を見据えた政策の練り直しが迫られる。

 自民、公明両党は政権の座にあった06年、介護保険を使って入院する介護療養病床を11年度末までに廃止すると決めた。特別な治療が要らない高齢者を病院から施設に移し、医療費を抑える目的だった。ただ医療機関に義務はなく取り組みが停滞したため、民主党政権は17年度末まで廃止期限を延長した。

 06年度末の介護療養病床は11万5千床だった。11年度末時点で68%の7万8千床が残り、秋田県は93%がそのままだ。富山県や京都府も転換率は2割に満たない。県の積極的な呼びかけで、最も転換が進んだ山形県でも22%の病床が残る。

 厚生労働省によると、介護療養病床から老人ホームへの転換で老人1人当たりの医療費は月額40万円前後から30万円に、100床当たりの医師の配置は3人から1人に、それぞれ減らせる。厚労省は12年度以降、介護療養病床の新設を認めていない。病院から老人ホームへの転換を促すため1床ごとに助成する制度を設けたが、効果は薄い。

 病院側では医師と収入の減少に警戒感が強い。秋田県内の病院は「転換のシミュレーションはするが、配置基準の見直しを理由に看護師に退職を勧めるわけにいかない」と慎重な姿勢を示す。
 都市部の介護施設を中心に、受け皿不足も深刻だ。11年の介護療養病床の平均在院日数は311日で、5年前の269日から42日も延びた
 10年の介護療養病床の平均要介護度は最高の5に近い4.39と、重度な場合が多い。「4や5の人が自宅で療養するのは難しく、入院しながら老人ホームの空き待ちをしている」(西日本の病院)状況は全国に広がっている

 医療、介護ともに現場の動きが鈍い中で、10年に介護療養病床にいたまま亡くなった人は全体の3割を超えた。

 関係者が多い高齢者の社会保障の難題を前に、政策論争は深まらない。衆院選の公約で在宅介護の充実をうたう民主党に対し、自民党は介護療養病床の廃止方針の見直しを探る。各党の主張は利用者や施設の運営者らの反発を嫌い、具体策を欠いてきた。終末期のサービスと負担の全体像が見えないと、国民の不安は和らぎそうにない。

以前から国が推し進めているこの「医療から介護へ」という問題、一向に国の思惑通りには進みませんけれども、国にとっては安上がりについても利用する側にとっては決してそうではないということも一つの理由になっているかと思います。
医療費自己負担の上限に引っかかって月額7万円程度の負担で済む病院に比べると大部屋に雑魚寝でもこれと同等以上の費用はかかる、まして個室など希望しようものならずっと割高につくということになれば「それなら何かあっても安心な病院がいい」と考えるのも当たり前の人情ですよね。
国としては病院の病床を減らし介護施設に転換していくことで強制的に介護施設に老人を追い出す戦略であったようですが、介護施設の方がコストが安いということはそれだけ収入が少なくなるということでもありますから経営厳しい昨今の医療機関にとっては介護への転換はそれだけリスクが大きい、そして新規業者の参入にとってもハードルが高いということでもあるわけです。

ひとたび資本主義社会に働く当然の節理を離れて社会文化的な背景を考えて見ても、日本人のほとんど全員が病院のベッドで亡くなっているという現実が一方ではある、そして他方では根強く「死ぬときは自分の家で」という願望が残っている中で、ホームで赤の他人に看取られて死にたいという希望者がそう大勢いるとも思えませんよね。
その結果終末期の手当を希望して介護施設から急性期の病院へ患者が運ばれてくる、本来ならば何もせず看取るべき患者であったとしてもわざわざそうした病院に搬送されて来た以上は積極治療を望んでいるのだろうということで医師らもそれなりに頑張ってしまう、そして仮に運良く?回復したとしても後に残るのは「こんなに状態が悪くなってはうちじゃ引き取れませんね」と言う無情な介護施設の通告と難民化した老人だけでしょう。
こうした老人達がいずれまた療養病床に転院し行く当てもないままベッドを塞いでいくのですから、結局は終末期の看取り方・看取られ方とはどうあるべきかという認識が変わっていかなければどうしようもない問題だとも感じるのですが、それに絡んでもう一つの問題点を咨嗟するという点からこういう記事を取り上げてみましょう。

連載:開業の落とし穴 一瞬にして患者30人を失う羽目に!(2012年12月5日日経メディカル)

 H医師は、在宅診療を通じて地域医療に貢献しようと、24時間対応の在宅医療専門クリニックを開設しました。開業場所は、勤務していた病院からさほど遠くない住宅地にあるマンションの1室です。外来診療を中心にした一般のクリニックよりもコストをかけずに開業できました。

 最初は、病院に勤務していた時の受け持ち患者を数人、在宅でフォローするところから始めました。その後、広告は特に出しませんでしたが、H医師の親身な対応が患者の家族や地域のケアマネジャーに受け入れられ、口コミで在宅患者が増えていきました。

 開業して半年が経過した頃、近隣の高齢者住宅から入居者30人に対する訪問診療の依頼が来ました。医療ニーズを調査したところ、重度で頻回に訪問しなければならない入居者が結構多く、H医師1人で診るのは難しいことが分かりました。そこで、知人のI医師にお願いしてアルバイトに来てもらい、高齢者住宅の入居者への訪問診療は順調にスタートしました。

 ところが、数カ月が経過した頃、小さなトラブルが頻発するようになりました。H医師の診療や処方の内容に対して、介護スタッフが口を出すようになってきたのです。

 「以前の薬の方が効いていたみたいですから、切り替えてもらえませんか」「患者が喉の渇きを訴えるので、点滴を再開してもらえないでしょうか」などなど…。

 もちろん、各患者への診療内容についてはH医師とI医師がしっかり協議して決めており、医師ではない介護スタッフが意見するようなものではありません。H医師は、「薬は切り替える必要はありません」「点滴をしたからといって、状態が改善するわけではないのです」と介護スタッフに簡単な説明をして対応していました。

 こうしたやり取りをしているうちに、H医師と介護スタッフの関係はますますギクシャクしていきました。すると、しばらくして高齢者住宅の管理者がH医師に対して、「訪問診療は他の医療機関に依頼することになりましたので、もう来ていただかなくて結構です」と、一方的に言い渡してきました。H医師は、一瞬にして30人の在宅患者を失ったことに、ただ茫然とするしかありませんでした。

 原因は、患者のケアに対するH医師と介護スタッフの認識の差にありました。介護スタッフは患者に苦痛なく生活してもらうことを常に考えますが、一方で医師は、病気を治すために時には患者に我慢を強いることもあります。この意識の違いが、今回の問題を招いたのです。

 介護スタッフは患者の家族に対して、「H先生が点滴をしてくれればいいのですが…」「H先生が処方薬を見直してくれないのです」と、頻繁にぼやいていたようです。日常の世話をしてもらっている介護スタッフの訴えなので、家族もH医師に不満を抱くようになってしまい、高齢者住宅側からの担当医師交代の提案を承諾してしまったようです。

 H医師が患者への診療内容について、介護スタッフにも時間をかけて説明していれば、今回の事態を避けられたかもしれません。在宅医療は、医師や看護師、介護スタッフなどが共同で行うチーム医療です。様々な職種のスタッフが一緒に仕事をするので、それぞれの立場によって意見が異なる場合もあることを理解しておく必要があります。

こうした行き違いはよくあることでもありますし、記事の趣旨としてはタイトル通り開業医が陥りやすい経営上の落とし穴について注意を促すというものであるのですが、実はこうした医師とスタッフとの認識の差というものは往診に限らず病院内での日常業務でも当たり前に存在しているものです。
例えばコメディカルスタッフの代表である看護師という職業は何よりも目の前の患者が抱える苦痛を除くことを考える人種であって、それがために唯一合法的に他人を傷つけられる商売である医師などよりもずっと患者にとって身近であり信頼もされる存在でもあるわけですが、逆に言えばその対応は極めて逐次的、刹那的であるとも言えます。
経口摂取をしている患者に誤嚥があれば食事はやめて点滴にしませんかと進言する、認知症の患者が点滴や経鼻移管を自己抜去して危ないから胃瘻にした方がいいのではと提言する、これらはそれぞれ患者の当座の苦痛を除くという視点で見れば決して間違っている行為ではありませんが、その結果長期的に見れば寝たきり患者が身動きもせずじっと横たわっているだけの植物園が全国に量産されていくことにつながっていくわけですね。

一方で医師と言う専門家は医学的知識、技能はもちろんですが、何よりも病院内外での医療行為を統括し方針を定める司令塔の役割が求められますから、人が誰しも死を免れない以上極端に言えば目の前の患者を診ながら「この人はどうやって見送ればいいだろうか」と看取り方というゴールを見据えてシナリオを描くことこそが最大の仕事であるとも言えます。
その過程では例えばここで濃厚医療を行えば目の前に存在する状況が改善する可能性があっても敢えて攻めないという選択肢も当然あるわけですが、あまりにも先を見据えすぎてそうしたことばかりやっていると「あの先生は患者が苦しんでいるのに何も指示を出してくれない」などと詰め所で陰口を叩かれることにもなりかねませんよね。
看取り方に対するコンセンサスが必要であることは昨今盛んにチーム医療を標榜するようになった医療現場の内部においても全く同様であるということですが、こちらの場合下手に各スタッフがそれぞれ専門家であると自負しているだけに国民一般におけるそれよりも合意形成には難渋することになるのかなと、こうしてみると一抹の不安を感じないでもないですね。

|

« 近づく総選挙とネット | トップページ | 社会のために日々身を削る努力を続ける人々 »

心と体」カテゴリの記事

コメント

アホパラメディカルの口出しうぜえっす・・・
説明しても理解する能力ないから無視するしか・・・

投稿: とんちゃん | 2012年12月 7日 (金) 08時54分

やはり十分な説明と同意が必要でしょう。

投稿: 管理人nobu | 2012年12月 7日 (金) 12時19分

北欧からすればアホみたいな話でしょうが、日本は老衰高齢者に誰でも彼でも急性期濃厚医療しすぎて、治療後はヘビーでリスキーすぎて危なくて施設へ移せない患者が病院にたまってるのでしょう。
療養型病床強制削減で施設へ無理矢理うつしたはいいが、すぐにブーメラン患者もいっぱいいそうで。
家族の介護力無視して在宅環境も整えず、強制的に退院させて即在宅で在宅クリニック丸投げみたいな無茶苦茶な病院もありますからね。
看護師とか患者家族の意見ならまだ聞けるけど、老人ホーム・高専賃とかの施設管理者が治療(主に薬)のことであれこれ口出しされるのは心外。なめられたら終わり。
いくら施設の在宅訪問医療がカネになると言えども足元見られる立場になるくらいなら辞めたほうがいい。
施設長の言うなりに治療する奴隷医にでもやらせとけばいいですよ。

投稿: 逃散前科者 | 2012年12月 7日 (金) 13時11分

なにやら昔を思い出しますなあ
田舎の町立病院で老看護師長が絶対的な権力握ってるとこがありましたな
町内の血縁関係にがんじがらめで一人を敵に回したら周り中にけんか売るハメになるから
ああなるともう院長だろうが手はつけられませんわね

投稿: 元僻地勤務医 | 2012年12月 7日 (金) 13時45分

どんな細かいことでも「なんで報告しないんだ」とキレるお医者さんがちょくちょくいて、どのお医者さんがいつそんなこと言い出すか分からない状況があるんですよ。そんなときは看護師も目の前の不満苦痛に振り回されるのは馬鹿馬鹿しいと心の中で思いながら、自分のせいにされては叶わないから、いちいち細かいことでも報告するんです。お医者さんも看護師を馬鹿だと心底思うなら、ちゃんと馬鹿に接するやり方で接して欲しい。どうせ現場じゃ顔合わせないわけにゃ行かないんだから。医者以外の医療者全部馬鹿と本気で思ってるとしか思えない態度の人、実際いるもんね。長い付き合いで気心が知れてるお医者ならそんな心配はないんだけど。お医者さん同士のコミュニケーションも進んでないとき、病院全体の方針もないから、現場はみんなピリピリします。そんなとき、こっちは馬鹿で結構、お医者さんの前じゃ馬鹿になりきるしかないよ。

投稿: 医者以外の馬鹿 | 2012年12月 7日 (金) 14時06分

>医者以外の馬鹿さん
まさにおっしゃるようなコミュニケーション不足も大きいですね。
同じ医師同士でも腹立つ医師っているんだし、つまりは職種よりも個人個人のキャラクターでしょう。
ただ船頭多くしてって言葉がある通り、指揮系統は一元化しないと困る局面があるってことは理解いただきたいですね。
まともな医師ならスタッフが自分なりに意見を述べるところまでは受け入れる度量はあると思いますよ。

投稿: ぽん太 | 2012年12月 7日 (金) 14時28分

>ぽん太さん

個々の事例で予めどうするって決め事がないとき、事前の指示が不足のとき、やっぱり報告して指示を仰ぐしかないんです。入院理由に向けた治療に無関係としか思えないことでも、患者中心で考えたら迷うこともあります。院長とか偉い人が患者中心って謳っちゃってるし。心電図程度でも勝手に準備するだけで、あるお医者さんは「なぜ勝手に」って言うし、別のお医者さんは「なぜ予めやってから報告しない」って言うし。だったら看護師は馬鹿になるしかないです。少しでも勝手な判断する位なら馬鹿のほうがマシなんじゃないかなお医者さんとしては。夜勤中なんか特に看護師の判断力も落ちてるときあるし、普段の人間関係が大きく影響することも現実あるでしょう。お医者さんが看護師を馬鹿と決めている時はちゃんとオーラは伝わってるから、こちらも100%馬鹿になりきればいいから意外に簡単です。でも看護師が馬鹿なのも文脈によるから、馬鹿の時なぜ馬鹿か時々の文脈を察するお医者さんは、結局いいお医者さんなのかも。「指揮系統は一元化」って、それを本当に一人で背負う構えがあるお医者さんは少ないんじゃないですか?「治療に関しては」「医学に関しては」ってことなら結構いますよ。そういうお医者さんの方が自分は気が合うし状況報告もしやすいです。患者の入院生活全部背負ってて指揮系統一元化ってことなら、そりゃ治療に関係ないことでも全部報告して方針決めていただくしかないでしょう。医師以外全部馬鹿って決まってたらなおさら。

投稿: 医者以外の馬鹿 | 2012年12月 7日 (金) 19時14分

毎日こんなだらだら長いだけで要領得ない報告聞かされる先生に同情するわ

投稿: | 2012年12月 7日 (金) 20時02分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/519753/56262370

この記事へのトラックバック一覧です: 高齢者終末期医療問題 もう一つのハードル:

« 近づく総選挙とネット | トップページ | 社会のために日々身を削る努力を続ける人々 »