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2012年12月29日 (土)

終末期医療問題 突き詰めてみればこれまたお金?

国民皆保険制度が完成して以来ある種タブー視されてきた感のある終末期医療問題に関して、昨今様々な方面から議論が深まりつつあることは何度かお伝えしてきたところです。
その背景にはひと頃盛んだった過剰医療批判の延長線上にある生命倫理的な議論とともに、どうしても高齢者終末期医療を中心とした財政的な観点も見逃すことは出来ませんが、ちょうどタイムリーな意識調査が厚労省によって行われるというニュースから紹介してみましょう。

終末期医療の意識調査、施設長も対象に- 厚労省検討会、来年1月下旬にも実施へ( 2012年12月27日CBニュース)

 厚生労働省の「終末期医療に関する意識調査等検討会」(座長=町野朔・上智大生命倫理研究所教授)は27日に初会合を開き、一般の国民や医療・介護従事者を対象とした終末期医療に関する意識調査を年度内に行うことを決めた。同調査は1992年以降、5年ごとに実施されており、今回で5回目。今回の調査から、病院や診療所、介護老人福祉施設(介護老人保健施設を除く)の施設長も対象となる。同省では、来年1月下旬にも対象施設などに調査票を送付する見通しだ。

 この日の会合で厚労省が示した調査票案では、同省の研究班が今年3月にまとめた報告書を踏まえ、調査項目が簡素化されたほか、「リビングウィル」を「どのように治療を受けたいか、あるいは受けたくないかなどを記載した書面」とするなど、専門用語がより平易な表現に改められた

 前回からの主な変更点としては、▽末期がん▽慢性の重い心臓病▽進行した認知症▽交通事故後の意識不明―のそれぞれの病状について、医師が「回復の見込みがない」と判断した場合、経鼻栄養や胃ろうなど具体的な治療や、療養場所の希望に加え、医療・介護従事者に対しては、末期がんの終末期患者にどのような治療を勧めるかどうかも尋ねるとした。

 一方、今回から調査対象に加わる施設長に対しては、延命治療の不開始や中止について話し合う倫理委員会や「コンサルテーションチーム」の有無や、厚労省や各学会が作成した終末期医療に関するガイドラインの使用状況などを聞くとしている。

 この日の会合では、過去の調査で病院ごとに回答する医師、看護師の専門領域に、ばらつきがあったことから、各病院で調査対象となる医師、看護師それぞれ2人のうち、各1人を終末期医療に従事していることを条件とする一方、回答者の重複を避けるため、これまで対象だった「緩和ケア」を外すことを決めた。

 委員からは、急性期や慢性期、「ケアミックス型」といった、さまざまなタイプの病院が存在することから、調査で回答者の属性を明らかにするよう求める意見が出た。また、認知症については、「自分の居場所や家族の顔が分からず、食事や着替え、トイレなど身の回りのことに手助けが必要な状態にまで衰弱が進んでいる」状態を、終末期と定義付けることを疑問視する声もあった。

 最終的な調査票は、この日の意見などを踏まえて年明けに確定する。【敦賀陽平】

今回特に調査対象、あるいは調査内容が変更されているということが目に付きますが、お役所仕事として考えるならばこうした調査は毎回同じ文面で同じ対象に行った方が過去データとの比較も簡単なはずですから、厚労省としても今回それなりに調査の実を求めていると言うことなのでしょうか。
おもしろいことにお隣韓国でも近年同様の終末期医療に関する議論が盛り上がっていて、やはりこの場合も発端は延命医療を中止した医師が殺人幇助で有罪になると言う司法判断があったからだと言うのですから似たような状況ですが、先年最高裁で回復不能な状態になった場合には延命医療を中止できるという判断が下されたと言うことですからこれからどんどん制度化が進んでいきそうですよね。
やはり延命医療中止とはすなわち人の死ということに直結する以上、医療現場からすればきちんと制度的に担保された状態でなければ家族の希望だけでは行い難いものであって、厚労省にしてもそうした点を見越しているからこそこうして民意形成を急いでいるのかなと言う印象を受けます。

医療財政的な観点が必要だと言うほどに延命医療とはそれだけ金がかかる以上、経営的にも厳しい病院側からすればそこでガンガンお金を使わせていけば大幅な売り上げアップに結びつくはずなんですが、おもしろいことに常日頃から「先生~売り上げもっと頑張ってもらわないと困りますよ~」なんて始終医師の尻を叩いている病院ですらこの辺りにはあまり口を出してきたという話を聞きませんよね(中にはあるのかも知れませんが)。
一方で先日は医師を対象とした調査によって「自分がそうなった場合は延命医療は控えて欲しい」という声が7割にも達したという記事が話題になりましたが、ネットなどで見ていますと「自分は患者相手に延命医療で儲けてるくせに」などといったちょっと的外れにしか思えない批判が少なからず出ているというのも、これまた専門家と一般大衆の認識の違いというものを物語る興味深い現象だなと思いますね。
いずれにしても延命医療とはそれだけ高額の費用がかかっているということがようやく国民にも知られてきているということであり、かりに患者家族の自己負担は高額医療の上限で定額払いで済んだにせよ残りの支出は保険財政を圧迫しているのは間違いないわけですから、ある程度公共の視点からも何らかのルール作りは必要だと言うことでしょうが、お金のかかることは何も延命医療だけではないと言うのもまた当然です。

くらしの明日:私の社会保障論 精神病棟から町に出る=大熊由紀子(2012年12月14日毎日新聞)より抜粋

◇欧州の博物館に日本の「今」が−−国際医療福祉大大学院教授・大熊由紀子

 その国の社会保障がどの程度ホンモノかを見破るノウハウがありました。その土地の平均的な精神科病院を訪ねてみる、という方法です。

 72年にスウェーデンの医療を取材した時、日本では想像できない光景に出会いました。精神科病院が町の公園の中にあるだけでなく、厚生省の計らいで、隣に母子保健センターや歯科診療所が建てられていたのです。わけを尋ねたら、こんな答えが返ってきました。

 「初めは町の人たちも怖いと思ったようです。でも、ここに来れば、偏見だったと分かります。それが伝わって、みんな安心して訪れるようになりました」
(略)
 93年に再びスウェーデンを訪ねたら、ここでも精神科病院はなくなり、博物館になっていました。博物館で再現されていた「かつての精神病棟」は、今の日本の精神病棟そのものでした。

 今月、イタリアの脱精神科病院改革の担い手の一人、T・ロザービオ教授が来日。長崎で開かれた「福祉のトップセミナーin雲仙」で「治療からケアへ」の道筋を語りました。これを機に日本でも「施策改革全国ネットワーク」が発足。同ネットワークは今回の衆院選にあたり、各政党に質問状を送りました。

 「日本の精神病床は、人口あたり諸外国の3〜10倍と圧倒的に多く、海外から奇異の目でみられています。諸外国なら退院可能な人々が精神科病院への長期入院を余儀なくされ、認知症の人々が精神科病院に多数入院しているからです」。こんな文章で始まる質問状に、各党がどう答えるか。認知症になっても心を病んでも、住み慣れた土地で安心して暮らせる社会にしていくつもりがあるのかどうか。それが問われています。

まあ大熊記者(現在は教授だそうですが)の現状認識はともかくとして、何故日本で精神病床が際だって多いのか、認知症の人々が多数入院しているのかということを考えて見ないことには、またぞろ「医者がまた不必要なことをして儲けやがって」で話が終わってしまうというものですよね(苦笑)。
今どき純然たる認知症患者を好んで引き受けたがる精神科などあまり聞いたことがないのですが、それでも地域に対する社会的責任として一定数を引き受けざるを得なかったというのは、一にはそうした認知症老人をきちんと引き受けられる施設が日本にはなかったことに尽きると思います。
きちんと設備を整えて十分なスタッフを配置しておけば認知症老人の扱いなど何も怖くはないと主張する方々も一定数いて、マスコミなどにはたいそう受けがいいようですしそう言われれば確かにその通りなのかも知れませんが、現実問題それが出来る施設がどれほど日本にあるのか、日本全体がそのやり方でいけるほどのリソースをどうやって捻出するのかと言う問題がありますよね。
それならばマスコミにしたって医者ばかり悪者にせずとも住み慣れた土地で暮らしていけるよう地域の方々に協力するよう世論を喚起していけばいいのでは?とも思ってしまいますが、残念ながら「介護施設が不足している!これは政府の怠慢だ!」と批判する記事は載っていても「認知症老人の地域への受け入れが足りない!これは地域住民の誤解と偏見によるものだ!」なんて記事はおよそ見たことがありません。

前述の記事でも認知症患者を終末期と言っていいものかどうかが議論になっていましたが、何らの社会的活動が果たせず回復の見込みもないという点でやはりこれは人としての死であり、いかに逝くべきかという終末期医療問題として取り扱うべきではないでしょうか。
ちょうど今年になって厚労省がこうした長期入院患者の精神科への入院は一年以内に限る、なんてことを言い出していますが、社会がこうした人々を受け入れようとしない以上は結局どこかに囲い込んで飼い殺し…という現象は全く変わりがないんじゃないかと思えますよね。
入院させていると在宅よりも何倍もコストがかかる、だからこそ病院から施設へ、そして最終的には在宅へという流れを何とか定着させようと国を挙げての絶讚キャンペーン中であるわけですが、家族からすれば金銭および労力の両面で自己負担はこの真逆になっているのですから、日本人全体が「聖職者さながらの自己犠牲の精神」でも持っていないことにはうまく話が進んでいくはずもありません。
これが諸外国であれば入院コストは高いのが当たり前で「もうこれ以上は俺たちの生活が成り立たないし…」と自然に一定のところで経済的側面から抑制がかかっていたはずですが、日本ではむしろ長く入院させるほど年金差益で儲かるという特殊事情があったわけですから、過去半世紀でがっちり強固に構築されてしまった国民意識を変えていくのはなかなかに容易ならざるものだと想像はつきますよね。
となれば、その根本的な解決策として国民意識を変えていく原動力になるのもやはり金銭的なモチベーションであるはずだとも推測出来るのですが、とっくに決まった高齢者自己負担一割の特権廃止すら遅々として進まないこの国でそこに切り込む覚悟があるのかどうかも新政権の見所の一つではないでしょうか。

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