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2012年12月 5日 (水)

医療訴訟リスク ただ観念的な文言を連ねても…

インターネットから発足し、医師会に対する第二の医師団体として期待されながら今ひとつ影の薄い(あるいは、やや迷走している?)全医連ですが、先日こんなことをやっていたようです。

医療事故調査の制度設計を議論- 東京でシンポジウム (2012年12月3日CBニュース)

 医療事故の真相究明と責任追及は両立するのかをテーマにしたシンポジウムが2日、東京都内で開催され、国会議員や医師が参加し、医療従事者の権利を守ることや、医学的・科学的な検証を基にした制度設計などについて議論した。

 シンポジウムは、全国医師連盟(全医連)が主催したもので、医療事故の刑事裁判で無罪判決を受けた医師や国会議員ら各パネリストが登壇し、それぞれの立場から主張を展開した。

 警察への届け出を明記した医師法21条について、自民党の古川俊治参院議員は、同法改正私案を示し、医療関連死については医師法から外し、1回目の違反は行政処分として、医療法に規定すべきと提言。医療事故調査制度については、▽医療の透明性の確保▽施設内における事故調査の拡充・活用▽担当医師の説明責任の強化▽医療に対する刑事司法の無秩序な介入の抑制▽再発防止策の策定と公表▽医療界における自浄機能の育成―を挙げ、「まずは制度を創設し、変える所は変える必要がある」と指摘した。

 昭和大学付属病院の有賀徹院長は、医療機関で現在広く行われているチーム医療は、一人の責任となり難いため、「システムエラー」という理解が求められると指摘。医療事故対応の基本的な考え方や、日常診療の延長線上に、クライシス・マネージメントがあることを説明した上で、「業務上過失傷害・致死は本当に私たちの業務に合うのか」と疑念を示した。

 また、全医連の新田清明副代表理事は、医学の特殊性として、不確実なエラーが避けられないことや、医学・医療の発展にある一定の犠牲が避けられないとの見方を示し、「医療事故当時者といっても、自己の不利益を被る供述を強制することはできない。事故調査の当事者や協力者が不利益にならない制度設計が必要」と強調した。

■「無罪医師」が問題点や改善案を提示

 浜松医科大医学部の大磯義一郎教授は、WHO(世界保健機関)が2005年に発表した医療安全に関する勧告を取り上げ、日本の医療事故調査の在り方を批判。WHOが掲げる▽不可罰性▽秘匿性▽独立性▽専門家―の4つのコンセプトを取り上げ、「医療安全のための医療事故調査機関は、WHOの勧告に従って創設しなければならない。紛争防止を目的とした無過失補償制度は有害無益だからつくらない方がいい」と述べた。

 患者が死亡した東京女子医大事件で、人工心肺装置の操作に過失がなかったとして無罪判決を受けた同大元助手の佐藤一樹医師は、「私がたちの悪い代理人(弁護士)だったら」と題して、病院の出した報告書を受け取り莫大な示談金を要求し、さらに報告書をメディアに暴露するとともに警察にも告訴する―との示談を有利に進める“スキーム”を提示。病院の事故調査によって医師が被る問題点を浮き彫りにした。その上で、事例の調査を終える前に当事者から意見を聞く機会を設けることや、事故調査委員会の意見と当事者の意見が異なる場合、その要旨を別に添付することなどが必要とした。

 また、医療事故の解決を願う患者側の視点として、NPO法人医療制度研究会の中澤堅次理事長が、院内調査の問題点や、患者へのインフォームドコンセントの重要性について解説。「医療側が病人の権利擁護の立場で問題解決を図り、努力を重ねることなくしては、今医療が抱える信頼喪失という重大な局面は打開されない」と訴えた。【新井哉】

医療リスクに関する前段部分に関しては全くその通りであると思うのですが、後半に取り上げられている東京女子医大のケースは当「ぐり研」でも取り上げましたように当時から医療に関わるリスクというものがどれほどに広範なものであるかを思い知らされるものであっただけに、このシナリオも非常に生々しい内容でドキリとせざるを得ませんね。
ただこうした現実的なリスクマネージメントの検討が進んでいる中で末尾に登場した患者側NPO代表のコメントが失礼ながらいささか浮いているような気がしないでもないのですが、もちろん大多数のごく普通に善良な医療関係者とて患者側と無用なトラブルを起こしたいとは望んでもいなければ、出来れば穏やかな善隣関係を維持したいとも願っていることは言うまでもありません。
しかしながら近年あまりに需要と供給のミスマッチが拡大した結果多くの医療現場でキャパシティーを超えた患者が殺到するようになった結果医療の質も低下せざるを得なくなり、それが余計なトラブルを招き患者自身の不利益にもなり、いわゆる医療不信にもつながっているという事実もあるわけですね(当時報道された多くのケースがいい加減な町医者などではなく、立派な医療を行っているはずの大病院中心であったこともご記憶でしょうか?)。

そうした事から奴隷医と呼ばれる方々を中心に医療需要と給付の抑制策に対する要求が高まり、また永続的医療を求める市民も自主的に受診抑制を呼びかけることで地域医療を共にもり立てようという機運が盛り上がっている中で、言葉は悪いですが「信じられないくらいなら無理に利用するな。不要不急の患者が減った方が我々はもっとよいサービスを提供できる」と考える医療従事者も増えてきている訳です。
先日は「お医者さんの最も好きな医療マンガ」という調査で手塚治虫氏の「ブラックジャック」が圧倒的支持を得て1位になりましたが、巨額の支払いを渋る顧客には徹底して冷淡であるのと対照的に「一生かかっても支払う!」と言う顧客には「その言葉が聞きたかった」とニヤリと笑う有名なシーンなども、本当に必要としている人間にだけ利用してもらいたいという考えを象徴する描写なのかも知れませんね。
いささか脱線しましたが、医療訴訟の意外なリスクという観点から先日なかなか興味深い話が日経メディカルに掲載されていましたので紹介しておきたいと思います。

病院と医師が貧乏なら、医療訴訟は起こらない?(2012年12月4日日経メディカル)より抜粋

 アメリカの救急医学界で非常に有名な、グレッグ・ヘンリーという先生がいます。特に救急医学の医療訴訟分野で有名ですが、歯に衣を着せない、ちょっとビートたけしを思わせるような毒舌で、面白い話をすることでも知られています。

そこに金がある限り、医療訴訟はなくならない?

 ヘンリー先生いわく、「極論すれば、病院や医師がお金を持っている限り、不幸なアウトカムが起こったときに、そのお金を求めて弁護士が医療訴訟を起こすことは不可避」。アメリカでは、医療訴訟と言えば民事訴訟のことを指すので、こういうことが言われるのだと思います。逆に、医療過誤の可能性がある場合でも、そこに“悪意”が証明されない限り、アメリカでは刑事事件になることはないとされています。
(略)

幕末には始まっていた、アメリカの医療訴訟

 アメリカの医療訴訟は1970年代の初め頃から始まったという意見があります [1]。しかし、むしろこの頃から「歯止めが効かないような状態になった」と理解するのが妥当なようです。同様の流れは医療分野以外でも強まってきて、1992年には有名な「マクドナルド・コーヒー事件」が起こっています。

 この事件はドライブスルーでホットコーヒーを注文した79歳の女性が、誤って自分の膝にこぼして熱傷を負い、治療費の一部の補償を求めてマクドナルド社を訴えたもの(III度熱傷による皮膚移植を含む多額の治療費がかかったという事情もあったようですが)。結局、同社が60万ドルに及ぶほどの賠償金を支払ったと言われています。また、ハンバーガーの食べ過ぎで病的肥満になった人がマクドナルド社を訴え、こちらは敗訴したということもありました。

 アメリカの医療訴訟の歴史を文献[2]で振り返ってみると、始まりは1840年頃のようです。新興国のため、専門職に制約が少なく(専門家にやりやすい状況があり)、特権階級による専門職の独占を嫌う風潮の中で「市場原理に委ねた専門職の形成」(market place professionalism)が起こりました。その影響を最も受けた専門職が医療者(代替医療も含む)と法律関係者だったとのことで、結果として猫も杓子も医療者となり、医療訴訟の対象になっていったそうです。

 当初、高名な医師たちは「訴訟が増えることで悪徳医療者を排除できる」と思ったようですが、実際は逆で、高名な、すなわちお金のありそうな医師が医療訴訟の対象になることが多かったようです。そこから今に至るまで、状況は徐々にエスカレートを続けているといえるでしょう。医療訴訟が盛んになった背景として、医療側の事情で指摘されるのは、(1)医療の進歩、(2)医療の標準化、(3)医療訴訟保険の普及。法曹側の事情で指摘されるのは、(4)成功報酬、(5)一般市民陪審員、(6)民事上の不法行為(tort)です。

訴訟の抑制に有効だったのは、賠償金額の上限設定…

 この国の救急医の約半数は、そのキャリアにおいて一度は医療訴訟に関与することになるという統計があります[3、4]。つい最近、医師のバーンアウト率を調査した文献[5]もありましたが、救急医は残念ながらダントツで一番ということで、医療訴訟が少なくともその遠因になっていることは容易に想像できます。

 日本で言うところの「モンスターペイシェント」に、患者満足度や提訴といった“錦の御旗”を振り回されて不要な検査をすることになったり、他科の医師からおそらくは医療訴訟防止の目的で患者を送られる。定量的に把握することは難しいものの、こうした救急部の境遇は、医療訴訟のリスクとも絡み合って医療費高騰の大きな要因の一つとも考えられています[6]。残念ながら、アメリカの医療訴訟はコストがかかり、必ずしも合理的ではありません(医学的にも経済的にも)。

 一方で、ヘンリー先生をはじめとするACEPの先生方や、救急医療領域で著名なメディアである「EMERGENCY PHYSICIANS MONTHLY」のマーク・プラスター氏により、非常識な医療訴訟を防ごうという草の根の活動も行われています。ただ、今までで一番有効だったのはどうやら、州法において賠償金額に上限が設けられたこと。この結果、カリフォルニア州などでは訴訟の件数も医師の医療訴訟保険のプレミアム(掛金)も下がったようです。

 日本では法律家の絶対数が少ないこともあり、アメリカのようなことにはならないと思いますが、今後も注視が必要でしょう。アメリカでは、医療訴訟が医療過誤の防止のためにならないことが認識されてきている[7]のと同時に、何らかの医療賠償制度の確立が検討されていることは明るい材料です。とはいえ、残念ながら医療訴訟はあまりにも大きな“ビジネス”になってしまっているので、どこまで改革できるか難しいようですが…。

もちろん「訴訟大国アメリカと日本では全く状況が違うだろう!」と言う考え方ももっともなんですが、まさしく日本はアメリカのように気楽に訴訟が起こせる環境を目指して弁護士数を絶讚急拡大中であり、その結果今やワープアに転落しつつあるとも言う弁護士達が食うために新たな需要を掘り起こしていくことになるだろうと危惧されているわけですから、決して人ごととは言えない状況だと思いますね。
医療訴訟の賠償金に上限を設けることがもっとも有効であったという点は極めて示唆的だと思うのですが、例えばスウェーデンなどでは過誤や不作為に関係なく医療の場で何らかの健康被害を被った場合にはどんどん賠償金を出す、ただし金額自体はごく低額であるというやり方で医療訴訟が激減したことでも知られています。
この場合医師としても患者が賠償金を得るために証明書を一筆書くことで同じ目的に向かっての協力関係を構築出来るわけで心情的にも敵対的関係から同士的関係へと自然に移行できる、そして患者側にしても手間も暇もかかれば勝てる保証も全く無い医療訴訟に持ち込むよりは低額でも確実にもらえるお金を得た方が助かると、お互いにとってよい仕組みになっていると言えそうです。
無論日本の場合は医療の規模も大きいですし、何より業務上過失傷害といった罰則があるように専門家がミス(と思われる行為)をした場合に極めて厳しいという社会風土もあるわけですが、結局のところそれによって最終的な不利益を被っているのは誰かということを考えて見れば、顧客の側としても一方的に求めるばかりではなく改めて冷静な損得勘定をしてみる意味も見えてくるでしょうね。

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コメント

鉄道事故の場合は運輸安全委員会に遺族代表は入らないのですけど、なぜ医療事故だと遺族代表を入れようとするのかが理解しがたい部分です。遺族代表は医療事故調査とは別の部分で関わるべきだと私は考えます。

管理人さまへ
>当時報道された多くのケースがいい加減な町医者などではなく、立派な医療を行っているはずの大病院中心であったこともご記憶でしょうか?
この表現は一般の方が読むと「町医者は大病院と比べるといい加減」と誤解される方が出てきてしまうような気がしますがいかがなものでしょうか?

投稿: クマ | 2012年12月 5日 (水) 08時25分

科学的な調査とはまた別でなにか主観的なものを入れたいんじゃないですか>遺族代表。
鉄道よりも長いこと関わって料金も高いんだから満足のいく対応を受けて当たり前だ、みたいな?
事故調査じゃなくて顧客満足度調査なりであればそれもありでしょうけど。

投稿: ぽん太 | 2012年12月 5日 (水) 09時20分

>そこに金がある限り、医療訴訟はなくならない

金を取りやすい相手からむしり取るのが大原則だもんなw

投稿: aaa | 2012年12月 5日 (水) 10時11分

>この表現は一般の方が読むと「町医者は大病院と比べるといい加減」と誤解される方が出てきてしまうような気がしますがいかがなものでしょうか?

ご指摘の通り、軽率な表現だったかと反省しております。
少し補足と言いますか個人的な考えを書いてみますと、現代の医療というものが各種機材などの物理力に大きく依存している以上、医療施設によって行われている医療内容が異なるのは当然の大前提です。
テクニカルな評価基準でレベルが高い、レベルが低いというのはそうした意味で存在しますが、それと医療としてレベルが高い、低いということはまた別の評価基準だと言うことですね。
例えて言えば複雑高度な調理技術を駆使した宿坊の精進料理と麺棒と包丁で作れる町のうどん屋との間には調理技術・技法に違いがあるのは事実として、うまいまずいの評価はまた別な話だという感じでしょうか。
ところが医療の世界においては「手の込んだものを出している店ほどうまいはずだ」といった捉えられ方をされがちだと感じますね。

投稿: 管理人nobu | 2012年12月 5日 (水) 11時09分

>患者側NPO代表のコメント

御存知かもしれませんが、NPO法人医療制度研究会の中澤堅次理事長は自身医師であり、医療制度研究会は本田宏先生も参加されてますので、あくまでも「医療者自身からの情報発信が大事」ということでしょう。

私はこの会に参加してましたが、中澤先生が「医療事故の解決を願う患者側の視点」でコメントしたとは感じませんでした。もしかするといつものメディアバイアスがかかっている可能性がありますね(笑)

投稿: 風はば | 2012年12月 5日 (水) 11時50分

>医療制度研究会は本田宏先生も参加されてますので、

危険な・・・危険な香りを感じる・・・

投稿: あかんたれ | 2012年12月 5日 (水) 14時24分

何年か前にこのブログでも聖地として全国的に有名な地域の病院に赴任しました。ここで勤務したわずか2年間で今までほとんど出会ったことがない10人ほどのモンスターと出会い、ソッコーで逃散しました。
しかし幸運にも病院勤務時代に医療訴訟沙汰に巻き込まれたことは一度もありませんでした。
今後ワープア弁護士の飯の種のために言い掛かりのようなくだらん医療訴訟が増えると思うと辟易します。
最近は病院側のガードが非常に堅く、1人患者を紹介するだけでも1時間くらい手間がかかって大変です。
緊急でもないのに、大病院は医療機関からの直接予約しか受け付けない病院ばかりです。病院側としては病院勤務医がハードワークでバーンアウトして逃散しないように、不要不急の患者を可能なかぎりブロックしようというデフェンシブ医療が定着しつつあるようです。元病院勤務医としてはわからんでもないがやや過剰な気がします。

投稿: 逃散前科者 | 2012年12月 5日 (水) 16時10分

民医連ってこいつらただのア○じゃん
なんでア○の寝言にまじめにつきあう必要があるんだ?

投稿: 明後日君 | 2012年12月 5日 (水) 19時30分

全医連=全国医師連盟≠全日本民主医療機関連合会=民医連

投稿: JSJ | 2012年12月 5日 (水) 19時57分

>明後日君さん

民医連と全医連とは違う団体なんですよ。
全医連も医師の労組っぽいもの作ろうとしたら本物に乗っ取られちゃった、なんて言われてますけどね。

投稿: たまねぎ | 2012年12月 6日 (木) 08時44分

結局医師たちに社会の現実が見えてなかったってことじゃないかと
世の中には善人もいれば悪人もいる、便宜を図ってやれば感謝する人間もいればつけ込める隙だと考える人間もいるって当たり前のことでしょうに
だんだんと社会ズレしてきた医師が増えてくればてきとうなところで釣り合いがとれてくるんじゃないですか

投稿: 元僻地勤務医 | 2012年12月 6日 (木) 11時35分

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